
←いつも
応援クリックをありがとうございます。
筆者が何を目的に書いたのか。
それをできるだけ正しく読み解く姿勢が必要です。
考証が優先か、学ぶことが優先かは議論があると思いますが、
すくなくとも、実学として役立つのは、
学ぶという姿勢から得られる知識であり知恵です。
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)歴史には、いわゆる「異説」のようなものがたくさんあります。
区別して考えなければならないことは、史実と歴史は異なるということです。
たとえば、本能寺で変があったことは史実です。
それは考古学的に証明可能なことです。
けれども、その本能寺で信長が討たれたたかどうかは、当時の記録にそのように書いてあるだけで、それが事実かどうかはわからないことです。
もしかしたら巷間言われるように、信長は生きていてローマに渡り、そこで本当に法王の側近になってジョルダーノ・ブルーノと名乗ったのかもしれない。
個人的には、その説の方をひそかに支持していますが、いずれも「かもしれない」というだけで、それが真実かどうかは、当時にタイムスリップでもしない限り、わからないことです。
歴史というのは、遺物、遺構、史料などの証拠に基いて、過去にあった出来事をできるだけ合理的に説明しようとするものです。
今風の言い方をするなら、遺物、遺構、史料などが証拠(evidence)であって、歴史はその証拠をつなぐ筋書き(Story)です。
そして歴史は、証拠から真実(Fact)を得ようとするものでもあります。
政治的に利用しようとして、ありもしない事実をでっちあげたり、証拠にもならないようなまったく別な写真をもってきて、これが事実ですと宣伝するようなものは、プロパガンダ(Propaganda・政治的宣伝)であって、歴史ではありません。
要するに、証拠と真実を論理的につなぐ筋書きが歴史なのですが、注意しなければならないことは、証拠と筋書きは、必ずしも真実を示しているとはいないという点です。
これは、ひとつには、何を持って真実とするのか、という問題があります。
事実には、様々な側面があるのですから、そのどれを切り取るかによって、見方も捉え方も異なってきます。
また、「◯◯と日記には書いておこう」というものもあります。
「本当は、かわいそうなおそめさんが下手人だけれど、事故死だったことにしておこう」みたいなものです。
日本の歴史にはこうしたものが多々あります。
ですからある武将が死んだと書いてあるから、本当にこの世からいなくなったのではなくて、実は出家しただけである、などということも、これまたよくあるのです。