公正な世界を目指した日本



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デュボイス


W・E・B・デュボイス(William Edward Burghardt DuBois)という人がいます。
米国人で、1868年にマサチューセッツ州で生まれ、1963年にお亡くなりになりました。
デュボイスは、米国黒人として最初の博士号をハーバード大学でとった黒人です。
米国の公民権運動指導者、汎アフリカ主義、ブラック・ナショナリズムの先駆者、全米黒人地位向上協会の創立者でもあります。

デュボイスは、昭和11年(1936)年に来日しています。
彼は、満洲に1週間、Chinaに10日間、日本に2週間滞在し、「ピッツバーグ・クリア」紙に、「忘れがたい経験」と題したコラムを連載しました。
以下はそのとき掲載された彼の体験談です。

デュボイスはある日、東京の帝国ホテルでフロントで勘定を払っていました。
そこに“いかにも典型的なアメリカ白人女性”が、さも当然であるかのように、彼の前に割り込みます。
ところが、ホテルのフロント係は、女性の方を見向きもせず、デュボイスへの対応を続けました。
勘定がすべて終わると、彼はデュボイスに向かって深々とお辞儀をし、それからやっと、その厚かましいアメリカ女性の方を向きました。

フロント係の毅然とした態度に、デュボイスは、これまでの白人支配の世界とは違った、新しい世界の幕開けを予感しました。


彼は言います。
「母国アメリカではけっして歓迎されることのない一個人を、
 日本人は心から歓び、迎え入れてくれた。
 日本人は、われわれ1200万人のアメリカ黒人が、
 同じ有色人種であり、
 同じ苦しみを味わい、
 同じ運命を背負っていることを、
 心から理解してくれているのだ。」

さらにこの旅でデュボイスは、日本人とChineseとの違いを悟ったといいます。
それは上海での出来事でした。

デュボイスの目の前で4歳くらいの白人の子どもが、中国人の大人3人に向かって、その場をどくように言ったそうです。
すると、中国人の大人たちはみな、あわてて道をあけた。
これはまさにアメリカ南部の光景と同じではないか。

デュボイスは語ります。
「上海。
 この世界一大きな国の世界一立派な都市は、
 なぜか白人の国によって支配され、統治されている。
 それに対して日本は、
 有色人種による、
 有色人種の、
 有色人種のための国である。」

大東亜戦争が始まると、米黒人社会の世論は割れました。
「人種問題はひとまず置いておいて母国のために戦おう」
「勝利に貢献して公民権を勝ち取ろう」
という意見もあれば、
「黒人を差別するアメリカのために戦うなんて、馬鹿げている」という意見もありました。

デュボイスは、大東亜戦争を“人種戦争”と捉え、はっきりと次のように語りました。
「アメリカが日本人の権利を認めてさえいれば、戦争は起こらなかったはずだ。」

黒人たちは、白人が日本人を
「イエロー・バスタード(黄色い嫌な奴)」
「イエロー・モンキー(黄色い猿)」
「リトル・イエロー・デビル(小さな黄色い悪魔)」
などと、必ずそこにイエローの文字を入れて形容することに、ますます人種戦争のにおいをかぎつけていました。

当時の米国政府は、日本兵は“残虐な未開人である”というイメージを広めようとやっきになっていました。
実はこれは米国政府の、毎度おなじみのやり方です。

それに対し彼は「ピッツバーグ・クリア」紙で次のように語っています。
「ビスマーク沖での海戦で、アメリカ軍は多数の日本の艦船を沈めた後、波間に漂っていた多くの日本兵をマシンガンで皆殺しにした」
「本土爆撃ではわざわざ人の多く住んでいる場所を選んで、大人から赤ん坊まで無差別に殺した」
「広島と長崎に原爆が落とされた時、何万という人間が一瞬にして殺された。これを残忍と言わずして、何を残忍と言おう」
「軍隊の中で差別に苦しめられていた黒人兵が白人のために、同じ有色人種である日本人と戦わなければならない理由は、なにもない」
「ある白人指揮官は、黒人部隊の95%は戦う気力がまったくない、と判断を下している。黒人兵の間では、やりきれない気持ちが次のようなジョークがある。
 墓石にはこう刻んでくれ。
 白人を守ろうと、
 黄色人種と戦って
 命を落とした黒人
 ここに眠る、と」

彼は、大戦中、日系移民は、米国の市民権を持っている人々までも強制収容所に入れられたことについて、米黒人社会は、非常に大きな衝撃を受けています。

「第一に、日系アメリカ人だけが収容され、ドイツ系もイタリア系も収容されなかったのは、あきらかに人種偏見のせいである。
第二に、アメリカの市民権を持っている日系人さえもが強制収容されるなら、黒人にも同じ事が起こる可能性がある」
そして彼は、
「11万5千人もの日系人が、一度にアメリカ人としての自由を奪われるのを、われわれ黒人は黙って見過ごすというのか」と語り、ロサンゼルス・トリビューン紙のコラムニストとともに、全米黒人向上協会に呼びかけ、次のような決議文を提出しています。
「われわれは、人種や肌の色によって差別され、アメリカ人としての当然の権利を侵害されることに断固として反対していかねばならない。」

大東亜戦争終戦の後、黒人社会は、収容所から解放されて戻ってきた日系人を歓迎し、温かく迎えてくれました。
彼らは、日系人のために仕事を探したり、教会に招いたりしてくれたのです。

・・・・・・・

第一次世界大戦が終結した1919年、パリで講和会議が行われました。
このパリ講和会議は、第一次大戦の惨禍を再び繰り返すことがないために「国際連盟」を創設しようという会議でした。
このとき、米国の黒人たちが最大の注目したのが日本でした。
日本は、国際連盟規約に「人種平等の原則」を入れるという提案を掲て、講和会議に参加したのです。

日本の全権使節団は、パリに向かう途中、ニューヨークに立ち寄りました。
このとき「ボストン・ガーディアン」紙の編集長モンロー・トロッターなど、黒人社会の指導者4人が、「世界中のあらゆる人種差別と偏見をなくす」ことに尽力してほしい、との嘆願書を、日本の使節団に出します。

米国のウィルソン大統領が講和会議の議長役をするというのに、それをさしおいて、わざわざ日本の使節団に嘆願をしたのです。
「われわれ(米国の)黒人は講和会議の席上で“人種問題”について激しい議論を戦わせている日本に、最大の敬意を払うものである。」
これは、全米黒人新聞協会が発表したコメントです。
人種差別に苦しむアメリカ黒人社会は、有色人種でありながら世界の大国の仲間入りした日本を、人種平等への旗手と見なしていたのです。

パリ講和会議で、日本の“人種差別撤廃法案”は16カ国中、11カ国の賛成票を得ながら、議長であった米国大統領ウィルソンの「全会一致でない」という詭弁によって退けられました。
全米の黒人たちは、自国の政府の措置に怒り、全米で数万人もの負傷者を出すほどの大規模な暴動を続発させます。

そもそもアメリカの黒人社会が、日本に期待をかけるようになったのは、日露戦争の時です。
白人の大国に、有色人種の小国が独立をかけて、果敢な戦いを挑んだのです。

冒頭にご紹介したデュボイスは、白人による支配から有色人種を解放してくれる可能性のもっも高い国として、日本を支持しました。
日本が勝てば、やがて“アジア人のためのアジア”を声高に叫ぶ日が来るだろう。
それは、自分たち黒人の母なる大地であるアフリカに同じような声がこだまする前兆となる、と考えたのです。

そしてその考えは、全米黒人教会の意思にもなります。
黒人紙「インディアナポリス・フリーマン」は次のような社説を掲載します。
「東洋のリングで、
 茶色い男たちのパンチが白人を打ちのめし続けている。
 事実、ロシアは繰り返し何度も、日本人にこっぴどくやられて、
 セコンドは今にもタオルを投げ入れようとしている。
 有色人種がこの試合をものにするのは、もう時間の問題だ。
 長く続いた白人優位の神話が、ついに今突き崩されようとしている。」

そして、日露戦争は、有色人種は白色人種に決して勝てない、という白人優位の近代史の神話を事実として否定してみせたのです。

当時、ロサンゼルスの日系病院の医師のうち、二人が黒人だったことについて、「カリフォルニア・イーグルス」紙は次のように述べています。
「ほとんどの病院が黒人に固く戸を閉ざしている昨今、
 日系人の病院が、どの人種にも門戸を開放していることは
 本当に喜ばしい限りである。
 同じ人種の医者に診てもらうことができる安心を
 患者は得ることができるのだから。」

1923年の関東大震災では、ある黒人が「シカゴ・ディフェンダー」紙に「アメリカの有色人種、つまりわれわれ黒人こそが、同じ有色人種の日本人を救えるのではないか」と投書します。
それを受けて同紙はすぐに日本人救済キャンペーンを始めました。
「たしかに我々は貧しい。
 しかし、今、お金を出さなくていつ出すというのか。」

同紙の熱心な呼びかけは、多くの黒人の間に浸透しました。
万国黒人地位改善協会は、「同じ有色人種の友人」である天皇に深い同情を表す電報を送り、また日本に多額の寄付を行りました。

「シカゴ・ディフェンダー」紙のコラムニスト、A・L・ジャクソンは、長い間白人たちの専売特許だった科学や商業、工業、軍事において、飛躍的な発展を遂げようとしていた日本が、震災で大きな打撃を受けたことにより、黒人もまた精神的な打撃を受けた、と分析しました。
なぜなら「日本人は、それまでの白人優位の神話を崩した生き証人」だったからだといいます。

1936年、イタリアがエチオピアを侵略しました。
アメリカの黒人たちは、アフリカ唯一の黒人独立国を「最後の砦」として支援しようとします。
アメリカ政府の消極的な姿勢に比べて、日本が国際連盟以上にエチオピア支援を訴えた事が、アメリカの黒人たちの心を動かしたのです。

「シカゴ・ディフェンダー」紙は、日本の宇垣一成大将が、
「イタリアとエチオピアの争いでは、日本は中立になるわけにはいかない」
「エチオピアの同胞を助けるためには、いつでも何千という日本人がアフリカに飛んでいくだろう」と明言したことを伝えています。

また「ピッツバーグ・クリア」紙は、エチオピアに特派員を送り、エチオピア兵が日本でパイロット訓練を受けたこと、戦闘機の提供まで日本が示唆していたことを特ダネとして報じました。
そして何よりも黒人たちを感激させたのは、エチオピアのハイレ・セラシェ皇帝の甥、アライア・アババ皇太子と日本の皇族・黒田雅子女史の結婚の計画です。
これは実現には至らなかったものの、日本がエチオピアとの同盟関係に関心を寄せていた証拠でもありました。
シカゴ・ディフェンダー紙は、
「海を越えた二人の恋は、ムッソリーニによって引き裂かれた」と報じています。

「20世紀の日本人-アメリカ黒人の日本人観」の著者、レジナルド・カーニー博士(黒人史専攻)は次のように我々日本人に呼びかけています。
「歴史上、日本人が持ち得たもっとも親しい友人、それがアメリカ黒人だった。・・・この本を読んでいただければ、日本の政治家や知識人たちが黒人を差別する発言を繰り返したときに、なぜ黒人があれほどまでに怒り悲しんだかを、心から理解してもらえるはずである。」

パリ講和会議における日本の提案は、当時の白人社会にはとてつもなく大きな爆弾であったといえます。
国富の大部分を、人種差別と植民地政策によって得ていた欧米資本家や貴族たちにとって、植民地を失うということは、すなわち国家の崩壊であり、資産家たちの破産を意味するものでもあったのです。

それだけに、人種差別撤廃を堂々と主張する日本は、彼らにとって、どうしても許すことのできない相手でした。
日本をなんとかして封じ込めなければならない・・・そのことは彼らにとっての意思となっていきます。

逆に日本はどうかというと、なにも国際的地位向上のために人種差別を主張したわけではない。
そんな奢りや高慢は、当時の日本にはまったくない。
そのことは、現代、いまだって同じです。

いまでも貧しい国、衛生面で問題のある国、法的整備が遅れている国、学校のない国に、日本人はふつうに出かけ、援助し、協力し、互いの発展を願って活動している。

私も以前、ほんの少しだけれど、ある貧しい国ではわずか50万円で小学校がひとつ作れると聞いて、なけなしのお金を寄付しました。
飢えに苦しんでいる国、病気で苦しんでいる国があるって聞けば、コンビニの店頭で釣銭での寄付だって、多くの日本人が、自分だって決して生活楽じゃないけど、ふつうにやっている。

決して年収の高くない普段、フリーターの青年たちが、ボランティアで実際に海外に出かけ、教育や農業、医療の支援活動をやっている。
そのことは戦前も、現代もなにも変わりがないのです。

日本人はなにも変わっていない。
驕りがなく、謙虚に、互いの発展を願う。
ひとりひとりの日本人の中にあるそうしたやさしい気持ちは、戦前も、戦後のいまも、なにひとつかわっていないのです。

日本の主張した“人種差別撤廃”の主張は、単にイエローである日本人自身が欧米と対等につきあえること願ったものだし、貧しく、差別された人々に対し、“四方の海はみなはらから”なのだから、普通に対等の関係を構築しようとしたにすぎない。

そしてそのことが、大東亜戦争で日本本土まで焼け野原にするという事態を招いたけれど、日本が命がけで戦ったことによって、世界の被植民地国家は、いまやことごとく独立し、自国の繁栄を謳歌するようになっています。

だから私は言うのです。
日本は戦争に勝ったのだと。

戦争というものが、国家の目的を達成するための究極の政治的手段とするならば“四方の海、まなはらから”、“世界は一家(八紘一宇)”と主張した日本は、十分すぎるくらいにその戦争目的を達成したのです。
だから日本は勝ったのです。
しかし残念なことに、日本は戦争目的を達成しながら、本土を焼け野原にした恐怖から、萎縮し、ストックホルム症候群に罹患してしまっています。

最大の善は、悪に見えることもあり、最大の悪は、常に善の顔をしてやってきます。
誇り高い正義の天使はときに恐怖の羅刹に見え、卑屈で酷薄で残忍な悪魔は常に友愛を説く天使の姿を装ってやってきます。

かつて日本人は、全米の黒人から、同じ有色人種として敬われ、尊敬されています。
ところがいまでは、世界一の売春婦輸出大国から、逆に日本がその国の女性を拉致してセックス奴隷にしていた犯人と罵られています。

わたしたちは、いまこそ真実の歴史に目覚め、誇りを取り戻し、たちあがっていかなければならないときにきています。



※この記事は2009年9月の記事をリニューアルしたものです。

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コメント

渡辺

日本は、1919年のパリ講和会議で人種差別廃止を提起し、現実に1910年の日韓合邦では韓国にあった身分差別を廃止させました。自尊自衛の為の大東亜戦争でも、大東亜共栄圏という理想を掲げ連合軍相手にあくまで国際法にのっとり堂々と戦いました(皇軍の名を辱しめない規律正しい軍隊だったと認識しています)。
つまり戦前から現在に至るまで、平和を希求する姿勢にも国際法遵守の公正さにも齟齬はありません。
アジアを植民支配していた連合国にとっては「侵略」でも、インドやインドネシアにとっては「解放軍」です(現に戦後も日本軍人が現地独立闘争に加勢しています)。首相の談話には、是非ともこの日本の一貫した『平和主義』を示して頂きたいと思います。世界中の「日本人」を勇気づけて頂きたい。

愛知のおばさん

知っていること
このような歴史を知っているかいないかで、日本人が黒人と白人と対応した時の態度が全然違うと思いました。
最も、黒人と白人が知っているという前提ですが。

自身の過去を振り返って、
知っていればあんな態度と会話はしなかったのに~
と思うことがいくつもあります。
相手はどう思って見ていたのかしら。
この日本人何も知らないな~
と思われていたのかもしれませんね。

知らないことは何と罪深いのでしょう。
せめて、日本の先人が世界史に残した事実くらいは知って、世界に出たいものです。

ポッポ

No title
日本は、国として他民族に公平に接し、国際連盟においても「人種差別撤廃法案」を提出していました。残念ながら、16カ国中の11カ国の賛成票を得ながらも、米国大統領の詭弁によって、この提案は退けられました。

しかしこのことは、日本が人種差別に反対する極めて人権意識の高いことを示しています。
ところで、今の教科書に掲載されているのでしょうか? これが日本国民に周知されていたならば、いわゆる従軍慰安婦が問題とされたときには、一笑に付されていたのではないかと想像します。

また、ミシェル・オバマ大統領夫人は、大統領夫人になってから6年以上も訪日されることがなかったのですが、アメリカには民主党議員にはマイク・ホンダ下院議員を始めとする反日活動家がいますから、彼等に慰安婦問題では韓国が捏造したことを相当吹き込まれていると思いますし、その影響は大きいと思います。

日本が人種差別撤廃法案を提出していたことを知っていたなら、もっと早く訪日されていたと思います。
これは、オバマ大統領夫人だけでなく、クリントン大統領夫人にも同じことが言えたでしょう。



大阪都構想についての住民投票は5月17日ですが、対象は大阪市内に住む20歳以上の有権者215万人だそうです。

住民投票は、2月22日に自衛隊配備の是非を巡って沖縄県の与那国島において実施されたのですが、そのときの有権者は永住外国人を含む中学生以上であったため、日頃の選挙が20歳以上の日本人であることと余りにも異なるため呆れていたのです。

今回の住民投票の有権者は、少なくとも通常の選挙と同じです。
あとは、その有権者がどう判断するかです。

No title
ねずさんありがとうございます、日本人として誇りたくなる様なご先祖様のお話を拝読させて頂き嬉しいです。

日本を潰したかった理由の一つが、人間の価値を人種差別で決める事により利益を得ていた白人社会にとっては日本の主張は極めて不都合だったと言う真実の歴史ですね。

日本人は残酷だと言う中韓の慰安婦捏造に賛同したオバマ氏にもぜひ読んで欲しい位です。

junn

No title

紫陽花

ねず先生、今日も素晴らしい記事でした。色んな思いが全身を巡りました。明治天皇や昭和天皇が大切になさったもの…我が国民だけに留まらない全世界への和平に繋がるもの、この人権問題も重く受け止めなければなりません。
今日の記事の最後に付け置くとすれば、我々日本人は永年、有色差別を強いて来た白人にすら差別意識は持ち合わせておりません。
それが、日本人の凄さだと思います。
こんなに母性の強い慈愛の国は、まして先進国と呼ばれる国に於いては他にないと思います。

薫る

No title
こんにちは。
どうやってこちらのブログに来たかは忘れてしまいましたが、毎日読ませていただいています。

改めて思うのは、日本人でよかった、素晴らしいご先祖さまや先輩を頂いているんだなということです。

今日の記事の最後にある
「日本は戦争目的を達成しながら、」という一文は、戦後たくさんの国が独立を果たしたことからも分かるように、心から納得するものでした。

お隣の2か国も、最初に嘘をついてしまって、プライドが高いだけに引くにひけなくなったのかなと逆に気の毒に思ったりします。

にっぽんじん

世界が見る戦前の日本
中韓が批判する日本軍に関して東南アジアや世界の人々はどのように評価しているのでしょうか。前回に続き20人の言葉を紹介します。(一部はマスコミのものもあります) 日本にいる中韓の人は良く読んで下さい。

21.ナチール(インドネシア元首相)
アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。
大東亜戦争は私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです。

22.[ラフカディオ・ハーン
日本の生活にも、短所もあれば、愚劣さもある。悪もあれば、残酷さもある。
だが、よく見ていけばいくほど、その並外れた善良さ、奇跡的と思えるほどの辛抱強さ、いつも変わることのない慇懃さ、素朴な心、相手をすぐに思いやる察しのよさに、目を見張るばかりだ。

23.ゴロヴニン
日本人は自分の子弟を立派に薫育する能力を持つてゐる。
ごく幼い頃から讀み書き、法制、國史、地理などを教へ、大きくなると武術を教へる。
しかし一等大切な點は、日本人が幼年時代から子弟に忍耐、質素、禮儀を極めて巧みに教へこむことである。われわれは實地にこの賞讃すべき日本人の資質を何度もためす機會を得た。

24.ノンチック(元マレーシア上院議員)
日本軍がもたらした『大和魂』のような考え方をもつことは、独立のためにどうしても必要でした。日本軍政下の訓練の結果、日本が降伏した後、英国人が戻ってきて植民地時代よりも悪質な独裁的制度をマレーシアに課そうとしたとき、人々は立ち上がったのです。

25.ラフカディオ・ハーン
この村落は、美術の中心地から遠く離れているというのに、この宿の中には、日本人の造型に対するすぐれた美的感覚を表してないものは、何ひとつとしてない。花の金蒔絵が施された時代ものの目を見張るような菓子器。飛び跳ねるエビが、一匹小さく金であしらわれた透かしの陶器の盃。巻き上がった蓮の葉の形をした、青銅製の茶托。

さらに、竜と雲の模様が施された鉄瓶や、取っ手に仏陀の獅子の頭がついた真鍮の火鉢までもが、私の目を楽しませてくれ、空想をも刺激してくれるのである。
実際に、今日の日本のどこかで、まったく面白味のない陶器や金属製品など、どこにでもあるような醜いものを目にしたなら、その嫌悪感を催させるものは、まず外国の影響を受けて作られたと思って間違いない。

26.ノンチック(元マレーシア上院議員)
この国に来られた日本のある学校の先生は、「日本軍はマレー人を虐殺したに違いない。その事実を調べに来たのだ」と言っていました。
私は驚きました。「日本軍はマレー人を一人も殺していません。」と私は答えてやりました。
日本軍が殺したのは、戦闘で闘った英軍や、その英軍に協力したチャイナ系の抗日ゲリラだけでした。

27.フランソア・カロン
日本人は信用すべしと認められる。彼らは第一の目的である名誉に邁進する。
また恥を知るを以て漫に他を害うことは無い。
彼らは名誉を維持するためには喜んで生命を捨てる。

28.アラムシャ(インドネシア元第三副首相)
我々インドネシア人はオランダの鉄鎖を断ち切って独立すべく、350年間に亘り幾度か屍山血河の闘争を試みたがオランダの狡知なスパイ網と強靱な武力と苛酷な法律によって圧倒され壊滅されてしまった。

それを日本軍が到来するや、たちまちにしてオランダの鉄鎖を断ち切ってくれた。インドネシア人が歓喜雀躍し感謝感激したのは当然である。

29.シャフィー(元マレーシア外務大臣)
日本はどんな悪いこ事をしたと言うのか。大東亜戦争でマレー半島を南下した時の日本軍は凄かった。わずか3ヶ月でシンガポールを陥落させ、我々にはとてもかなわないと思っていたイギリスを屈服させたのだ。

30.ラフカディオ・ハーン
私はまだ若かったが、あの時は神の軍隊がやってきたと思っていた。
日本は敗れたが英軍は再び取り返すことができずマレーシアは独立したのだ。・・・・・・・・・
日本人は、野蛮な西洋人がするように、花先だけを乱暴に切り取って、意味のない色の塊を作り上げたりはしない。
日本人はそんな無粋なことをするには、自然を愛しすぎていると言える。

31.サンパス(インドネシア元復員軍人省長官)
特にインドネシアが感謝することは戦争が終わってから日本軍人約1000人が帰国せず、インドネシア国軍と共にオランダと戦い、独立に貢献してくれたことである。日本の戦死者は国軍墓地に祀り、功績を讃えて殊勲章を贈っているが、それだけですむものではない。

32.(共同通信2006/02/04)
世界に最も「良い影響」を与えている国は日本。
米メリーランド大が世界の約4万人を対象に実施した英BBC放送との共同世論調査で、こんな結果が出た。同大が3日発表した。調査は昨年10-12月に米州、欧州、中東、アフリカ、アジア各地域の33カ国で行われた。

質問の対象となったのは日本、米国、中国、ロシア、フランス、英国、インド、イランの8カ国と欧州。調査結果によると、日本が世界に「好影響」を与えているとの回答は、33カ国中31カ国で「悪影響」を上回り、平均すると好影響が55%、悪影響が18%だった。

33.(BBC・読売調査2008/04/02)
日本「世界に良い影響」、独と並びトップ。
読売新聞社が英BBC放送と実施した共同世論調査によると、日本は世界に良い影響を与えていると思う人は56%で、悪い影響を与えているとの答えは21%だった。「良い影響」はドイツと並んで最も高く、「悪い影響」はドイツの18%に次いで低い数値となり、総合的に高く評価された。

調査は昨年10月から今年1月にかけて34か国で行い、政治、経済、安全保障分野で世界に影響を及ぼす14か国・国際機関についての評価を聞いた。(中略)
日本に対する各国の評価を見ると、「良い影響」が最も高かったのはケニアの78%。「悪い影響」は中国55%、韓国52%が目立った。


34.キーナン(極東国際軍事裁判首席検事)
東京裁判はいくつかの重大な誤判を含むのみならず、全体として、復讐の感情に駆られた、公正ならざる裁判だった。

35.オールコック
自分の農地を整然と保っていることにかけては、世界中で日本の農民にかなうものはないであろう。田畑は、念入りに除草されているばかりか、他の点でも目に見えて整然と手入れされていて、まことに気持ちがよい。

36.ウィロビー(GHQ参謀第二部長)
この裁判は歴史上最悪の偽善であった。
このような裁判が行われたので息子には軍人になることを禁ずる。

37.イザベラ.バード
ほんの昨日のことであったが、革帯が一つ紛失していた。
もう暗くなっていたが、その馬子はそれを探しに一里も戻った。
彼にその骨折賃として何銭かあげようとしたが、彼は、旅の終りまで無事届けるのが当然の責任だ、と言って、どうしてもお金を受けとらなかった。

38.レーリンク(極東国際軍事裁判蘭代表判事)
日本は西洋諸国の植民地を解放した罪によって罰せられたが、その四半世紀もたたないうちに、1960年(昭和35年)に国連が植民地を保有することを不法行為であると宣言し、その後、国連総会が植民地の保有を犯罪として規定すらした。
・・・・・・・・・
我々は戦争法規を擁護する為に裁判をしているはずだったのに、連合国が戦争規を徹底的に踏みにじった事を、毎日見せつけられていたのだから、それは酷いものだった。
もちろん、勝者と敗者を一緒に裁く事は不可能だった。
東條が東京裁判は勝者による復讐劇だと言ったのはまさに正しかった。


39.グラバイ.デサイ(インド弁護士会会長)
このたびの日本の敗戦は真に痛ましく、心から同情申し上げる。しかし、一旦の勝負の如きは必ずしも失望落胆するに当たらない。殊に優秀な貴国国民においておやである。

私は日本が十年以内にアジアの大国として再び復興繁栄する事を確信する。
インドは程なく独立する。
その独立の契機を与えたのは日本である。インドの独立は日本のお陰で三十年早まった。
これはインドだけではない。インドネシア、ベトナムをはじめ東南アジア諸民族すべて共通である。

インド四億の国民は深くこれを銘記している。インド国民は日本の国民の復興にあらゆる協力を惜しまないであろう。他の東亜諸民族も同様である。

40.ヤクブケヴィッチ(ポーランド極東委員会副会長)
日本人はわがポーランドとは全く縁故の遠い異人種である。日本はわがポーランドとは全く異なる地球の反対側に存在する国である。しかも、わが不運なるポーランドの児童にかくも深く同情を寄せ、心より憐憫の情を表わしてくれた以上、われわれポーランド人は肝に銘じてその恩を忘れることはない。

われわれの児童たちをしばしば見舞いに来てくれた裕福な日本人の子供が、孤児たちの服装の惨めなのを見て、自分の着ていた最もきれいな衣服を脱いで与えようとしたり、髪に結ったリボン、櫛、飾り帯、さては指輪までもとってポーランドの子供たちに与えようとした。

こんなことは一度や二度ではない。しばしばあった。ポーランド国民もまた高尚な国民であるが故に、われわれは何時までも恩を忘れない国民であることを日本人に告げたい。
日本人がポーランドの児童のために尽くしてくれたことは、ポーランドはもとより米国でも広く知られている。

ここに、ポーランド国民は日本に対し、最も深い尊敬、最も深い感銘、最も深い感恩、最も温かき友情、愛情を持っていることを伝えしたい。

次郎左衛門

…聖戦…
 ねず先生、失礼致します^^

 今日のお話、自分は読み終えるまでず~っと目頭は熱く、体には鳥肌が立ち続けておりました…!
 
 …実は自分もアメリカンアフリカンの公民権運動には非常に興味があり、DVDをいろいろレンタルして当時の彼らの志、勇気、努力に強く胸を打たれていました。
中でも、デンゼル・ワシントン主演のマルコムXは秀逸の一言に尽きます…!
 故に自分にとって、あの時代を凛と生きたアフリカンアメリカンの方々はヒーロー的な憧れの存在でもあります。
 その彼等から敬愛され、強く応援、支持されていた祖父達緒先輩方は、今を生きる日本人である我々にとっては誇りですよね!

 ねず先生、今日も素晴らしくありがたく嬉しいお話、誠にありがとうございます^^!

 >”私も以前、ほんの少しだけれど、ある貧しい国ではわずか50万円で小学校がひとつ作れると聞いて、なけなしのお金を寄付しました。“
…ねず先生、自分は益々先生の大ファンになってしまいました…!!(笑)
 先生、どうかこれからもお体を労り、御活躍されていくことを心から祈っております^^!

 では!

西山

No title
けさの番組で岸井成格は「南シナ海でフィリピン、ベトナムと中国の間に問題が起きたら米軍が行く。これに自衛隊も行くという(意見がある)。これはトンデモナイことです!」と行っていました。つまり、フィリピンやベトナムを見殺しにしろというのです。ボケばっかりの番組なので、誰もツッコミしないのですが。

にこちゃん

No title
こうやって前の記事をupしてくださるの良いですね。
維新後、日本は一生懸命列強にバカにされないように頑張っていたし、国のトップの方々の精神、頭脳は素晴らしかったんだと誇りに思います。

えっちゃん

No title
今日も、ありがとうございます。
 背筋が、すっくと伸び、日本人であることの誇りを感じました。
 

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日本人の公平感
更新ありがとうございます。
貧しい黒人がアメリカで暴動を起こす時に、必ずと言っていいほど、韓国系の商店が襲われます。韓国人の連中は、日頃から黒人を軽蔑し差別する言動があるからです。決して暴動で襲撃するのが良いと言っているのではないですが、韓国人の野郎自大の態度はアメリカでも嫌われています。日系の商店は襲われないのは、日本人は、私もですが、黒人を差別する意識など微塵もなく、日頃から親切に公平に接するのを黒人の皆さんは分かっておられるからです。 日本人の公平感、対等意識は、世界の範になるものです。

junn

No title
人殺し医療‥17
http://ameblo.jp/milkymilky-9060/entry-11849684068.html

癌ほど誤診の多い病気はない
http://www.long-life.net/newpage969.html

junn

No title
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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E-mail info@musubi-ac.com
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