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犯罪者を出したり、隠蔽したり、犯罪者を擁護するための資金提供をしたりなどするならば、当該コミュの幹部から資金提供者に至るまで、重罰を課すべきです。 何国人だからということではありません。 日本人でも外国人でも、日本国内で犯罪を犯したり、隠蔽したり、ならば、そのコミュに対してペナルティを課す。 これは当然のことです。 |

画像出所=http://www.artbank.co.jp/stockillust/image_html/gototatsushi/1-B-TAG296.html
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)先日の倭塾のあとの懇親会で、海外経験の長いSさんが、
「日本人は自分たちのコミュニティから
犯罪者を絶対に出さないように必死でやってきた。
KoreanやChineseは、海外で自分たちが
日本人に比べて差別されていると言うけれど、
だったらどうして自分たちで、
自分たちのコミュニティから
犯罪者を出さないように努力しないのか。
彼らにそのように言うと、
ようやくわかってもらえます」
とおっしゃっていました。
なるほど!と膝を打ちました。
日本国内においても、悪いことをするような人を出さないように、彼らが必死の努力を続け、そうすることで彼らのコミュニティから犯罪者が明治以降、ひとりも出ていないなら、日本人の彼らに対する信頼は抜群のものになったであろうと思います。
けれど実際は、むしろ彼らは日本人以上に犯罪者を多く出し、しかも戦後は逮捕されたそうした犯罪者を冤罪だと称してかばったり、あるいは刑期を驚くほど短縮させたり、彼らのコミニュティから出た犯罪者を、差別だと騒ぎ立てたり等々、まったく逆のことが繰り返されてきました。『ねずさんのひとりごとメールマガジン』 登録会員募集中 ¥864(税込)/月 初月無料! |

昨今では、生粋の日本人でも、凶悪な犯罪に手を染める人が出るようになりました。
戦後の日本では、教育から歴史認識が奪われ、道徳や修身が教えられず、国家や君が代を恨んだり拒否したりすることを教えられ、その一方で、かつての日本では犯罪者を身内から絶対に出さないとしていた大家族制や、村社会のコミュニティを崩落させられました。
それでも高度成長の頃までは、地域社会や血縁社会に代わって企業社会が新たな犯罪抑止のコミュニティとして機能してきたのですが、そんな企業社会も昨今は崩落して、個人の勝手を制限する(悪いことをしそうになったときに心理的にブレーキをかける)社会装置が、完全に失われようとしています。
これは由々しき事態です。
このままでは、日本人の民度が際限なく下がっていき、不逞Koreanや不逞Chineseとなんら変わらないものになってしまいます。
だから「教育を取り戻せ」とも言われますが、それと同時に、私達は、私達日本人なりのコミュニティを、現代社会に沿った形で新たに構築していかなければならないのではないかと思います。
日本では、大昔から昭和初期にかけて、地縁血縁といって、個人がなにか悪いことをすれば、それは地域の恥さらし、親戚の恥さらし、あるいは親戚中の笑いものになるといわれたものです。
ところが戦後は、こうした地縁社会、血縁社会が失われていき、上にも書きましたが、それが企業社会にとって代わりました。
ですから、悪いことをして警察のご厄介になるような社員がいれば、それは会社の恥であり、会社のみんなどころが、取引先にまで迷惑をかけることになるのだから、ということが個人への心理的な悪事へのブレーキになっていたわけです。
いくら会社で頑張っていても、酔っ払って電車の中で喧嘩をして警察のご厄介になれば、自分一人が出世の道が閉ざされるというだけでなく、会社の信用にも傷がつく。
そうなれば会社のみんなに迷惑をかけることになるし、給料はあがらないし、下手をすれば会社をクビになるし、家族にまで迷惑をかける。
だから喧嘩になりそうになったら、どんなに腕に自信があっても、
「あ、すいません。ごめんなさい」と平謝りに謝って、できるだけ事なきを得るし、そういう場にできるだけ巻き込まれないように日頃から注意を怠らないといったことが、いわば普通のサラリーマンの常識になっていたわけです。
そんなつまらない一時的な感情で、人生を棒に振っていいのか!ということは、社会人として生きる者の当然の考え方でもありました。
ところが、その企業社会が失われ、大企業のトップまでもが、もはや終身雇用は必要なく、社員はアルバイトやパートで十分といった発言がされるようなご時世です。
では、そういうご時世のなかにあって、我々日本人は、日本人という集団から犯罪者を出さないために、どのような社会の構築が必要なのでしょうか。
現代社会は、これは日本に限らず世界中の先進国がそうなのですが、いわゆるコミュニティ社会とかネットワーク社会と言われています。
地縁血縁社縁社会が崩れ、人々は、より居心地のよい仲間を見つけて、その仲間とのコミュニケーションの中で、日々の楽しみを見つけていこうとする。そういう社会です。
そしてそうした新しい社会の中では、たとえばネット上のアカウントも、いまの高校生くらいになると、いくつものアカウントを使いこなして、あるときは良い子として、良い子のコミュニティで良い子の発言をし、またあるときは、悪い子になって悪い仲間たちと一緒に、誰かの悪口を言ったり、吊し上げをしたりイジメたりと、悪事の限りをつくしていくなどといったことが、普通に行われているのだそうです。
同じ人が、多重人格となって、それぞれのコミュニティに参加しているわけです。
それが良いことか悪いことかといった道徳的なものは別として、現実にすでにそうした社会が始まってしまっている。
そのなかにあって、我々日本人は、かつてのような犯罪者を日本人から決して出さないというコミュニティを、いかにして出さないようにしていくのか。
このことは、他所の国や民族を批判したり非難したりすることよりも、ずっと重要なことだと思います。
ひとつの方法として提案したいのは「再び地域コミュニティを活性化する」というものです。
これは地震や大水、火災などの天然の災害への対策としても重要なことです。
管理人のいるような大型マンションであれば、マンション単位で、戸建住宅であれば、町会の各班が対象になろうかと思います。
現状の自治会の機能を発展させ、犯罪者を出さないコミュニティを実現する。
これは江戸時代に実際に行われていたことです。
おそらく現代日本では、めんどくさい等々、猛反対が起きることでしょう。
しかしなんでもかんでも、国に責任を帰するのは間違いです。
自助、共助、公助です。
まずは自助、次いで地域社会での共助が必要だと思います。
誰もが豊かに安全に安心して暮らすことができる社会の実現は、我が国が歴史的にずっと追い求めてきた理想であり、実現していた実績のあるものです。
それを取り戻す。
これはとても大切なことだと思っています。
また、在日外国人については、すでにある当該国のコミュへの罰則を図ること。
犯罪者を出したり、隠蔽したり、犯罪者を擁護するための資金提供をしたりなどするならば、当該コミュの幹部から資金提供者に至るまで、重罰を課し、必要に応じて解散を命ずるべきです。
何国人だからということではありません。
日本人だからとか、外国人だからとかとは一切関係なく、日本国内で犯罪を犯したり、隠蔽したりするならば、そのコミュに対してペナルティを課す。これは当然のことです。
江戸時代がきわめて犯罪の少なかった時代であったことで有名ですが、たとえば長屋に住む誰かが犯罪者をかくまったら、向こう三軒両隣の住民は同罪。当該長屋の住民は重加算税、番屋と家主と地主は遠島でした。
江戸時代の初期ですと、長屋自体がお取り潰しで、これは本当に建物ごと撤去されました。
これはいまで言ったら、マンションごと撤去、あるいは戸建て住宅であれば町内会の班単位で同罪、町会はお取り潰し・・のようなものです。
個人の自由は認める。
しかし犯罪は許さないし、犯罪への加担も許さない。
警察は、交通警察だけはネズミ取り(ネズミ取りそのものには反対ですが)までして、軽微な犯罪から厳しく取り締まることによって、重大事件を防ごうとしていますが、刑事犯の取締に関してになると不思議なことに、起きた犯罪にしか対処できない組織になっているようです。
これも不正解だと思います。
江戸時代ならば、犯罪を犯しそうな奴だというだけで、番屋や奉行所に引っ立てられて、長屋がお取り潰しになったのです。
起きた犯罪を取り締まるのは当然ですが、それ以上に大切なことは、犯罪の予防です。
そして、予防のための社会システムを整えることが、大事なことであると思います。
ただし、いますぐにこれを行うと、まともな人が予防と称して逮捕される可能性が否定できません。
まずは国会やメディアから、破壊活動を行う者や、外国への利益供与を行う者などを追い払うことから始めなければなりません。
そしてそのために必要なことは、まずは草の根レベルで身を正していくことであろうと思っています。
お読みいただき、ありがとうございました。

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入居してすぐに「管理組合」を結成し、地域自治会にも「班」として加盟しました。
問題の多い住民もいます。
暮らすってどういうことか…いつも皆で語り合いながら、何とか仲良くやってます。
通達や掲示物に労力をかけるより、こまめなコミュニケーションがやっぱり一番だと感じていますが、最近の地域活動の悩みは「外国語の壁」です。