華僑と植民地統治について



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19世紀以降の欧米の植民地経営で、基本となった政策に「分断統治」とよばれるものがあります。

これは、植民地支配した国家内部で、異なる宗教、異なる人種、異なる地域ごとに集団を互いに反目させることで、長期間の統治を安定させるというものです。

東南アジア諸国で、このために用いられたのが「華僑」です。
統治者である白人たちは、現地の国民への非道や圧政、富の収奪を彼ら華僑に代行させることで、白人の植民地政府や白人の本国が怨嗟の対象となることを巧妙に避け支配を安定させています。

簡単にいえば、汚れ役を華僑にやらせ、その代り華僑には富と現地の住民に対する権限を与える。そうすることによって、白人たちは自らの手を汚さずに残虐な統治や収奪が可能になる。

もともと東南アジアにおける華僑は、たとえばChinaを清(1644年~1912年)が統一したときに滅ぼされた明(1368年~1644年)の官僚やその一族が底流になっています。

モンゴル民族が統治した元王朝に逆らう白蓮教徒たちが、頭に紅色の頭巾をかぶって政府に対する反乱軍を起こした。これが紅巾の乱(1351年~1366年)で、その一味の中で頭角を現した朱元璋が起こした国家が明王朝です。

この明王朝の末期、明の漢人たちが女真族の住む満洲地方に大量に押し寄せ、半農半狩民族である女真人族に対して漢人特有の残虐な悪さの限りを尽くします。

やむをえず女真族たちはヌルハチを中心にして女真8部族を統合(このあたりは、その昔ハワイにおいて、スペイン人達の暴虐に対抗するためにカメハメハがハワイの原住民種族を統一したことに似ていますね)し、蜂起して、China本土にまで攻め込んで建てた国が清王朝です。

要するに、清の初代皇帝ヌルハチから第四代康熙帝に至るまでの女真族が何を目的に何をしたのかというと、満洲地方に住む女真族の平和と安定を守るため、悪辣非道な漢人たちの巣窟を攻め、漢人の王朝があった北京に、いわば女真族進駐軍本部としての城を築く。これが紫禁城で、その後約200年にわたって、清王朝の本拠となる。

紫禁城は、女真族の漢人支配のための総本部です。
だから紫禁城内に漢人が許可なく侵入すると、犯人を公衆の面前で、柱に縛り付けて生きたまま肉をそぎ落とす「凌遅刑」などという残酷な刑罰を、漢人たちの公衆の面前で行った。要するに、お前たち、逆らうとこういう目に遭うぞ!という見せしめです。

そして明代に、女真族やモンゴル族、ウイグル族との、いわば境界線として作られた万里の長城を女真族国家と漢人国家の国家的境界線とした。
さらに万里の長城東端にある山海関を、満洲とChinaの唯一の通行の場とし、そこに「漢人立ち入るべからず」の監察を建てた。

山海関
山海関77


つまり清王朝というのは、もともと女真族が自らの聖地である満洲地方の平和と安定、つまり漢人たちの暴虐から我が聖地を守るために、進駐軍として北京に政府を築いた王朝です。
これによって女真族が住む満洲地方は、漢人たちの侵入から身を守られ、以降なんと200年にわたる平和と安定を手に入れています。

ちなみに、清朝末期になると、清の支配力が弱まり、China国内が軍閥たちの相次ぐ内乱によって、国が荒れた。
漢人たちが生まれた地を捨てて、平和の地を求めて満洲地方に大挙してやってきます。

その数なんと年間100万人。

もともと残虐行為に平気な漢人たちです。
満洲の治安は乱れ、殺人、暴行、虐殺、強盗が日常茶飯事になる。
そこで自警団として生まれたのが満洲の馬賊です。
この馬賊も、もともとは満人たちだけの自警団だったのだけれど、そこに漢人たちが入り込むようになって、後年になると話がひどくややこしくなっています。

話が脱線しました。

清王朝は、その統治の基本戦略として、漢人たちの抵抗を徹底的に弾圧します。

とりわけ、明王朝に連なる部族に対しては、徹底的な追尾と虐殺を行った。
放置しておけば、明の王族の末裔かなんかを押し立てて、再び清王朝に戦闘を挑む危険があったからです。

追われた明の官僚たちは、次々南下し、ベトナムやカンボジア、マレーシアといった東南アジア諸国に居ついた。

居ついた人々は、要するに日本でいったら、平家の落人みたいなものです。
東南アジア諸国における最貧層のマイノリティ(少数民族)となり、最貧民層としての暮らしを余儀なくされた。

貧しいということは、互いに身内どうしで、援けあっていかなければ生きていけないという情況を作ります。必然的に華僑の「家」意識は高いものとなり、身内の結束も高まった。これが華僑の伝統として定着します。

そういうところに、欧米列強が植民地支配にやってきます。
統治者となった欧米諸国は、限られた少数で、それぞれの国を統治しなければならない。

そのために自分たちに替わっていわば汚れ役として採用されたのが、東南アジア人とはあきらかに言語、習慣の異なる華人(漢人)たちです。

英国にしても、オーストラリアにしても、身分上、あからさまな「白人>華人>現地人」という統治体制をひいた。

税の取り立て、犯罪者の取り締まり、労働力の確保等々の植民地統治に際し、華人たちの結束と団結、残虐性という民族的特徴が、非常に役に立った。

これまで国王のもとに統制されていた経済を、華僑のもとに統合し、再編する。
そうすると、すごいことが起こります。
これまで最貧階級だった華僑たちが、いきなり大金持ちとなるのです。
しかも支配者である白人たちから特権的身分まで保障してもらえる。

当然、現地の人々の反発が起こるけれど、その反目は、もっぱら華僑に注がれ、白人たちは安泰となります。

それまで原住民たちから村八分になり貧困にあえいでいた華僑たちは、植民地支配層と結びつくことによって、これまでには考えられなかったほどの富と贅沢を手に入れた。

当然、その富の分け前にあずかろうとして、国が乱れた清国から、華僑の親族たちが続々と集まってくる。
華僑の人口は、激増します。
マレーシアなどは、もともとは数千人しかいなかった華僑が、植民地支配後、なんと400万人にまで増殖している。

こうした人種差別的支配構造を打破しようとしたのが当時の日本で、だから日本がやってくるということは、当時の特権階級であった華僑たちにとって、まさに恐怖の大魔王がやってくるようなものとなった。

以前、ハリマオ伝説の記事で華人たちの日本人に対する暴動のことを書きましたが、その暴動の背景には、こうした植民地支配層と結託した特権的身分の保持を目的とした華人の群れがあったのです。

こうした分断統治の手法は、実は日本の占領統治においても活かされる。
当初占領軍は、日本を下の図のように分割統治にしようとしたのです。

日本の分割統治
日本の分割統治


この分割統治案は、外地(満洲・台湾・朝鮮半島)については、昭和20(1945)年の時点で、速やかに実行されたのだけれど、日本内地に関しては、紆余曲折の上、採用とはならなかった。

これには、特に日本を早期に占領下米国の権益確保、ポツダム宣言が内地の一体性を認めていて、分割統治とすると、宣言内容と矛盾してしまうこと、ポツダム宣言を反故にすると、帝国陸海軍の武装解除ができなくなり、日本が降伏を撤回し、最後の一兵まで戦う可能性があったこと、またそういうことを匂わせながら、GHQに猛反発した吉田茂他の政治家等々の活躍があったことなどが原因となっていると言われています。

ただこのときに、同時並行的に、米軍による日本占領をスムーズに行うために、日本国内におけるマイノリティ(少数民族)である朝鮮人たちに、東南アジア統治に使われた華僑と同様の特権を持たせ、彼らに武器を与え、焼土と化した日本国内で、別け取りに土地や財産を与える・・・つまり東南アジアにおける華僑の役割を朝鮮人にやらせるという手法が採られた。

これが「朝鮮占領軍」だとも言われています。

確たる資料は何も残っていないのですが、おそらくは、当初、日本支配のための構図としてこうした方法が考案されたであろうことは容易に想像できるし、そうでなければ、なぜ一部の朝鮮人たちが、旧日本軍の軍装を、容易にかつ大量に入手し利用することができたのかの説明がつきません。

つまり、当時の朝鮮人達が、むしろGHQによって新たな日本の支配層として特権的身分を与えられた、だから武器も容易に入手できたし、駅前の一等地を勝手に支配しても、GHQはこれを野放しにしたとみるのが、自然な流れということができます。

ただ、東南アジアにおける華人と、朝鮮人たちが明らかに異なっていたのは、彼らの横暴ぶりがGHQの側からみても、あまりに理不尽で目に余ったこと。

白昼堂々と妙齢の日本人女性を強姦したうえで生きたまま鼻を削いだり、挙句の果てが恩人であるはずのGHQの白人兵士に対してまで、平気で乱暴狼藉をはたらく。

さすがに、白人たちの側からも、こりゃダメダ、あいつら(朝鮮人)は、使い物になんねえ!ってことになって、結局は、朝鮮占領軍というものは、下準備したGHQによって解散を命ぜられる。要するに東南アジアにおける華僑のように、統治者として信頼できるパートナーとなりえないことを、彼ら朝鮮人自身が立証してみせたのです。

ところが悪いことに、解散命令までに巨大な利権(駅前一等地の確保、百貨店や農家を襲って盗んだ物品や食糧を闇市で売り捌く)を握っていた朝鮮人達は、武装を解除したあとも、結束し、自分たちがそれまでのごく短期間に得た利権保持に努めた。

その結果が、現在まで綿々と続く、コリアンによる日本国内での各種利権に至っている。

このことは、ひとつには、もしかすると日本人に対する列島内部での支配階級となりえたかもしれない朝鮮人たちが、結果としてGHQから見放され、その地位を失ったのは、彼ら自身の自業自得であるということ。

もうひとついえるのは、GHQが最後には否定した彼ら朝鮮人の利権の一切を、日本人自身が、ちゃんと取り戻す努力をしなかった・・・・おそらくここには、当時の日本の政治家が、当時巨額の金を手にしていた彼ら朝鮮人から相当額の献金を受け、事態を曖昧にすることに一役買ったという事実もあったのではないか・・・という点です。

悪は放置すれば増殖する。
悪は断じて攻め続けなければならないのです。
そうでなければ、被害を受けるのは、結局はまともな人たちなのです。

一方で、朝鮮人達は、GHQからお墨付きをもらうことで好き放題できたという成功体験が忘れられない。そのことが、1月6日のこのブログ記事の名無しさんのコメントにあります。

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圧巻は虐殺された朝鮮人の数を検証する部分。
当時、吉野作造は2613人と書き、上海に亡命した大韓民国臨時政府の機関紙「独立新聞」は6419人と書いた。

今回の取材中、工藤さんはロンドンのナショナル・アーカイブスで朝鮮独立運動派が諸外国の外交官にばら撒(ま)いた謀略宣伝用小冊子を発見した。

そこに書かれた数字はなんと2万3059人。

それでは当時東京に何人の朝鮮人がいたのか。政府統計によると東京に約9千人。近県に約3千人なのである(全国で約8万人)。

そして、警察署などに保護された朝鮮人は6797人。

この数字だけからでも虐殺されたとされる朝鮮人の数がいかに根拠のないものかわかろう。
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各国の外交官に「自分たちは被害者で~す」と偽った文書をばらまく。そうすることで、自分たちをふたたび特権階級にしてくれという、運動です。

しかし欧米列強の外交官たちは、これを頭から無視した。
要するに朝鮮人という人種、あるいはこうした扇動をする朝鮮人というものが、いかに非道で悪質な連中かということが、あからさまに見透かされたのです。
失った信用は二度と戻らない。世界はバカではないのです。

何度も書きますが、朝鮮人のすべてが非道な者たちであると言うつもりはまったくありません。

以前「朝鮮戦争」の記事でご紹介した金錫源将軍なんて、人格といい度胸といい、教養といい素晴らしい。個人的にも大好きだし尊敬もしています。
知覧航空基地から飛び立った朝鮮人特攻兵14人もいるし、関東大震災の際に警察が保護した朝鮮人6800名も、まっとうな人たちであったと信じたい。

ただ、いいたいのは、在日コリアン諸氏も、単に「あなたがたは、利用されただけなのですよ」ということです。

そして超貧民だった華僑が、植民地政策上の特権階級的身分を得て大金持ちになったのと同様、在日コリアンも、戦後のほんの一時期の特権的身分の付与によって、特殊な地位を得、これを現代にいたるまで、いまなお保持している。

この場合、問題は、むしろ日本人の側にこそあると思います。

おそらく日本が独立を認められた時点において、完璧に在日朝鮮人たちの特権のはく奪を行うことは、その時点で、十分可能だった。

それをしなかったのは、むしろ日本の政治家の怠慢であり、民意の怠慢です。

おそらく特権的身分の廃絶に対しては、当時カネを持っていた在日コリアン側からかなりのカネが政治家に動いたのではないか。

そういうものを、いわば野放しにすることによって、日本は戦後65年も経つのに、いまだGHQのブレを引きずり、左翼史観、反日史観、在日特権を野放しにしている。

日本は、いつまで「腰ぬけ」でいるのか。

とっくの昔に独立を承認され、世界のトップレベルの国力を持つ国になりながら、いまだに植民地の奴隷的、自虐的歴史観のままでいるのか。

それでも経済が成長し、年収がアップしていた時代はまだよかったかもしれないけれど、10年で年収が4割も下がるような時代にあって、これからの時代を生きる子や孫たちが大人になった時代に、私たちは、いったいなにを残すのか。もっと貧乏な国にしたいのか。

かつてのあの誇り高い日本人は、いったいどこへ行ってしまったのか、と思うのです。

いまこそ、わたしたち日本人は、日本の歴史を取り戻し、誇りある日本人として、本来あるべき日本の姿を取り戻していかなくてはならない。
そう思います。


関連記事「朝鮮進駐軍の非道を忘れるな」
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-748.html

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