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先人たちが目指した日本の姿。それは私達の国が常に「よろこびあふれる楽しい国(=豈国)」であり続けることです。


根本博陸軍中将(北支と台湾を救った戦神)

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根本中将とこれに従う武人たちの働きは、蒙古で四万の邦人の命を救い、北支では三十五万人の邦人の生命を守り、金門島にあっては廈門(アモイ)二十万と、台湾一千万の命を守ったのです。そして自らはそうした功績を一切誇ることも語ることもなく、一人の老人としてその生涯を閉じています。これが鍛え上げられた昭和の陸軍士官の姿です。


20190726 根本博
画像出所=https://ameblo.jp/jtkh72tkr2co11tk317co/entry-12396826806.html
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画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)


根本博中将は終戦のときには駐蒙軍司令官としてモンゴルにいました。
終戦後にソ連の機械化旅団がそこに攻めて来ました。
このとき根本中将はソ連軍に軍使を出して二日間の攻撃猶予を願っています。
四万人近い在留邦人がいたからです。

ところがソ連軍は聞き入れません。
一方で軍司令部からは根本中将のもとに「戦争が終わっているので即時停戦、武装解除」の命令が来ていました。

このとき根本中将は、
「民間人を守るのが軍人の仕事である。
 その民間人保護の確たる見通しがない状態で
 武装解除には応じられない。
 理由の如何を問わず、
 陣地に侵入するソ軍は断乎これを撃滅すべし。
 責任は一切司令官が負う」

との命令を発しています。

根本中将旗下の将兵の士気は高く、二〇日午後及び夜間のソ蒙軍の攻撃を反撃して撃退、二十一日には各方向から一部陣地内に突入したソ蒙軍と白兵戦を交えてソ蒙軍を撤退させています。
そしてこの日の夕方には、張家口に集まった邦人全員の引揚げを完了させています。
戦いに先立って、根本中将は居留民避難のための列車を手配をしていたのです。
しかも各駅にはあらかじめ軍の倉庫から軍用食や衣類をトラックで運ばれ、避難民たちが衣食に困ることがないようにしていました。

当時、張家口から脱出した二十五歳(当時)だった早坂さよ子さんの体験談には次のように記載されています。
「張家口はソ連邦が近いので
 ソ連兵が迫ってくるという話に戦々恐々とし、
 五歳の女子と生後一〇カ月の乳飲み子を連れてとにかく、
 なんとか日本に帰らねばと思いました。
 駅に着きますと貨物用の無蓋車が
 何両も連なって待っており、
 集まった居留民は皆それに乗り込みました。

 張家口から天津まで普通でしたら
 列車で七時間位の距離だと思いますが、
 三日間かかってやっと天津へ着くことが出来ました。
 列車は万里の長城にそって走るので、
 長城の上の要所々々に
 日本の兵隊さんがまだ警備に着いていて、
 皆で手を振り、
 兵隊さんたち、無事に日本に帰ってと祈りました。」


同じ時期、他の地域では、在留邦人が女子供ばかりのところを襲撃されて皆殺しにされたり、ソ蒙軍の兵士から暴行を受け、あるいは地元民に襲撃されて所持品から着衣まで奪われたりした情況からすれば、張家口からの邦人避難民が「手を振りました」とは、もちろん難民としてのご苦労や不自由はあったろうけれど、いかにもみやびなことです。
そしてこれができたのは、間違いなく軍の将帥としての根本中将の断固たる意思と、その将を信頼して勇敢に戦った兵士たちの活躍でした。



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20190317 MARTH



Koreaがひた隠しにしたい日本人・目賀田種太郎とは

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反日をあおるKoreaや、日本にいるKoreanたちにとって、目賀田種太郎の名前は消してしまわなければならない名前です。
目賀田種太郎の功績が知れれば、日本が行ったことを善政として認めざるを得なくなるからです。


20190720 目賀田種太郎
画像出所=https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/529.html?cat=62
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韓国では、日本が統治した時代がまるで暗黒時代だったかのように子供たちを教育しています。
そこで今日は、日本人・目賀田種太郎(めがたたねたろう)のことを書いてみたいと思います。

目賀田種太郎は、嘉永6(1853)年といいますから、黒船来航の年に生まれています。
もともと駿河藩士の家柄で、幼い頃から漢学を学び、英語、数学を修め、旧幕臣でありながら明治3(1870)には17歳で国費による米国留学生に選ばれているくらい、優秀な人です。

目賀田種太郎が渡米して入学した先は、ハーバード・ロー・スクールです。
ここはいまでも、超エリート養成学校として有名ですが、入学することもたいへんなら、卒業することはもっと大変です。
そのハーバード・ロー・スクールを、目賀田種太郎は優秀な成績で卒業し、いったん帰国したあと、明治8(1875)年に留学生監督を命ぜられて、開成学校(現:東大)の生徒12人を連れて再渡米しています。

5年後、帰国した目賀田は、同志らによびかけて、日本最初の私立経済法律学校を設立しました。
これがいまの専修大学です。

この時代、我が国で法学を教える大学は、2つしかありませんでした。
ひとつが東大法学部、もうひとつが司法省直轄の法学校です。
東大では英語で、法学校ではフランス語で法学を教えていました。
目賀田種太郎は、設立した専修大学で、日本ではじめての「日本語による法学教育」を行っています。

目賀田の大学設立は、実はこれだけにとどまりません。
彼はそのあと、東京音楽学校(現:東京藝術大学)創設しています。
ちなみに「Shall we ダンス?」で一躍有名になった社交ダンスを日本にはじめて伝えたのも目賀田種太郎です。



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20190317 MARTH


武人、川路聖謨(かわじとしあきら)に学ぶ

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大事件ががあっても、口先だけでいい加減なことを言ってごまかすだけで責任をとらないどこかの国の官僚とはわけが違うのです。
常に全力で命がけで行政を預かってきたのが、日本の官僚であり政治家です。
そのひとつの例が、川路聖謨という人物にあります。


20190529 川路聖謨
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川路聖謨(かわじとしあきら)は幕末の幕府の勘定奉行です。
幕府の勘定奉行は、寺社奉行、町奉行と並ぶ「三奉行」のひとつです。
彼は、勝海舟と西郷隆盛による、江戸無血開城の翌日、ピストルで自殺しました。
遺体は、すでに作法通りに見事に自分で腹を斬ってあり、そこにサラシを固く巻いたうえで、こめかみに銃を当て、自らの命を絶っています。

もし川路が生きていれば、明治も違ったご治世になったかもしれないと言われました。
川路聖謨の心に常にあったのは、
「ご政道に関わる者、
 常に「命がけ」で事にあたるべし」
でした。



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水雷艇気質と武士の戦場 佐藤康夫中将伝

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難局に
男冥加と突入す
なるもならぬも
神に任せて


駆逐艦「朝潮」
駆逐艦朝潮


以前働いていた会社の専務は、もともと貨物船の乗組員だった人でした。
その専務が船員だった昭和40年代の頃のお話です。
当時、南米に行くと、とにもかくにも日本人というだけで、大モテにモテたそうです。

ある港にすごい美人がいて、一晩中、遊んでもらったのだけれど、お礼にとお金を渡そうとすると、どうしてもいらないという。
仕方がないから、せめてものお礼にと、着ていたTシャツを1枚をあげてきたのだけど、どうしてだったと思う?というわけです。

その娘さんは、大好きなおばあちゃんがいて、そのおばあちゃんが昔、若かったころ、日本人の船員さんに何度も助けられたのだそうです。
それは明治の中ごろのことです。

当時の東南アジアや南米の港町は、白人天国でした。
絶対的支配階層である白人に対し、現地の人々は人間としてすら認識されなかった、そういう時代でした。
黒人や東洋人は、魚や虫と同じで、
「痛覚がないのだ」
と本気で信じられていた時代です。
ですから有色人種の男性は、ただの労働力としての家畜と同じ扱いだったし、女性もただの道具とみなされていました。

とりわけ港町は、気の荒い白人たちが集まるところで、白クマのような毛むくじゃらの白人の大男が、大酒を飲んでは暴れまわる。
そういうところに、海軍の軍服を小ざっぱりと着こなした、現地の人たちと同じ有色人種の日本人が、訓練航海のために港に上陸するわけです。


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20190317 MARTH





金門島の戦いと根本博陸軍中将

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根本中将とこれに従う武人たちの働きは、蒙古に4万の邦人の命を救い、北支では35万人の邦人の生命を守り、金門島にあっては廈門(アモイ)20万と、台湾1千万の命を守り保護しました。

そして自らはそうした功績を一切誇ることもなく、何も語らず、一人の老人としてその生涯を閉じています。

これが鍛え上げられた昭和の陸士の姿です。


根本博陸軍中将
20161220 根本博
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鍛え上げられたひとりの将帥の鉄の意思と行動が、ときに何千、何万という幾多の命を救うという話を書いてみたい。
偕行でも過去何度か採上げられている根本博陸軍中将のことである。

根本中将は、陸士23期で、終戦のときには駐蒙軍司令官としてモンゴルにいた。
このときの顛末については、偕行19年10月号の中山隆志氏の論文に詳しい。
以下概略を述べると、終戦後にソ連の機械化旅団が攻めて来た。
駐蒙軍は軍使を出して2日間の猶予を願った。
4万人近い在留邦人(民間人)がいたからである。

けれどソ連は聞き入れなかった。
一方ではChina派遣軍から「即時停戦、武装解除」の命令が来ている。
このとき根本中将は一つの決断をしている。
「民間人を守るのが軍人の仕事である。その民間人保護の確たる見通しがない状態で武装解除には応じられない」
「理由の如何を問わず、陣地に侵入するソ軍は断乎これを撃滅すべし。責任は一切司令官が負う」との命を発したのである。

前掲の中山氏の文を引用する。
「この決意を聞いた丸一陣地の将兵の士気は一気に高揚した。
 既に祖国の敗戦を知りながら、邦人を守るために戦うのである。
 20日午後及び夜間に、ソ蒙軍が攻撃してきたが反撃して撃退した。
 21日は各方向から一部陣地内に突入したソ蒙軍と白兵戦を交え、
 奪還攻撃をかけ、
 迂回して陣地後方要点を占領しソ蒙軍を撤退」させた。

そしてこの日の夕方には、張家口に集まった邦人全員の引揚げを完了させている。
この戦いで戦死・行方不明となった70名は顕彰されることはなかったが、間違いなく駐蒙軍は、4万人の命を救ったのである。



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20190317 MARTH




野中兼山に学ぶ日本人の生き方

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善であれ悪であれ、いつの時代であっても現状を変えようとする者は必ず叩かれます。
なぜなら現状には必ず既得権益層があるからです。
とりわけ我が国における善は、民衆をこそ「おほみたから」とするものです。
自分だけが利益を得ようとする人たちからすれば、その動きは社会の敵、彼らの敵となることを意味します。
それでも誠実に戦う。
先人たちは、それを実践してきました。
それが勁(つよ)い日本を取り戻すことだからです。


野中兼山像 (長岡郡本山町「帰全山公園」)
野中兼山
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
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昭和9(1934)年9月21日に午前5時頃、高知県室戸岬付近に上陸した室戸台風は、西日本を中心に大きな被害を及ぼした台風として知られています。
この台風が室戸岬に上陸したときの中心気圧は911ヘクトパスカルです。
これは日本本土に上陸した台風のなかで、観測史上最も上陸時の中心気圧が低かった台風で、その記録はいまだに破られていません。

最大瞬間風速、毎秒60メートルと記録されているのですが、実は大阪管区気象台所属の室戸岬測候所が、風速60メートルを記録したところで観測機が風圧で壊れてしまったのです。
ですから実際には、もっとすごい強風であったわけです。

室戸台風は、四国・高知県の室戸岬に上陸した後、大阪と神戸の間に再上陸しました。
阪神地区への上陸は、満潮時と重なったため、4メートルを超える高潮が発生し、大阪港は、わずか30分で2メートルもの海水が流入し、浸水は大阪城付近にまで及んでいます。

暴風が最大規模に達した午前8時には、小学校などの木造校舎が一瞬にして粉砕崩壊し、中にいた児童や職員、心配して迎えに来た保護者に多数の犠牲者が出ています。
このときの被災者の慰霊のために、大阪城公園に慰霊塔(教育塔)が建てられています。
こうして室戸台風は、死者2702人、行方不明334人、負傷者14994人という大惨事をもたらしました。

ところがこの室戸台風が先に上陸した高知県の室戸では、室戸台風が最大勢力の時点で上陸しているにもかかわらず、高潮や暴風による被害がまったく出ていません。
室戸岬のすぐ近くにある手結内(ていない)港、津呂(つろ)港などは、室戸台風が最大勢力で上陸している・・・つまり阪神地区を襲ったときよりも、もっと勢いが強い状態で上陸しているのですが、港も各戸も、まるで被害が出ていません。

それはなぜでしょうか。
その理由が、室戸台風がやってきたときよりも250年も昔の土佐藩家老、野中兼山(のなかけんざん)にあります。


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誰も見ていなくても約束を守る日本人の美意識

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上村松園画『静御前』
20180105 静御前


よく時代劇などで、大奥のお女中たちなどが、忍び込んだ曲者に気がついて、薙刀(なぎなた)を持って頭に鉢巻を絞め、
「曲者(くせもの)でございます。
 お出会えそうらえ」
などといって廊下をバタバタと走る姿などが描かれます。

武家の娘といえば、まさに薙刀が定番だったわけですが、なぜ、江戸時代の武家の娘さんたちが薙刀を習ったかというと、実は静御前への憧れからきていたといわれています。
静御前といえばいまでいうダンサーである白拍子(しらびょうし)だった女性であり、源義経とのロマンスが有名ですが、同時に彼女は当時の世を代表する薙刀の名手でした。
武家の女性たちにとって、まさに静御前は永遠の憧れだったし、だからこそ、彼女たちは静御前に倣(なら)って薙刀を学んだのです。
おそらく静御前は、日本史上もっとも多くの女性から愛され続けた女性であろうと思います。

実は、この薙刀、たいへん強力な武器で、相当腕の立つ剣道の達人でも、女性の扱う薙刀の前に、手も無くやられてしまうことがあります。
そういう意味では、江戸の武士たちは、もっとも強力な武器をむしろ女性たちに与え、自分たちはそれより弱い大刀を腰に差していたともいえるわけです。

その静御前は飢饉の際に「雨乞い神事」を行い、ただひとり雨を降らせることができた「神に届く舞」を踊れる白拍子として、後白河法皇から「都一」のお墨付きをいただいた女性です。
この神事のとき後白河法皇の側にいた源義経は、静御前のあまりの美しさに心を打たれ、その場で御前を妻に娶(めと)ることを願い出ました。以来二人はずっと寝起きをともにしています。

けれど京の都で雅な生活をする義経は、鎌倉にいる兄の源頼朝に疎まれ、ついに京を追われてしまいます。
京を出た義経一行は、尼崎から船に乗って九州を目指すのですが、暴風雨に遭って船が難破してしまい、一行は散り散りになってしまいました。


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20190317 MARTH



*引用・転載について
ブログ、SNS、ツイッター、動画や印刷物作成など、多数に公開するに際しては、必ず、当ブログからの転載であること、および記事のURLを付してくださいますようお願いします。
ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
連絡先: nezu3344@gmail.com
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんのひとりごと」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「奇跡の将軍樋口季一郎」、「古事記から読み解く経営の真髄」などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。

日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
(著書)

『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』

『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦

『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
最新刊
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』

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私は、相手に対する尊敬の念を持たず、互譲の精神も、相手から学ぼうとする姿勢も持ち合わせない議論は、単なる空論でしかなく、簡単に言ってしまえば、単なる揶揄、いいがかりに他ならないものであると断じます。

ましてや、自分で質問を発したものについて、それぞれお忙しい皆様が、時間を割いて丁寧にご回答くださった者に対し、見下したような論調で応対するならば、それは他のコメントされる皆様、あるいは、それをお読みになる皆様にとって、非常に不愉快極まりないものとなります。

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