■ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!第二巻「和」と「結い」の心と対等意識2014/04/12発売 ISBN: 978-4-434-18995-1 Cコード:C0021 本体価格:1350円+税 判型:四六 著者:小名木善行 出版社:彩雲出版 注文書はコチラをクリックしてください。■ねず本第二巻の
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藤原道綱の母も参詣したと伝えられる石山寺(石山寺縁起絵巻)

百人一首解説も、いよいよ後半戦になりました。
そもそも百人一首に採用されている歌の多くは、古今和歌集から採用されています。
その古今和歌集は、遣唐使を廃止した十年後に、天皇の勅命によって編纂されました。
つまり古今和歌集は、China文化圏から決別し、やまと言葉による我が国独自の文化や伝統を重んじようとする明確な意図のもとで編纂されたものです。
百人一首は、その約200年後に藤原定家によって、ひとり一首の歌集として編纂されたものです。
つまり百人一首は、やまと心を詠んだ歌人とその歌を通じて、先人たちと心でつながろうとしたものです。
これはいまのわたしたちにたとえれば、いわば維新の志士たちの心と、いまを生きるわたしたちが、心でつながろうとする取り組みみたいなものといえるかもしれません。
では、それがいったいどういう効果を及ぼすかといえば、たとえばいま、自分が恋や仕事に悩んでいるとします。
ところがそれとまったく同じ思いを、実は、千年前の歌人たちもしていた。
つまりいまの自分は、千年前の日本人と同じ気持ちを抱いていることに気付くわけです。
すると、歴史の縦軸と、いまを生きる自分が一体となる。
歴史の縦糸と、いまの自分を取り巻く世間という横糸とが重なる。
要するに、遣唐使を廃止し、日本独自の文化性や心を大切にしようとしてきた千年前の歌人たちと、自分がそこでつながるわけです。
最近の流行語でいえば、まさに絆がうまれる。縦糸が編まれる。
横糸の絆と、縦糸の絆が重なる。
すると糸が、面になるわけです。
そういう、歴史との一体感が、百人一首にはあるわけです。
戦前までは、いま私が書いているような百人一首の解釈があたりまえでした。
江戸時代までさかのぼったら、そういう解釈しかありませんでした。
というより、和歌は、歴史上の歌人たちとつながって詠むもの、とされてきたわけです。
たとえば百人一首の20番に元良親王の「みをつくしても逢はむとぞ思ふ」という歌があれば、それ以降の和歌は、つねにこの元良親王の和歌を母体として、その延長線上で新作の歌が詠まれていました。
つまり、元の和歌をもじることで、思いの共通性、歴史との一体性が尊重されてきたわけです。
これに異を唱えたのが明治の中期の正岡子規です。
正岡子規は、万葉集や古今集を否定しました。
「千年以上も昔の歌人たちにいつまでも縛られていることはない。もっと自由に詠おうじゃないか」と、和歌の自由化を高らかに主張したわけです。
そしてこれに共感した明治の文学人の中から、与謝野晶子のような、まったくの新作和歌が生まれ、これが明治から大正にかけての大流行となります。
「柔肌の熱き血潮にふれも見でさびしからずや道を説く君」
与謝野晶子の有名な歌ですが、万葉歌人や古今和歌集などからはるか離れて、まったくの自由に歌の創作がされています。
和歌に、まったく新しい潮流が産まれたのです。