神社での参拝の作法



ご神意に自分を同化させて生きる道のことを「かんながらの道」と言います。
日本人は「かんながらの民」です。
そして日本は「かんながらの国」です。

志村立美『初詣』
20200928 志村立美 初詣
画像出所=https://www.pinterest.de/pin/484488872387180311/
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)


人気ブログランキング
応援クリックこちらから。いつもありがとうございます。

歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
小名木善行です。

こうした保守的な活動をしていると、皆様とともに神社に参拝させていただくことがよくあります。
ところが最近になって目覚めた方に多いのですが、参拝の作法がわからないという方もおいでになります。
そこで、基本的な神社参拝の作法について、服装、鳥居のくぐり方、参道の歩き方、手水、参拝、玉串奉奠の6つをまとめてご紹介してみたいと思います。

1 服装

神社においでになりますのは、いうまでもなく神様です。
つまり我々からしたら、はるか目上の方です。
目上の方にご挨拶に行くのに、GパンにTシャツということはおそらくないと思います。
ですから基本は正装です。
男性ならスーツにネクタイ、女性も同様にスーツもしくはスーツに準じた服装が基本です。


2 鳥居のくぐり方

多くの神社には、参道に鳥居があります。
この鳥居のところで、まず軽く一礼します。
この一礼のことを「揖(ゆう)」といい、上体を30度ほど曲げた立礼です。
「揖」は、訓読みが「ゆずる」で、相手に対してへりくだる姿勢を意味する語です。
ちなみに拝殿の前での参拝時の礼は「拝」といって、こちらは90度に腰を曲げます。

この両者を合わせて「拝揖(はいゆう)」と言います。
お辞儀には45度のものもあります。
これは神社などでは、祓いを受けるときなどに行います。

呼び方としては、
 90度の礼 拝(はい)
 45度の礼 深揖(しんゆう)
 30度の礼 小揖(しょうゆう)
と区別されます。

鳥居は、神社によっては、鳥居のない神社もあります。
この場合は、神社の境内、つまり御神域と外を分ける建物などのところで「揖(ゆう)」を行います。
では、伏見稲荷の千本鳥居ように、鳥居が連なっている場合はどうするかというと、入り口のところだけで一礼すれば良いようです。

なお、お正月や例祭のときのように、参拝客が多いときは、のんびりと鳥居のところで「揖(ゆう)」をしていると、後ろから来る他の参拝客とぶつかってしまうことがあります。
この場合は、立ち止まらずに、軽く頭を下げるだけで鳥居を通ります。


『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』 先行予約受付中(2020/9/19発売)

《塾・講演等の日程》
どなたでもご参加いただけます。
2020/9/12(土)13:30-15:30 第75回倭塾(於:富岡八幡宮婚儀殿)
 https://www.facebook.com/events/1140192956351381/
2020/10/18(日)13:30-16:30 第76回倭塾(於:富岡八幡宮婚儀殿)
 https://www.facebook.com/events/867036783780708/
2020/11/15(日)13:00〜15:30 日本書紀出版記念(於:靖国会館)
 https://www.facebook.com/events/269322421064039/
2020/12/19(土)13:30-16:30 第76回倭塾(於:富岡八幡宮婚儀殿)
 https://www.facebook.com/events/337364737249840/



20200401 日本書紀
◆ニュース◆
『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』2020/9/19発売。先行予約受付中
『[復刻版]初等科国語 [高学年版]』絶賛発売中!!
『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』絶賛発売中!!
『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』絶賛発売中。


『ねずさんのひとりごとメールマガジン』
登録会員募集中 ¥864(税込)/月  初月無料!

3 参道の歩き方

神社では中央のことを「正中(せいちゅう)」と言って、その空間は神様のために用意された空間とされます。
ですから参道の中央も「正中」ですから、そこは神様の通り道なので、人は中央からすこし離れた脇を歩きます。
これは鳥居をくぐるときも同じで、中央を通らず、両脇に寄って通ります。

靖國神社への御参拝の方の多くは(というかほぼ全員)、いわゆる保守系のタイプの方々であろうと思います。
けれど、その中の多くの方が、参道の中央(正中)を堂々と歩き、また大鳥居等のところで、少し脇に寄っての小揖がありません。

もちろん、我が国では、そうした参拝の基本所作ができていないからと、責める人は誰もいません。
また神社は信仰の対象ではなく、感謝を捧げ、自らの霊(ひ)を浄化するとこですので、ここでご案内している所作も、参拝のルールではありません。
所作は、あくまでも「昔からのしきたり」であって、自分がどのようにするかは、その人の自由です。

ただ、たいせつなものは、ただ「たいせつだ」と思っていさえすれば良いと言うものではなく、自分がたいせつに思う気持ちが、後世にもずっと繋がっていかなければなりません。
それがおそらく「神社をたいせつにする」ということだと思うのです。

人は木の股から生まれて、死んだらそれで終わりというものではなく、幾千万の御祖先の営みがあり、その果てに自分があり、そして自分はまた未来の幾千万の子孫たちにとっての祖先となる身です。
ですから私たちの祖先は、たいせつなものを、たいせつに思う気持ちを、ひとつの型として後世に伝えてきてくださっていたのだと思います。
それが、参道の正中を歩かないとか、鳥居のところでも小揖を行うといった「しきたり」になっているのだと思います。

その意味で、やはり私たち自身も、祖先がたいせつにしてきた型を、たいせつにしていくことではないかと思います。

4 手水(ちょうず)の取り方

人は、普通に暮らしていても、自然と穢(けがれ)が溜まってくるものです。
穢れたままで神様に会いに行くのははばかれますので、手水舎で手と口をゆすぎます。

手水は次のように行います。
1)右手で柄杓(ひしゃく)を持ち、水を汲んで左手にかけ左手を清める。
2)柄杓を左手に持ち替えて、同じように右手を清める。
3)柄杓を右手に持ちかえて、左の手のひらに水を受けて口をすすぐ。
4)口をすすいだ左手に水をかけて流す。
5)残りの水が入った柄杓を立てて、柄に水を流して洗う。
6)柄杓をもとあった場所に伏せて置く。

まれに、柄杓に口をつけて口をゆすぐ人がありますが、これはよろしくありません。
あくまで左手に水を受けて口をゆすぎます。


5 参拝の仕方

本殿にはたいてい階段があります。
階段をのぼったところで、軽く一礼(小揖)をして、賽銭箱の前に進みます。
お賽銭を入れて、鈴があるときは鈴を鳴らします。(鈴がないときは省略)

お賽銭ですが、金額に決まりや制限があるわけではありません。
ご自身のお志でOKです。

次に「二礼二拍手一礼」の拝礼をします。
この拝礼は、神社によっては四拍手であったりもします。
これはその神社の慣習に従います。

二礼二拍手一礼は次の手順で行います。

1)深いお辞儀(拝)を二回繰り返す。[ 二礼 ]
2)両手を胸の高さで合わせ、右手を左手の第一関節まで少し手前に引き、肩幅程度に両手を開いて拍手を二回打つ。[ 二拍手 ]
3)両手をきちんと合わせて、心を込めて祈る。
4)両手をおろし、深いお辞儀(拝)をする。[ 一礼 ]

3)の祈りも、参拝客が列をなしているようなときは、短めにすっと念を込めるくらいにしておきます。
大丈夫。
いちいち言葉にして祈らなくても、神様は全部ちゃんとわかっていらっしゃいます。

なお、この拍手について、神社での参拝などでは、普通に拍手しますが、慰霊碑のような場所での鎮魂の祈りの場合は、両手を合わさず拍手のふりだけをします(つまり音をたてない)。


6 玉串奉奠

正式参拝で、玉串の奉納をすることを正式には「玉串奉奠(たまぐしほうてん)」と言います。
「玉串」というのは、榊(さかき)の木の、葉の付いた小枝に紙垂(しで)や麻を結びつけたものですが、榊は神様が宿る木とされます。

まず神職の方から、玉串を渡されますので、これを両手で受け取ります。
このとき、玉串の根元を右手で上から持つようにし、左手は玉串の上の葉のほうを下から手を添えるようにして受けとります。

玉串を受け取りましたら、玉串の葉の方を少し高くして胸の高さに持ち、ご神前に進んで玉串台の前まで進みます。
そこで一礼(小揖)します。

次に玉串を時計回りに回して、玉串の根元を自分の方に持ってきます。
葉先の方にあった左手を、根元に下ろします。

こうして玉串を立てた状態にして、目を閉じて祈りを捧げます。

次に右手を玉串の葉先の方にずらして、玉串を時計回りに回し、玉串の根元を御神前に向けます。

玉串の根元がご神前を向いたら、左足から一歩前へ進み、次に右足もそろえて姿勢を正します。
玉串台に玉串を置きます。

次に右足から一歩下がり、左足をそろえて姿勢を正したら、一礼(拝)をして席に戻ります。


 ***

以上、参拝の作法をあれこれをご案内しました。
文字にするとあれこれあってやっかいそうですが、youtubeの動画でもたくさん作法の紹介動画がありますので、ご覧いただいたら、すぐに覚えられますし、実際にやってみると、そんなにやっかいでもありません。

日本のおもしろいところは、こうしたすべてが「作法」として定着していることです。

「作法」は、決まりではありません。
強制でもありません。
ましてや命令でもなければ、契約でもありません。
あくまで作法であり心得です。

我が国では大切なことは、こうして作法にして定着させるということが古代から行われてきました。
命令でも強制もありませんから、神社での参拝が作法通りでなかったからといって、逮捕されることも勾留されることも、罰金を取られることもありません。

けれど、その作法によって、所作は美しいものとなり、作法を通じてその意味を理解することで、大切なものは何かが自然と定着するようになっています。
それが、諸外国にはない、日本の流儀です。

これが可能になったのは、我が国の天皇が万世一系であり、ご皇室の尊厳が、そのまま我が国の最高権威となり、国家権威よりも上位にあって、かつ、その最高権威が民衆を最高の宝である「おほみたから」としたという、我が国の根幹をなすという、我が国固有の体制があるからです。

そうでなければ、できないのです。
国のトップが政治権力者であったり、国の富を人口のわずか1%の大金持ちが寡占し、その富者が政治を裏から牛耳るといった政治体制のもとでは、民衆は常に逆境に置かれるわけです。
どのようにきれいに偽装したとしても、政府はただ民衆から収奪をするだけですから、いざとなれば、たとえば天然の災害でも起ころうものなら、民衆は自分の生命や財産を護るために武装し、一斉蜂起し、暴動を起こします。
なぜならそうするしか、身を護る方法がないし、常にそこまで生活が追い詰められているからです。

国の富が民衆に分散され、特別な大金持ちもいない代わりに、超のつく貧乏人もいない。
誰もがそれなりに真面目に働きさえすれば、確実に中流の(つまり人並みの)生活を送ることができる。
民衆が総中流化しているうえに、いざ災害などの天変地異が起これば、必ず政府が被災者のために行動を起こしてくれる。
そして政治が被災者のために行動を起こすのは、それが国家最高権威によって政治権力に与えられた役割になっている。
そういう社会体制が、何百年、何千年と培われてきたからこそ、日本では災害時に暴動が起こらないのです。

そしてそういう社会体制が根幹にあるからこそ、政府も、神官も、ただ「これが作法ですよ」というだけで、民衆は黙って、それに従う。
これこそ人類が希求し続けた、究極の社会体制と言えるものなのではないでしょうか。
そんな国を日本は築き続けたのです。

私達が取り戻そうとしている日本は、そういう日本です。
このことに反対し、あるいは攻撃を繰り返す人たちというのは、どういう人たちでしょうか。
日本の治安が悪化し、悪党がはびこり、民衆が収奪される世の中を求めているのでしょうか。
そうであるなら、それは、日本にとっての害毒というだけでなく、人類にとっての敵です。
そして神々は、そのような人たちを決して許すことはないと思います。

ご神意に自分を同化させて生きる道のことを「かんながらの道」と言います。
日本人は「かんながらの民」です。
そして日本は「かんながらの国」です。

ただ、ここまで書いた上で、ひとつ申し上げたいことがあります。
それは日露戦争における日本海海戦を我が国の大勝利に導いた秋山真之(あきやまさねゆき)の言葉です。

「細心蕉盧は計画の要能にして、
 虚心平気は実施の源力なり。
 天剣漫録より事の成敗は天にありともいえど、
 人事を尽くさず天と天と言うことなかれ」

けだし名言だと思います。


お読みいただき、ありがとうございました。
歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
小名木善行でした。


人気ブログランキング
↑ ↑
応援クリックありがとうございます。

講演や動画、記事などで有償で活用される場合は、
メールでお申し出ください。

nezu3344@gmail.com

          
  
この記事が気に入ったら
いいね!しよう
\  SNSでみんなに教えよう! /
\  ねずさんのひとりごとの最新記事が届くよ! /

あわせて読みたい

こちらもオススメ

コメント

ゆき

二礼二拍手について
最近、ある人から聞いた話ですが…
二礼二拍手は、パワーを抑えるために(GHQが?)誤りを流布した、
本来は三礼三拍手一礼、と…
それからは三礼三拍手一礼にしています

キリがいい数として、三、三、九度、とか三三七拍子、とかありますが、偶数で二、二で割れる数が縁起よくないとか言われますし…

なぜ、二、なのか?

ねずさん、そこのところ、動画再度ご検証調査宜しくお願いいたします!

下高原 研二

納得が行かない
こんばんは いつも勉強させていただいています
参道の真ん中を通らない という考えは僕の記憶に間違いがあるかもしれませんが確か20年位前に 急にテレビなどで言われ流行り出した新しいものだと 思います
当時 学生だった自分は テレビを
見ながら 納得がいかなくて ずっと疑問に思っていましたが 今では当たり前の礼儀作法になってしまいました
人の邪魔になるから真ん中を通るなと言うならばわかる けど神様の通り道と言われたら 何か違う 嘘くさい 神様は人間と一緒に参道を通られない ご神霊は現れたり消えたり 自由自在なのに 参道を人間並に通るなんて
神様は筋の通らない納得しない事 意味のない事はされないですよね
道の端を通る事より 神様にお金を投げつける 投げ銭の事が問題だと思います
先生に愚痴ってしまいました すいません

-

承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです

-

承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです

-

承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです

松さん

神の思し召しの随に余生を過ごします。
作法は神様のための振舞い。
(マナーは人のための振舞い)
掃除は邪気を掃き除くこと。
(クリーニングは単に綺麗にすること)
忌み箸はいけない。
敷居を踏んではいけない。
畳の縁を踏んではいけない。
座布団を踏んではいけない。
神仏は拝め!
神仏や命や縁を尊べ!

亡き父母から色々な場面で叱られ、沢山のこと教わりました。
(殆んど忘れてますけどね)

我国の立居振舞いには、歴史的精神や文化の数々が刻み込まれています。
これ等の根底を意識して学ばなければ、日本人のことは理解できないと思います。

かむながら
神の思し召しの随に。
丁寧な所作に心掛けながら余生を過ごしたいと思います。
非公開コメント

検索フォーム

ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

講演のご依頼について

最低3週間程度の余裕をもって、以下のアドレスからメールでお申し込みください。
むすび大学事務局
E-mail info@musubi-ac.com
電話 072-807-7567
○受付時間 
9:00~12:00
15:00~19:00
定休日  木曜日

スポンサードリンク

カレンダー

05 | 2023/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

最新記事

*引用・転載・コメントについて

ブログ、SNS、ツイッター、動画や印刷物作成など、多数に公開するに際しては、必ず、当ブログからの転載であること、および記事のURLを付してくださいますようお願いします。
またいただきましたコメントはすべて読ませていただいていますが、個別のご回答は一切しておりません。あしからずご了承ください。

スポンサードリンク

月別アーカイブ

ねずさん(小名木善行)著書

ねずさんメルマガ

ご購読は↓コチラ↓から
ねずブロメルマガ

スポンサードリンク

コメントをくださる皆様へ

基本的にご意見は尊重し、削除も最低限にとどめますが、コメントは互いに尊敬と互譲の心をもってお願いします。汚い言葉遣いや他の人を揶揄するようなコメント、並びに他人への誹謗中傷にあたるコメント、および名無しコメントは、削除しますのであしからず。

スポンサードリンク