
↑ ↑
応援クリックありがとうございます。
(それぞれの画像はクリックすると当該画像の元ページに飛ぶようにしています)
比叡山延暦寺を建てて天台宗の開祖となったのが最澄(さいちょう)です。
その延暦寺の第三代法主だったのが、慈覚大師(794-864)です。
慈覚大師のご由緒のお寺は、立石寺、中尊寺、壬生寺、大慈寺など、全国に凡そ700箇寺あります。
慈覚大師は、若いころの法名を「円仁(えんにん)」と云います。
その円仁は、最澄が止観(法華経の注釈書)を学ばせた弟子10人のうち、師から代講を任せられた唯一の僧でもあります。
そして円仁は、入唐八家といって、最澄・空海・常暁・円行・恵運・円珍・宗叡らと並び、遣唐使として国費で外遊した経験を持つ8人の高僧の中のひとりでもあります。
その円仁が、遣唐使として唐の国に渡っていた頃の日記が、いまも遺されています。
『入唐求法巡礼行記』(にっとうぐほうじゅんれいこうき)といいます。
実は、この『入唐求法巡礼行記』は昨年3月にも拙ブログでご紹介したのですが、昨年の各記事へのアクセス数の多寡のうち、この記事は、ほぼ最低ランクに位置するものでした。
けれど、この『入唐求法巡礼行記』の内容が持つ意味は、極めて重要であり、日本人として知って置かなければならないものであると思います。
なぜなら『入唐求法巡礼行記』は、世界では古典の「東アジアの三大旅行記」の中のひとつとされているものでもあるからです。
「東アジアの三大旅行記」のひとつは、マルコ・ポーロの『東方見聞録』です。
黄金の国ジパングの記述で有名です。日本人の常識です。
もうひとつは、僧正玄奘(げんじよう)の『大唐西域記』です。
これまた、孫悟空の活躍する西遊記として、日本人の常識です。
けれども「東アジアの三大旅行記」のうち『入唐求法巡礼行記』だけは、日本人が書いたものであるにも関わらず、なぜかほとんどの日本人が知りません。
実はこのことには理由があります。