アクセスランキング

先人たちが目指した日本の姿。それは私達の国が常に「よろこびあふれる楽しい国(=豈国)」であり続けることです。


心あてに折らばや折らむ

20190225 伊勢修養団研修バナー
内容の詳細とお申込みは↑をクリック↑

人気ブログランキング応援クリックこちらから。いつもありがとうございます。

平成31年度倭塾動画配信サービス受講生募集中


政治のことを「色物(いろもの)」と言います。
虹を見たらわかります。
虹は七色と言われ、虹を見ると赤から黄色、青の色があるのがわかりますが、ではどこまでが赤で、どこから黄色になり、青になるのか、その境界線はきわめて曖昧です。
しかし境界は曖昧でも、それでもやっぱり赤は赤、青は青です。


20190425 凡河内躬恒
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)


百人一首の29番に凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)の歌があります。

 心あてに折らばや折らむ
 初霜の置きまどはせる白菊の花

(こころあてに おらはやおらむ はつしもの
 おきまとはせる しらきくのはな)

歌を現代語訳すると、
 あてずっぽうにでも、折れるなら折ってしまおう。
 初霜が降りているのと見惑わせる白菊の花
となります。

凡河内躬恒は、身分は決して高くなかった人ですが、後年、藤原公任(ふじわらの きんとう)によって、三十六歌仙のひとりに選ばれました。
紀貫之(きの つらゆき)とも親交のあった和歌の世界のエリートです。
そしてこの凡河内躬恒は、たいへんに思慮深い、深みのある歌を多く詠む大歌人(詠み口深く思入りたる方は、又類なき者なり)と言われた人でもあります。

ところがこの歌を正岡子規は、
「初霜が降りたくらいで
 白菊が見えなくなるわけがないじゃないか」
と酷評しています。
このため多くの訳も「霜の降る寒い朝に、白菊の花を折ろうと思っても、霜か白菊か区別がつかないよ。仕方がないから、あてずっぽうに折ってしまおう」といった、あくまでも霜と白菊に限定した解釈しかなされていいないようです。


『ねずさんのひとりごとメールマガジン』
登録会員募集中 ¥864(税込)/月  初月無料!


20190317 MARTH




<日本書紀1-8>国生み(4)月読神、ヒルコ、スサノヲの誕生

20190225 伊勢修養団研修バナー
内容の詳細とお申込みは↑をクリック↑

人気ブログランキング応援クリックこちらから。いつもありがとうございます。

平成31年度倭塾動画配信サービス受講生募集中


天照大御神に続く、ツキヨミ、スサノヲの、古事記で言う三貴神誕生の節です。
たいへん興味深い記述があります。
古事記と違い、ここに蛭児(ヒルコ)が三番目の子として登場するのです。


霧島市にある蛭兒神社
20190412 蛭兒神社
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)


<バックナンバー>
<日本書紀1-1>創生の神々(1)
<日本書紀1-2>創生の神々(2)
<日本書紀1-3>創生の神々(3)
<日本書紀1-4>創生の神々(4)
<日本書紀1-5>国生み(1)

<日本書紀1-6>国生み(2)
<日本書紀1-7>国生み(3)大日孁貴(おほひるめのむち)誕生
<日本書紀1-8>国生み(4)月読神からヒルコ、スサノヲの誕生


<原文>
次生月神。一書云「月弓尊、月夜見尊、月読尊。」其光彩亜日、可以配日而治。故、亦送之于天。次生蛭兒。雖已三歲、脚猶不立、故載之於天磐櫲樟船而順風放棄。次生素戔嗚尊。一書云「神素戔嗚尊、速素戔嗚尊。」此神、有勇悍以安忍、且常以哭泣為行。故、令国内人民多以夭折、復使青山変枯。故、其父母二神、勅素戔嗚尊「汝甚無道。不可以君臨宇宙。固當遠適之於根国矣。」遂逐之。

<読み下し文>
次に月神(つきかみ)生みませる。
一書(あるふみ)云はく
「月弓尊(つきゆみみこと)、月夜見尊(つきよみみこと)、月読尊(つきよみみこと)」
其(そ)の光(ひかり)彩(うるはし)く、日(ひる)に亜(つ)げる、
以(もち)て日に、配(なら)べては、治(しら)す可(べし)。
故(ゆへ)に亦(また)、天に送る。

次に蛭兒(ひるこ)を生みませる。
已(すで)に三歲(みとせ)に、なると雖(いへ)ども
猶(なお)脚(あし)立(た)たず。
故(ゆへ)に天磐櫲樟船(あめいはのくすのきのふね)に載(の)せて、風に順(まかせ)て放棄(うちすて)ぬ。

次に素戔嗚尊(すさのをのみこと)を生みませる。
一書云(あるふみにいはく)
「神素戔嗚尊(かむすさのをのみこと)、速素戔嗚尊(はやすさのをのみこと)」
此(こ)の神(かみ)は、勇悍(いさみたけく)して、忍(を)し安(やす)く、
且常(またつね)に泣き哭(いさち)る行い有り。
故(ゆへ)に、国内人民(くにのうちのひとくさ)の多くの夭折(わかくしてしす)を以て令(もたら)す。
復使(また)青山(あをやま)を変枯(か)らす。
故(ゆへ)に其(そ)の父母(ちちはは)の二神(にかみ)、素戔嗚尊(すさのをのみこと)に勅(ことよさ)しては、
「汝(いまし)には甚(はなは)だ道(みち)無し。
 以て宇宙(あめのした)に君臨(きみのぞ)むべからず。
 固當(まことまさ)に遠く根国(ねのくに)に適(い)ね」
遂(つひ)にこれを逐(やら)ふ。


<現代語訳>
(大日孁貴(おほひるめのむち)の)次に月神(つきかみ)を生みました。
一書(あるふみ)にはその名を「月弓尊(つきゆみみこと)」あるいは「月夜見尊(つきよみみこと)、月読尊(つきよみみこと)」と書かれています。
月神もまた、太陽に次いで光(ひかり)彩(うるはし)いので、太陽と並べて治(しら)せるために、天に送りました。
次に蛭兒(ひるこ)を生みました。
けれども蛭兒は、三歲(みとせ)になっても、脚(あし)が立たなかったので、天磐櫲樟船(あめいはのくすのきのふね)に載(の)せて、風に順(まかせ)てうちすて(放棄)ました。
次に素戔嗚尊(すさのをのみこと)を生みました。
一書(あるふみ)には、その名は「神素戔嗚尊(かむすさのをのみこと)、速素戔嗚尊(はやすさのをのみこと)」と書かれています。
この神は、勇悍でなのですが、忍耐力が足らず泣き哭(わめ)くことがありました。
このため国内の人民(ひとくさ)が早死してしまうことが多くあり、また青山(あをやま)を枯(か)らしてしまいました。
そこで父母(ちちはは)の二神(にかみ)は、素戔嗚尊(すさのをのみこと)に
「汝(いまし)は無道の者だから、この宇宙にあってはならない。
 遠くの根国(ねのくに)が適している」と、ついにこれを追い払いました。



『ねずさんのひとりごとメールマガジン』
登録会員募集中 ¥864(税込)/月  初月無料!


20190317 MARTH





もろともにあはれと思へ山桜 花よりほかに知る人もなし 前大僧正行尊

20190225 伊勢修養団研修バナー
内容の詳細とお申込みは↑をクリック↑

人気ブログランキング応援クリックこちらから。いつもありがとうございます。

平成31年度倭塾動画配信サービス受講生募集中


たったひとりであっても、信念を崩さずにしっかりと生きていく。
何があってもあきらめずに立派な日本人になれるよう努力し続ける。
そこが大事なのだよ、と行尊は教えてくれています。


オオヤマザクラ
山桜0422


 もろともにあはれと思へ山桜
 花よりほかに知る人もなし


山桜よ、おまえも諸人とともにあわれと思っておくれ。
(この山奥では)お前以外に知る人もいないのだから。

百人一首66番にある前大僧正行尊(さきのだいそうじょうぎょうそん)の歌です。
歌は、山桜を主題にしています。
この歌を詠んだ行尊というのは、第六十七代三条天皇の曾孫ですが、12歳で出家して園城寺(おんじょうじ)に入り、このお寺で、後に大僧正(だいそうじょう)にまで栄達しました。

園城寺というのは、仏教と神道を融合させた、たいへん厳しい修行のお寺です。
滝に打たれたり、お堂に篭ったり、山登りしたりと、霊力を得たり高めたりするために、ありとあらゆる荒行が行われます。
そんな厳しいお寺で、行尊は青春時代を過ごしたわけです。

ところがそのお寺が、行尊26歳のときに全焼してしまいます。
つまり行尊にとっては、青春のすべてを賭けたお寺が全焼させられてしまったわけです。
原因は放火です。
犯人は個人の特定はありませんが、比叡山延暦寺の荒法師たちです。

なぜこのようなことになったのかというと、実は延暦寺も園城寺も、ともに天台宗でありながら、互いに不仲だったのです。
延暦寺はインドからChinaを経由して渡ってきた、いわば正当派の天台仏教です。
これに対し園城寺は、この天台の教えを我が国古来の神道と融合させようとした宗派です。
それを理屈理論だけでなく、厳しい修行を通じて会得していくという方法が採られているのが圓城寺です。
ところがこのことが、延暦寺にはおもしろくない。
園城寺は邪道だというのです。

それが言論だけのことならば良いのですが、当時の延暦寺はたくさんの荒ぶる僧兵を抱えています。
その僧兵たちが調子に乗って園城寺の焼き討ちをしてしまったわけです。

寺が焼けるということは、寺に備蓄してあった食料も焼けてしまうことを意味します。
行尊たちは、ただ焼け出されただけではなくて、その日から、着替えもなく、飯も食えない状態になったのです。


『ねずさんのひとりごとメールマガジン』
登録会員募集中 ¥864(税込)/月  初月無料!


20190317 MARTH





<日本書紀1-7>国生み(3)大日孁貴(おほひるめのむち)誕生

20190225 伊勢修養団研修バナー
内容の詳細とお申込みは↑をクリック↑

人気ブログランキング応援クリックこちらから。いつもありがとうございます。

平成31年度倭塾動画配信サービス受講生募集中


前回(といっても1年以上経ってしまいましたが、イザナキとイザナミが「大日本」を生んだというところを解説させていただきました。
日本書紀は、ここで「日本」という文字を書いているのですが、そこに「日本、此云耶麻騰。下皆效」と注釈があります。
「日本と書いてヤマトと言う。以下すべて同じ」ということで、もともとは「日本」と書いて「ヤマト」と読んだのだということがわかりました。
今回はその続きで、天照大御神がなぜ日本書紀では大日孁貴(おほなむちのむち)と書かれているのかを考えてみたいと思います。


<バックナンバー>
<日本書紀1-1>創生の神々(1)
<日本書紀1-2>創生の神々(2)
<日本書紀1-3>創生の神々(3)
<日本書紀1-4>創生の神々(4)
<日本書紀1-5>国生み(1)

<日本書紀1-6>国生み(2)
<日本書紀1-7>国生み(3)大日孁貴(おほひるめのむち)誕生


20190406 大日孁貴
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)


<原文>
次生海、次生川、次生山、次生木祖句句廼馳、次生草祖草野姬、亦名野槌。既而伊弉諾尊・伊弉冉尊、共議曰「吾已生大八洲國及山川草木。何不生天下之主者歟。」於是、共生日神、号大日孁貴(大日孁貴、此云於保比屢咩能武智、孁音力丁反)。
一書云天照大神、一書云天照大日孁尊。此子、光華明彩、照徹於六合之内。故、二神喜曰「吾息雖多、未有若此靈異之兒。不宜久留此國。自當早送于天而授以天上之事。」是時、天地、相去未遠、故以天柱舉於天上也。


<読み下し文>
次(つぎ)に海(うみ)生(う)む。次に川(かは)生む。次に山(やま)生む。
次に木の祖(おや)句句廼馳(くくのち)を生む。
次に草(かや)祖(おや)草野姫(かやのひめ)、亦(また)の名を野槌(のづち)生む。
ここに伊奘諾尊(いざなぎ)、伊奘冉尊(いざなみ)は、共(とも)に議(はか)りて、曰(まをさ)くは、
「吾(あれ)已(すで)に、
 大八洲國(おほやしまくに)及び
 山川(やまかは)草木(くさき)生む。
 何(いずくん)ぞ、天下(あめのもと)主(きみ)たる者を、生(う)まざらむ」
是於(ここに)て共(とも)に、日の神を生む。
大日孁貴(おほひるめのむち)と号(まを)す。
(大日孁貴は、此(これ)を於(お)保(ほ)比(ひ)屢(る)咩(め)能(の)武(む)智(ち)と云う。孁の音(よみ)は力丁の反(かへ)し。)
一書(あるふみ)云(いは)く天照大神(あまてらす おほみかみ)、
一書(あるふみ)云(いは)く、天照大日孁尊(あまてらすおほひるめのみこと)。
此(こ)の子(みこ)は、光華明彩(ひかりうるはし)く、六合(くに)の内に照(て)り徹(とお)す。
故(ゆゑに)二神(ふたつの はしらかみ)喜(よろこび)て曰(まをさ)く
「吾(あ)が息(こ)多(おほ)しと雖(いえども)、
 未(いま)だ此(か)く靈(くし)き異(あや)しき兒(こ)はあらず。
 久(ひさ)しくこの国に留(とど)めるはよからず。
 自(おのず)から當(まさ)に早(はや)く天に送りて、天(あめ)の上の事(こと)に授(さず)くべし」
是時(このとき)は天地(あめつち)は、相去(あひさる)こと未(いまだ)遠(とおからず)
故(ゆゑ)に、天の御柱(みはしら)を以(もち)て、天の上に舉(あげ)るなり。


<現代語訳>
イザナキとイザナミは、海や川や山を生みました。
次に木の祖先となる句句廼馳(くくのち)を生みました。
次に草の祖先となる草野姫(かやのひめ)(別名・野槌(のづち))を生みました。

そしてイザナキとイザナミは、
「私達は、すでに大八洲(おほやしま)の国や、山川草木を生みましたから、
 次には天下の主となる者を生みましょう」
こうして日の神が生まれました。
名を大日孁貴(おほひるめのむち)と号しました。
(大日孁貴と書いて「おほひるめのむち)と読みます。
 孁の字は国字で霊を変えた字です)

この神様のことを一書(あるふみ)は天照大神(あまてらすおほみかみ)と書いています。
また一書(あるふみ)は、天照大日孁尊(あまてらすおほひるめのみこと)と書いています。

この子(みこ)は、光華明彩(ひかりうるはし)く、上下四方を内側から照らし徹(とお)しました。
そこでイザナキとイザナミは、たいへんに喜ばれて、
「たくさんの子を生んできたが、
 いまだこのような奇(く)しき子は生まれたことがない。
 この子はこの国にとどめるのではなく、
 天上界に送って、天上界の事に授けよう」
と申しました。
このころはまだ天地は、互いに近かったので、二神は天の御柱(みはしら)を使って、この子を天上界に挙げられました。


<解説>
この段では、いよいよ天照大御神がご誕生されます。
はじめに、イザナキが国生みのあとに、海や川、山や草木などを生んだことが明らかにされます。
このときに木の祖先となる神様のことを「句句廼馳(くくのち)」と書いているのですが、「くく」というのは「樹々(きぎ)」の古語になります。
「馳(ち)」というのは、勢いがあるという意味ですから、ここでは木の祖先となる神様のことを、「勢いのある樹々の神様」と呼んでいるわけです。
次に草の祖先となる草野姫(かやのひめ)(別名・野槌(のづち))を生みますが、これまた「チ」が勢いのあるという意味ですから、「勢いのある野の神様」と称しているわけです。
樹々も草花も、ともに勢いのあるものであることを歓迎している、とても美しい言葉だと思います。

こうして国生み、神生みを終えた二神は、次に国や神々の主人になる神様を生もうと話し合います。
そして生まれたのが「日の神様」である大日孁貴(おほひるめのむち)です。
この神様のことを、書によっては「天照大御神(あまてらすおほみかみ)」と書き、あるいは「天照大日孁尊(あまてらすおほひるめのみこと)」と書いていると紹介しています。

ここで日本書紀は「孁(め)」という漢字に「孁音力丁反」と注釈を加えています。
これで「孁の音(よみ)は力丁(りきてい)の反(かえ)し」と読むのですが、これは「反切(はんせつ)」といって、前の音(力)の最初の読みと、次の音の「丁」の後ろの読みを取って読むということを意味します。
「力」は「ri-ki」、「丁」は「tyou」ですから、それぞれの前後をとって「ru=ル」です、と注釈しているわけです。

ところがChina漢字に「孁」という字はありません。
あるのは「霊」という字だけです。
つまり日本書紀は、この字の下のつくりのを「女」に変えて、新字を作り、「この字は霊という字なのだけれど、天照大御神は女性神だから「孁」と書きました」と注釈しているわけです。

「大日孁貴」の読みは「於保比屢咩能武智(おほひるめのむち)」であると注釈しています。
そして別の書では、この神様のことを、
「天照大神(あまてらすおほみかみ)」
「天照大日孁尊(あまてらすおほひるめのみこと)」と書いていると紹介しています。

そしてこの神様は、光り華(はな)やかに明(あかる)く彩(いろど)られ、上下四方を内側から照らしとおす神様であると書かれています。

イザナキとイザナミは、たいへんに喜ばれて、
「たくさんの子を生んできたが、
 このような奇(く)しき子は生まれたことがない。
 この子はこの国にとどめるのではなく、
 天上界に送って、天上界の事に授けよう」
と申されて、このころはまだ天地が互いに近かったので、二神は天の御柱(みはしら)を使って、この子を天上界に挙げられたとあります。

ここでいう天上界とは、高天原のことをいいます。
こうして「大日孁貴神(おほひるめのむちのかみ)」は、高天原の神様となられるわけです。

さて、ここで日本書紀が、なぜ天照大御神のことを、意図して「大日孁貴」と書いてあるかが疑問になります。
もともと日本書紀は縦書きの文書です。
これが何度も筆写されて、現存しているわけですが、もしかすると、もともとは「孁」という字は「霊女」であったのかもしれません。

日本書紀は「孁(め)」という漢字に「孁音力丁反」と注釈を加えているのですが、「孁の音(よみ)を力丁(りきてい)の反(かえ)し」としているのは「反切(はんせつ)」であって、前の音(力)の最初の読みと、次の音の「丁」の後ろの読みを取って読むということを意味すると、わざわざ解説しています。

「力」は「ri-ki」、「丁」は「tyou」です。
上に述べました通り、それぞれの前後をとれば「ryou=リョウ=レイ=(霊)」となります。

一方、China漢字に「孁」という字はありません。
あるのは「霊」という字だけです。
そして「霊」は、どうみても「るめ」とは読めません。

おそらくこれは、もともとは「霊女」であったのでしょう。
理由は3つあります。
1 China漢字に「孁」という字はない。
2 「霊」という字の旧字は「靈」だが、これを「るめ(ru-me)」とは読まない。
3 「霊」ならば「る」と読むことが可能。

日本書紀はオオヒルメノムチのことを「大日孁貴」と書くとしているのですが、これはもともとは縦書きしたときの「霊女」を、なんらかの理由で後に詰めて書いたものであろうと思います。
もともとは
「大日霊女貴」と書いて
「おほひるめのむち」と読んだのではないでしょうか。

この時代には神代文字が我が国固有の文字として使われていましたが、当時の理解としては、漢字は神代文字を組み合わせてくっつけ合わせたものであるという理解です。
(参照→http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-4044.html
そうであれば、神代文字の「た・へ・る」を組み合わせたら「食」という漢字になるように、漢字を組み合わせて「霊女→孁」としたとしても何ら不思議はありません。
そして「大日霊女貴」ならば、普通に「おほひるめのむち」と読むことができます。

ところが字体を見たらわかりますが、「大日霊女貴」と書くと、「霊女」の部分がなんとなく亡霊か幽霊のような、実体のないもののような印象になってしまいます。
天照大御神は、我が国の最高神なのですから、それでは印象がよくありません。
そこで日本書紀は、「霊女」を、おもいきってつなげて「孁」としたのではないでしょうか。
こうすることにより、漢字の造語にはなりますが、「霊女」と書いたときの「えぐみ」がとれて、「大日孁貴」と、なにやら大日如来様でもあるかのようか高貴な印象を与えることができます。

ちなみに「霊」の略字は「巫」で、「霊女」を略字で書けば「巫女(みこ)」になります。
さらに「大日孁」の「日孁」のところを(もとどおりに)分解して「日霊女=日巫女」と書くと、これで「ひのみこ」となり、略せば「ひみこ」です。
これは魏志倭人伝に書かれた「卑弥呼」と同じ音になります。

一般に日本書紀は天照大御神のことを「おほひるめのむち」と記していると言われているのですが、「日巫女=ヒミコ」なら、「大日巫女貴」は「大いなる日の巫女のみこと」です。
これは「偉大な太陽の巫女」という意味ですが、この意味を別な漢字で書けば「天照大御神」であり、両者は同一の神様であることがわかります。

(つづく)

お読みいただき、ありがとうございました。


人気ブログランキング
↑ ↑
応援クリックありがとうございます。

講演や動画、記事などで有償で活用される場合は、
メールでお申し出ください。

nezu3344@gmail.com

政治権力の世から祈りの世へ・・伊勢

20190225 伊勢修養団研修バナー
内容の詳細とお申込みは↑をクリック↑

人気ブログランキング応援クリックこちらから。いつもありがとうございます。

平成31年度倭塾動画配信サービス受講生募集中


天皇は国民の安寧を日々祈られる祈りの御存在です。
そして知らす統治は、その祈りのもとに、すべての民衆が「おほみたから」とされる国の形です。
こうすることで我が国の民衆は、なんと千年以上もの昔に、世界初となる究極の民主主義国家を手に入れていたのです。
伊勢の和歌は、そのひとつの象徴といえる歌です。


20190330 東京書籍・図説国語_伊勢
東京書籍・図説国語より
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)


女流歌人の伊勢のお話をしてみたいと思います。
伊勢の和歌といえば、百人一首の19番にある次の和歌が有名です。

難波潟短き蘆のふしの間も
逢はでこの世を過ぐしてよとや

(なにはかたみしかきあしのふしのまも
 あはてこのよをすくしてよとや)

現代語に訳すと、次のようになります。
「大阪湾の干潟にある蘆(あし)の茎の節と節の間くらいの短い時間さえ、逢わないでこの世を過ごすことなんてできないとおっしゃったのは、あなたですよ」

なにやらちょっと攻撃的ですが、一般にこの歌の解釈は、主語が転倒していて、
「難波潟に生える蘆の節と節の間のように短い時間でさえも、あなたにお逢いできずにこの世を過ごせというのでしょうか」(東京書籍・図説国語、冒頭の図)と訳されて紹介されています。

これですと、まるで女性である伊勢の側がもっとあなたとすごしていたいと詠んでいるようで、このことから伊勢のこの歌は、「女性が上目遣いで男性に媚びているいやらしい歌である」などとまことしやかに書いているものもあります。

ところがこの歌の背景をよくよく調べていくと、全然そうではないことがわかります。
そもそも伊勢は平安前期の女流歌人で、その後の平安中期を代表する和泉式部や紫式部、清少納言などの女流歌人たちにたいへん大きな影響を与えた女性です。
伊勢がいたからその後の平安女流歌人たちの興隆があったといってもよいくらいなのです。
その意味で、平安中期の「女性が輝く時代」をもたらした、強い女性の典型でもあるのです。




『ねずさんのひとりごとメールマガジン』
登録会員募集中 ¥864(税込)/月  初月無料!


20190317 MARTH



花さそふ比良の山風吹きにけり 漕ぎ行く舟の跡みゆるまで

20190225 伊勢修養団研修バナー
内容の詳細とお申込みは↑をクリック↑

人気ブログランキング応援クリックこちらから。いつもありがとうございます。

平成31年度倭塾動画配信サービス受講生募集中


桜の季節がもうすぐそこまで来ました。
そこで桜にちなんだ歌をご紹介したいと思います。


川面の桜
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)


 花さそふ比良の山風吹きにけり
 漕ぎ行く舟の跡みゆるまで

(はなさそふ ひらのやまかぜ ふきにけり こきゆくふねの あとみゆるまで)

この歌は新古今集に掲載された歌で、詠んだのは右京権大夫源師光の娘の「宮内卿(くないきょう)」です。
1200年ころの女性です。
母方の祖父が高名な絵師であったことから、たいへんにビジュアル性の高い歌を詠んでいます。

上の句の「比良の山」というのは、琵琶湖の南岸の、大津から高島にかけての山並みのことをいいます。
「花誘ふ」というのは、実は「花誘う風」の略で、比良の山から吹いてくる風が、桜の花びらを散らしているさまが描かれています。

下の句の「漕ぎゆく船の跡」というのが、絶妙な表現で、これは川面一杯に散った桜の花びらをかきわけながら、和舟が一艘、進んでいくと、その航跡のところだけが、桜の花びらが退いて、そこだけ水の面が現れる、そんな情景です。

比良の山からの吹き下ろしの風で、桜の花びらが風に舞い、小さな小川の川面いっぱいに、その花びらが散っている。
そこに、和舟が一艘、川面の桜の花びらをかきわけるように、現れるわけです。
すると和舟が通ったあとにだけ、水面があらわれる。
いやはや実に美しい光景です。

この歌を本歌取りして詠まれた歌があります。
きっとみなさまご存知だと思います。
浅野内匠頭の辞世の句です。

 風さそふ 花よりもなほ 我はまた
 春の名残を いかにとやせん


こちらは「花誘ふ風」ではなく、「風誘ふ花」ですが、その意味は変わりません。
内匠頭の歌は、風に吹かれて散っていく桜よりもなお、名残惜しい私の思いはどうすればよいのだろうか、という歌意になります。

浅野内匠頭は、播州赤穂藩の藩意として、何よりもご皇室の尊厳を第一として勅使下向の接待役をまっとうしようとしました。
ところが一緒に接待役を仰せつかった吉良上野介は、もともと足利家の家臣であり、勅使よりも将軍第一とする家風があります。
そんな吉良上野介との衝突により、我慢の限度を超えて、松の廊下で刃傷沙汰に及び、浅野内匠頭はその日のうちに、切腹を申しつかりました。これが西暦でいうと1701年の出来事です。

つまり、名残惜しい(口惜しい)と詠んでいるわけで、この歌を知れば、家臣たちはなんとしても主君の遺恨を晴らしたいと行動に走らざるをえません。

そういえば、特攻隊を送り出した「なでしこ隊」のみなさんは、桜の一枝を手にして、飛び立つ飛行機を見送りました。これは1945年のことです。

千年前も、八百年前も、三百年前も、七〇年前も、そして今の日本も、日本人は、やっぱり日本人なのです。

その日本人の心に明かりを灯す。
それは、何も大上段に振りかぶることではなくて、ほんのちょっぴり「日本ていいな」と思っていただくだけで良いのだろうと思います。
その小さな連鎖が、やがては大河の流れとなって日本を覆い、日本の正気を取り戻す原動力になるのだと思います。


※この記事は2015年4月の記事のリニューアルです。
お読みいただき、ありがとうございました。

人気ブログランキング
↑ ↑
応援クリックありがとうございます。

講演や動画、記事などで有償で活用される場合は、
メールでお申し出ください。

nezu3344@gmail.com

河原左大臣と日本の目指したもの

20190225 伊勢修養団研修バナー
内容の詳細とお申込みは↑をクリック↑

人気ブログランキング応援クリックこちらから。いつもありがとうございます。

平成31年度倭塾動画配信サービス受講生募集中


いつの時代においても、世の中を乱す原因となるのは、常に人の「欲」と「無責任」です。
自分さえ良ければ、自分さえ助かれば、誰がどうなっても構わない。
子や孫の時代がどうなろうが知ったことではない。
いま自分が贅沢三昧な暮らしができること。
それを続けることができるようにしていくこと。
それだけが人生の目的となった人が、カネをもらってどこぞの国の言うとおりに、「そうです。日本が悪かったのです」と言ってしまったばかりに、大問題になって尾を引いているのが、たとえば慰安婦問題です。


20190226 河原左大臣
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)


百人一首の14番に河原左大臣(かわらのさだいじん)の歌があります。
 みちのくの しのぶもぢずり たれゆえに
 乱れそめにし われならなくに

有名な歌なので、ご存知のかたも多いかと思います。

歌を詠んだ河原左大臣は、実は、私達の生活と、とても関係の深い方です。
みなさんのお財布には10円玉が入っているかと思いますが、その10円玉には京都の平等院鳳凰堂の絵柄が描かれています。
この平等院鳳凰堂が、河原左大臣の別荘です。
こんなに豪奢な建物を、なんとただの「別荘」として建てています。

平等院が別荘なら、本宅も河原院と呼ばれる、これまた豪勢な邸宅でした。
なんと庭の池に、わざわざ大阪湾から海水を運び込んで、庭そのものを陸奥の名所の塩釜に模していたそうです。
まさに暮らしぶりは豪奢を極めていました。
まるで江戸時代にお取り潰しになった淀屋辰五郎みたいですが、こちらはれっきとした左大臣、しかも嵯峨天皇の皇子です。

しかもこの人、源氏物語の光源氏のモデルです。
要するに、イケメンでお金持ち、というわけです。

河原左大臣の名前は、源融(みなもとのとおる)です。
左大臣になったのは51歳のときで、居宅が豪勢な河原院でしたから、河原左大臣と呼ばれるようになりました。

カネも地位も得た人は、さらに名誉を欲しがるのだそうです。
人の欲望には際限がありません。
この人、陽成天皇がご譲位されたとき、自らを皇位継承者として自薦しました。
これには藤原基経が大反対し、結果は55歳の光孝天皇が即位され、河原左大臣は留任になっています。


『ねずさんのひとりごとメールマガジン』
登録会員募集中 ¥864(税込)/月  初月無料!


*引用・転載について
ブログ、SNS、ツイッター、動画や印刷物作成など、多数に公開するに際しては、必ず、当ブログからの転載であること、および記事のURLを付してくださいますようお願いします。
ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
連絡先: nezu3344@gmail.com
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんのひとりごと」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「奇跡の将軍樋口季一郎」、「古事記から読み解く経営の真髄」などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。

日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
(著書)

『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』

『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦

『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
最新刊
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』

スポンサードリンク
カレンダー
05 | 2019/06 | 07
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -
最新記事
最新コメント
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

リンク
このブログをリンクに追加する
リンク2
スポンサードリンク
<
カテゴリ
月別アーカイブ
スポンサードリンク
解析
スポンサードリンク
ねずさん(小名木善行)著書
↓最新刊↓


↓好評発売中↓








ねずさんメルマガ
ご購読は↓コチラ↓から
ねずブロメルマガ
ご寄付について
ねずブロはみなさまのご支援で成り立っています。よろしかったらカンパにご協力ください。
【ゆうちょ銀行】
記号番号 00220-4-83820
【他金融機関から】
銀行名 ゆうちょ銀行
支店名 〇二九(店番029)
種目  当座預金
口座番号 0083820
口座名義 小名木善行
【問い合わせ先】
お問い合わせはメールでお願いします。
nezu3344@gmail.com

講演のご依頼について
最低3週間程度の余裕をもって、以下のアドレスからメールでお申し込みください。
テーマは、ご自由に設定いただいて結構です。
講演時間は90分が基準ですが、会場のご都合に合わせます。
E-mail nezu3344@gmail.com

講演テーマ
<ご参考>
古事記に学ぶ経営学
古事記に学ぶ日本の心
百人一首に学ぶ日本の心
女流歌人の素晴らしさ
日本人の誇り
その他ご相談に応じます。
検索フォーム
スポンサードリンク
関連サイト
祝日には国旗掲揚を!
御国旗セット
¥2,190

大型御国旗セット
[ステンレス製3mポール付き]
¥4,800

御国旗伸縮ポールセット【大サイズ】
¥3,000

御国旗セット L
[ マンション設置用 Lタイプ テトロン 国旗 ]

台灣民政府
台湾民政府
サンフランシスコ講和条約で、日本は台湾に関して処分権は連合国に提供しましたが、領土の割譲は行っていません。条約以降、連合国も日本も台湾の処分先を決めていません。つまり台湾はいまも日本であり、台湾にいる1500万人の戦前からいる台湾人は、日本国籍を有する日本人です。私は台湾民政府を支持します。
お薦め書籍1

日中戦争-戦争を望んだ中国 望まなかった日本


江戸の自治制


幻の黄金時代


ドキュメント自衛隊と東日本大震災

スポンサードリンク
コメントをくださる皆様へ
基本的にご意見は尊重し、削除も最低限にとどめますが、コメントは互いに尊敬と互譲の心をもってお願いします。汚い言葉遣いや他の人を揶揄するようなコメント、並びに他人への誹謗中傷にあたるコメントは、削除しますのであしからず。
最新トラックバック
AdSense
コメントをくださる皆様へのお願い
いつもたくさんのコメントをいただき、ありがとうございます。
ほんとうに皆様のコメントが、とっても嬉しく、かつありがたく拝読させていただいています。

議論というものは、すくなくともこのブログのコメント欄が、国政や地方自治、あるいは組織内の意思決定の場でなく、自由な意見交換の場であるという趣旨からすると、互いに互譲の精神を持ち、相手を尊敬する姿勢、ならびに互いに学びあうという姿勢が肝要であると存じます。

私は、相手に対する尊敬の念を持たず、互譲の精神も、相手から学ぼうとする姿勢も持ち合わせない議論は、単なる空論でしかなく、簡単に言ってしまえば、単なる揶揄、いいがかりに他ならないものであると断じます。

ましてや、自分で質問を発したものについて、それぞれお忙しい皆様が、時間を割いて丁寧にご回答くださった者に対し、見下したような論調で応対するならば、それは他のコメントされる皆様、あるいは、それをお読みになる皆様にとって、非常に不愉快極まりないものとなります。

従いまして、謙譲・互譲・感謝、そして学ぶという姿勢のない連続投稿、粘着投稿に類する投稿をされた方については、以後のコメント書き込みを、管理人である私の判断で投稿の禁止措置をとらせていただきますので、あしからずご了承ください。
エディタ・コミュニティ
edita.jp【エディタ】
amazon
通州事件の真実
通州事件を実際に体験された女性の手記です。
クリックするとテキストファイルが開きます。
https://docs.google.com/file/d/0B9Dh1-gISO9CZERHN2oxempSeEk/edit
ねずブロの拡散・転載について
当ブログの日本の心を伝えるための適法かつ前向きな拡散はおおいに歓迎です。 ただし適法な引用でないと、著作権侵害で処罰されることがありますのでご注意ください。
RSSリンクの表示
FC2ブックマーク

PING送信プラス by SEO対策

QRコード
QRコード
スポンサードリンク