• 【緊急拡散】口蹄疫問題に関する衆議院の質疑の模様


    人気ブログランキング ←はじめにクリックをお願いします。

    絶対に、見てください。
    そして拡散してください。

    2010.5.20【口蹄疫問題】江藤拓議員(衆議院本会議)


    2010.5.20【口蹄疫問題】江藤拓議員その2


    ↑この動画は、江藤拓議員の衆議院本会議での質問の際の様子の映像ですが、民主党議員たちのヤジと怒号は、すさまじいものです。

    とくに後半では、マイクを持った江藤議員の声すらもかき消すほどすさまじい。

    この動画には、江藤議員だけでなく、赤松農相もずっと写っています。

    是非、動画をご覧になってください。
    赤松農相は、江藤議員の真剣な訴え、地元の声を、まるで「聞こう」としていない。
    口蹄疫という国家的大問題に対し、まるっきり真剣な態度や姿勢が見えません。

    さらにこの質疑では、口蹄疫問題の総責任者であるはずの鳩山総理は、質疑の直前に姿を消しています。

    加えて、ありえないこと、あってはならないことに、これだけ重大な問題に対し、2階のマスコミ席は、ガラガラです。
    いつもなら各マスコミのカメラの砲列で一杯なのです。
    これは衆議院の本会議なのです。
    にも関わらず、メディアのカメラがまるでいない。
    事前に「来るな」という圧力でもあったのでしょうか。

    民主党議員たちのヤジを、よく聞いてみてください。
    宮崎で現に10万頭以上の牛や豚が処分されているという現実にあって、ただ怒鳴り、怒号をあげ、まるでヤクザです。
    質問そのものを「ヤメロ~!オラ」なんていう声も聞こえる。
    足踏みする者、机や床をドンドン叩く者。
    ひとりふたりじゃないんです。
    会場にいる民主党議員、みんなでやっている。
    これはいったいどういう神経なのでしょうか。

    私たち有権者は、こんな連中を議員に選んだのですか?
    それって正気ですか?

    この動画を撮影し、掲載した「やまと新聞社」には、この動画のアップ以降、ものすごい数の嫌がらせが舞いこんできているそうです。

    江藤先生もおっしゃっておられますが、口蹄疫の問題は、「緊急事態だから政党を超えて対応をしなければならない」国家の重大問題です。

    にも関わらず、民主党議員のこの「人の話をまったく聞こうとせずにヤジや怒号を飛ばし続ける態度、あるいは、まるで人の話を聞こうとしない赤松農林大臣、衆議院の本会議そのものをすっぽかす口蹄疫問題総責任者の鳩山総理らは、いったいどういう神経をしているのでしょうか。

    撮影をし、報道をした「やまと新聞社」は、この報道で、今後の国会議事堂内での撮影許可が降りなくなる可能性もあるとか。(要するに出入り禁止です。)

    とにかく、ありとあらゆる機会を通じ、この冒頭の動画の拡散をみなさんにお願いしたいと思います。

    目を覆いたくなりますが、これが現実なのです。

    URL
    http://www.youtube.com/user/YamatoPress#p/u/1/_bgHL44MNjU

    http://www.youtube.com/watch?v=mfavIkEI0-4&feature=related

     ↓クリックを↓
    人気ブログランキング


    日本の心を伝える会 日心会
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    \  SNSでみんなに教えよう! /
    \  ねずさんのひとりごとの最新記事が届くよ! /

    あわせて読みたい

  • アンガウルの戦いと人種差別


    人気ブログランキング ←はじめにクリックをお願いします。

    舩坂弘さんと三島由紀夫さん
    舩坂弘さんと三島由紀夫さん


    5月20日の記事で、舩坂弘さんの書いた本をすこしご紹介させていただきました。

    実際に玉砕したパラオのアンガウル島で戦った人の実話です。

    彼の書いた本「英霊の絶叫」(光文社)は、三島由紀夫氏が序次を寄せており、実際の体験者の書いた本として、史料的価値も非常に高い本です。

    舩坂弘さんは、軍曹としてアンガウル島に赴任し、わずか1200名の仲間とともに約22000名の米陸軍第81歩兵師団を迎え討ちます。

    この第81歩兵師団というのは、「山猫部隊(ワイルドキャッツ)」と異名を持ち、ハワイで特別上陸訓練を受けた米軍選りすぐりの強固な兵です。

    兵だけではありません。
    米軍はこの小さな島と、隣のペリュリュー島を攻略するために、マーク・A・ミッチャー中将率いる米軍第38機動部隊、通称「快速空母群」を派遣しています。

    航空母艦約11隻、戦艦2隻、巡洋艦十数隻、駆逐艦35隻という威容です。

    そんな大軍を前に、アンガウルの日本人は、一ヶ月以上も島を持ちこたえて戦っています。

    舩坂弘さんは、昭和十九(1944)年四月二七日に、この島に着任しています。

    上陸早々から、敵グラマン機動隊の空襲を受けたそうです。
    友軍の機影は一度も見られない。
    この時期、すでに日本は制空権を失っていたのです。

    上陸早々から、島の守備隊は「水際撃滅作戦」のために、島の海岸線に広範囲に障害物を設置し、沿岸に鉄条網を張り、さらに鉄条網の内側に石垣を組み、そのまた内側に深い戦車壕をめぐらし、そのまた内側に各招待や分隊の陣地を二重、三重にめぐらせるという作業にかかります。

    南方の炎暑のもとでの作業です。

    本来なら、こうした土木作業は工兵隊の仕事です。

    しかし当時の日本には、すでに彼らを派遣するだけの余裕はなかったのです。だから守備隊員が、慣れない土木作業に身を粉にして働いた。
    守備隊全員は、昼夜の別なく重い石を運び、砂と汗にまみれて炎熱下の作業に堪えます。

    そのときの様子は、強制重労働に従事する土方や人夫に等しかったといいます。あまりに苛酷な作業に、病人さえも続出した。毎日が拷問を受けているようにすら感じられた。

    水は雨水の利用だけです。
    食料は備蓄していたけれど、万一のために節食をしていた。

    「早く敵が上陸しねえもんかねえ。もう俺は一刻でも早く敵の弾に当たって死にたいよ」
    そんなぜいたくな愚痴さえも出た。

    舩坂弘さん自身も、壕掘りのために掌は血に染まり、指は固着して動かなくなり、熱病にうなされ、暑さと過労で体から汗が一滴も出なくなる、そんな状況での作業だったと書いています。

    ≪日本には肉親がいる。家族の暮らしている本土に米軍を絶対に近付けちゃならない。この島を敵に渡してはならない≫

    その一念だけで、作業をこなした。

    そして「このくれえ頑丈にしときゃ、敵さんも一人も上陸で決めえ」
    誰もがそう思えるほど、島の水際守備は頑丈に構築されます。

    昭和一九年九月六日、洋上に並んだ敵船団は、一斉に島に向かって艦砲射撃を始めます。

    空からはB-24や艦載機を使って銃爆撃を浴びせる。

    七日には、洋上に敵潜水艦が出没して、いよいよ事態の切迫を告げ、八日には艦載機による空爆がいよいよ激しくなる。
    十二日以降は、艦砲射撃の量は一日に千数百発という数に達します。

    おかげで、せっかく苦心して造った水際陣地はひとたまりもなく破壊されてしまった。

    「食うや食わずで造った陣地も二日で水の泡かい」
    舩坂弘さんたちの落胆はひとかたでなかったといいます。

    十四日になると、米軍は舟艇約十隻に分乗して東海岸を偵察。
    島の形が変わるまで爆撃と艦砲射撃を繰り返します。

    そして快速空母が去り、代わりに現れたウイリアム・H・ブランディ少将率いる「アンガウル攻撃群」の戦艦三隻、巡洋艦四隻、駆逐艦四隻は、それまでに輪をかけた艦砲射撃をはじめます。


    そしていよいよ九月一七日午前五時三〇分、黎明をついて熾烈な艦砲射撃とともに米軍の上陸がはじまります。

    対する日本側は、連日の艦砲射撃と空爆のために、敵の状況を正確に把握するための監視哨も破壊されており、情報を迅速に伝えるための通信網も、島のいたるところでずたずたに切断されている。

    そんな中で、米軍の上陸を、巴岬にいた沼尾守備隊が発見します。
    そしてすぐさま大隊本部に、≪伝書鳩≫で「敵上陸地点は西港なり」と急を報じた。

    伝書鳩かい!と思われるかもしれないけれど、古くは旧約聖書のノアに小枝を届けた鳩は、紀元前3千年のエジプトで漁船が漁獲量を陸に伝えるために使われていたという記録があるし、ジンギスカン率いるモンゴル帝国も遠距離通信手段に使用、カエサルの勝利の報告も、ナポレオンの敗戦の報告も、伝書鳩によっていち早く後方にもたらされた経緯があります。

    また第二次大戦のヨーロッパ戦線でも「GIジョー」という名の米軍の伝書鳩は、イギリス兵約千人の命を救って英国女王から勲章をもらっています。
    この≪伝書鳩≫に関するお話は面白いので、また別に項を改めて書きます。

    米軍は、アンガウル島に、砲兵6個大隊、中戦車1個大隊を含む2万2千名の兵を一気に上陸させます。

    敵の空爆に焼かれ、音を立てて迫る戦車群に追われ、空腹と睡魔に冒された守備隊の前に、いよいよ敵部隊が現れます。

    「前方三百メートル、敵部隊発見!」

    そのとき舩坂弘さんが見た敵兵の第一線は、ほとんどが黒人であり、白人がその中に点々と混じっていたそうです。

    敵の顔が意外と近くに見える。

    「榴弾筒発射用意!撃て!」

    かたまってゆっくりゆっくり迫りくる米軍の中央付近に狙いを定めて、撃って撃って撃ちまくる。

    当たる、当たる、面白いように米兵は炸裂音とともにふっとび、不意の攻撃に驚いた敵は、たちまち後ろを見せて煙のように背後のジャングルの中に這いこんでしまいます。

    あまりにもあっけない。

    敵が簡単に引き下がったので、どうしたのかと思っていぶかっていると、急に沖合から轟音が舞いこんできます。

    無線連絡を受けた敵艦隊が、一斉にナパーム弾、砲弾を撃ち込んできたのです。

    砲弾はところかまわず炸裂する。
    舩坂弘さんが伏せている前後左右に、岩石を砕き、黒い煙と白い土埃を吹き上げて破片が飛び交う。

    撃ち返したくても、目を開くことさえも許されず、敵の巨弾はスコールのように重なって降り注ぐ。

    このとき砲弾を避けるために姿勢を変えたり、立ち上がろうとした者は、すべて血に染まって倒れた。

    部下に「動くな、動いてはいかん!」と叫ぶけれども、自分の声が自分の耳にすら届かない。

    砲弾が止んで周囲を見渡した舩坂弘さんは、アッと叫んだまま、驚愕のあまり気を失いそうになったそうです。

    そこは地上の様相ではなかった。

    数メートル間隔で深くうがたれた弾着の跡がぽっかりと大きな穴をつくり、稜線はすっかり変形して見る影もない。
    無数の凸凹の上には、引き裂かれた樹木と、分隊員の腕や半身が血にまみれて転がっている。もはや、屍体とはいえず、人体の四分の一、あるいは二分の一の肉片に近い遺骸が黒々と横たわっている。

    先ほどまで、元気な冗談を飛ばしていた戦友たちが、青白い泥まみれの顔に、白い歯をむき出して宙をにらんで死んでいる。

    もぞもぞと動いている生存者は数えるほどしかいない。

    一生懸命部下たちの姿を探すけれども、認識票さえもどこかに吹っ飛んでいる。三メートルごとに三人折り重なって斃れた者、頭部を半分削がれた者、片腕を奪われた者、内臓が半分はみ出している者など、おもわず目をそむけたくなるような情景が、あちこちに展開されていた。
    流れる血は河をつくり、地を存分に吸ったくぼみはどす黒く変形している。
    その上を走る硝煙をはらんだ炎風が、むかつくような血のにおいをふりまいている。

    そこへ先ほどの黒人主力部隊がやってきます。
    兵力を増強したらしく、今度は何百人という数です。

    びゅうん、びゅうんと、銃弾が耳をかすめる。

    ・・・・・・・・・・・・

    以上は、要所要所を飛ばして抜き書きしたアンガウル島玉砕戦の初期の模様です。

    この短い文の中にも、映画や記録フイルムでは紹介されない、当時の米軍の実態をかいま見ることができます。

    米軍は、相手国の弾丸の届かない海上から、圧倒的火力の艦砲射撃で相手の陣地を破壊し尽くしたあと、黒人兵(黒人との混血を含む)を先頭にたてて、歩兵を進める。

    戦争ですから、先頭にたつ歩兵は撃たれます。

    そして撃たれることで敵の居場所をつかみ、そこからまた艦砲射撃をする。

    いいとか悪いとかは言いません。

    徹底した人種差別の中で、おなじ米国人であっても、すぐに死ぬ最前線には黒人を配置する。

    そして黒人を的(まと)にして、敵に撃たせ、相手の居場所がわかったらそこを(弾の届かない安全な遠方から)破壊する。

    古来、大陸での戦いは、常にそのようにして戦われています。

    敵を占領すれば、その国の女は犯し、子どもは城壁から投げ捨てて殺し、抵抗できない老人や病人は皆殺しにする。そして男たちは奴隷にし、次の戦闘の最前線の捨て駒として使う。言うことを聞かなければ殺すだけです。

    太平洋戦争においても、激戦地での捨て駒は、常に黒人兵です。
    白人はできるだけ安全なところから攻撃をする。
    あるいは戦闘が終わり、敵を制圧してから村人たちを殺戮する段階で登場する。

    日本は、大東亜戦争の時代、朝鮮や台湾、満洲、南方の島々を領土または同盟国としていました。

    しかし、あらゆる戦いにおいて、外国人兵士はできるだけ使わず、たとえばアンガウルにおいても、逃げ遅れた二〇〇名の現地住民がいましたが、その誰もを兵として使わず、日本人が先頭をきって戦った。

    いちばん苦しいところは日本人がやった。

    朝鮮半島に鉄道を引いたときも、そのための労働のいちばんたいへんなところは全部日本人がやった。

    ハーグ陸戦条約において、戦争は兵のみで行うと規程されましたが、このハーグ条約に基づき、正々堂々と兵のみでの陸戦を行ったのは、現在にいたるまで、ハーグ条約を提唱したロシアのニコライ二世の治める帝政ロシアと日本との戦いである日露戦争だけです。

    第一次世界大戦においても、China事変においても、大東亜戦争においても、日本は常にハーグ条約を遵守し、正々堂々、いちばんたいへんなところは日本人の将兵で戦った。

    最初の玉砕戦となったアッツ島においても、最後の突撃のとき、山崎保代中将は、片手に軍刀、片手にピストルを持ち、いちばん前に出て突撃をしています。

    いちばん前だから、いちばん最初に撃たれます。
    撃たれても立ち上がり、また撃たれても立ち上がり、そして部隊が全滅したとき、山崎中将のご遺体は、全隊員の先頭にいた。

    一瞬で全員が死んだのではないのです。
    次々と仲間たちが撃たれて死んでゆく。

    その中で、いちばん最初に撃たれた人が、突撃兵のいちばん戦闘にいた。

    その事実は、日本側ではいまや誰も語られなけれど、交戦した米軍の中に、厳然とした戦記として残っています。

    どんなに苦しくても、どんなにたいへんでも、まずは自分自身が手本となり、いちばんたいへんなことを引き受ける。

    それが日本人です。

     ↓クリックを↓
    人気ブログランキング

    Fury in the Pacific 1945 World War II Documentary Peleliu Angaur
    正直、このフイルムを見ると、とても悲しい気持ちになります。
    戦意高揚のために作られたフイルムだけれど、白人米兵が精悍に銃を撃っているシーンがたくさん登場するけれど、そのどれもが、立って撃っています。
    敵の銃弾が飛んでくるところでは、立ってはいられない。
    いかにも勇敢そうに見えるけれど、実は敵弾が飛んでこないところで、撃っている。米兵が亡くなっているシーンもあるけれど、その遺体は遮蔽物のあるところで撃たれているものです。
    そして最前線で、敵弾の前に立たされ、オトリにされた黒人兵はまったく出てこない。
    そう思ってこのフイルムを見ると、特段日本びいきでなかったとしても、シーンのヒトコマヒトコマがまた違った角度で見えてきます。


    日本の心を伝える会 日心会
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    \  SNSでみんなに教えよう! /
    \  ねずさんのひとりごとの最新記事が届くよ! /

    あわせて読みたい

  • ウクライナのホロドモール


    人気ブログランキング ←はじめにクリックをお願いします。

    ウクライナ
    ウクライナ


    この素晴らしき共産主義社会


    日本ではいま民主党が政権をとり、反日的なもの、旧来の日本=悪と断定し、まさに日本をChinaに売り飛ばすため、と思えるような反日政策のオンパレードの様相となっています。

    これだけ世界中のおいしいものを食べることができ、夜中に若い女性が一人歩きしても安全・・・最近はちょっと怪しくなってきているけれど・・・で、不快な満員電車でも、みんなが大人しく乗車し、信号が赤になれば、誰も見ていない夜中でも、きちんと車が止まるという日本社会を、「よからぬ社会」と否定するのだから、わけがわかりません。

    古い日本の伝統文化を大切にしながら、現実に即していろいろなものを改善する、ということには大賛成です。
    その意味で、保守は、革新派そのものといえます。
    つまり保守は、伝統を重んじながら現状を憂い未来を革新的に創造する。

    しかし、現状の民主党や、社民党などのやり方は、どうみても左翼的であり、反日です。
    反日というのは日本の全否定です。
    日本の過去も現在も未来も、全部否定する。
    でなにをしたいのかというと、偏狭なドグマに基づいて、単に自己の利益とに走る。
    唯我独尊、我儘勝手、夜郎事大。

    そしてその偏狭なドグマのバイブルとされているのが、社会主義、共産主義です。

    では実際に社会主義者、共産主義者たちが政権を担うとどうなるのか。

    このブログではこれまで、China共産党の非道や、ウイグルやチベット問題をいろいろとご紹介させていただきましたが、今日は、旧ソ連について書いていみたいと思います。
    場所は、ウクライナです。


    ソビエト連邦という国は、大正八(1919)年にできた「ウクライナ社会主義ソビエト共和国」、大正十一(1922)年に誕生したロシア・ソビエト連邦社会主義共和国、白ロシア・ソビエト社会主義共和国等が合併して出来上がった連邦国家です。

    満洲でもそうなのだけれど、新国家の誕生というものは、いまの日本でいったら、まず「都道府県」単位で、主権の独立を図る。

    現在の政府を否定し、都道府県単位で次々と主権独立を図り、その後に独立主権単位で結束して別な新国家を誕生させる、というプロセスをたどります。

    いま、地方分権を、さらに一歩進めて「地方主権」だなどと言っているのは、要するに日本国家を解体して、別な国家にしようとする布石、すくなくとも過去の歴史を振り返る限り、そういう動きということになります。

    その地方主権、県単位の独立、新国家誕生が、日本の歴史と伝統と文化を尊重し、新たに陛下を中心とした道義国家日本の建設に向けての動きなら良いのですが、すくなくとも民主党の標榜する地方主権なるものは、単に中共への売国にすぎない。

    脱線しましたが、では実際にコミュニストに取り込まれた国が、どういうことになったのか。

    「歴史は学ぶためにある」という言葉をかみしめながら、お話を先に進めたいと思います。

    ウクライナは、大正八(1919)年に、社会主義国家として「ウクライナ社会主義ソビエト共和国」が成立しました。

    そしてその三年後に、ソビエト連邦に取り込まれています。

    ロシアのウクライナ地方というのは、いわゆる穀倉地帯です。
    豊かな土地であり、農作物の宝庫だった。
    決してロシア皇帝一族のような王侯貴族の暮らしはできなかったけれど、それなりに人々は豊かな暮らしをしていました。

    下の写真は、帝政ロシア時代のウクライナ地方の絵葉書です。
    おそらく1921年頃のものであろうといわれています。

    つまり、ウクライナが、まだ共産圏に取り込まれて間もないころのものです。

    二人の女性の表情は暗いですが、それでもお二人とも、まるまると太っている様子が見て取れようかと思います。

    ソ連に取り込まれたばかりのウクライナの農民
    ソ連に取り込まれたばかりのウクライナの農民


    この頃、新たにソビエト連邦となった旧ソ連にとって、ウクライナから収穫される小麦の輸出は、貴重な外貨獲得手段でした。

    しかし農作物というものは、年によって収穫高に差が出るものです。

    ソ連は、武力を背景に、ウクライナ地方の農作物の出来、不出来にかかわらず、ウクライナの小麦を徴発し、輸出に回し続けます。

    1930年代初め頃から、ソ連はウクライナ地方からの農作物の摘発をさらに厳しいものにしていきます。

    農民の都合や天候など一切関係ありません。
    政治が、これだけの収量を徴発せよと決めれば、その通りに徴発がなされる。最近の日本でも、民主党あたりから政治主導なる言葉がよく飛び出しますが、実態経済や農作物の出来高とは一切関係なく、政治の≪都合≫で、徴発が決まる。政治主導というのは、そういう恐怖の一面を持っています。

    しかしソ連の社会主義者たちによる政府による過酷な税の取り立てに対して、ウクライナの民族主義者や、知識人、民主化政策の指導者などによる政府批判が顕著になると、ソ連の社会共産主義政権は、彼らを自分たちの政治に対する「脅威」とみなし、容赦なく処罰を開始します。

    あたりまえのことですが、知識人や民族主義者を処罰したからといって、農業生産高があがるわけではありません。
    加えていくら豊かな土壌に恵まれたウクライナでも、あまりに過度な収穫高目標は、現実論として達成は不可能です。

    実態に即さずに、「計画」と称して達成不可能な過大な食糧生産ノルマを課すのです。
    そしてはなから達成できっこないような過大な(政治的)生産ノルマを課して、その(政治的)ノルマに基づいて、徴発量があらかじめ決められる。
    実際の出来高は関係ない。
    無茶な話です。

    結果として、あちこちの農村で、当局による厳しい食料徴発に耐えられず、ようやく多くの農民が、社会主義革命、共産主義革命なるもののいかがわしさに気がつきはじめます。ようやく民族主義にめざめ出したのです。

    スタニッツァ・ボルタフスカヤという村があります。
    人口四万人の小さな村です。

    武力を持つ政府にとって、民衆が団結し集団化すれば、それは脅威になります。

    ですから、ソ連当局は、まだ村々が個別に民族主義化している、つまり分散している状況下で、村の弾圧にはいります。

    こうしてスタニッツァ・ボルタフスカヤ村では、定められた食料徴発に応じれなかったことを理由に、ソ連当局の軍隊が介入し、武器を持たず無抵抗な村の住民が丸ごと追い立てられます。

    そして、男性はバルト海の運河建設の現場へ、女性はウラルのステップ地帯に送られました。
    それまで支え合ってきた家族は、完全に離散です。

    そして運河建設で、男たちは年齢や体力、栄養状態に一切かかわりなく、休みのない重労働を強いられ、ほぼ全員が死亡。

    女性が送られたウラルのステップ地帯というのは、要するに、中央アジアの砂漠地帯です。

    農作物どころか、草木一本生えてない。
    そこで女たちだけで農業を営み、税を納めろと、やられた。

    全員死んでしまったので、記録には何も残っていないけれど、女たちが逃げないよう、そこには軍が派遣されています。

    大東亜戦争の末期、いきなり参戦してきたソ連兵が、満洲の日本人女性たちに何をしたのかを思い返すまでもなく、そこで女たちがどのような目に遭い、どのように殺されていったか、誰もが簡単に想像がつくことだろうと思います。

    民衆への達成不可能な過度で強硬なノルマは、結果としてウクライナの多くの農民たちの労働意欲を削ぎ、減産を招きます。

    そしてその結果、徴発分を提出すると、農民たちには何も食料が残らくなります。

    さらに現場を知らないソビエト政府当局によって、数々の条例が制定されます。

    農産物は全て人民に属するものとされ、農作物の換金や、(政治的)ノルマの不達成、落ち穂拾ったり、穂を刈るという農民としては「あたりまえ」の行為さえも、「人民の財産を収奪した」という罪状で10年の刑を課せられるようになります。

    さらに農民の逃散を防ぐため、ソ連政府は、昭和7年末には、国内パスポート制を施行します。

    農民達は土地に完全にしばりつけられ、ついにはウクライナの国境も封鎖される。

    都市から派遣された党メンバーであるオルグ団は、空中パトロールと称して空から農民たちを監視し、農場にはコムソモールのメンバーが見張りに送り込まれる。

    肉親を告発すれば、子供にも食物や衣類やメダルが与えられる。

    党の活動家が各家を回り、食卓から焼いたパンやおかずの食べ物を勝手に持っていく。

    食料を没収された農民たちはジャガイモで飢えをしのぎ、鳥や犬や猫、ドングリやイラクサまで食べて余命をつなぎます。

    そして遂には、病死した馬や人間の死体までも掘り起こして食べるようになり、その結果多くの人が病死する。

    食べるものがなく、小さな赤ん坊を食べたともいわれています。

    通りには死体が転がり、その死体がそこここに山積みされ、村には死臭が漂った。

    ウクライナで餓死した子供
    ウクライナで餓死した子供


    この惨状に、都市部から送り込まれた共産党員さえも、なんだかんだと理屈をつけて、逃げ帰る者も多かったといいます。

    そして子を持つ親は、誘拐を恐れて子供達を戸外へ出さなくなった。
    なぜかというと、誘拐された子は、殺されて食べられてしまうからです。

    この頃のソビエトは、5ヵ年計画の大成功を世界中に宣伝していた頃です。

    これは以前書いたことだけれど、当時のソ連は、社会・共産主義革命により、すべての財産が国営化され、人々は、最小の労働力で最大の経済的成果をあげ、人民はみな幸福な理想国家が建設されていると世界中に宣伝していました。

    なるほど都市部のインフラは次々整備され、豪奢で立派な建築物が立ち並んだ。
    けれども、そうした建築物は、満洲から摘発した日本人抑留者と日本が満洲で建設した工場や建造物を、日本人労働力ごとまるごとソ連に持ち帰ってそこで無給と過酷な条件での強制労働によって築造したものにほかならなかったし、国家繁栄の根本たる農業は、ウクライナの農民から、絞れるだけ絞り取った結果のものでしかなかったのです。

    そして世界から外交的承認を得ようとしていたソ連は、ウクライナの飢饉を、世界に見せるわけにはいかなかった。つまり、実際に起こっている事実を、政治的に「なかった」ことにしていた。

    当時ソ連に招かれていたバーナード・ショウやH・G・ウェルズ、ニューヨーク・タイムズ記者のウォルター・デュランティ等は、「模範的な運営が成されている農村」だけを見せられ、当局の望み通りの視察報告を行っただけで、素晴らしいソ連の成果を信じこまされていた。

    洩れ伝わるウクライナの惨状に対し、国際連盟や国際赤十字は、ウクライナ飢饉に手を打つようソ連政府に何度も要請を行うけれど、ソ連政府は頑として「飢饉は存在しない」とこれを突っぱね、「存在しない飢饉への救済は不要」という一点張りだったのです。

    結局、昭和7(1932)年から翌年にかけて、ウクライナでは六百~七百万人の餓死者が出ます。

    飢餓当時のウクライナの農民
    左にやせ衰えて生気の失せた子供が見えます
    ウクライナの農民


    この時期のソ連は、ちょうどレーニンからスターリンに書記長が変わったばかりの頃です。

    この頃のスターリンは、ソ連の工業化を強硬に推進していますが、そのためには、西側から重工業機械や専門知識を次々と導入しています。

    そしてそうした設備や人材投資のための資金は、穀物輸出に頼るしかなかった。

    ソ連の食料の輸出高は、1928年に5万トン、1929年には65万トン、1930年には242万トン、飢饉に入った1931年には259万トンと増え続けています。

    そしてこの間に、ソ連国内の食糧生産高は、ほぼ12%下がっている。
    生産高が下っているのに、輸出高が50倍以上に膨れ上がっているのです。

    要するにスターリンは、重工業化の推進のために、ウクライナの農民700万人が餓死するのを、政治的に見殺しにした。
    それが、政治主導、政治大国の社会主義、共産主義の正体そのものなのです。

    ちなみに、ソ連の食糧輸出は、ソ連が所期の目的を達成した1932年には90万トンに減っている。いっきに7割も輸出が減っている。

    ソ連から食料を買い付けしていた各国の企業は、いきなり食料を売ってくれなくなったソ連に、目を丸くします。
    しかし、そもそもそういう企業は、ソ連などという社会・共産主義国家と、まっとうな取引ができると思ったこと自体が、大きな間違いなのです。

    ちなみにソ連は、1931年から1933年にかけて、700万人もの餓死者を見殺しにしながら、同地区の政府管轄の倉庫の中には供給可能な在庫食料が眠っていました。

    その量はもちろん充分とはいえかもしれないけれど、計算してみればわかることだけれど、わずか十万トンの穀物さえあれば年頭から7月末まで100万人が死なずにすんだのです。

    東欧の農場というものは、もともとは富農(クラーク)と、農奴によって構成されています。

    これは日本の農家も同じで、江戸時代に年貢の納税義務を負っていたのは、土地持ちの自営農家です。
    そして多くの小作農たちは、農家から土地を借りて農業をしていた。
    おもしろいことに、土地を持たない小作農は、結構武家がやっていたりしています。
    つまり江戸日本における年貢を納める農民というのは、今風にいえば、農場の経営者です。

    このことは宮崎県川南町の畜産農家も同じで、川南では、岩手県に本社のある安愚楽牧場というところが、牛や豚を飼っている。
    そして近隣の畜産農家は、安愚楽牧場から牛や豚を借りて育成しています。

    スターリンは、こうした農場を経営する農民(クラーク)を、ブルジョアとして抹殺にかかります。

    つまり、農場の経営をしている農民を抹殺し、農地は小作農たちのものだよ、この土地は君達のものだよ、とおいしいことを言った。

    そして農場主であるクラークと、ウクライナの民族主義者、インテリ、共産主義への反対者など、スターリンの権力にとって邪魔だと思われる人々を、誰でもクラークである(ブルジョア主義者である)として抹殺にかかります。

    おかげで、教養あるエリート、何百人もの作家、学者、政治闘争を行う民族主義者たちが、暴行され、収容され、殺された。
    独立ウクライナ教会の関係者も弾圧した。

    結果、百万人のウクライナ人が粛清され、1千万人がシベリアのタイガでの森林伐採、極寒地での白海運河建設の為に連れ去られています。

    いままで土地を持たなかった農奴にしてみれば、自分たちの親方が逮捕され、親方の土地が自分たちのモノとして分配されれば・・・・つまりばら撒き政治に、はじめのうちは大喜びします。子ども手当みたいなものです。

    しかし、その農場主がいなくなったあとどうなったかといえば、絶対に達成できない(政治的)ノルマを課せられ、結局は、はじめに協力的だった農奴自身が、飢え死にする被害を招いている。


    一方この頃のアメリカがどうだったかというと、1929年の大恐慌の勅語です。国内は不況にあえぎ、町には失業者があふれていた。

    そしてその不況を打破するために、新しく生まれたソ連という巨大な人口を擁する大国に、巨大市場の夢を抱きます。

    日本は古来、人々の幸せこそ国家の幸せであると願い、人種の平等と人々の幸せを念じ、正義と公正を図る国家です。
    しかし、日本は所詮はイエローでしかない。
    しかも正義と道義を重んじるとはいっても、所詮日本は小国であり、人口も少ない。
    アメリカは、自国の経済を復活させるためには、ソ連と結び、協調する他ない、という判断にたった。
    イエローはヒトではないのです。

    いまにしてみれば、これは大きな間違いであったことは誰にでもわかります。
    戦争でもなく、備蓄食料がありながら、自国民を700万人も餓死させ、1千万人を強制収容して過酷なただ働きを強要するような非人道的国家こそ、牽制すべき対象であり、道義国家日本をこそ、味方にすべきなのは、現代人からみれば、自明の理です。

    しかし、目先の欲の前には、人はアキメクラになる。
    いまでもそうです。
    中共という悪徳ウソツキ国家に、大国アメリカが媚びへつらう。


    時代が下って、1980年代。ウクライナの飢饉から50年後です。

    飢饉の頃、西側諸国に在住していた300万のウクライナ人たちは、かつての民族虐殺を忘れまいと、行動を起こします。

    これに対して、当時まだ健在だったソ連当局が示した回答は、
    「ヒトラーの手先となって、戦後西側へ亡命したウクライナ人達による100%偽証言である」という全面否認でした。
    そしてソ連解体後のロシア政府も、この問題については、前の政権のしたこと、として何も謝罪していません。

    多数の人に地獄の苦しみを味あわせ、多くの人命を、この世の地獄のような姿で奪っても、口を拭って知らん顔をする。それが政治主導であり、社会主義者、共産主義者の、真実の姿です。

    それは、中共のウイグルやチベット、法輪功弾圧、昨今の日本における口蹄疫でも、まったく同じです。
    極道よりも性質が悪い。

    どんな政治であれ、どんな人であれ、何を言っているかではなく、何をやっているかが重要です。

    そしてオオカミは、手におしろいをつけてやってくる(赤ずきんちゃん)のです。

     ↓クリックを↓
    人気ブログランキング

    Genocide in Ukraine
    この動画はどこかの工作機関から不適切動画として削除を要請されいている動画です。いつ消されてしまうかわからない。
    お早目の視聴をお勧めします。


    日本の心を伝える会 日心会

    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    \  SNSでみんなに教えよう! /
    \  ねずさんのひとりごとの最新記事が届くよ! /

    あわせて読みたい

  • まず読んでください


    人気ブログランキング ←はじめにクリックをお願いします。

    7-3


    国民の皆さん、

    私たちの祖先は、国を建て初めた時から、

     道義道徳を大切にする

    という大きな理想を掲げてきました。


    そして全国民が、国家と家庭のために心を合わせて力を尽くし、今日に至るまで美事な成果をあげてくることができたのは、わが日本のすぐれた国柄のおかげであり、またわが国の教育の基づくところも、ここにあるのだと思います。


    国民の皆さん、

    あなたを生み育ててくださった両親に、

    「お父さんお母さん、ありがとう」

     と、感謝しましょう。


    兄弟のいる人は、

    「一緒にしっかりやろうよ」と、仲良く励ましあいましょう。


    縁あって結ばれた夫婦は、

    「二人で助けあっていこう」と、いつまでも協力しあいましょう。


    学校などで交わりをもつ友達とは、

    「お互い、わかってるよね」

    と、信じあえるようになりましょう。


    また、もし間違ったことを言ったり行った時は、

    すぐ、

    「ごめんなさい、よく考えてみます」

    と自ら反省して、謙虚にやりなおしましょう。




    どんなことでも自分ひとりではできないのですから、いつも思いやりの心をもって

    「みんなにやさしくします」と、博愛の輪を広げましょう。



    誰でも自分の能力と人格を高めるために学業や鍛錬をするのですから、

    「進んで勉強し努力します」という意気込みで、知徳を磨きましょう。


    さらに、一人前の実力を養ったら、
    それを活かせる職業に就き、

    「喜んでお手伝いします」という気持ちで

    公=世のため人のため働きましょう。


    ふだんは国家の秩序を保つために必要な憲法や法律を尊重し、

    「約束は必ず守ります」と心に誓って、

    ルールに従いましょう。


    もし国家の平和と国民の安全が危機に陥るような非常事態に直面したら、

    愛する祖国や同胞を守るために、それぞれの立場で

    「勇気を出してがんばります」

    と覚悟を決め、カを尽くしましょう。


    いま述べたようなことは、
    善良な日本国民として不可欠の心得であると共に、

    その実践に努めるならば、

    皆さんの祖先たちが昔から守り伝えてきた日本的な美徳を継承することにもなりましょう。



    このような日本人の歩むべき道は、わが皇室の祖先たちが守り伝えてきた教訓とも同じなのです。

    かような皇室にとっても国民にとっても「いいもの」は、日本の伝統ですから、いつまでも「大事にしていきます」と
    心がけて、守り通しましょう。


    この伝統的な人の道は、昔も今も変わることのない、また海外でも十分通用する普遍的な真理にほかなりません。


    そこで、私自身も、国民の皆さんと一緒に、これらの教えを一生大事に守って高い徳性を保ち続けるため、
    ここで皆さんに

    「まず、自分でやってみます」

    と明言することにより、その実践に努めて手本を示したいと思います。


    明治二十三年(一八九〇年)十月三十日

    御名(御実名「睦仁」)・御璽(御印鑑「天皇御璽」)


    明治神宮崇敬会刊『たいせつなこと」より-発行明治神宮社務所



    いかがでしょうか。

    お察しのとおり、これは教育勅語です。

    たいへんわかりやすく、また親しみやすい平易な文章になっておりますが、

    さすがは明治神宮という口語訳です。

    以上の文は、日心会MLで、自転車屋さんからご紹介いただきました。


    この内容に対して、いかに脳内が左巻きで、お花畑な人であったとしても、何か反論できるでしょうか?

    これこそが正論であると思います。

    また、保守を自認する人でも、謙虚にこの教育勅語の精神を読み返してみる必要があると思います。


    ボク自身、自戒をこめて、そう思います。

    ----------------------------------
    教育勅語(原文)

    朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニヲ樹ツルコト深厚ナリ

    我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス

    爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ

    是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
    斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所
    之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ

    明治二十三年十月三十日
    御名御璽
    ----------------------------------

     ↓クリックを↓
    人気ブログランキング

    「教育勅語排除,失効決議」の無効確認決議が必要,慶野義雄(3-1)


    日本の心を伝える会 日心会
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    \  SNSでみんなに教えよう! /
    \  ねずさんのひとりごとの最新記事が届くよ! /

    あわせて読みたい

  • 伊58潜水艦と原爆のお話


    人気ブログランキング ←はじめにクリックをお願いします。

    伊58潜水艦
    伊58潜


    我々は旧日本軍は非科学的,非人道的であったように教育されてきました.そしてアメリカの勝利は正義と民主主義の勝利であったように語られています。

    日本側の激戦に関する報告や体験談はほとんど語られず、生き抜いた元軍人たちの証言は、反日的、反国家的な偏向を持つ者のものだけが紹介され、当時、真剣に国のために命を捧げようとした人々の話は、まるでスルーされてきました。

    以前、舩坂弘さんの活躍を≪ランボーは日本人だった!舩坂弘軍曹物語≫という記事でご紹介させていただきましたが、その舩坂さんの書いた本に、次の記述があります。

    ~~~~~~~~~~~~~

    われわれとともに戦い、散っていった戦友たちを思うとき、私はこの師団に所属したことを誇りに思わないわけにはゆかない。

    戦後、軍隊に対する一方的な批判や、あたかも太平洋戦争の犠牲者を犬死となすような論がしきりになされた。

    だが、それらはいずれも軍隊において落伍者出あった者のするインテリ兵の時流に乗った発言であって、当時の私たち青年は純真素朴に「故国のために死す」ことを本望として敵軍に突入していったのである。

    ~~~~~~~~~~~~~

    役立たずのインテリ兵の「時流に乗った発言」は、戦後のGHQによる宣撫工作や、まともな人の公職追放などを受け、「単なる非常識」の「腰ぬけチキン」の発言が、普通ならあり得ない市民権を得たというのが戦後の日本であったろうというのは、巷間、よく言われていることです。

    たとえば特攻にしても、いまだに多くの「保守」を自称している方々ですら、初期の頃の特攻は効果があったけれども、後期はほとんど撃墜されて効果がなかったと信じている人がいます。

    しかし、アメリカ公文書館が時限切れで公開したウォーダイヤリー(戦闘記録)によると、特攻攻撃によって、なんと六割近くの艦船が突入被害を受けていると書かれている。

    しかも被害を受けた船は、大破により廃棄と発表していたけれど、ウォーダイヤリーによると、そのほとんどすべてが、実際は沈没、または使用不能艦となっていることが確認されています。

    ウソも隠しもない、これが事実です。

    以前、「回天」のことも書きましたが、「回天」については、昭和20年8月15日の終戦の日、米政府は「回天特攻中止」を特別に日本側に申し入れています。
    それだけ被害が甚大であると恐れられていたのです

    南方戦線の島々での玉砕戦でも、いまわれわれが入手している各種数字は、島への上陸作戦の初日の戦死者は、上陸作戦の戦死者として数えずに、行方不明者としてカウントする。

    戦闘記録フイルムに数百の十字架が建っていても、戦死者は、百名近くと発表する。
    島での戦没者は、戦後すぐに、アメリカに移送する。
    実際の被害が見えないようにする。

    一方で原爆投下については、狂気となっていた日本軍部に対して、いちにちもはやく戦争を終わらせるために原爆を投下したと、きれいごとで誤魔化そうとしていました。

    ところが、実際には、空母機動部隊の指揮官として戦艦武蔵を沈めるなど日本海軍を敗北に導いたハルゼー提督が、次のように語っています。

    ~~~~~~~~~~~~~

    広島、長崎への原爆投下は、明らかな間違いである。
    原爆は多数の ジャップを殺したが、ジャップは、それよりかなり前からロシアを通じて和平の打診をしていた。

    ~~~~~~~~~~~~~

    和平工作に関しては、≪斬っても突いても死なない男、鈴木貫太郎≫で、実際に日本は終戦の半年前から、必死の和平工作をしていたのが事実です。

    当時の情勢を振り返れば、昭和二十(1945)年三月には、硫黄島が占領されています。

    制海権、制空権を失った日本は、連日B-29によって都市爆撃を受けていた。太平洋側の主だった市は、ことごとく米軍の艦砲射撃によって壊滅的打撃を受けています。(おかげでウチの実家も焼け出されました)。

    筆者は少年時代を太平洋側の地方都市で過ごしましたが、子供の頃、中心街のいたるところに防空壕が残っていました。

    遊び場にしていた近所の広場は、ある日、防空壕跡の陥没で、突然穴が空き、山を切り開いて市街化のための区画整理をすると、そこここに、防空壕跡の穴が、まるで虫の巣のように空いていた。

    昭和二十年の日本の石油の輸入量は、ゼロです。
    軍需物資の備蓄も使い果たしていたし、昭和二十年四月の戦艦大和出撃以降は、軍艦を動かす燃料もなかった。

    首都防衛のための厚木飛行場の戦闘機は、墜落させたB-29から燃料を吸い出して、ようやく飛行機を飛ばしていた。(このB-29から抜いた燃料の方が、備蓄していたガソリンよりもはるかに精度が高く、飛ばす飛行機の調子もよかったそうです。

    大都市の軍需工場は破壊され、都市自体が灰燼に帰し、食糧も底を尽き、産業基盤も生産能力もない。それが当時の日本の実情だった。

    六月の沖縄戦の終了後には、ブラッドレー米国統合参謀本部議長は、次の報告書を大統領に提出しています。

    ~~~~~~~~~~~~~

    日本は既に事実上敗北しており、降伏を準備している。

    ~~~~~~~~~~~~~

    スチムソン陸軍長官によれば、日本は昭和二十年七月の時点で

    ~~~~~~~~~~~~~

    すでに日本の海軍、空軍兵力は 事実上存在しない。
    残っているのは進攻艦隊に、こうるさく抵抗する程度の戦力である

    ~~~~~~~~~~~~~

    と述べています。

    終戦後の昭和二十年九月に日本に訪れた、米国戦略爆撃調査団も、

    ~~~~~~~~~~~~~

    たとえ原爆が 投下されなかったとしても、ソ連が参戦しなかったとしても、本土上陸作戦が行われなくても、日本は非常に高い確率で九州上陸作戦の決行予定日である昭和二十年十一月一日から、十二月三十一日までの間に、確実に降伏したであろう

    ~~~~~~~~~~~~~

    という最終報告書を、トルーマン大統領に提出しています。
    (U.S Strategic Bombing Surbey,Summary Report ( Pacific War ) ,1946、の26頁)


    そんな状況下で、なぜアメリカは日本に原爆を投下したのか。

    それについて、歴史学者 バーンスタインは、次のように述べています。

    ~~~~~~~~~~~~~

    日本への原爆投下は「ソ連を威嚇すること」が根本理由であり、ソ連の影響力が日本、満州、China、朝鮮に及ぶことを阻止するために、いわばソ連に対する威嚇攻撃として、日本に原爆を投下した。

    ~~~~~~~~~~~~~

    ソ連に対抗するために、日本に(?)、なにやらおかしな話に思えるかもしれません。

    なので、もうすこし詳しく述べると、ソ連に対抗するために、核による報復攻撃を受ける心配がない日本に、原爆を投下した、ということです。

    核は、いまも昔も、使えない究極の兵器です。
    相手国が核を保有していたら、報復攻撃を惧れ、核は使えません。

    だから、その時点で、絶対に報復攻撃の心配がない・・・すでに日本近海ですら制海権、制空権を失って満身創痍となっている日本・・・に原爆を落とすことで、ソ連に対する威嚇を行った。

    戦争は、常に政治的産物なのです。
    戦闘行為には、つねに政治的目的がある。

    このことは大変重要な事実を示唆しています。

    つまり、核のない大国は、それだけで国民を核の危険に晒している、ということです。

    まさか、と思うかもしれませんが、実際、日本に核は投下されています。
    あの時点でもし、日本が核を持っていたら、アメリカは日本に核を落としましたか?

    さらにいえば、当時アメリカは、日本の主要都市11カ所に、連続して原爆を投下する計画でいました。

    原爆は、当時のお金で二十億ドルという巨費を投じて開発された兵器です。
    いまの相場に換算したら、一兆円くらいの巨額の資金です。

    そして、これも日本ではあまり語られないことですが、広島に投下された原爆と、長崎に投下された原爆では、その種類がまったく違います。

    広島上空で投下された原爆( リトルボーイ )は、ウラン235型原爆です。

    長崎で投下された原爆(Fat Man)は、プルトニウム型の原爆です。

    そしてこの二度にわたる原爆投下は、原爆開発のマンハッタン計画を担当した ロス・アラモス研究所の公式記録によれば、 史上二度の「原爆実験」とされています。

    あくまでも「実験」です。

    で、被害の実態が詳しく記録された。

    広島で二十万人、長崎で七万四千人の非武装の市民を無差別に殺した原爆は、アメリカにとってはあくまでも「実験」だったのです。

    要するに、日本人は対ソ戦略作戦のための原爆実験のモルモットにされたわけで、だからこそ、すでに半殺しにされ、抵抗力が奪わ、反撃の可能性のまったくない日本が、原爆投下のための実験場所に選ばれた。

    戦略的には、最早原爆を落とす必要すらなかったのです。

    要するに、アメリカは、「戦争を早く終わらせるために原爆を投下」したのではなくて、ソ連の参戦が間近なので、早く原爆を投下しないと日本が降伏して戦争が終わってしまう。だから≪戦争が終わらないうちに≫大慌てて原爆を投下したのです。

    実際、原爆を米国本土のカリフォルニアの軍港からテニアン島に運んだ、米重巡洋艦インデアナポリスは、西海岸からテニアンまでの一万二百キロを、わずか十日で、走り抜けています。

    平均時速54キロ。当時としては猛烈な高速です。
    要するに大急ぎで運んできた。

    はやくしないと、戦争が終わっちまうからです。

    ちなみに原爆投下のためのマンハッタン計画は、投下の2年前である昭和十八年にはできあがっていますが、その全編を通じて、ドイツ、ヨーロッパ戦線に使われる予定はまったくありません。

    つまり、対ソ戦略上必要な「原爆投下による人体実験のため」、広島、長崎に原爆が投下された。

    当時、有色人種はヒト(人間)ではなかったのです。

    東京裁判でオランダの代表判事をつとめたレーリンクは、アメリカが日本に原爆を投下した理由を次のように述べています。

    ~~~~~~~~~~~~~

    ナチスドイツはユダヤ人を人間として扱わなかった。
    同様に米国も 日本人を人間として扱わなかった。

    連合国の国民(白人)は、有色人種を、昔から人間以下とみなすように教育されてきた。

    ~~~~~~~~~~~~~

    ついでにもうひとつ。

    当時の アメリカの雑誌タイムに書かれた言葉です。

    ~~~~~~~~~~~~~

    普通の日本人は知性が低く、無知である。

    たぶん人間なのだろうが、 人間であることを示すような点はどこにもない。

    ~~~~~~~~~~~~~

    これが日本人に対する考え方だったということです。

    ちなみに、日本に投下する原爆を大急ぎでテニアンに運んだ米重巡洋艦インデアナポリスは、任務終了後、フィリピンのレイテ湾に向かう途中で、日本の伊五八潜水艦が撃沈しています。

    昭和二十年七月三十日、午前0時14分のことです。

    すこし溜飲が下がるお話なので、最後にそのときの戦記を添えておきます。

    ~~~~~~~~~~~~

    伊号第五八潜水艦は、昭和一九年九月に乙型二九隻の最終艦として竣工された潜水艦です。

    なんと最新鋭のレーダー装備を完備。(レーダーは米軍だけの専売特許ではありません。そもそもレーダーの開発者は日本人の八木秀次博士です)

    さらに人間魚雷回天を搭載した新鋭艦です。

    昭和二十年七月十八日、「回天・多聞隊」6基を搭載し、山口県の平生基地を出撃した伊五八潜水艦は、出撃して十日目に、レーダーで敵、大型タンカーと駆逐艦を発見し、回天二基を発進させます。
    そして駆逐艦一隻を撃沈。

    次いで伊五八潜は、東カロリン諸島方面に向かいます。

    艦内は、まるで蒸し風呂のように暑かったといいます。

    昭和二十年七月二九日午後十一時、月の昇る時刻に合わせて、潜望鏡深度に浮上した伊五八潜は、月明かりで洋上を視察。

    続いてレーダーで上空の敵機を探るも、反応なし。

    「浮上する、メインタンク・ブロ~」

    橋本以行(はしもともちつら)艦長の令に静かに浮上した艦橋に、航海長、信号長、見張員が駆けのぼり、素早く九七式12cm双眼望で、洋上を探ります。

    当時のレーダーは、捕捉距離が1万2千メートル。つまり、約12kmです。視界があれば目視の方が、遠くまで見渡せる。

    「左前方に何か発見」見張り員が叫びます。

    航海長もそっちの方角を探る。
    月明りの水平線に、点のような艦影一つ発見。

    橋本艦長は、直ちに「潜航」を命じます。
    潜行しながらも、橋本艦長は黒点をしっかりとらえています。
    黒点はやがて、次第にハッキリし艦影を現す。

    敵艦です。

    薄暗い月明りの中で、なんと一万メートル以上の距離で、敵のレーダーより先に敵艦を発見、捕捉しています。日本の見張員はものすごく優秀なのです。

    重巡洋艦インダナポリス
    インディアナポリス


    艦長が静かに命じます。

    「魚雷戦用意」

    続いて、「回天用意」の号令もかかる。

    敵艦はまったく気づきません。
    対潜警戒のジグザグ航行もない。
    こっちに真っ直ぐ進んできます。
    周りに護衛艦もいない。

    そのうち艦橋が確認できる距離にまで近づきます。
    敵の重巡洋艦です。

    この明るさでは、性能の低い潜望鏡しかない回天では、命中は厳しい。
    橋本艦長は、この時点で、通常魚雷による攻撃を決断します。

    距離、約四千メートル。

    敵は、進路を少し変えます。
    これだと、真上を突っ切られる恐れはありません。

    むしろ好射点です。

    艦長は潜望鏡で標準を合わせながら

    「魚雷発射管6 発射始め」

    と命じます。

    それぞれの乗組員は、敵艦の速度、方位、距離を測定し、諸元を調整します。

    狙いは艦橋にです。

    距離千五百メートル。

    射程にはいります。

    「よーい。てっ~!!」

    艦長の号令一下、6本の魚雷は2秒間隔で発射され、扇型に開きながら敵艦めがけて進んでいきます。

    しばらくの静寂のあと、潜望鏡を覗く橋本艦長の声が響きます。

    「命中!」

    一発目は一番砲塔の真下に命中。
    二発目は二番砲塔に命中。
    三発目は艦橋付近に命中です。

    その光景を第二潜望鏡(夜間航海用)で視認した艦長は、他の乗員にも潜望鏡を覗かせ、確認をします。

    しばらくすると、三発の衝撃波。

    次に発射する魚雷装填のために、伊五八は、ひとまず潜航します。
    装填を終えて、潜望鏡深度に浮上すると、敵艦の姿は既に洋上にない。

    この間、わずか一二分です。

    橋本艦長は、艦隊司令部に打電を命じます。

    「ワレ伊五八潜、ヤップ島北西方 北緯12度02分 東経134度48分ニオイテ アイダホ型戦艦ヲ撃沈ス」

    このとき撃沈した船が、日本に二発の原爆を落とした敵の重巡洋艦インディアナポリスでした。

    ちなみに、大東亜戦争で、日本が撃沈した米軍艦船は、350隻以上にのぼります。
    そして戦績は、初戦の驚異的強さを誇った時期だけでなく、ミッドウエーで敗れ、海軍力を大幅に低下させ、制海権すらなくなった中ですら、継続して戦績を挙げています。

    そして、米軍の攻撃対象がもっぱら輸送船だったのに対し、日本の艦船の攻撃対象は、必ず、軍船に向けられた。

    日本は、敗色濃くなった戦場ですら、国際法規を遵守して戦ったのです。

     ↓クリックを↓
    人気ブログランキング

    伊号第58潜水艦の数奇な運命


    日本の心を伝える会 日心会
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    \  SNSでみんなに教えよう! /
    \  ねずさんのひとりごとの最新記事が届くよ! /

    あわせて読みたい

  • 石門心学と石田梅岩


    ■ねずさんのひとりごとメールマガジン有料版
    http://www.mag2.com/m/0001335031.htm

    人気ブログランキング
     ↑ ↑
    応援クリックありがとうございます。

    石田梅岩
    石田梅岩


    松下幸之助といえば、商売人の神様とまでいわれる人ですが、その松下幸之助が生涯にわたって学びかつ尊敬した人がいます。
    それが石田梅岩(いしだばいがん)です。貞享(じょうきょう)2(1685)年の生まれの、江戸中期の人です。
    京都府亀岡市の出身で、名前は興長で、通称は石田勘平といいます。
    「石門心学」と呼ばれる日本の商人道の開祖です。

    石田梅岩が「都鄙問答(とひもんどう)」を著したのは、元文4(1739)年のことです。
    元禄バブルが崩壊し、有力商人が相次いで追放や財産没収となり、世の中が不況に沈んだとき、石田梅岩は、「商人の売買は天の佑け」「商人が利益を得るのは、武士が禄をもらうのと同じ」と述べて、商行為の正当性を説きました。

    続きを読む
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    \  SNSでみんなに教えよう! /
    \  ねずさんのひとりごとの最新記事が届くよ! /

    あわせて読みたい

  • 伊藤玲子先生よりのメッセージ


    人気ブログランキング ←はじめにクリックをお願いします。

    伊藤玲子先生
    伊藤玲子先生


    伊藤玲子先生は、元鎌倉市議です。
    4期16年務められた方です。

    2004年、第2次小泉改造内閣のとき、当時、文部科学大臣だった中山成彬先生とともに400校にもおよぶ全国の学校視察を行ってもいます。

    「教育基本法の改正」や「ゆとり教育の見直し」、全国学力・学習状況調査の実施などを国政レベルで具体化させた実績を持たれています。

    伊藤玲子先生は、「日本の教育の母」と呼ぶべき方であると、ボクは思っています。

    その伊藤玲子先生からのメッセージを転載します。

    伊藤先生から、いまの時代を生きる私たち日本人への渾身のメッセージです。


    ~~~~~~~~~~~~~~

    【国民を騙し続ける民主党政権】

    元鎌倉市議・立て直そう日本・女性塾幹事長
    伊藤玲子


    ─────────
     民主党とは
    ─────────

    民主党とは根拠にマルクス・レーニン主義があり、日本解体をめざしている恐ろしい政党である。

    その証拠には民主党は、マニフェストにない法案、たとえば

     外国人参政権
     選択的夫婦別姓
     戸籍制度廃止
     偽人権擁護法案
     二重三重国籍
     靖国人社代替施設
     女性差別撤廃条約選択議定書
     1千万移民推進
     日教組教育の復活
     国立国会図書館恒久平和調査局
     地方主権
     CO2・25%削減
     東アジア共同体構想 

    などを堂々と法案として出してくる。

    国民との約束違反もはなはだしい、人の道もわきまえない民主党であり、民主党議員たちであり、日本を亡国、あるいは売国へまっしぐらの方向と思われる。

    しかも財源の保証がないにもかかわらず、国民に子供手当をはじめ、あれもこれも支給します、国民にお金をあげます、と国民をバカにしています。


    ─────────
     日教組
    ─────────

    日教組運動の本質は何か。

    それはコミンテルン指導下に、天皇を否定し、反米・親ソ中を路線とする運動です。

    デュウイの教育思想、フランクフルト学派の路線、教育を荒廃に導く方針です。

    運動方針の特徴は、

    ■国旗・国家・道徳教育反対
    ■歴史・伝統・文化を破壊し日本国家解体をめざす
    ■教え子を再び戦場に送るなをスローガンに護憲・反安保・反自衛隊の立場をとる。
    ■子供の権利条約について参政権と納税の義務以外は成人に関する憲法の規定通りと主張する
    ■近代・現代史のみならず、天皇を中心とする我が国の歴史を全面否定する
    ■東京裁判史観に立つ
    ■ジェンダーフリー教育
    ■男女共同参画社会基本法に便乗した方針
    ■男女混合名簿
    ■過激な性教育の実践
    ■体育・家庭科男女共催
    ■選択的夫婦別姓推進

    など、いまもなお学校現場で実践されています。


    ─────────────
     日本を失ってはならない
    ─────────────

    民主党と日教組は一心同体です。
    その証拠に、日教組は民主党の強力な支持母体です。

    その民主党が、日本国家解体をめざしていることに、国民はあまりにも無関心です。

    生活も年金も大事なこではあるけれど、それ以前に国家が安泰で堅持されなければ生活も年金もないのです。

    戦後、日教組教育によって国民に国家という意識が希薄になっています。

    どんなに貧しい国でも、その国民は誇りを持って、はりねずみのようになって自分の国を守っているのです。

    「国家を支えているのは国民である」という国民の自覚が必要で、国家観を国民ひとりひとりがしっかりと持つことです。

    いま必要なことは、国土と国民の生命財産を守るための安全保障、つまり「国防」と「自主憲法制定」と「教育」。

    この三本柱を中心に、はやく取り組まなければならない。


    2010年4月30日

    ~~~~~~~~~~~~~

     ↓クリックを↓
    人気ブログランキング

    「過去現在未来塾」発足記念講演会
    「日教組問題」伊藤玲子先生(1)
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    \  SNSでみんなに教えよう! /
    \  ねずさんのひとりごとの最新記事が届くよ! /

    あわせて読みたい

検索フォーム

ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
連絡先: nezu3344@gmail.com
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんのひとりごと」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「奇跡の将軍樋口季一郎」、「古事記から読み解く経営の真髄」などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。

日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
(著書)

『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』

『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦

『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』
『誰も言わない ねずさんの世界一誇れる国 日本』
最新刊
『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』
近日発売
『日本書紀』(タイトル未定)

スポンサードリンク

カレンダー

04 | 2010/05 | 06
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -

最新記事

*引用・転載・コメントについて

ブログ、SNS、ツイッター、動画や印刷物作成など、多数に公開するに際しては、必ず、当ブログからの転載であること、および記事のURLを付してくださいますようお願いします。
またいただきましたコメントはすべて読ませていただいていますが、個別のご回答は一切しておりません。あしからずご了承ください。

スポンサードリンク

月別アーカイブ

スポンサードリンク

ねずさんメルマガ

ご購読は↓コチラ↓から
ねずブロメルマガ

ご寄付について

ねずブロはみなさまのご支援で成り立っています。よろしかったらカンパにご協力ください。
【ゆうちょ銀行】
記号番号 00220-4-83820
【他金融機関から】
銀行名 ゆうちょ銀行
支店名 〇二九(店番029)
種目  当座預金
口座番号 0083820
口座名義 小名木善行
【問い合わせ先】
お問い合わせはメールでお願いします。
nezu3344@gmail.com

講演のご依頼について

最低3週間程度の余裕をもって、以下のアドレスからメールでお申し込みください。
テーマは、ご自由に設定いただいて結構です。
講演時間は90分が基準ですが、会場のご都合に合わせます。
E-mail nezu3344@gmail.com

講演テーマ
<ご参考>
古事記に学ぶ経営学
古事記に学ぶ日本の心
百人一首に学ぶ日本の心
女流歌人の素晴らしさ
日本人の誇り
その他ご相談に応じます。

スポンサードリンク

お薦め書籍1


日中戦争-戦争を望んだ中国 望まなかった日本


江戸の自治制


幻の黄金時代


ドキュメント自衛隊と東日本大震災

コメントをくださる皆様へ

基本的にご意見は尊重し、削除も最低限にとどめますが、コメントは互いに尊敬と互譲の心をもってお願いします。汚い言葉遣いや他の人を揶揄するようなコメント、並びに他人への誹謗中傷にあたるコメントは、削除しますのであしからず。

スポンサードリンク