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(それぞれの画像はクリックすると当該画像の元ページに飛ぶようにしています)弟橘比売命

先日、Facebookを開いたら「1年前の記事」というのが自動表示されました。
おもしろい機能があるのですね。
そのときたまたま表示されたのが、1年前の「弟橘比売命」の記事でした。
たまたまなのかもしれませんが、この時期に、もういちど「弟橘比売命」を読み返しなさいという、もしかしたら神々のご意思なのかなあ、なんて思い、ここに再掲してみたいと思います。
さねさし相武の小野に燃ゆる火の
火中に立ちて問ひし君はも
この歌は、弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)が東京湾に入水自殺する直前に詠んだ歌です。
先に少し情況を申し上げますと、ヤマトタケルノミコトは、大和朝廷の全国統一のために、東奔西走したのですが、その東国征伐のときに、駿河の国(佐賀牟能国、相武の国)の焼津で、地元の国造(くにのみやつこ)に欺かれて、野原で火攻め(焼き討ち)にあうのです。
このとき、三種の神器のひとつである草薙の剣(くさなぎのつるぎ)で難を逃れるのですけれど、そのことが由来となって、静岡県に焼津の地名が残っています。
そしてさらに東へと向かったヤマトタケルノミコトの一行は、いまの神奈川県の横須賀あたりから、東京湾を横断して房総半島に向かおうとします。ここは海流の激しいところであることから走水の海(はしりみずのうみ)と呼ばれた難所です。
ところが海路を行く途中で嵐に遭ってしまう。
そこでヤマトタケルノミコトの妻(出雲風土記には皇后と書かれています)の弟橘比売命が、海神を鎮めるために入水自殺しました。
海は夫を想う妻の気持ちが海神に通じて、時化(しけ)がやみました。
そしてヤマトタケルノミコトの一行は無事に海を渡ることができました。
弟橘比売命は、身を挺して夫を扶(たす)けたのです。
このとき、弟橘比売命が入水する直前に詠んだ歌が、冒頭の歌です。
弟橘比売命は、いままさに海に飛び込もうとするときに、その身を投げることには何も言わず、
「あの相武の小野(焼津)で燃えさかる炎の中で、その炎で自分が焼け死んでしまうかもしれないというのに、そのことよりも私の安否を気遣ってくれたあなた・・・・」と詠んだのです。
ちなみに歌にある「さねさし」は、枕詞で意味がないと多くの解説書にありますが、「さね」というのは、古語では「突起」のことをいいます。
「さし」は、「砂嘴(さし)」とか「指し、差し」などと書かれるように、細長く突き出たものをいいます。
であれば「さねさし」は、細長く突き出た「岬」のようなものを意味することは明らかです。
ですから「さねさし相武の小野」は、相武国(駿河の国)の長い突き出た岬にある小野(焼津の岬の野原)という意味になります。
また「相武」は、「相模」と書かれているものが多いのですが、古事記の原文では「佐賀牟能」となっています。
読みはどうみても「さがむの」なので、「相模」ではなく、「相武」と書く方が正しいのではないかと私は思っています。(冒頭の歌も、そのように表記させていただきました)
ちなみに、このとき入水された弟橘比売命の袖が流れ着いたというのが千葉県の「袖ケ浦」、弟橘比売命を忘れられないヤマトタケルノミコトが、足柄で「吾妻はや(わがつまはや)」と嘆いたことが、東国を「あずま」と呼ぶ縁起とされています。
さて実は、というかここが大事なポイントなのですが、この歌にまつわる故事は、日本書紀には書かれていません。古事記にだけある神話です。
前にも申し上げましたが、古事記はいわば「秘伝」、日本書紀は「公開の史書」です。
「秘伝」は、ある一定のレベルに達した者にしか見せない「秘伝中の秘伝の教え」とするものです。
ですからこの「弟橘比売命とその歌にまつわる物語」が古事記にしか掲載されていないということは、そこに重大な「教え」があるということになります。
実は古事記には、弟橘比売命が入水するとき、「菅疊八重・皮疊八重・絹疊八重を波の上に敷きて、その上に下りましき」という記載があります。
嵐で海に揉まれている最中に、海の上に、菅(すげ)の畳を8畳分、皮を8畳分、絹を8畳分敷いて、その上に降り給いて、この歌を詠み、そして海に消えたとあるのです。
このことから学べることは、どんな緊急時にあっても(海の上で嵐に遭って波間に揉まれているのですから、まさに緊急時、非常事態です)、祭事をきちんと行い(菅疊八重・皮疊八重・絹疊八重を波の上に敷きて)、そして、いかなる場合においても、相手が示してくれた恩義(焼津で自分を気遣ってくれた)を忘れずに、感謝の心をもって、嵐のような強大な敵に、たとえ命を犠牲にしてでも、男女ともに立ち向かいなさい、という教えです。
男女ともにとか、強大な敵に立ち向かうとか、非常に厳しい教えであり、心得であるがゆえに、あえて公開文書である日本書紀には記載せず、秘伝の古事記にのみ、これを記載したということです。
そしてこれが私たちの国、日本の、天皇の統治の根底にある事柄なのです。
国難と呼べるような非常事態は、常に私たちの身に降り掛かります。
けれど、どんな緊急時にあっても、我が命を失うことがあっても、報恩感謝の心を失わず、祭事を大切にして、まっすぐに生きて行く。
そして生残った者は、亡くなり、命を捧げて犠牲になった人の心をいつまでも決して忘れない。
それが日本人だということです。
お亡くなりになって御柱となられた方々への感謝の心と祭祀を失わないという日本人の魂の歴史は、なんとヤマトタケルノミコトの時代から綿々と続いていた、わたしたち日本人の根底にある心です。
いいかえれば、それが「日本人」です。
古事記は、その時代に生きて、いまは亡くなっている人を「命(みこと)」と表記しています。
その人や神様の御霊(魂)のことを「神」と表記しています。
そして「魂」は永遠のものである、
もっと簡単に言うと、「肉体と命」は「魂」の「乗り物である」というのが古くからの日本人の考え方です。
人が車に乗っているのと同じです。
運転している人が「魂」
乗ってる車が「肉体」です。
日本人として、日本人の心を取り戻すといいます。
それは、日本人が、日本人としての「魂」を取り戻す、ということだと、私は思っています。

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コメント
のんべ安
川崎の千年の近所に有るのですが、公園の様になっており、誰でもふみこめる状態でした…
私も知らずに登ってしまい、後から後悔しました…
もう少し大事に扱うべきなんだと思うのですがね。
2015/10/15 URL 編集
ススベ
2015/10/14 URL 編集
ひろし
ヤマトタケルの命様は軟弱な腹違いの兄君に変わって西のクマソと和解し東の蝦夷を平定した偉大な武将であり神道家です。伊勢神宮の倭姫命様は実の母親が居なかったヤマトタケル命様の叔母様であり母代わりで案じておられたそうです。駿河の焼津で逆賊により火攻めに逢われた時も伊勢神宮の倭姫命様から授けられた神剣草薙の剣により火ぶせを行い難を逃れたのは古事記に記されています。
ヤマトタケル命様はオトタチバナ姫様と草薙の剣を託された熱田神宮のミヤズ姫様という美しい女性に愛されたご生涯であられました。近いうつちに、ヤマトタケル命様を想い、熱田神宮に参拝させて頂きたいですね。
2015/10/14 URL 編集
えっちゃん
弟橘比売命の身を挺して夫を扶けたことは、特攻隊の方達の行動を彷彿とさせます。
日本人としての「魂」は、被せられたベールを剥がしたら燦然と輝くに違いないと思います。
2015/10/14 URL 編集