昨日、ラジオ日本の『マット安川のずばり勝負』に生出演させていただきました。
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可憐で貞節、そして才能豊かで、大胆で、快活。
誰もが愛と喜びと幸せと美しさに生きること。
そんなことを神々はお望みなのかもしれません。
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【お知らせ】◆
<東京・倭塾、百人一首塾他>8月2日(木)18:00
百人一首塾 第28回←日程を変更していますのでご注意ください。8月15日(水)
ねずさんと靖国昇殿参拝8月26日(日)14:00
チャンネルAJER主催・誰も言わないねずさんの世界一誇れる国日本9月15日(土)18:30
百人一首塾 第29回9月23日(日)13:30
第54回 倭塾・東京 第54回<関西・倭塾>8月10日(金)19:00
倭塾・関西 第一回 (IK歴史勉強会 十七条憲法と創生の神々)9月9日(日)14:00
倭塾・関西 第二回 (IK歴史勉強会 イザナギ・イザナミと古代の朝鮮半島情勢)10月19日(金)19:00
倭塾・関西 第三回 (IK歴史勉強会 大航海時代と大国主)11月9日(金)19:00 倭塾・関西 第四回 (IK歴史勉強会 唐の皇帝と日本の天皇)12月8日(土)14:00
倭塾・関西 第五回 (IK歴史勉強会 稲作の歴史と古墳のお話)<国内研修>12月16日(日)~17日(月) 一泊二日
神話を体感する会11月の倭塾関西の日程が11月11日(日)から、11月9日(金)19時に変更になっていますのでご注意ください。撫子(なでしこ)は、6月から8月にかけて咲く花です。
花びらの縁がこまかく切れ込んでいるという特徴があります。
我が子を撫でるように可愛い花であることから「撫子(なでしこ)」と呼ばれるようになったのだそうです。
結構どこでも咲く花で、崖の中腹に、ポツンときれいな花を咲かせたりもします。
そんな様子を、和歌に詠んだのが源実朝(みなもとのさねとも)です。
ゆかしくば 行きても見ませ
雪島の 巌に生ふる 撫子の花
(金槐和歌集)
意訳すると、
「好奇心がそそられたなら、行ってみてご覧なさいな。
雪島の巌に、なでしこの花が可憐に咲いているよ」
となります。
源実朝は源頼朝の実子で鎌倉幕府の第三代将軍です。
12歳で征夷大将軍となり、武士として初めて右大臣になりました。
ところが翌年鶴岡八幡宮で源公暁に殺されてしまうのです。
これによって鎌倉幕府では、創業者の源家が断絶し、以降、北条家が執権として政治を担うようになりました。
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万葉集の時代にも、なでしこは多くの歌に詠まれています。
なかでも有名なのが大友家持です。
なでしこが その花にもが 朝な朝な
手に取り持ちて 恋ひぬ日なけむ
大好きな彼女が、まるでナデシコの花のような可憐な女性だったのでしょう。
毎朝、そんなナデシコを手に取り、手に持って、その女性を恋しく思う。
大伴家持は貴族であるとともに武人ですが、そんな無骨とも思える武人の中にさえ、こうしたやさしさのある心が大切にされてきたのが日本です。
このお相手の女性というのが坂上大嬢(さかのうえのおおいらつめ)で、のちに二人は結婚しています。
ところが坂上大嬢は、結婚後ほどなく急逝してしまいます。
妻を失った家持の和歌に、またまたナデシコが出てきます。
秋さらば 見つつ偲べと 妹が植えし
やどのなでしこ 咲きにけるかも
二人にとってナデシコは思い出の花です。
だからそんなナデシコを、奥さんが庭に植えてくれて言ったのです。
「夏になったなら、
あなたとの思い出の撫子の花が
美しく咲きますわ。
そしたらあなた、
一緒に見てくださいますわね?」
そう言って、明るい笑顔を向けてくれた妻。
季節がめぐり、夏になります。
亡くなった妻が植えてくれた撫子が、庭に美しい花を付けます。
可憐で美しいナデシコ。
そのナデシコに、愛する妻の姿を重ねる大伴家持。
その想いが、1200年の時を超えて私たちの胸に突き刺ささります。
この歌は、万葉集に載せられていますが、その万葉集が編纂されたのが、天平宝字3(759)年頃です。
万葉集は、現存する最古の和歌集ですが、この万葉集の特徴は、下級官吏や、防人として派遣されたさまざまな地方の侍たちの歌が多数掲載されていることです。
つまりこの時代に日本では、文字や和歌といった知的生産物が、一部の貴族や高官たちの占有物ではなく、一般の人々(民)が、和歌を詠み、文字を解し、書いていたということです。
すごいことです。
西欧でもChinaでも、文字というのは高級官吏や貴族の独占物だったからです。
なぜ、文字や文学が王や貴族の独占物だったのでしょうか。
理由は簡単です。
民から教育を奪うことは、支配のための大原則なのです。
ところが日本では、民も貴族同様、普通に教養を身につけることができました。
なぜか。
これまた簡単なことです。
我が国では、民衆が天皇の「おほみたから」とされたからです。
その「おほみたから」たちが、豊かに安心して安全に暮らせるようにしていくことが、神話の昔からよろこびあふれる楽しい国を目指してきた日本の国是だったからです。
ナデシコは、Chinaから渡来したカラナデシコと、日本古生種のヤマトナデシコがあります。
ヤマトナデシコは、花期が夏から秋にかけてです。
だから別名が「常夏(とこなつ)」です。
源氏物語の八巻の「常夏」は、このナデシコの別名からきています。
「常夏」では、色とりどりの撫子が咲き乱れる様子が描写されています。
大和撫子(ヤマトナデシコ)の花言葉は、可憐、貞節です。
同時に撫子には、才能、大胆、快活といった意味もあります。
日本書紀によれば、我々が住む世界は、神々の胎内にあります。
それは我々だけでなく、自然界に存在するすべてが、神々の一部だということです。
そして私達みんなのよろこびが、神々のよろこびです。
逆に自分だけの贅沢やよろこびは、たとえそれが権力者やどこかのアマチュア団体の会長さんであったとしても、それは癌細胞とみなされます。
ナデシコは美しい花です。
そのナデシコのように、
可憐で貞節、そして才能豊かで、大胆で、快活。
誰もが愛と喜びと幸せと美しさに生きる。
そんなことを神々はお望みなのかもしれません。
お読みいただき、ありがとうございました。
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コメント
えっちゃん
2018/08/04 URL 編集