◆『ねずさんと語る古事記 壱』新発売(発売日:3月15日)

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(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています)ゴッホといえば、19世紀の後半を生きた偉大な画家として知られます。
生まれが1853年、亡くなられたのが1890年で、37歳という若さでした。
正式な名前は、フィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh)で、オランダの生まれです。
ゴッホの書いた絵は、いまではただのデッサンでさえ、見つかってオークションに出せば、初値が5億円からです。
まさに19世紀が産んだ偉大な画家ですが、生前に売れた絵は1枚だけであったと言われています。
そんなゴッホが、没後に一躍有名になり、高値で絵が売れるようになったことには、2つの理由があるといわれています。
ひとつは、彼の絵が、それまでのヨーロッパの絵画界にはない「斬新」なものであったこと、
ふたつめは、ゴッホの絵が展覧会などを通じて、「大衆」に受け入れられたことです。展覧会でゴッホを展示すると、観客が行列をなしたのです。
さて、そのひとつめの「斬新」という点ですが、冒頭にある絵が、ゴッホの「タンギー爺さん」です。
この絵の中心に描かれているのがまさにタンギー爺さんその人なのですが、問題はその背景です。
よく見ると、中央上部に富士山が描かれており、その左右には浮世絵や桜の木、下には花魁と朝顔の絵が描かれています。
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ゴッホはこの絵をフランスで描いたのですが、背景にあるのは実は日本の浮世絵です。
具体的に名をあげると、
左中 「三世岩井粂三郎の三浦屋高尾」歌川国貞
左下「東京名所 いり屋」作者不詳
上中「富士三十六景 さがみ川」歌川広重
右上「五十三次名所図会 四十五 石薬師」歌川広重
右下「雲龍打掛の花魁」渓斎英泉 (けいさいえいせん)
が描かれています。

これらはいずれも東京・千駄木にある店「いせ辰」の版画です。
幕末に日本にやってきたフランスの大使等を通じてフランス本国に持ち帰られたものです。
黒船来航以来、日本の浮世絵や屏風、陶器などが大量にヨーロッパに流出しましたが、その人気たるや、当時はまさに熱狂的であったと伝えられています。
こうして日本の影響を深く受けたものを総称して「ジャポニズム」と呼ばれました。
ちなみに、いまルイ・ヴィトンといえば世界的高級ブランドとして有名ですが、ビトンも、もとをたどれば、カバンにジャポニズムに触発されたデザインを組み込んだことが人気の始まりでした。
ちなみに建築物もそうで、いま、世界中で建てられているビルは、直線をモチーフにしたシンプルなデザインが主流ですが、これらも、もともとは西洋建築は外壁に多彩な彫刻を施したものが高級とされていたものを、幕末以降に日本にやってきた西洋人たちが、日本建築のシンプルなデザイン性に触発されたものです。
日本は、文化面において、市民革命を迎えたばかりの西洋に、ものすごく大きな影響を与えたのです。
なぜ、日本の文化が、インドやChina、朝鮮と違って、西洋社会に大きな影響を与えたのかには理由があります。
浮世絵、伊万里焼、土佐和紙、薩摩切子、紅型(びんがた)、西陣織、輪島塗、南部鉄器など、日本のいわゆる伝統工芸品は、いずれも「庶民が主役の文化」だからです。
日本刀は武家文化ではないかと言われそうですが、それすらも、作っているのは庶民です。
西洋では、17世紀の終わりから18世紀にかけて、いわゆる国民の時代を迎えました。
それまでは、王の支配による領民であって、国民という概念はありません。
それがフランス革命以降、「国境の内側にいる国民は平等な国民である」という国民国家が誕生し、それまでの王族や貴族に代わって、庶民が力をつけました。
ゴッホも、それ以前の画家たちのような王様のお抱え絵師ではなく、ただ絵を愛する庶民です。
そうした庶民が、王権の支配から脱皮して、国民国家を形成しはじめたとき、彼らは日本文化と出会ったのです。
だからこそ庶民が実力を持つ日本文化に、彼らは熱狂したのです。
同じ時代に、西洋人たちは、ChinaやKoreaも訪問していますが、彼らはそこからは何一つ影響を受けていません。
影響を受けるだけの文化がなかったからです。
王権の支配による、王侯文化なら、西洋社会の方がはるかに進んでいます。
ところが日本文化は、その担い手が庶民です。
そのことが、彼ら西洋人たちにどれだけ大きな文化的衝撃を与えたか。
そしていま、ゴッホの絵が破格の高値で取引されている。
このことが、その文化的衝撃の大きさを伝えています。
私たち戦後世代は、幕末明治維新の頃、欧米の進んだ文化の前に日本が衝撃を受けたと教わりました。
たとえば大統領さえも家系による世襲ではなく入れ札で選ばれることに、身分差のある日本の武士たちが大きな衝撃を受けたと教えられてきました。
けれど、これは微妙に異なります。
実際には、当時の武士たちが脅威に感じたのは、欧米人の軍事力、海軍力です。
彼らの力を脅威に感じたのであって、彼らの文化に脅威を感じたのではありません。
文化に関してをいうのなら、日本人が西洋人に与えた衝撃と影響の方が、はるかに大きなものであったのです。
ちなみに日本の庶民文化は、いまも世界に大きな影響を与え続けています。
そのひとつがジャパン・アニメや「MANGA」です。
ドラえもんにしても、ワンピースにしても、主人公たちは対等な仲間です。
その対等な仲間たちが、上下と支配の集団と力を合わせて戦い、勝利していくというのが、日本アニメの特徴です。
欧米社会では、人は神のもとに平等であると規定されます。
けれど、実は人は、平等であることに我慢がなりません。
みんな同じではイヤなのです。
だから富を得、格差を築きます。
富を得れば、人と違った贅沢な暮らしができるからです。
富以外に、価値を見いだせるものがないのです。
ところが日本人には、対等という概念があります。
総理は偉い人じゃ。
だが包丁を持たしたらワイが日本一や
これが対等観です。
それぞれの役割の違いを認識し、その違いの中でそれぞれが努力して一流と呼ばれるように精進していく。
それが日本的対等観です。
「対等」というのは、訓読みすれば「ならびひとしい」です。
あいつは勉強では一等賞だ。
だけど駆けっこでは、俺が一等賞だ。
というのが対等感です。
あるいは、
あいつは金がある。
だけどワシには腕がある、
対立ではないのです。
互いに差があることを認めて、並び立てるように努力していくことです。
そしてそれこそが、たからであり、富であると考えてきたのが日本社会であり、そういう気概があればこそ、日本はモノ作り国家を為してきたのです。
だから「日本すげえ!」と言いたいのではありません。
日本人として、そうした価値観は、学べば学ぶほど、腰は低くなり、人にやさしくなれるのが日本の文化です。
先日、ある武道家の方とお話したのですが、日本人の武道家は、強くなればなるほど、みなさん、大人しそうで、やさしそうな雰囲気になります。
一昔まえなら、そのうえ小柄な人が多かったです。
ところが、ひとたび立ち会えば、筋力隆々の西洋人が歯が立たない。
その強さはまさに圧倒的です。
某国や某国出身の在日武道家は、高段者になると、みなさん、ヤクザのように目の鋭い、怖そうな人になります。
ところが生粋の日本の武道家は、高段者になればなるほど、やさしそうになります。
ある武道家の方に、「なぜですか?」と聞きました。
すると、
「強そうに見せかけようとするのは、弱いからです」
実にわかりやすい話です。
日本には、独特の高い文化が育まれてきたのです。
せっかく日本人に生まれて、そうした日本の文化を何も知らないまま人生を終えるのでは、あまりにもったいないことです。
だからこそ、いまは古事記です。
古事記の中に、日本の精神性のすべてがあります。
お読みいただき、ありがとうございました。

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「お詫びと訂正」
第一巻八十三ページに「これは千葉の常若神社の渡邊宮司から教えていただいた話なのですが、聖徳太子の十七条憲法の各条文は、それぞれ創成の神々の神名と関連付けて書かれているからこそ、十七条なのです」とありますが、私が教わったことは古事記と聖徳太子に関するお話であり、聖徳太子の十七条憲法と神々の神名との関連付けは教えていただいたことではなく、私の考えであると、渡邊宮司をはじめ、関係各位に深くお詫びして訂正いたします。

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コメント
harlight
こちらのブログを参考にして強さと優しさについて具体的で現実的な知識を学び実践できるようにしたいからです。
2017/03/18 URL 編集
junn
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid861.html
2017/03/18 URL 編集
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私が尊敬する合気道の開祖、植芝盛平翁は、いつもにこにこされていたそうです。ご存じの通り相撲取りと組んでも柔道や剣道の猛者が立ち会っても
歯が立たなかったのは有名な話です。
植芝翁は常に合気道は小戸の神技であると仰っていました。小戸とは古事記に記されているイザナギ命さまが禊を
行った場所です。
2017/03/18 URL 編集