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先人たちが目指した日本の姿。それは私達の国が常に「よろこびあふれる楽しい国(=豈国)」であり続けることです。


満州従軍看護婦実話(3)

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堀喜身子婦長は、ソ連に抑留されている夫正次氏の故郷である山口県徳山市に向かいます。

戦前の社会では、いまでもそうした風潮は残っているけれど、いったん嫁に入ったら、夫の家の家族です。
自分の生家に帰ろうとは思わない。
戦前は、それがあたりまえだった。

ところが親子して夫の実家に到着すると、夫の母(お姑さん)が「引揚者は家には入れられない」という。
敷居の中にさえ、入れてくれなかった。

当時、いろいろな噂話があったのです。
引揚者の女性は、穢れているとか、です。

堀喜身子さんは、その意味では看護婦であって引揚げに際して不埒な真似に遭うことはなかった。
けれど世間体がある、何があったかなんてわかりゃあしないと、姑は納得しない。

はるばる徳山まで来て、自尊心をズタズタに引き裂かれ、泊まるところもなく、とほうにくれた堀元婦長は、二人の子供の手をひいて堀家の菩提寺を訪ねます。
ご住職に事情を話すと、わかりましたと言って、一夜の宿と、命に代えてもと持ち帰った23名の看護婦のご遺骨を、菩提寺の墓所で預かっていただけた。
親子は、ようやく肩の荷を少しだけ卸します。

翌日、親子は、やむなく婦長の母親の住む北海道の帯広に向かいました。

帯広では、幸い看護婦として市内の病院に就職することができたのですが、終戦直後というのは未曽有の食糧難の時代です。
勤務の制約などもあり、給料も少なく、生活費をぎりぎりに切りつめても、末っ子の槇子を抱えることができません。

涙ながらに因果を含めて、大事な娘を親戚の家に預かってもらった。

そうした苦しい生活を送りながらも、堀元婦長の脳裏を片時も離れないもの、それが命を捨ててまで事態を知らせに来てくれた大島花江看護婦と、井上つるみ以下自決した22名の仲間たちのご遺骨です。
年長者26歳、年少者はまだ21歳の女性たちだった。

年が明け、昭和24年の6月19日の命日がやってきます。
すると彼女たちが堀婦長のまわりにやってきたのです。
そしてこう言った。

「婦長さん、紫の数珠をくださいな」

紫の数珠というのは、終戦の年の冬の初めにあったできごとに端を発します。
その日、張春の第八病院に、モンゴル系の女性が担ぎ込まれてきました。

妊婦です。
難産でした。

助産婦の資格をもつ堀婦長が軍医とともに診察しました。
すでに重体です。
もはや妊婦の生命は難しい状態です。
あとはせめて赤ちゃんの命だけは、という状態だった。

その日のうちに嬰児はなんとか取り上げました。
けれど出産で、妊婦は瀕死の状態となった。

そこから二日三晩にわたって、婦長と看護婦たちが、みんなで献身的な看護をします。

それは、「なんとかして命だけは助けてほしい」と何度も哀願するご家族たちが、「ここまでやってくれるのか」と感激して涙を流すほどの真剣な看護でした。

そしてようやく、妊婦は一命をとりとめます。

一部始終を見ていた妊婦の身内の中に、モンゴルで高僧と言われた老僧がいました。

この老僧が、妊婦の生命をつなぎとめた神業のような看護を、驚異の眼で評価してくれたのです。
そして老僧は、生涯肌身離さず持ち続けるつもりでいたという紫の数珠を、お礼にと堀婦長に差し出してくれました。

その紫の数珠は、紫水晶でできていて、2連で長さ30cmほどのものです。
見た目もとても美しいが、それだけではなく、一個一個の珠に内部が覗けるように細工がしてあります。
そこから透かしてみると、ひとつひとつに仏像が刻まれている。

その日から、そのお数珠は看護婦たちの憧れの的になったのだそうです。

やまとなでしことはいえ、若い娘たちです。
美しい宝珠に興味津々だったのは、想像に難くない。
婦長は何度も彼女たちにせがまれて何度も見せてあげていた。

ある日、婦長はみんなに、
「いっそのこと、数珠の紐を切って、みんなで分けようか?」と提案したのです。
このひとことで看護婦たちは大騒ぎになった。

彼女たちが亡くなったとき、婦長は彼女たちに誓いました。

「私の命に代えても、みんなの遺骨を日本に連れて帰るね。
日本に帰ったら必ず地蔵菩薩を造って、みんなをお祀りする。
その地蔵菩薩の手に、この紫の数珠をきっとかけてあげるね・・・・」

けれど、まだ地蔵菩薩はなく、彼女たちの遺骨は菩提寺とはいえ、無縁仏にちかい形で置かれたままです。

婦長はなんども心の中でみんなにお詫びした。
「ごめんね。いまの私にはどうすることもできないわ。
でもね、きっと、必ず、お地蔵さんを造ってお祀りする。
だから、もう少し待っていてくださいね・・・」

どうすることもできない境遇の中で、そのことを思う都度、婦長の眼からは涙があふれてとまらなかった。

帯広で生活するようになってしばらくしたとき、徳山の夫の生家から、夫正次戦死の公報があったとの知らせが届きました。

こうなると、北海道にいる堀婦長にとっては、遠く山口県の徳山市とのご縁も遠くなってしまいます。

なんとかしなければ、そう思う堀婦長の心に、23名のご遺骨のことは重い負担となり続ける。

なにもしないでいるわけにいかない。
堀婦長は、あちこち手立てを講じて、元の上官であった平尾軍医と手紙で連絡をとり、二人で地蔵菩薩の建立費を積み立てようと決めます。

そして堀婦長から平尾元軍医にあて、毎月送金することにした。

たとえ少額でも、たとえ一回に少しのことしかできなくても、こうして積み立てていれば、いつか必ず地蔵菩薩を建てられるに違いない。

そうと決まると、月給は少しでも高いにこしたことはありません。
堀元婦長は、給料の良い職場を求めて、静岡県の清水市にある病院に就職します。

この頃、戦後の何もない時代、庶民の唯一の娯楽といえばラジオくらいしかありませんでした。
なかでも、謡曲や浪花節は人気が高く、この時代に、広沢虎造や春日井梅鶯などが庶民の人気をさらってます。

この春日井梅鶯の愛弟子に、将来を嘱望された「若梅鶯」と呼ばれる浪曲家がいました。
その若梅鶯が熱海で公演をしたときのことです。

旅館のお帳場でお茶を頂いていると、旅館の社長さんが週刊誌を手にしてくるなりこう言った。

「いやあ、すごいものですねえ、満州の長春で、ソ連軍の横暴に抗議して、22人もの看護婦が集団自決したんだそうですよ。終戦の翌年のことだけどね・・・」

若梅鶯は、旅館の社長さんからその週刊誌をひったくると、むさぼるようにしてその記事を読んだそうです。
読みながら、若梅鶯は、全身に鳥肌がたった。

「こんな酷いことがあったのか・・・」

実は、若梅鶯こと松岡寛さんは、敗戦時に樺太と関わりを持っていました。
その樺太で、ソ連軍がやった殺戮や略奪、暴行、強姦の実態をつぶさに知らされていた。
だから、長春の看護婦たちの話も他人事には思えなかったのです。

松岡さんは、一座の者を使って、堀婦長の追跡調査をします。
するとなんと熱海からほど近い清水に、堀婦長がいる。

その日のうちに松岡さんは、清水へ赴きます。
そして堀元婦長の勤務する病院に行き、面談を申し込んだ。
そして、地蔵菩薩の建立に資金的な協力をしたいと申し出ます。

けれど堀元婦長は、あっさりと断ります。
ただお金があればいいというものではない。そんな思いが婦長の心にあったのかもしれません。

けれど松岡氏も真剣です。
「ならば、自分は浪曲家です。この語り継ぐべきこの悲話を、大切に伝えて行きたい。ぜひそうさせてください」
松岡さんの真摯な態度に、堀婦長の心は動きます。

実は、終戦から復員にかけての混乱の中で、亡くなられた看護婦たちの身元がわからなくなっていたのです。

浪曲家である松岡氏が、その物語を全国で公演してまわれば、もしかすると彼女たちの身元がわかるかもしれない。

堀婦長は、当時の様子を松岡氏に語って聞かせます。

松岡さんは、誠実でまじめな人です。
彼は堀元婦長から聞いた話を、従軍看護婦集団自殺の物語の浪曲に仕立てます。
そしてこの物語を語るために、世話になった師匠に事情を話して、春日井若梅鶯の芸名を返上し、師匠の一座を離れて、無冠の松岡寛一座を開きます。
彼は、白衣の天使たちの悲話の語り部として、後半の人生を生き抜く決意をしたのです。

いくら人気の一番弟子とはいっても、独立すれば会社の看板のなくなったサラリーマンのようなものです。なんのツブシも聞きません。
中央のラジオのゴールデンタイムの人気浪曲家だった若梅鶯は、名前も変えて、まるまる一から地方巡業でのスタートをきることになった。

終戦の悲話が、直体験として日本中に数多くあった時代です。
白衣の天使の集団自決の浪曲が売れないはずがない。
松岡さんの公演は、またたくまに全国でひっぱりだこになります。

その松岡師匠は、浪曲の中で、必ず「皆様の中で心当たりの方はいらっしゃいませんか?」と必ず問いかけた。

そして3年余りの公演によって、実に23名中19名の身元が判明したのです。
そして19名のご遺骨は、ようやくご両親のもとに帰ることができた。

松岡氏がこうして巡業をしながら看護婦たちの身元を尋ねて回っていたころ、堀元婦長は、自身の給料の中から、実家にいる子供たちと、元上司の軍医のもとへの少なからぬ積立金の送金を続けています。

その金額もある程度のものになったと思われたので、そろそろお地蔵さんの建立を、と思って元上司に電話をしました。

すると、元上司は「それなら、前にもお話した群馬県邑楽郡大泉村に建てましたよ」という。
群馬県大泉村というのは、看護婦たちが満州へ向かう前に、厳しい訓練を受けたところで、彼女たちにとっての出会いとゆかりの場です。
そこにお地蔵さんが建った。
ほんとうなら、これほどうれしいことはありません。

ちょうど、彼女たちが亡くなってから7周忌でもある年でした。

堀元婦長は、松岡師匠にもこの話を伝えた。
松岡師匠はたいへんに喜んでくれて、それなら私が見に行ってみましょう、とおっしゃてくれた。

師匠はさっそく群馬県大泉村の役場をたずねて、地番を探しに行ってみたところ、そこはあたり一面、草ぼうぼうの原っぱです。何もない。
役場にとって返して聞いてみたけれど、地蔵なんて話は聞いたこともないという。

帰ってきて堀元婦長にその話をすると、どうしたことだろう、ということになって、元上司に問い合わせをします。

すると、実はよんどころない事情で、遣いこんでしまったという。
思い当たることはあるのです。
その上司の奥さんが、結核で入院されていたのです。

間が抜けていたといえばそれまでだけれど、汗水流して貯めた貴重な地蔵尊建立基金は、こうして霧散してしまう。

同じ年のことです。

埼玉県大宮市に、山下奉文将軍の元副官で、陸軍大尉だった吉田亀治さんという方がおいでになりました。

吉田亀治さんは、自己所有の広大な土地に、公園墓地「青葉園」を昭和27年11月に開園します。
そしてそこに、沖縄戦の司令官牛島中将の墓を設け、さらに園内に青葉神社を建立し、鶴岡八幡宮の白井宮司の司祭によって、鎮座式を行います。

その青葉園が開園して間もない頃、地元の大宮市(現・さいたま市大宮区)で松岡寛師匠の浪曲の公演がありました。

演目は、「満州白衣天使集団自決」です。

この公演の際、吉田亀治さんは、松岡師匠から直接、堀元婦長が存命で、いまも看護婦たちの身元を探していること、命日になると、亡くなった看護婦たちが寄ってきて、お地蔵さんの建立をせがむことなどの話を聴きます。

そして吉田亀治さんは、松岡師匠を介して堀元婦長に面会し、地蔵尊の建立を引き受けてくださった。

埼玉県大宮市は、命を捨てて危険を知らせに来てくれて亡くなった大島花枝看護婦の出身地です。
なにやらすくなからぬ因縁さえ感じる。

資金面では、すべて吉田氏が引き受けてくれることになります。

そうして大宮市の青葉園のほぼ中央に、彼女たちの慰霊のための「青葉慈蔵尊」が建立された。

地蔵尊の墓碑には、亡くなられた看護婦たちと婦長の名前が刻まれています。

(五十音順)
荒川さつき 池本公代 石川貞子 井出きみ子 稲川よしみ 井上つるみ 大島花枝 大塚てる 柿沼昌子 川端しづ 五戸久 坂口千代子 相良みさえ 滝口一子 澤田一子 澤本かなえ 三戸はるみ 柴田ちよ 杉まり子 杉永はる 田村馨 垂水よし子 中村三好 服部きよ 林千代 林律子 古内喜美子 細川たか子 森本千代 山崎とき子 吉川芳子 渡辺静子
看護婦長 堀喜身子

【後日談】
夫と死に別れた堀元婦長は、その後お二人の子を連れ、寡婦としてがんばっていましたが、松岡師匠の温厚さと誠実さにふれ、後年、お二人はご結婚され、堀喜身子は、松岡喜身子となりました。

~~~~~~~~~~~~~

以上が、満州従軍看護婦実話です。
3日間に分けて書かせていただきましたが、初日の大島花枝看護婦のことについては、以前、
≪満洲国開拓団の殉難≫
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-730.html
という記事でも書かせていただいていますで、もしかするとお読みになられた方もおいでになるかもしれません。

二日目(昨日)の、南長春駅前での自決事件については、今回初のアップになります。
心が死んだような状態になっていた8名の看護婦たちが、堀婦長の献身的な努力で、徐々に生気を取り戻した。
そして、やっと、ようやく日本に帰れるとなったその日、晴れやかな笑顔で駅前に現れた3人は、残りの者を迎えに行くといって、覚悟の自殺をしてしまう。

ちょうどこのくだりを書いているとき、ボクはボロボロに泣けてしまいました。

そして3日目(今日)の記事が、帰国後の苦心と青葉慈蔵尊が建立されるまで、です。

戦後の混乱、敗戦のショック、食べる物さえなく、餓死者まで数多く出した戦後の混乱期の中で、家族国家の住人だった日本人は、生きるのに精いっぱいの状態になります。

そこへGHQが思想統制、言論統制を行い、日本人の精神構造の破壊工作を行った。
その呪縛はいまでも続いています。
けれど、そんな時代にあっても、日本人らしい心を失わず、必死に生きる堀元婦長と、その彼女をささえて献身的に努力した松岡師匠。
お二人の大誠意が、ついには天に通じ、念願のお地蔵さんの建立となったというお話です。

お地蔵さんが建立されている青葉園は、いまでもさいたま市にあり、その中央には青葉慈蔵尊がご安置されています。

都内の方、埼玉にお住いの方、お時間がございますときに、こんど一度お出かけになってみられたらいかがでしょうか。

いま、日本国家を解体しようとする人たちが政界その他に数多くいます。
けれど現実に国家が解体した、その実例がまさに満州国です。
そこにいた人々がどんな目に遭ったか。
国というものが、いかに大切なものかも、本稿を経由してお感じいただけたら幸いに思います。

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※本稿は、日本航空教育財団の人間教育誌「サーマル」平成18年4月号に掲載された「祖国遙か」をもとに書かせていただきました。

日本の心を伝える会 日心会
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コメント
No title
私の父はシベリア帰りです、帰国時の痩せ細った写真を見たときは直ぐには抑留の過酷さは想像できませんでした、不可侵条約を破棄しソ連に攻め込むべきでしたが日本はスターリンと違い人間でした。
2011/09/27(火) 21:46 | URL | ごん #qNzZs3sI[ 編集]
No title
中国や韓国なら間違いなく映画になっています
現在の日本は外交を考えて正義も言えない国です
情けない
兵隊さんや、この看護婦さんたちのこと
我々日本人は絶対に忘れてはいけません
心を込めてご冥福お祈り申し上げます
尊いお話ありがとうございました 
2011/08/23(火) 10:44 | URL | #-[ 編集]
No title
ロシア人は卑怯だ、最低限の常識も無いのか!!ロ助をギタギタに切り裂いてぶち殺してやりたい!!
2011/05/21(土) 14:01 | URL | 名無しさん@ニュース2ちゃん #-[ 編集]
転職と求人♪
とても素敵なブログですね!

看護師さんの転職は増えてますね♪

http://nurse.iinaa.net
2011/03/26(土) 21:29 | URL | ナース #-[ 編集]
こんちはゞ
私の祖父母も今次大戦ね経験者でしたが(祖父は海軍兵)今度、このねずきち氏が第三回に渡って書き込んで頂いた、看護師達の悲劇を読み聞かせてみようかと思います(因みに祖母も看護師でした)
私が思うに、お地蔵さんが建立されるまでの過程は、神道から連なる神様が助力してくれた。と直感的に思いました。

こういった真実の歴史の本をマスメディアは取り上げるべきなんですが、マスメディア自体が腐っているので期待は出来ませんが、何とかこういった部類の「真実の理」として世上に幅広く伝わってほしいと、願ってやみません。
追伸:最近、末端の会員にさせて頂いた私なのですが、いつも送信して下さっている日心会のメルマガは「保護」して、決して消せないようにしております。
2011/03/04(金) 09:47 | URL | 乾坤一擲 #-[ 編集]
terag3さん へ
>それから<『憶測の情』を働かせるのが...>と書かれていましたが打鍵間違いでしょうか?  <

確かに間違いです。大きな勘違いでもあります。
可笑しくて笑ってしまいました、おっちょこちょいと呼んでください。

ぼろぼろ泣いたり、おなじ件で笑ったりと忙しくもありましたが、全体的に残念の一言です。

苦労なさったお母様を大事にしてあげてくださいね。
2011/03/04(金) 03:52 | URL | 花 #-[ 編集]
性善説?
私もどうしても引っかかるのは、19柱のご遺骨に関して何の追加情報も無い、ということです。この位の数になると普通は隠そうとしても何か出てくるものなのですが。

話自体は失礼を承知で言えば浪曲にありがちな涙を誘うものであり、一般受けするものでしょう。しかし、性善説で婦長さんのおっしゃっていることすべてを証拠なしに信じてあとで梯子をはずされるようなことになったら世間からの信頼を失いかねませんし、現状でも間違いでした、で済む段階は超えているのかもしれません。積極的に広めて行くにはためらいを感じざるを得ないというのが私の正直な感想です。
2011/03/04(金) 02:36 | URL | 奈々氏 #AIlHpmOk[ 編集]
No title
まだ30の若輩者ですが過酷な環境下でも生き抜いて日本にたどりついた事に感動しました。
残念な事に現在の極東アジア情勢は悪化の一途をたどってますが自分達の世代もシッカリして日本を立ち直らせなければいけないと思いました。
2011/03/03(木) 19:10 | URL | ゆーた #-[ 編集]
史実として受け止めるのでは無くて
花さん

そうです、この話をあくまでも史実として受け止めるならば徹底的に検証することが必要ですが、堀喜身子さんは初めからそれを望んではいないでしょう。

それから<『憶測の情』を働かせるのが・・・>と書かれていましたが打鍵間違いでしょうか?

         ↓

<『このような悲しい実話があったようだと、伝えられている』・・・>

私もそのような受け止め方が一番良いと思っています。こちらこそどうも有難うございました。




2011/03/03(木) 17:12 | URL | terag3 #KVPRtAI6[ 編集]
訂正
御免なさいterag3さん名前を間違えました。
すみません。
2011/03/03(木) 16:04 | URL | 花 #-[ 編集]
teraga3さんお返事有り難うございます
三回のお話を当然実話として聞き、外を歩いていても思い出しては涙しました。

あとから、真実史観さんに載っていた19人の身元が不明とかの話はねずきちさんが掲載した本にはなかったのですし。

家族と連絡が取れた19人の看護婦さんたちの家族から今は隠してそっとしておいてほしいと嘆願されたのなら、せめて青森県出身が3名、東京出身が2名と続き、家族からの要請で発表は控えさせていただきます、とかの会話があっても何の不思議もありません。でもそのような会話はなかった。

当然それぞれの家族と面会してお骨を手渡しているのですから誰々は何処の出身でお母さんだけが会いに来た、とか、メモや記録を取らなくともそのように自然と言葉に出てきていいはずです。何町の何番地を聞いているのではありません。

ましてや堀喜身子さんにとって尤も苦労の甲斐があったと感慨深い場面の出来事です

『早く帰ってご先祖様のお墓に入れてもらって楽になってね。と安堵するのが精一杯で、後々のために記録を取っておくことなど、私達には考えつきませんでした』
は堀喜身子さんの「19人の身元が分からないのは何故なのか」に対する返答です。

命がけでお骨を大事に持ってきた方が堀喜美子さんです。なぜ、私が上記で述べたような会話、言葉が出てこなかったのか、不思議です。もしそのような言葉会話があった上でなら『憶測の情』を働かせるのが日本人です。

堀さんを責めるとかではなく疑問を曖昧にして史実として伝えることは出来ません。責任がありますので。

また19人の家族に会い、お骨をお渡しした人にしては情のない返答に聞こえます。

繰り返しますが私が想像できるような言葉も、会話も無く、
19人の戸籍も見つからなかった。が、事実のようです。

このお話は『このような悲しい実話があったようだと、伝えられている』それだけです。憶測をして深追いは無用です。

左翼に利用されかねないそれだけが心配です。真実史観さんを教えて下さったteraga3さんに感謝いたします。
2011/03/03(木) 15:56 | URL | 花 #-[ 編集]
花さんへ
花さん

リ・コメント有難うございます。真実史観さんのブログに関するご所見、拝見しました。
『真実を追求し伝える』ことに信念を持って頑張っていらっしゃる立派な方だという花さんのご所見を否定するものではありません。

しかし私が思うには、あくまでもその事実関係の疑問点を指摘するだけで良いと思うのです。堀喜身子の一人芝居だというような決めつけ方は極左、極右の思想と変わらないように感じてしまうのです。

確かに真実の追求は大事ですが日本人は惻隠の情も大事にする民族です。この話の内容は日本を貶めるものでもありませんし、ただ単にその遺族関係者の接点が一切不明であるという点に疑問があるということなのですから、あそこまで堀喜身子さんを追い詰める必要はさらさら無いように私は感じるのですが如何でしょうか?





2011/03/03(木) 13:03 | URL | terag3 #KVPRtAI6[ 編集]
teraga3さんへ
真実史観さんのブログはこの件以外で読んだことがあります。『真実を追究し伝える』に信念と使命感を持って頑張っていらっしゃる立派な方だと見受けました。

堀喜身子さんが『サンデー毎日』1952年8・31号の手記を出すまで1948年からの4年間は何をしていたのかと指摘していますが、混沌とした戦後を女で一人子供を抱えて生きていくだけで背一杯。気は焦っても、たった4年でサンデー毎日に手記を出すまでこぎ着けたこと事態並大抵の苦労ではなかったかと、私は察しますので意見の相違をここでは感じます。

十九人の身元すらいまだに開示されていない<と真実史観さんの指摘ですが、辱めを受ける前に自殺をされていますので、名前、また家族の方たちも世間に知られては困ると、いう立場ではないと判断しますから、真実史観さんに一理あります。

結果、『火の無いところに煙は立たず』として解釈します。また堀喜身子さんが身元の開示をしなかったのはそれなりの深い事情があったのではないかと、考えたりもしますが自信を持って公言はできません。

世間の噂はなくてもあったのではないかと想像され家族としては苦しまなくてもいい事に苦しまなければならない嵌めになることもあります。終戦後ならばよけいです

真実史観さんと同じく真実だけを語りたい、それだけに何とも後味の悪い思いでいっぱいです。
でも教えてくださって有り難うございました。勇気のいることですので。

2011/03/03(木) 08:51 | URL | 花 #-[ 編集]
不謹慎ですよ
2011/03/02 (水) 07:57 名無しさん

>どうやって見分けたのかな?ロシア人らは日本人と..


ロシア人らは病院に従事している日本人の看護婦たちと知っていて派遣させたではないですか。

日本人と初めから知っていて騙したんじゃないですか。

いい加減な気持ちで読んだりすると、関係ない余計な考えが浮かんだりするんじゃないですか。
2011/03/03(木) 04:14 | URL | 花 #-[ 編集]
おぃ、名無し!


情事とは、恋愛関係にある者達が使う言葉だ。


お前みたいな、血の通わない奴の出る幕じゃねえんだ!
2011/03/03(木) 03:31 | URL | ミノル #-[ 編集]
【荒谷卓】日本人の戦いざま[桜H23/3/1]
陸上自衛隊特殊作戦群初代群長でいらっしゃる荒谷卓氏をお迎えし、全ての自衛隊員が行う「服務の宣誓」でも述べられているとおり、「徳操」を養い、「心身」を鍛え、「技能」を磨くことの根本にあるべき、健全な日本人としての道徳観や矜恃の肝要さと、そして、今なお世界で畏怖を呼び起こしている、大東亜戦争を戦った先人達が体現した「戦いざま」を連綿と継承していくことの意味などについて、お話しいただきます。
http://www.nicovideo.jp/watch/1299044739
2011/03/03(木) 00:54 | URL | #-[ 編集]
No title
泣いた。いや、慟哭である。ただただ、ご冥福をお祈りします。

なぜ今の日本に、先人らのご苦難を忘れて非難ばかり繰り返す連中が居るのか、本当に悔しくてなりません。
日本人としての矜持を体現した彼女らの御霊が、國神社にお祀りされているのかも気になります。

この現実を理解すれば、「生きて辱めの虜囚を受けず」とした戦陣訓が唱えられたのにも一理あったと解ります。

今の私にできるのは、神棚の下で頭を垂れ、日本と、その魂を守ることの大切さを、身を以ってお示し下さった先人たちに感謝の誠を捧げることしかありません。
しかし、そうすることの大切さを「後世に伝えていかなければならない」と、改めて強く心に刻みました。

そして悠久の歴史を持つ我が国を、しっかりと次の世代へと繋いでいかなければ「命を賭した先人たちに申し訳が立たない」のだと確信するばかりです。

 黙祷
2011/03/02(水) 23:40 | URL | m_motoki #KuniwtAU[ 編集]
ソ連の対日参戦が要因
終戦前後の混乱、日本人シベリア抑留、悲劇、虐殺、残虐行為、暴行、強姦、残留孤児の発生、樺太、千島、北方領土問題、これらの混乱と問題は、旧ソ連の日ソ中立条約反故による対日参戦が要因と思う。旧ソ連の対日参戦は国際法違反ではないかと思います。
2011/03/02(水) 23:22 | URL | 一言 #5KTh30no[ 編集]
開かれた社会という名の蜃気楼を求める人達
……現実に妥協せずひたすらな理想を掲げ追い求めることこそがもっとも全体主義的な思考なのかもしれないということには決して思い至らない。

それはたぶん打ち倒すべき敵と同等か、それ以上に罪深いことでさえあるかもしれない。

僕は想うのだ。真に全体主義的なものとは、外にあるものではなく、外にあるものを踏みにじることを正当化してやまない自身の理想そのものへの懐疑が存在しないことなのではないかと……
http://blog.goo.ne.jp/adlum99v3t/e/265e2661b6ac25d0b94559b174cf30ae

2011/03/02(水) 23:04 | URL | #-[ 編集]
この話を人権屋共に聞かせてやりたい(怒)。
2011/03/02(水) 22:55 | URL | ヘル・ベイツ #-[ 編集]
初めて知りました
涙なくしては読めませんでした。
実話を教えて下さりありがとうございます。
2011/03/02(水) 20:50 | URL | yuki #-[ 編集]
No title
>ちょうどこのくだりを書いているとき、ボクはボロボロに泣けてしまいました

自分も泣いてしまいました。 

今度ぜひ行ってみたいと思います。
2011/03/02(水) 20:32 | URL | 護国 #-[ 編集]
一枚の写真
下記ブログ記事の一番下、そこに一枚の写真があります。マントを羽織った陸軍将校でしょうか、荒野の左端、こちらに向かって歩いておられます。ねずきちさんの記事を読ませていただいたせいか、種々の感情が湧いてきております。
http://satehate.exblog.jp/15974259/
2011/03/02(水) 17:21 | URL | #-[ 編集]
従軍看護婦さん達が帰国せずに自害する道を選んだ
のは、自暴自棄からではなく、自分達が帰国する事に
よって起こる事態、家族達への影響を予測できたから
だと思います。
どんなにか帰りたかっただろうに…
愛する家族を守りたかったんでしょうね。
2011/03/02(水) 17:17 | URL | #-[ 編集]
まさにその通りだと思います
春風さんのコメントにある、中村武彦氏の引用文、私がこの手記を読んだ後、最初に感じたのが以下の引用文。

<この日本魂の権化と仰ぐべき女性たちは日本赤十字より派遣されて「満州赤十字」に所属していたというだけの理由を以て「日本」の従軍看護婦として扱われず、靖国神社にも祀られず、国から何の援助も弔意も受けていない。それでよいのか。 >


まったく上記と同じ感情を持ちました。「青葉慈蔵尊の由来」を常識で検証というブログ主さんの記事を見ますと確かに理屈は通っているようですが検事と同じように最初から自分の検証結果が正しいものだとして堀喜身子を犯人扱いしているという悪意を感じるので私はそれが大いに気になり反発を感じているのです。

皆さま方はどのように感じられますでしょうか?



2011/03/02(水) 14:47 | URL | terag3 #KVPRtAI6[ 編集]
真偽よりも・・・
当時満州などから引き揚げてきた人々は終生口に出しては言いたくないことを抱えて生きてきた人が多いのではないか?
昔、故会田雄次氏(京大教授、評論家)が書いていた。満州から親子ともども命からがら逃げている時、どうにもならず一家心中を試み、幼子二人を川に放り投げ、夫婦は後自殺しようとしたが生き残ってしまった。戦後もその夫婦は「おかーちゃーん」と叫びながら流されていく子供たちの姿を何度も夢に見て、苦しむ…しかし、誰がこの夫婦を責められようか、というのだ。
我々はこのような極限状況の人間の姿をじっと噛みしめて思いを馳せるしかないのではないか。
2011/03/02(水) 14:31 | URL | 黒ユリ #-[ 編集]
胸がしめつけられます
この実話は以前草莽崛起さんが紹介されていたのを読みました。

何も言葉に出来ません。
ただただ文中のご意見のままです。


http://prideofjapan.blog10.fc2.com/blog-entry-939.html
この日本魂の権化と仰ぐべき女性たちは日本赤十字より派遣されて「満州赤十字」に所属していたというだけの理由を以て「日本」の従軍看護婦として扱われず、靖国神社にも祀られず、国から何の援助も弔意も受けていない。それでよいのか。

法律とはそんなものか。彼女たちの祖国はそんな国であったのか。耐え難い悲しみと憤りをもって国民同胞各位にご報告申し上げる。(中村 武彦)

2011/03/02(水) 14:20 | URL | 春風 #-[ 編集]
終戦直後の国内事情、世論は?
確かに現在であれば、19柱のご遺骨の管理は大きな問題ですが、当時の国内世論も現状は、このブログ記事にも書かれているように・・・・以下、引用・・・・

           ↓
<ところが親子して夫の実家に到着すると、夫の母(お姑さん)が「引揚者は家には入れられない」という。敷居の中にさえ、入れてくれなかった。当時、いろいろな噂話があったのです。引揚者の女性は、穢れているとか、です。>


このような意識が強くて例えその遺骨が自分の身内、我が子であっても世間体を考えれば公にできないという感情が芽生えたとしても不思議ではないと思うのです。

従いまして私は根拠不明で実在する話では無いと一方的に決めつけるのは戦後の人間の考えることであって、それを理由に堀喜身子=松岡喜身子さんを責めるのは可哀そうだという気がしています。




2011/03/02(水) 13:18 | URL | terag3 #KVPRtAI6[ 編集]
No title
19人全員の記録がない、というのはかなり無理がありますね。そもそも19柱も御遺骨があれば、管理するのも大変ですから、何らかのメモがなければ正しいご遺族へお渡しすることも出来ないでしょう。その程度の資料も提出できないのでしょうか?
2011/03/02(水) 11:59 | URL | 奈々氏 #AIlHpmOk[ 編集]
嘘か誠かどちらが正しいのか?
この実話については「紅染し従軍看護婦の手記」1977年古書で読んで知っています。

一昨年6月、青葉慈蔵尊の慰霊祭に行ってお参りもしてきました。

しかしこの話の真贋については否定的なブログが2007/08/12付けで出ています。
それによりますと、靖国神社合祀の話が出たが合祀の条件である本人の氏名住所が国籍上確認できることに合致せず、つまり誰一人遺族の痕跡が皆無であった。
それは堀喜身子=松岡喜身子の一人芝居だというものでした。

しかし私は思うのですが当時満州からの引き揚げ途中で私の母親は33歳でしたが昭和21年6月に起きたこの事件の噂話を聞いているのです。
その後8月には満州、コロ島から駆逐艦「宵月」に乗って博多湾に引き揚げたのです。
現在母親は99歳で健在ですが確認のために聞いてみたら「その話は満州から引き揚げるときに聞いたよ」というのです。 批判ブログは以下のURLです。

          ↓
http://sinzitusikan.iza.ne.jp/blog/entry/262052/

このブログ主は、記録が無い痕跡が無いといいますが当時の日本国内の情勢から言っても混乱の最中であり、また堀喜身子さんにしてもそのような事務的なことには疎いはずですから遺族が見つかって良かったと言うだけでその一人ひとりの遺族の方々の住所氏名までもは記録していなかったのではないでしょうか?

確かに疑えばきりがありませんが満州で終戦直後に起こった様々な悲惨な実態は限りなく多く、悲しい現実に直面した日本女性も多くいたことは確かです。

そういうことで私はこの慈蔵尊の慰霊祭には今後もお参りを続けるつもりでいます。
2011/03/02(水) 11:38 | URL | terag3 #KVPRtAI6[ 編集]
ねずきちさん
読ませていただいて、いろいろ感じましたが、最後に感じたこと。
群馬県邑楽郡は母方、埼玉県大宮市は父方の故郷です。
他人ごとではないです。
わたしのおじいちゃん、おばあちゃん、または親戚が話したことあるかもしれないではないですか…
ご縁を感じました。
是非、みなさんとお参りしたいと強く感じました。
2011/03/02(水) 11:29 | URL | 日心会ファン #-[ 編集]
「民主離れ」止まらず 22区市町村で首長選
「民主離れ」止まらず 22区市町村で首長選
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyo23/news/20110301-OYT8T00059.htm?from=navr

地域政党と連携 前杉並区長の山田宏氏が
党首の「日本創新党」、河村たかし・名古屋
市長が代表の「減税日本」など、地域政党と
の連携を模索する動きもある。

関連情報
【議員連盟の掲示板】10 国旗及び国歌に関する法律に反対した議員
詳細は【リンク先】をカッチとね
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj8_hdir.cgi

国旗及び国歌に関する法律に反対する議員や
朝鮮学校の授業料無償化を推進する
「減税日本」は親小沢一郎派の新党である、
国旗国歌に反対している、減税のスローガン
で日本国民を騙す新手の騙しの手口、外国人
参政権などの日本人社会を破壊する反日売国
集団

http://www.aixin.jp/axbbs/ktr/ktr_hdir.cgi
【新党勝手連タイトル一覧】最新版はこちらをクリックして下さい。

2011/03/02(水) 10:22 | URL | 愛信 #EBUSheBA[ 編集]
ありがとうございます。
感激しました。
2011/03/02(水) 10:08 | URL | 花うさぎ #-[ 編集]
No title
私は昭和34年の生まれです。北海道の人間です。
ロシアにも近く北方領土問題も小さい頃から耳にしていましたし、親が「ケトウ」という言葉を使っていたのを思い出しました。今にして思うと、戦後の教育が間違っていたのがはっきり分かります。ただ、家庭では人間としてやってはいけない事、人に対しての思いやり、やさしさ・・・・・・など
自然に学んできたような気がします。国家が情けなく、不甲斐無い現在ではありますが。日本人の血に流れている倫理観などは変わらないと思います。日本人は悲しいまでに平和な人種です。名前は忘れましたが「地球上に、日本人だけは残したい」・・・・・と言ってくださった外国の方がいらっしゃいます。
2011/03/02(水) 09:22 | URL | atomu34 #MVVQ0RlQ[ 編集]
おはようございます。
亡くなられた看護婦さんの成仏を願って『応援クリック』…。
2011/03/02(水) 06:32 | URL | 和田 #-[ 編集]
No title
一気読みでした。
ねずきち様,尊いお話を有難うございます。
2011/03/02(水) 05:57 | URL | よのすけ #-[ 編集]
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1 :おじいちゃんのコーヒー ◆I.Tae1mC8Y @しいたけφ ★:2012/04/20(金) 13:29:40.83 ID:???0愛知県春日井市のゲームセンターで、暴れた客の男性が、店の関係者らに取り押さえられ、意識不明の重体になってい...
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
連絡先: nezu3344@gmail.com
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんのひとりごと」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「奇跡の将軍樋口季一郎」、「古事記から読み解く経営の真髄」などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。

日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
(著書)

『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』

『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦

『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
最新刊
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』

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