←はじめにクリックをお願いします。
南京で閲兵する松井石根大将
以下は、日心会MLで投稿があった情報です。
----------------------
南京大虐殺テーマの2人芝居 下諏訪で2月20日公演
http://www.shinshu-liveon.jp/www/topics/20178都内の劇団「IMAGINE(イマジン)21」が2月20日午後1時半から、南京大虐殺をテーマにした劇「地獄のDECEMBER-哀(かな)しみの南京」を下諏訪町の下諏訪総合文化センターで公演する。諏訪地方の有志約30人が実行委員会をつくり、「戦争の恐ろしさをきっちり見据えよう」と来場を呼び掛けている。
劇団を主宰する渡辺義治さんと妻横井量子さんが出演する2人芝居。渡辺さんの父は旧関東軍将校として中国人を殺害したことがあり、横井さんの父も軍人を相手に商売を営んだという。劇では2人がそれぞれの父の「罪」を告白するなどして進む。
前売り一般3000円、中高生1000円、当日券はともに500円増。問い合わせは実行委チケット担当の吉村幸子さん(電話090・8087・9423)へ。
~~~~~~~
いやなニュースを見つけてしまいました。
実行委員は共産系の人たちでしょうね。
見てしまった以上、真実を知せたいので、近場にメールしました。
ゆるゆるすぎてピントが外れていると思われましたら、ご講義(コメント)下さい。
また、ご協力いただければメールフォームをご使用下さい。
以下文章です。ご自由にお使い下さい。
~~~~~~~
「地獄のDECEMBER-哀しみの南京」上演実行委員の皆様へ。
諏訪地方有志の皆様が実行委員会となり、下諏訪総合文化センターで上記公演の運びとなったことを知り、ご意見申し上げます。
一読していただければ、幸いいたします。
南京事件に関しては、今、日中共同研究の渦中にあります。
中国の大虐殺記念館が犠牲者「30万人」と表示していても、日本の研究者の間では「数万~20万人」などの諸説あり、虐殺そのものを否定する研究者もいるのが現状です。
中国と日本の歴史認識として、もっとも意見の食い違う大きな問題ともいえます。
数で言えば、当時の南京市民は20万人、その翌月には安全区を求めて難民が25万人に増えているのです。
当時のもので、映画「ジョン・ラーベ」の主人公・安全区ラーベ委員長から日本軍への感謝状もあります。
東京裁判での証言や大虐殺記念館での写真などは次々と虚偽であると立証されています。
平成7年、南京陥落翌日から翌年にかけて南京城内外を撮影した記録フィルム「南京」(昭和13年(1938)公開)が発見されました。
そこには、日本軍の虐殺などあるはずもなく、南京攻略後の安全区で暮らす南京市民の姿が写し出されていました。
敗戦意識から負い目を感じ、事なかれ主義で、真実からも目を背けていくことは恥ずかしいことだと私は思います。
さらに、偽りの歴史により次代の子供たちに生きていく辛さを背負わせていくことに、私は心苦しいのです。
ご多忙中の折、突然のメールにて失礼いたしました。
実行委員の皆様が歴史と向き合う以上、嘘偽りのない真実に沿った活動をしていただければと思っております。
いつの日か、平成19年日本製作映画「南京の真実」の上映など、諏訪地方の皆様へ史実を伝えていただける機会を作っていただきたく存じます。
~~~~~~~
下諏訪町総合文化センターお問い合わせフォーム
https://www.event-nagano.net/pc/inquiry/inquiry.php下諏訪商工会議所お問い合わせフォーム
http://www.cci.shimosuwa.nagano.jp/22/000073.html下諏訪町町長宛のメールフォームです。
http://www.town.shimosuwa.nagano.jp/scripts/chouchou.asp下諏訪町町長メールアドレス
chouchou▼town.shimosuwa.nagano.jp
------------------------
このことは、項を改めて、また別の機会に詳しく書こうと思うのですが、Chinaが南京で大虐殺があったと主張している南京攻城戦は、昭和12(1937)年12月4日~12月13日に行われた戦闘を指します。
この戦いは、日本軍は、松井石根(まついいわね)大将率いる陸軍中China方面軍12万と、China国民党軍は、最高指揮官唐生智(とうせいち)率いる、南京防衛軍、第23集団軍、ソ連空軍による合計約9万の攻城戦です。
12月4日、上海にいた松井岩根(まついいわね)大将率いる帝国陸軍中China方面軍12万は、南京城郊外まで兵を進めます。
日本軍は、使者を送り、国民党南京守備隊に降伏勧告を行います。
なんの反応もないので、やむなく松井大将は、9日の正午に、南京城内に飛行機で和平開城勧告文のビラをまきます。
10日午後一時まで、待つけれど、城内からは、何の回答も反応もない。
南京城を囲んでから、この時点ですでに6日です。
つまり、松井大将は、6日間もの間、南京城に立て篭もる国民党に対し、和平と降伏の呼びかけを続けたのです。
にもかかわらず、なんの連絡もないから、やむなくこの日の午後から、日本軍は総攻撃を開始した。
日本国内では、松井大将が4日に南京を囲んでいるのだから、もうとっくに南京城は陥落したものだろうと考え、なんと11日、全国的な南京陥落の祝賀行事などが行われています。
実際には、南京城が陥落したのは13日です。
この日、日本軍は南京城内に入場した。
南京城入場式(馬上先頭が松井石根大将)
松井大将は、南京城入場のあと、12月14日、15日、16日の3日間、南京城内の敗残兵掃討を行います。
このとき大虐殺が行われたのでは? とんでもない。
松井大将は、敗残兵掃討にあたり、次の指令を出しています。
(1) 外国権益に留意せよ。
(2) 住民に対して十分な配慮をせよ
(3) 失火放火に厳重注意せよ。
(1)~(3)を犯せば厳罰に処す。
(4) 将校の指揮する掃蕩隊でなければ認められず、下士官の指揮では認めない
(5) 無用の部隊の侵入は認めない
(6) 掃蕩を終えて帰還する時刻を定めた
(7) 捕虜は一箇所に集め、その食料は師団に請求すること
(8) 捕虜に対しては、通訳役をつけて問題を起さないようせよ
そもそも松井石根大将という人は、昭和9(1934)年4月に、勲一等旭日大綬章を受賞した軍人です。陸軍士官学校を次席で卒業し、陸軍大学は首席で卒業している。
一にも二にもとにかく軍紀にやたらと厳しいことで知られている人です。
若手将校の間では、頑固爺として、敬遠する声すらあった。
それだけ軍規に厳しい大将だったのです。
悪いけれど、国民党の敗残兵は、国民党に捕まって漢奸として斬殺されるよりかは、日本軍に捕まえてもらって、三食、医療手当付きで手厚く保護してもらったほうが、どれだけ幸せだったかしれない。
3日間の敗残兵処理のあと、松井大将は、17日、陸海軍合同で、南京城入場式を行います。
南京城入城式当日の様子
南京の避難民が、日本兵から菓子・煙草の配給を受け、喜んで日本軍万歳を叫んでいるところ。
この自然な笑顔を見てください。
そして18日には、合同慰霊祭をとり行い、敵味方ともに、戦没者の慰霊の儀を行っています。
年末の大掃除では、城内の大掃除を軍民あげて大敢行し、被災によるガラクタをきれいに片づけ、新年の松飾りを司令本部前に飾り、餅をわざわざ日本から取り寄せて、南京市民に配ったりもしている。
南京市民は、このとき市内のあちこちで爆竹を鳴らして新年のお祝いをしています。
これは南京市の治安が回復していたという何よりの証でもあります。
なぜなら爆竹の音は銃撃の音と同じです。
治安が回復していないなら、爆竹なんてとんでないという話になる。
そして入城から半月後の昭和13(1938)年元旦には、南京城内に、自治委員会を発足させ、南京市民の代表である陶錫三会長が次の宣言文の朗読をしています。
一、国民党の一党専政を廃止し、民衆を基礎とする政治を実行す
二、各種親日団体と合作し、日支提携の実を挙げ、もって東洋平和の確立を期す
三、防共政策を実行し、抗日排日思想を絶対に排除し、欧米依存の観念を矯正す
四、産業を振興し、民衆の福祉を増進す
五、広く人材を登用し、民衆自治の徹底を期す
南京自治委員会発会式における陶錫三会長の宣言朗読
この発会式では、南京市民は、総出で日の丸と五色旗を振ってお祝いをしています。
発会式の式場には、なんと3万人の参加者がつめかけている。
誰も強制なんてしていません。日本軍によって治安が回復され、街に平和が戻ったことがなにより南京市民たちにとって、うれしかったのです。
ところで、南京城にいた蒋介石たちはいったいどうしたのでしょう。
まだ戦闘が始まってすらいない、日本軍が投降を呼びかけていた12月7日の時点で、蒋介石他、China国民党の首脳陣は、さっさと南京を脱出しています。
大将がいなくなったのです。南京では、南京市の要人や公務員たちまでも、戦闘開始前に、南京を逃げ出す市民たちにまぎれて、そくさくと南京を脱出してしまった。
南京市内には、役人もいない。警察もいない。軍を統率する幹部もいない。
南京城内は、無政府状態となります。
電話もつながらないし、電気・水道も止まってしまう。
取り残された国民党兵士たちは、大将不在で、無政府状態となっていることをよいことに、市内各所で略奪、殺人、強姦を繰り広げます。
さらに、戦闘開始から二日目(12日)に、南京城守備隊長の唐生智(とうせいち)も、兵をそっちのけで、全軍に「各隊各個に包囲を突破して、目的地に集結せよ」という命令を出して、さっさと逃げてしまった。
こうなったときの、南京市内の惨状は、推して知るべしです。
そもそも、わたしたち日本人は、軍隊といえば厳しい軍律があり、戦うために訓練され統率され、軍服をまとった兵士たちを想像します。
ところが蒋介石が率いていた国民党軍団というのは、なるほど装備だけはドイツ製の高級装備でいたけれど、わたしたちが一般に想像するような軍隊とはまるで性格が異なります。
これは、南京だけに限ったことではなく、上海をはじめ随所で各国の公使たちが、その実情をつぶさに見聞している。
まず第一に、彼らは武器を持たない同民族の一般市民に対しては、やたらに強かった。
国民党軍は「漢奸狩り(かんかんがり)」と称して、日本軍と通じている、日本軍に一定の便宜を図ったとみなした同民族人を、裁判もなしに、銃殺や斬首でいきなり殺害し、その生首を晒しものにしています。
第二に、国民党は「督戦隊」を組成していました。
「督戦隊」というのは、戦場から退却するChina兵に銃撃を加える部隊です。
国民党軍は、南京城に入り込むと、南京市民から適齢期の男性をいきなり徴用します。
さからえば漢奸であるとして、銃殺か絞首刑です。徴用に応じざるを得ない。
そして徴用兵に、自分たちが豊富に持っている銃や手榴弾などの兵器を与え、最前線で日本軍と戦わせた。
相手は、訓練された日本の正規軍です。方や素人部隊です。国民党の「督戦隊」に、後ろから銃を突きつけられているから、仕方なく撃っている一般市民にすぎない。
正規軍対一般市民です。勝敗は明らかです。
国民党の徴用兵(一般市民)は、途中で武器をほおり出して逃げようとする。
逃げようとする市民徴用兵に対し、日本軍の弾の届かない、後ろに控えている国民党の正規軍兵士(督戦隊)が、「逃げるな!」といって、容赦なく同じChinese達を殺しまくる。
このため日本軍と交戦した中国軍の部隊が退却する際には督戦隊との衝突が何度も起きています。
第二次上海事件では、上海が外国人公使たちが数多くいたことから、その事実関係が、各国の監視のもとに、ほぼすべてが白日のもとに晒されているけれど、昭和12(1937)年10月13日午後には、次のような事件が起こっています。
この日、上海楊行鎮方面に国民党第十九師(湖南軍)が到着しました。
第十九師は、命令を受けて呉淞クリーク南方に向かいます。
そこには日本軍がいた。
慌てた第十九師は、驚いて後退します。
すると国民党正規軍(督戦隊)が、第十九師を後退させまいとして発砲。
逃げようとする第十九師と、督戦隊との間に、激しい銃撃戦が行われた。
日本軍はカヤの外です。
目の前に、Chinaの師団が現れたと思ったら、いきなり後退し、こんどはその後ろにいる国民党督戦隊と撃ちあいを始めた。同士討ちです。
日本軍と督戦隊に挟まれた第十九師の部隊は、必死に督戦隊を攻撃する。
督戦隊も全力で攻撃する。
これによって第十九師と、督戦隊は、双方合わせて数千名に及ぶ死傷者を出しています。
この事件が起こって、国民党は何をやったかというと、事件の八日後に国民党軍法執行総監部命令で、「督戦隊の後方に、さらに死刑の権限を持った督察官を派遣し、前線将兵の取締りを行うとの発表しています。
市民兵に戦わせるため、正規軍が、市民兵の後ろから銃を突きつけ、その正規兵が逃げないようにと、さらに正規兵を監督する督察官が、正規兵に銃を後ろから突き付けるというわけです。
第三に、国民党は「清野戦術」という戦法を行っていました。
「清野戦術」とは、退却に際して敵軍に利用させないために民家などをすべて焼き払ってしまうというものです。ついでにこのとき略奪もしていく。
これは、南京攻城戦においても、国民党兵士が南京から撤退する際に、放火、略奪、強盗、殺人、強姦の限りをつくしている事実を、ニューヨーク・タイムズのダーディン記者が目撃、報告しています。
第四に、国民党は、「便衣兵」を用いていました。
軍隊といえば、軍服を着て、武器を携行しているというのが世界の常識的スタイルです。
ところが、国民党兵士は、農民に偽装して、日本兵を背後から襲うというゲリラ戦法を多用していた。
これは国際法違反です。
軍人は、戦いに際し、常にそれとわかる服装をしなければならない。
当然です。そうでなければ、一般市民との識別がつかない。一般市民を戦いの巻き添えにしないためには、軍服の着用は当然のことだし、軍人も、厚手の軍服をまとうことで、軽微な怪我から我が身を守ることができます。
ところが国民党の「便衣兵」というのは、この国際ルールを破り、人民の背後に隠れて攻撃をする、という不法な「禁じ手」を多用していました。
蒋介石は、昭和51(1976)年のサンケイ新聞によると、昭和13(1938)年の蒋介石自身の日記に、
「虐殺の対象は軍隊だけでなく、一般の婦女子にも及んだ」
「こうした戦闘員・非戦闘員、老幼男女を問わない大量虐殺は2カ月に及んだ」
「犠牲者は三十万人とも四十万人ともいわれ、いまだにその実数がつかみえないほどである」
と書いているとされているけれど、その肝心の蒋介石自身は、昭和41(1966)年9月に、台湾で日本人のインタビューに答えて、次のように述べています。
-----------------------
南京には大虐殺などありはしない。
何応欽将軍も軍事報告の中で、ちゃんとそのことを記録している筈です。
私も当時、大虐殺などという報告を耳にしたことはない。
松井閣下は冤罪で処刑されたのです。
-----------------------
と涙ながらに語っています。
↓クリックを↓
映画 南京の真実 記録映画編(上海~南京陥落)
日本の心を伝える会では、いま会員の募集をしています。
登録無料!! ご入会は、
①ハンドルネーム
②お住まいの都道府県
③メールアドレスの3つを書いて、
assist@nippon-kokoro.com にメールするだけ。
ご入会受付後、メーリングリストへの招待メールをお送りいたします。
この機会に、あなたも是非、どうぞ^^♪
コメント
核心
1978年(昭和53年) 昭和受難者としてA級戦犯を合祀。
1979年(昭和54年) 朝日新聞が報道。
1980年(昭和55年)~1982年(昭和57年) 自民党と財界で歴史教科書攻撃キャンペーンを開始、歴史教科書の内容に干渉。
1984年(昭和59年) 毎日、朝日ジャーナルが栗原利一証言を掲載。
2001年(平成13年) 東史郎謀略裁判決着(森松俊夫氏の一度目の犯罪)。
2006年(平成18年) 栗原利一スケッチ帳破壊工作事件(森松俊夫氏の二度目の犯罪)。
私が「南京」の勉強を始めたキッカケです。
2009年ころには大体のいきさつがわかりました。
表題は7月26日の産経新聞の、ヴァンダービルト大学、日米研究協力センター所長、ジェームス・E・アワー氏の「正論」の中見出しです。
靖国とアーリントンでは主権者が違う、というのは憲法上の常識でしょう。
「正論9月号」のジョージタウン大学教授、ケヴィン・ドーク氏の記事の見出しが「憲法改正と靖国参拝で民主主義国家たれ」というものです。
軍事史の捏造はアメリカ右派の後押しもあるわけです。
2013/08/02 URL 編集
かつら木
2012年5月29日(水) 開演18:30 八王子市芸術文化会館(いちょうホール)小ホール で公演されます。
今回は社民党 井上むつ子八王子市議会議員の後援によるものかと思われます。
昨年の東日本大震災の直後、2011年3月14日は東京都 新宿で 2011年3月17日には京都府舞鶴市で。
合い変わらず 各地で行われているようです。
2012/05/22 URL 編集
-
>戦闘の対象となった南京城は、周囲何メートルの城だい?
>その城の中に100万人の人口をどうやって収容していたのかな?(笑)
中国で言う「城」は、日本の城とは異なり、「都市そのもの」の周囲を城壁で囲っているものを指しますので、その指摘は少々弱い指摘だと思いますよ。
指摘をなされるなら、2010/12/13(月) 23:50の杜若さんの指摘の方が、正道のような気がします。
南京大虐殺をいち早く報道したとされているティンパーリーという欧米人ジャーナリストは、実は間接的に蒋介石の意と資金援助を受けていて(国民党の宣伝部顧問だったそうです)、事実を捻じ曲げ日本を悪者に仕立て上げていた事が既に指摘されていたはずです。
そのティンパーリーでさえも、当時の日本軍が組織的に大虐殺をしたとは記述してなくて、ただ日本軍が南京で秩序を乱しているという記述をしていました。
ところが、その記述の中で国民党の主張をそのまま掲載し、「中国中央部の戦闘で、中国軍の死傷者は30万人を超え、ほぼ同数の民間人死傷者が発生した」と書かれていまして、それが巧みな情報操作により「中国中央部」から「南京」にすり替えられ、「死傷者」が「虐殺された」にすり替えられたのです。
2010/12/14 URL 編集
-
日本=過去を、未来の発展のための戒めにする。
このマインドの違いによって戦後チャイナは日本を責めることで自国の優位を確立しようとした。
それはいっけん成功したかにみえたけれど、近年そのメッキが剥がれ、
逆にチャイナの信用失墜の原因となりつつある。
2010/12/14 URL 編集
杜若
30万の虐殺とか言うけれど。原爆も使わずにそれだけの人をころすことがいかに大変かわかってるのかい?
それも武器弾薬の使用制限の厳しい日本軍にどうやってそんな所業ができる?
刀だって二、三人切れば脂で切れなくなるそうだし(それに軍刀は全ての兵士が装着してたとは思えない、なにしろ高価だから)、いかに銃で効率よくころしても一発一人必殺でも30万発、、。
どこにそんな余裕が日本軍にあるの?
それに当時は写真もあり、動画だってあったはず。当時外人記者が多くいたと聞く。
でも記録にはほとんどないそうだし、ねつ造の記録も通州事件や中国共産党兵士の残虐写真のものだったり、、。
もういい加減目、覚ませよ!
2010/12/13 URL 編集
-
最近、この説が出てきているようだね。
そこで?君に質問だ。
東京にある皇居というのは、もと江戸城だが、皇居内の人口は何人だろうか?
東京の人口は何人?
首都圏の人口は何人?
で、さらに質問だ。
戦闘の対象となった南京城は、周囲何メートルの城だい?
その城の中に100万人の人口をどうやって収容していたのかな?(笑)
2010/12/13 URL 編集
?
「南京市の人口は20万人だったので30万人虐殺できるわけがない」
実際は、
20万人というのは南京市の中の南京城内の中の安全区の人口で、ラーベの手紙が出典。
南京市の戦前人口は約100万人。(当時の日本の商工会議所の資料にも載っている)
攻略直前の南京市長の、市民の半数は逃げた、という発言が正しければ、50万人。
2010/12/13 URL 編集
?
「中国の主張する南京大虐殺の犠牲者数は年々増えている。」
実際は、
終戦直後の南京軍事法廷の判決は、30万人。
それ以来、中国側の主張は今にいたるまで、30万人で変わっていない。
戦争中の「2万人」というのは、南京陥落の翌年の国際連盟理事会で中国が決議案を出したときに欧米メディアの記事をそのまま引用して演説したときの数字。なお、この決議案は「可決」されている。(某自民党代議士は否決されたかのような詐欺まがいの宣伝をしている)
中国を含めて世界が南京大虐殺の全容を知ったのは、戦後。
2010/12/13 URL 編集
手取り川
昨年サーチナに中国人のブロガーのコメントが掲載されていたので、あらましを紹介。
友人のアメリカ人が〔南京では数ヶ月にわたって日本軍が市民を虐殺したそうだが、その時中国の軍隊は何をしていたのか?、二ヶ月もあれば何処にいようとも南京に辿り着けただろうに〕と。そこでそのブロガーはさまざまな資料を探したが当時人民解放軍の前身、八路軍が何処にいて何をしていたのか全く判らない、途方にくれたという。
それもそうだが抗日戦争勝利の日に至っては笑いを通り越して怒りすら感じるのは私だけでは無いだろう。そもそも日本軍と一発の銃弾も交えなかったのに何時、何処で戦ったのか、その挙句に勝利したと? 不思議な話もあるものだ、ぜひにも教えてほしいものである。
人数では日本軍よりはるかに多かった国民軍ですら敵ですらなかったのに。 では八路軍は何処で何をしていたのか?
国民軍ですら一般の兵隊は乞食に近いものと台湾の人たちの本に書いてありますが、八路軍はそれ以上共産党の幹部以外は全てが乞食、装備も無ければ食料も勿論給料などあるわけもない。 あるのは思想だけ。国民軍に追われて山奥に逃げ込んで逃走していただけ。
あの有名な長征がそれだ。 厳寒の時期、中国の奥地の山づたいに数百キロ歩き、途中に数十万の兵士が凍死したといわれています。 その責任は誰にあるのか、しかし現在の中国ではそれよりも目的地にたどり着いた事の方が重要だとか。
台湾の国民党政権が南京についてあれこれ言うのならまだしも、一切関係無い中国共産党政権が何を根拠に。
と言うよりも本来南京を攻めるのは共産党の八路軍ではなかったのか? 日本軍が中国から引き揚げるまで何も出来なかったのに。よく言うよ全く。
2010/02/13 URL 編集
-
2010/01/30 URL 編集
真正保守
気づくのが今になり失礼しました。
情報の共有と拡散周知の重要さは認識しております。
私どもは近い将来、独裁政権の誕生、恐怖政治の到来を想定した非公開ブログを開設しております。以下に勧誘時の招待状の一部を記述します。
『裏ブログ・グループ』
1.裏ブログ開設
暗号化非公開ブログ
(各メンバーに暗号解読アプリ送付)
2.裏ブログ開設理由及び目的
言論弾圧回避、サイバー攻撃回避、法治国家崩壊時連絡手段確保、情報共有
(以下省略)
上記のように会員制の「非公開ブログ・グループ」を結成しています。また、こうした外部アクセスにはPC使用を原則禁じています。こうした制約があるため、外部への拡散周知が不十分なのは否めません。
しかし、見てください。独裁政権は既に誕生しています。しかも明らかに特亜傀儡政権です。国民への周知も党内議論もロクにせず国会へ上程を予定している「おぞましい法案」が目白押しです。「外国人住民基本法」なる悪魔が考えたとしか思えないような法案まで準備中です。
そんな訳で、用意周到な防衛反撃体制を採っています。
幸いにもこうしたコメント欄からコピーすることは出来ます。出来れば拡散にご協力頂ければ幸いです。
2010/01/30 URL 編集
楽仙堂
ネットでの記事は日々更新されます。 有益な情報も日にちが経つと人目にふれることが減るでしょう。そこでどこかに情報を書いて、リンク先を貼ってもらえないでしょうか?
この情報は拡散させる価値があると思います。
2010/01/29 URL 編集
真正保守
※たかが7兆円でガタガタ言うなというのは大きな誤り。中国のGDPは当時、最貧国レベル。アメリカに対する拠出と比較するのは意味がない。しかも同盟国でも何でもなく、どちらかと言えば主権侵害もいとわぬ事実上の敵国。敵国北朝鮮へ拠出したと考えればよい。
※何よりも留意すべきは、日本が中国を経済破綻から救ったために現在の中国の脅威があること、そして中共が瓦解していれば中共に惨たらしくも支配されている民族の独立が叶っていたはずだということである。中共を救った日本の罪は重すぎると言ってよい。その先鞭をつけたのが在日記者らの歴史捏造なのだ。
(以上)
2010/01/29 URL 編集
真正保守
事態に危機感を強めた中国共産党の実務派指導者「トウ小平」らの主導で、四つの現代化(工業、農業、科学技術、国防)のため鎖国政策から海外に国内を開放する政策に路線転換したばかりのころであった。
中国は貧困の極みにあり、一人あたりのGDPは後進国の平均レベルの半分程度で最貧国並み。世界貿易の1%未満で、当然資金はなかった。
これを救ったのが「世界で唯一、日本のODA」である。
対中ODAの貸し付け条件は破格であり、金額は大きく、返済期間も30年と長期、しかも中国の経済5カ年計画に連動した5カ年一括供与スタイルをとっている。
※以下は、日本の対中ODAの合計額と内訳(2005年度末までの総額)。
【総額】
3兆4380億円
[内訳]
円借款:
3兆1331億円
無償援助:
1472億円
技術協力:
1505億円
ODA以外にも日本政府から中国の資源開発を目的とした支援として「アンタイドローン」(総額2兆5千億円)があり、合計すると5兆9308億円で約6兆円にも達する。この数字は中国が諸外国から受けている公的援助の60%を占める。
ところが、日本からの援助はODAとアンタイドローン以外にも「迂回融資」があり、中国が獲得した日本一国からの対中支援は、60%を上回り、『実に日本人の血税が、7兆円以上も中国の大地に吸い込まれた』ことになる。
※【迂回融資】
(1)アジア開発銀行
(ADB、本部マニラ)
(1969年、日本の主導でアジア地域の経済支援を目的に設立。歴代総裁は日本の財務省高官。現総裁は黒田東彦)
総額:2兆1338億円
うち日本の出資額:3627億円
(2)世界銀行
総額4兆6920億円
うち日本の出資額:7976億円
[(1)と(2)の合計]
日本の出資額:
1兆1603億円
(数字は何れも2007年度までの総額)
(続く)
2010/01/29 URL 編集
真正保守
(以上)
2010/01/29 URL 編集
真正保守
1985年の中国経済は、経済・国際収支ともに赤字で、マネーサプライ(通貨供給)が40.1%と異常に高く、景気が悪くてインフレが昂進するスタグフレーションの状態だった。そのままハイパーインフレが進むと中国経済は破綻していた。その中国の経済危機を救ったのは、日本からの緊急支援だった。
以下は、1980~92年における「対中経済協力資料」。
(単位:億円)
【1980年】
無償協力:0
有償協力:0
輸出入銀行直接借款:0
【81年】
無償協力:0
有償協力:0
輸出入銀行直接借款:0
【82年】
無償協力:65.3
有償協力:650
輸出入銀行直接借款:470
【83年】
無償協力:78.81
有償協力:690
輸出入銀行直接借款:294
【84年】
無償協力:54.5
有償協力:715
輸出入銀行直接借款:0
【85年】
無償協力:58.44
有償協力:751
輸出入銀行直接借款:1013.76
【86年】
無償協力:5(※)
有償協力:806
輸出入銀行直接借款:789.66
【87年】
無償協力:58.29
有償協力:850
輸出入銀行直接借款:1582.15
【88年】
無償協力:95.4
有償協力:1615.21
輸出入銀行直接借款:1922.5
【89年】
無償協力:53.67
有償協力:971.79
輸出入銀行直接借款:1326.29
【90年】
無償協力:61.19
有償協力:1225.24
輸出入銀行直接借款:403.65
【91年】
無償協力:47.93(※)
有償協力:1296.07
輸出入銀行直接借款:275
【92年】
無償協力:0
有償協力:0
輸出入銀行直接借款:0
※1986年、1991年は4月~12月
(『TBS報道テロ全記録』(晋遊舎)より引用)
(続く)
2010/01/29 URL 編集
きあら
でも希望を持てるのはこういう芝居に行くのは同じような思想の持ち主で、ノンポリは興味ないですよ。
私がぼんやりサヨクだった頃、731部隊の芝居観に行ったのですが話題にもなりませんでした。
とりあえず私も抗議メールします!
2010/01/28 URL 編集
真正保守
これらの捏造された裏付けを基に毎年利用できる「政治カード」として作成されたのが、1985年8月15日、朝日新聞夕刊一面トップの「戦後首相として初めての公式参拝」の「靖国カード」だった。
「靖国カード」は、筑紫哲也編集長が企画掲載した「南京への道」と「東京裁判への道」の大反日キャンペーンなくして効力を発揮する事は出来なかっただろう。
その後は周知の通り巨額ODAを繰り返すごとに中共民衆は、反日にシフトして行ったのである。
2010/01/28 URL 編集
真正保守
この「南京大虐殺」が政治カードとして浮上したのは、筑紫哲也氏が『朝日ジャーナル』編集長になったことで連載された「南京への道」以降である。
最初、中共はODAを引き出す「現金引き出しカード」の機能だけに利用していた。しかし、日本政府に対して「南京」「靖国」と歴史認識問題を持ち出すと、予想以上に効力があったので、日中外交交渉の「政治カード」に格上げした。それが現在、日本を封じ込める「国際的外交カード」に移行し始めているのだ。
これらの過程で筑紫哲也氏が果たした役割は、中国人民英雄勲章を数個授与できる貢献をしているのである。
筑紫氏が『朝日ジャーナル』で「南京への道」を連載した1984年、中共への輸銀直接借款はゼロだった。ところが、筑紫氏が仕掛けた「南京大虐殺」大キャンペーンは、我が国の反日メディアと中共政府のヒステリックな批判が奏功して、1985年に1013億7600万円の巨額援助が拠出された。
1984年の中共経済は、財政・国際収支ともに赤字で、マネーサプライが40.1%と異常に高く、景気が悪くてインフレが昂進するスタグレーションの状態だった。そのままハイパーインフレが進むと中共は破綻していたのだ。その中共の経済危機を救済したのは、日本からの緊急支援だった。その結果、1985年の中共経済は、財務と外貨準備高(金)がプラスに転じ、マネーサプライも少し落ち着きを取り戻した。
この時以降、ODA更新時期になると、中共と国内の反日メディアが水面下で連動して、反日歴史認識問題が繰り返し報道されたのである。
(続く)
2010/01/28 URL 編集
真正保守
【訂正】
[ニックネーム]
真正保守(新入りからハンドル変更します)
[タイトル]
世界的な反日運動の真相
[投稿日時]
01/28 15:46
[訂正内容]
※参考
【人民日報】
http://j.people.com.cn/2003/07/24/jp20030724_30947.html
(以上訂正終わり)
これより南京大虐殺捏造と対中ODAの関連性についての資料を貼り付けます。コメント欄を独占するつもりは毛頭ありませんので悪しからず。
2010/01/28 URL 編集
シェトさん
こんなインチキ芝居の公演は許せません!
沢山の方々に抗議をして頂きたいです。
『南京大虐殺は無かった!中国の日本支配の為の謀略/平沼赳夫』
南京大虐殺などありません。中国のプロパガンダで世界に日本という国のイメージを貶めて国際的地位を低下させて、国力を奪うための工作です。
http://yotube.com/wach?v=wdcO1gATLIQ
携帯では、
http://m.youtube.com/watch?desktop_uri=%2Fwatch%3Fv%3DWdCO1gATLIQ&v=WdCO1gATLIQ&gl=JP&guid=ON
2010/01/28 URL 編集
真正保守
南京大虐殺歴史捏造の動機は、日中間の外交的立場の優位性を狙ったもので、主に経済破綻が確実視されていた中国への日本からの対中ODAの拠出を促進させる意味合いが濃かったと考えています。その捏造を日本側がしたわけです。詳しい資料はまたの機会にということで、以下に戦前からあった中国の反日プロパガンダをほんの触りだけ記述します。なお、表題の説明は割愛します。
--------
『戦前からあった中国の反日プロパガンダ』
中共は、故アイリス・チャン(張純如)著『レイプ・オブ・ナンキン』(1997年11月刊)を原作として、米中合作で『南京大屠殺』という映画を作成した。脚本は、ウイリアム・マクドナルドという米国人が担当している。南京陥落70周年に合わせ、全世界で上映すると息巻いている。米国は、上・下両院で民主党が過半数を確保したことで日米中の関係が微妙に変化することを狙って、米国の反日世論形成を企てている。
南京攻略戦当時、米国は日中に対して中立国の立場にあったが、実際の政治スタンスは反日・親中だった。それは雑誌と映画の影響が大きかったのだ。『LIFE』(1937年10月4日号)に「ひとりぼっちで泣き叫ぶ赤ん坊」という写真が掲載されると米国世論は一気に親中・反日へと導かれていった。さらに1938年に上映された『バトル・オブ・チャイナ』の影響も大きかったのだ。
2010/01/28 URL 編集
一知半解
・「虚報」が作りあげた「大虐殺」
http://yamamoto8hei.blog37.fc2.com/blog-entry-110.html
この中に、松井岩根司令官の入場式に関する山本七平の考察が述べられているのですが、理路整然とした推論で、読んだ限りでは到底南京大虐殺があったとは思えません。
ただ、なぜ南京大虐殺のプロパガンダが世界中に広まってしまったのかについては、日本側にも大いに原因があることに、我々日本人は気付く必要があると思います。
その原因の一つが、戦前の日本のマスコミが垂れ流した「戦意高揚記事=虚報」です。
この「虚報」が、なぜ「日本人残虐説」につながってしまったのかを述べた山本七平の記述について、次の拙ブログ記事↓で紹介していますのでご覧ください。
・いまだに日中の相互理解を阻む「虚報」の害悪について
http://yamamoto8hei.blog37.fc2.com/blog-entry-109.html
単に、南京大虐殺のことに憤り、否定するだけではなく、なぜこのようなプロパガンダがまかりとおってしまったのかを分析し、再びこのようなデマが広がらないように反省すべき事も重要だと思うのですが、皆様、いかがでしょうか?
2010/01/28 URL 編集
真正保守
【中国共産党「日本解放第二期工作要綱」】
http://www5f.biglobe.ne.jp/~kokumin-shinbun/S47/4708/470801Achina.html
この指南書も、やたらと「解放」という言語が多いです。
筑紫哲也の好きな「造反有理」や「解放」という言葉から、日本の左翼が「毛沢東思想」にかぶれていることがよくわかります。
「総括」「自己批判」なども共産主義者が好んで使います。
※『週刊金曜日』は本多勝一(雀泰英)が代表者。
(以上)
2010/01/28 URL 編集
真正保守
『カンボジアのポルポトを「アジア的な優しさに溢れている」』
(1975年4月19日夕刊)
http://www.asahicom.com/anotoki/asiayasasisa.htm
http://members.jcom.home.ne.jp/invader/works/works_8_d.html
そして、あなたが投稿していた朝日の川柳。
http://www.asyura2.com/08/hihyo8/msg/136.html
『週刊金曜日』の仲間の中山千夏という歌手は「ウーマンリブ(女性解放運動)」の扇動者でした。
以下は、『新左翼とは何だったのか』(幻冬舎)からの抜粋。
【70年代安保闘争が残した課題】
70年代安保闘争は、1970年4月28日には全国で12万人のデモンストレーションなどが行われていきます。
しかし闘争は6月23日の自動延長で終わり、事態は別の局面に入っていきます。
以降、運動はけっして下火になるわけではありません。党派離れした新しい社会運動が次々と生まれていったのです。
女性解放運動、部落解放闘争、アイヌ解放闘争、沖縄闘争、障害者解放闘争、反天皇制運動など、イシュー(論点)をめぐる闘いが開花していき、党派の領導する全学連運動などからは、大衆は次第に離れていきました。
左翼はなんでもかんでも「解放」したがるようです。
(続く)
2010/01/28 URL 編集
真正保守
(1953年3月7日夕刊)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%B2%9B%E6%B8%85
『金日成の北朝鮮を「ばく進する馬」』
(1959年12月25日朝刊)
『朝鮮総連の帰国運動をなんといっても完全就職、生活保障』
(1960年2月26日朝刊)
http://www.chosunonline.com/article/20050921000017
『文化大革命を「近代化への模索」』
(1967年8月11日)
http://www.youtube.com/watch?v=IlrnY1H8_Bg&mode=related&search=
(続く)
2010/01/28 URL 編集
「ど」の字
これは放っては置けない件と思い、自分も良く行くブログである『日本の底力』にこの件を要約してコメントさせていただきました。
同時に、自分の手で文章を演繹し改良した投稿メールのテンプレートも作成させていただきました。
もちろん、自分の手でも各所にメールを送り、意見を申し上げております。
自分は、共産中国の一方的で理不尽な主張を丸呑みにすることは、真の友好をかえって阻害すると信じております。
真の友好には、相手の誤りを勇気を持って正すことこそが必要なのではないでしょうか。
そう信じて、自分は共産中国の主張に抗議しております。
ねずきちさんにおかれましては、これからも頑張ってください。
それではまた。
2010/01/28 URL 編集
真正保守
米下院議員。日本政府への慰安婦に対する謝罪要求決議案を提出。選挙用資金として「世界抗日戦争史実維護連絡会」から多額の献金を受け取っている。
※【土屋公献】
元日弁連会長、現朝鮮総連顧問弁護士。
朝鮮総連中央本部の土地・建物をめぐる移転登記問題で、話題となった人物。
明らかに、朝鮮総連側の詐欺事件であるはずが、元公安調査庁長官の緒方重威氏だけが「容疑者」として逮捕され、決着している。
緒方氏は、1995年にオウム真理教に対して「破壊活動防止法適用」に向けて動いていた。しかし、土屋氏はこれに対し、「将来に大きな禍根を残す」と反対の立場を取っている。この、土屋公献弁護士は上記で示したように、「重慶大爆撃 対日民間賠償請求訴訟」、「日本軍の731部隊細菌戦被害を巡る国家賠償請求訴訟」の弁護団団長で、このバックには「世界抗日戦争史実維護連合会」がいるという。
※【「組織‐人物」関連図】
中国共産党反日組織「世界抗日戦争史実維護連合会」⇔マイク・ホンダ⇔小沢一郎・韓国人秘書⇔江田五月ほか民主党議員、共産党議員、福島瑞穂⇔朝鮮総連、(韓国)民潭⇔土屋公献⇔中山武敏、戸塚悦郎、荒井信一、李容洙
2010/01/28 URL 編集
真正保守
『ホンダ議員、韓国系団体に“メール”で訴える』
(2007/06/28)
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=88803&servcode=200§code=200
『「イ・ヨンスさんのお話を聞く会」配布ビラ』
(2007/02/23)
http://joseino.hp.infoseek.co.jp/aa09.jpg
李容洙が埼玉県浦和市で、講演会で配布されたビラ。この老婆も過去に出てきた慰安婦と同じく証言が曖昧。その証拠がビラから読み取れる(赤字の部分)。
慰安婦として従事していた期間がいつの間にか1年以内に短縮されている。1944年から3年間というありえないウソを指摘されて露骨に修正。虚言癖では済まされない。
【李容洙(Wikipedia)】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E5%AE%B9%E7%8F%A0
ここでも証言が曖昧なことが指摘されている。
(続く)
2010/01/28 URL 編集
真正保守
『めずらしい名刺を拾いました』
(2006/06/23)
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1691595
小沢一郎の韓国人秘書・金淑賢(キム・スクヒョン)。
【YONHAP NEWS】
『小沢一郎・民主党代表を補佐する韓国人女性秘書』
(2007/08/09)
http://japanese.yonhapnews.co.kr/relation/2007/08/09/0400000000AJP20070809003300882.html
【Hatelabo】
『小沢一郎の秘書・金淑賢が日本側代表を務める「世界韓民族女性ネットワーク」の反日デモ』
(2007/08/11)
http://anond.hatelabo.jp/20070811134136
「世界韓民族女性ネットワーク」は、米下院における慰安婦問題謝罪要求決議の際に、「反日デモ」を実施している。主に「世界の韓国化」のための工作活動や論文発表を行っている。
【マイク・ホンダ(Wikipedia)】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%B3%E3%83%80
マイク・ホンダは2008年1月8日、民主党の江田五月参議院議長、神本美恵子、水岡俊一や日本共産党の紙智子、仁比聡平と「従軍慰安婦問題」について会談している。
(続く)
2010/01/28 URL 編集
真正保守
1.左翼訴訟の実態と世界抗日戦争史実維護連合会
【MSN産経ニュース】
『「期待権」初の最高裁判断も NHK損害訴訟』
(2007/12/20)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/071220/trl0712201931034-n1.htm
【しんぶん赤旗】
『放置した国の責任問う ~ 東京大空襲訴訟 第1回口頭弁論 ~ 戦災孤児らが意見陳述』
(2007/05/25)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-05-25/2007052514_01_0.html
『東京大空襲・重慶大爆撃 体験者ら中国で交流』
(2006/10/09)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-10-09/2006100906_02_0.html
弁護団:中山武敏、黒岩弁護士
関係者:荒井信一
【重慶大爆撃 対日民間賠償請求訴訟サイト】
『日本政府は重慶大爆撃の被害者に謝罪と賠償を!』
http://www.anti-bombing.net/
弁護団団長:土屋公献
中山武敏が意見陳述。以下小野坂弘、田代博之
講師:荒井信一、近藤昭一(民主党)
(続く)
2010/01/28 URL 編集
愛信
http://www.pjnews.net/news/467/20100128_3
こっそりと捏造データ作成のためのアンケート、僅か2895票の投票、それで
も96.8%もの人が反対している。こんな売国法案を推進する鳩山民主党は
日本国民の生活が第一ではない、政権公約で日本国民を騙している。
即刻総辞職して衆議院を解散せよ。
【人権擁護法案反対の掲示板】
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj5.cgi
【人権擁護法案反対タイトル一覧】はこちらをクリックして下さい
2010/01/28 URL 編集
梅
こういう副業もあるのを紹介したい。
興味ない人は読まなくてよし、
無理に読まなくてよし、
興味のある人だけに見てもらいたい。
http://blog.livedoor.jp/byezows/archives/50938305.html
http://www.infocart.jp/t/17775/byezow/
2010/01/28 URL 編集
Keito
ありがとうごさいました。
"地獄のDECEMBER 哀しみの南京"で検索したら下記のスケジュールが出て来ました。この劇の全国縦断公演を企画しているようです。このページにはこれだけしか出ていませんでしたが、まだ他にも予定があるかも知れません。
スケジュール投稿者在籍ホーム『レイバーネット日本』
http://www.labornetjp.org/
「地獄のDECEMBER~哀しみの南京」が全国公演
http://www.labornetjp.org/news/2008/1213673245818staff01
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
松原です。(記事投稿者)
二人だけで演じるノンフィクション・ステージ「地獄のDECEMBER~哀しみの京」(IMAGINE21・出演=渡辺義治・横井量子)が、6~7月に西日本を中心に縦断公演が行われます。南京事件の真実と日本人の戦争責任に迫った渾身の作品です。お見逃しなく。私も昨年12月に観て、大変感動しました。
●植木町(熊本県) 6月18日(水) 生涯学習センター文化ホール 開場6:00 開演6:30 会場 096-272-6906
●宮崎市(宮崎県) 6月19日(木) オルブラ 開場6:00 開演6:30 会場 0985-24-1008
●久留米市(福岡県)6月20日(金) 筑紫サザンクスホール 5:00より法要(門徒のみ) 会場 0942-54-1200
●佐世保市(長崎県)6月22日(日) コミュニティセンター 昼 開場2:30 開演3:00 会場 0956-22-1522
●諫早市(長崎県) 6月23日(月) ウエスレヤン大学西山ホール 開場6:00 開演6:30 会場 0957-26-1234
●鳥取市(鳥取県) 6月26日(木) 県民文化会館小ホール 開場6:00 開演6:30 会場 0857-21-8700
●尼崎市(兵庫県) 7月8日 (火) ピッコロシアター 開場6:00 開演6:30 会場 06-6426-1940
●広島市(広島県) 7月9日 (水) 中区文化センターアステールプラザ 昼の回 開場1:30 開演2:00
夜の回 開場6:00 開演6:30 会場 082-244-8000
●京都市(京都府) 7月24日(木) 府立文化芸術会館 開場6:00 開演6:30 会場 075-222-1046
●七尾市(石川県) 7月31日(木) 能登演劇堂 開場6:00 開演6:30 会場 0767-66-2323
●金沢市(石川県) 8月1日 (金) 教育会館 開場6:00 開演6:30 会場 076-222-1241
→全体の問い合わせは、080-5506-2295(ワタナベ)まで。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
下諏訪の前に何箇所かでの公演を予定しているという事ですので、会場などを調べ問い合わせてみます。ねずきちさんの今回の記事や、以前の南京事件の記事がとても良い資料となりますので、プリントして送付させて頂きます。
2010/01/28 URL 編集
真正保守(新入りからハンドル変更します)
『世界抗日戦争史実維護連合会』
「世界抗日戦争史実維護連合会(抗日連合会)」は、公式には1994年に全世界の華僑、中国系住民によって結成された国際規模の組織とされる。本部をカリフォルニア州クパナティノにおくが、中国の政府や共産党と密接なきずなを保つ反日組織である。
「反日」とあえて断じるのは、この抗日連合会の「任務」や「要求」「活動」の記述からその性格が明白だからだ。
(中略)
しかも抗日連合会は中国政府と結びついている。連合会として中国国営の新華社通信につながる中国語ウェブサイトを有するだけでなく、中国国内でたびたび会議を開いてきた。
(以上、『WiLL』('07年5月号)より抜粋)
※参考
【人民日報】
http://j.people.com.cn/2003/07/24/jp20030724_30947.ht
※この組織は対日に特化した国際工作組織で、潤沢な資金力を駆使して工作員を雇用したり、官僚や国会議員などのターゲットをカネで買収したり、日本国内において「左翼訴訟」を起こさせてきた。もちろん原告に中国人は登場しない。(旧)ソビエト・コミンテルンが、日本の左翼をカネで操っていたのと同じ構図である。
※最近では、「日本軍の従軍慰安婦(性的奴隷)強制連行に関する対日謝罪賠償要求決議」を米、加、蘭、豪、韓国議会で採択させている。
2010/01/28 URL 編集
siksan
"地獄のDECEMBER 哀しみの南京"でググって、ヒットしたところを開いてみましたら、まあ出るわ出るわ、九条、労組、日教組、朝鮮総連女性なんたら、etc
いえ、念のためにどんな方面に強い共感を読んでいるのか、背景を見ただけで中身は読んでいませんが。
2010/01/28 URL 編集
中国系移民や韓国系移民が時として、北米やオセアニアなど、世界中で連携し、慰安婦や南京や護憲に関する運動をやっている事が問題なのです。
中国系は、中国政府の影響が少なくないでしょうが、韓国人の場合は半分「素」で反日をやっている点が特徴的です。
カナダの市民団体が天皇陛下に“憲法9条を守る活動”の支持を要請!
http://specificasia.seesaa.net/article/123209462.html
カナダの反日は中国移民が主役??
http://blogs.yahoo.co.jp/akira062363/62841221.html
2010/01/28 URL 編集
プク
2010/01/28 URL 編集
プク
2010/01/28 URL 編集
-
2010/01/28 URL 編集
-
反日新聞に改めたほうがいい。
2010/01/28 URL 編集
情報屋
ねずきちさんいつも勉強になります。戦後最後のクーデターといわれるのが松江騒擾事件です。オマケ・・
後こちら
日籍華人参政支援協会
http://rjhr.duan.jp/
「人権擁護法案」の悪影響です。
インドネシアで「華人差別禁止法」が成立しましたが、これによって、華人が政治的影響力を増した事は事実のようです。
「海外脱出」中国人がカナダで大暴走 ノンフィクション作家 河添恵子
http://blog.goo.ne.jp/publicult/e/f4f0b0377e00cecb18f2d101716c8e20
>民主主義国家であるカナダでは、市民権を獲得しさえすれば、政治の世界にも口出しできるからだ。
バンクーバー島の南端、ビクトリア市の市長は中国系、リッチモンド市の地元有力議員も中国系で、国政にもかかわっている。
また、某メーカーの日本人女性社長はこう警鐘を鳴らす。
「日本人は順法精神があり、その国のルールを守る反面、『政治はお上に任せればいい』という考えで参加しない。中国系はそうではない。やりたい放題やっておいて、自分たちがマジョリティになると、こんどは自分たちに都合のいいルールを決めて、押し付ける。いまや人数も増えており、同じ利益に向かって団結するため、カナダ社会の影響力も増している」
2010/01/28 URL 編集
客観的事実
天安門事件後に、反日団体が雨後の筍の様に登場し、がなり立て始めたのです。
毛沢東時代の中国の歴史教科書には、「南京大虐殺」についての記述はありませんでした。
2010/01/28 URL 編集
M
1987年8月 ニューヨークタイムズ記者F・T・ダーディンの証言
「南京は城砦都市で、周囲は城壁で囲まれています。
揚子江沿いの下関埠頭に出るには、邑江門(下関門)を通らねばなりません。
この下関地区では、それこそ大勢の中国軍兵隊が邑江門から脱出しようとして、 お互いに衝突したり、踏みつけあったりしたのです。
邑江門には土嚢が積まれ、脱走阻止する中国軍が機関銃を設置して、 脱走を阻止させようとしましたが、大勢には無力でした。
城壁を攀じ登り滑落する者、倒れて圧死する者、城壁から下がったロープに我先に群がり、 殺し合いをする者達で溢れました。
私たちが南京を出るときに、この門を通りましたが、
車は『 門から脱出しようとした中国軍の死体の山 』の上を走らねばなりませんでした。
これらの死体の山は日本軍がここを占領する 前に 出来ました。
この地域で戦闘はありませんでした。 」
↑↑↑
中国人が我先に逃げようとして大混乱、それが殺し合いにまで発展して、死体のやまの出来上がり。、、、中国人同士で殺しあっただけじゃないですか。
やれやれ、、、ですね。
2010/01/28 URL 編集
こすもす
南京祭りで、南京事件の本、南京の実相も読みました。
ありえない話です。
戦って亡くなった英霊にも本当に申し訳のない行為です。
演じる人達は在日とか、ではないですか?
今まだ、南京祭りをしています。
周りに広げて、虐殺があったという、呪縛から解いてあげましょう、という企画でもあります。周りの方に、どんどんプレゼントしてあげましょう。
http://mizumajyoukou.jp/?News/2010-01-07
2010/01/28 URL 編集
新入り
南京大虐殺は、「朝日系記者の本多勝一(雀泰英)をはじめ筑紫哲也ら中共工作員の疑いが濃厚で在日系(含偽装帰化人)のジャーナリスト」や作家、文藝評論家らが絡んだ一大・大芝居です。
この大捏造劇は多くの研究者によって見事に暴かれ、今では完全に捏造である事が判明しています。にもかかわらず、未だに国内外でプロパガンダが横行しています。
当エントリーで扱われた事柄もその一つです。
こうした歴史歪曲、捏造に対する法的な対策をしなければ、ガラスで出来た自由と民主主義の国は簡単に割れ散ってしまいます。つまり、言論・表現の自由の悪用です。こんな事を例えば中国で、「中国の歴史を捏造して演じたら」、それだけで即刻死刑でしょう。
私どもは、歴史を捏造した本多勝一(雀泰英)らを逮捕処刑すべきだと主張してきましたが、法的に取り締まることが出来ないならただのボヤキです。
今回のようなプロパガンダを何とか取り締まる法的整備を急ぐべきだと思います。
2010/01/28 URL 編集
メールで苦情
伊那市役所 生涯学習課 生涯学習センター係
電話:0265-78-5801
FAX:0265-78-5802
E-Mail:sgc@inacity.jp
Copyright 2007 INA CITY ALL RIGHTS RESERVED
2010/01/28 URL 編集
電話で苦情
2010/01/28 URL 編集
-
父がC級戦犯の関東軍将校だった同劇団の渡辺義治さん(61)=東京都=の体験が物語の軸になっている。2001年、中国・南京を訪れた渡辺さんには死者のうめき声が聞こえたといい、それをきっかけに一家の「罪」を見つめていく-という内容。渡辺さんと妻横井量子さん(62)の対話を中心に舞台は進む。
同劇団は1994年、中国残留婦人問題を扱った「再会」を伊那市で公演した。その際に協力した唐木達雄さん(75)=宮田村=を、渡辺さんが昨年9月に訪ね、協力を要請。これを受けて会を発足させ、12月に研究者を招いて勉強会を開くなどしてきた。同会代表の唐木さんは「近年、戦争を肯定する風潮があるように感じる。劇を通じ、戦争についてもう一度考えてほしい」と話している。
午後6時半開演。前売り3500円、当日4000円。問い合わせは同会事務局のカフェ・あびえんと(電話0265・78・0899)へ。2月17日に長野市、18日に松本市、20日に飯田市でも公演する。
2010/01/28 URL 編集
-
2010-01-25 20:21:08
昭和12年7月29日に勃発した、通州での大虐殺事件でも同じようなことが見られる。
当時の新聞はこう報道している。
「通州冀東保安隊(中国人)約三千名が突如、日本軍守備隊を攻撃すると同時に特務機関および日本人居留民を襲撃した。この為、特務機関員全員が戦死、在留邦人三百八十五名のうち女性、子供を含む二百二十三名が虐殺された。ある者は耳や鼻を削がれ、女性は陰部に丸太を突き刺され、あるいはワイヤーロープにつながれ、素裸にされて池に投げ込まれた。また放火した火焔の中に生きた人間を投げ込むなど、目もあてられぬ惨殺であった。その上、居留民の家屋はすべて焼かれ、家財は略奪された」
まさに「真相箱」や東京裁判での南京関係の判決と同じことが中国人によって実践されていたのである。
常識的に考えて、日本人には想像することもできない殺し方は、「食人風俗」の伝統がある中国人の伝統的行為なのである。
「真相箱」の《陥落前の南京》の最後に「南京の暴行、これこそ中国をして、最後まで日本に抵抗を決意せしめた最初の動機になったものであります」とあるが、南京を通州、そして、中国と日本を置き換えると、わが国が南京攻略戦へ突入して行った流れを理解できるであろう。
しかし「通州事件」は、朝日新聞なども国民を震撼させた大事件として、昭和12年8月8日に号外まで出しているのに、戦後、岩波書店発行の『近代日本総合年表』に記載はない。
それは、GHQ占領下の検閲により、三十項目のプレス・コードの中の第九項で中国に対する批判の報道が禁止され、岩波書店は現在もそのプレス・コードを忠実に守っているのであろう。
そして、マス・メディアを見ると、GHQ占領下の朝日新聞は『スターズ・アンド・ストライブス(星条旗)』紙を受付で配布するほど、GHQにすり寄っていたのであり、現在も同じ反日・自虐史観の宣伝機関なのである。
また、朝日新聞は洗脳放送『真相箱』の編集に加担、NHKは『真相はこうだ』の台本を翻訳しCIEに直接管理された。共同通信は、GHQ編集『太平洋戦争史』を翻訳して新聞各紙に配信した。以上の三社が現在でも反日的色彩が強いのは、GHQ占領下に占領政策の手先となって働いたことからくる必然である。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
現在の「日本罪悪史観」の源流が、ここまで来るとすっきりと理解できることでしょう。
今後、「南京大虐殺」の真相を友人・知人に知って戴くには、まず始めに「通州大虐殺」を知ってもらうことが大事です。
要するに、「南京大虐殺」とは、中国人の残虐性を中国人自ら公にしているのです。それを説明できる歴史として「通州大虐殺」は、恰好のテキストになります。
※ 添付した写真は、上野東照宮牡丹園の寒牡丹ですが、ニューヨークにお住まいの方にも楽しんで戴けているようですのでもう一枚アップしました。
■丸坊主日記 http://blog.goo.ne.jp/toidahimeji/
【ネットだけ転載フリー(写真不可)】ジャーナリスト・水間政憲 http://mizumajyoukou.jp/
2010/01/28 URL 編集
あさやん
2010/01/28 URL 編集
拡散ください
実際、平成十九年六月十九日の国内外記者に「 南京問題の総括」を 日本の前途と歴史教育を考える議員の会が発表した以降、国内外で 南京問題をマスメディアは、 歴史認識問題として取り上げなくなってます。
当事最高の国際機関であった 国際連盟の議事録は歴史研究において極上の 一次史料であり、その内容を日本語と英語の両方で掲載したこの本が世界に普及すれえば、日中最大の政治 プロパガンダは終結します。
同議連は、米国上下両院に同書を発送しますが、国内に於いては、各自治体・各大学の図書館に所蔵されるよう皆様の御協力をお願い申し上げます。
- ジャーナリスト・水間政憲http://mizumajyoukou.jp/?Books
2010/01/28 URL 編集
ご参加ください
■ 紀伊國屋書店ネット購入URLは《http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4094060022.html》です。
2010/01/28 URL 編集
おれんじ
また、前回は皆様に勝手なお願いをしました失礼をいたしました。
いわゆる「南京事件」は日本軍の蛮行(!)の証明として必ずアジア人、外国人が持ち出してきます。しかし専門家のお話は細かすぎて全体像がつかめず、たまに渡部先生等の識者がお書きになるまとめ記事は逆に簡単すぎて具体的な実証が少ないため、この事について学ぶ事が難しいと感じておりました。
諏訪での公演、腹立たしいことですが、今回のような具体的かつ分かりやすい説明を拝見することが出来て本当によかったと思っております。
これからも益々のご活躍をお祈りします。
2010/01/28 URL 編集