孔子は紀元前551〜紀元前479年に生きた人ですが、いまから2400年も前に孔子が明らかにし、否定したことが、いま逆に信じられているということは、これで果たして人類が進化したといえるのか、はなはだ疑問です。
むしろ孔子は、法や刑罰だけで統治を行なえば、人心は乱れると説いているのです。
大事なことは徳です。
以前、神奈川県川崎市で中1児童殺害事件がありました。
こうした事件を防ぐためにと行われた議論は、なんと、少年法の適用年齢を下げよという議論です。
何か勘違いをしていないでしょうか。
国家権力は、国会で法を定め、行政府がこれを実施し、その法や行政が適法であるかを裁判所が司法判断する。
それが三権分立であり、国家の理想の姿であると戦後は学校で教えられます。
本当でしょうか。
ひところオウムのマインドコントロールが問題視されましたが、それと同じではないでしょうか。
現実に、法の網の目をくぐる、あるいは見つかりさえしなければ何をしても良いのだという思考が、いまの日本に蔓延しています。
自分さえ良ければ、あるいは自分さえ良ければ他人はどうなったって構わないと思う人、あるいは思ってはいなくても、企業活動などにおいて、現実の行動がそのようにさせているケースは多いのではないでしょうか。
生活保護問題、慰安婦問題、南京問題などは、まさにその極地であるわけですし、日々発生する凶悪犯も、まさにそういう思考の延長線上にあります。
犯罪の発生件数について、最近、メディアなどで実によく目にするのが、
「戦前と比べて、いまの日本は犯罪件数は減ってきているのだ」というご高説があります。
典型的な詭弁(きべん)です。
戦前においては、凶悪犯を犯した者を逮捕する、というのではなく、凶悪犯に至る前に、できるだけ事件が小さな火種であるうちに逮捕する、というのがあたりまえだったからです。
重大な交通事故の発生件数と、重大事故を防ぐための予防的な交通取り締まりの件数を比較すれば、後者の方が比較にならないくらい件数が多いのはあたりまえです。
むしろ戦前の後者の件数に、最近の前者の件数が追いついてきていることが問題なのです。
これが江戸の昔まで行くと、もっと大きな違いに驚かされます。
奉行所は、犯罪予防のための機構であって、重大犯が出ればお奉行は切腹だったのです。
川崎中1児童殺害事件なら、川崎の町奉行は事件後すみやかに切腹、犯人逮捕の指揮は新たな奉行が取り、捜査に間が開かないように与力達は全力を尽くすのが普通でした。
ではいまの日本で、現実に事件が起きた時、校長、学年主任、担任教師、所轄警察署署長、市長の中で、誰か一人でも責任をとった人がいたでしょうか。
また、江戸の小伝馬町には、有名な牢屋がありましたが、当時の牢屋というのは、いまで言ったら未決囚を入れておくところであって、刑罰として犯人を入れておくところではありません。
刑が決まれば、その刑に応じて、遠島なり、所払いなり、笞打ち、あるいはサッサと打首にしていました。
懲役にすることが目的ではなくて、犯罪を防ぐことが目的だったからです。
社会というのは、どんなことにも分布がつきまといます。
法治主義であれ、徳治主義であれ、社会には良い人から悪人まで、人々は必ず正規分布するものです。
つまり、どのような統治の形態をとったとしても、必ず悪人というのは出るものなのです。
従って、治世に必要なことは、全体としての民度をいかに向上させて、より悪質な犯罪者が出ないようにしていくということが求められます。
百点満点中の平均点が60点の学校と、40点の学校では、特に低位の生徒たちの問題行動に開きが生まれます。
これと同じです。
我が国では、
604年には十七条憲法が発せられ、
645年には復古運動として「シラス」国の再建を目指した大化の改新、
701年には大宝律令、
757年には養老律令が発せられました。
律令というのは、「律」が刑事法、「令」が民事法です。
中世には「令集解」などの国法の解説書が書かれたりもしていますが、そこに書かれているのは民法である「令」の解説ばかりで、刑法である「律」については、解説書どころか、具体的な律そのものが未完成なままに据え置かれました。
どういうことかというと、ひとつには、「律」を作る必要がないほど我が国の民度が高かったということ。
もうひとつは(むしろこちらが重要なのですが)「律」は、事細かに決めないほうが良いと考えられていたからです。
なぜかというと、「これをしたら刑罰を与えます」と決めれば、その「律」の抜け道を考える馬鹿者が必ず出ます。
そうではなくて、たとえば昨日起きた女性保育士殺害事件の犯人のように、日常業務をしている中で、すでに目付きがおかしいとなった時点で、隔離すべきなのです。
事件というのは、起きてからでは遅いのです。
起きる前に、いかに抑えるかが問題なのです。
だから我が国では「律」は、むしろ曖昧に据え置かれたのです。
そして「誰も見ていなくてもお天道さまが見ていらっしゃる」、「自分に恥じない生き方をせよ」などと社会全体での教育を国民の隅々にまで浸透させたのです。
このことは十七条憲法にも書かれています。
第11条で「明察功過」が説かれ、常に「予防」に力点が置かれたのです。
このため、厳罰に処するほどの犯罪自体がほとんど起きないという時代を、日本は何度も築くことに成功しています。
明治に入って、我が国は西洋から法治主義を取り入れましたが、民間レベルでは、町の駐在さんは、町の治安を予防することを役割としました。
だからこそ駐在さんは、誰からも信頼され、愛される存在となりました。
そして地域でも、学校でも、教育の根幹は徳育にあると、誰もが信じていたし、また教師はそのように行動していたし、生徒もまた、道徳心を涵養することこそ、人の道と誰もが信じていました。
戦後のGHQは、こうした日本の美点を破壊し、警察はあくまで起きた犯罪を捜査し、犯人を逮捕するのが仕事としました。
刑務所も、犯罪を「起こした」者を放り込む収容所へと変化しました。
こうして戦後70年が経過すると、いまではすっかり、民衆を法による刑罰で統治する、というのが、あたりまえの感覚に日本人は染まってしまいました。
その結果、2400年も前に孔子が為政篇で述べた言葉、「民衆を法による刑罰で統治すれば、民衆の中に、法律の網をくぐり抜けて恥じることがないような、とんでもない悪人が誕生する」の通りになってしまっています。
なんでもかんでも戦前を良しとする、戦前を美化するというのは、間違っていると思っています。
しかし、戦前であれ、江戸の昔であれ、中世であれ、あるいは西洋であれ東洋であれ、そこに学ぶべきものがあるならば、それはしっかりと学び、洋の東西を問わずに、良いものはどんどん取り入れて、より良い未来を築いていくというのが、いまを生きている大人たちの使命です。
人間の世に完璧なものなどありません。
どんな施策であっても、かならず良い面、悪い面が生じます。
けれど、良くないところがひとつでもあるからと、全否定するのではなく、「より良い」状態を常に切り開いていく努力こそが大事です。
いよいよ新元号が発表されます。
それは日本が生まれ変わる、ひとつのきっかけであり、チャンスであろうかと思います。
お読みいただき、ありがとうございました。
↑ ↑
応援クリックありがとうございます。
講演や動画、記事などで有償で活用される場合は、
メールでお申し出ください。nezu3344@gmail.com
- 関連記事
-
« 新元号を寿ぐ l ホーム l 政治権力の世から祈りの世へ・・伊勢 »
そもそも少年法は、残忍な在日朝・鮮・人の若者を護る為に制定された法律です。
こんなものは、要らない!
『令和』
物事には「始めと終わり」があり、とても大切です。
「終わり良ければ全て良し」
などと言いますが、最後だけ良かったら…良いの?
そうでは無いと思います。
「始め良ければ終わり良し」
結局…ずっと頑張れ!ってか?
突っ込みが入りそうですが、とにかく「終わり」を良くするためには最初が肝心!
間違いありません。
令和の時代が始まります。
肝に銘じて、しっかり過ごしていきます。
ここで敢えて新元号の名前には触れません 笑。まだ見てない方はご自分の目や耳にてご確認を。
万葉集からの引用みたいですね。素晴らしい!
と感じると同時に平成が終わるんだなぁと改めて感じて寂しいです。
もうすぐ新しい元号が発表されますね、ドキドキ。
あの不適切なら削除して頂きたいのですが、私はラリってる妹から殺害予告を受けました。
警察に相談しても「危なくなったら、殺されそうになったらTELして」と言われるばかりでした。
危険にならないと、それも現行犯でないと捕まえられない。何度もこんなことを言われました。
ネットやSNSに、私の実名を挙げ殺害予告をしているのにもかかわらず。
話がまたまた脱線しましたが、今の警察や法にはウンザリしています。