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結論から申し上げますと、もともとは日本海の海流(日本側で北上する日本海流と大陸沿いに南下するリマン海流)を利用した国際交易で栄え、この当時の金細工や金物細工の技術の蓄積から、鎖国後は日本海流だけを利用した北前船で栄えながら幕末を迎え、明治以降鉄道の普及とともに交通路が太平洋側に移ったために貧しくなるのだけれど、戦時中に開発されたコシヒカリの品種改良によって、ふたたび盛り返す勢いを持つようになったというのが、日本海側の加賀から越後にかけての大雑把な歴史です。
どんなに苦しくてもあきらめない。
どんなにつらくても、あきらめない。
先人たちは、そうやって世界に誇れる日本を築いてきたのです。
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)どこかの大学教授が、江戸時代までの日本において、日本海側、とりわけ新潟県の人口が、江戸や大阪に匹敵する巨大人口を抱えていたことについて、その理由が
1 新潟が米どころだった
2 日本海の北前船による海運事業が盛んだった
3 浄土真宗が盛んで子供の間引きが少なかった
という3点にあると発表しました。
昔から「大学のセンセイというのは勉強をしすぎてアホになる」とよく言われましたが2はともかく、1はもうすこし常識を働かせて考えていただきたいと思います。
3については、真宗は我が国最大の宗門です。
日本海側ばかりが真宗だったわけではありません。
加えて、間引きというのは、何百年に一度でも近隣で1件でもあれば、それがかわいそうな言い伝えとなって、まるで昨日のことのように言い伝えられたのです。
年中、どこにでもあったことなら、言い伝えにさえなりません。
そもそも日本は、来日した外国人が書いているように、もともとものすごく子供を可愛がる国柄です。
加えて、昔は子供はよく死んだのです。
だからこそ、生きている子供は愛しいし、近隣の住民みんなが親代わりとなって子供達の面倒をみたのです。
そういう日本の文化的背景をきちんと踏まえてもらいたいものです。
2については、これこそが新潟の発展の理由なのですが、先に1についてお話したいと思います。
なるほど昨今では、新潟産コシヒカリや魚沼産コシヒカリが有名で、新潟は酒処、米処として名高いし、新潟のお米は本当においしいです。
しかし、もともと稲というのは熱帯性の植物であって、寒冷地での栽培は適さない植物です。
加えて、コシヒカリが定着したのは昭和31年以降のことです。
さらにいうなら、コシヒカリという名称は、越の国が光り輝くという意味で付けられた名前です。
それ以前は本当にたいへんだったのです。