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夢の超特急「あじあ号」

新幹線が開通したのは、東京オリンピックが開かれた昭和39(1964)年10月1日のことです。
東京~新大阪間に開通した新幹線は、当時「夢の超特急」と呼ばれ、少年少女に未来への大きな夢を与えてくれた。
しかし、実は新幹線開業を遡(さかのぼ)る事30年前、実は日本は「夢の超特急」を完成、営業運転を開始していた・・・こう書くと、なんのことかと思うかもしれないです。
昭和9(1934)年11月1日のことです。
日本は、世界を驚嘆させる列車の運行を開始させました。
名前を「あじあ号」といいます。
初代新幹線(ひかり号)にも通ずる流線型のモダンな外観。
スカイブルーに塗装された美しいフォルム。
当時、世界で最も速かった営業車輌は、日本の特急「燕」の平均時速60.2Km、最高時速95Kmでした。昭和9年の時点で、最高時速100Kmを超える蒸気機関車は存在しなかった。
そんな時代に登場した「あじあ号」は、平均時速82.5Km・最高時速120Km。世界最速です。
車両は前から順に、手荷物郵便車、3等客車2両、食堂車、2等客車、展望1等客車の全6両編成。
しかもこの列車には、真夏の猛暑と冬場の極寒冷地(氷点下-40度)を走るために、全車両に密閉式の二重窓を備え、客車には冷暖房装置(エアコン)を完備されていた。
この当時にエアコン完備の列車なんて、他に例がありません。
この列車が、どこを走っていたのかというと、実は、満州国です。
「あじあ号」の開通により、それまで2日かかっていた大連→新京(現・長春)間、701.4Kmを、何と8時間30分で接続されました。
翌年になると、ソ連から北満州鉄道を買収し、大連→ハルビン間、944Kmに路線を延長。
当初、13時間30分、後には、12時間30分で接続した。
満鉄(南満州鉄道株式会社)がその技術の粋を集め、日満両国がその威信に賭け、世界に先駆けて完成実用化したその列車こそ、大陸縦貫特別急行「あじあ号」だったのです。
昨今では、なにやら戦前の日本というと、閉鎖的で偏狭なナショナリズムに占拠されていた時代・・・といったイメージで語られることが多いようです。
ところが現実にはまるで違う。もしかしたら現代日本よりはるかに国際的に開かれた眼を持ち、行動していた。

日本は、対馬海峡に面したプサンから大連までを鉄道で結び、大連からハルピンまでを鉄道で結んだ。
計画では、ハルピンから、オホーツク海に面したハバロフスクに、ハバロフスクでははるかヨーロッパに続くシベリア横断鉄道に接続、そして海底トンネルを経由して、樺太、北海道、本州を結ぶ・・・
明治末期の朝鮮鉄道路線図

朝鮮半島を縦断し、満州を通過し、シベリアから樺太、樺太から北海道、北海道から本州、本州から九州、九州から対馬、済州島、そして朝鮮半島に接続する大環状線です。
つまり日本は、なんと日本海を一周し、さらにヨーロッパにまで接続する夢の鉄道大環状線を計画し、さらにその大環状線をヨーロッパにまで接続しようとしていた。
ちなみにこうした構想は、いまのポッポ政権の軟弱外交における日韓対馬海峡縦断トンネル構想のような部分的なモノとは違います。
日本のもつ「庶民こそ大事」という哲学と文化を根底とし、日本国正規軍によって規律と治安を確保することを前提に行われたものです。言葉だけの「友愛」で、内実はシナや朝鮮のいいなりになり、彼れの侵略を是とする亡国のための開発とはわけが違う。

それだけじゃない。
昭和17(1942)年には、満州でアジア初の高速道路建設がスタートしています。
ハルビン(哈爾浜)から新京(現・長春)、奉天(現・瀋陽)を経て、大連に至る総延長900Km超の高速道路の建設を行っていた。
この工事は、建設着手から3年後の昭和20(1945)年、路線の一部が完成した状態で終戦を迎え、建設はシナに引き継がれたけれど、結局彼らには道路を完成させる技術力が不足し、日本は、シナの要請によって技術協力して、ようやく平成2(1990)年に、この道路が完成した(瀋大高速公路)。建設着手から、なんと48年を経由しています。
瀋大高速公路

ちなみに、哈大道路の建設着手は、昭和40(1965)年に全線開通した日本初の高速道路「名神高速道路」(愛知県小牧市─兵庫県西宮市)を遡る事、実に20年も前のできごとです。
さらにいうと、日本は満州で、世界屈指の豊満ダム(第二松花江ダム)を始めとして、鏡泊湖(牡丹江)・桓仁(渾江)・水豊(鴨緑江)などに巨大な水力発電用ダムを次々と建設した。「満鉄」、日本産業株式会社(鮎川財閥)を母体とする「満州重工業開発株式会社」によって、世界屈指の“重工業地帯”を、満州に誕生させています。
水豊ダム

昭和20(1945)年4月、毛沢東は、首都・延安で開催された中国共産党七全大会に於いて、
「もし、我々が全ての根拠地を失ったとしても、東北(満州)さえあれば、それだけで中国革命の基礎を建設する事が可能である」と述べています。
毛沢東がそこまで絶賛した満州工業地帯の発展は、間違っても毛沢東率いる中国共産党が開発してきたものではない。
日本が、苦しい歳費の中でまじめに取り組んできたものです。
わるいけどシナは、日本が築いたその膨大な遺産を食いつぶしただけです。
それだけじゃない。世界に誇る「あじあ号」の走る満鉄ひとつをとっても、当時シナは、奉天鉄道事務所管内だけでも、電話線を切ったり、線路をはがさしたり、はては日本人鉄道警備員を拉致したり、1年間に30万を越える被害を発生させていた。
さらには衆をたのんで、少数の日本人駐留員を襲い、虐殺し、女を死ぬまで強姦し、子供の手を針金で縛って10本の指を切り落としたりしていた。
話を続けます。
戦前の日本が計画していた路線構想は、戦後も生き続けます。
そのなかで誕生したのが、実は昭和63(1988)年3月13日に営業を開始した青函トンネルです。
青函トンネルは、読んで字のごとく、青森と函館を結ぶトンネルです。
このトンネルは、津軽海峡の海底下約100mの地中に設けられた、全長 53.85 kmのトンネルで、2009年現在、トンネルとして世界一の長さを持っています。ちなみに2位は英仏海峡トンネル(50.5km)です。
ついでにいうと、いま青函トンネルは、新たに新幹線規格のトンネルが計画されていて、将来は、北海道新幹線が通る予定になっている。博多で乗った新幹線が、ノンストップで札幌にまで到着できる日がくる。考えただけで、なんだかドキドキします。
日本中が景気悪化で失業者があふれ、給料が減り、中小零細企業がバタバタと倒産している中で、どっかの政権は、政府支出を減らして予算を削ると言いながら、実際予算を編成してみたら、前の麻生内閣のときより総予算枠が増えていたなどと、アホとしかいいようのないことをやっていますが、景気の悪いこういうときにこそ、こうした夢のある事業を推進してもらいたいものです。
青函トンネルの着工は、昭和36(1961)年ですが、先に述べたとおり、この計画は戦前からのものです。
青函トンネルができる前までは、青森ー函館間には、青函連絡船が渡っていました。
石川さゆりの津軽海峡冬景色・・・
上野発の夜行列車 降りたときから
青森駅は 雪の中
北へ帰る人の群れは 誰も無口で
海鳴りだけを 聴いている
私もひとり 連絡船に乗り
こごえそうなカモメ見つめ泣いていました
ああ 津軽海峡 冬景色
北海道へ渡る人も荷物も、青森駅でいったん降り、連絡船に乗り換えて函館に渡り、そこから再び鉄道に乗らなければならなかった。
連絡船は、寒空の海の上を3時間です。
終戦後まもなく朝鮮戦争(1950-1953)が起こりますが、この直後から北朝鮮が流した浮流機雷がしばしば津軽海峡に流入しました。これにあたったら、連絡船はひとたまりもなく沈みます。
昭和29(1954)年には、台風による暴風雨で、函館港外で洞爺丸が沈没。この事故で1155 名の死亡者が出ます。さらに他にも4隻の船が海難事故にあう。
航路は脅かされるし、事故も起こる。政府は終戦の翌年の昭和21(1946)年には、すでに青函トンネル工事のための地質調査をすすめていたけれど、こうした現実の事故の発生によって、いっきに計画が具体化の方向に進みます。
戦後間もない頃です。政府の税収もまだまだ低かった。
そうした中で、四半世紀を要し、総額9,000億円の大工費が開始されたのです。
ちなみに、開業前には、政府の行うこの工事に対して、開業前には要した巨額の費用と収益があまりにも釣り合わないとして「無用の長物」、「昭和三大馬鹿査定」、「泥沼トンネル」などと揶揄されたこともあった。
「昭和三大馬鹿査定」というのは、昭和62(1987)年に、当時の大蔵省主計官田谷廣明が述べた言葉で、「昭和の三大バカ査定、と言われるものがある。それは戦艦大和、伊勢湾干拓、青函トンネルだ」から一躍有名になった言葉です。
昭和の勘定奉行としての田谷さんの言葉もわからないではないが、それは経営者(施政者)の言葉ではない。
会社経営が、経理士感覚だけではまかなえないのと同様、国家の経営も、一介の財務官僚のレベルで語り尽くせるものではない。
巨大不沈軍艦である戦艦大和は、日本人の永遠の夢だし、その大和建造の技術と実績と信用が、戦後の日本の造船業の大発展の基礎を築いた。
伊勢湾干拓は、伊勢湾台風によって堤防が決壊し、壊滅的被害を被ったりもしたけれど、いまや中部地区の一大物流拠点です。そもそもこの伊勢湾干拓計画は、明治8年のものです。
そして今日、青函トンネルが、北海道物産の興隆にどれだけ貢献しているか。
俺は北海道へ行くときはいつも飛行機だなんて思う人もいるかもしれないけれど、重たい荷物を運ぶのは、やはり鉄道の仕事です。
ほかにも当時の野党(主に社会党)からは「トンネルを放棄してセメントで封鎖すべきだ」とか、「道路用に転用すべきだ」、「キノコの栽培をすべきだ」、「石油の貯蔵庫にすべきだ」等、わけのわからない主張が次々に出されていた。政府のムダ遣いの元凶のように言われ続けた。
いま、首都圏では、千葉や埼玉、三多摩地区が、いわゆる東京のベットタウンとなっています。そのベットタウンも、ほんの30年前までは、ほとんど農地や原野だった。
実はね、ボクのオヤジが、ボクが産まれて間もないころ、東京・板橋に戸建住宅を建てたんです。田んぼの中の一軒家だった。となりのトトロに出てくる田舎の田んぼだらけの土地の中に、ポツンとある家だった。ちかくに私鉄のちいさな駅舎があった。
あんまりにもさみしい土地だったので、母がとうとうまいってしまって、その家を売ってしまいました。土地が安かったのでね、200坪くらいあったらしい。引っ越した先が、日吉の日本初の団地です。当時は建物の周囲にはドブがあって、ちいさなねずきちは、そこに落ちて額の横を大きく切ってしまいました(笑)
いまね、その板橋の土地は、ものすごく大きな板橋の商業の中心地として発展している。
西武鉄道、東武鉄道、小田急、京王、京成電鉄・・・
それぞれ営業したての頃は、なんにもない田舎を走る単線電車でした。
でも、駅ができ、駅周辺に家が建ち、人々が生活するようになってお店ができ、ビルが建ち、町が発展する。人々が交流する。文化が広がる。
国家の建設や運営というものは、単に目先の予算だけの問題じゃない。
国家100年の大計にたって、この国をどうするか、そして周辺諸国との関係をいかに築くかという大局の上にたって行われるべきものです。
最近は、ダム開発の見直し(中止)や、公共工事によるいわゆるハコモノ財政への見直し論が盛んです。
しかしちょっとビルを建てるとかいうものと違って、ダムや、鉄道、道路の整備などは、100年、1000年の未来の人々の生活と、その夢に向かって築かれるものです。
目先の人気取りや、政治家の私腹、売国やねつ造史観の受け入れなどのためのものでは、断じて、ない。
はるか明治時代に生まれた、日本海一周の大環状鉄道構想。そしてその中で生まれた世界最長の青函トンネルと、思いをおこしたとき、人種差別撤廃を高らかに謳いあげて立ち上がった戦前の日本が、何をもとめ、何を行おうとしていたのかが胸にせまる思いがします。
欧米の植民地政策によって、東洋人が絞りに絞りとられ、ヒト以下の動物としてしか見られていなかった時代に、日本は、はるか大きな大東亜建設の夢に向かって時代を切り開いていた、といえるのではないでしょうか。
そしてその先に夢見ていた日本人が理想と描いた社会は、人類が平等であり、治安の保たれる法治社会であり、それぞれの民族が共に栄え、自由に意見が言え、教養にあふれ、建設の息吹に燃え、平和で豊かで、高次の道義心と志操心を持った理想社会だったといえるのではないでしょうか。
そうそう!
最後にね、実は、青函トンネルって、4本あるんです。
海底部標準断面図

(1) 本坑 (2) 作業坑 (3) 先進導坑 (4) 連絡誘導路です。
最初に、先導トンネルを掘削し、その次に作業用のトンネルを掘る。それから本トンネルの工事です。長い長いトンネルを掘るときには、火災や落盤事故に備えるために、実に入念な工事が行われるんですね。単にトンネルをほるだけじゃなくて、ちゃんと作業員の安全と、完成後の万一の場合の避難経路をちゃんと考えて作る。
どっかの国では、架けた橋が簡単に崩落したり、トンネルやダムが簡単に決壊したりしていますが、日本はまるで違う。
ねずきちは、こういったところにも、日本的な美学のようなものを感じてしまいます。
やっぱり日本て素敵です♪
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パシナ形蒸気機関車 「あじあ号」(満鉄)
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つまり、当時の満鉄の技術力は世界水準に達していただけのことであり、まかり間違っても世界最高ということはありえません。また当時の満鉄の許容軸重は、範としたアメリカに遠く及ばないものでした。
あじあ号が世界に先駆けたものは、1.全車両を流線型デザインにしたこと。ただし最高速度130km程度では空気抵抗の軽減にはほとんど寄与せず、かえって重量増によるデメリットがある。2.客車全車両のエアコン完備。文字通り世界初。ただし肝心のエアコン装置はアメリカ製。くらいです。
例えばこれ。
http://yamasans.blog34.fc2.com/blog-entry-50.html
たいていの利用者にとって連結器は「空気のような存在」ですが、そういったことひとつとっても凄いことです。
あるいはこれ。
http://www.tanken.com/dangan.html
といっても私はナチスやクメールルージュのようなものは国を滅ぼすと思いますので、そういう政治を支持はしませんが、その場その場の状況の中で最善を尽くした我が国の先人に敬意を表すべきと考えています。
ぎッちゃん です。
私の思うことを書こうと思います。
2001/11/03のTV番組:「ビートたけし・塩野七生のイタリア三つの都の物語」
であった、以下の内容は、
----------------------------
民主主義はいいかげん。
民主主義というのは、すべての人が判断を持っていると言う
ありえない前提で成り立っている。
他に方法がないから、民主主義を使っているだけ。
----------------------------
その番組を見ているときは、政治にあまり興味がなかったこともあり、
ほとんど理解できませんでした、、、
最近、身にしみて理解できたように思うのです。
ほとんどの人が、自分のことで精いっぱい。
子ども、仕事、養護、、、
政治に関心を持っている余裕がない方ばかり、、、
そんな人達が選んだ政治家が、しっかり政治ができるのか???
かといって、民主主義に替わるものは ない、、、
歴史上にもないように思う、、、
でも、インターネットが普及した今の時代なら、
なんとかなるような気がしてきました。
民主主義でも うまくやればいいと思えてきました。
"政治に関心を持っている余裕がない人ばかり"
という条件があるのならば、
それを 理解したうえで、動けば良いのではないかと思うのです。
具体例をあげると。
・学力のない人でもわかる文章をつかう。
・現状を(一枚の用紙用)にまとめ、その用紙を簡易に印刷可能に。
・奥さん達の噂に上がるようなサイト構成。
日本人なら、
余裕があり、しっかり現状を理解できているのなら、
民主党 に投票することはないと思うのです。
同時に顕宗天皇と皇后、仁賢天皇と皇后を、ご神体とするので「夫婦和合」の神様だとも、聞きました。
たしか、江戸時代。姫路の酒井の殿様が領地巡回のおり、このご神体に無遠慮に手を伸ばした瞬間「全身にシビレ」を感じ、畏怖し、お詫びに山を寄進したそうで、今も「シビレ山」と呼ばれています。
神社には大がかりなものでも「神様が鎮座されていないもの」があり、また、地味なものでも「あらたかな神力」のあるものがあるーと、聞きますが、ここの神様は確かに鎮座まします。
天皇さまのみ社で天皇さまの勅語を配布するのは、とてもさいさきの良いことだと思いました。とても、嬉しい日でした。
壮大な構想であったようですが、やはり日本人被害は計り知れないですね。すべては日本人の民度のうえではなりたったのでしょうが、社会党など(中共)の思想では、発展も進歩もできないのだと、資金と被害までだしてきて、その夢も努力も悲惨な追い討ちだったことは、先人たちの気持がつらく今心に残ります。
国の発展にこれだけがんばっても、この国は思想が違い、かかわるほどマイナスな歴史の繰り返しでありながら、民主が妨げます。今からでも地方の充実(日本は都市部にしか住んでないのが問題)こんなに交通が網羅した国はありません。もっと広い地域に分散すべきだと思います。3~5時間でだいたいどこでも移動できるサイズなのですから・・・
当時の人の覇気や政治が全然違いますが、今はもっと日本の地方(過疎地)にみんなで住みやすくしてもいいのになと思います。朝鮮、中国とはかかわらないのが、いいのはもちろんですが、日本国内が日本人でくまなく網羅しないと、不安でもあります。
天皇好きの私はいずれは(今は奈良時代が目一杯)
伺いたい神社です。
中国は北京・上海を見ても明らかなように、自前で空港や高層ビル群を構築する気概を持ち得ない国です。
織田信長が日本統一後に、世界に覇業を進めていたら...、太平洋戦争をアメリカが防共のため、日本と手打ちをしていたら、
逆説的ですが、日本は人材流出に耐えかねて滅んでいたかもしれません。(よくぞ国内のことを放っておいて、これだけ海外に「仁」を為したと呆れるほどです。)
そこまでして造り上げたインフラを、特アの人間ときたら意地でも使わないならイザ知らず、十二分以上に活用しながら恨み節を吐く。
これからの100年、石油なき文明が世界帝国を維持し得るかはなはだ疑問ですが(案外アメリカが最後の世界帝国かもしれません)、日本が世界帝国になった姿も見てみたい気がします。
そのころには「大港都百年の計」という言葉がありました。
神戸港一個の発展、一都市の繁栄を目指すのではない。
世界に冠たる日本になるために、神戸の港は、どういう役割を果たし、どの方向にあゆんでいけばいいのか・・・大港都100年・・・この壮大な言葉の力・・・それに引き換え、戦後は、すべてを矮小化して・・・
戦前には、満州経営、台湾経営、半島経営・・・それぞれに大きな計画ではつらつと前進できた・・・
どうすれば、一体、どうやったら、自信を取り戻し、もとの、素朴さ、おおらかさ、日本本来の太陽の国に戻れるのだろう。
そのさい、日心会のHPから取り出した「教育勅語」を100枚印刷してもっていき、休憩時間に、「最近の教育はおかしい、子供が親を殺し、親が子を殺すなんて、本来ありえない。やはり、教育勅語を復活させるべきだ。みなさんは、私と同じ年頃だから、偏見をもっていらっしゃるか、まったく知らなかどっちかでしょう。ぜひ、読んでください」と、申し上げました。近くにいる人が、うなずいて、私から原稿の束を受け取り、全員にくばってくれました。
数枚余ったものを、花道の上に戻してくれた時、風で、飛びそうになりました。
私は、思わず、地金が出て、足で、踏んづけて防ごうとして
「ひゃ!えらいこっちゃ。天皇さまの神社で勅語を踏んじゃった!」と、叫びました。
やまとおのこさんのコメントで、私も、あらためて自分のコメントを読み返し!
感心しました。
おいおい、本当にこれ、私が書いたのかよ!
それと、同時に、今日、どれか一枚だけ原稿を持って行こうと考えて、迷うことなく教育勅語にした、自分の思いがかりそめでなかったことを実感しました。
だから、言葉は少なかったけれど、みな、うなづいて、大事そうに、バッグにしまってくれました。そのへんに、ほっていった人は一人もいませんでした。
「首藤信彦」なる人物のブログを一度拝読してみて下さい。「さすがはミンス党!」といった具合のブログです。
「首藤信彦」「ブログ」で検索すればヒットします。
ニコニコ動画から拾ってきました。
ねずきちさんの言っていた「橋の落ちるどこかの国」のクオリティを判りやすく紹介したものです。舞台はパラオです。パラオって海が綺麗ですね。
修正有難うございます。
これでまた不信感無く貴ブログを見る事ができます。
10月27日(火)16時30分に日比谷公園大噴水前をスタート
当日請願書を持参出来なかった方の用紙と筆記用具は受付に用意してあります
ttp://sitarou09.blog91.fc2.com/
この請願は日本を守る最後の保守団結になるかもしれません
請願書提出と周知活動のご協力よろしくお願い申し上げます
『水間条項』
ttp://mizumajyoukou.jp/#w415d9f0
国民の総力で日本解体を阻止しよう
ttp://www.youtube.com/watch?v=k-UjTLKKR_c&hd=1
5月、その頃はネットを始めて2ヶ月、西松事件で小沢一郎サイトの常連でした。(政権交代→政界再編派)
一連の売国法案を知ったのは、「日本列島は、日本人だけの所有物ではない。」のポッポ暴言がきっかけです。(お恥ずかしい)
ポッポ批判は軒並みボツ、小沢民主に愛想を尽かして、あっちこっち覗いていて辿り着いたのが、この“ねず機知ブログ”でした。
居心地がいいんで、いい気になって羽根を伸ばしていると、常連の仲間に間違われますが、まだ4ヶ月そこそこの「常連見習」っていうところです。
態度がデカいので誤解を招きます、ホンマにすんまへん。
たまに過去にさかのぼって記事を見てみると、ねず機知ブログの急成長と意外な人が古株なのに驚かされます。
追伸:「教育勅語と日教組」を覗いて見ました。
壮絶ですね、やまとおのこさん。
私たちは、先人たちに寄り添って・日本の過去を理解しようと努力し考えている。
素浪人くんは、現在のしかも左翼の価値観で・日本の過去をその図式に当て嵌めて鬼の首を取った気でいる、「だだっこ左翼」ですね。
頭がいい分理屈は達者ですが、あれを少し幼稚にすれば(あーら不思議!)りょーたろーです。
三階建とあばら家の違いはあれど、土台が狂っている、「砂上の楼閣」左翼ですね。
(私が“最新コメント”の活用法を覚える以前の攻防でした、不覚!)
今年5月5日の古くて新しい教育勅語と日教組のことが記録してありましたので、何に感動したのか読み返してみました、やはり素晴らしいと思いつつコメント欄を見てビックリ二ヶ月がたっているにも関わらず素浪人が出てきて盛り上がっているではありませんか。(ねずさんのブログはコメントの多さと日にちが経ってからでも盛り上がりますね)
八潮さん、bbさん、あきちゃさん、風さん、もちろんかぐやひめさん、Layさんも登場、TTMさんがいないのは残念ですが、最後の締めくくりに日高よし子さん、みなさんのコメントは痛快です、特に八潮さんの「私はそうですが、何か?」はかぐやひめさんの後に私も続きます。
思えばこのころからかぐやひめさんのコメントに注目するようになったようです、(勿論女の方とは思ってなかったですが)
今日もとりとめもない話で恐縮です。
優秀な政治家・技術者が朝鮮・台湾・満州に渡っています、今でも中国共産党は日本帝国の真似をして国造りに励んでいる。
大連・京城・平壌・台北は全部日本が作り出した都市ですね都市インフラ・鉄道・港湾等々~今に政治家もせめて50年先でも見て欲しいですよ。来年も判らない様な政治じゃ日本国家・日本人が可哀想・・・
学生時代北海道網走まで、貧乏旅行をしました。何と無謀なことに上野から青森まで急行、連絡船、函館から網走までまた急行。まる二日乗り継ぎ乗り継ぎ、札幌で途中下車して味噌ラーメンを食べたのが、唯一の贅沢。それと連絡船で食べたソフトクリームはとってもおいしかった。
もっとも、網走には網本の先輩がいて、着いてからはけっこう贅沢させたいただきましたが。
函館は主人のふるさとなので、よく行きます。surnviersさんと同じで(急用で行くことが多いので)飛行機になってしまいます。一度は北斗星、カシオペアで行くのが夢です。ただ函館着が午前4時過ぎだったかな?どうしても札幌着が優先されるから仕方ないのかも。朝市はその時間から始まっているから、おいしい朝ごはんには事欠かないと思います。函館駅前も見違えるようにきれいになりました。朝市は函館駅のまん前です。
民主党のこの一ヶ月の迷走を見ていると、とても国としてどういう未来を設計しているかなど、眼中になくただただ「良いカッコしい」。それもなんとも子どもっぽいパフォーマンス。保守勢力はこの間に爪をよ~く磨いておいて欲しいです。
日本は本当に植民地に本土以上のインフラを整えていたんですね。
なんだか、今の日本からは信じられませんが。
でも歴史を色々調べるとそうみたいですし。
青函トンネルは通った事がありませんが、そんなに凄いものだとは知りませんでした。
うーん、でもワシは羽田が直近くなので飛行機になってしまいますね、きっと。
(; ̄ー ̄A アセアセ・・・
イギリス人が本で書いていたように、満州が安全で豊かで、とても素晴らしかったから、、、、シナ中国人が押し寄せたんですよね