
←いつも
応援クリックをありがとうございます。
差別を否定することは、実は社会を否定していること。
差別があるということと、人が対等であることは矛盾しない。
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)◆
【お知らせ】◆
4月7日(土)18:30
第25回 百人一首塾4月15日(日)13:30
チャンネルAJER「古事記に学ぶ日本型経営学」4月22日(日)13:30
第50回記念 倭塾公開講座5月5日(土)18:30〜
第26回百人一首塾(公開講座)5月19日(土)18:30
第51回倭塾(公開講座)6月9日(土)18:30〜
第27回 百人一首塾 公開講座6月30日(土)13:30〜
第52回 倭塾 公開講座現代日本人は「差別」と聞くと、条件反射的に「いけない」と答えるようです。
これは「パブロフの犬」と同じです。
「パブロフの犬」は、犬にベルを鳴らしてから餌を与え続けると、しまいにはベルの音を聞いただけで犬がよだれを垂らすようになる、という実験結果のことをいいます。
「ベルを鳴らす」→「犬がよだれをたらす」
「差別と聞く」→「いけない」と思う。
両者は同じ「条件反射」です。
条件反射は、条件を与えると反射的に行動することをいう用語ですが、人には本来、思考力があるはずです。
そうであるなら、条件と反射の間にすき間を空けて、そこに「考える(思考する)」という行為を入れなければならないと思います。
そうでなければ、人ではなく、犬と同じになってしまいます。
つまり、
「条件→反射行動」ではなくて、
「条件→思考→行動」ができるのが、動物や昆虫と違う人間の行動であるはずです。
実際、差別というのは、本当によくないことといえるものなのでしょうか。
日頃から「差別はいけない」と言っている人ほど、上下関係にうるさい方であるように思います。
しかし上下関係こそ、まさに差別そのものです。
つまり言っていることと、やっていることが矛盾しています。
人はひとりでは生きていくことができません。
だから人と人とで社会を営みます。
その社会には秩序が必要です。
秩序のためには、上下関係や差別は不可欠であり必要です。
社会は差別によって成り立っているのです。
ということは差別を否定することは、実は社会を否定していることになります。
部長の決裁印を、平社員が勝手に使うことはできません。
代表取締役本人でもないのに、代表印を勝手に使って銀行から借り入れをすることはできません。
警察でもないのに、人を勝手に逮捕してはなりません。
男性が勝手に女風呂に入ったら痴漢です。
この世は差別がなければ成り立たちません。
差別があるということと、人が対等であることは矛盾しません。
決裁印は部長の所轄ですが、成果をあげるのは平社員の仕事です。
決裁権は部長にあっても、仕事で成果を上げるのは「俺の仕事」なのです。
トランプさんは全米を代表する大統領という偉い人です。
けれど日本料理を作らせたら、俺の腕は日本一どころか世界一だ。
あるいは、あいつは勉強では学年で1番だけど、かけっこだったら俺が1番だ等々。
差別があっても、人は成長しようと努力することで、人として対等に生きることができるのです。
「差別のない平等な社会を」などという標語もあります。
「平等な社会」と言うくらいですから、これは「法のもとの平等」を意味しているとわかります。
しかし法は、差別をしているものです。
たとえば弁護士特権、裁判官特権、議員特権のようなものが、現に存在します。
日本国憲法自体、大臣には特別な権限を与えています。
その権限は一般の国民が持てるものではありません。
憲法は人を差別することで成り立っています。
ということは「差別のない平等な社会」などというものは、その言葉自体がインチキだということです。
よく問題になる外国人についての差別も、当然あってしかるべきものです。
それどころか在日特権なるものが現に存在しているということは、在日外国人のほうが、生粋の日本人に比べて差別的好待遇を与えられているということです。
「差別はいけない」と声を大にして主張している人たちは、主に在日外国人たちであるといわれています。
彼らは、自分たちにとって都合の良い差別はむしろ積極的にしてほしいけれど、都合の悪い差別はいけないと言っているのです。
そのようなことを日本語では不条理と言います。
私達日本人は、
「差別は人が社会を営むにあたって必要なものである」
という、ごくあたりまえの常識を、あらためて取り戻す必要があると思います。
必要なことは
「差別のない平等な社会」ではなく、
「差別があっても人として対等な社会」です。
お読みいただき、ありがとうございました。

↑ ↑
応援クリックありがとうございます。
講演や動画、記事などで有償で活用される場合は、
メールでお申し出ください。nezu3344@gmail.com日本の志を育む学問の力 ~昌平坂学問所~
コメント
-
2019/03/15 URL 編集
nanacy
生き物には、自分が生き残るために差別する権利がありますよね
何かを差別することで危険回避するなんて自然の営みの一部です
一般に言われている「差別はダメ」とは
例えば、ユダヤ人が一般人になりすまして同族を迫害し
それを批判するという自作自演によって、
ユダヤ人が何をしても批判されない社会を法的に作るというもので
日本では、それはユダヤ人ではないですが、要注意です
別の方が部落について書かれていますが
部落の話はちょっと違います
あれは血を守るために自ら差別されるように仕掛けています
2018/04/12 URL 編集
-
学校の教科書読み書き授業は、教科書全部まで終わらないと記憶しています。また、終えようとしようと、大幅に大事な中身を簡略化してよくページを飛ばすと思うのですが。
これでは、例え真実が書いてあるページが文、文章であっても、子供の脳味噌には入って来ないだろうと。
まさか、教科書編集元締めから、そんなことまで考えていたり、各学校側に命令していたりしていたりと思うと、若い世代を取り囲んで選挙改善して主権を取り戻さなければと思いました。
2018/04/07 URL 編集
junn
https://blogs.yahoo.co.jp/umayado17/64226793.html
2018/04/07 URL 編集
くすのきのこ
人の体と同様。手は手のは・足は足の・目は目の・耳は耳の・鼻は鼻
の・口は口の・五臓六腑は五臓六腑の・脳は脳の・・働きを持ちます。
人間の細胞の数は、30~60兆個と推定されていますw細胞の一つ
一つが働いて、これらの組織を構成しています・・中には不良な癌細
胞も発生したりして速やか~にキラーセルに食べられてます・・そう
して健康を保つのです・身体はこういった様々な細胞達の構成する国
のようですwけれども、これらはたった一つの受精卵が分裂発生した
結果なのですw元は同じですよ~ww
人間は社会なしでは、この地球上に生存はできない。そういう社会的
動物です。その社会の中でもがくのはいい・・対立したり仲よくなっ
たり・・しかし元は一つであり、何らかの役目を担っており、その機
能を果たしてこそ社会全体がうま~く健康に機能するのでは?
差別とか対等とか公平とか区別とか・・そういう卓上の言葉に惑わさ
れず、自らの本分と社会との関係性を考えてみるべきでは?
仏教では・・子供は生まれる先を自ら選ぶという考え方があるそうで
す。辛い事のない人生は無い。その人生を生きる事を選択したと。過
去・現在・未来の中の星の数ほどある母体からたった一つを選択した
と。・・こういう考え方もあるそうですよw負けおしみ~・・な面も
あるかもしれませんが・・いいじゃないですかw昔の方々はしぶとい
んですwその先達の方々の屍の上に現代の社会があり、私共もまた
次の世代の社会の為に屍になるのです。その先達の屍を無きが如く軽
視あるいは蔑視する団体・・大学関係者も含め・・を身体で例えると?
ちょっとニホンは痛い国かも?w国の基は食料・水・エネルギー・イ
ンフラの自給というのも忘れてますし。
・・こうして国を身体に例えると、自らの人民を大量に葬ったタイリ
クとか、歴代トップを弾劾し続けるハントウも・・とても不健康。。
健康には適度なバランスが大事ですね。
2018/04/06 URL 編集
heguri
僕は被差別部落出身者を差別したことがありません。友達もいるし、昔は彼女もいました。被差別部落の銭湯に行き、お店で買い物をし、土建屋さんでアルバイトもしました。これは父親の影響です。父は全くフラットな人で、何にも気にしていませんでした。でも幼少時、貧困であった為に激しい差別といじめにあいました。それを救ってくれたのは正義感の強い友人とある一人の女性教師でした。その友人とはかれこれ56年の付き合いですが、彼は56年前の事をよく覚えているそうです。その当時のことを話す彼はとても優しい目をして話します。彼は被差別部落出身ではありませんが、彼も心の広いフラットな人間です。本来そういう人が多かったはずですが、部落解放同盟なる組織が暴れまわって人々の心を閉ざさせ、偏見の目を持たせてしまったのではないかと思っています。被差別部落内に解放会館を作り、「ここが被差別部落だ」とやってるんですから、全く意味が分かりません。本当に被差別部落の人々を救いたいなら、解放会館などもってのほか。何もしなければ自然と混じり合って、時間と共に被差別部落の存在そのものが分からなくなっていったのではと思います。ただ、被差別部落には悪しき習慣もあって、彼らが克服すべき事もあるのは事実です。お互いに心を開き、溶け合わないと被差別部落問題は解決しないでしょう。時間の問題だとは思います。
人種、職業、階級、貧富、宗教、地域、家族構成、男女等差別の要因は沢山あります。実際に不当な差別を受けて苦しんでいる人もいます。あってはいけないと思いますが、現実問題として人を苦しめる差別は存在します。これは、簡単には解決出来ないでしょう。人種、宗教、貧富による差別は特に難しいと思います。でも唯一これを解決する方法があります。それは、日本式統治の在り方です。今までねずさんのブログで教えて頂いてきて、日本式統治が世界を救う唯一無二の方法ではないかと思うようになりました。差別、区別は無くならないとは思いますが、何れも軽微なものになると思います。一神教でも多神教でも、金持ちでも貧乏でも、白人でも黒人でも黄色人でも、違いはあっても人としては対等という考え方が定着すれば、お互いを尊重出来るようになれば、世界は救われるのではないでしょうか?
2018/04/06 URL 編集
にっぽんじん
契約に基づくルールでお互いの取引が成立しています。
不都合なルールでも契約すれば契約に従うことが求められます。
しかし、契約の通じない国もあります。
1昨日、50年ぶりの同期会がありました。
その中には独立して個人事業をやっている友人もいました。
仕事は海外での仕事で中国やインドネシアでの事業が中心だそうです。
彼の話を聞くと「中国は契約があっても無駄だ。信用できない」と言っていました。
今では報酬も貰えていないそうです。
こんな国に進出する財界人の考えが不思議でなりません。
「朱に染まれば赤くなる」と言われます。
中韓という「悪友」とは距離を置くべきではないでしょうか。
これは中韓に対する差別ではありません。
「区別」です。
かって「國岡鉄三」氏は「平等は人間尊重ではない。公平でなければいけない」と言っていました。
2018/04/06 URL 編集