通化事件に学ぶ国を失うことの過酷



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藤田実彦大佐
藤田実彦大佐


大東亜戦争が終わっても、満洲や朝鮮にいた日本人居留民の引揚者が、無事に日本へ帰ることは容易ではありませんでした。

通化事件(つうかじけん)というのは、終戦の翌年である昭和21(1946)年2月3日に、かつての満州国通化省通化市で、日本人に対して一週間にわたって拷問と銃殺が行われ、あるいは凍死させられ、軍とは何のかかわりもない民間人二千人(一説によると数千人)が殺害された事件です。

加害者は、China共産党軍と朝鮮人民義勇軍南満支隊(李紅光支隊)、被害者は日本人です。

通化市というのは、いまの北朝鮮とChinaの国境付近にあった市です。

終戦時の通化は、中華民国(蒋介石・国民党)政府の統治下に置かれ、満洲国通化省王道院院長を務めた孫耕暁が国民党通化支部書記長に就任し、満州国軍や満州国警察が転籍した中華民国政府軍によって治安が維持されていたのです。

治安が維持されていたから、満洲の奥地から日本に帰国しようとする多くの在留邦人や引き上げのために集まった日本人、17000名が滞在していました。

男は、満洲にソ連が侵攻した際の戦いに出自し、辺境で命を落としたり、シベリアに連行されたりしています。
命がけで、女子供や老人を逃し、そのために命を犠牲にして戦った。

ですから当時の通化にいたのは、男たちが戦って時間をかせいでいる間に、必死に逃げさせた女性や子供、老人たちだったのです。

しかし、彼女たちや老人たちは、無事に逃げおおせたわけではありませんでした。

落ちる途中で、Chineseや朝鮮人たちによって、ようやく持ち出した手回り品やわずかばかりの財産全部を奪われ、暴行を受け、強姦に遭い、厳寒の地で衣類さえも奪われ、麻袋に穴を空けたものをわずかに身に着けただけの姿で、ようやく一定の治安が保たれている通化にたどり着いたのです。

通化では、在留邦人がそうした日本人避難民に衣服や住居を提供するなどしていたのだけれど、その通化市居留の日本人ですら、家屋や家財を強制的に接取されるなどしていました。

そこに昭和20(1945)年8月24日、ソ連軍の将校20人、兵士200人が進駐し、市内の竜泉ホテルに司令部を設置します。

この連中も悪かった。
日本人居留民の家屋に押し入り、財物や衣類を奪い、奪うモノがなくなると、日本人女性や少女を強姦し、抵抗する男性や老人は平気で暴力をふるい、殺害しました。

武装解除されたとはいえ、通化市にあった日本軍憲兵隊は、ただ手をこまねいていたわけではありませんでした。

原憲兵准尉は、ソビエト兵が白昼の路上で日本女性を裸にして強姦していた現場に駆け付け、女性を救おうと制止してもソ連兵行為を止めないため、やむなく軍刀でその強姦兵を一刀のもとに斬り捨てました。しかしその場で原准尉は、別のソビエト兵に射殺されている。

そしてこの事件以降、日本人は、憲兵といわず民間人といわず、日本刀も没収の対象となっています。

完全に丸腰となり、身を守る術を持たなくなった日本人遺留民に対し、ソ連の軍司令部は、公然と日本人女性を慰安婦として供出せよと命じてきました。

ご存知の通り、朝鮮半島における従軍慰安婦などというのは、まったくのデタラメな捏造でしかありません。
朝鮮人の女衒たちが、同国人の女性をさらって独身男性が大量にいる日本軍兵舎横で売春宿を開いていただけの話です。
売春が合法だった時代です。

日本兵はちゃんと金を払って彼女たちを買っていました。
ですから、日本兵の給料が将校クラスで25円、兵隊クラスで15円が相場だった時代に、彼女たち売春婦は、2年もすると3~5万円の貯金ができたのです。
当時のお金で3~5万円というのは、いまの貨幣価値にしたら3~5億円の大金です。ですから一家のうちの女の子が日本人相手の売春婦になるというと、当時の朝鮮人は、一族をあげて大喜びした。

しかも日本は、彼女たちによって性病がまん延するのを防ぐために、公費を使って彼女たちの健康診断までしています。
ついでにいうと、当時荒稼ぎできた成功体験から、韓国ではいまでも売春がさかんです。
韓国で床屋に行くと、マッサージ嬢というのが出てくる。売春婦です。床屋でさえ、それが「サービス」になっている。
要するに彼らにとって、売春は成功体験になっている。

世界の常識は日本の常識とは異なります。

戦いに勝てば、負けた側の財産や女を略奪し放題にする。それが兵士たちの稼ぎになるというのが当時の世界の常識です。

白ロシアという地名があります。これはベラ・ルーシュの訳です。ベラというのは処女の意です。つまり白ロシアというのは、処女のロシア(ルーシュ)という意味の地名です。

なぜそういう地名になったかというと、かつてモンゴルが攻めてきたとき、湿地帯である白ロシア地方は、馬での交通が不便だったために、その地を避けて通った。そのため、そこの地は強姦被害に遭わなかったから、ベラ(処女)ロシア、と呼ばれるようになったのです。

負けた側に対しては、何をしても許される、それが当時の世界の常識でもあったわけです。

だから日本が朝鮮半島を侵略し、朝鮮人女性をセックス・スレイブ(性奴隷)にしたといわれると、多くの大陸系の人たちは、ウン、なるほど、と簡単に信じてしまう。
なぜなら、それが彼らの常識だからです。
しかし、それは彼らの常識であって、日本の常識ではない。

しかし、もし日本人がそういう非道を行う人種だったら、台湾でも、南洋諸島でも、東南アジアでも、かつての大日本帝国の版図になっていた地域には、必ず性奴隷がいて、現地人と日本人の混血孤児が大量に生まれていたはずです。
けれど、そういう話は、まったくない。
なぜか。日本人は、そのような非道をしなかったからです。

話が脱線しました。
ソ連の通化市への進駐軍は、日本人から武器を奪い取るだけでなく、女性の供出を求め、さらに日本人が外部の情報を得ることがないように、ラジオを全部没収します。

さらにChina共産党軍は、ソ連進駐軍の下請けとして日本軍の脱走兵狩りを行い、男性600人を検挙し吉林へ連行してしまいます。

つまり、通化市を、日本人の女子供と老人ばかりにした。

ソ連軍が撤退すると、通化の支配を委譲されたChina共産党軍は、通化市の市役所の幹部職員全員を連行し、旧満州人の役人全員を殺害します。つまり日本人社会の行政機能を奪った。

さらに清算運動と称して、旧満州人たち通化市民の家宅に片端から侵入し、民族を問わず金品を掠奪します。

そして昭和21(1946)年9月22日には、China共産党軍が、公式な連合国軍であった中華民国政府軍に攻撃を仕掛けて、通化市から駆逐してしまいます。

10月23日になると、China共産党軍の一個師団が新たに通化市に進駐してきます。

11月2日には、China共産党軍劉東元司令が着任します。

そして同日付けで、China共産党軍は、17000名を超える日本人遺留民に対して、収容能力5000名以下しかない旧関東軍司令部へ「全員、移動せよ」と命令します。

移動した日本人遺留民に対し、China共産党軍は、即日「遼東日本人民解放連盟通化支部(日解連)」の設立を命じました。

日解連は、日本人に対する中国共産党軍の命令下達や、日本人への共産主義教育を担当するChina共産党の下請け組織です。

このことは大事なポイントなのですが、およそ民族支配をしようとする者たちは、必ず民族の分断工作をします。

欧米列強が東南アジア諸国を支配するに際して、最貧層だった少数民族の華僑を利用したり、日本を占領したGHQが、在日朝鮮人を利用して武器を与え朝鮮進駐軍を名乗らせたのも、そうした分断工作のうちです。

満洲の通化でも、日本人遺留民の分断工作のために、Chinaの共産主義を受け入れる者にある種の特権を与え、同民族同士での分断工作が行われました。

それが日解連だったわけです。

日解連は、日本人のスパイとなり、China共産兵に、どこぞの日本人宅には、これこれの財産がまだ隠されている、誰々の家には、美人の娘さんがいるなどの情報を与えた。

しかし、恐怖に縛られ、この手のいわゆる裏切り(分断工作)に応じた人たちも、結局は被支配者であり、しょせんは奴隷にすぎない。

日解連は、China共産党軍の指示に従い、日本人遺留民の財産を全て没収しようとします。
これに対し、日本人遺留民たちは、正々堂々、最低限の衣類や食糧の確保の嘆願を続けます。

するとChina共産党は、没収を見合わせる条件として、日本人全員が共産主義者になることへの誓約を要求します。

そして11月17日には、China共産党に応じない元満鉄総裁の大村卓一を、満鉄総裁であったことを罪状として逮捕、投獄した。

この間も、China共産党の兵士たちは、武器捜索を名目に、日本人の家屋に押し入っては、略奪・暴行・強姦を、連日続けています。


12月23日、日解連の通化日本人遺留民大会が、通化劇場で開催されます。

劇場には、中国共産党万歳、日本天皇制打倒、民族解放戦線統一などのスローガンがおどっています。

大会には、劉東元司令を始めとするChina共産党の幹部が列席し、日解連幹部らも檀上に勢ぞろいした。そこに日本人遺留民3000人が出席します。

議長は、日解連幹部で元満州国官吏の井手俊太郎が務めます。

彼は、「自由に思うことを話して、日本人同士のわだかまりを解いてもらいたい」と、冒頭に発言した。

日解連幹部たちは、自分たちのこれまでのやり方の手ぬるさの謝罪が行われ、「我々が生きていられるのは中国共産党軍のお陰です」などと、連日乱暴狼藉を働くChina共産党に媚びた発言がなされます。

しかし発言を求められた日本人遺留民たちは、その席で、日解連を堂々と非難したのです。
そして明治天皇の御製を読み上げ「日本は元来民主主義である」などの発言を、次々に繰り広げます。

そして山口嘉一郎老人が、
「宮城遥拝し、天皇陛下万歳三唱をさせていただきたい」と提案しました。

会場に、満座の拍手が沸き起こります。

議長が苦い顔で、賛意を示す者に起立を求めました。
会場のほぼ全員が起立した。

そして高らかに、宮城遙拝と天皇陛下万歳三唱が行われます。

万歳のあと、山口老人は、

「我々は天皇陛下を中心とした国体で教育され来たので、いきなり180度変えた生き方にはなれません。ですから徐々に教育をお願いしたい」と述べます。きわめて常識的な発言です。

大会は、日本人有志の正々堂々とした発言で会場を取り仕切られました。
しかし、その日の翌日以降、大会で発言した者は、全員、China共産党によって連行され、殺害されてしまいました。


大会から1週間が経過し、年が明けた昭和21(1946)年1月1日、China共産党の工作員であった内海薫が、殺害されます。犯人はわかりません。

1月10日、China共産党は、日解連幹部の高級官吏や日本人遺留民の指導者ら140名を、内海薫を殺害した容疑であるとして連行します。
そして全員を抑留した上で、日解連も強制的に解散させてしまった。

1月21日、China共産党は、日本人4名を市中引き回しの上で、渾江の河原で公開処刑します。
日本人たちが見ている前で、彼らは遺体を何度も撃ち、銃剣で突き刺し、ハチの巣にしたうえで、切り刻みます。

日本人遺留民たちの怒りは、徐々に高まっていきます。

そして昭和21(1946)年2月3日、通化事件は起こります。

この通化事件の情況については、筆舌に尽くしがたい艱難辛苦の末、やっとの思いでどうにか無事祖国にたどり着くことができた外科医婦人中郷三己枝さん(当時27歳)の手記がありますので、まるごとご紹介します。

出典は、高崎弥生氏の著書「実録、遥かなる回想」です。

~~~~~~~~~~~

中国八路軍のことごとに理不尽な暴圧に堪えかねた旧日本軍の一部と、在留邦人の中の抗議派の人々が、国府軍と手を組んで、ついに立ち上がった。

その中心人物は藤田大佐で、かつて戦車隊長として雷名をとどろかせた猛将として有名だった。
昨年6月、通化にやってき今利中将ひきいる第百二十五師団の参謀長だった。

この人たちが、どのような手段で決起したのか知る由もなかったが、総勢、約千名が、2月3日の未明を期して一斉に蜂起した。

それは暴動のようなものではなく、それぞれ攻撃目標を定めた組織的な反乱だった。

しかし、たのみの国民党軍は呼応しなかったし、同時に立ち上がる予定の航空隊は、八路軍(China共産党軍)の先制攻撃を受けて参加できず、それ以上悪いことに、反乱軍の動きは、八路軍のスパイによって探知されていたため、奇襲攻撃はことごとく失敗に終わった。

部分的に要所を占領した部隊もあったが、それも数時間で壊滅してしまい、敵弾にたおれ、傷ついて捕虜になった者も多く、壮絶な戦死を遂げた者もすくなくなかった。

この反乱は、わずか数時間の後に完全に鎮圧されてしまった。

血に彩られた旧正月の朝は明けた。
おびただしい死体が各所に散乱していた。

この事件は八路軍に大きな衝撃を与え、日本人に対する怒りは頂点に達した。
これは日本人弾圧の絶好の口実となった。

やがて恐ろしい報復が行われ始めた。
元旦を祝って家族がささやかな朝食についたとき、八路軍の兵士が侵入し、夫たちを引き立てて行った。

通化市内では、16歳以上60歳までの日本人男子は、ことごとく八路軍兵舎その他に集合せよと眼入れされた。市内は恐怖のるつぼと化した。

八路軍側は、抗戦派だけでなく、すべての日本人に対して、仮借なく復讐しようとしたのである。
この反乱にまったく無関係の者も、反乱に反対だった者も、ほとんど差別されなかった。

とくに兵舎の前に集合させられた数百名の日本人は、身震いしておののいていた。
そこにひとりの将校があらわれて、絶叫するように叫んだ。

「今朝、日本人を主とした反乱軍のために、わが軍は多大の犠牲を受けた。諸君は同胞として、その罪を免れることはできない。わが軍は報復として、ただちに諸君を銃殺に処する」

その瞬間、兵舎の窓から十数台の機関銃が一斉に火を噴いた。みるみるうちに、ばたばたと倒れた。

重傷を負って死にきれない者に対しては、容赦なくピストルが撃ち込まれた。

死体は待機していたトラックに次々と積み込まれ、一部は渾江の橋の上から凍結した川面に投げ捨てられ、一部は近くの谷間に投げ込まれた。

逮捕拘引された日本人は、およそ三千人に及び、元憲兵隊の監獄や、公署の防空壕の中に分散監禁された。

~~~~~~~~~~

監禁された日本人は、狭い部屋に何十人も押し込まれ、身動きすらできない中で大小便垂れ流しのまま5日間もの間立ったままにされた。

苦しさのあまり「出してくれ」と叫んだ者があると、銃弾が撃ち込まれてくる。
発狂する者もあれば、中には立ったまま死んだ者もあった。

しばらくして取り調べがはじまると、ひとりひとり引き出され、反乱軍との関係の有無を詰問される。
そのとき態度が悪かったり、言葉に詰まったりすると、こん棒や革のムチで容赦なく、力いっぱい打ちのめされた。

その場で悲鳴をあげて倒れる者、全身を殴りつけられて意識を失い、ついに動けなくなった者も少なくなかった。

そうすると、そのまま戸外に放り出されてしまう。
酷寒二月のことである。たちまち寒気のために不動のまま凍死してしまった。

やがて材木のようにトラックに積まれ、谷間に投げ込まれる。

するとどこからともなく貧民が集まってきて、硬直した死体から着衣をはぎとってゆく。
全裸の死体は、荷物のように運ばれて、渾江の橋の上から投げ込まれる。
これが毎日のように行われた。

なんという地獄絵図だろうか。

一週間目ごろから、ぽつぽつ釈放者が出るようになったが、帰って来た人も、無傷な人はいなかった。
手を折られた人、足を折られた人、杖にすがってやっと家にたどり着いた人。
帰ってからも発熱のために苦しむ者。凍傷のため、廃疾者同然になった者などが大部分で、五体満足で帰って来た人はわずかであった。

(同上)
~~~~~~~~~~~

抑留中は精神に異常をきたし声を出すものなどが続出したが、そのたびに窓から銃撃され、窓際の人間が殺害されました。

殺害された者はそのまま立ったままでいるか、他の抑留者の足元で踏み台とされました。
また、数百人が凍傷に罹り不具者となりました。

拘束から5日後、部屋から引き出されると、朝鮮人民義勇軍の兵士たちにこん棒で殴りつけられ、多くが、その場で撲殺されました。

撲殺を免れたものの多くは、骨折した手足をぶらぶらさせていました。

その後、China共産党軍による拷問と尋問が行われ、凍結した川の上に引き出されて虐殺が行われました。

女性にも多数の処刑がされました。

渾江川の上には、服をはぎ取られた女性の裸の遺体が転がっていました。

男たちが拘束されている間、China共産党軍の兵士たちは、日本人住居に押し入り、家族の前で女性を強姦することもあり、凌辱された女性の中には自殺するものもありました。

事件後、3月10日になると、市内の百貨店でChina共産党軍主催の二・三事件の展示会が開かれました。

戦利品の中央に、蜂起直前に拘束された孫耕暁通化国民党書記長と、2月5日に拘束された藤田実彦大佐が見せしめとして3日間に渡り立たせられました。

3月15日に藤田大佐が獄死すると、遺体は市内の広場で3週間さらされました。

渾江(鴨緑江の支流)では、夏になっても中州のよどみに日本人の虐殺死体が何体も浮かんでいました。

この年の末、国民党政府軍が通化市を奪還します。
国民党は、事件犠牲者の慰霊祭を行ないました。

しかし翌年には、再び通化市は、China共産党軍が占領しています。


通化事件というのは、大東亜戦争がすでに終結したあと、日本に帰国するために比較的治安のよかった通化市で起こった事件です。

日本に帰国しようとする避難民に対し、China共産党は略奪強姦の限りを尽くし、我慢の限界を超えた日本人が、武器も持たずに一斉蜂起(2月3日)すると、彼らはこれを鎮圧しました。

そして蜂起とは何の関係もなかった日本人を含め、3千人とも4千人ともつかない日本人を、零下30度の極寒の中で、両手を上げさせて銃剣で追い立て、一部を殺害し、一部を監禁。

監禁された日本人は、せまい部屋に120人ごとに押し込め、さながら満員電車のような身動きできない空間で、酸欠で口をパクパクしている人達を、窓からライフルで撃って殺した。

5日間にわたって、大小便垂れ流し状態で死体とともに立ったまま部屋で監禁されていた日本人たちは、ようやく息も絶え絶えに部屋から出されると、こんどは朝鮮人たちが、こん棒で好き放題に殴りつけました。ある者は殺害され、生き残った者も手足をぶらぶらさせていました。

一週間にわたる拷問と銃殺、あるいは凍死によって、一般の民間人二千人(一説によると数千人)近くが殺された、この通化事件は、Chinaが捏造している南京事件と異なり、完全な事実です。

しかも、ときは戦時中ではなく、戦争が終わった後、それも武器を持たない一般市民に対して行われた暴虐です。

ちなみにこの事件の際、China共産党に媚を売り、日本人の密告や財産の強奪の手引きをしていた日本人の共産党工作員がいました。

彼ら工作員は、日本人避難民が乞食同然の生活苦でいたときに、立派な服を着て街を闊歩し、罪のない日本人を売って得意になっていました。

しかし通化事件のとき、その日本人共産党員も、他の日本人と同様、殺され、監禁され、手足の骨を折られています。

悪に魂を売って、一時的な利益を得ても、結局は悪によって滅ぼされる。

いま、日本を売り、個人の利得を得ようとしている日本の政治家も、いずれ彼らの思惑通りに日本に外国人参政権が誕生した際には、真っ先に、裏切り者として糾弾され、財産を没収され、殺される運命にある。

世の中とは、そういうものだと思います。


通化事件は、たいへんな死傷者を出した大事件です。
記録にもあるように、この事件では、日本人が二千人(一説によると数千人)も殺され、その死体は、夏になっても渾江川に浮かんだ。

大規模な殺害があれば、そういう証拠がいつまでも残るものです。

ましてChinaや反日主義者が主張するように、南京で日本人が30万人も虐殺を行ったとするならば、その記録や証拠が、いくつも残らなければおかしい。
しかし、そんな証拠はまったくないし、証拠として出されているものも、それが捏造である事実がことごとく暴かれています。

戦後の反日左翼主義者、反日思想家たちは、この通化事件について、日本軍が乱暴狼藉を働いたために、その騒動に一般の日本人民間人が巻き込まれ、たいへんな被害に遭ったと説明しているようです。

しかし、上に述べたとおり、日本人の旧軍人たちが蜂起したのは事実ではあるけれど、彼らは武器すら携帯していなかった。軍刀すら没収されて持っていなかったのです。

そして事件までの半年間、財産を奪われ、家屋に押し入られ、女性たちを強姦され、あるいは殺され、暴行を受け、無理やり共産主義万歳と唱えさせられ、もうどうにもならないところまで追い込まれて、彼ら軍人は、蜂起した。

それに対するChina共産党の報復は、蜂起した軍人の逮捕ではなく、一般人の虐殺だった。

事件が起こったのは、昭和21年です。すでに戦争は終わっています。
日本とChinaは、このときすでに交戦状態ではなかったのです。

つまり暴動が起きた、それも武器を持たない市民(旧軍人もこの時点では一般市民)の蜂起であったとすれば、鎮圧は国内の治安維持活動であるはずです。

にも関わらず、Chinaが行った行為は、暴行であり虐殺でした。

これが非道にあらずして、何をもって非道というのか。


それともうひとつ。
通化事件で、日本人は、たいへんな目に遭いました。

国が亡くなる、China共産党に支配される。するとどういうことが起こるか。
その実例がこの通化事件にあります。

日本は良くない国だ、という人たちがいます。
Chinaと仲良くすることが良いことだと言う人たちがいます。
China、朝鮮、日本を東アジア共同体として、ひとつの国にまとめあげようという人たちがいます。

しかし、実際にそうなったときの実例が、通化事件にあります。

そんなことは何十年も昔の話だろう、という人もいます。

しかし、天安門事件、あるいはウイグル弾圧、チベット弾圧等々。
いまも昔も、China共産党はなんら変わらない。

家庭を守る。それは夫ならあたりまえに思うことです。

家族の平穏と安全、子供たちがすくすくと育つ環境。平和な社会。
それは、私たち普通の市民が、普通に思う心です。

しかしそうした家族の平穏、安全、社会環境、平和の一切は、国家がきちんとしていてはじめて成り立ちうるものです。

そのことを、私たち日本人が過去に体験した事実をもとに、もう一度考え直してみることが必要なのではないでしょうか。

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凛として愛(7/7)


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コメント

夢見

はじめまして
本日 ツイッターにてこちらの記事を引用させていただきました

「通化事件」について一人でも多くの方に知ってほしいと思ったからです

中国や韓国 北朝鮮などで多くの嘘っぱちドラマで不当に日本人や日本軍が悪く描かれ それが事実であるように思う人もいる
未来の日本の子供達に私はそんな出鱈目な負の遺産を与えたくない
背負ってほしくないと願っています
勝手に引用したことを許していただければと思います

ぶぶ漬け

No title
紙田治一さんの通化事件の記録はここです

医師・紙田治一の記録
www.a-kamita.jp/kamita_h/index_01.html

一度HPが勝手に削除されていたそうですが、今は復活して読めます

-

承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです

とおりがかりのおじさん

通化事件について
通化事件については軍医であった紙田氏の詳細な覚え書きがネットで公開されています。日本人の反乱分子をあぶり出す為の八路軍による謀略であったような印象を受けました。シナ人のやりそうなことです。

-

No title
シベリア抑留は知っていたが、中国でもこんな事件があったのは初めて知った。
ネットが普及しなければ永遠に知らなかったかと思うとぞっとする。
ただこれはもう過去の事であって、これを報復と称して今の中国や朝鮮に
向けることは間違っていると思う。例え相手が反日教育をしていても違うと思う。
僕はただただ自分の家族の為に恥ずかしくない生き方をしたい。

-

世界の常識=殺られたほうが悪い
当事者以外で中共を責めてるのは只の甘チャンだね。
戦争になったら、何やっても何やられても文句は言えない。
だから、政治・外交がある。

終戦?そんなの関係ねえって
遠足の時にいわれたでしょ?
「家に帰るまでが遠足です」って。

退却する相手を殲滅するっていう
戦場での常識が、行われただけだ。
これはとても悲しい話、人間として恥ずかしい話だが
戦争に負けて自国民を無事に撤退させられなかった
糞弱い日本軍・関東軍が悪い

南京大虐殺も同じ。
俺達庶民は、国籍問わず、戦争に負けたら何されても文句言えないんだよ

竹心

ひどすぎる。政治家は知っているのか?
今の政治家は、通貨事件を知っているのか。
知っていて黙っているのか。
日本の政治家は歴史認識の欠如と言うが、歴史を知らない、教えない、知ろうとしない政治家は議員としての資格がないと言って良い。そんな資格試験があっても良い。
国民だけにいろいろと資格試験を押し付けるが、国会議員に資格試験を課することを検討して欲しい。

ねずきち

No title
KUMOさん、ありがとうございます。
素晴らしいページですね。

ボクのブログに、リンク貼っておきました。
今後ともよろしくお願いします。

KUMO

リンク報告
僕のブログ記事からリンクさせていただきました。
リンク元: http://kumo.typepad.jp/weblog/2007/09/baekdu-mountain-1.html
ねずきちさんのブログ記事をひとつずつ、全て読ませていただいています。

-

今初めて知りました。
必ず広めます。

さざれ石

17日の沖縄デモの様子
http://ameblo.jp/kuga-tsukasa/このブログ、見つけました。様子が少しわかりますね

英雄

No title
日本が滅びる前に戦いましょう。戦って死にましょう。もう一度シナ朝鮮と戦をしましょう。

椿

日本は政府はあるけど、『外交』がありませんからね。


日本人は、シナ・朝鮮を同じ東洋人だから、白人よりは話が通じると、いつまでたっても“勘違い”しているところが困りものです。

シナ・朝鮮は確かに東洋に属しているけど、東洋文化なんて“洒落たモノ”全くないでしょう。共産党になった時点で、中国の伝統なんて、破壊尽くされているんだから・・・。

特に上層部の幹部や指導者んなんて、人間的感情は徹底的に抹殺し、スパイ・暗殺なんてお茶の子サイサイというくらいの“鬼畜”にならなければ、権力なんて掌握できません

シナの共産党に比べたら、かの有名なヒットラーでさえも、大変な『文明人』だと思います。当時、ドイツでヒットラーの悪口を言った者は、“6か月の懲罰刑”だけだけどシナの文化大革命では、毛沢東の悪口を言った者は、“即刻死刑”ですよ!!!

浪花節が大好きな田中角栄や、コキントウと握手して、感激で涙流している小沢やその部下達が信じているような

相手の気持ちを慮って…』なんていう、シナ指導者は、最初から、あの共産主義体制で生き残れるわけがないんですよ

人間性を殺さないと、あの過酷なシナ体制の中では生き残れない…。

そういうところが政治家のくせに全く分かってない!共産主義に対して甘いというか、誤解しているというか…、日本が誠意で対応しても、結局、“いつもシナに裏切られている”でしょう?!

政治に全くズブのド素人でさえも、これくらいすぐに想像がつくのに、国会議員や官房長官や首相のような、日本を守る国家的指導者の立場にある者が、国民以上に“平和ボケ”とは、恐れ入りますよ!

だから、天安門大虐殺事件の後、世界から総スカンを喰らったシナから、天皇陛下訪中をお願いされた時も、なんの「対中外交カード」も切れない、無為無策の外務省!!

世界から孤立して困っているシナを苦境から救ってやる替わりに、『天皇陛下ご訪中をもって、日中間に横たわる歴史問題は、永遠に解消された。両国政府は、今後一切、歴史問題を永久に言及しない!!』という、“共同声明”の一つでも取るべきでしょう?!

尖閣諸島の問題も、この時に『言質』をとっておけばよかったのに!!

全く、総理大臣を筆頭に、外務省も、局長クラスにも、守るべき国家意識国益が抜け落ちているから、“最高の対中外交カード”を持っていても、ドブへ投げ捨てただけ!唖然…。

東大・京大クラスのエリート達が、雁首並べて、子供でも出来るような『初歩的外交』が出来ないとは…、呆れてものも言えません!

『日本に何かメリットはありましたか?』という質問に、当時の外務省局長クラスは、「中国の苦境を救ってあげたので、中国は日本に感謝しています。将来友好親善の歴史の上に、きっと何かがあるでしょう。」ですって…。

意図的ではないにしろ、この平和ボケ外務省連中政府高官には、『死刑』を適用すべきでなないでしょうか?

しかし…、日本はシナ・朝鮮や外国と関わると、碌な事がない!損ばっかり(苦笑)…。



yamato2007

No title
親父も現地招集で通化にいました
終戦時、炊事当番で満州皇帝博儀陛下の料理を運ぶ役だったそうです。
でも これを ひっくり返してしまい、営巣入りになるところ博儀皇帝が途中で中共に捕まり営巣入りは免れたそうです。
そんなわけで、先輩の兵からお前たち若い者は(父は昭和2年1月生まれなのでその当時18歳でしたので)はやく日本に帰れと先に帰りました。
生前、父がよく、言っていました。
もう一週間あそこにいたらお前は生まれていなかったと。
朝鮮半島を縦断する間にもいろいろあったみたいで、私が韓国に行くのを非常に嫌っていました。
父の腕には30cmぐらいの切り傷がありました。これについたは何も言いませんでしたが、刃物を全て没収されたからみんなに、ハサミを持つように言っていたことを話してくれました。
もっと、いろんなことを聞いておきたかったのですが、3年前に永眠いたしました。

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No title
「だいあのつぶやき」に訂正文があります。 確認をお願い致します。

名前:タケ坊
タイトル:No title
********************
このエントリーの表題の件ですが、私も気になっておりました。
しかし、こちらのブログの米欄にあるとおり私もとある自治体の外国人登録係に電話して確認したところこの情報はデマと判明しました。
http://awfuljapan.livedoor.biz/archives/51392040.html
具体的には入国する際にまずは最初の居住地を外国人は登録します。
当然パスポートは必要です、これが最初のセキュリティになるんですね。
そして登録後外国人登録カードが発行されます、これが第二のセキュリティになります。
その後外国人が別の居住地に移ったとしてそこを居住地にしようとした場合外国人登録カードの提示を求められます。
そこでチェックするので二重登録は不可能なんですね、偽造でもしない限り。
ちなみにここで言う外国人とは外交官などの特権を持った人以外の全員を含むのであり、当然のことながら特別永住者や普通の永住者も含まれます、という説明でございました。

まったくそのとおり

ジャギ様へ
欠格条項ですね!わざわざありがとうございましたm(__)m

英雄

No title
印象操作や洗脳、世論誘導の工作員のやり方に100の事実に嘘一つと言うのがあります。幾つか本当の事を言って、肝心なことを嘘をついたりしてマインドコントロールをするのです。その一つの嘘が猛毒なわけです。あらゆるとこに工作員がいてご苦労なことです。

大本を切らないとだめでしょうね。金を出してるとこです。一つは統一。破防法適用でしょうね。

ジャギ様

ジャギ様
 思い出しました。ウィキペリアの欠格条項でした。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AC%A0%E6%A0%BC

まったくそうだ!

ジャギ様の言うとおり公務員法と照らし合わせてチェックしたら逮捕者続出クリーンになります

ジャギ様

天皇陛下の大御心を理解できない人たち
 泥にまみれた生活をしていたのを、近代社会の市民にまで引き上げたのに、震災が起きれば火付けに暴動、敗戦の折には略奪・暴行をあらゆる地域で貫徹した度し難き民族...。
 当時の情報通信インフラで、どの程度示し合わせていたかは分かりませんが、この全地域の同時励起行動ともとれる弱者に対する「火事場泥棒的」な犯罪の徹底ぶりは、DNAレベルで刷り込まれているとしか考えられません。
 この国の人間と、在日の前でヘタレな姿を晒すことは大きな禍根を残すことを、日本人は永久に記憶に留めなければなりません。

 宮崎正弘のニュース早読みで、「外国人参政権」に関するウィキペリアの内容が紹介されています。(三橋氏の「新世紀ブラザーズ」の世界も、現実化しそうな予感がします。)

 地方の公務員の採用や選出に、犯罪歴のある者や外国人を雇用した場合、自治体側が瑕疵を問われる(スミマセン有名ですが何条項というかド忘れしました)法律が、地方公務員法にあります。
 その中には、日本国憲法制定以降に日本国憲法を「暴力」で否定した人間も含まれています。
 つまり、戦後の叩けば埃の出る民潭や総連、学会などの専従職員であった者は、このようなブログで過去の反国家謀略活動が暴かれ、万人が情報を共有できれば現在公務員である者も、その資格を剥奪され失職させることが可能かもしれません。
 法律は入れ子構造になっているため、あらゆる機関の採用に関する条項を調べれば、同様の規定があるかもしれません。

隆介

No title
ただ単に通化事件があったと聞けばああそうかと無感動に聞き流してしまいますが詳しく教えて頂くほど強い憤りと日本の将来に大きな不安を覚えます。ああ、日本国民のどれだけの人がシナ共産党の惨たらしさをしっているのかと・・・・。

中国にも尊敬に値する偉人は沢山いる。いつまでも過去にこだわって偏見を持つのはいけないとも思う。個人的には好印象の中国人もいる。だがシナ『共産党』に決して心を許してはいけない。今回はそう確信させる記事でした。

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No title
「だいあのつぶやき」に訂正文があります。

名前:タケ坊
タイトル:No title
********************
このエントリーの表題の件ですが、私も気になっておりました。
しかし、こちらのブログの米欄にあるとおり私もとある自治体の外国人登録係に電話して確認したところこの情報はデマと判明しました。
http://awfuljapan.livedoor.biz/archives/51392040.html
具体的には入国する際にまずは最初の居住地を外国人は登録します。
当然パスポートは必要です、これが最初のセキュリティになるんですね。
そして登録後外国人登録カードが発行されます、これが第二のセキュリティになります。
その後外国人が別の居住地に移ったとしてそこを居住地にしようとした場合外国人登録カードの提示を求められます。
そこでチェックするので二重登録は不可能なんですね、偽造でもしない限り。
ちなみにここで言う外国人とは外交官などの特権を持った人以外の全員を含むのであり、当然のことながら特別永住者や普通の永住者も含まれます、という説明でございました。

愛信

石川議員元秘書の自民勉強会での証言要旨
石川議員元秘書の自民勉強会での証言要旨

http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100114/stt1001141259004-n1.htm

同日夜12時ごろ、石川氏と合流した。石川氏は「午後3時半ごろ、樋高剛氏
(現民主党衆院議員)とチュリスで合流し、隠せるものは隠した。パソコンも隠
そうと思ったが、今時パソコンのない事務所はおかしいのではないかとなり、
残した」と話していた。 翌3月4日、石川氏から「自分の議員会館に捜索があ
るかもしれない。
申し訳ないが、私と2人で資料などを隠すので協力してほしい」といわれ、
石川氏の衆院議員会館事務所に行った。

詳細は検索条件【西松】で【投稿/検索】をカッチとね
【経済・政治の掲示板】
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj.cgi
【政治・経済タイトル一覧】はこちらをクリックして下さい。

ps:
民主党の考えは日本国民は先の総選挙で騙されたから、民主党の提出する
日本を中韓へ売り渡す法案に従え。

国民を騙す政治に従う事は無い。

GASGAS

重すぎます
ねずきち様
いつも有難うございます。
今日の「通化事件」にしても、一昨日の「石頭予備士官候補生の戦い」にしても、重すぎてとても先に読み進めませんでした。
知覧でうさぎ屋さんから頂いた「遥かなる回想」も同じく中々読み進めません。
2~3行読むごとに、ネットで観たシナ人の惨たらしい動画や写真が脳裏をかすめて、しばし考え込んでしまいます。

2年前のチベット、ついこの間の東トルキスタンといいシナ人は今も同じ事をやってます、日本軍が「わー」と攻めていくと、鉄砲放り出して逃げる癖に(これは、私が小さい頃近所のおじちゃん達から聞いた話)武器を持たない抵抗できない者には滅法強い。

棍棒を振りかざした男が何十人も一度に襲い掛かって来たら私は家族を守る事が出来ない、刺し違えて一人二人はやっつける事が出来るかも知れないけど、残りの奴らに家族がやられてしまう。
今現在この地球上で、通化事件と同じ事が起きていると言う事が、恐ろしい。

モーリー

国会議員国籍ルーツ公開法案を!
初めて投稿いたします。

外国人参政権法案は小沢氏の件で流動的であるとはいえ、予断は許しません。憲法15条違反であることが明白であるばかりか、著しく国益を毀損する斯様な法案を成立させようとする議員たちは一体いかなる素性の者たちであろうか。個人のプライバシーに関わる問題なので、無理だろうと最初から決め付けず、議論の余地はあると私は思うのです。そもそも国権の最高機関は国会であり、それを運営するのが国会議員である。多民族共生という謳い文句のもと、外国人参政権法案のような将来国益を損なうであろう法案が提出されようとする現在、国会議員の国籍のルーツを知ることは、極めて重要な国民の知る権利と考えます。個人の権利が公共の福祉の為に一部制約されることは肯定されうると思うのです。米国のオバマ大統領の出自はテレビその他の報道で世界中誰でも知りえますが、その他の議員についても、日系アメリカ人、韓国系、イタリア系、等など報道その他で知り得るのではないでしょうか。米国で国籍の出自を公開する根拠となる法律があるのか、慣例的に公開しているのか知りませんが、われわれ日本人も、自国の国会議員につき、知る権利があると思うのです。野党がこういう趣旨の法案を提出すれば、一般国民も外国人参政権と絡めて、真剣に議論が起こるのではないでしょうか。先日、安倍氏と平沼氏のホームページから意見としてメールしてみました。

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No title
外国人参政権:森田知事が反対 「慎重な審議必要」 /千葉
ttp://mainichi.jp/area/chiba/news/20100115ddlk12010175000c.html

森田健作知事は14日の定例会見で、政府が通常国会に提出を検討している永住外国人への 地方参政権付与法案について、「基本的に国籍を持って投票すべきだ」と話し、 日本国籍を持たない人の政治参加に反対する考えを示した。

No title
小沢邸前で火炎瓶男
東京都世田谷区深沢の小沢一郎自宅前にて、火炎瓶のようなものを持った40歳代の男が警戒中の機動隊員に公務執行妨害で逮捕された模様。
捕まった男は日本皇民党と名乗っているようだが、まだ確認は取れていない
nikaidou.com

日本皇民党の幹部の一人で、<<韓国籍>>の高鐘守がリース契約されていた高級車を返還しなかった為、横領容疑で逮捕された。
彼はその2ヶ月後の2004年4月23日には、大阪にある中国総領事館に街宣車を突入させる事件に関係したとして逮捕されている。(直接の実行犯ではない)

八目山人

叔父のこと
父の弟は大正9年生まれで、戦時中、現在の北朝鮮の安東に在った東洋紡に、染色工として勤めていました。
終戦と共に進駐した八路軍(中共軍)に捕まり、昭和28年まで中共に抑留されました。
いろいろ聞きました。国共内戦に巻き込まれ、食べ物も無くあちこち逃げまわったり、毎晩洗脳教育を受けた話などです。

衝撃を受けたのは、捕まった民間人が1000人以上殺された話です。殺された人は、すべて日本の民間工場に勤めていた普通の民間人です。
ではなぜ彼らが殺されたか。彼らは、日本の実家が大地主だったり、会社で長が付く人(課長とか部長)だったり、人事部に所属していた人だったそうです。(ポルポトと同じです)
叔父は実家が大地主だったので危なかったのですが、染色と言う技術が有ったので、生かしておいて、その技術を使おうとしたようです。

アメリカは、兵隊でもすぐに帰してくれたのに、中共はこんなものです。

ZIPANGU

初めて知りました。
もっと多くの日本人に知って欲しい事件ですね。比較的治安の良かった通貨での事件ですから、他の地域は推して知るべしです。ロシア、朝鮮、シナの極悪非道はなぜ伏せられてしまうのでしょうか。残念でたまりません。

卓ちゃん

No title
いつも教科書に載らない話を拝読出来,大変うれしく思います。
シナでは南京虐殺事件の資料館が,朝鮮では日帝支配の資料館があります。
じゃ日本でも箱物の資料館を造り,国民に日本人が如何なる処遇を受けたか知らせるべきだと思います。
通州事件・通化事件・シベリア等,ロシア・シナ・朝鮮が日本人に何をしたのか教えるために。
一般の教科書には全く記載されないため,何も知らないまま成人し,慰安婦等の問題で知識のないまま負のイメ-ジを刷り込まれてしまう。
そんなことを払拭するためにも,そんな資料館を造ればと思います。
原爆資料館はあるのに。

0428

記憶に刻もう!
通化事件、子々孫々まで伝えます。絶対に忘れない!

やまとびと

No title
記事を拝読させていただき、改めてこの国の危機と、それに手を貸す現政権やマスコミ、各種団体の罪深さと、歴史を学ばず、甘言のもとに国民を犠牲にするおぞましさを覚えます。

同時に、連中によって悪鬼の如く語られ、汚され続ける過去の日本人の誇り高さと艱難辛苦を想うと言葉もありません。

そして今、彼らが守ろうとした日本を破壊し、それに加担する勢力に改めて怒りと憤りを感じずには居られません。

杜若

No title
日本人とは、例えれば羊の国家です。まるで善意がこの世界の全てであるかのような錯覚をしている。
しかし、明治維新以来、私たちは散々苦い薬を飲み続けてきました。

私たち、日本人もそろそろ賢い羊にならなければならないのではないでしょうか。

どこかで読んだ気がしますが、日本に来た外国人の感想だったかとおもいますが、ある日本人の婦人が、道端のありきたりにある花に語りかける、言葉とそのまなざしにちょっと到達できない境地を感じた、というような手記があったように思います。

なんとなく、その表現に、納得できる部分があります。
確かに、日本人のなかにそういった風情を感じることがあることはあり得ます。

日本人の、素朴でやさしい国民性は失ってはなりませんが、それプラス強さも私たち日本人は持たねばなりません。
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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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