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数詞(かぞえことば)は、子供が最初に受ける教育語です。
ご飯の「まんま」とか、お母さんの「まま、はは」などは、食のための生活用語ですが、数詞は教育で覚えていきます。
その数詞に、日本人としての魂の自覚を得るための工夫がなされてきたのが、縄文以来の日本の知恵であったのかもしれません。
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)先日
「日本を取り戻す12の言葉」という記事の12番目で、「数詞(かぞへことば)」についてご紹介したのですが、本文でこれを扱ったことがないので、あらためてその数詞について書いてみたいと思います。
我が国では1〜10までを数える際に、
「ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ、いつ、むぅ、なな、や、ここ、とぉ」
という言い方をします。
これがもとからある日本式の数の読み方です。
「いち、にぃ、さん、しぃ・・」もありますが、こちらは算術が進化してくる過程で広く用いられるようになりました。
ですから算術では、「1+2」を、「ひぃたすみぃ」とは言いません。
昔も今も「いちたすに」です。
「いち、にぃ、さん・・・」の方が算術に使えて便利であるにもかかわらず、どうして昔の人は「ひぃ、ふぅ、みぃ」といった数詞(かぞへことば)を大切にしてきたのでしょうか。
その理由は、そこに日本語(和語)の最大の特徴である「一字、一音、一義」にあります。
一例を示すと次のようになります。
「ひ」 霊(ひ)のことです。何事も御霊が先です。
「ふ」 生(ふ)のことで、御霊(ひ)から生命が誕生します。
「み」 身(み)誕生するのが「身」です。
「よ」 世(よ)身が織りなす世です。
「い」 齋(い)「いつき」とも言いますが、不浄を清めた神聖なという意味です。
「む」 無(む)は神聖を意味し無であることによって億兆に心が通います。
「な」 菜(な)食のことです。
「や」 家(や)住まいです。
「こ」 子(こ)子供たちです。
「と」 戸(と)戸がひらきます。つまりここまでをまとめると、「人は、肉体が今生を生きているということだけでなく、永遠の生命である御魂の存在を自覚し、その御魂の乗り物である身が織りなす世を清め、自分自身を無とすることで億兆と心を通わせ、衣食住を足り、子どもたちの未来を担い、新しい世を築いていく、そのために私達は生きている」と意味になります。
深い意味が込められているのですね。