アクセスランキング

先人たちが目指した日本の姿。それは私達の国が常に「よろこびあふれる楽しい国(=豈国)」であり続けることです。


日清戦争と半島のお話

「ねずさんのひとりごと」は、ドメイン変更をしました。
ブックマークに登録してくださっている方は、登録変更をお願いします。(ドメイン変更日:2019年5月26日)
旧ドメイン:http://nezu621.blog7.fc2.com/
 ↓↓↓
新ドメイン:http://nezu3344.com



人気ブログランキング応援クリックこちらから。いつもありがとうございます。

平成31年度倭塾動画配信サービス受講生募集中


何百年も頭ごなしに服従だけを強い、言うことをきかない者には厳罰をもって臨むというChinaの対韓方針の中で、自分たちの王朝や、一部の両班だけが酒池肉林の生活をしているという不条理を、日本が下手に同情したことが、結果から見れば争いの原因です。
もともとが糞尿まみれの穢族です。
放っておけばよかったのです。


20190802 日清戦争
画像出所=https://kotobank.jp/word/%E6%97%A5%E6%B8%85%E6%88%A6%E4%BA%89-109866
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)


日清戦争(明治27年(1894)〜明治28年)といえば、たいていの人が日本と清国の戦いと思っていますが、実は問題の根幹は半島内部の、およそ内戦と言って良い衝突にあります。
半島内の争いに、いつの間にか日本と清国が巻き込まれ、気がつけば日本と清国が戦争をしていたわけです。

同様に日露戦争(明治37年(1904)〜明治38年)も、やはり半島内の対立と紛争が原因で、これに日本とロシアが巻き込まれて大きな戦争となりました。

朝鮮戦争(昭和25年(1950)〜昭和28年)も、やはり半島内の対立が原因で、気がつけば米国と中共が巻き込まれて戦争になりました。このときは南側の韓国は、事実上の戦争遂行者が米国になったことで、することがなくなって、当時占領統治下にあって武力を全く用いることができなかった(自衛隊どころか警察官でさえ銃や警棒の携帯が禁じられた)日本の、非武装の漁民を拉致しては酷い目に遭わせるという蛮行を繰り返していたほどです。

このことは古代においても同じで、唐と手を結んだ新羅が、虎の威を借りて日本の保護国であった百済を滅ぼし(660年)、やむなく日本が出兵すると、いつの間にか戦争は唐対日本になっていました。
あまりに馬鹿らしいので、唐と結んで半島から撤退しようとすると、その復員船を狙って焼き討ちを行い、当時の船はすべて木造でしたから、これによって日本は1万人を超える被害者を出しています(白村江の戦い)。

半島では、悪事を働いた者が、その悪事が露見すると、あることないこと言い立てて「論点ずらし」をし、周囲に自分の言い分を声高に叫ぶことで、本来の問題点ではない別な事件に仕立て上げ、さらに紛争の当事者まで「ずらし」てしまうということが、個人、団体、国家を問わず、民族的な生き残りの知恵になっているといえます。

そのことに気付かずに、下手に同情をしたり、様々な事情から紛争に介入することになると、いつのまにか介入した側が多大な被害を被ることになる。
これが歴史を通じて繰り返されてきたことです。

そこで今回は、日清戦争を通じてKoreaについて考えてみたいと思います。



『ねずさんのひとりごとメールマガジン』
登録会員募集中 ¥864(税込)/月  初月無料!

20190317 MARTH


明治の始め頃まで、約400年続いた李氏朝鮮は、冊法体制(さくほうたいせい)といってChinaの臣下の国でした。
当時の李氏朝鮮の国王が高宗(こうそう)です。

この高宗が色事の好きな人物で、多数の宮女相手に、まさに酒池肉林の生活を送っていました。
当然、政務などほったらかしです。
色事好きなのは、歴代の李氏朝鮮王の伝統で、実は日本での戦国時代に当たる15世紀に李氏朝鮮に現れた第4代李氏朝鮮王の世宗(せそう)が、半島内の女性たちの扱いを性奴隷と同じ扱いにしたことに端を発します。

実はこの世宗王は、半島では英雄とされている人物で、半島では忠寧大君(ちゅうねいたいくん)と呼ばれています。
寧という字は、「丁寧(ていねい)」などに使われますが、心が落ち着いたという意味の字で、要するに心の落ち着きを国家の中心に据えた偉大な王という諡(おくりな)です。

なぜ世宗王が、半島内の心を落ち着けたかというと、これには明確な理由があって、世宗王は両班と奴婢の間に生まれた子は奴婢とし、両班は扶養の義務を負わないこととしたのです。
これにより、半島内の両班は、両班以外の身分の女性をいくら強姦しても、一切子育てに責任を取らなくて良いことになり、以後半島内ではずっと強姦が、いわば合法化されるに至るわけです。
要するに世宗王は、論点ずらしをして反抗する半島の役人たちに、女性を自由にできるという(それこそまさに性奴隷です)特権を与えることで、半島内の役人たちの心を落ち着けたから、偉大な忠寧大君だというわけです。

ちなみに半島の少女を明国に貢ぐための専門機関である『進献色』という機構を設置したのも世宗王です。
この女性を貢ぐという外交は「処女進献」といって、処女でなければならないとされたため、世宗王は、なんと、民衆の早婚も厳しく禁じています。

日本人の感覚というより、世界中、どこの国の感覚としても、ここまで女性を貶めた人は、悪鬼羅刹以下と蔑まれるものですが、なぜかKoreaでは、世宗王は、史上最大の名君なのだそうです。

そんな世宗王から22代(李氏朝鮮王としては代26代)王となった高宗王も、ですから御他聞にもれず、日々せっせと酒色の毎日を送っていた・・・というより、まったく政務をかえりみないことから、次第に、政治の実権が、王妃の閔妃(みんぴ)に移っていきました。

ちなみにこの「閔妃」という名前、「閔(みん)氏という一族から出た王妃」という意味であって、閔妃自身には名前がありません。
半島では、国王の妻であってさえも、名前がなかったのです。
まして半島内のすべての女性に名前はありません。
名前がないということは、いつ殺されても死んでも、戸籍がないのですから、数のうちに入らないし、人としての権利もない、ということです。

そうはいっても国王は仕事をしないし、妻の閔妃は一族が野心家です。
閔妃の一族は、閔妃を利用して高宗王を口説かせ、一族を高位高官に登用させると、この一族の高官たちが中心となって明治9年には日本と日朝修好条規(江華島条約)を締結などしています。
そしてこの条約によって、日本から顧問を呼び寄せ、軍隊の近代化などを行ったりもしました。

ところが一族が力を得ることしか関心がない閔妃の一族は、日本の指導による新式軍隊には興味があるけれど、従来の清式の旧軍隊には何の興味もない。
結果放置された旧軍隊の兵士たちには、給料も払われず、食事の配給もなくなってしまいます。

期待の星である日本の指導による新式軍隊には、豊富な食料と給料、放置された旧軍隊には、飢えと苦しみ。。。
当然のことながら、旧軍隊内には新式軍隊に対する不満が募り、明治15年(1882)、旧式軍隊は、閔妃暗殺をもくろんで反乱をおこします(壬午軍乱)。
このとき閔妃派要人の多くが殺害され、日本大使館も焼き討ちされて数十名の日本人が殺されています。

一方、事件を察知した閔妃は、侍女を自らの身替りにして、いち早く王宮を脱出します。
そして半島に駐屯していた清の袁世凱の軍隊のもとに逃げ込みます。
閔妃にしてみれば、騒動の原因は閔妃の一族の高官たちにあって、自分には何の責任もないし、それで殺されては間尺に合わないというわけです。

ところが閔妃が清軍に逃げ込むことで困ったのは、半島を属国として軍を派遣していた清軍と、朝鮮に頼まれて近代化軍の指導をしていた日本です。
どちらが反乱鎮圧を陳圧すべきかで揉めてしまう。
日本には人命の被害が出ているのです。
けれど日本は、人的被害は日本国内で処理をするし、もともと半島は清の冊封国だからという理由で、清軍に反乱の鎮圧を委ねました。
日本はどこまでも争いを避けようとしたのです。

ところが、その様子を見た閔妃一派は「日本は頼みにならない」と考えます。
それでさっさと親日開化政策を、親清復古政策に転換してしまう。

それなら、ということで、日本はKoreaに日本人被害者への補償、大使館の損害の補償を要求しました。
同時に、以後の日本大使館の警備のために、若干の日本兵の漢城駐留などを要求しました。
もっとも当時の半島に、賠償ができるだけの経済力などないし、閔妃の一派も、そもそも支払う気は毛頭ありません。

こうした現実に、半島の開明派の金玉均・朴泳孝・徐載弼ら、理想に燃える若者たちは、国王である高宗を担いで、閔妃の一族の皆殺しを計画します。
その計画とは次のようなものです。

金玉均らは「郵政局」の開庁祝賀パーティーに放火し、混乱の中で閔妃の一族の高官らを殺す。
混乱発生を名目に日本に保護を依頼し、日本から公使館警備の兵を派遣してもらう。
そして混乱に乗じて半島開化派の新政権を発足させて、朝鮮国王をトップとする立憲君主制国家をうちたてる。
その後、日本の助力のもとに近代国家への道を突き進む、という計画です。

なかなかしっかりした計画ですが、1884年12月に実行されたこの計画は、はじめの放火がそもそも失敗におわります。
無理やりパーティ会場に乱入して、閔泳翊ら閔氏一族を殺害するのですが、肝心の閔妃は取り逃がしてしまう。
要するに計画は失敗したのです。

ところが金玉均・朴泳孝・徐載弼らは新政府樹立を宣言します。
そしてその日のうちに、

(1) 朝鮮国王は今後殿下ではなく、皇帝陛下として独立国の君主とする。
(2) 清国に対して朝貢の礼を廃止する。
(3) 内閣を廃し、税制を改め、宦官の制を廃止する。
(4) 宮内省を新設して、王室内の行事に透明性を持たせる。
などの 革命政策を発表しました。

ここまでは、実に威勢が良い。
ところが、上に述べましたように、半島内の治安に責任を持っていたのは、この時点で日本でなく清国の袁世凱です。
(このあたり、本来であれば半島内の治安に責任を持つのは李氏朝鮮政府でなければならないのですが、いつのまにか清国軍が責任を持つように「論点ずらし」が行われています)

袁世凱が革命派のたてこもる王宮を攻撃すると、あっという間に新政府は壊滅してしまう。

からくも危機を脱した金玉均らは日本へ亡命するのだけど、朝鮮からの刺客が恐ろしい。
かろうじて逃げ出した金玉均は、日本に逃げ込み、その後上海に渡るのだけど、結局、閔妃の放った刺客によって暗殺され、遺体は半島に移送された後、五体を引き裂かれて、身体の各部を各地で腐るまで晒されています。残酷な話です。

この郵政局の開庁祝賀パーティでは、高宗王からの依頼で、日本軍が王宮の警備にあたっていたのですが、警備の30名は、袁世凱率いる清の大軍によって全員殺されてしまいます。
(亡くなられた将兵の方々は、いまなお靖国に祭られています。)


事件の翌年(1885年)4月、日本は伊藤博文が全権大使として、天津で清の李鴻章と会談しました。
そして亡くなった日本の将兵への清国への賠償請求は放棄するから、お互い、もう半島から撤兵しようともちかけます。
そもそも問題は半島内の勢力争いであって、日本と清国が衝突するような問題ではないのです。
会談はまとまり、日清両国は半島から撤兵します。
そしてその後10年、半島に外国軍隊の駐留がなくなります。

一方、日本からは民間レベルでの農業指導が行われます。
これによって半島から日本への輸出は、当時の朝鮮の輸出総額の90%以上、また日本からの物品の輸入は50%を占めるようになりました。
つまり半島は、貿易収支が黒字になったわけです。
半島経済はいっきに成長する。

さて、話はロシアに飛びます。
1900年に発生した清の義和団事件の混乱収拾を名目に満州へ侵攻したロシアは、この年、満州全土を占領下に置き、満洲の植民地化を既定事実化しようとしていました。
これに対し日英米が断固抗議。
仕方なくロシアは撤兵を約束しますが、ロシアは履行期限を過ぎても撤退しない。
それどころか、なんと駐留軍の増強を図ります。

この時期、清国の領土といえるのは、北京の紫禁城内だけです。
国土の南半分は事実上フランス領、南京から北京にかけての中原一帯は、事実上英国領です。
そして万里の長城から北は、ロシア領です。
こうした状況下で、ロシアの南下が自国の権益と衝突すると考えた英国は、1902年に日英同盟を締結し、日本と連携してロシアの南下をくいとめようとします。
国際情勢は、いよいよ緊迫していたのです。

一方、半島では閔妃が、相変わらず贅沢三昧の暮らしを送りながら、もっと贅沢をしたいからと、小遣い稼ぎに満州を勢力下においたロシアに、朝鮮半島ある鍾城・鏡源の鉱山採掘権や、朝鮮北部の森林伐採権、関税権などを次々に売り渡してしまいます。
これによって閔妃一族は大儲けです。
国際収支が大幅黒字で、しかも権益の売却によって大金を稼いだとなると、さぞかし半島内の景気は良くなっただろうと思うのは間違いです。
商業の活性化は、実は圧倒的人口を擁する農村部との貧富の差を広げるのです。

1894年5月、朝鮮で甲午農民戦争(東学党の乱)が起きます。
東学党というとなにやら政党みたいですが、宗教団体です。
この宗教団体が中心となって農民一揆をおこし、5月末までに、羅道全州を占領してしまう。

6月1日、朝鮮政府は清に派兵を要請します。
清軍の陳圧行動の中、当時、日本との貿易がさかんだった朝鮮には多くの日本人がいましたし、前の騒動で、日本人が婦女子まで虐殺された事実もあり、やむなく日本は6月10日になって、海軍陸戦隊400名(たった400名です)と大鳥圭介公使を漢城に派遣しました。

6月11日には、清軍は、一揆軍の政治改革案を受け入れて、暴動を鎮圧させます。
本来であれば、日本と清国の条約に基づき、暴動の鎮圧が終われば清国軍は速やかに半島から撤退しなければならない。
ところが暴動は鎮圧されたはずなのに、翌12日に、清は、牙山に陸軍を上陸させるのです。

日本は6月15日、大島公使が、清に対し、半島の平和のために、両軍が半島から撤兵すること、ならびに、朝鮮の内政改革については、日清共同で平和りに進めたらどうかと提案します。
しかし清は、この日本の提案に、なかなかウンといわない。
それどころか7月にはいると、牙山の清軍は、ますます増強され、7月20日には、4165名の陸戦隊が上陸する。
7月25日には、朝鮮の北西岸豊島沖で、日本の巡洋艦「秋津洲」「吉野」と「浪速」が、会合予定だった巡洋艦「武蔵」と「八重山」を捜していたところ、突然、海上にあらわれた清国巡洋艦の「済遠」と「広乙」が、21cm砲で、日本の巡洋艦を砲撃してきたのです。

一方的に撃ってこられたら、反撃するのは当然です。
数分間、互いに砲撃を交わした後の午前7時50分、日本海軍の応戦の前に、清国の『済遠』と『広乙』は逃亡します。
そこで日本の「秋津洲」が『広乙』を、
「吉野」と「浪速」が大きいほうの『済遠』を追いました。

『広乙』は追い詰められて座礁。
『済遠』は国旗を降ろして降伏の意を示したかと思えば突如、逃走を図るなんてことを繰り返しながら、清国軍艦『操江』と『高陞』(英国商船旗を掲揚)のもとに逃げ込みます。

日本の「浪速」は、一時攻撃と追跡をやめ、清国軍艦と押し問答をするのだけど、その隙に『済遠』はさっさと逃走してしまう。
「吉野」がこれを追跡します。
「吉野」の最高速度は23ノットです。
『済遠』は15ノット。

グイグイ追い詰められた『済遠』は、逃げながらも2門の21cm砲をバンバン撃ってきます。
「吉野」はジグザグ航法で、敵の弾を避けながら追跡。
「吉野」の砲門は15cmですから、飛距離が足りない。

それでも「吉野」は『済遠』をついに2500メートルまで追い詰めます。
すると『済遠』は面舵(おもかじ)をとって船を浅瀬へと向かわせる。
どういうことかというと、
『済遠』はドイツ製巡洋艦で2,300tで、喫水が4.67メートル。
「吉野」はイギリス製の4,216tで、喫水が5.18メートル。
浅瀬を利用して逃げようというわけです。

やむなく「吉野」は追撃を中止。
『済遠』は逃げてしまいます。

一方、「浪速」艦長の東郷平八郎大佐は『高陞』に停船を命じて臨検を要求します。
なにしろ明らかに清国軍艦なのに、旗だけは英国国旗を掲げているのです。
けれど『高陞』は停戦命令に従わない。
やむなく「浪速」は『高陞』を撃沈し、乗っていた英国人船員ら3人と、清国兵50名を救助して捕虜にします。

この海戦による日本側の死傷者及び艦船の損害は皆無。
清国は『広乙』が座礁、『高陞』が撃沈。

ちなみに「吉野」が追撃を中止した『済遠』は、なぜか清の発表では「大破」とされています。
しかも日本によって一方的に攻撃されたと発表。

戦いのあと英国商船旗が掲揚されていた『高陞』への攻撃について、英国国内の世論が沸騰しました。
ところが日本の『高陞』攻撃は、完全に国際法に沿ったものだったことが報道されると、英国世論は、沈静化します。

この海戦の2日後の7月25日、朝鮮政府から大鳥圭介公使に対して、牙山に上陸していた清国軍を撃退してほしいという要請が出されます。
やらなければ、半島にいる日本人の民間人がどうなるかわからないというのです。
やむなく日本は、翌7月29日に第9歩兵旅団によって牙城に立てこもる清軍を攻撃します。

午前2時、清国兵の襲撃により松崎直臣陸軍歩兵大尉ほかが戦死します(日本側初の戦死者)。
しかし午前7時には、日本軍は、敵陣地を完全に制圧してしまいます。

この戦いによる日本側の死傷者は82名。
清国は500名以上の死傷者を出し、武器等を放棄して平壌に逃走しています。
なお、この戦いで、第21連隊の木口小平二等兵が、死んでもラッパを離さずに吹き続けたという逸話が残っています。

7月下旬になると、清国軍は牙山から逃げ帰った兵士と併せて、合計1万2千名の兵員を平壌に集結させます。
日本は、あくまで開戦を避けようと、外交交渉を継続しますが、清はこれに応じない。

やむなく日本は、けじめとして、8月1日に清国に宣戦布告文を発します。
朝鮮の意思を尊重し、兵を引かないなら、日本は戦いますよ、ということです。

しかし宣戦布告しても、なかなか日本は、戦いをはじめません。
あくまで平和的解決のため、全力を尽くします。

ところが事態は一向に解決しない。
やむなく日本は、1ヵ月半後の9月15日、平壌の清軍基地への攻撃を行います。
同日午後4時40分、清軍は白旗を掲げて翌日の開城を約すのですが、そのあと清国軍は約束を違えて逃亡してしまいます。
そして、同日夜に日本軍が入城する。日本の大勝利です。

2日後、9月17日12時50分には、黄海上で、日清両艦隊が遭遇します。
先に攻撃してきたのはこんどもまた清側からです。

日本側は、旗艦「松島」以下12隻。
清国艦隊は18隻。
敵戦力の方が大きかったのですが、日本艦隊は、果敢に戦い、清国艦5隻を撃沈、5隻を大中破、2隻を擱座させて、大勝利します。

この海戦によって、清国艦隊は威海衛に閉じこもることとなり、日本海軍は黄海・朝鮮の制海権を確保しました。

このあと、10月25日には、山形有朋率いる第一軍による鴨緑江渡河作戦で、日本軍大勝利。
10月24日には、大山巌率いる第二軍が旅順を制圧し大勝利。
そして日本は、1895年4月の日清講和条約まで、清軍を相手に連戦連勝していきます。

以上が、日清戦争と日清戦争までの流れです。

多くの日本人は「戦争は宣戦布告によってはじまる」と思っています。
しかし事実は、日清戦争の経過にあきらかな通り、さまざまな出来事が重なって世相が泥沼化していき、複数の軍事衝突が重なってから宣戦布告が行われ、布告があったからと開戦に至るものでもなく、宣戦布告後も和平のための努力は重ねられるのです。

しかし日清戦争の内容を見ると、どこまでも血を流して戦っているのは日本と清国です。
原因をつくったKoreaは「?」です。

日清戦争を振り返ると、高圧的かつ頭ごなしに半島人に服従させてきたChinaと、
条約を守り、要請には誠実に応えなければならないと考える日本人や日本の政府、
貧困のどん底にあって糞尿まみれの生活を強いられている半島の民衆を、なんとか向上させてあげたいなどという余計な心配をする日本人の気質が複雑にからみあって戦争になったものであるように思います。

要するに何百年も頭ごなしに服従だけを強い、言うことをきかない者には厳罰をもって臨むというChinaの対韓方針の中で、自分たちの王朝や、一部の両班だけが酒池肉林の生活をしているという不条理を、日本が下手に同情したことが、結果から見れば争いの原因です。
もともとが糞尿まみれの穢族です。
放っておけばよかったのです。

日清戦争を、日本の対露政策によって開戦に至ったというのは、単に戦争の一側面にすぎません。
日清戦争は、誰がどうみても日本と清国の戦争ですが、よくよく歴史を振り返れば、李氏朝鮮内部の政治的紛争に、いつの間にか巧妙に日本が巻き込まれ、気がつけば日本と清国が、しなくもてよい戦争をする羽目になり、しかもその間、李氏朝鮮は、いつの間にか国土を日清両国に侵略された被害者になっている。

この、
 論点をすり替えて
 問題を拡大し
 他人を巻き込んで
 巻き込まれた他人同士が争い始めたら
 いつのまにか被害者のポジションをとる
というのは、歴史上繰り返されてきた半島人の卑怯卑劣な常套手段です。

私は戦争は絶対反対です。
二度と日本を悲惨な戦争に巻き込んではいけない。
それだけに、そうした卑怯卑劣は、それに輪をかけた卑怯卑劣な人たちに委ねて、一切関わりを持たないようにしていくことこそが、いまの日本にとって、またこれからの日本にとって必要なことであると思います。
そしてそのことが、日本が平和で豊かでいるために、最低限必要な要件です。


お読みいただき、ありがとうございました。


人気ブログランキング
↑ ↑
応援クリックありがとうございます。


講演や動画、記事などで有償で活用される場合は、
メールでお申し出ください。

nezu3344@gmail.com




関連記事

コメント
No title
ねず様今晩は。今がちょうどよい機会です。半島に関わると碌なことがありません。日韓断交が一番良い政策と思います。
2019/08/10(土) 20:02 | URL | 一有権者 #-[ 編集]
半島が統一した場合、脅威になるどころか反って影響力は減少する
 おはようございます。
 こうした朝鮮の特質についてはねずさんだけでなく多くの有識者が指摘してますよね。
 で、半島が統一した場合、核を持った脅威が対馬にまで迫ることになると半島の統一は危険であり日韓断交は日本の安全保障どころか太平洋地域の安全保障をもガタガタにしかねないと懸念を示す方もいますが、一方でアメリカが撤退して半島が統一した場合、太平洋方面に於ける脅威レベルは反って下がるかもしれません。
 というのも、韓国にはアメリカ軍が駐留しているのに、何故北朝鮮には中露の軍隊が駐留してないのか。これは半島とは関わりたくないということを暗に発信しているとしか思えないのですよね。
 現に、終戦間際にソ連が侵攻した時もすぐさま撤退して放棄してますし、朝鮮戦争でも参戦はしたけど休戦状態に入るとやはり駐留することなく撤退してますし。
 まあ現実的には陸路からの補給は思いの外効率が悪いせいもあるので面倒だからというのもあるのですが、中露は朝鮮民族の特質を知っているからこそ関わるとロクなことにならないから駐留していないのでしょう。多分アメリカよりもこの点では半島のことを理解しているのだと思います。
 なので、在韓米軍が正式に撤退し、韓国が北に吸収統一され、日韓関係も断交となった場合、中露にしても対立する理由がなくなるので援助の必要もなく半島は反って弱体化の方向に向かうでしょう。
 結局半島は分断されているからこそ反って価値がある訳で。
 長い目で見れば半島が李氏朝鮮時代へと逆戻りし、その内この世にあることを考えなくていい禁断の地となることが日米と中露のためでもあるし、仮に日本が半島には誰も手を出さない所謂真空パック状態で封じ込める条約をアメリカと中露に提案したら案外賛成しそうな気もします。
 因みに韓国が北に吸収統一されることに反対する方の中には、確かに韓国人は憎いけれども統一されれば数千万の韓国人が強制労働に駆り出され虐殺される怖れがあるとして人道的観点から問題視されている方もいるのが困りものですが。
2019/08/08(木) 08:57 | URL | kinshisho #eYj5zAx6[ 編集]
近代史の勉強も必要です
半島国の源流を訪ねるお話。
支離滅裂な裏切行為の歴史。
今も立ち直れない半島国家。
同情を通り越して呆れます。
激化する反日行為には反吐。
最早断絶するしか無いです。
2019/08/08(木) 08:54 | URL | takechiyo1949 #-[ 編集]
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する
*引用・転載について
ブログ、SNS、ツイッター、動画や印刷物作成など、多数に公開するに際しては、必ず、当ブログからの転載であること、および記事のURLを付してくださいますようお願いします。
ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
連絡先: nezu3344@gmail.com
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんのひとりごと」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「奇跡の将軍樋口季一郎」、「古事記から読み解く経営の真髄」などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。

日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
(著書)

『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』

『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦

『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
最新刊
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』

スポンサードリンク
カレンダー
11 | 2019/12 | 01
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
最新記事
最新コメント
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

リンク
このブログをリンクに追加する
リンク2
スポンサードリンク
<
カテゴリ
月別アーカイブ
スポンサードリンク
解析
スポンサードリンク
ねずさん(小名木善行)著書
↓最新刊↓


↓好評発売中↓








ねずさんメルマガ
ご購読は↓コチラ↓から
ねずブロメルマガ
ご寄付について
ねずブロはみなさまのご支援で成り立っています。よろしかったらカンパにご協力ください。
【ゆうちょ銀行】
記号番号 00220-4-83820
【他金融機関から】
銀行名 ゆうちょ銀行
支店名 〇二九(店番029)
種目  当座預金
口座番号 0083820
口座名義 小名木善行
【問い合わせ先】
お問い合わせはメールでお願いします。
nezu3344@gmail.com

講演のご依頼について
最低3週間程度の余裕をもって、以下のアドレスからメールでお申し込みください。
テーマは、ご自由に設定いただいて結構です。
講演時間は90分が基準ですが、会場のご都合に合わせます。
E-mail nezu3344@gmail.com

講演テーマ
<ご参考>
古事記に学ぶ経営学
古事記に学ぶ日本の心
百人一首に学ぶ日本の心
女流歌人の素晴らしさ
日本人の誇り
その他ご相談に応じます。
検索フォーム
スポンサードリンク
関連サイト
祝日には国旗掲揚を!
御国旗セット
¥2,190

大型御国旗セット
[ステンレス製3mポール付き]
¥4,800

御国旗伸縮ポールセット【大サイズ】
¥3,000

御国旗セット L
[ マンション設置用 Lタイプ テトロン 国旗 ]

台灣民政府
台湾民政府
サンフランシスコ講和条約で、日本は台湾に関して処分権は連合国に提供しましたが、領土の割譲は行っていません。条約以降、連合国も日本も台湾の処分先を決めていません。つまり台湾はいまも日本であり、台湾にいる1500万人の戦前からいる台湾人は、日本国籍を有する日本人です。私は台湾民政府を支持します。
お薦め書籍1

日中戦争-戦争を望んだ中国 望まなかった日本


江戸の自治制


幻の黄金時代


ドキュメント自衛隊と東日本大震災

スポンサードリンク
コメントをくださる皆様へ
基本的にご意見は尊重し、削除も最低限にとどめますが、コメントは互いに尊敬と互譲の心をもってお願いします。汚い言葉遣いや他の人を揶揄するようなコメント、並びに他人への誹謗中傷にあたるコメントは、削除しますのであしからず。
最新トラックバック
AdSense
コメントをくださる皆様へのお願い
いつもたくさんのコメントをいただき、ありがとうございます。
ほんとうに皆様のコメントが、とっても嬉しく、かつありがたく拝読させていただいています。

議論というものは、すくなくともこのブログのコメント欄が、国政や地方自治、あるいは組織内の意思決定の場でなく、自由な意見交換の場であるという趣旨からすると、互いに互譲の精神を持ち、相手を尊敬する姿勢、ならびに互いに学びあうという姿勢が肝要であると存じます。

私は、相手に対する尊敬の念を持たず、互譲の精神も、相手から学ぼうとする姿勢も持ち合わせない議論は、単なる空論でしかなく、簡単に言ってしまえば、単なる揶揄、いいがかりに他ならないものであると断じます。

ましてや、自分で質問を発したものについて、それぞれお忙しい皆様が、時間を割いて丁寧にご回答くださった者に対し、見下したような論調で応対するならば、それは他のコメントされる皆様、あるいは、それをお読みになる皆様にとって、非常に不愉快極まりないものとなります。

従いまして、謙譲・互譲・感謝、そして学ぶという姿勢のない連続投稿、粘着投稿に類する投稿をされた方については、以後のコメント書き込みを、管理人である私の判断で投稿の禁止措置をとらせていただきますので、あしからずご了承ください。
エディタ・コミュニティ
edita.jp【エディタ】
amazon
通州事件の真実
通州事件を実際に体験された女性の手記です。
クリックするとテキストファイルが開きます。
https://docs.google.com/file/d/0B9Dh1-gISO9CZERHN2oxempSeEk/edit
ねずブロの拡散・転載について
当ブログの日本の心を伝えるための適法かつ前向きな拡散はおおいに歓迎です。 ただし適法な引用でないと、著作権侵害で処罰されることがありますのでご注意ください。
RSSリンクの表示
FC2ブックマーク

PING送信プラス by SEO対策

QRコード
QRコード
スポンサードリンク