アクセスランキング

先人たちが目指した日本の姿。それは私達の国が常に「よろこびあふれる楽しい国(=豈国)」であり続けることです。


背中の静ちゃん

「ねずさんのひとりごと」は、ドメイン変更をしました。
ブックマークに登録してくださっている方は、登録変更をお願いします。(ドメイン変更日:2019年5月26日)
旧ドメイン:http://nezu621.blog7.fc2.com/
 ↓↓↓
新ドメイン:http://nezu3344.com



人気ブログランキング応援クリックこちらから。いつもありがとうございます。

平成31年度倭塾動画配信サービス受講生募集中


「兄ちやんは征きます。
 泣くなよ静ぃちやん。
 がんばれ!」
この言葉は、たくさんの大石伍長たちからの、「生きることができなかった未来を生きている私たち現代日本人に送られた言葉」といえるのではないでしょうか。


20190808 大阪大空襲
画像出所=http://atamatote.blog119.fc2.com/blog-entry-127.html
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)


昭和20(1945)年3月13日深夜から14日未明にかけて、グアムを出発した274機の米軍B-29の大編隊が大阪の町を襲いました。
世に言う「大阪大空襲」です。
約2千メートルの低空から、深夜の一般家屋をねらったこの空襲は、大阪の町に大火災をもたらしました。
そして一般の民間人3,987名の死者と678名の行方不明者を出す大惨事を招きました。

九州の任地でこの報に接した大石清伍長は、請願休暇をもらい、一昼夜をかけて大阪駅にたどりつきました。
大阪駅のプラットホームからみた大阪の街は、まるで焼けこげたトタン板を投げ出したような扁平になっていました。
見渡す限りの焼け野原です。
どこを見ても瓦礫の山でした。
その瓦礫の中に、男とも女とも区別がつかない黒こげの死体が、何百と散乱していました。

大石清伍長は、焼け落ちた電線や塀の倒れた上を踏み越え、松坂屋の残骸を目じるしに歩きだしました。
心の中で、ずっと
「生きていてくれよ、
 父ちゃん母ちゃん、
 静(しい)ちゃん」

と叫び続けました。

「静(しい)ちゃん」というのは、彼の妹の静恵さんのことです。

松坂屋の裏手にあった彼の家の附近は、あとかたもありません。
どこがどの家やら分らない。
焼けくずれて飛散した瓦や壁土に半ば埋もれた町会の防空壕だけが、暗い空洞をみせています。
近所や隣組の人たちの姿も見えませんでした。
探し疲れた大石さんは、その夜、壕のなかで眠りました。

翌日、大石さんは、やむなく隊に帰還しました。
その大石さんのもとに、3月25日、一枚の郵便が届けられました。
それは和歌山県の新宮にある母の実家を継いでいる、伯父からのものでした。



『ねずさんのひとりごとメールマガジン』
登録会員募集中 ¥864(税込)/月  初月無料!

20190317 MARTH


手紙には、母と妹は無事と、書かれていました。
大空襲の前夜に、父のすすめで天王寺から電車に乗せられ、東和歌山駅から鉄道で新宮に疎開していたのです。まさに危機一髪でした。

けれど父は亡くなっていました。
国民学校(いまの小学校)の教師をしていた父は、空襲の夜、学校に宿直していて、殉職したのです。

大石兵長は、その日の日記に次のように書きました。

「あゝ訓導としての使命を果せし立派なる父の死。
 ありし日の父の温顔を思ひうかべなば、
 万感、胸にこみあげ涙とめ難し。」


3月28日、沖縄に米軍が上陸を開始しました。
大石兵長のいる基地からも、沖縄に向けて振武特攻隊が出撃しました。
その日の午後、特攻の編成発表ありました。
大石兵長も特攻要員を拝命しました。

翌3月29日、
沖縄に向けて出撃した特攻機の戦果が発表されました。

轟沈 戦艦  1
   巡洋艦 3
   駆逐艦 6
撃破 戦艦若くは巡洋艦 9


昭和20年4月1日、その日は、満開の桜に、雲ひとつない青空が広がる日でした。
その日、大石さんのもとに、新宮の伯父から電報がありました。

「ハハ キトク
 チチノシ ツカレ」

(母、重態。父の死の衝撃と旅の疲れが原因)

大石さんは、鎌本軍曹殿の厚情を得て、区隊長殿から休暇をもらい、その日の15時には新宮の母の実家に向いました。
出発のとき、軍曹殿が、
「これ、みんなからだ」
と見舞金をくれました。

大石さんは、
「この温情、死すとも忘るべからず。
 父を失ひたる病床の母、
 幼なき妹、暗澹たる思ひ。
 車中にて涙流るゝ」

と日記に書きました。

このときの第六航空軍本部への鎌本軍曹の書状です。
「一、ト号隊員ノ遺族ニ関スル相談。
 〔相談〕
 隊員大石清伍長ノ父ハ
 国民学校訓導ナルモ先日殉職シ(四十四歳)
 家ニハ 重病ノ母(四十四歳)、妹(十一歳)一人ナリ
 家産ナク 父ノ収入ニテ生活シアリタリ
 家族ノ生活ヲ保証スル方法ナキヤ」


釜本軍曹は、特攻隊として旅立つことが決まっている大石兵長に代わり、軍の本部に「家族の生活の保証」を相談してくれていたのです。
日本陸軍を悪くいう人がいます。
しかし陸軍が大所帯を抱えていながら、このようなきめ細かい兵員管理をしていたこともまた事実です。
こういうところは、現代の企業や官庁の人事管理よりもはるかに深いと思います。

そういえば戦後のGHQは、理屈の上で日本軍の存在を否定し、そのため腕や足を失くされたり、目や耳を失われた傷痍軍人さんへの恩給もすべてカットし打ち切りました。
傷痍軍人への恩給が復活したのは、昭和27年に日本が主権が回復してからです。
多民族に支配されるということは、そういうことだということを、私たちは学ぶ必要があります。

話を戻します。
昭和20(1945)年4月8日午後7時、大石さんは隊に戻りました。
帰省の間に、母も亡くなり、彼は、父母の遺骨と遺品を、丹鶴城近くの桜の見える墓地に納骨してきていました。

納骨のとき伯父が言いました。
「(妹の)米子は、
 小(こま)い頃から
 お城の花が好きじやった」

大石さんは、ただ頭を下げることしかできませんでした。

大石さんは、母の実家に帰るとき、伯父に航空ウイスキーとタバコを持参しました。
叔母にはドロップと落下傘のマフラーを渡しました。
妹の静恵(静(しい)ちゃん)には、チョコレートと乾パンをみやげにしました。

別れ際、妹の静(しい)ちゃんのことを、伯父に「くれぐれもよろしく」とたのみました。
隊に戻るため新宮駅で別れるとき、妹の静恵は、泣いていました。
伯父夫婦も泣いていました。
せめてあと数日、妹の傍に居てあげたかった、それがいつわりのない大石兵長の気持ちでした。

4月22日の午後、特攻攻撃に関する授業がありました。
九七戦を爆装して燃料タンクを装着すると、速度が150km/hに落ちます。
その低速で、敵戦闘機網をかいくぐり、猛烈に対空攻撃をしかけてくる敵艦隊めがけて突入するのです。
ほとんど無理といっていいくらいの作戦です。
出撃すれば、帰れない。
大石さんは、自分の命は、ながくてもあと1ヶ月あるかないかと思いました。

思いを整理するために、妹に写真、伯父夫婦に手荷物などを小包にして送りました。
荷造りしていると、鎌本軍曹はじめ隊員のみんなが、これも入れろよと、航空糧食や煙草その他を渡してくれました。
その中には、隊のみんなで書いてくれた、妹への激励文もありました。
清は、隊のみんなとの、集合写真を同包しました。

【妹への手紙】
 静(しぃ)ちやん お便りありがとう。
 何べんも何べんも読みました。

 お送りしたお金、
 こんなに喜んでもらえるとは思いませんでした。
 神だな(棚)などに供へなくてもよいから、
 必要なものは何でも買って、つかって下さい。

 兄ちやんの給料はうんとありますし、
 隊にいるとお金を使うこともありませんから、

 これからも静(しず)ちやんのサイフが
 空っぽにならないよう、毎月おくります。

 では元気で。
 おじさん、おばさんによろしく。

 兄ちやんより」


昭和20(1945)年5月14日、福田助教殿が、沖縄洋上で敵艦船に突入し、壮烈な最後を遂げられました。
練成飛行隊では担任の先生でした。
当時の助教授殿の、明るい笑顔と勇姿が頭をよぎりました。
助教授が遺した遺文です。

「捨身殉国斃而後不已」
 捨て身の殉国、
 倒れて後に已(や)まん」


5月20日、大石さんは最後の日記をしたためました。

「いよいよ出発だ。
 苦楽をともにした整備隊員たちとも別れを告げ、
 今日、俺は機上の人となる。
 整備隊員の見送る中を飛び立ち、
 上空で翼を振り、
 機首を鹿児島に向ける。
 高度3000メートル。
 はるか機上から、
 亡き父母の霊に、
 幼き妹に別離を告げる。」

大石さんは、大空に去って行きました。

それからしばらく経ってからのことです。
妹の静ちゃんのもとに、一通の手紙が届きました。

【大野沢威徳からの手紙(万世基地にて)】
 大石静恵ちやん、
 突然、見知らぬ者からの手紙で
 おどろかれたことと思います。

 わたしは大石伍長どのの飛行機がかりの兵隊です。
 伍長どのは今日、みごとに出げき(撃)されました。
 そのとき、このお手紙をわたしにあづけて行かれました。
 おとどけいたします。

 伍長どのは、
 静恵ちやんの作った人形(特攻人形)を
 大へんだいじにしておられました。
 いつも、その小さな人形を
 飛行服の背中に吊っておられました。

 ほかの飛行兵の人は、
 みんなこし(腰)や
 落下さん(傘)のバクタイ(縛帯)の胸に
 ぶらさげているのですが、
 伍長どのは、突入する時、
 人形が怖がると可哀そうと言って、
 おんぶでもするように背中に吊っておられました。

 飛行機にのるため走って行かれる時など、
 その人形がゆらゆらと
 すがりつくようにゆれて、
 うしろからでも一目で、
 あれが伍長どのとすぐにわかりました。

 伍長どのは、
 いつも静恵ちやんと
 いつしよに居るつもりだつたのでしょう。
 「同行二人」
 仏さまのことばで、そう言います。

 苦しいときも、さびしいときも、
 ひとりぽつちではない。
 いつも仏さまがそばにいて
 はげましてくださる。

 伍長どのの仏さまは、
 きつと静恵ちやんだったのでしょう。

 けれど、今日からは
 伍長どのが静恵ちやんの「仏さま」になって、
 いつも見ていてくださることゝ思います。

 伍長どのは
 勇かんに敵の空母に体当りされました。
 静恵ちやんも、
 立派な兄さんに負けないよう、
 元気を出して勉強してください。

 さようなら。」


さて、最後になりますが、大石伍長の静ちゃんに宛てた遺書が遺されています。
ご紹介します。

【大石清伍長の遺書】
 なつかしい静(しぃ)ちやん!
 おわかれの時がきました。
 兄ちやんはいよいよ出げきします。

 この手紙がとどくころは、
 沖なは(縄)の海に散っています。

 思いがけない父母の死で、
 幼ない静(しぃ)ちやんを
 一人のこしていくのは、
 とてもかなしいのですが、
 ゆるして下さい。

 兄ちやんのかたみとして、
 静ちやんの名で預けていた
 郵便通帳とハンコ、
 これは静ちやんが
 女学校に上るときにつかって下さい。

 時計と軍刀も送ります。
 これも木下のおじさんたのんで、
 売つてお金にかえなさい。

 兄ちやんのかたみなどより、
 これからの静ちやんの
 人生のはうが大じなのです。

 もうプロペラがまわっています。
 さあ、出げきです。
 では兄ちやんは征きます。

 泣くなよ静ちやん。
 がんばれ!」


この二つの手紙は、神坂次郎(こうさかじろう)著『今日われ生きてあり』(新潮文庫)の中で、「背中の静ちゃん」として収録されています。

ブログ用に口語体に編集して掲載させていただきました。
原文はネットで読むことができます。
http://www.shinchosha.co.jp/books/html/120915.html

この本が出た時、神坂次郎氏が時代小説家であったこと、そして出撃した特攻隊員の中に「大石 清」という名前がなかったことなどから、このお話が世に出た当時、このお話が「単なる創作だ」という噂がかなり出回りました。
けれど、本文には妹の静恵さんが和歌山の木下という伯父のもとに引き取られたとあり、巻末には木下美代子(和歌山)という名前が取材先として書かれています。
おそらくこの方が大石兄妹の縁者であろうと考えられます。

戦後の一時期、元軍人であったとか、特攻兵であったとかいうだけで、世間からまるで人非人であるかのようなイジメを受けた時代がありました。
それは世間というより、三国人・戦勝国人を自称した日本人のような顔をして日本語を話す日本人でない人たちが中心になって行ったものでした。

静ちゃんは女児です。
その女児のことを思って、著者や遺族が実名を伏せるよう配慮したことも、ですから十分に考えられることなのです。

それに、この大石伍長のようなお話は、戦時中たくさんあったのです。
特攻隊に限らず、戦地で立派に戦われた幾百万の日本の兵士たち全員の、おひとりおひとりに、たいせつな人生があり、たいせつな家族や友や恋人がいたのです。

ですから大石伍長という人物がいたかいなかったかよりも、そういうことがたくさんあった、悲惨な戦争のさなかにあっても、私達の先輩たちはどこまでも人を愛する心を失わなかったのだという事実の方が、私にはとても重要なことと思えます。

彼らは、その大切な人が未来の日本に生きれるよう、立派に戦い、散っていかれました。
そして戦時中、自分の死を前にした兵隊さんたちが、何よりも大切にしたことが、自分の命ではななく、家族や弟や妹や、恋人など、自分の大切な人の命でした。
そしてその大切にしていただいた命こそ、いまを生きている私たちの命です。

戦後の日本の平和は、この大石清兵長の手紙に象徴される思いやりの心をもった若者達が、立派に戦ってくださったおかげでもたらされたものです。

「兄ちやんは征きます。
 泣くなよ静ぃちやん。
 がんばれ!」


この言葉は、たくさんの大石伍長たちからの、「生きることができなかった未来を生きている私たち現代日本人に送られた言葉」といえるのではないでしょうか。


※この記事は2012年11月の記事をリニューアルしたものです。
お読みいただき、ありがとうございました。


人気ブログランキング
↑ ↑
応援クリックありがとうございます。


講演や動画、記事などで有償で活用される場合は、
メールでお申し出ください。

nezu3344@gmail.com




関連記事

コメント
私達が呼び戻さねばならない心
早朝から涙を溜めています。
「静ぃちやん」様は、私より7~8歳目上の方と思われますが、もう亡くなられたのでしょうか。

正門を一歩出れば、社長もパートも、上司も部下もただの人?
個人の暮らし向きなど、知ったこっちゃ無い?

『同行二人』
釜本軍曹の心配り。
人の緣と思い遣りを大切にする心…現代を生きる私達が呼び戻さねばならない心だと痛感しています。

神坂次郎さんの書籍をねずさんから紹介されて読んだのは、数年も前のことですかね。
改めて読みたいと思いました。
2019/08/13(火) 08:19 | URL | takechiyo1949 #-[ 編集]
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する
*引用・転載について
ブログ、SNS、ツイッター、動画や印刷物作成など、多数に公開するに際しては、必ず、当ブログからの転載であること、および記事のURLを付してくださいますようお願いします。
ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
連絡先: nezu3344@gmail.com
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんのひとりごと」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「奇跡の将軍樋口季一郎」、「古事記から読み解く経営の真髄」などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。

日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
(著書)

『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』

『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦

『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
最新刊
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』

スポンサードリンク
カレンダー
07 | 2019/08 | 09
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
最新記事
最新コメント
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

リンク
このブログをリンクに追加する
リンク2
スポンサードリンク
<
カテゴリ
月別アーカイブ
スポンサードリンク
解析
スポンサードリンク
ねずさん(小名木善行)著書
↓最新刊↓


↓好評発売中↓








ねずさんメルマガ
ご購読は↓コチラ↓から
ねずブロメルマガ
ご寄付について
ねずブロはみなさまのご支援で成り立っています。よろしかったらカンパにご協力ください。
【ゆうちょ銀行】
記号番号 00220-4-83820
【他金融機関から】
銀行名 ゆうちょ銀行
支店名 〇二九(店番029)
種目  当座預金
口座番号 0083820
口座名義 小名木善行
【問い合わせ先】
お問い合わせはメールでお願いします。
nezu3344@gmail.com

講演のご依頼について
最低3週間程度の余裕をもって、以下のアドレスからメールでお申し込みください。
テーマは、ご自由に設定いただいて結構です。
講演時間は90分が基準ですが、会場のご都合に合わせます。
E-mail nezu3344@gmail.com

講演テーマ
<ご参考>
古事記に学ぶ経営学
古事記に学ぶ日本の心
百人一首に学ぶ日本の心
女流歌人の素晴らしさ
日本人の誇り
その他ご相談に応じます。
検索フォーム
スポンサードリンク
関連サイト
祝日には国旗掲揚を!
御国旗セット
¥2,190

大型御国旗セット
[ステンレス製3mポール付き]
¥4,800

御国旗伸縮ポールセット【大サイズ】
¥3,000

御国旗セット L
[ マンション設置用 Lタイプ テトロン 国旗 ]

台灣民政府
台湾民政府
サンフランシスコ講和条約で、日本は台湾に関して処分権は連合国に提供しましたが、領土の割譲は行っていません。条約以降、連合国も日本も台湾の処分先を決めていません。つまり台湾はいまも日本であり、台湾にいる1500万人の戦前からいる台湾人は、日本国籍を有する日本人です。私は台湾民政府を支持します。
お薦め書籍1

日中戦争-戦争を望んだ中国 望まなかった日本


江戸の自治制


幻の黄金時代


ドキュメント自衛隊と東日本大震災

スポンサードリンク
コメントをくださる皆様へ
基本的にご意見は尊重し、削除も最低限にとどめますが、コメントは互いに尊敬と互譲の心をもってお願いします。汚い言葉遣いや他の人を揶揄するようなコメント、並びに他人への誹謗中傷にあたるコメントは、削除しますのであしからず。
最新トラックバック
AdSense
コメントをくださる皆様へのお願い
いつもたくさんのコメントをいただき、ありがとうございます。
ほんとうに皆様のコメントが、とっても嬉しく、かつありがたく拝読させていただいています。

議論というものは、すくなくともこのブログのコメント欄が、国政や地方自治、あるいは組織内の意思決定の場でなく、自由な意見交換の場であるという趣旨からすると、互いに互譲の精神を持ち、相手を尊敬する姿勢、ならびに互いに学びあうという姿勢が肝要であると存じます。

私は、相手に対する尊敬の念を持たず、互譲の精神も、相手から学ぼうとする姿勢も持ち合わせない議論は、単なる空論でしかなく、簡単に言ってしまえば、単なる揶揄、いいがかりに他ならないものであると断じます。

ましてや、自分で質問を発したものについて、それぞれお忙しい皆様が、時間を割いて丁寧にご回答くださった者に対し、見下したような論調で応対するならば、それは他のコメントされる皆様、あるいは、それをお読みになる皆様にとって、非常に不愉快極まりないものとなります。

従いまして、謙譲・互譲・感謝、そして学ぶという姿勢のない連続投稿、粘着投稿に類する投稿をされた方については、以後のコメント書き込みを、管理人である私の判断で投稿の禁止措置をとらせていただきますので、あしからずご了承ください。
エディタ・コミュニティ
edita.jp【エディタ】
amazon
通州事件の真実
通州事件を実際に体験された女性の手記です。
クリックするとテキストファイルが開きます。
https://docs.google.com/file/d/0B9Dh1-gISO9CZERHN2oxempSeEk/edit
ねずブロの拡散・転載について
当ブログの日本の心を伝えるための適法かつ前向きな拡散はおおいに歓迎です。 ただし適法な引用でないと、著作権侵害で処罰されることがありますのでご注意ください。
RSSリンクの表示
FC2ブックマーク

PING送信プラス by SEO対策

QRコード
QRコード
スポンサードリンク