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古事記誕生1300年を寿ぐ

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古事記


今年は、西暦2012年。平成24年。そして皇紀2672年にあたります。
古事記が編纂されたのは、和銅5(712)年正月28日のことで、ちょうどいまから1300年前のことです。


古事記は、稗田阿礼が「誦習」していた「帝紀」(帝皇日継/天皇の系譜)と「旧辞」(古い伝承)を太安万侶が書き記したものです。

「誦習(しょうしゅう/ふしゅう)」というのは、口に出して読むことで、暗誦(あんしょう)ではないので、なんらかの別な文字の文書を稗田阿礼が読み上げ、これを太安万侶が漢字を使って書きとめたのかもしれません。

古事記の編纂を命じたのは第40代天武天皇で和銅4(711)年の9月に編纂が命じられ、その4ヶ月後に献上されています。

、完成し、献上されたのは第43代元明天皇の治世です。
このため古事記の冒頭には、天武天皇の以下のお言葉が収録されています。

「撰録帝紀 討覈舊辭 削僞定實 欲流後葉」
これは直訳すると「帝紀を撰録し、旧辞を討覈して、偽りを削り、実を定めて、後葉に流(つた)へむと欲す」で、わかりやすく口語訳すると、
「帝紀と旧辞は、偽りがかなりまじっているので、その偽りの部分を削り、天皇の系譜と、古くからの伝承をよく調べて正し、真実を定めて後世に伝えようと思う」となります。

よく記紀といい、古事記と日本書紀が我が国最初の歴史書として紹介されますが、日本書紀は古事記と異なり、成立したのが養老4(720)年で、古事記が献上されたわずか8年後のことです。

内容的には、古事記が、長い間伝承されて来た物語であるだけに物語に矛盾がなく整合性が採れているのに対し、日本書紀は無理矢理陰陽道に結びつけたり物語の意味がとりにくい箇所があったりと、やや矛盾に満ちているという特徴があります。

たとえばイザナギ、イザナミの出会いは陰陽で説かれているし、黄泉の国もない。

ところがどういうわけか日本書紀が誕生して後、古事記は封印されてしまいます。
そして平安時代から鎌倉、室町時代を通じ、我が国の正史は日本書紀とされた。
さらにいえば、古事記は漢文ではなく、漢字で使った暗号で書かれた読み解けない謎の書物とまでなってしまう。

その古事記を、世に出したのが、江戸中期の国学者、本居宣長です。
彼は、35年の歳月を費やし、すでに解読不能となっていた古事記を解読し、全44巻の古事記の通解書「古事記伝」を著します。
そしてこの「古事記伝」は、現代にいたるまで、古事記全巻の解釈書としては、我が国随一のものです。

それまで、日本書紀が主流とされていた歴史学に対し、本居宣長の著した「古事記伝」は、我が国の思想界に、まさに驚愕をもって受け入れられます。
そして本居宣長の師匠である賀茂真淵に始まる国学は、本居宣長の「古事記伝」によって我が国思想界の源流となっていきます。
ちなみに賀茂真淵は、静岡県浜松市の賀茂明神神社の神職の子です。
ボクも育ったのが浜松だから、なんだかとてもなじみ深い。

さて、本居宣長によって紹介された古事記ですが、さきほど「内容に矛盾がない」と書かせていただきました。
そんなことはない。神話なのだから、荒唐無稽な物語じゃないかと思われる方がおいでかもしれない。

けれど古事記はそうではなくて、概念的な部分において非常に矛盾なく、自然に書かれているのです。

たとえば古事記に出て来る神々は、おひとりひとりが非常に人間的です。
アマテラスは、日本の最高神ですが、物語に登場したての頃は、スサノオに怯えて神としての任務を放棄して岩戸に隠れてしまったりしている。
スサノオも、八岐大蛇を退治するほどの剛の神でありながら、最初に登場するときは、お母ちゃんが恋しいと毎日泣き明かし、挙げ句の果てに姉のアマテラスの大事な田畑を壊してしまったりの乱暴者です。
また大国主は、登場したときは、兄達のいまでいう「パシリ」として登場し、しかもさんざんなイジメにあう。

けれどこうした神々が、様々な経験を経て、大いなる国の神となったり、地下の大国の主となったり、また日本の最高神として成長を遂げています。
そうです。
古事記は、神々の成長の物語として描かれている。

なかには、根の堅州国(ねのかたすくに)神話で、大国主の前にねずみが現れて「内はホラホラ、外はスブスブ」など言って大国主を助けるシーンが出て来きます。
このねずみは、スサノオが放った鏑矢まで探して持って来てくれるのですが、なんとその矢は、羽根のところをねずみの子供達がかじってしまったので、羽根がぼろぼろになっていた、などと、妙に細かなことまで書かれている。

こうした、ねずみが喋ったり、わざわざ羽根をかじったりと、本題にあまり関係のなさそうな、また、ありえなさそうな余興ともいえる物語が、古事記には随所にちりばめられています。

そしてどうやら、このことが、古事記の成立をめぐる謎の一部になっていて、どうやら古事記を編纂した太安万侶が、もしかすると古事記は封印されてしまうかもしれないと知っていて、「仮に封印されたとしても、その物語の楽しい寓話(たとえば因幡の白ウサギの物語など)として後世に残り、いつの日にかきっと古事記が再び世にでる日を期した」のではないか、などとも言われています。

ボクは個人的には、古事記にあるイザナギ、イザナミ神話と、大国主神話が大好きで、この二つは、過去記事でもご紹介させていただきました。
◆桃太郎とイザナギ、イザナミ
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1151.html
◆大国主は日本最初のイジメ被害者だった
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1158.html

今年は、折りを見ながら、このねずブロで、もっとたくさんの古事記物語もご紹介していこうかと考えています。

ともあれ、古事記誕生1300年を寿ぎたいと思います。
そして昨日も書きましたが、この年が、国家規模の転換点となる新たな息吹が生まれる「壬辰の年」であるということも、なにか非常に象徴的なできごとではないかという気がします。

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コメント
マツダのクリーンディーゼルを買ったのでドライブ行きたいです。
 安来の比婆、山はイザナミノミコトの神蹟があるらしいですね。春になったら行ってみたいと思いました。他にも、京都よりも古い清水寺、横山大観のコレクションなら日本一の足立美術館。たたらや日本刀に関する和鋼博物館などがあるので興味深いです。しかも式内社の数が夥しいのも、出雲第二の神域である雰囲気があります。本居宣長の古事記伝などを携えて行くとより面白いことが理解できそうです。
2017/01/15(日) 20:17 | URL | 十神山 #-[ 編集]
歴史権威神話は熱田名古屋から
 出雲をいきなり飛び越えて朝鮮には至らないというのが神話の神代の話だと思います。神代にはスサノオが朝鮮半島との絡みがあるといいますが、神世世界の中心的伝説が、島根県安来市あたりに集中するのがまず不思議。考古学上の弥生終末期の隆盛とも符合。
2016/12/16(金) 22:58 | URL | 大刀特殊鋼 #/SMmiFwQ[ 編集]
天皇と教員
 摂家は嘘つき。戦前は日本を守れなかった。文学を通じてGHQプログラムに沿った方法で日本を洗脳した。三島由紀夫はそれを嘆いて自殺した。右翼と左翼の都合のいい部分を、日教組がとってしまった。40年ぐらい前の日教組はシベリア抑留から帰ってきた真に日本を愛する人々が戦争の過ちを語っていたが、今の日教組は日本のことなどへでも思っていない。敗戦という衝撃でできた、既得権益団体の防衛しか考えておらず、日本を愛していないことが元凶だと思っている。日本を愛する日教組がかつて有ったことを記憶しながら、日教組は歴史的役割を終えたのだと思っている。
2015/01/06(火) 23:55 | URL | 神世教育委員会 #-[ 編集]
日本の原点について
島根県の安来は古事記では根之堅洲国というところでスサノオの活躍地ですね。正確には十神島根之堅洲国となりますが長いので古事記では省略されています。この省略された、十神島というのは出雲国風土記では砥神島という陸繋島であったであろう現在の安来市の十神山です。この島は安来市のシンボルと見いわれ、きれいな円錐形をした小山ですが、古代の人たちにの崇敬した島だったらしいです。この十神というのはイザナギ・イザナミ以前の神々を指し、両神を含めその後の神代の時代と分けて神世と表現されます。この神世七代の十柱の神々が宿る神聖な島だったのだと言われています。ここは、中海という湾岸にあり、例えば淡島と古事記に見える島と認識しうる粟島が対岸の鳥取県米子市にもあり、ここがオノゴロ(淤能碁呂)島と考えると、近くに国生みの神、イザナミの神陵地、比婆山もあることから合理的なのではと思われます。
2014/02/04(火) 20:55 | URL | 山陰の語部 #-[ 編集]
ご紹介致します。

日本語の起源

言霊百神

Kototama 100 deities

有難うごさまいます。
2013/12/19(木) 22:45 | URL | コトタマ #-[ 編集]
あそべとせんとや
 とにかく偽装的に日本の伝統に襲撃を加える日教組や朝日の論理だろう。一般の先生方が一生懸命子供たちを教えるのに教育や学問を人質にとってなんとか世論を制御しようとする時代は終わっている。
2012/01/16(月) 23:41 | URL | 平氏 #J9LuoWTI[ 編集]
女系天皇【皇室典範】
以前聞いたことがあります。

神武天皇以前は、7代女系天皇が続いたとか…

現在、皇室典範の改正が検討されておりますが、皇室典範そのものは、明治以降につくられたものでそれ以前は、皇室とその関係者で成り立っていた。

天皇に姓がないのは、国民に姓を与えるのが天皇の役目とも伺ったことがあります。

誤解して欲しくはないのですが、「皇室典範」そのものを国会で討議することすらおかしなものに思います。

何故ならば、日本国憲法や大日本帝国憲法以前から皇室は存在し、皇室の存在なくして日本の存在はあり得ないことは歴史が証明しており、その規範となる典範を市井の人達が決めることはもってのほかに思います。

安部元総理は、男系天皇のみとの主張ですが女系天皇もいたのは事実です。

宮内庁並びにもっと真実を追求した専門家と協議した上で、検討されなければならないと思います。

まして、日本の本質すら知らない政党がその権限を握ることすら国難です。
2012/01/11(水) 10:23 | URL | 心の学問塾「誠心館」 #-[ 編集]
古事記における出雲神話の形成に関する考察
 現在の神社神道は日本書紀を基軸としている。神話の世界の話は、国津神=出雲、天津神=大和=天皇家祖神という2元論で語られ、出雲=根の国=黄泉の国という不吉なイメージを与えようとしている。しかし神道への深い思いがこういう、いじわるな解釈は本流の解釈として認定しがたい。
 しかし今年、先に古事記編纂1300年となり、日本人が神道や神話について深く考えることを内々戦々恐々と見守っているのは神道関係者の一角ではないだろうか。古事記はかつて禁断の書で宮中の奥に眠っていたとされている。それを、江戸期の国学者本居宣長が解釈付きで世に知らしめたため、宮中の五摂家をはじめとする古代から続く貴族たちは当時同様な思いでいたに違いない。
 五摂家は元をただせば、藤原鎌足にたどり着き、その子不比等が日本書紀の編纂時の有力者だったことを考えると、状況証拠だけで何となくその意図するところが分かるのである。天皇が万世一系として男系の血統を絶やさないことを大原則にしたがるのも、天皇の妃を自分の血族の女子を送り込み、外戚政治によって政権の中枢に永遠に居たいがためであった。現に、平安時代になると強力な外戚政治である摂関政治の形態を完成させ、藤原氏は大いに繁栄した。
 つまりは、先に出た古事記と後の日本書紀の差異と言うものは、藤原氏にとっての都合不都合で変えたものと言う見方が当を得ているのではないかと思う。特に日本書紀は、大化の改新で対立し滅ぼした蘇我氏を徹底的に悪者にしている。最近、蘇我氏側の聖徳太子を悪く言う本が散見される。お札に載らなくなって権威が落ちたのかとも考えたが、これも藤原氏側の現在まで至る勢力によって日本書紀的論法が復活しているのかとも取れる。そこでの古事記1300年なのである。逆に言うと明治というこの古代勢力の復活の反作用として聖徳太子や武内宿祢をお札に乗せたのはよいバランス感覚でそれだけの碩学の士がいたということだろか。そういうものは仏法勢力によって供給されてきてもおかしくはない。仏教の日本普及における要因は様々あるが、滅びた蘇我氏の貢献も多いのである。
 以上のことは歴史学の専門家では到底発言できない。喋ると仕事を干されるからだろう。藤原氏側の人間は歴史に絡んだ分野の学問でネットワークをつくり目立たないように学術の指向する方向性を制御している節がある。歴史学の分野の人間の奇行を聞いたりする。出雲からこれ以上考古学的大発見が起こらないでほしい。と発言する人間がいる。あるいは、旧石器ねつ造事件のようにあのような不正の情熱は学問上の名声欲しさでは説明できない不気味なものを感じる。これは古い貴族システムを戦前に復活させたためであるが、このような、天皇にまとわりついて権力を維持しようとしていたのは藤原氏に限ったことではないと思う。しかも天皇家の血統が長く続いている(ようにみえる)理由もこの様なところから来ているものと言えなくもない。それで、記紀成立前後の(物部)→(蘇我)→(藤原)の権力変遷を念頭に、記紀成立の背景と考古学的な情報を基に以下展開を行う。

 こういう視点で、出雲神話を考えると古事記にくらべ日本書紀は大幅にその記述が減じられているので、記述内容は藤原氏には不都合か不要だった。歴史的に考えると古事記成立時代に比べ日本書紀撰上720年は完全に文字時代にあり語部たちの顔色を窺わなくてもよかった時代だったかもしれない。
 しかし古事記も712年とそんなに変わらないじゃないかとの反論も出るが、著名な古事記研究者、三浦佑之氏によるとその時代より5~60年古いものだという。それは天武朝あたりになろうが、そのころに神話を語る語部がいたと出雲国風土記には報告されていて、藤原氏が蘇我氏を滅ぼした大化の改新も丁度その付近にあるから一つの時代の節目だったのだろう。
 それなら、古事記はどういう勢力を背景に書かれたかと言うと、その当の滅ぼされた蘇我氏系だったものと考える。天皇の祖神アマテラスと比肩させたスサノオは出雲地域で古くから四隅突出墳丘墓という石棺や石室を伴い墳墓表面に石を敷き詰めた様式の大型墳丘墓をつくり古くから作り、その作り方は後のたとえば蘇我馬子の石舞台古墳の方墳を思わせるものがある。さらに注意深く古事記を読むと、天地創造がおこり始めて具体的地点を指した地名が、国産み神産みをおこなった伊邪那美神の埋葬地、出雲と伯耆の堺の比婆山とあり、これも蘇我氏の本貫だった地点付近を指していることが考えられる。つまり天皇の祖神が現れる以前から、神々との関係があったことを匂わせる構図を取っているからである。具体的に言うと古事記では根之堅洲国とされる島根県安来市あたりであろう。
 つまり、古事記も日本書紀と同様、蘇我氏に都合のよい作りになっている疑いが濃厚である。しかし、神話があれだけふんだんにあるのは、まだ語部の力が強い時代に編纂されたものだからだと思う。内容を削るとその分の失業者が現れ、問題が生じたのではないかと考えられる。語り部は、今でいう有名歌手のような地位を占め、神話各部をそれぞれのレパートリーとして、その人選は何かコンクールのようなもので決まったように思う。そうしないと、選りすぐりの人材が集まらないし、その能力の高さゆえ高いブライドをもっていたことが出雲国風土記の内容からも見て取れる。彼らはそれぞれの勢力の代表なのだから。
私はこのような状況下の編集方針は、以下の4点であったと考える。(1)内容は削ってはならない(2)内容の単語単位の言い換えは韻を踏んでいれば許される。(3)内容の追加挿入も許される。(4)内容の順番の入れ替えもある程度許されるが大幅には許されない。ということが考えられる。(1)の理由は先述したが、(2)(3)も同様である。(4)はABCDEFの並びをABCEDFは許されるがFBCDEAは許されていないと考えることで古さの権威と言うものを尊重した。いや、古事記神話のメインテーマーは蘇我氏が最も古い天皇を超える名家であることをひそかに語っていることを考えると当然かもしれない。(2)は和歌の技法や現代のダジャレに通ずるところもある。
 神話時代は(天地神創造)→(出雲神話)→(国譲り)→(九州神話)と大まかにとらえられ神武東征に繋がる。ここで藤原氏が蘇我氏を滅ぼしたように蘇我氏も物部氏を滅ぼしている。あの強引な藤原氏でさえ日本書紀で蘇我氏自体の抹殺が出来なかったのは神話時代の出来事ではなかったことが理由と考えることもできるが、蘇我氏だって神話時代の編集方針に語り部の縛りがあることをここでは想定しているため、大豪族物部氏の神話がないのは不自然ではないか?と思われるのである(疑問1神話期物部不在)。これを解消しようとして出ていた書物である「日本先代旧辞本紀」は偽書とされているがそういった反動から重要視されていると考えられる。また、最も古い名家であると蘇我氏が言いたいのならもっと直接的に言うことが出来なかった理由もあり、そこに神話の複雑な展開の意味があるのではないかと言う疑問もわいてくる(疑問2神話展開の非直線性)。

 ここで、出雲の考古学的展開を述べてみる。銅剣銅鐸の大量出土が島根県にいくと喧伝されているが、いずれもお祭り(今のイベント)の集客力を高めそれで権威を競っていた社会だったので、ビッグイベントが流通経路を変化させるといった社会的インパクトはあったことは十分考えられるが、それが今日の天皇に続く王権の発達に必ずしともつながらない。つまり、古代天皇の武断的イメージに直結するのはやはり鉄器の流入に端を発する。大勢の集団を動員しないと農地面積の拡大と蓄財は出来ず、王の墓を巨大にできず、戦争により領土拡大ができないが、いずれも鉄器が青銅器よりも圧倒する。というかもともと青銅器は祭器、楽器、巨大食器などでいずれも現代のイベントものに登場するものに向いていたというのが金属学的性質上妥当であり金銀銅ともそういった性質で世界各地の古代文明で展開されている。青銅器は木器と鉄器の中間的加工性を有し、鉄器は石器と青銅器のバランスを兼ね備えた使用時の耐久性能をもっているという関係がある。よって、前者はソフト的金属素材であり後者はハード的金属素材である。ここでもちいたソフト/ハードの関係は、ハードの革命はたまにしか起きず、それが起こるとソフト的展開が発達するが、それが飽和すると次のハード革命が無いとそんなに発展がないという現在の技術発展状況の比喩をしているのである。つまり青銅器はある種の変化をもたらしたかも知れないが、依然縄文性の文化を色濃く残していたことを意味していたと見たほうがよいのではと思う。
 四大河文明圏などでは青銅器の時代が長く続いたので、金属を貨幣として用いる方法が広まった。その名残は、金がいまだ貨幣の代わりを狙っている状況に見て取れるが、極東アジアの事情は違い、青銅器なるものは断片的かつ短命で、鉄器に移行してようやく王権が確立し始めたとみるのが良いような感想を持つ。
 こういった状況の中、画期的な書物が出ていた。弥生時代の先端技術で鉄器充溢社会を想定させる四隅突出墳丘墓に関する本が「四隅突出型墳丘墓の謎に迫る」出雲市教育委員会編ワン・ライン(1995)にすでに出ていた。しかしそれは最も輝いていた出雲の西半分の話が主題となり、それが古墳時代になるとぶっ潰れて清々したような締めくくりになっている。しかし、それでもそういった弥生後期の全国に先駆け王墓をもった出雲というものが、基本的には東西の二極の方墳文化の中心地があって安来、西谷を中心とした構造をとっていたことを物語っている。これは黄泉比良坂を境界として根之堅洲国と葦原中国で出雲が構成されていたとする古事記の記述と全き合致を呈するのである(たとえば、安本美典著「邪馬台国と出雲神話」勉誠出版(2004))。
 全国に先駆け発展した王墓文化は大陸との結びつきの濃厚さを意味し、鉄器の出土数は北部九州に劣るものの多く出土し、それを効率的に使う集権的社会構造があったことを意味していると考古学者らも想定している。そういった先端的社会構造を持った出雲は弥生時代において既に北陸や東北と言った地方へ日本海沿いに展開した大勢力となったことが四隅突出墳丘墓の分布状態より明らかになっている。確かに北部九州が最も大陸の恩恵を受け、鉄器などの発掘数も最も多い地域であった。しかし彼らは吉備までを東限とし、それより東には鉄器が流通されていないことは考古学が明らかにして来たことである。

 以上のような考古学的状況から歴史作家;関裕二は、当時大和への鉄の供給を止めた九州に代わり、大陸から出雲経由の鉄の流入経路を作り上げたことにより、出雲は発展したと分析している。ここで想像されるのは、当時の吉備を西限とした当時の東日本の社会と言うものを考えると、縄文的文化圏だったと考えられる。大陸からの移民や難民が縄文社会をつくったことは教科書に載るほどの定説であるが、北部九州圏や吉備圏の弥生人たちは縄文的な社会と敵対関係を作っていたことが考えられる。一方、出雲のやり方は同じ弥生人(当時の大陸文化を背景に社会を構成したものを本文ではそう呼ぶ。) でありながら、縄文人により懐柔的方法で、日本海沿岸部の広域に短期間のあいだ勢力形成が出来たのであろう。多分、元帝国が短い期間で大帝国を築いた方法論から考えると、大幅に縄文的風習に寛容だったのではということは、出雲が縄文食である蕎麦の西限に位置づけられることからも想像できる。このころの大和あたりから青銅器がおびただしく出るが、縄文人社会でも青銅器は容易に作れていたとも想像できる。あるいはアニミズム的宗教観から青銅器製造には熱心になったものの鉄器に至ってはそれが及んでいなかったのかもしれない。とにかく、祭祀(イベント)を成功させ縄文系文化圏の一大流通拠点になっていたのは想像に難くない。そこで祀られていたのが大物主であり、未だに「大三輪(大物主)はんは、神武はんより先や」と奈良県民が言うというのも頷ける話である。
 このような縄文人の聖地に対し、弥生人たちは流通の拠点という物理的側面だけでそこを占領し、大和朝廷が出来たのが実際のところだろう。そのため大和朝廷は梅原猛がいうように、大和にいた神々を全部大国主に纏めて出雲で祀らせたのが出雲大社であるという旨を「神々の流竄」でいっていることは正しいと思われる。しかしそれでも縄文拠点であったという事実が、沢山の大寺院を建立してきたにもかかわらす奈良時代じゅう大和朝廷に不都合な影響(たとえば縄文人たちのテロのようなもの)を与え続けたため、ついに平安遷都を行ったというのがマクロ的に見た歴史的な真相ではなかったか?権力者同士の抗争に原因をもとめるものも多いが、首都移転と言うものはそういう動機では行われにくいと思っている。

 出雲神話とだいぶ外れた論調になっているという印象を持つかもしれないが、梅原猛の言が180度変わっているという声を聴くが、かつてのベストセラー「神々の流竄」も最近の「葬られた王朝―古代出雲の謎を解く」もどちらも当たっているという側面を持っているが、それを統合する意思が彼にないのが寂しいといいたくなる。
 それでは、すべて出雲神話がそういう縄文神の島流しのためにかかれているのかというとそうではない。入り組んだ構造をしている。まずオオクニヌシの神話は島流し理論で描かれているという説明は当を得ている。しかしイザナミやスサノオの話はそうではなく蘇我氏(あるいはそれ以前の大和で大きな力を持った葛城、賀茂系などの出雲系豪族)の伝承をかなり正確に伝えていると考えられる。つまり、王を中心とする国家の最初の提案者は出雲(蘇我系)なのだと。古事記には他にもこれを回りくどく言っている。オオクニヌシへも天皇家へも王権の証レガリアはスサノオ(蘇我系)が与えていると。つまり縄文/弥生とか大和/出雲という二元論がおかしいのであって端的に言うと、(縄文人)(出雲系弥生人=蘇我系)(非出雲系弥生人=物部系ほか)の三極構造の動きが大和王権(すなわち天皇制)の成立に深くかかわっているといった見方をする必要性を深く感じる。

 このように考えると、スサノオとオオクニヌシは同じ出雲神のグループとしてあつかってはことを見誤る可能性がある。オオクニヌシは多くの呼び名があり、多数の勢力の神々を習合した神だと考えられる。これらの、神々の中心は大和政権を、大和を中心として作り上げていった時に征服された縄文系の勢力の神々であったと考えられ大物主も含まれる。
すなわち、オオクニヌシの後半の話で「国譲り」の話は、大和で繰り広げられた縄文VS弥生の攻防戦だったものであろうしそれが書き換えられたものと見なされる。そのため、その後大和はニギハヤヒ(吉備系=物部氏)によりなんの大きな争いごともなく支配している構図が描かれ、神武東征の話がこれに続くのである。この改変をおこなったのは古事記に先立って物部氏によって書かれた建国神話の時点であろう。まだ征服されていない縄文人たちにお前らの神々は出雲にいて、大和にはいないからあっちに向かえといって気をそらそうとしたものと考えられる。
 この中で、物部建国神話を考えてみる。古事記は物部建国神話にスサノオ神話を書き加えたものとなっていて、ニギハヤヒの話も矮小化している。先に述べた物語の内容を削ってはならないという編集方針は物部氏が滅びたので通用しない。このくだりによって、物部氏は物部氏で天皇より古く、他の豪族より一つ頭上だということを主張していたはずである。そのほかはほとんど物部建国神話を踏襲しているが、神世七代のあたりは蘇我氏の国際的情報収集能力の高さを考えると海外の情報に触発され加筆されたのかもしれない。すくなくとも、伊邪那美の埋葬地が出雲と伯伎(伯耆)の比婆山とした内容は蘇我系の挿入があったとしてもおかしくはない。考古学的にも出雲は古墳時代に入ると、それまで出雲全域を支配していた蘇我系が、東部(根之堅洲國)は支配を維持したが西部(オオクニヌシの前半の話でいう葦原中国、後半は大和を意味している。)は吉備系(物部系)が占領し、そこにオオクニヌシを祀る出雲大社を建立したことが十分考えられるのである。西出雲はその後、古墳時代後期にはふたたび蘇我系が奪回に成功するが、その時点が物部氏の滅亡と時期を一にするのではないかと考える。このような顛末で、物部建国神話に出雲は導入され、それに蘇我氏がスサノオ神話を加筆することで古事記神話中の出雲神話は形成されていったものと考えられる。この西部出雲の奪回のことがスサノオによるヤマタノオロチ退治だったのかもしれない。

 古事記は近代に入り様々な影響を与えた。明治維新の尊王派の流れは古事記が発展を促した国学に源をたどることが出来る。それと薩長土肥の武士勢力を動力にして維新は成功するが、公家勢力が政治に関与するようになり、国家神道は日本書紀の理念で固められた。神社へ行ってみると良い。古事記風の須佐之男よりも日本書紀風の素戔嗚と書いたものの方が多い。今でも見えない力が働いていて伝統を愛するやり方に偏向がみられる。紙幣に聖徳太子や武内宿祢の肖像を載せることなどで中和する必要があると考えられる。
2012/01/04(水) 21:31 | URL | 出雲神話研究者 #-[ 編集]
No title
ねずきちさん、新年おめでとうございます。
旧年中は拙ブログに貴重な情報源としていろいろお世話になりました。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。m(__)m
ところで、
古事記が一度封印されてしまったというのは、もうひとつ意味があるようなのです。
わたしが読んだ「天皇祭祀を司っていた伯家神道 」という本には、
日本語の50音というのは、古代の神様とみごとに符号して、対応しているのだそうです。
つまり、日本語のすべての「音」 ひとつひとつが「神」を表すものだと。
「古事記」は、神様の物語として今に伝わっていますが、それは江戸時代の国学者による解釈であり、本来の本当の存在意味は、「言葉が神である」 ということを残すために「 暗号」のように物語の中に50音を使って織り込んだものだということです。
日本語は「音」それ自体が「神」。 
それゆえ、「詞上げ」は「神との契約」になるのではと。
そして、その力を悪用されぬため、「古事記を説くものは死す」 という戒めとともに、成立直後から意図的に隠されたそうなのです。
古事記が最初難解だったのには、そういう理由もあったということらしいです。

わたしは、ロシアの研究で「ジャンクDNA」(タンパク質の基となる以外のほとんどの部分のDNAで、これまで存在意味の不明だったもの)の配列が「言語」のそれと同じであること、また言葉によってDNAがその都度再構築されるというのを聞いて、この古事記の謎と非常に関わりがあると思いました。
2012/01/03(火) 11:28 | URL | うさんぽ #7sIlu4zw[ 編集]
No title
明けましておめでとうございます。
いつも勉強させて頂いている者です。
ありがとうございます。

天武天皇の本名は金多遂、新羅王族の一人で新羅人であろうと言う人もいます。天智天皇とは兄弟ではないと。
どうなのでしょうか。
2012/01/03(火) 09:37 | URL | 真正日本人 #-[ 編集]
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
連絡先: nezu3344@gmail.com
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんのひとりごと」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「奇跡の将軍樋口季一郎」、「古事記から読み解く経営の真髄」などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。

日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
(著書)

『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』

『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦

『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
最新刊
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』

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銀行名 ゆうちょ銀行
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種目  当座預金
口座番号 0083820
口座名義 小名木善行
【問い合わせ先】
お問い合わせはメールでお願いします。
nezu3344@gmail.com

講演のご依頼について
最低3週間程度の余裕をもって、以下のアドレスからメールでお申し込みください。
テーマは、ご自由に設定いただいて結構です。
講演時間は90分が基準ですが、会場のご都合に合わせます。
E-mail nezu3344@gmail.com

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<ご参考>
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台灣民政府
台湾民政府
サンフランシスコ講和条約で、日本は台湾に関して処分権は連合国に提供しましたが、領土の割譲は行っていません。条約以降、連合国も日本も台湾の処分先を決めていません。つまり台湾はいまも日本であり、台湾にいる1500万人の戦前からいる台湾人は、日本国籍を有する日本人です。私は台湾民政府を支持します。
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コメントをくださる皆様へ
基本的にご意見は尊重し、削除も最低限にとどめますが、コメントは互いに尊敬と互譲の心をもってお願いします。汚い言葉遣いや他の人を揶揄するようなコメント、並びに他人への誹謗中傷にあたるコメントは、削除しますのであしからず。
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コメントをくださる皆様へのお願い
いつもたくさんのコメントをいただき、ありがとうございます。
ほんとうに皆様のコメントが、とっても嬉しく、かつありがたく拝読させていただいています。

議論というものは、すくなくともこのブログのコメント欄が、国政や地方自治、あるいは組織内の意思決定の場でなく、自由な意見交換の場であるという趣旨からすると、互いに互譲の精神を持ち、相手を尊敬する姿勢、ならびに互いに学びあうという姿勢が肝要であると存じます。

私は、相手に対する尊敬の念を持たず、互譲の精神も、相手から学ぼうとする姿勢も持ち合わせない議論は、単なる空論でしかなく、簡単に言ってしまえば、単なる揶揄、いいがかりに他ならないものであると断じます。

ましてや、自分で質問を発したものについて、それぞれお忙しい皆様が、時間を割いて丁寧にご回答くださった者に対し、見下したような論調で応対するならば、それは他のコメントされる皆様、あるいは、それをお読みになる皆様にとって、非常に不愉快極まりないものとなります。

従いまして、謙譲・互譲・感謝、そして学ぶという姿勢のない連続投稿、粘着投稿に類する投稿をされた方については、以後のコメント書き込みを、管理人である私の判断で投稿の禁止措置をとらせていただきますので、あしからずご了承ください。
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