• 神武天皇(『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』より)


    ■□■━━━━━━━━━━━━━■□■
    3月の倭塾は、3月26日(日)13時半から開催です。
    場所は今回から富岡八幡宮の婚儀殿です。
    テーマは「日本精神を築いた十七条憲法」です。
    参加自由で、どなたでもご参加いただくことができます。
    皆様のふるってのご参加をお待ちしています。
    https://www.facebook.com/events/458686826358362
    ■□■━━━━━━━━━━━━━■□■

    フォントも大きくて読みやすく、また挿絵やマンガも豊富なので、小学校高学年から大人までお楽しみいただける本になっています。
    読者の方は、きっとこの本でご紹介した偉人の人生を読んで、涙を流したり、あるいは今を生きる勇気をいただいたりすることでしょう。

    20220325 神武天皇



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    昨年4月に発売した拙著『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』は、マンガと文で紹介する偉人伝です。
    偉人伝というと、歴史上の有名人ばかりをあつかうもの、と相場が決まっていますが、我が国は庶民文化の国です。
    一般庶民が、高度な民度を持って歴史を紡いできたという歴史を持ちます。
    そこで本書は、一般の偉人伝と異なり、名もない一庶民をも多く扱っています。
    これこそが、日本の偉人伝です。

    もちろん、歴史上のポイントとなる人物も、しっかり掲載しています。
    上にある絵は、最初にご登壇いただいた、神武天皇のページです。
    クリックすると拡大してご覧いただくことができます。

    フォントも大きくて読みやすく、また挿絵やマンガも豊富なので、小学校高学年から大人までお楽しみいただける本になっています。
    読者の方は、きっとこの本でご紹介した偉人の人生を読んで、涙を流したり、あるいは今を生きる勇気をいただいたりすることでしょう。

    最初の神武天皇の段の原稿です。

    ***********

    一 助け合いを国の形に・・・神武天皇


    「この国は天然の災害が多い。
     けれどそれが神様から授かった国だ。
     だから、いざという時に備えて、
     大きな米倉(こめぐら)をつくり、
     これを『みやこ(御屋蔵)』と名付けよう。
     そうすることで四方八方に住む人々が
     大きなひとつ屋根の下に暮らす家族となり
     互いに助け合って生きていく。
     そういう国をつくろうではないか。」
     
    今からおよそ二八〇〇年前のことです。
    そう言って国を建国された天皇がおいでになりました。
    それが初代天皇であられます神武天皇です。
    世界中にたくさんの国がありますが、思いやりと助け合いのために生まれた国家というのは、歴史上も、現在の地理上も、世界でただひとつ、日本だけです。

    そういうことを今の日本の学校は教えません。
    世界中どこの国であっても、国がある以上、必ずその国には建国の歴史があり、その歴史は、これまた必ず学校で教えられ、国民の常識になります。日本だけがそれをしない。

    日本は世界で一番長くて古い歴史を持つ国です。
    世界に今ある国の中で、二番目に古い歴史を持つ国がデンマークの千年です。
    三番目が英国の九百年。
    米国は建国からまだおよそ二五〇年の歴史しかありません。
    中共(中華人民共和国)はわずか七〇年あまり。
    韓国も同じです。

    そこでまずはじめに、日本の建国について、みなさまとともに学んでみたいと思います。

    今から二七〇〇年ほど昔、九州の宮崎に、天(あま)照(てらす)大御神(おおみかみ)のお孫さんの、さらに孫(これを玄孫といいます)が吸収の宮崎で暮らしていました。
    名前を神(かむ)倭(やまと)伊(い)波(わ)礼(れ)毘(ひ)古(この)命(みこと)と言いました。
    その方のもとに、ある日、塩土老翁(しおつちのおきな)というおじさん(古語で塩は海のこと、土は陸のことを意味します。塩土老翁は、海陸の情報通のおじさんといった意味になります)がやってきました。

    ***

    本の方では、お話はまだまだ続きます。
    というか、ここからが本番です(笑)

    本書は、いわゆる日本人の偉人伝ですが、やはりその最初に描くべきは初代神武天皇であろうと思いました。

    日本という国があるということは、当然のことながら「建国」があったということです。
    そして建国の理念は、必ずその国の方向性を決定づけます。
    これは、企業における創業理念が、その企業の原点となることと同じことです。

    もっというなら、自分の人生をいかようにするかは、年齢に関わりなく、自分の人生の出発点をどこに置くのかによって決まるといえます。

    人生の始まりは、もちろん生まれた時です。
    けれど、生きるための原点となる理念は、出生時ではありません。
    自分が、「こう生きる」と決めたとき、その出発点が、人生の理念であり、原点となります。

    近年は、その原点を、ただ「儲けたい」と考える拝金教の信者が増えているといわれています。
    もちろんなかには、幼年時代の貧しさから、拝金主義を理念とする人もあることでしょう。
    けれど多くの人は、そこを原点としない。

    米国では、(というより、米国の保守の人)たちが、近年、人生の原点としていることは、家族です。
    妻を、夫を生涯愛すると教会で誓ったその日から、生まれ、成人する子供たちをふくめて、家族への愛を人生の原点とする、また、誓った場所である教会を大切にする。寅さん支持層に多いタイプです。

    日本では、ボランティアなどに付く多くの人が、「人の役にたちたい」という原点を持っています。
    ここでいう「人」には、もちろん家族が含まれますが、それ以上に、日本全体を家族とする、つまり日本中がみんな家族なのだから、その家族のために働きたい、生きたいという人が数多くあります。

    それが日本の建国精神です。

    そうであれば、日本の建国精神や建国理念を学び、また建国の経緯を知っておくことは、これは日本人として不可欠な要素であるといえます。


    子供たちに伝えたい 美しき日本人たち


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  • 災害対策と三大神勅


    本来であれば、あらゆる災害から大御宝の命を護るのが政府の役割のはずなのに、いまの日本政府は利権集団と化しています。
    災害への姿勢があるといえるのかは甚だ疑問です。
    我々は日本が三大神勅の国であることを、いまいちど根底から考え直して行かなければならないのではないでしょうか。

    20200117 高天原
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    日本を豊かに
    小名木善行です。

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    三大神勅(さんだいしんちょく)は、天照大御神が、孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が地上に降臨するに際して詔(の)らされたとされる3つの御神勅(三大神勅)のことをいいます。

    1 天壌無窮の神勅(てんじようむきゅうのしんちよく)
    2 宝鏡奉斎の神勅(ほうきようほうさいのしんちよく)
    3 斎庭稲穂の神勅(ゆにはいなほのしんちよく)

    ひとことでいうと、この三大神勅は、いずれも天然の災害が多発する日本という国土において、絶対に必要な3つのことを示したものということができます。

    天壌無窮の神勅は、瓊々杵命の子孫がずっと我が国を「治(し)らせ」と説きます。
    「治(し)らす」というのは、国家最高権威が、国家の政治権力よりも上位となって、民衆を「大御宝(おほみたから)」と規定することをいいます。
    つまり民間の活力こそが国を救う。
    その民間の活力がなければ、災害対策はできないし、災害からの復興もできないのです。

    宝鏡奉斎の神勅は、地上における天皇の権威が、天上界における天照大御神と同じものとすることを示します。
    つまりどのような政治権力であっても、神の威光の前には従わなければなりません。
    その神の威光を示す鏡(八尺鏡(やたのかがみ))を持するのが天皇です。
    その天皇が、常に大御宝である民が、豊かで安心して安全に暮らせるようにと祈られる。
    これに逆らうものはご神威に逆らうということになります。

    斎庭稲穂の神勅は、稲作に用いる稲が、神稲であることを示します。
    その神稲から穫(と)れるお米は、神々からの授かりものです。
    なぜなら冷蔵庫のなかった時代に、お米だけが常温で数年の長期の備蓄に耐えるものであったからです。
    いざ災害というときに、食料の備蓄があるとないとでは、その後の人々の生き残りに雲泥の差が生じます。

    稲作は、たいへんな労役を伴います。
    土地を拓いて田をつくらなければならないし、田に水をひかなければならない。
    そのために水害に遭ってはならないから、堤防など河川の管理も必要です。
    ようやく田ができても、苗代づくりから、田植え、草取り、収穫といった労役が伴います。
    とりわけまだ鉄器がなかった時代に、稲刈りがどれだけたいへんなことであったか。少し考えたらその苦労は誰しも容易に理解することができると思います。
    その日暮らしの狩猟採集生活の方が、よほど楽なのです。

    もともと日本民族は、海洋民族です。
    つまり海に生きる民族です。
    だから世界中にでかけていくことができましたし、実際、祖代、古代から中世に至るまで、世界中に日本人の足跡が残っています。
    このことはつまり、日本民族が古代において諸外国を植民地化することさえできた可能性を示唆(しさ)します。
    けれど日本人はそれをしませんでした。
    むしろ、自国内の食生活を安定させ、自分たちが平和で豊かな国を築くことで、逆に諸外国と対等に富を分かち合うという選択をしています。
    このことは、西洋が14世紀以降、諸外国からの収奪をもって自分たちの富を築こうとしたことと、まったくの対象をなしています。

    ちなみにお米については、いまでは古米や古々米よりも新米の方が値段が高いですけれど、昭和初期までは、実は古米の方が値が高かったのです。
    新米のほうがおいしいのに、どうして新米の値段が安く、古米、古古米の順に値が上がったのかというと、それは需給バランスの問題でした。

    新米と古米は備蓄するもの、食べるのは古々米からというのが社会の常識です。
    ということは、市場に新米が出るということは、相当、食べるお米に困っているということです。
    即換金しなければ生活できないというところまで追い詰められているから、新米が市場に出される(売られる)のです。
    ということは、お尻に火がついている状態ですから、当然、買い叩かれる。
    つまり仕入れ値がそれだけ安い。
    だから、売価も安くなる。
    我々の祖先が築いた社会の一端をうかがわせる事柄であろうと言うことができます。

    現代社会においては、冷蔵庫や冷凍庫が生まれることによって、新鮮な食べ物を長期にわたって保管することができるようになりましたし、耕運機などの農業機械によって稲作も楽になりました。
    とりわけ冷凍コンテナの開発は、海を越えて海外からも新鮮な食物を新鮮なままで運ぶことを可能にし、国際的な食料需給を可能にしています。
    また、国内の食料備蓄においても耐震性や耐火性にすぐれた保管庫が開発され、なるほど昔とは環境が随分と替わってきています。

    では、食料の国際交通が確立し、冷凍庫による備蓄ができあがっていれば、それで本当に災害時の食料は十分にまかなえるものなのでしょうか。

    戦後、これまでにも度々、何らかの事情で食料の国際交通が遮断され、スーパーから食料が消え去るということが起こりました。
    幸い、2〜3週間もすれば、復旧できる程度の流通の混乱でしたから、一時的なもので済みましたが、大規模災害が発生したとき、果たして大丈夫なのかといえば、答えはNOです。

    では日本政府は、そうした場合に餓死者を出すのでしょうか。
    それを放置するのでしょうか。

    災害は、地震や台風、あるいは水害ばかりではありません。
    疫病(伝染病)の危険もあります。

    本来であれば、あらゆる災害から大御宝の命を護るのが政府の役割のはずなのに、いまの日本政府は利権集団と化しています。
    災害への姿勢があるといえるのかは甚だ疑問です。
    我々は日本が三大神勅の国であることを、いまいちど根底から考え直して行かなければならないのではないでしょうか。


    ※この記事は2020年1月の記事の再掲です。
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  • 人類社会の希望と「ひふみ」


    ■□■━━━━━━━━━━━━━■□■
    ダイレクト出版ルネサンス編集部主催のビッグ・セミナー『Renaissance サミット 2023』が、来る2023年1月14 日(土)13時から都内某所で開催されます。登壇者は東京大学特任教授有馬純氏、元内閣官房参与加藤康子氏、キャノングローバル戦略研究所主幹杉山大志氏、および私です。みなさまのふるってのご参加をお待ちします。
    詳細は↓コチラ↓
    https://in.renaissance-sk.jp/skrss_2211_sk3?cap=onagi
    ■□■━━━━━━━━━━━━━■□■

    「豊かに葦(あし)の原が広がる豊かな瑞穂(みずほ)の国は、
     わが子孫(すめみま)が王(あるじ)となる地(くに)です。
     我が孫よ、行って治(しら)しめなさい。
     しあわせになりなさい。
     皆が宝のように幸いを得て隆(さか)えることは
     まさに天地と共に永遠となりましょう」

    20201220 夜明け
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    歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
    小名木善行です。

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    我が国では1〜10までの数字を数えるとき、
    昔ながらの「ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ、いつ、むぅ、なな、や、ここ、とぉ」
    という言い方と、
    「いち、にぃ、さん、しぃ、ご、ろく、なな、はち、くぅ、じゅう」という言い方があります。
    これらを「数(かぞ)え詞(う)ことば」、「数詞(すうし)」といいます。

    江戸時代でもそろばんなどでも明らかなように、算術に使うときは「いち、にぃ、さん、し・・・」の方を用います。
    昔も今も「1+2」を、「ひぃたすみぃ」とは言いません。「いちたすに」です。

    にもかかわらず、ほんの少し前までの日本では、小学校にあがる前の子どもたちに数を教えるときは「ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ・・」という数え方を教えました。
    算術では「いちたすに」なのに、どうして「ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ・・」という言い方を教えたのでしょうか。
    実はそこに深い意味があるのです。

    このことは、以前にも拙ブログに書いていることですが、あらためて考察してみようと思います。

    日本は3.8万年前には新石器を用い、葦舟を使って外洋航海をしていた、世界最古の海洋民族国家です。
    なんの加工もしていないただの自然石を道具として用いたのが旧石器時代、石を人が使いやすいように加工して用いるようになったのが新石器時代で、これを新石器と言います。

    西方で磨製石器が用いられるようになったのは、いまからおよそ7千年前の古代シュメールです。
    ところが日本では、それよりも3万年も古い時代に、すでに磨製石器を用い、しかも葦舟を用いて外洋航海まで実現しています。
    我が国で磨製石器が最初に発見されたのは昭和21年で、群馬県の岩宿遺跡からおよそ3万年前の磨製石器が発掘され、その後の調査で、さらにその下層から、およそ3万5千年前の磨製石器が発掘され、さらに沼津と長野の遺跡から神津島でしか産出しない黒曜石の3.8万年前の打製石器が発掘されました。
    いまでは秋田から奄美群島まで全国135箇所から400点余の新石器が出土しています。
    いずれも3〜4万年前のものです。

    このことについて、英国のJ・ラボックという考古学者は、
    「日本列島の住民は世界に
     先駆けること二万数千~三万年前に
     新石器時代を迎えていた。」 
    と述べています。

    世界の磨製石器の出現は、紀元前9千年~7千年頃に出現しますが、突出して早い時期に出現したものとして、
     シベリアの2万年前のもの
     ロシア南西部の紀元前1万6000年前のもの。
     オーストリア中部の2万9000年〜2万1500年前のもの
    など数例があります。
    ところがこれらは異常に早過ぎる磨製石器であり、作成経緯等が研究されているのですけれど、すべて不明とされています。
    磨製石器の出現は、その石器を使っていた人々が、それ以前にどのような石器を用い、またその後にどのように文明を形成していったのか、つまり文明の連続性が問題視されるのですが、その前後の経緯がそれらの遺跡ではまったく不明なのです。
    ということは、それらの遺跡の出土品は、どこからか「持ち込まれた石器」と考えざるを得ないのです。

    ところが日本では、11万年前の石器、3万8千年前の新石器、1万6500年前の土器、その後の縄文式土器の変遷へと、歴史がちゃんと連続しています。

    なかでも長野県の貫ノ木(かんのき)遺跡から出土の55点、および沼津で発掘された3.8万年前の磨製石器は、いずれも伊豆諸島の神津島から運ばれてきた石材を用いていることが確認されています。
    万年の単位で歴史を考えるときには、海面の高さがいまよりも140メートルも低く、いま大陸棚を形成しているところが、かつては陸地だったりもしたのですが、伊豆半島から神津島までは、水深が深いため、神津島が本州と陸続きになったことはありません。

    つまり3.8万年前に日本列島に住んでいた私達の祖先は、そんな途方もない大昔に伊豆半島と神津島を往復して、しかも石を運んでくるということができるだけの船と航海術をすでに持っていたということです。
    これまた、実にすごいことです。

    ちなみに縄文時代の船としては、全国で約160艘がこれまでに発見されていますが、それらはいずれも丸木舟であるといわれています。
    いずれも木を焦がして中を削ってくり抜いて船にしたものとされていますが、これを行うには、たいへんな時間と労力を必要とします。
    しかも丸木舟では安定が悪く、外洋航海に耐えることができません。
    ところが日本列島には、そこいらじゅうに葦が生えているわけです。
    葦は水に浮き、細くて加工も楽です。

    3万年とか4万年いう歳月は、途方もない歳月です。
    ではなぜ新石器が人類史を語る上で重要かと言うと、旧石器であれば、自然石をそのまま使っているだけですから、人は少数の家族だけで生活できるわけです。
    ところがまだ鉄や機械がなかった時代に硬い石を加工しようとすれば専業の職人が必要になります。
    硬い石の加工には、専業の誰かが、何ヶ月もかけて石を削ったり、磨いたりしなければならないからです。

    人は食べなければ生きていくことができませんから、(食糧生産をしない)専業者を養うためには、人々が集落である「むら」を形成し、一定以上の人々が集まって、食料を採る人、それを加工する人、石を磨いて道具にする人というように、「むら」の中で職業の分担をする必要が生まれます。

    さらにそうした「むら」を維持するためには、なぜ自分たちがそこで「むら」を形成しているのかという、「むら」ごとの神話が必要になります。
    なぜなら、一族が統一された目的を持って社会を維持する必要があるからです。

    このため世界の諸族がもつ神話は、磨製石器登場の時代に形成されたとされます。
    つまり人類が社会を形成したことが、磨製石器と神話によって証明されるわけです。
    これが世界の考古学会の常識です。

    ちなみに日本の文化庁は、近年、縄文時代以前を「旧石器時代」と呼ぶように制度を改めました。
    ですから文化庁の指導によれば、新石器の時代も「旧石器」だという、世界の中で日本だけがやや異なる用語の用い方をしています。
    理由としては、英語では旧石器、新石器時代は、それぞれ「パレオリティック(Paleolithic) , ネオリティック(Neolithic)」で、日本語の旧石器と必ずしも同じ定義である必要はないということのようですが、おかしな話です。

    猿の集団がそうなのですが、だいたい50頭くらいの集団なら、「アーウー」とか「キッキキー」といった擬態語だけでおよその意思疎通はできてしまうのだそうです。
    ところが集団が150名を超えるようになると、集団内で社会的分業が始まり、互いの意思疎通のために言語が発達するようになるといわれています。

    男性は狩りのために村を長期間留守にしたりしますが、そうなると村に残った女性たちにとっては、夫の浮気が一番の気がかりで、そのため特に情報交換のための言語中枢が発達したのだとか。
    いまでも口喧嘩で、女房に旦那が勝てないのは、人類誕生以来の歴史が土台になっているわけです(笑)。

    さて、集団組成のための神話が発達するようになると、集団の規模は食料をもたらすことができる範囲で、次第に大きなものとなっていきます。
    こうして人々が生活する「ムラ」が生まれます。
    ムラの向こうにはお腹を満たすための「ハラ」があり、その向こうには「ウミ」と「ヤマ」があります。
    「ウミ」や「ヤマ」の向こうには、また別な「ムラ」があります。
    近親婚による異常を防ぐためには、そうした離れた「ムラ」から「良(よ)い女(め)」を娶(めと)る必要があります。
    だから「ヨメ」と言います。

    「ムラ」の中には、親子などが住む「イエ」があります。
    「イエ」には「ヨメ」と「コ」がいます。
    「ヨメ」や「コ」を養うために、「ア(吾)」は「ト(外)」に出て狩りや漁をします。
    だから父のことを「トト」と言います。
    また「ムラ」には、すでに亡くなったご先祖がいます。
    ご先祖は「ムラ」に力を与えてくれる「ミ(存在)ですから、「カミ」と言います。

    こうして日本語が形成されていくわけですが、尊敬するご先祖である「カミ」と交信するために、人々は鹿の骨や亀の甲羅(こうら)を焼いて占いをすることで、「カミ」からのメッセージを得ようとしました。
    これが東洋社会で広く行われてきた「鹿骨占い」で、これを「ウケヒ」と言います。
    「ヒ」は霊(ひ)のことですから、カミからのメッセージを受けることが「ウケヒ(受け霊)」です。

    「鹿骨占い」は、鹿の骨を焼いてできたひび割れパターンで、神託を得るものです。
    ひび割れは、縦の一本割れから、二本割れ、ギザギザ割れ、穴が開くもの等々、様々な形になります。
    私達の祖先は、それらを47種類にパターン分けし、それぞれに47音の音を当てることで名前を付けました。
    その名前が、「あいうえお」の母音と、「かきくけこ、さしすせそ」といった母音+子音による音となり、その一音ごとにひび割れのパターンが当てられ、それが次第に記号化して、これが文字になりました。
    これが、いわゆる「神代文字(かみよもじ、じんだいもじ)のはじまりです。

    ただし、「/」や「\」といった記号だけでは、その意味がわかりません。
    そのために、一音ごとの意味を解説するための記号も開発されました。
    それがホツマ文字やカタカムナなどの記号文字です。
    神代文字に、ひび割れのパターンそのものを示すような文字と、一音ごとの意味がわかるように作られた文字の二種類があるのはこのためです。

    なかでも大切な音は、そのままものを数えるときに使う数詞にすることで、誰もが共通する文化にまで育てています。
    それが「ひぃ、ふぅ、みぃ・・・」の数詞です。
    ですから昔は「ひふみ」といえば、そのまま神様のお言葉とさえも言われたわけで、こうしたものが日本では、もしかすると3万8千年前にまでさかのぼることができる古代の知恵であったのかもしれません。

    では、その「ひふみよ・・」はどのような意味を持っているのかと言うと、さすがにこれは、4万年違い古くて歴史があるだけに諸説あります。
    たとえば「ひふみ」は、それぞれ火・風・水を意味するという説もありますし、「ひ」は太陽だという説もありますし、あるいは根源のことという説、開くことを意味するという説、どれもそれぞれに歴史があり、説得力があります。
    そうしたなかで私なりに納得できた意味が次のものです。

    「ひ」 霊(ひ)のことです。
    「ふ」 生(ふ)のことです。霊(ひ)から生命が誕生します。
    「み」 身(み)誕生するのが「身」です。
    「よ」 世(よ)身が織りなす世です。
    「い」 意(い)人の意思や心です。

    「む」 無(む)無心になることで霊(ひ)を自覚します。
    「な」 菜(な)肉体は食で養います。
    「や」 家(や)住まいです。
    「こ」 子(こ)子供たちです。
    「と」 戸(と)戸がひらきます。

    昔は子供が2歳か3歳くらいになると、たとえばお風呂から出るときに、お父さんに「十数えたら上がって良いよ」などと言われて、子どもたちは熱心に指を折りながら「ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ、いつ、むぅ、なな、やぁ・・・」と数えたわけです。

    そして氏神様に参拝に行くと、そこで二礼二拍手一礼をして、神様にご挨拶をします。
    そのとき、二拍するとき、はじめに両手を合わせ、右手をちょっとだけ(左手の第一関節くらいまで)引きます。
    なぜそうするのかというと、何事も「ひ(霊)」が上、「み(身)」が下だからです。
    そして神様と対話するのは、肉体である「み(身)」ではなく、自分の「ひ(霊)」です。
    だから両手を合わすときも、「み(身)」をちょっと引きます。
    二泊手したあとには、元通りに両手の指先を合わせます。
    ご祈念が終わったら「ひ」と「み」を元通りに合わせておかないと、体と魂が別々になってしまったままになるからです。

    「ひ」と「み」の関係がわかると、なぜ左大臣と右大臣なら左大臣が上なのかもわかります。
    やはり「ひ」と「み」の関係だからです。
    明治のはじめに、太政官を右院、左院、正院が置かれましたが、これなども「ひ」と「み」の関係がわかると、その趣旨が普通に理解できます。
    つまり、「ひ」と「み」の関係は、我が国古来の文化なのです。

    このように、日本語の47音(50音とも言いますが、わ行が3文字欠けますので実際には47音になります)には、それぞれに意味があります。
    せっかくですので、「と」のあとを記すと次のようになります。
    「ひふみ よいむなや こともちろらね
     しきる ゆゐつわぬ そをたはめくか
     うおえ にさりへて のますあせゑほれけ」
    これが大祓詞(おほはらいことば)の「ひふみ祝詞(のりと)」で、限りない神の弥栄を言い表したものといわれています。

    ちなみに「も」以下は次のようになります。
    「も」 百(も)
    「ち」 千(ち)
    「ろ」 萬(ろ)よろずとも言います。
    「ら」 億(ら)
    「ね」 兆(ね)
    「し」以下はご興味あったらご自身でお調べいただければと思います。

    要するに、「ひぃ、ふぅ、みぃ・・・」という数詞は、それがそのまま祓詞(はらいことば)になっていることに加え、すくなくとも1〜10までを知ることで、そのまま日本文化の奥底を知ることになるわけです。
    これを物覚えの良い幼いうちに魂に叩き込む。
    そのために幼な子に、計算用の「いち、にぃ、さん」とは別に、というより先に、「ひぃ、ふぅ、みぃ・・・」と教えたのです。

    最近、よく思うのですが、たいせつなことは、ほんの身近なところにあります。

    戦後75年、いやもしかすると西洋のものをひたすらありがたがるようになった文明開化の明治時代以降、我が国古来の様々な文化が失われていきました。
    いま残っているのは、もしかするとそうした古代から続く日本人の智慧の切片(せっぺん)と言えるようなものです。

    そうしたジグソーパズルの切片を、丁寧に拾い集めてみると、そこに日本の古代の様々な知恵が浮かび上がる。
    そしてそこには、我々が普段思っているより何十倍も深い知識や智慧を見出すことができます。

    我が国の天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅(しんちょく)は、天照大御神が孫の瓊々杵尊(ににぎのみこと)に与えられた御神勅です。
    意訳するとそこには次のように述べられています。

    「豊かに葦(あし)の原が広がる豊かな瑞穂(みずほ)の国は、
     わが子孫(すめみま)が王(あるじ)となる地(くに)です。
     我が孫よ、行って治(しら)しめなさい。
     しあわせになりなさい。
     皆が宝のように幸いを得て隆(さか)えることは
     まさに天地と共に永遠となりましょう」

    我が国は、天皇という国家最高権威が、民衆を「おほみたから」とする国です。
    我が国が民衆をこそ大切な「たから」とする限り、我が国は未来永劫、栄えることができるということが、天壌無窮の神勅の根幹となる意味です。

    21世紀は、民衆の世紀と呼ばれています。
    そしていま世界は、限られたごく一部のウルトラ・リッチな人々が、民衆をプアーのままにして、お金の分け前を与えてあげる代わりに言うことを聞け、聞かなければ殺害など、あらゆる迷惑を被るぞ、という「カネのために行う、カネと暴力による支配」の時代から、「民衆が戦士」として立ち上がる時代へと変化しようとしています。

    まさに天壌無窮の神勅が、世界へと大きく広がることを意味しているといえるのかもしれません。
    楽しみな時代がやってこようとしています。
    そしてその楽しみを、確固たるものにしていくためには、我々日本人が、そして日本が、しっかりと自立した国になっていくことが望まれます。

    破壊者は、各自をバラバラに分断し、各自が孤立無援となっているかのように演出します。
    しかしそれは「みせかけ」です。
    民衆の幸せこそが人類の願いという思いを共有している人たちは、日本のみならず世界中にいます。
    そして民衆の幸せこそが人類の願いという思いを実現するための智慧と知識と経験は、間違いなく日本にあります。

    私達があらためて日本に誇りを持つこと。
    それは人類社会の希望であり、戦士である個人、ひとりひとりの希望です。


    ※この記事は2018年12月の記事のリニューアルです。

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    私たちは今、日本の、日本人による、日本人のための政治を実現しなければならないのです。そのためには、国民経済、つまり国民の経世済民のための根幹となる日本人としての文化性を取り戻す必要があるのです。なぜならそれが日本経済の背骨だからです。

    20220407 禊



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    よく、「昔は良かった。でも今の日本はダメだ」と仰られる方がおいでになります。
    あるいは「最近の日本はダメだ。もうおしまいだ」と仰られる方もおいでになります。

    「じょうだんじゃないぜ」と思うのです。
    未来は「これからやってくるもの」です。
    どういう未来に来てもらうかは、今を生きている我々の努力によります。
    あきらめてどうする!と思うのです。

    戦後生まれの私たちは、素晴らしく平和で豊かな日本を生きさせていただきました。
    徴兵されることもなく、戦争で腕や足を失うこともなく、身内に戦死者を出すこともなく、お腹いっぱいご飯を食べることができるどころか、世界中の美味しいものをいただくことができる、そんな時代を生きさせて頂きました。
    おそらく日本の永い歴史の中で、これほど豊かで安全で安心な時代というのは、そうそうはなかったものと思います。

    けどそれは、戦争の時代を生き、空襲や艦砲射撃によって何もかも失い、戦地で戦友の死を目の当たりにし、戦後の焼け野原の中を経験した私たちの先輩たちが、
    「子どもたちのために、絶対に戦争のない国を築きたい」
    「子どもたちにお腹いっぱい、満足するまでご飯を食べさせてやりたい」
    「すこしでも美味しいものを子どもたちに食べさせたい」
    「子どもたちのために、少しでも快適に過ごせるマイホームを作りたい」
    「誰もが自由に過ごせる日本にしたい」
    そう思って日々努力を重ねて来てくれたおかげで、つまり日本人みんなの共通意思によって実現されてきたものです。

    では私たちは、私たちの子や孫に、どういう未来を呼ぶのでしょうか。
    それは「もうおしまいだ、もうだめだ」という未来なのでしょうか。
    違うと思います。

    もちろん、現状の日本には問題が山積みです。
    けれど、問題があるということは、すでに問題点が見えている、ということです。
    見えているなら、あとは解決するだけです。

    「政治が間違っている。
     政治がろくでも無い方向に向かっている。
     だからダメなんだ」
    って、明治以降、政治がろくでもない方向に向かっていなかった時代ってあったのでしょうか。

    そもそも明治以降、政府が関与を強めた業界は、全部ダメになっています。
    明治初期には、江戸時代からの種々の産業が潰れ、その後の富国強兵の時代に盛んであった繊維産業、炭鉱業、製鉄業は、ことごとく衰退し、戦後に日本経済の牽引役を担った造船業、鉄鋼業、家電業、半導体産業は、全て海外にシェアも利益も奪われ、そしていま日本の基幹産業である自動車産業が潰されようとしています。
    歴史を振り返れば、日本政府が関与した産業は、ことごとく外国に売られ、結果として全て外国にシェアを奪われてきています。
    問題は今に始まったことではないのです。

    昔、チャイナがいくつもの国に分かれて戦乱を繰り返していた時代がありました。
    その時代、日本は、平和と繁栄を手に入れていました。
    春秋戦国から五胡十六国の時代です。

    実は戦後の高度成長の時代も同じです。
    政治が右派と左派、ハト派とタカ派に分かれて、激しい対立と闘争を繰り返していた間、民間は、政治など信用せずに、子どもたちの未来のためにと、必死にみんなが働いていました。
    それが経済の高度成長を招きました。
    その経済成長に政治が関与した途端、日本経済が崩壊し、今なお日本経済は伸び悩みの時代のまま置かれています。

    と言うことは、政治のどこかが狂っている、歪んでいるのです。

    だから私たちは今、日本の、日本人による、日本人のための政治を実現しなければならないのです。
    そしてそのためには、国民経済、つまり国民の経世済民のための根幹となる日本人としての文化性を取り戻す必要があるのです。
    なぜならそれが日本経済の背骨だからです。


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    日本は自然環境の厳しい国です。
    けれど同時に、日本の自然環境は、私達日本人に恵みを与え続けてくれた環境でもあります。
    そうしたなかで、自然と育ったのが「尊敬と感謝の日本文化」です。
    私たちは、そういう日本古来の文化を、後世にしっかり伝えて行きたいと思っています。

    雲の種類と天気
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    台風が去ったら、風がめっぽう秋めいてきました。
    「天高く馬肥ゆる秋」とはよく言ったものです。
    涼しくなったら食欲も旺盛になるし、空を見上げれば、なんといっても雲が高い。

    夏の雲といえば、積雲に積乱雲(入道雲)です。
    積雲は高度が2千メートルくらい。
    積乱雲(入道雲)は、その積雲がもくもくと上空に立ち上がった雲で、てっぺんのあたりは高度が1万メートルにも達します。
    また、日本の夏は、気温だけでなく湿度も高い。
    このため低い位置に黒雲がわき、これが夕方頃に雨雲になって夕立を降らせたりします。
    雨雲のことを乱層雲と言いますが、低い雲で、高度は600mくらいからできます。
    もっとも高い乱層雲は、高度6000mにも達します。
    こうなると夕立というより、ゲリラ豪雨になります。

    秋になりますと、北からの季節風によって気温が下がり、空気も乾燥してきます。
    このため雲の位置がぐっと高くなり、それが巻雲や巻積雲といった秋の雲になります。
    こちらは高度が5,000 〜 15,000 mメートルくらいに達します。
    富士山(標高3776m)よりもずっと高。
    上層の雲は、ジェット機が飛ぶ高さ(高度約1万m)よりも高く、小さな氷の粒でできているので、まっ白に輝いて見えます。

    巻雲は、雲の仲間の中で一番高いところにできる雲です。
    別名を「すじ雲」と言います。
    ハケで掃いたみたいなスジになっている雲です。

    秋の美しい夕焼けになるのが、巻積雲。
    こちらは見え方によって、「うろこ雲」、「いわし雲」、「さば雲」などとも呼ばれます。

    「うろこ雲」は、空一面に巻積雲がひろがって、まるで空全体が魚のウロコみたいになったもの。
    「いわし雲」は、よく水族館などの水槽内で、イワシの大群がまるで巨大なモニュメントみたいにみえたりしますが、あのような感じで、スジ状の小さな雲がイワシの大群のようになって見える雲。
    「さば雲」は、まるでサバの背中のように、巻積雲が波打っている様子の雲です。

    これら巻層雲は、位置が高いので、それだけ日没後も長く夕陽を浴び続けることになり、これが秋の美しい夕焼け雲になりまるわけです。

    秋の雲


    さて、秋によく言われる「天高く馬肥ゆる秋」という言葉は、一般に杜審言(としんげん)の
    『贈蘇味道(そみどうにおくる)』という漢詩からとられた言葉とされます。
    要するに「天高く馬肥ゆる秋」も「中国様から半島を経由して日本がオクレて教わったもの」だとしたいわけです。
    けれど、杜審言の漢詩と、我々日本人がイメージする「天高く馬肥ゆる秋」では、実は意味がまるで違います。

    我々日本人は、「天高く馬肥ゆる秋」を(すこし詳しく言えば)
    「秋になると雲が高くなり、食べ物もおいしくなって、牛や馬たちも元気一杯になるよね。
     特に男子ときたら、まるで馬並みにモリモリとご飯をいっぱい食べる。
     そんなご飯のもとになるお米が収穫できるのも秋。
     秋って稔りと収穫と、そしてご飯をいっぱいもりもりおいしく食べれる季節だよね〜」
    といった、たいへん「おめでたい」用語としています。
    もっとも最近ではダイエットブームなので、秋は太り過ぎに注意といった意味にも用いられているようですが、いずれにしても日本人は、この言葉を、たいへんポジティブなものとして捉えているわけです。

    ところが杜審言の漢詩は、全然別です。
    たいへんマイナーな、陰キャラ的な歌なのです。
    もとになった歌は次の歌です。

    『秋高馬肥』
    北地寒応苦 南庭戍未帰
    辺声乱羌笛 朔气卷戎衣
    雨雪関山暗 風霜草木稀
    胡兵戦欲尽 漢卒尚重圍
    雲淨妖星落 秋深塞馬肥
    据鞍雄剣動 挿筆羽書飛
    輿駕還京邑 朋游満帝畿
    方期來献凱 歌舞共春輝

    意訳すると次のようになります。
    「北の大地は寒く苦しく
     南の宮廷に兵は未だ帰ってこない。
     国境では声が羌族の笛に乱され
     寒気のために戎衣(軍服)を身体に巻いていることだろう。
     雨や雪で関所のある山は暗く、
     風と霜で草木も疎ら。
     胡族の兵は戦いが終わって欲しいと願い、
     漢の兵は厳重に守るばかりだ。
     雲清くなり不吉なことが起こりそうだ。
     なぜなら秋が深まり敵の馬がたくましくなっているから。
     鞍に乗れば(馬上では)名剣が動き、
     筆を揺るがせば急を告げる手紙が飛ぶ。
    (人の乗る)輿と荷車は都へと還り、
     同朋は皇帝のいるこの地方に集まっている。
     勝鬨を献上することを誓って、
     歌い踊り春の輝きを共にしよう」

    原文の「雲淨妖星落 秋深塞馬肥」は、
    「雲浄くして妖星落ち、秋高くして塞馬肥ゆ」と読み下しますが、これはひとことでいえば、
    「馬が肥えるて長距離を走れるようになる」という意味です。
    体力をつけた馬に乗って匈奴が攻めて来る、だから友に、気をつけろよ」というわけです。

    杜審言は7世紀の軍事大国「唐」の官僚で、あの「国破れて山河あり」の詩を書いた杜甫の祖父にあたる人です。
    この歌は杜審言が、友人で同じく詩人でもあった蘇味道という人に贈った詩で、蘇味道はこの頃、北方の守備軍に書記として従軍していました。
    友の安全を気遣ったのが、この歌です。

    杜審言のいた唐は、最終的には度重なる匈奴の襲来で国力を落として滅んでいます。
    つまり、匈奴の侵攻は、唐の役人からしたら、まさに王朝の死活問題であったわけです。
    友人はその対匈奴の最前線にいます。
    いつ殺されるかわからないのです。
    だからせめて、春まで生き伸びてくれよ。
    そうして都に帰ってきたら、一緒に勝鬨をあげて、歌い踊り明そうではないか、と詠んでいるわけです。

    おかしな話で、この歌が、日本的な意味での「天高く馬肥ゆる秋」となったのは、
    「昔の日本人はアホだから、杜審言の詩の意味を取り違えたのだ」と解説されています。

    しかし違うと思います。
    むしろ、稔りの秋を寿ぐ習慣が、日本には古代からあり、空も高いし、馬たちも食欲旺盛になるし、人間もそれと同じように、みんな食欲がモリモリとでてくる。
    そのことについて、たまたま似たような意味を持つフレーズが杜審言の詩の中にあったから、その言葉を抜き出して日本流に楽しんだ、というのが正解なのではないでしょうか。
    実際、同じ唐の時代の杜甫の詩の「国破有山河(国破れて山河有り)」は、漢詩の意味がそのまま日本国内で普及しています。

    ではどうして日本人が杜審言の歌を別な意味に抜粋したのかというと、
    それは「日本が遅れていたから」ではなく、むしろ日本には、チャイナとはまったく別な文化性が育っていたからだということができます。

    たとえば戦後の日本は、米国たくさんのカタカナ英語を採りいれましたが、その中には、本来の英語の意味とはぜんぜん別な意味に使われている単語がたくさんあります。
    どうしてそうなるかといえば、日本人が、単に英語をカタカナにしているのではなく、日本の文化的の土壌の上に、カタカナ英語を採りいれているからです。

    杜審言の『秋高馬肥』の歌も同じです。
    杜審言の漢詩は漢詩として楽しむ。
    けれど、もとからある「食欲の秋」に、たまた似た意味のフレーズが杜審言の漢詩にあったから、そこに寄託して「天高く、馬肥ゆる秋」を慣用句として用いたのです。

    なんでもそうですが、漢詩にせよ漢文にせよ英語にせよ、なんでもかんでも日本は劣っていて、何もかも余所の国から教わったのだというように子供たちに教えたり、解釈したりすることは、よろしくないと思います。
    そういうものは、情報操作に軽々と乗せられてしまった、あわれな愚行であると、断じさせていただきたいと思います。

    日本語にカナ(カナは神名(かな)ともいいます)があり、漢字に訓読みがあるように、我々の祖先は、もとからある大和言葉による日本文化という土壌の上に、輸入文化を日本風にアレンジして導入してきたのです。

    似て異なるのが、漢字文化と日本文化です。
    両者を混同するだけでなく、漢字文化が日本文化よりも上位に位置するのだというように、そもそも物事を上下関係でしか捉えようとしないということ自体が、日本的思想からは外れているのです。
    これは特に戦後の文系学会の、大きなはき違いの最たるものであろうと思います。
    あたりまえです。
    文化に上下など、あろうはずがないのです。

    それぞれの国の、それぞれの風土の中で培(つちか)われてきたものが文化です。
    地震のない国と、常に地震の脅威にさらされている国では、その建築文化に違いがあるのは当然です。
    内陸部で海がなく、塩分は動物の肉からしか取れない国や民族と、四方を海に囲まれて、いつでも塩分もタンパク質も摂取できる国では、食文化だって異なります。
    要するに文化に上下などない。

    さて、秋の雲といえば羊雲。
    その羊雲を、天皇の大喪の礼の際の弔問の人々に見立てた歌が万葉集にあります。
    日本は自然環境の厳しい国ですが、同時にその自然環境は、常に私達日本人に恵みを与え続けてくれた環境でもあります。
    そうしたなかで、おのずと備わった尊敬と感謝の日本文化。
    こういうものを、我々は後世にまで、しっかりと伝えて行きたいと思っています。


    ※この記事は2014年9月の記事を大幅にリニューアルしたものです。
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  • 苦しいこともあるだろさ、悲しいこともあるだろさ


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    20220917 ひょうたん島
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    「ひょっこりひょうたん島」をご存知でしょうか。
    そのひょうたん島のテーマソングに、次のような歌詞がありました。

    〜〜〜〜〜〜〜〜
    ひょうたん島は どこへ行く
    ぼくらを乗せて どこへ行く
    丸い地球の 水平線に
    何かがきっと 待っている
    苦しいことも あるだろさ
    悲しいことも あるだろさ
    だけど ぼくらは くじけない
    泣くのはいやだ 笑っちゃお!
    進め
    ひょっこりひょうたん島

    〜〜〜〜〜〜〜

    苦しいことも あるだろさ
    悲しいことも あるだろさ
    だけど ぼくらは くじけない
    泣くのはいやだ 笑っちゃお!


    これこそが日本主義の原点なのではないか。

    日本人は、西欧的保守のような神の楽園であるエデンの園や、共産主義思想にある人類の理想の地であるユートピアのような思想を持ちません。

    そのような、あるかないかわからない世界を希求すること自体を、古来日本人は、非現実的とみなしてきました。

    では、日本人は何を理想とし、何をもって未来を切り拓こうとしているのか。
    それが、
    〜〜〜〜〜〜〜
    苦しいことも あるだろさ
    悲しいことも あるだろさ
    だけど ぼくらは くじけない
    泣くのはいやだ 笑っちゃお!
    〜〜〜〜〜〜〜
    です。

    日本神話は、日本の古い時代の神々の物語です。
    そしてその神話にあるお話は、たとえば因幡の白ウサギが、ワニに嘘をついたから皮を剥がれた、ということが大事なのではなくて、そういう経験を経て「成長すること」が大事だと教えてくれているように思うのです。

    そして、苦しいこと、辛いことがあっても、なお、くじけずに強く、笑って生きて行く。
    それが日本神話が日本人に与えてくれた日本の心です。

    左の人たちや、日本にいて日本語を話し日本人のような顔をしている日本人を嫌う人たちも、結局は、こうした日本的文化のもとでなければ、自分たちの主義主張を発信することはできません。
    そして気がつけば、反日と言いながら、日本的文化に染まっている。

    このことが意味していることは、
    日本文化には「あらゆる主義主張を超えた普遍性がある」ということです。
    日本を否定することは、普遍性を否定するということなのです。

    普遍性の反対は刹那性です。
    つまり「いまだけ、カネだけ、自分だけ」です。
    それらは本来の日本的価値観ではないのです。

    日本をかっこよく!
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    文化に上下など、あろうはずありません。
    文化とは、それぞれの国の、それぞれの風土の中で培(つちか)われてきたものだからです。
    地震のない国と、常に地震の脅威にさらされている国では、その文化環境に違いがあって当然です。
    内陸部で海がなく、塩分は動物の肉からしか取れない国や民族と、四方を海に囲まれて、いつでも塩分もタンパク質も摂取できる国では、食文化だって異なります。あたりまえのことです。
    要するに文化は、必然なのであって、そこに上下はありません。

    20200929 ひつじ雲
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    風がめっぽう秋めいてきました。
    「天高く馬肥ゆる秋」とはよく言ったもので、あの暑かった夏はどこへやら。
    だいぶ涼しくなってきて食欲も旺盛になるし、空を見上げればなんといっても雲の位置が高いです。

    ちなみに、夏の雲といえば、積雲に入道雲(積乱雲)ですが、積雲というのは、だいたい高度が2千メートルくらい。積乱雲(入道雲)は、その積雲がもくもくと上空に立ち上がった雲で、てっぺんのあたりは高度が1万メートルくらいに達します。
    夏は、湿度が高いので低い位置に雲ができやすく、これが夕方には雨雲になって夕立を降らせたりします。
    このときの雨雲は乱層雲で、やはり高度は2千メートルくらいです。

    ところが秋になりますと、空気が乾燥してきて、雲の位置がぐっと高くなります。
    秋の雲といえば、巻雲、巻積雲などですが、こちらは高度が1万3千メートルくらい。
    たいへん高いところにある雲です。

    巻雲というのは、雲の仲間の中で一番高いところにできる雲で、「すじ雲」とも呼ばれます。
    ハケで掃いたみたいなスジになっている雲です。

    夕焼け雲になるのが、巻積雲です。
    巻層雲は、見え方によって、「ひつじ雲」、「うろこ雲」、「いわし雲」、「さば雲」などと呼ばれます。

    「ひつじ雲」や「うろこ雲」は、空一面に巻積雲がひろがって、まるで空全体が魚のウロコみたいになったもの。
    「いわし雲」は、よく水族館などの水槽内で、イワシの大群がまるで巨大なモニュメントみたいにみえたりしますが、あのような感じで空に見える雲。
    「さば雲」は、まるでサバの背中のように、巻積雲が波打っている雲です。

    巻層雲は、位置が高いので、それだけ日没後も長く夕陽を浴び続けます。
    これが秋の美しい夕焼け雲になります。

    この巻層雲を、天皇の大喪の礼のときの弔問客に見立てた歌が万葉集にあります。
    第41代持統天皇の御製です。

     北山につらなる雲の青雲の
     星(ほし)離(さか)り行き
     月も離(さか)りて
    (原文:向南山 陳雲之 青雲之 星離去 月矣離而)

    この歌は、夫の天武天皇が崩御されたときの葬儀のときに、皇后陛下であられた持統天皇が挽歌として詠まれた和歌です。
    この歌にある「つらなる雲(陳雲)」というのが、まさに「うろこ雲」のことで、大喪の礼に参列したたくさんの弔問客を、空いっぱいにひろがったうろこ雲に例えています。
    意訳すると次のようになります。

    北枕でご安置された天武天皇の涙のご遺体   向南山
    空に浮かぶ羊雲のように連なった参列の人々  陳雲之
    高い徳をお持ちだった天武天皇は       青雲之
    世を照らす光となって離れ去られました    星離去
    歳月もまた過ぎ去りました          月矣離而

    偉大な夫を失なわれた持統天皇の深いお悲しみと、夫の偉業を受け継いで、これからは自分が天皇としてすべてを背負っていかなければならないという決意を込めた、悲しく、美しく、それでいてとっても力強い響きの歌です。

    うろこ雲ができる秋は、雲が空高く、だから「天高く馬肥ゆる」ともいいます。
    この言葉が杜審言(としんげん)の『贈蘇味道(そみどうにおくる)』という漢詩から生まれた言葉だという説がありますが、これはとんでも説です。
    なぜなら、杜審言の漢詩が持つ意味と、日本語の「天高く〜」では、意味がまったくことなるからです。
    杜審言という人は、7世紀の軍事大国「唐」の官僚で、「国破れて山河あり」の詩を書いた杜甫の祖父です。

    杜審言の書いたこの漢詩は、原文に「雲淨妖星落 秋深塞馬肥」とあり、
    「秋になって雲が高くなって空気が澄んで来る季節になると、北方の遊牧民である匈奴たちの馬は、夏草をいっぱい食べて、今頃は太ってきているであろう。そうなると、匈奴がまた南に下って攻めて来るので、気をつけてくれよ」と友人に伝えた詩です。
    杜審言が所属した唐の国は、最終的に匈奴の襲来で国力を落として滅んでいますから、彼らにとって、北の匈奴の動向は死活問題であり、そのことが歌に読み込まれているわけです。

    この歌の中に「馬肥」の二字が入っているから、昔の日本人が杜審言の詩の意味を取り違えて、「天高く馬肥ゆる秋」という慣用句を造語したのだというのが、いまの主流となっている説ですが、たまたまチャイナの古典漢詩に「馬肥」の二字があったからといって、そこまでこじつけるのは、かなり無理があると言わざるを得ません。

    むしろ、稔りの秋を寿ぐ習慣が、日本には古代からあり、秋の空は高いし、馬たちも食欲旺盛になるし、人間もそれと同じように、みんな食欲がモリモリとわいてくる。
    そのことについて、たまたま「馬肥」の二字が杜審言の漢詩にあったから、それも含めて日本流に楽しんだ、というのが実際のところであったろうと思います。

    こうしたこが起こるのは、我が国がチャイナ以上に深い文化を持っていたからで、ただ外国のものをありがたがったということではない、という点に注意が必要です。
    半島系の人は、すぐに「どちらが上か、どちらが下か」というように思考回路が働きますから、「天高く馬肥ゆる」も「父にあたるチャイナ様が発祥であり、それを我々半島人が兄として、オクレた日本に教えてやったのだ」といいたいのでしょが、まったくの間違いです。

    チャイナで生まれた老麺(ろうめん)が、日本で「ラーメン」として発展し、さらに美味しくなって世界に広がり、現代チャイナでも、日本式ラーメンが、とても美味しいと喜ばれる。
    あるいは、中国生まれの餃子が、日本でさらに美味しい食品となり、チャイナでも、その美味しさの秘宝をさらに工夫して、また新たな餃子が誕生する。

    カレーは、もともとインドの食品だけれど、いまや世界中で食され、英国風カレーもあれば、フランス風のカレーもあるし、我が日本のカレーライスもある。
    大切なことは、民衆のよろこびにあり、よろこびや、楽しさ、あるいはおいしさ、といったものが、様々な国のさまざまな人達によって、切磋琢磨し、工夫されることで、よりよいものへと発展していくことが大事なのです。

    自動車は、1769年にフランス陸軍の技術大尉ニコラ=ジョゼフ・キュニョーが製作した蒸気自動車がその原型であったとされていますが、だからフランスが上だとか言い出したら、それこそ世界の物笑いです。
    フランスで生まれ、米国でこれがガソリンエンジン車へと発展し、フォードが量産型の自動車を出し、さらに世界中で工夫や改善が施されることで、いまや自動車は世界各国の主要産業です。
    もちろんいまでは、チャイナ産の自動車もあれば、コリア産の自動車もあります。
    それをフランスが、大本はフランスの蒸気自動車(当時は時速3キロでしか走行できなかった)なのだから、フランスが上だと米国が言い出したら、それこそ世界の物笑いです。
    「天高く馬肥ゆる」が「父にあたるチャイナ様が発祥云々」を言うのは、これと同じです。
    アホのたわごとにすぎない。

    似て異なるのが、チャイナやコリアの文化と日本文化です。
    両者を混同するだけでなく、漢字文化が日本文化よりも上位に位置するのだというように、そもそも物事を上下関係でしか捉えようとしないということ自体が、日本的思想からは外れているのです。

    そもそも文化に上下など、あろうはずがないのです。
    文化とは、それぞれの国の、それぞれの風土の中で培(つちか)われてきたものです。
    地震のない国と、常に地震の脅威にさらされている国では、その建築文化に違いがあるのは当然です。
    内陸部で海がなく、塩分は動物の肉からしか取れない国や民族と、四方を海に囲まれて、いつでも塩分もタンパク質も摂取できる国では、食文化だって異なります。

    文化に上下など、あろうはずありません。
    文化とは、それぞれの国の、それぞれの風土の中で培(つちか)われてきたものだからです。
    地震のない国と、常に地震の脅威にさらされている国では、その文化環境に違いがあって当然です。
    内陸部で海がなく、塩分は動物の肉からしか取れない国や民族と、四方を海に囲まれて、いつでも塩分もタンパク質も摂取できる国では、食文化だって異なります。あたりまえのことです。
    要するに文化は、必然なのであって、そこに上下はありません。

    ただし、環境が異なれば、そこで育まれる文化が異なるものになるのもまた当然です。
    それを無理やり一緒くたにしようとすれば、無理が生じます。
    そして無理は、必ず民衆を苦しめることになります。

    大陸では、国境は陸続きです。
    そうであれば、常に国は他国からの侵略に苦しめられることになります。
    国同士が仲良くしても、どこのどんな世界にも、どうしようもない悪者はいるものなのです。
    その悪者が国境を越えてくれば、そこで必ず悪さをする。
    人が殺されたり、大切なひとが奪われる。
    だから、国をあげて、国の守りをします。
    そうでなければ、人々が安全に安心して暮らすことができないからです。

    その国の守りには、費用がかかります。
    大勢を動員できる力も必要になります。
    だから国王をはじめとした、一部のリーダーが、富を独占します。
    そうでなければ、国も個人も守れないからです。

    けれど海に囲まれた国の海洋族は異なります。
    他国からの侵略からは、海が護ってくれます。
    時折悪者がやってきても、圧倒的多数の民衆によって、それら悪者は退治されます。
    それに、富は(富というのは貨幣が生まれる前は食べ物のことですが)海が提供してくれます。
    だから民衆は、いちいち国王の言うことなど聞く必要がないのです。
    自分たちで生活できるからです。
    それに、富を得るのには、人を殺して厄介事を起こすより、海でいくらでも得ることができます。
    だから、人を殺したり、奪ったりという文化が育たないし、奪われることから身を守るという文化も育ちません。
    その代わり、互いに助け合い、協力しあうという文化が育まれます。

    日本は、そうした海洋性文化の上に、稲作文化が発達しました。
    冷蔵庫がなかった時代に、米は唯一、長期保存が可能な食物です。
    だから稲作もまた、できた作物を奪うのではなく、みんなで協力して保存するという文化が育まれています。

    要するに文化の成り立ちが違うのです。
    そんな日本人だから、他国に行っても、奪うよりも、その国の人々の助けになるように動きます。
    大昔も、今もです。

    そんな日本が、いま、大陸的な「奪う文化」に侵されています。
    けれど、奪う文化は、日本の風土気候には馴染みません。
    なぜなら日本は、天然の災害が多発する国だからです。
    人からいくら奪っても、ひとたび災害がやってくれば、全部失うのです。
    結局は、日本人は、互いに協力しあって、日頃から災害に備える生活しかできないのです。
    そういう風土だからです。

    過去の歴史を振り返ると、外国からやってきた様々な文化は、長い歳月をかけて、ことごとく日本化していきました。
    排他的な宗教さえも、日本では民衆のためのものへと変化しています。
    資本家が、経営力のある者を使って金儲けをさせて、その上がりをいただくという西洋的企業概念は、日本にはもともとなかったものです。
    日本では、企業は働く人達のものであり、お客様に最高の便宜をお届けするものです。
    明治以降の法は、西洋の猿真似であるがゆえに、国は、企業を資本家のものとしました。
    いまの商法もそういう構造になっています。

    けれど、そのことが多くの日本人にとって幸せといえるかは、まったく別物です。
    そのことに現在、多くの日本人が気付き始めています。
    日本は必ず変わります。
    そしてそれは、必ず良い方向に変わります。
    変えるのは、私たち国民です。


    ※この記事は2014年9月の記事のリニューアルです。

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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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