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2012/03/10 09:41
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昭和19年の陸軍記念日式典
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今日は3月10日は、陸軍記念日で、戦前は祝日でお休みの日でした。
明治38(1905)年、日露戦争奉天戦において日本陸軍は大勝利します。

この戦いは日本陸軍24万名、ロシア陸軍36万人、合わせて60万の大兵力が直接激突した、世界に冠たる史上最大の陸戦でした。
戦いは9日間行われ、そして107年前の今日、日本は勝利し、奉天城への入城を果たしたのです。

どういうわけか日本では、世界最大の陸戦というと、ドイツとソ連が戦ったクルスク会戦(昭和18年)を指す人がいます。奉天戦ではないというのです。

なるほどクルスク会戦は、独ソ合わせて210万の兵力が衝突した世界最大規模の戦いですが、クルスク会戦自体はクルスクで行われた戦闘全体のことを指しています。
日露戦争でいえば、旅順要塞攻城戦から奉天戦までの全部の戦いを総称したものであり、軍対軍の直接対決という意味においては、世界最大の陸戦は奉天戦にあることは、世界の常識となっています。

奉天戦を指揮したのは、日本が大山巌元帥、ロシアがクロパトキン将軍です。
この戦いにおいて大山巌元帥の指揮が実に見事であったことから、米陸軍のマッカーサーは、世界でもっとも尊敬する陸軍軍人として大山巌元帥をあげています。

マッカーサーは、GHQの総裁として日本に赴任した際、日本各地に設置してあった日本軍人の銅像を片端から破壊する命令を出していますが、大山巌の銅像だけは破壊することを厳として認めませんでした。
おかげでこの銅像は、いまも東京九段に安置され、地下鉄九段坂下から靖国神社に向かう坂道の道路の反対側に、いまもその勇姿を見せています。

他方、司馬遼太郎の坂の上の雲などでは、矮小な将軍として描かれているクロパトキン将軍ですが、彼は日本でいう陸軍士官学校を首席で卒業したロシア陸軍のエリート中のエリートです。
プラハ遠征、サマルカンド攻略戦、サハラ遠征作戦などに参加して勝利を飾り、ロシア陸軍の誇るもっとも優秀な将官としての地歩を固め、明治31(1898)年には陸軍大臣に就任しています。

ロシア皇帝ニコライ二世の評価も高く、明治36(1903)年にニコライ二世が来日した際も、同行して来日しています。
彼は、日本陸軍をたいへん高く評価し、日露戦争の開戦についても、宮廷内で猛反対を繰り広げています。
その反対者が、皮肉にもロシア満州総司令官となり、日露戦争を戦うことになったわけです。

彼の作戦は全体でみると、旅順要塞を史上最強の要塞として固め、ここに日本陸軍を釘付けにし、世界最強のロシア太平洋艦隊に、同じく世界最強の欧州バルチック艦隊を合流させ、両艦隊を合わせた史上最強艦隊によって日本海軍を殲滅し、日本陸軍の補給路を断ってこれを包囲殲滅する、という作戦です。

世界の戦史を見ればわかるのだけれど、要塞攻略戦は、もっとも過酷な消耗戦です。
しかも旅順要塞は、防御ラインを幾重にも張り巡らし、難攻不落のセバストポリ要塞の6倍の防御性能を保持したたいへんな要塞です。
世界の陸戦の常識からして、これが落ちるはずはなかったし、バルチック艦隊と太平洋艦隊が戦力に乏しい日本海軍に敗れるはずなどなかった。
要するにクロパトキンの作戦は、ロシア必勝の作戦だったわけです。

ところが対する日本陸軍は、なんと難攻不落で落ちる筈のない旅順要塞をわすか半年で落としてしまう。
そしてロシア太平洋艦隊を旅順港で壊滅させ、たのみのバルチック艦隊は、はるかに戦力の乏しい日本海軍によって壊滅してしまう。
そしてロシア陸軍の本体のいる奉天にまで、日本陸軍が迫って来たのです。

奉天戦の情況をくわしくみてみると、戦いの中盤戦までは、むしろロシア軍の方が勝っています。
日本側は損耗が激しく、さまざまな極地戦で壊滅的な被害を被っています。
大石橋の決戦では、銃を捨てて逃げ出す日本兵もいたというくらいですから、ほとんど日本側が絶体絶命の情況にまで追い込まれていたのです。

にもかかわらず、日本は奉天を目指して進撃する。
ロシアが敗れたのは、武力ではなく結局は心であったと言われています。

日本陸軍は、ロシア陸軍の圧倒的火力の前に正面攻撃で死体の山を築きながら、それでもなお前進を続けます。その姿に恐怖したロシア軍は、奉天からの後退を決定する。
いつ追撃してくるかわからない日本軍への恐怖に怯えたロシア兵は、ハルピンへの転進の際に、軍としての秩序を失ってしまったのです。

秩序を失ったロシア兵たちは、あちこちで上官の命令に逆らい、「自分のための」略奪をしはじめる。
この結果、軍隊が軍隊としての機能まで失ってしまったのです。

そして3月10日日本陸軍は奉天城を占領し、ロシアの陸軍大臣のサカロフ大将が「我がロシア軍は残念ながら敗れた」と、公式に敗北を認め、日本軍の勝利が確定したのです。

日露戦争当時、日本とロシアの国力は、日本の歳費が2億5千万円、ロシアが20億円、常備兵力は日本20万、ロシア300万人という、圧倒的な差がありました。
この国力の差が、西欧による植民地支配を決定づけていたのです。

そしてこれを打ち破った日本は、世界の有色人種に、欧米列強による有色人種支配体制を打ち破る夢と希望を与え、それまでの世界の常識であった植民地支配体制を打ち破る基礎を築いたのです。

すなわち3月10日という日は、日本の陸軍記念日であると同時に、世界の人類が平等に人権を持ち、世界の民族がそれぞれの独自の文化を守り安心して暮らせることができるようになった、世界の人類平等の記念日でもあるのです。

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明治37-38年(1904-05) 日露戦争 陸戦編


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