先祖代々受け継がれてきた伝統を大切に護ることで、それを今度は自分が後世に伝えていく。つまり我々は、いま生きていて、いまさえ良ければいいということではなくて、我々の命は幾百千の祖先の「後世の子孫に幸せになってもらいたい」という祈りの心の上に成り立っている。その祈りの心は、今度は自分が祖先となって、後世につないでいかなければならない。そういうことを日本人は、太古の昔のさまざまな経験を通じて学び、それをひとつの文化として、大昔からずっと大切にしてきたのではないかと思うのです。 |

画像出所=Google Maps(以下同じ)
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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
昨日の記事で、動画の『
Googleマップで2万年前の日本地図が見える、すごい使い方』をご紹介しました。
この動画は、再生回数がおそらく今日中にも40万回を越えるものと思われます。(2020/10/17 05:30現在39万回)
いまから2万年前、地球気温の低下によって海面が現在よりも140メートル低かった時代があり、そうなると現在大陸棚となっているところの大部分(大陸棚は水深200メートル以下)が地上に露出することから、現在とはまったく異なる地形が現れるし、グーグルマップを利用すると、その一端が垣間見れるというお話です。
この動画でご紹介したのは、主に東シナ海と太平洋側に関する2万年前から1万6000年前くらいまでの人々の暮らし(日本列島では12万年前の人骨、およそ4万年前の磨製石器、1万6500年前の土器などが発掘されている)ですが、実は、グーグルマップでは、日本海側にもおもしろいものを見つけることができます。
日本海は、一説によればかつて塩分のない死の海であったとされています。
もともとの日本海の成立は、およそ6000万年前に大陸とくっついていた日本列島が、大陸2000万年くらい前から地下から吹き上げる高温のマントルの影響で日本列島の地殻が大陸から切り離され、やがてその裂け目が拡大して海水が流入して現在の姿になったとされています。その詳しい流れのことは、国立研究開発法人海洋研究開発機構のホームページにありますので、そちらをご参照ください。
→参照ページ
https://bit.ly/3dzDlWDところが不思議なことがあるのです。
グーグルマップを航空写真モードにすると、次の図が現れます。

この図の真ん中あたりに川のような筋があることにお気づきいただけるでしょうか。
その川のように見えるものを拡大したものが、下の図です。

これは是非ご自身で、グーグルマップを拡大したり縮小したりしてご覧頂きたいのですが、この筋のようなもの、どうみても川のように見えます。
大陸の切れ目にあたるフォッサマグナの延長線上のようにも見えるのですが、フォッサマグナはもうすこし東側に逸れます。
また、地震による亀裂にしては、幅が広すぎます。
そして、詳しく拡大して見れば見るほど、川に見えるのです。
本稿は、だから川だと断定したいわけではありません。
この川のように見えるものが、本当はいったい何なのか。それは今後の研究成果を待たなければならない。
本稿で言いたいことは、別のところにあります。
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仮にもしこれが川であったとすると、日本海は、大陸から分離した時点でいきなり海になったわけではなくて、長いこと海抜ゼロメートル以下の陸地であった可能性が高いということになります。
そしてその陸地に雨水や川の水がたまり、淡水湖が生成されていたと考えられるようになります。
淡水湖であれば、海水のような塩分を持ちませんから、死の海のようにも見えてしまうということにもなる。
いまの日本海には、ほぼ中央部に大和堆(やまとたい)と呼ばれる浅瀬がありますが、この大和堆のあたりと、日本列島の側が、海抜以下の広大な土地である2万年前の日本海大地(仮称)から見ると、山岳地帯のように見えたことになるわけです。
そして低地であり、川が流れていたとするなら、そこに淡水魚があり、人は川の近くで生活することができます。
出雲のあたりは、広大な平野部でしたから、出雲から、この大河に至るまでの広大な地所が、もしかすると大国主神話にある「大いなる国」であったのかもしれないと、想像が膨らみます。
ところが、あるとき、地球気温の上昇によって海面の高さが上昇をはじめます。
そしてある瞬間、日本海大地(仮称)に海水が侵入をはじめる。
もともと海抜以下の土地なのです。
そこに海水が侵入をはじめたら、まるで大津波のように一気に海水が数十メートルの高さの大津波となって、日本海大地の何もかもを飲み込んでしまうことになります。
これはおそろしいことです。
いきなり住んでいるところが海に没してしまうのです。
いまでも水害はあります。
河川が氾濫して、辺り一帯が水没する事態です。
そうした河川の氾濫は、何日かしたらかならず水が引きます。
ところが日本海大地(仮称)で起きた出来事は、まるでダム湖に沈む村のようなもので、ほんの一瞬で何もかもが飲み込まれてしまう。
しかもふたたび浮上するのは、何万年も先に、可能性があるかないかという程度のものでしかない。
どんな大災害が起こっても、生き残る人というのは必ずいるものです。
この、「いままで陸だったところが、一瞬にして広大な海になってしまう」という経験をした人々は、いったい何をどのように感じたでしょうか。
ひとついえることは、神々のお働きのおそろしさ、であったのではないでしょうか。
日本文化の根底には、八百万の神々や、天照大御神のようないわば人格を持った神様以前の創生の神々が存在を認めることができます。
古事記なら天之御中主神(あめのみなかのぬしのかみ)や、高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、神産巣日神(かみむすびのかみ)など、日本書紀なら国常立命(くにのとこたちのみこと)、国狭槌尊(くにのさつちのみこと)、豊斟渟尊(とよくむぬのみこと))などです。他にもたくさんの神々がおわします。
これらの神々は、人格を持った神ではなく、男女の性別さえも超越した根源神とされています。
不思議なことは、日本では西洋などのように特定の神(たとえばゼウスとか)のような唯一絶対神という考え方を取らず、代わりに性別も人格もない根源神を置いたという点です。(古事記の高御産巣日神だけは、人格神として後段に登場しますが、それを含めると話がややこしくなるので、ここでは古事記の冒頭にある根源神としての高御産巣日神を想定します)
おそらく、厳しい自然と対峙する文化のもとでは、自然は制圧し征服する対象となります。
ですからその征服征圧に必要な力を持つ人格神が最高神となるのであろうと思われます。
ところが、あまりにも強烈な自然の力を見せつけられた経験を持つ日本では、特定の人格神以前に、超強力な根源神としての神々の存在を認めざるを得なかったし、現にそうして「最高神以前の根源神を置く」ということが行われたのではないでしょうか。
そしてこのことは、繰り返し行われた戦いによって、それまで存在した文化を喪失した民族に於いては、決して起こることではなく、万年の単位の人々の記憶が、そのまま伝承として生きている日本だからこそ、そのような神話に至ったと言えるのではないかと思うのです。
万年という単位で歴史を考えるとき、私達は、いまとはまったく異なる気候、まったく異なる地形のもとでの人々の暮らしを想定する必要があります。
そしてその、いまとはまったく違う地形や気候のもとでの人々の暮らしがあり、私たちの祖先は、そうした変化の中で、さまざまな経験を積んできたわけです。
その長い経験が、民族の知恵です。
そしてその民族の知恵が、日本には、まるごとエッセンスとして残っています。
それは、敗者は皆殺しにされ、それまで蓄積された文化や伝統、あるいは史書に至るまで、全部失われてしまい、あるいは塗り替えられてしまった国や地域では、決して行い得なかったことです。
私たちの祖先は、想像を絶する大災害を経験することで、神の力のおそろしさを知り、神々を畏敬する敬神の心を養いました。
そしてその心は、いまでも日本人の心のなかにしっかりと残っています。
さらにいうと、こうして日本海が海没によって生成されたあと、今度は、新たに海となった日本海で、私たちの祖先は元気に活躍を始め、漁労をし、海の幸に恵まれる生活を送り、海流を使って大陸と交易を始めて豊かな国作りを行ってきています。
環境が変われば、新たな環境の中で少しでも豊かに暮らし、自分のみならず、子や孫や、それ以降の子孫たちの誰もが幸せに生きていくことができるように努力する。
前にも書きましたが、神社の作法など、作法を守らなかったからといって、逮捕されることはないし、罰金を科せられることもありません。
けれど、先祖代々受け継がれてきた伝統を大切に護ることで、それを今度は自分が後世に伝えていく。
つまり、我々は、いま生きていて、いまさえ良ければいいということではなくて、我々の命は幾百千の祖先の「後世の子孫に幸せになってもらいたい」という祈りの心の上に成り立っている。
その祈りの心は、今度は自分が祖先となって、後世につないでいかなければならない。
そういうことを日本人は、太古の昔のさまざまな経験を通じて学び、それをひとつの文化として、大昔からずっと大切にしてきたのではないかと思うのです。
お読みいただき、ありがとうございました。
歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行でした。
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コメント
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海底峡谷は何も日本海だけではなく、十勝沖太平洋にも、東日本の日本海溝に沿って数多く見いだされます。その形成について、下記の論文があります。
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土木学会論文集No.712/II-60, 45-56, 2002. 8,「乱泥流による海底峡谷の形成理論」、泉典洋、東北大学大学院工学研究科
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まとめ:大陸棚周縁部には海底峡谷(submarine canyon)と峨まれる峡谷状の地形が見られるが, その成因の一つとして, 大陸棚上を流下する乱泥流(turbidity current)と 呼ばれ る密度流が挙げ られ る.
本論文では乱泥流の運動方程式および連続式, 浮遊粒子の移流方程式, 乱泥流による海底地形変化を記述す る方程式を組み合わせ, 線形安定解析の手法を用い ることによって, 海底峡谷の初期形成機構について理論的説明を試みた.
理論によれば, 峡谷群の初期形成間隔は乱泥流の層厚のおおよそ1500倍~8000倍 となることが明らか となった. 乱泥流の層厚が10cm~1mのオーダーであるとすると峡谷群の間隔は150m~8kmとなり, 実際の間隔とも良好に一致する結果が得られた.
2020/10/22 URL 編集
Toshiro Akizuki
2020/10/18 URL 編集
松さん
それにしても、森羅万象の営み!
天変地異は人知の及ぶところでは無く、生き物にとって如何に不都合でも、食い止めることはできません。
大自然との共存は、これからも変わらないテーマだと思います。
問題は人為的な大異変の勃発です。
『もしあの頃…先人が◯◯してくれていたら…こんな目に会うことも無かったのに…』
子孫から、こんな風に言われたく無いと思えば、少しでも未来のことを考えて行動しなければなりません。
2020/10/17 URL 編集