富本銭も和同開珎もまだなかった時代には、世間に通貨はなかったのです。つまり通貨がなくても、人々は生き残ることができたからこそ、人類は生存しているわけです。 大本に還る。 そういう時代が、いま近づいているといえるかもしれません。 |

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日本に貨幣が登場したのは、公式には和同開珎(わどうかいほう)でとされています。
発行が708年のことで、この年には、和同開珎の流通を祈願して、元号も和銅元年と改元されました。
第43代元明天皇の治世のときのことです。
おそらく皆様もそのように学校で習ったご記憶がおありかと思います。
ところが平成11年に奈良の飛鳥池遺跡から「富本銭(ふほんせん)」が発掘されました。
これが『日本書紀』に記載された「今(天武12年・687年)よりは銅銭を用いよ」の銅銭です。
異論もありますが、まず間違いない。
実は、この日本書紀に記述された687年の銅銭(つまり和同開珎よりも以前の銅銭)が、どのようなものであったのか、長いことわからなかったのです。
このためおよそ200年くらいの間、その687年の銅銭が「あった、なかった」で論争が繰り返されていました。
平成11年の発見は、その論争にケリを付けたわけです。
ちなみに和同開珎は、良質な銅の鉱脈が発見されたことから、日本の銅=和銅が使えるようになったとのよろこびが、そのまま元号になったし、銅銭の名前にもなりました。
では「富本銭(ふほんせん)」とは何かというと、これは642年に唐で書かれた『芸文類聚(げいもんるいじゅう)』の一文から来ています。
その一文とは、
「民を富ませる本は食(食べ物)と貨(通貨)」という文で、ここから「富本銭(ふほんせん)」の名が取られています。
チャイナでは、能書きだけで実現できなかった「富本」の原理が、なんと日本では実現したわけです。
もっとも、このときの銅銭は、当時の朝廷が発行はしたけれど、いまでいう記念コインのようなものでしかなく、通貨として流通するには至らなかったとされています。
銅銭が通貨としての役割を担うのは、和同開珎以降のことになるわけです。

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「富本銭」が出ても、銅銭が普及しなかったのは、それまでの日本が「銭」を必要としない社会であったからです。
今風の言い方をするならば、「お金が要らない社会」だったのです。
そして「お金がいらない社会」だったからこそ、朝廷が銭を発行しても、それがあまり普及しなかった。
歴史的には、そのことがある意味、幸(さいわ)いして、お米経済が江戸時代までずっと続くことになります。
銭があるのに、納税も給料の支払いも、ずっと長らくお米が用いられてきた理由は明瞭です。
銭は、「貯め込む」ことができますが、お米は「つかわなければならない」からです。
食べなければお米が傷んでしまう。
貯め込むことができないのです。
だから一定期間中に、民衆から税として集めたお米は、使わなければならないし、それは災害の多発する日本では不可欠のことでした。
ですから、古代において朝廷がわざわざ民衆の「富の本」と名付けて銅銭を発行しても、まったく民衆に普及することはなかったわけです。
では、富本銭ができる前までの労働の対価は、どうやって支払われていたのかというと、お米や布等による現物支給です。
たとえば新たな天皇が御即位されると、お祝いのための公共工事として遷都が行われ、遷都の際の土木工事や建物などの建設工事のために働きに出ると、その報酬は、男性1名の1日分の労働報酬が、米8合(およそ1.2kg)で、これは成人ひとりの8日分のお米に相当しました。
または、1日の労働が、麻の反物なら1反、絹織物なら数日で1反という具合です。
農閑期にお父ちゃんが公共工事に働きに出ると、普段は麻の着物しか女房子供に着せてやることができなかったものが、公共工事で絹の反物(たんもの)をもらえば、それで肌触りの良い絹の着物を着せてやることができるし、娘の花嫁衣装にもなるわけです。
だからお父ちゃんもお兄ちゃんも頑張って工事にでかけたのです。
日常の買物は、行商人がやってきて、お米と魚や野菜と交換します。
お米は通貨と比べてカサがはるので、荷物になって、さぞかしたいへんだったろうと思うのですが、いざ災害ともなれば、お金は何の役にもたちません。
災害時には、お金を持っていても、食べるものがなければ、人は死んでしまうからです。
現代の通貨は、明治以降に国際金融資本との提携で日銀が出来、その日銀が紙幣を発行することになっています。
そして米国でもチャイナでも、日本でも、お金をたくさん得ることが、あたかも人生の目的であるかのように宣伝されていますが、実際には、そこで民衆が必死になって働いたお金は、巧妙に限られた大金持ちに吸い上げられるようになっているわけです。
さらに近年では、その通貨がデジタル化し、たとえば5000万円の住宅ローンを組んでも、銀行はただ、口座に5000万円と書くだけです。
現物さえも必要ない。
これを「信用創造」と言いますが、こうして何もないところに、忽然と5000万円が誕生し、民衆はその利払いに追われて稼いだお金を巧妙に吸い取られるという仕組みになっているわけです。
そうなると、ひとつには、人が生きるのにあたって果たしてお金というものが、そもそも必要なのかという議論になってきますが、これは問題の「その1」です。
もっと深い事柄があります。
このたび政府が、国民ひとりあたり10万円を支給するという取り決めを行いましたが、これも「信用創造」です。
ただ、各個人の口座に「100,000」と書き込むだけのことです。
普通なら、そんなことをすれば、ハイパーインフレの懸念が生まれるのですが、経済そのものがコロナで動いていないわけですから、インフレ懸念はありません。
その一方で、先進諸国の為替がそのまま維持され、一方においてチャイナの元が暴落すれば、元は価値をなくし、チャイナ政権は完全に行き詰まることになります。
国民への一律支給は、コロナ対策が長引けば、第二、第三の追加対策が施されることになります。
先進諸国は為替の価値が維持されたまま通貨量が補われ、一方においてチャイナは元が紙くずになる。
こうなると元は紙くずと同じ扱いですから、トラック1杯分の元紙幣でもマクドナルドのハンバーガーひとつ買えないようになる。
チャイナの経済は極限まで破壊されることになります。
一方、チャイナ以外の先進諸国では、政府発行の通貨がダボつき、経済が停滞状態になります。
これはこれまでの経済モデルですと、物不足カネ余りで、インフレを引き起こす原因となったのですが、コロナではそうはなりません。
すでに人々の動きは、モノから情報(インテリジェンス)へと移行していますから、インフレ懸念はまったくありません。
加えてチャイナ産品の輸入が制限されるようになるということは、産業のUターン、つまりこれまでチャイナで生産されていたものが、国内での生産に切り替わる。
実際、国内の地方都市なら、税制さえチャイナ同様に特例処置が行われれば、工場設備を国内の地方都市に移した方が、チャイナに工場を作るのと、ほぼ同等のコストで製品の製造ができるようになります。
高い家賃を払って東京に住まなくても、ネットを利用して地方にいても会議に参加できるし、設計や企画などの頭脳業種の活動は地方に住んでいてもできます。
つまりお父ちゃんが地方に築かれた工場で働き、息子さんや娘さんは広い敷地の地方都市で暮らし、成人して就職するときは、在宅で東京の会社に勤務する、といった形も今後は可能になってくるわけです。
もちろん、たくさんの人が集まるようなビジネスモデル(興行のようなものなど)は、今後かなり制限されていくことになるでしょう。
短期的には、企業の倒産や、失業者の増加などの社会不安が起こることになります。
けれど、それも少しの間だけです。
日本社会の柔軟性と、日本社会の集約性は、またたくまにそれらの不安を、新たな国内産業の育成に変えていくことになります。
覆水盆に返らずです。
経済が元に元通りになることはありません。
これから夏場に向けてウイルス問題はいったんは沈静化しますが、秋移行には日本でもロック・タウンが始まる可能性があります。
この記事の原稿を書いたのは5月1日ですが、予測通り、5月いっぱい、自粛期間が延長されました。
ただ、6月になっても自粛ということは、これはできません。
なぜなら、ウイルスの動きが、高温多湿で鈍くなるからです。
ですから自粛も5月中には解除になりますが、衛生環境の保持ムードは今後も継続することになります。
またチャイナ産品は、国内産業が稼働を再開すると、消費の拒絶が起こりますから、国内市場を失うことになります。
その分、国産品が多数で回ることになる。
このことは、夏から秋にかけての国内経済の活性化につながりますが、秋の終わりから冬にかけて、ウイルス問題は第二波が襲うことになります。
これがチャイナ産品購買拒否へのダメ押しになります。
チャイナ製品を、国内製造に切り替えると、一時的には不況が襲いますが、その後の国内経済は必ず活性化します。
国内生産による内需拡大になるからです。
その一方で、人々の動きも変化します。
戦後の人々の希望は、終戦からの復興期には、家やモノなどのハードを手に入れることでした。
それらの者が飽和状態になったとき、心地よさを手に入れることが希望となり、これが経済のソフト化とも言われました。
ハードにしてもソフトにしても、それらを得るにはお金が必要でしたから、近年ではお金を得ることそのものが目的や希望となっていたように思われます。
けれどコロナは、さらにそこから一段進めて、心の豊かさや、公正な社会といったお金で買えないものに、人々の目的や希望が移っていくことになります。
たとえば、何らかの教室を営業していたとして、その教室のオーナーの目的や希望は、もともとは教室の維持にあったのではなかったのではないかと思います。
その教室やビジネスを通じて、別な何かをしたかった。
その別な何かが、これからのビジネスの中心、そして消費の中心になっていくわけです。
大昔、人類がまだ貨幣を用いていなかった時代。
その時代における人々の目的は、貨幣を得ることではありませんでした。
もちろん今後貨幣がなくなることはありませんし、生きる上で一定の貨幣が必要なことも事実です。
ですから、貨幣が必要ないと言っているのではなくて、その使われ方が変わってくるということを申し上げています。
1%の大金持ちが、発行された貨幣の50%を吸い上げ、7度生まれ変わってもまだ使い切れないほどの年収を得る一方で、多くの人々が貧困下に置かれる。
そういう社会が崩壊し、発行された貨幣が、人々の生活の向上のために使われる。
政治的には、そういう時代がやってくるということです。
このことは、個人消費の分野で使われるお金の増加の時代の到来を意味します。
つまり人々は、今後、これまで以上に豊かになっていきます。
そして豊かになった消費者が求めるものは、価値ある人生、希望の持てる人生への投資に向かいます。
未来は明るい。
ただし、これまでうまく行ったから、そのまま行けるという状況は、おそらく今後はもうありません。
形を変えないと生き残れない。
もともと何をしたかったのか。
自分たちの組織には何があるのかを、いまいちど根本に帰って考え行動するところに活路があります。
お読みいただき、ありがとうございました。
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コメント
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会社でも起業しようとすれば
現金1000万でもまず資本金を用意してそこから売上を増やして利益が増えていけば良し、損ばかりすればやがて財政破綻となるのはわかる
で、国はというか、日本国はどの時点で始めるにせよ
その時何を基準に一体いくらまで通貨発行していいものなのか
金きんの保有料とか国民の推定生産高とか…
その限界額とは何を基準にしているのか?
それはともかく時の政府には通貨発行権がありハイパーインフレを起こさないか財政破綻しない範囲で必要なお金を作り出していいのなら、幕末の江戸幕府や日露戦争前の政府はなぜ戦費が無かったという話になるのでしょうか???
北海道を担保にフランスから借金だの戦時債を何とか引き受けて貰ったとか???
必要なお金ならお札を刷れば良かっただけなのに…
会社だって借入金や社債を発行すれば当座の運転資金はいくらでも都合はつく
取り立てが厳しくさえなければかなり何とかなる…はず…
まあ過去の事はともかくもしこの先ベーシックインカムが常態化したらブラック企業で働く人はかなり減るでしょうね。
2020/05/04 URL 編集
kinshisho
今日は誰もがその言葉を知っていながら、その実態についてはあまり知らないハイパーインフレについてお話します。
ズバリ、ハイパーインフレの定義とは、年間で物価が13000%以上、即ち1年で131倍以上上昇する現象をハイパーインフレと言います。
日本のようにデフレに苦しんでいる国に於いて、ハイパーインフレは現時点で起こりようがなく、それこそ極端な供給不足に陥らない限り有り得ません。
因みに、日本の国内供給力が最も毀損した大東亜戦争後でさえ最も物価が上がった時で年間500%、僅か6倍でしかないのです。まあ、当時を生き延びた方には申し訳ないですが、恐ろしいことにあれだけ空襲を受けてその程度なのです。それでも尚日本はハイパーインフレにはならなかった。
かの有名なハイパーインフレは、第一次大戦後のドイツで、大戦終了から僅か4年後に1ドル9マルクだった為替相場は1ドル4兆マルクにまで下落しています。
この時の原因は、ドイツにとって重要な産業地帯であるルール地方をフランスとベルギーが占領したためなのですが、実はそのフランスとベルギーもアメリカに対して膨大な債務を抱えていたためその返済のために敗戦国のドイツから強引な取り立てを行い、ルール地方を差し押さえたために引き起こされました。
これは、ドイツのルール地方がドイツ国内の生産の大半を担っていたためにハイパーインフレになったのですけど、そのくらいしないとハイパーインフレは起きない。従って、ハイパーインフレが先進国レベルで起きるというのは余程の事態ということになります。
余談ながら、その時のトラウマからドイツ国民は現在に至るまでのインフレアレルギーを引きずり、結果有効な財政政策が打てない、少しでもインフレになろうものならドイツ国民から猛反対が起き、強行すれば怒号の中で政権が倒れる羽目になるのは確実で、その影響はEUの機能不全をも招いている訳です。勿論現在のフランスとベルギーもその巻添えとなっていますが、ある意味では自業自得なのかもしれません。
で、日本で敢えてハイパーインフレを起こすには、高橋洋一氏の説によると、一説には一人辺り10億円は配らないと理論上起こせないそうなのです。一人辺り10万円配ればハイパーインフレになって日本は破綻するうう~などと言っているアホ投資家を私は知ってますが、そのくらい日本の国内供給力は膨大であるということなのです。
それにしても、本来の正しい経済政策によって国民が潤うことを嫌う人が多いように感じますが、反対している人の多くが金融関係者であることは果たして偶然なのでしょうか。
敢えて推測するなら、経済が回ればインフレ傾向になるので、その分自身の貯蓄はインフレという形で目減りすることになる、そして、反対している者の多くが有名大学の経済学部卒であり、きっと難解な経済学を必死になって理解しようと勉強してきたのでしょう。
それが正しい経済政策によって否定されるとなると、自分が学んできたことは一体何なのか、ということにもなり、それは自分を否定することであり、そして恩師を否定することにもなりかねない。
また、数多の経済学者はそこに至るまでに膨大な歳月を経済の研究に費やしてきたはずで、それはタヒねと言われるのと同じことのはずで、内心分かっていたとしても間違いを認められない、間違いを認めれば学者としてやっていけなくなるので様々な理屈をつけて反対している可能性もないとは言えない。
しかし、間もなくそうは言っていられない状態になるでしょうけどね。
2020/05/04 URL 編集