百人一首(19番〜21番歌)



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百人一首は、中盤、恋の歌が増えてきます。
私は恋愛にはいい歳をしていまだにオクテで、実はとっても苦手なところです。
恋達者の人からみたら、もしかすると解釈に違いがあるかもしれません。

ただ、先般ご紹介した18番歌の藤原敏行朝臣のように、秩序観からたとえどんなに好きでも、その恋心は夢の中だけにして、決して表には出さない、そんな気持ちの歌は、なんだかいかにも男の歌という感じがして、とてもよくわかる気がします。

百人一首は、順番にみて行くと、歌そのものが理解しやすくなるように、ほんとうに良く名歌を並べた歌集だと思うのですが、実は、この18番歌の藤原敏行朝臣の男の恋歌の次に来るのが、女性の恋歌である伊勢の歌です。

この18番歌と19番の伊勢の歌の対比は、恋に不器用な男の歌と、恋に生きた女性の歌という、これまた明確な対比となっていて、実に興味深いものがあります。

=========
19番歌 伊勢

 難波潟短き蘆のふしの間も
 逢はでこの世を過ぐしてよとや


なにはかた
みしかきあしの
ふしのまも
あはてこのよを
すくしてよとや
=========

この歌の解説にあたっては、先に、伊勢という女性について書いておく必要があるかもしれません。

伊勢は、9世紀の中流貴族である伊勢守藤原継蔭(ふじわらのつぐかげ)の娘です。
宇多天皇の中宮温子(おんし)に仕えたのですが、その中宮温子の実兄の藤原仲平(ふじわらのなかひら)と大恋愛の上、恋に破局してしまいます。
その後、仲平の兄弟の時平や、平貞文と交際の後、宇多天皇の寵愛を受け、天皇の皇子を生み、伊勢の御息所(みやすどころ)と呼ばれる女性となりました。

ところが、その皇子が、まだ幼いうちに早世してしまいます。
悲しみの中、こんどは宇多天皇の皇子である敦慶親王と結ばれ、女流歌人の中務(なかつかさ)を生んでいます。

恋多き女性ともいわれますが、ものすごい文才に恵まれた女性で、自分の歌集である「伊勢集」を遺しています。
その伊勢集となると、もう恋の歌のオンパレードで、この歌集が、後に「和泉式部日記」などの女流日記文学へと発展する基礎を担ったといわれています。

ただ、恋の歌をたくさん遺したから、恋多き女性というのは、いささか短絡的すぎるようにも思います。
我田引水になりますが、恋が苦手だからこそ、恋の歌をたくさん遺した、実際にはそんなものじゃないかな、と思うのです。
恋への憧れと、恋をすることは、また違います。
そして人は、手に入らないからこそ、なおさら求めてしまう。
そういうことってあると思うのです。
というか、世の中って、そういうものなのではないでしょうか。


さて、19番歌です。

はじめの「難波潟(なにわかた)」というのは、大阪湾の入り江のことです。
いまでは工業地帯になっていますが、昔は遠浅で干潟が広がる入江で、そこにはたくさんの芦(あし)が生えていました。

「みじかき芦の」の「芦(あし)」は、「葦(あし)」とも書きます。
「あし」という呼び名が「悪し」に通じるというので、「よし」とも呼ばれ、これを使った代表的な道具に「よしず」があります。
葦は、高さが2〜3メートルにもなる草で、古来日本人は、この葦をさまざまなことに役立ててきました。

次の「みじかき芦の」というのは、葦そのものが短いというだけでなく、「ふしの間も」にかかり、短い時の間という意味にもかかっています。
葦には節がありますが、その節と節の、短い間というところに、「逢っている間のほんのわずかな時間」という意味が掛けられているわけです。

下の句は、「逢はでこの世を過ぐしてよとや」で、「逢わないでいて、この世の一生を過ごしてしまえとあなたはおっしゃるのですか?」という意味です。
「過ごしてよ、とや?」です。

通解すると、「難波潟に生い茂っている芦の節と節との間の短さのようなほんの短い時間も、あなたは、逢わずに、一生を過ごしてしまえと、おっしゃるのですか?」といった意味になります。

ほんのわずかな間も、ピトッとくっついていたい。
ずっと側にいたい。
ほんの一瞬でも離れていたくない。
ぴったり寄り添っていたい。
好きな人といるときに、そういう気持ちというか衝動に駆られるのは、女性のある意味、本能なのだそうです。

それにしても、伊勢のような美しい女性と一緒にいて、その女性からちょっと上目遣いに「みじかき芦のふしの間も逢はでこの世を過ぐしてよとや?」なんて言われたら、言われた側の男性は、もうメロメロです。
もぉ〜〜、この男殺しぃ!!みたいな感じかもです。

男性は、遠く離れていても、変わらぬ愛を保ち続けます。
戦いに臨み、故郷を遠く離れていても、家族のために、愛する人のために、命を的に戦う。
それが男という生き物だからです。

そういう男性と一緒にすごす時間を、どこまでも大切にしたいと願う、これまた女性の古来変わらぬ女心というものかもしれません。

千年前も千年後も、人は人です。
伊勢のこの歌には、共感する女性も多いのではないでしょうか。
そして男性にとって、この伊勢の歌は、いわば永遠の憧れのシーンといえるかもしれません。


=========
20番歌 元良親王(もとよししんのう)
 わびぬれば今はたおなじ難波なる
 みをつくしても逢はむとぞ思ふ


わひぬれは
いまはたおなし
なにはなる
みをつくしても
あはむとそおもふ  
==========

大阪市にお住まいの方なら、この歌は常識歌となっていてもよい歌です。
というのは、この歌にある「みをつくし」は、「身を尽くし」と「澪漂(みおつくし)」の掛詞で、「澪漂」というのは、海上での船舶用の標識で、大阪市の市章にもなっているマークだからです。

大阪市市章


また「身を尽くし」は、朝の連続テレビ小説で沢口靖子が主演した「澪(みを)つくし」がありました。
このタイトルも、大阪の市章も、この元良親王の歌がもとになっているものです。

「わびぬれば」というのは、「想いわずらえば」という意味です。相当、せっぱつまった気持ちを表します。
「今、はた同じ」の「はた」は、「また」と同じで、「今となっては同じこと」という意味です。
「難波なる」の「難波(なにわ)」は、大阪のことで、次の「澪漂(みおつくし)」に掛かります。

澪標というのは、港などの海上で、海が浅くて船に座礁の危険があって通れないところと、水深が深くて航行が可能な場所(澪)との境に並べて設置する、航路を示す海上標識です。
ですから、想い煩い、いまとなってはドン詰まりの切羽詰まったギリギリの状態にあり、それはまるで海上標識の澪標識のある場所と同じ、ある種の境界線上だけれど、そこで「わが身を尽くす」、つまり「わが身をたとえ滅ぼしたとしても」、と続くわけです。

で、「わが身をたとえ滅ぼしたとしても」、何をしたいのかといえば、「貴女に逢いたい」のです。
なんだか、ものすごく緊迫感のある歌ですが、それもそのはず、この歌は、元良親王が、時の宇多法皇の愛妃である京極御息所との不倫の関係が発覚したときに詠んだ歌とされています。

世間のすべてを敵にまわしても、それでも愛する貴女に逢いたい。
そんな強い熱情を謳いあげているわけです。
なんだかとてもロマンチックです。

ところが現実は、ちょっと厳しいです。
元良親王(もとよししんのう)と言う人は、10世紀の初頭の人で、陽成天皇の第一皇子で、生涯に30人以上もの女性と関係を持ったという色男です。
まさに愛のために生きたような男性です。

元良親王は、皇子ですし、歌もたいへんにお上手で、知的な男性ですから、まさに家柄良し、頭良し、経済力ありと三拍子揃った貴公子です。
性格もきっとやさしかったのでしょう。
たくさんの女生と関係をもったそうです。
きっと見た目もいい男だったのだろうと思います。

多くの場合、こうしたモテ系男子というのは、さみしがりやさんが多いようです。
いつもみんなと一緒にいたい。
そして女性との接点が多くて、女性に対しても積極的だから、たいへんによくモテます。

歌を詠んだのが元良親王なら、歌のお相手は、京極御息所(きょうごくのみやすどころ)です。
この女性は、宇多法皇の子を3人も産んだ藤原褒子(ふじわらのほうし)といわれています。

この女性の美しさは、志賀寺上人という生涯女性と付き合わなかった90歳の名僧さえも、恋狂いにさせてしまったほどだというくらいですから、相当なものです。
学識が高く、見目麗しく、情もこまやかで、ちょっとした仕草も、まるで舞を舞うような優美さと気品があり、修行を積んだ高僧さえもうっとりさせてしまう。
そんな魅力のある女性だったのでしょう。

一般に言われていることは、この二人が出会い、恋に落ち、逢瀬を重ね、けれど二人が出会ったときの、藤原褒子は、すでに宇多法王の子を産んだ御息所で、二人は、宇多法皇の目を避けながら、イケナイことと知りつつ、逢瀬を重ね、それがついに露見してしまう。
元良親王は、謹慎処分となり、二人の逢瀬も禁じられ、そのときに元良親王が、その熱情を詠んだのが、この歌とされています。

ここまであなたを想いわずらってしまったけれど、今となっては、難波の海の澪漂と同じこと。たとえ私の身が滅んでしまったとしても、いまはただただ貴女に逢いたい、というわけですから、なんともまあ、情熱的な恋歌です。

気持ちとしては、あるいは歌としては、心に残る名歌です。
ただ、事実関係となると、だいぶ様子が異なるようです。

まず藤原褒子は、遣唐使の廃止を行った菅原道真を政界から追放した藤原時平の娘です。
一方、宇多上皇は、菅原道真を起用し、まさに遣唐使の廃止のために尽力した上皇です。

この遣唐使の廃止というのは、ものすごく簡単に図式化すると、まず唐との交易は、船の往来が成功すれば、莫大な富みをもたらすものです。
古来、政治と利権は切り離せないものです。
当然、そこには巨額の利権を得る貴族たち、つまり藤原一族がいます。

けれどChinaとの交易というのは、今も昔も変わりません。
巨額の利益がある一方で、ろくでもない、来てほしくない不良外国人がもれなく付いてきます。
そうすると、古来の日本社会ではあり得ないような犯罪が頻発するし、富みというのは一定のパイの奪い合いですから、一部の人たちが巨利をむさぼるということは、他の多くの民衆は貧しくなるわけです。

この、民の安心できる暮らしをとるか。一部貴族の欲得と利権をとるかということは、古来変わらぬ、政治の永遠のテーマです。
貴族の欲をとれば、民が苦しむ。
民の安寧をとれば、一部の権力のある大金持ち貴族が、ありとあらゆる抵抗勢力となる。
なにせ、巨利を得ていた人たちが、その利権を失うのです。
当然、大きな抵抗が生まれる。

そんな中にあって、民こそ国の宝という日本古来の伝統に従って、断固遣唐使廃止に踏み切ったのが菅原道真公です。
そしてその菅原道真公を重用したのが宇多上皇です。
一方、このことによって、遣唐使利権を失い、怒り心頭だったのが、藤原時平であったわけです。

藤原時平にしてみれば、交易利権を失ったとしても、政治権力を失うわけにはいきません。
そこで、美人の誉れ高い娘の藤原褒子を、上手に宇多上皇に近づけ、宇多上皇の妻にしてしまうわけです。
もともとは藤原褒子は、それこそ産まれたときから、醍醐天皇の女御として入内することが決まっていたのです。
これを時平は、家を残すために、見事にひっくり返したわけです。

これはまさに政略婚そのものです。
ですが、藤原褒子は、とんでもない美人です。
宇多上皇は、褒子をたいへん気に入られます。
そして褒子を六条京極の河原院に置いて寵愛し、3人も子をもうけます。

ところが、この褒子に、女好きの元良親王が、横恋慕してしまったというわけです。
問題はこの元良親王です。
実は、宇多上皇に対しては、腹に一物があります。
というのは、宇多上皇は、妹の子の陽成院を、天皇に就けてしまうのです。
もし、陽成院が陽成天皇とならなければ、もしかすると元良親王が、元良天皇となったかもしれなかったのです。

元良親王は、女性とみれば見境なく、恋歌を送って口説こうとした男です。
もしかすると、自分が天皇になれなかった腹いせに、宇多上皇が寵愛する藤原褒子を口説き落すことで、宇多上皇に恥をかかせようとしたのかもしれません。

ところが、その横恋慕が、バレてしまう。
そして元良親王は、謹慎処分となるわけですが、ここが実は問題で、歌だけみると、「身を尽くし(身を破滅させてでも)」というのですが、その後、特段、元良親王が、身を破滅させたという記録はないのです。
どうやら結論からいうと、あらぬ歌を詠んだということで、一時的な謹慎になっただけで、元良親王と褒子との間には、実は何もなかったようなのです。

というのは、藤原褒子は、

 墨染めの濃きも薄きも見るときは
 重ねて物ぞかなしかりける

という歌を遺しています。
この歌は、むしろ夫である宇多上皇へのやさしい気遣いを詠んだ歌です。
もっというなら、褒子が、元良親王への思慕をにおわせるような歌さえありません。

普通に考えたらわかるのですが、宇多上皇の子を三人も産んだ藤原褒子にしてみれば、愛する人は、宇多上皇です。
ハナから元良親王など、眼中にないのです。
まして幼い子のいる母親です。
愛情の全ては、宇多上皇と3人の子に注がれ、ハナから元良親王など、そもそもまったく眼中にない。

つまり、藤原褒子と元良親王の不倫の恋の物語というのは、現実にはただの元良親王の独り相撲だったということです。
褒子は、最初から、元良親王のことを、まるで相手にしていなかったし、おそらくは不倫の関係そのものも、まったくなかったというのが、どうやら現実です。

この点については、諸説ありますが、すくなくとも、前後の歴史の経緯からするに、この見方、つまり、お二人には、何もなかったというのが、実際のところであったように思います。

宇多上皇と藤原褒子との結婚が、たとえ政略結婚であったとしても(正妻ではありませんが、わかりやすくするためにあえて結婚と書きます)、宇多上皇が美しい褒子を愛したのは事実だし、子を持つ女性として、褒子がそんな宇多上皇を、生涯愛し続けたというのも、また事実です。

そもそも美しさというのは、年齢とともに、生き方やその人の人生が、顔に出てしまうものです。
90歳の老僧をして、心を打たせるだけの美しさというのは、褒子が、どれだけまっすぐな善い人生を送って来た女性であるかを象徴しているといえるのではないか。そのように思います。

一方、宇多上皇は、なるほど菅原道真を抜擢し、彼をして遣唐使廃止という大英断をふるい、その後、かつての遣唐使推進派の恨みを買った菅原道真が失脚したとしても、宇多上皇には、その後の政治を安定させていかなければならないという責務があります。
国の乱れは、民の生活を圧迫するからです。

だからこそ、宇多上皇は、反対派の藤原時平の政略にあえて乗って、彼の娘の褒子を河原町にかこったし、また宇多上皇が褒子を愛し、子をもうけることは、そのまま、菅原道真を追った藤原一門への大きな懐柔にもなったのです。
そういう高度な政治的配慮の中にあって、元良親王は、ただおのれの欲望のためにだけ、褒子を口説き、我が物にしようとしました。

なるほど、歌は、不倫がバレても「みをつくしても逢はむとぞ思ふ」と情熱的ですが、これは、あくまで、歌の世界だけでのことです。
実際には、元良親王は、身もつくしてないし、そもそも純粋に「わびぬれば(=想いわずらえば)」といえる恋が根っこにあったのかといえば、かなり疑わしい。

百人一首は、18番に藤原敏行朝臣の「夢の通ひ路人目よくらむ」の歌を配し、秩序を大切に、自分の恋心を押さえる理性をまず指し示しました。
次いで、19番歌では、愛のために「短き蘆のふしの間も 逢はでこの世を過ぐしてよとや」と詠み上げる伊勢の恋歌を掲げました。
この2つは、まさに真実の恋といえるものであったろうと思います。

けれど、続く20番の元良親王の歌は、歌は「みをつくしても逢はむとぞ思ふ」という、たいへんロマンチックで情熱的な歌ですが、これはただのお芝居でした。
恋に焦がれてロマンを求めても、そこには落とし穴もあるんだよ。なんだか選者、藤原定家のそんな声が聞こえてきそうです。

「ロマンは、歌の中、想像の中だけ。
実際に起こってしまったら、本当に経験してしまうのは、実は、野暮。
想像の世界だからこそ、そこにロマンもあれば激情もあるのだけれど、大人の恋はリアルに手を伸ばしてしまえばそれまで、ということなのかもしれません。

もっとも、どうしてせっかくの元良親王の、こんなにロマンチックな愛の歌に、こんな落とし穴を言うのかと、お怒りの方もおいでになるかもしれません。
実は、その答えが、次の次の21番の素性法師(そせいほうし)の歌にあります。


=========
21番歌 素性法師(そせいほうし)
 今来むといひしばかりに長月の
 有明の月を待ち出でつるかな


いまこむと
いひしはかりに
なかつきの
ありあけのつきを
まちいてつるかな
=========

素性法師(そせいほうし)というのは、あまり詳しい事はわかっていない人です。
ただ、もとは俗名を良岑玄利(よしみねのはるとし)といって、左近将監(さこんのしょうかん)です。

左近将監というのは、近衛大将(左近衛大将・右近衛大将)の一角です。
同じ役職をいただいた歴史上の人物といえば、徳川家康がこれにあたります。
まさに、武門のトップだった人なのです。

ところが、この良岑玄利は、その近衛大将という要職を捨て、出家して、権律師(ごんのりっし)となりました。
お坊さんとしては、僧正、大僧都(だいそうず)に続く高官ですが、出家するというのは、この世の生を捨てて、生まれ変わって別な存在(仏に帰依した僧)となるということを意味します。

なぜ、良岑玄利は、身分を捨て、家を捨て、出家して素性法師となられたのでしょう。
実は、良岑玄利は、大きな戦いを責任者として遂行し、多くの仲間の命を失い、戦いには勝利したものの、その責任を取って出家して、亡くなられた敵、味方の御霊の供養に生涯を捧げられた方です。

この歌の通解で、よく最近の本に書かれているのは、歌の意味は「今すぐに参りますよ、とあなたが言ったので、秋の夜長にひたすら待っていたら、有明海に、夜明けの月が出て来てしまいました」と、女性の立場で詠んだ歌だというものです。
なにやらそれだけ聞くと、素性法師がいわゆるホモの「おねえ」で、好きな男に騙されて、みたいな歌に聞こえてしまいます。
間違いではないかもしれませんが、そういう解釈では、歌が泣きます。

さきほども書きましたように、もとももとは素性法師は、近衛大将です。
9~10世紀初頭にかけて生きた人で、10世紀初頭といえば、藤原純友の乱などがあった時代ですが、素性法師が良岑玄利(よしみねのはるとし)という名の左近将監をしていた時代の戦が、具体的にどの戦を指すものなのかは、はっきりとはわかりません。

ただ、有明というくらいですから、九州北部で大きな戦があり、良岑玄利は、その戦の最高責任者として、陣頭指揮を執ったのでしょう。
そして多くの血が流れたわけです。

戦いは、良岑玄利の名指揮によって、勝利に終わりました。
けれど事件後、良岑玄利は、出家し、仏教界の大御所である権律師という立派な役名をもらって、戦でお亡くなりになられた兵たちの家を一軒一軒、尋ねてまわり、その家の仏壇に手を合わせ、経を唱える旅をされたのではないかと思えるのです。

そんなある日、尋ねて行った兵の家で、亡くなった兵士の、それは妻なのか、母なのかはわかりませんが、その女性が、
「あの人(子)は、戦に出発するときに、今度の戦いは、簡単な戦だから、きっとすぐに帰れるよ(今来むと)と言いのこして出て行ったんですよ。だからきっと帰ってくるって信じて待っていたんです。けれど、あれから何ヶ月も経って、有明の夜明けに月が出る季節になってしまいました。なのにまだ帰って来ないんです。」

そう言って、涙をこらえる女性の前で、ただ黙ってうなだれるしかなかった、出家した元近衛将軍。
この歌は、そんな情景、あるいは実話を、詠んだ歌なのです。

実際、同様の話は、日清、日露、あるいはChina事変や大東亜戦争のときにも、たくさん残っています。
有名なもののひとつが、China事変のときの松井岩根大将で、彼は興亜観音を寄進していますし、また乃木大将は、日露戦争の戦没者のために、全国の神社に「忠魂碑」を寄進されています。
少し古い話ならば、戦国時代の名将が、出家して仏門に入り、なくなった将兵の御霊を安んじることに生涯を捧げたという話なども、たくさん残っています。

似たような話があります。
大東亜戦争で、特攻隊の指揮官だった玉井浅一司令は、戦争が終わった昭和22年の猛暑の日、愛媛県の関行男大尉の実家に、大尉の母のサカエさんを訪ねたのです。

玉井元司令は、関大尉の母に両手をついて深く頭を下げると、次のように言いました。
「自己弁護になりますが、簡単に死ねない定めになっている人間もいます。私は若いころ、空母の艦首に激突しました。
ですから散華された部下たちの、張りつめた恐ろしさは、少しはわかるような気がします。
せめてお経をあげて部下たちの冥福を祈らせてください。祈っても罪が軽くなるわけじゃありませんが。」

この後、玉井司令は、日蓮宗のお坊さんになりました。
そして海岸で平たい小石を集め、そこに亡き特攻隊員ひとりひとりの名前を書いて、仏壇に供えました。
そしてお亡くなりになるその日まで、彼らの供養を続けられています。

武将であれば、国を護るために戦わなければなりません。
けれど戦えば、敵味方を問わず、尊い命をたくさん失うことになる。

戦えば、人が死ぬのは当たり前という、人の命をなんとも思わない将軍や王が、世界の歴史にはたくさん登場しますけれど、日本の将は、古来、部下たちの命を、どこまでも大切にしたのです。
そしてそういう日本人の武人の心を、この歌は、見事に象徴しているように思います。

そして良岑玄利(よしみねのはるとし)左近将監は、この歌の詠み手の名前に、元の左近将監だった頃の名前ではなく、そっと「素性法師」とだけ添えました。

その心。
それが、古来変わらぬ、日本人の心なのだと思います。

18番に藤原敏行朝臣の「夢の通ひ路人目よくらむ」という秩序を大切する心、19番歌に女性である伊勢の恋歌、そして20番は、元良親王の「みをつくしても逢はむとぞ思ふ」といいながら、実はウソという人の世のこわさ。
そして続く21番では、素性法師と名乗る元左近将監が、戦死した子(もしくは戦死した愛する夫)の帰りをいつまでも待つ愛が配されています。

真実ってなんだろう。
本当にたいせつなことってなんだろう。
そういうことを、読み手に考えさせずにおかない、実に凄味のある百人一首の歌の配置に思えます。


さて、次の22番歌は、文屋康秀(ふんやのやすひで)です。
文屋康秀は、小野小町の彼氏としても有名な人です。
彼は三河に赴任が決まったときに、小町に、一緒に三河に行かないかと誘っています。

そのときに小町が答えて詠んだ歌は、

 わびぬれば 身を浮草の 根を絶えて 
 誘う水あらば いなむとぞ思ふ

というのです。
浮き草のように私の根を断ち切ってあなたが誘い流してくれるなら、私はあなたについて行きますわ、つまり小町は康秀に、「私、あなたに付いていきます」と答えているのです。

こう返された文屋康秀は、結局、小町を連れず、単身で三河に赴任しました。
小町は、「一緒に行く」と言ってくれたのです。
康秀は、涙が出るほど嬉しかったにちがいありません。

けれど、なんでも揃っている都会暮らしと異なり、草深い田舎の三河の暮らしは、愛する小町にとって、きっと難儀な暮らしになる。
康秀は、三河に行ったときの小町の難儀を思い、ひとり黙って三河に旅立ちました。いい男じゃないですか。

そんな文屋康英の歌として、藤原定家が百人一首に選んだのが、

 吹くからに
 秋の草木(くさき)の しをるれば 
 むべ山風を 嵐といふらむ

という歌です。
さて、この歌には、どんな思いが隠されているのでしょうか。
続きは、また次回。
お楽しみに♪

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コメント

ポッポ

No title
○菅官房長官:「河野談話につきましては、私はここで何回ともなく申し上げました通り、見直しを含めて検討という内容を述べたことはなかったと思います。安倍政権としては、この問題を政治問題、外交問題にさせるべきではない」
○外務省の斎木昭隆事務次官は12日午後、韓国外務省で趙太庸第1次官と約3時間会談した。
韓国政府関係者によると、斎木氏は安倍晋三首相が歴代政権の歴史認識を継承している点を強調。しかし、趙氏は日韓関係の発展には慰安婦問題での日本の誠意ある対応が必要だとの考えを示し、認識の差は埋まらなかった。

どうやら、斎木事務官は日韓の歴史認識について、韓国の主張する歴史観をそのまま受け入れなかったため、予定されていた晩餐会が中止になったような雰囲気です。
急に斎木氏が韓国に向かうことになったため、日韓の歴史観による対立にアメリカが業を煮やして首脳会談の開催を要求したように推測したのですが、日韓双方が折り合わなかったため、物別れになったようです。
良かったです。
これまでですと、こんなときは日本が大人の対応をして一方的に譲らされていたのですが、捏造した歴史観を世界にばらまく韓国に振り回されることはありません。

先日の衆議院の予算委員会のとき、日本維新の会の山田宏氏が高齢にも関わらず出席してくださった、石原元官房副長官から河野談話の際の経過を説明していただき、その結果、政府により河野談話を検証するとの言葉がありました。
韓国の朴槿恵大統領は、早速これに反対しました。

でも、日本が正しい歴史認識をすることは、どこの国にとっても喜ばれることだと思います。

しかしながら、いわゆる従軍慰安婦問題について政府が検証することなく、韓国の捏造による主張を取り入れたならば、次の総選挙で自民党は先の選挙の民主党のごとく崩壊するでしょう。
民主党については、一度やらせてはどうかとの提案の元の勝利だったと思います。しかし、一度で十分で、今度政権を取るようなことがあれば、これもまた日本の崩壊に通じるだろうことを、国民は覚えました。
それなら、得するところは、どこの党でしょうか?
これは、あと二年以上ありますから、その間の現政権の行動次第なのです。
国民は、政治に関心を持っていなければならないと思います。


それから、WIKIの慰安婦の内容は充実していると思っていたのですが、これは日本版だけで諸外国のものは中身が異なり、韓国の主張することだけで、日本のことは捏造と歪曲ばかりとのことを聞きました。
がっかりです。
これは、民間のボランティアでは無理でしょうし、政府がやることも無理でしょう。
韓国にVANKと言う、“韓国の正しい姿“を世界中に広めるために、インターネット等を介して、韓国に関する情報宣伝工作活動を行うことを目的とする大韓民国の民間組織があり、これに韓国政府から公金を支出しているとのことですので、これの日本版を作って、正しい日本の姿と歴史認識を、様々な広報媒体や運動を監視し、日本が正しく理解されていないと認識された場合には、対応策を講じることが必要だと思います。



日本の再生エネルギーについて、太陽光発電ばかりが注目されていルように思います。
メタンハイドレートやオーランチキトリウムの実用化にも、もっと光を当てて良いと思います。
いずれも実用化された場合には、埋蔵量と安定した生産量が見込まれると考えるためです。

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承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです

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承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです

junn

No title
河野談話を謝罪した宮沢喜一
http://hitorigoto-kokoro.blogspot.jp/2014/03/blog-post_4538.html
宮沢喜一首相が騙されたこと
複数の人が書いてるようだ


これは事実である
僕は宮沢喜一元首相から聞いてる
騙されたことを悔やんでいた


韓国はひどい国である


日本人は韓国とのお付き合い
ずっと取り組んでキタ
もういりません


嘘つきキムチに用はない


(。-_-。) まる

りか

百人一首は、私も日本人が持つべき教養として、いろんな本みたり、ネットで情報あさったりしてます。

若菜ですが、光孝天皇の兄の孫の陽成天皇と思って、解釈し直してみてください。

mari

No title
ある本には「醍醐天皇に入内する予定だった藤原褒子を宇多上皇が横取りした」などと書いてあって釈然としない気持ちだったのですが、背景を知って腑に落ちました。

ところで和歌に詠まれる「有明の月」は明け方まで残っている下弦の月であって、有明海は無関係ではないでしょうか?

次回も楽しみにしています!

世田谷プリンセス

たびたび申し訳ございません。[知人メール転載]拡散と徹底抗議をお願い申し上げます。
【緊急!葉書も】
閣議決定H26/3/11=出入国管理・難民認定法改悪法案
・高度人材なりすまし韓国人共産シナ人の永住権取得申請要件を在日5年から3年へ短縮←←←韓国語常套句「高度人材」
・配偶者就労可
・韓国人共産シナ人悪習の家政婦帯同可
・クルーズ船韓国人共産シナ人乗客入国審査簡易化

帰化未帰化在日韓国人日経新聞H26/3/12韓国式常套句の韓国式嘘ステマ:経済活性化につながる←←←韓国人共産シナ人移民の小さい穴がデカ穴になり日本国人口侵略され日本人が排除され日本国は滅ぶわよ

@退官要求先
100-0014千代田区永田町2-3-1政務担当首相秘書官今井尚哉(李尚哉)F安倍と同じ
@議員辞職要求先
100-8970千代田区霞が関3-1-1内閣府副大臣西村康稔(グローバル馬鹿)F0335815769
@委員辞職要求先
〒住所西村と同じ 産業競争力会議委員竹中平蔵(李平蔵)F03 3581 9351・3581 5769・3581 0923・3593 1784

@廃業要求先
100-8066千代田区大手町1-3-7(株)日本経済新聞社代表取締役社長喜多恒雄F03 6256 7950・5255 2633・52552923

@閣議決定撤回
@高度人材受入事業廃止
@永住権取得要件在日10年一律化
@今井竹中西村解雇
の要求先
100-0014千代田区永田町2-3-1首相安倍晋三F03 35813883・55100654
〒住所西村と同じ 規制改革担当大臣稲田朋美F0335814611←←←しっかりしなさいよ
〒住所西村と同じ 内閣府高度人材受入推進担当室長石井裕晶F0335810923
自民党全員

by長野県J

世田谷プリンセス

[転載]知人からのお知らせです。
~江戸川区マーメイド
【最近の活動報告その1】

1.
平成26年8-9月の自民党総裁選挙:多数の保守系日本人女子は、前もって早く自民党員(一般党員年額4,000円、家族党員年額2,000円)になり、安倍晋三氏へ地方票投票する
(注)平成26年9月26日開票の自民党総裁選挙において
「自民党員名簿」は非公開であり誰が党員であるか特定できないのに
帰化未帰化在日韓国人マスコミ各社は韓国式既成事実化ステマ報道「帰化未帰化在日韓国人に都合が良いゲル石破茂が地方票で圧倒」としつこく連発し、自民党地方党員は誤誘導され石破へ大量投票

2.
平成27年4月の統一地方選挙:
無所属立候補で中ぐらいや小さい市町村の地方議会議員立候補選挙供託金約52万円は自分の貯金から持ち出しになりますが、都合がつく保守系日本人女子は、できるだけ多数、市町村の地方議会議員へ立候補する

当選すれば、公明党・民主党・未来(民主党別行動部隊)・生活者ネットワーク(社民党別行動部隊)・結いの党の議席が減る

地方議会内で自民党・維新・みんなの党・田母神党と協力
議会外で日本人B層を啓蒙

日本国が徐々に良くなる

にっぽんじん

本当の教育
平和教育と言って「はだしのゲン」を推奨する方々に下記の事実を知って欲しいと思います。関西サンケイニュースの報道です。

“荒れた中学”変えた「特攻隊」、非行生徒らは明らかに変わった…3年生210人が演じた「特攻劇」、教師も親も泣いた

2014.3.10 07:00(1/4ページ)[大阪の教育は輝くのか]

花園中の3年生が制作した特攻隊をテーマにした劇「青空からの手紙」の1シーン。会場の体育館のあちこちで嗚咽が漏れた=平成25年9月

 荒れた中学校が特攻隊をテーマにした劇を契機に大きく変わろうとしている。大阪府東大阪市の市立花園中学。現3年生は入学時、髪を染めたり、ピアスをしたりといった生徒が「普通」で、暴力、喫煙など非行が絶えなかった。それが、熱血教師らの指導もあって、バラバラだった学年が劇制作などを通じて一つにまとまり、下級生にも「いい影響」が広がりつつあるのだ。卒業を控えた3年生と教師の軌跡をたどる。(古野英明)

体育館を包んだ嗚咽
 昨秋、開かれた文化祭。3年生210人全員参加で作り上げた劇「青空からの手紙」が終わるころには、会場の体育館のあちこちで嗚咽が漏れていた。

 テーマは第2次大戦末期の特攻隊員の悲劇と生き方。結婚して子供が生まれたばかりの主人公・中村正は、海軍で出会った友人の坂本から「お前には家族がいる。ここは俺に任せろ」と志願を止められたが、「自分だけが生き残るわけにはいかない」と先に志願した友人に続く。結局、先に出撃したのは中村の方で、そのまま終戦を迎えることに。終戦後、生き残った坂本が遺族の元に届けた遺書には、家族の幸せを願う中村の思いがつづられていた…。

 ロングラン公開中の映画「永遠の0」を思わせる内容だが、劇を制作・上演したころはまだ映画は公開されていない。指導・監修にあたった福島哲也教諭(32)は「まだ中学生ですから、原作の本も読んでいない者がほとんどだったでしょう。図らずも、話題の映画と同じテーマの劇を学年全体が一丸となって制作できて、教師も生徒もみな感動しています」と話す。

 感動したのは3年生と教師だけではない。「いつもはざわざわと私語が絶えない1、2年の生徒も静かに劇に見入っていました」と福島教諭。保護者の多くも目を真っ赤に泣き腫らし、後日、劇を収録したDVDを見た付近の高齢者の中には「号泣される方もおられました」という。

グレる生徒、まじめな生徒…互いに疎外感
 3年前、現3年生が入学してきたとき、花園中はかなり荒れていたという。
 1年のときから現3年を担当している福島教諭は「この子らも、喫煙、夜遊びは当たり前で、上級生に暴力をふるったり、学校のものを壊したり、教師に暴言を吐いたり…。それほどグレてない子でも髪を染めたり、ピアスをつけて学校に来たりしていました」と振り返る。
 「もちろん、まじめな子も多かったのですが、いわゆるサイレントマジョリティーで、グレている生徒とは距離を置き、非行を目にしても教師に伝えることをせず、関わり合いになることを避けていました」

 当時、同校に赴任したばかりで、学年主任となった福島教諭は、まず校則違反から正していった。ピアスや髪染めなど目に見える違反は、保護者も交えて話し合って改めさせた。またサイレントマジョリティーのまじめな生徒に、非行やいじめがあれば教えるよう依頼した。

 生活指導を受ける生徒は当然、反発したが、「彼らは、どうせオレなんて、私なんて、という疎外感をどこかにもっている。教師の側が腹をくくって接していれば、自分たちは見捨てられていないということを必ずわかってくれると信じていました」。

きっかけは特攻資料館
 そして、次に打った手が1年時から計画をスタートすることになっている修学旅行。平和学習ということで長年、定番旅行先だった長崎ではなく、福岡県の特攻資料館「大刀洗平和記念館」に決めた。

「原爆投下や大空襲だけが悲惨な戦争体験ではないでしょう。家族のため、国のために特攻に志願せざるをえない状況に追い込まれ、尊い命を犠牲にした若者がたくさんいたことを生徒たちに知ってもらいたいと思ったんです」と福島教諭。

 事前に特攻に関する資料を調べるなどの学習をさせ、迎えた昨年6月の修学旅行当日。生徒たちの多くは、命を散らせた特攻隊員らが出撃前にしたためた遺書や遺品、特攻関係の資料を前に無言のまま釘付けになった。「生徒は特攻はおろか、戦争のことをほとんど知らなかったでしょうが、彼らなりに何かを感じ取ったようでした」

劇制作通じ固い絆…教頭も「闇まぎれ感涙」
 旅行後、その「何か」が具体的に形になっていく。「特攻をテーマにした劇を文化祭でやりたい」。教師たちが助言したわけではなく、自然発生的にそんな声が上がり、キャスト、ナレーター、道具係、衣装係、音響、照明、パネル、合唱など、学年全員が何らかの役割を負った。夏休み中には、オーディションで選ばれたキャストの生徒9人が稽古を重ね、2学期が始まるころにはすべてのせりふを覚えていた。

 制作委員の一人である生徒は「現代では考えられないような悲惨なことが、そんなに遠くない昔に実際に起きていたということにショックを受けました。そして、そういう人たちの犠牲の上に、今の自分たちの平和があるんだ、と強く感じました。そんなメッセージを伝えられたら、という思いで劇を作りました」と話す。

 そして迎えた9月の文化祭本番。劇の完成度は高く、榎本欣弥教頭は「私も泣きました。生徒たちに見られたら恥ずかしいので、暗闇に紛れて…」とそのときの感動を語る。
「1年のころはツッパリだった生徒も喜んで裏方の仕事をやっていました。どの子も自分が自分が、というのではなく、それぞれの役割を黙々と果たし、学年が一つになっていました。こいつらすごい、と思いましたね」

校長にも元気よく挨拶…そして卒業
 3年生の影響を受け、他学年も変わりつつある。赤壁英生校長によると、校内ですれ違ってもあいさつどころか、目を合わせようともしなかった生徒たちが「あいさつをするようになりました」。また、以前は委員会活動に生徒が参加することはなく、実質、教師だけで行っていたが、最近は積極的に生徒も参加するようになってきたという。

 「まじめにやったら損する、悪いことをして正直に言ったら怒られる、という考えが改まってきたように感じます。今の3年が作ってくれたいい雰囲気を全生徒にもっと広げ、引き継いでいくことがわれわれの仕事だと思っています」と赤壁校長。

 受験のまっただ中にある3年生は2月末、自分たちで実行委員会を立ち上げ自主的に「冬の運動会」を実施した。「少しでも勉強する時間が惜しいでしょうに、まるで名残を惜しむかのように取り組んでいました」と福島教諭。

 固い絆で結ばれた3年生は14日に卒業式を迎える。学年主任の福島教諭は旅立つ彼らに「サプライズ」を用意しているという。

世田谷プリンセス

[知人メール転載]拡散と徹底抗議をお願いいたします。
【緊急!葉書も
国立青少年教育振興機構=国立オリンピック記念センター国立青年の家国立青少年自然の家
・翻訳業務はドイツ語のみだったが
・機構帰化未帰化在日韓国人職員(理事金谷史明など)と文部科学省帰化在日韓国人職員はH26/2/25-3/5ドイツ語・英語・韓国語の翻訳業務職員ダブリありで2名募集=帰化未帰化在日韓国人を機構へ大量呼び込み乗っ取り&新旧オリンピック施設青年少年施設2020東京オリンピックを韓国化する足掛かりにしたい

機構と文部科学省の帰化未帰化在日韓国人職員(創価学会員職員や韓国語翻訳業務職員も)の解雇採用禁止要求先
151-0052渋谷区代々木神園町3番1号(独法)国立青少年教育振興機構理事長田中壮一郎F0364077639
首相安倍晋三F03 35813883・55100654
文部科学副大臣櫻田義孝
文部科学副大臣西川京子
文部科学省大臣官房政策課長田口康F0367343650
自民党全員

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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
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出身:静岡県浜松市
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執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「明治150年真の日本の姿」、「日本と台湾の絆」、「奇跡の将軍樋口季一郎」、「南京事件は4度あった」、などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。
日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
《著書》
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦
『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』
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