• 8月16日に思う、感謝の心


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    「持てる力」というのは、現状への批判だけではないはずです。
    より良い未来のための建設的意見や先人への感謝、愛と慈しみ、人々の協力、対立ではなく融合と結び、悪を認めない強い意志など、憂うよりも、もっとはるかに建設的なものであるはずだと思うのです。

    20200808 幸せ
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    歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
    小名木善行です。

    終戦の日が終わり、8月16日になりました。
    昭和20年8月16日といえば、スターリンが北海道北部のソ連による占領を提案し、これを米大統領のトルーマンが拒否して「日本を分割統治せず」と声明した日です。

    これを受けたスターリンは、その二日後に千島列島東端の占守島に軍事侵攻。
    1日で占領すると豪語していたものが、すでに武装を解いていた日本軍に猛烈に反撃されて、ついに撃退寸前にまで追い詰められてしまい、結果としてソ連はついに北海道侵攻ができなくなったという歴史があります。

    このソ連による日本への軍事侵攻には、実はもともとの伏線があります。
    昭和20年2月18日に、ソ連のクリミアにあるヤルタ近郊のリヴァディア宮殿で米英ソの首脳会談です。
    この会談では、チャーチル、ルーズベルト、スターリンの三者が集って、「ソ連の対日参戦、連合軍(United Nations)の設立、ドイツおよび中部・東部ヨーロッパにおける米ソの利権調整を図ろうとした」とされています。

    ところがこの会談、なんと8日間も行われているのです。
    なぜズルズルと続いていたのかというと、その会談の途中で、ルーズベルトのもとに、マンハッタン計画による原爆実験成功との報告がもたらされたのです。
    原爆があれば、日本を屈服させることができると考えたルーズベルトは、それまでさんざん長引かせていた会談を、そくさくと切り上げています。

    切り上げられたソ連は、このままでは太平洋戦役からソ連が外される(このことはソ連によるチャイナ支配にも多大な影響をもたらします)ということで、4月5日には日ソ中立条約を延長しないと日本に通告しました。
    4月30日にはヒットラーが自殺し、事実上ナチス・ドイツが崩壊しています。
    これによってスターリンは、ヨーロッパ戦線に展開していた120万の軍隊を太平洋側に、シベリア鉄道を使って大転進させていきます。

    こうして太平洋側に転進したソ連軍は、合計160万の大軍となり、昭和20年8月8日午後11時に、ソ連のモトロフ外務大臣より日本の佐藤尚武駐ソ連特命全権大使に対日参戦が伝えられ、2時間後の同9日午前1時には、ソ連軍による対日攻撃が開始されています。

    一方日本は、ヤルタ会談以前から、日米戦争の停戦交渉にソ連に介入してもらおうと外交交渉を続けていました。
    これは日ソ中立条約があったためでした。
    その日本の目論見は、米の原爆実験成功のもとに、もろくも崩れ去ったわけです。

    歴史を振り返れば、もしこのとき、米国が原爆の開発に成功せず、ソ連がヤルタ会談で日米戦争の仲介を申し出て、これが採択されていれば、確実に言えることは、日本が東西に分割統治され、東日本は共産国、西日本は米国の占領下となっていたであろうということです。

    そしてそうであれば、その後の日本の繁栄は有りえず、日本の繁栄がなければ、東アジア全域の繁栄も有りえず(東アジアの戦後に独立した諸国は、日本の援助によって独立後の国家経済を形成しています)、日本では、フィリピンがそうであったように、日本人の子供が、いまなお、ゴミの山で暮らすことになり、思想対立による日本国内のテロ活動が盛んになり、間違いなく言えることは、いまの日本の平和も安定も、絶対に築けていなかったであろうということです。

    日本は原爆を二発も落とされるというたいへんな被害に遭いましたが、それでも、原爆無しで、代わりに米ソによって日本が分割統治される事態であったならば、原爆とは比較にならないほどの甚大な被害が起こり、おそらく戦後75年を経過した今日においても、日本はあの終戦直後のような悲惨な状態が、今なお続いていたのではないかと思います。

    そう考えてみると、当時の日本の政府の意向であったソ連に停戦の仲介をしてもらうという案と行動は、結果から見れば、それが実現できなくてほんとうによかったといえるし、ヤルタ会談の席上で原爆成功との報告がルーズベルトにもたらされたことも、もしかしたらそれこそ八百万の神々のご神意であったのかもしれないと思えます。

    米ソの攻撃によって、日本は甚大な被害を蒙りました。
    そして民間人にも多大な損害が出ました。
    まさにこの世の地獄とはこのことを言うのではないかといえるほどの、悲惨がありました。

    けれど、我々日本人の民間人の損失は、およそ39万人です。
    第二次世界大戦における民間人の被害者の総計は、世界全体ではおよそ8000万人、当時の世界の人口のおよそ2.5%です。
    比率からするならば、当時の日本の人口はおよそ8000万人ですから、日本人の民間人も200万人以上の犠牲が出ていなければならない。
    それがわずか0.5%の被害で済んだのは、(もちろん被害者となった方々はあまりに気の毒なことでしたが)、むしろ僥倖ともいえることであったといえるのではなかろうかと思います。

    ソ連だけ見ても、昭和14年の時点でソ連の人口は1億9000万人ですが、先の大戦で戦闘員、民間人合わせて2700万人が犠牲になっています。日本の10倍です。
    ドイツも同年の総人口7000万人のうち、およそ850万人が犠牲になりました。これまた日本の4倍です。

    日本の犠牲者は、戦闘員、民間人合わせて210万人です。
    世界の戦場を考えれば、日本の被害は(決して喜ぶようなことではないけれど)、極めて少ないものであったのです。

    本土空襲に遭い、原爆まで落とされ、ソ連の対日参戦がありながら、それでもなお、日本の損害が少なかった理由はなにか。
    それは戦闘員、民間人の死者の割合に明確に出ています。
    先の大戦による日本の死者は、戦闘員174万人、民間人39万人です。
    そして(繰り返しになりますが)日本の人口は8000万人です。

    この数字が示すもの。
    それは、帝国軍人が、多大な損失を出しながらも、勇敢に、そして立派に戦ってくださったおかげで、《多くの民間人の命が守られた》という事実です。

    私たちは、そうした、若き日の父や祖父のはたらきによって、いま、この命をいただいています。
    そしてその命は、ただただ若き日の父や祖父が、未来の日本がやすらかな世になることを願って、それこそ命がけで戦ってくださったおかげで、いただくことができた命です。

    そのことに感謝の思いを常に忘れないこと。
    それは、日本人としての、ごく自然な、ごくあたりまえの、そしてしごくもっともな、常識とすべきものであろうと思います。

    よく「お金持ちになりたい」という方がおいでになります。
    ある大金持ちになられた方が言っていました。
    「お金持ちになりたいなら、
     お金にいつも感謝する気持ちを持ちなさい」と。

    日本が幸せな国になりたいのなら、そこに必要なことは、対立でもなければ闘争でも有りません。
    たいせつなことは、先人たちへの感謝の思い、そしていまの日本への感謝の思いです。

    現状を憂うのは、良いことです。
    けれどそれは、現状に優れた資質がある場合に限られます。
    幕末の日本は、まさに現状を憂いて維新を行いました。
    けれどこのときは、民衆の民度も高かったし、憂いた志士や幕臣たちの民度も極めて高いものでした。
    そうした高い資質に支えられたからこそ、つまり根底に高い民度があったからこそ、日本は明治国家の建設が可能であったのです。

    ひるがえって現在を見るに、物質的には幕末とは比較にならないほど日本は恵まれた国になっていますが、では人の民度はどうなのかといえば、東日本大震災に現れたように、民衆における民度はまだ一定以上の民度を保持していると言えますが、行政司法立法の政治の三権や実業界には、金儲けへの強い渇望はあっても、民度の高さが保持されているとは、客観的にみてとても思えません。

    思えませんが、それらを憂いて否定したところで、否定だけでは何も生まれません。
    むしろ、怒りや妬みや否定の感情で迎えられる未来がどのような未来になるのか。
    そちらの方が多くの人々に「怖い」と感じられてしまうのは、ある意味、当然のことということができます。

    要するに「憂う」だけではダメなのです。
    より建設的な明るい未来への確信が必要なのです。

    私たちのご先祖は、日本を豈国(あにくに)=喜びあふれる楽しい国にしようと、真面目に努力を積み重ねてきました。
    今から1300年前の古事記や日本書紀や万葉集などは、まさにそのために書かれたものと言えます。
    記紀が全国の神話を網羅していないとか、別な神話が存在しているとか、書かれている神話の内容が別な文献と違うなど、様々な議論がありますが、記紀はあくまで、「よろこびあふれる楽しい国」を築くためという目的を持って、その目的に合ったものを物語として記述しています。何事にも理由があるのです。

    そしてこうした記紀や歌集が生まれることで、1300年の時を超えた現在まで、私たちの国は、いまだに高い民度を保持し得ています。
    昭和天皇は、終戦の御詔勅で、
    「持てる力の全てを未来の建設に傾けよ」と仰せになられました。
    その「持てる力」というのは、現状への批判だけではないはずです。
    より良い未来のための建設的意見や先人への感謝、愛と慈しみ、人々の協力、対立ではなく融合と結び、悪を認めない強い意志など、憂うよりも、もっとはるかに建設的なものであるはずだと思うのです。

    馬鹿を捕まえて、馬鹿だと罵ったところで、良い国は生まれません。
    馬鹿でも人々のために役立って生きることができる国にしていくことが大事なのだと思います。

    自分は自分を馬鹿だと思っています。
    けれど馬鹿にも馬鹿の人生がある。
    より良い未来のためならもっと馬鹿になるし、そのためにもっと明るい馬鹿になろうと思っています。


    ※この記事は2020年8月の同日記事のリニューアルです。
    お読みいただき、ありがとうございました。
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  • 阿修羅像に学ぶ日本精神


    8月14日(土)に靖國神社昇殿参拝を行います。
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    詳細は → https://nezu3344.com/blog-entry-4963.html

    阿修羅像(奈良・興福寺)
    20171027 阿修羅像
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    奈良の興福寺といえば、法相宗大本山で、藤原鎌足、藤原不比等親子ゆかりの寺院であり、また藤原氏の氏寺としても知られています。
    このお寺は、奈良時代には四大寺、平安時代に七大寺の一つに数えられるほど、強大な勢力を誇ったお寺でした。
    鎌倉時代・室町時代には幕府は大和国に守護を置かずに、興福寺にその任を委ねています。
    また徳川政権下においても、興福寺は知行2万1千余石を与えられ、大名に並ぶ権威を持っていました。

    興福寺といえば、有名なのがトップの画像にある阿修羅像です。
    奈良時代の作とされ、現在は国宝。
    像の高さは153.4cmです。

    現代日本人の20歳以上の身長の平均は、男性が167.3cm、女性154.2cmですが、先の大戦中は男が160cm、江戸時代から明治初頭では155cmでした。
    ですからおそらくこの阿修羅像は、当時の日本人の成人男性の平均身長くらい、つまりほぼ等身大であったろうといわれています。

    この阿修羅像、本当に複雑な表情をしています。
    戦前の小説家の堀辰雄は、1941年10月に、当時奈良国立博物館に寄託展示されていた阿修羅像に目を留めて、その表情について、
    「何処か遥かなところを、
     何かをこらえているような表情で、
     一心になって見入っている。
     なんというういういしい、
     しかも切ない目ざしだろう」
    と描写しています。
    わかる気がします。

    ところが不思議な事があります。
    何が不思議かというと、この像の名前が阿修羅像であることです。

    阿修羅というのは、古代インドのサンスクリットの語の「 asura」を漢字表記したものです。
    「sura」は、生命や生存を意味します。
    「a」は、その否定形です。
    つまり「a-sura」は、生命や生存(sura)を否定する、つまり生きることを否定するという意味を持ちます。
    つまり仏に仇なす敵の生存を否定する。
    だから阿修羅というのは、仏敵を倒し滅ぼし征圧する闘争の神様とされます。
    これは阿修羅を単に修羅と書いても同じ意味です。

    その阿修羅は、もともと闘争神であったけれど、須弥山で釈迦に帰依した後は、釈迦を外護し、仏敵を滅ぼす闘争の神様となりました。
    つまり阿修羅は、本来はたいへんに勇ましい神様なのです。

    ところが興福寺のこの阿修羅像は、そんな戦いや闘争よりも、むしろ物悲しさを感じさせる表情をし、しかも両手を合わせて合掌しています。

    ちなみに下にあるのは、同じく興福寺にある因達羅(いんだら)大将像です。
    こちらは十二神将のうちの一柱ですが、まさに勇ましさを絵に描いたようなお顔をされています。
    しかし、ではどうして阿修羅像は、戦いの神様なのに、この因達羅大将のような剛勇なお顔に描かれていないのでしょうか。

    因達羅大将像
    20171026 因達羅大将像


    実はここに日本的人物観の特徴があります。

    阿修羅は、この十二神将よりも高い地位にある神様です。
    要するに将軍達の中の大将軍の地位にあります。

    大将軍であれば、数々の戦いを指揮します。
    そして戦いがあれば、たとえそれが勝ち戦であったとしても、敵味方に数多くの死傷者が出ます。
    その一人ひとりには、家族がいます。
    親がいて、妻がいて、子がいて、友がいます。
    ひとりの死は、数多くの家族や友人たちに悲しみをもたらします。

    将は、戦いに勝つことが使命ですが、実は同時にそのすべての悲しみを背負う立場でもあります。
    乃木大将もそうでした。
    乃木希典大将については、司馬遼太郎などはさんざんですが、実は乃木大将は、難攻不落の要塞戦である旅順戦を、世界史上類例のない短期間、そして世界史的には驚くほど最小の兵の損耗で制した、世界の陸戦史上、ある意味最も名高い名将軍でした。

    そして乃木大将は、日露戦争の戦没者の供養にと、私財を投げ売って、全国の神社に「忠魂碑」を寄進された方でもあります。
    それだけではありません。
    戦傷者として、戦いの最中に腕を失った兵たちのためにと、自ら義手を研究開発し、世界に例のないモノを掴んだり、字を書くことまでできる、現代世界のコンピューター制御の義手でさえできないすごい義手を考案し、これを戦傷兵達のために、これまた私費で寄贈したりまでされた方です。

    その乃木大将のお写真を見ると、やはり阿修羅像のごとく、悲しみを背負った目をしておいでです。
    人には、戦わなければならないときというのは、あるのです。
    そして悲しいことに、戦いは多くの悲しみを生みます。
    その悲しみを背負うこと。
    もしかすると、それが将軍なのかもしれません。

    だからこそ、奈良時代に造られた阿修羅像は、まさに、悲しみをその表情にたたえているということができます。
    そして、いわゆる仏教国というのは、世界に多々ありますけれど、世界の中で、阿修羅像に、十二神将のような豪壮さではなく、こうした悲しい表情を蓄えさせた彫刻を施しているのは、実は日本だけです。

    しかし乃木大将は、日常的に悲しい表情だったわけではありません。
    体中からオーラを発しているかのような、気品と凄みを両立された方であったといわれています。
    実は阿修羅像のお話にも、後日談があるのです。

    下の写真は、松永忠興氏という、我が国仏教彫刻の復元模造の第一人者が復元した阿修羅像です。
    もちろん本物を装飾したのではありません。
    本物と寸分たがわぬレプリカを作り、本物の表面にわずかに残された塗料の成分を分析して、作られた当時の像を再現するのです。

    すると阿修羅像は、前身が真っ赤な憤怒色で塗られ、口には髭が蓄えられていたことがわかりました。
    そして目もとの化粧などを、復元してみると、そこに現れたのは、悲しみの表情ではなく、身分の高い貴族の大将軍のお顔立ちが出てきたのです。

    松永忠興氏による復元模造。
    20171027 阿修羅像復元


    将は、悲しみを背負うものと上に述べました。
    けれど、同時に上に立つ者は、その悲しみをこらえて、何事もなかったかのような表情をたたえるものである、という思想が、なんとこの阿修羅像には施されていたのです。

    化粧を外せば、そこにある素顔は、まさに悲しみを背負った表情です。
    けれど化粧を施したお顔は、はっきりとした強い意思をたたえ、十二神将たちの猛将を従えた立派な貴族の表情なのです。

    この奥深さ、この芸術性。
    それがなんと、いまから1300年前の日本の奈良時代の芸術なのです。


    ※このお話は2017年10月の記事の再掲です。
    お読みいただき、ありがとうございました。
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  • 素子へ 植村海軍大尉の遺書


    8月14日(土)に靖國神社昇殿参拝を行います。
    受付開始は13時から。靖國神社参集殿正面入口前です。お志のある方、どなたでも参加可です。皆様のご参加をお待ちします。
    詳細は → https://nezu3344.com/blog-entry-4963.html

    お父さんが最期に残した遺書は、娘への手紙でした。
    お父さんは、なににも代え難い愛を遺しました。
    親から子へ、子から孫へ。
    日本人のDNAはずっと変わらずに受け継がれています。

    20160614 花嫁人形
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    はやいもので、もう8月になりました。
    毎年、この時期にご紹介しているのが、植村眞久(うえむらまさひさ)海軍大尉の遺書です。
    今年もまたご紹介します。
    この遺書は、かつてあるテレビ番組で、鶴田浩二が朗読して、途中から涙でむせてしまった遺書です。

    先般、たまたま晩飯に入ったお店でテレビがついていて、そこで「世界衝撃映像100連発」とかいう番組をやっていました。
    youtubeで公開されている事故などの衝撃映像を見て、番組のコメンテーターたちが、笑いながら値段を付けるという番組でした。
    いかにも濊系の顔立ちのキャストが、ニヤニヤと笑いながら、場を仕切りまくっていましたが、人が大怪我をしたりする場面を見て、それを笑いものにす。
    それどころか、その不快な動画に値段を付けてランキングするという、極めて低俗な番組でした。
    胸が悪くなり、食事もそこそこに、思わず店を出てしまいました。

    個人が動画を投稿し、それをまた個人が愉しむなら、それはそれで良いのです。
    しかし公の、全国ネットの放送局が、その手の動画を扱うのはいかがなものかと思います。
    そもそも、人が大怪我をしたりすることを観て、値段をつけるなどという最低の番組が、果たして放送倫理に照らしていかがなものか。

    そもそも、何にでも上下関係を付けたがる半島出身者にとっては、それは常識なのかもしれませんが、日本人の目からみたら、それは異常行動にしかみえません。

    セブ島に戻った植村大尉は、二隊に分けられた大和隊のうちの一隊を指揮して、「神風特別攻撃隊大和隊、第一隊隊長」として出撃されました。
    目標は米国海軍T・L・スプレイグ艦隊でした。

    米艦隊は他の艦隊からの補充を合わせ、全戦闘機60機を上空に配置して、日本機の攻撃を待ち受けました。
    植村隊3機は、60機の米軍戦闘隊と遭遇し、重たい爆弾を機体に吊り下げたまま激闘し、敵機の猛攻と、海上からのさかんな対空砲火をかいくぐって、米機動艦隊に特攻を敢行しました。
    そして敵艦隊を大破炎上させ、特攻を成功させ、散華されています。

    その植村大尉は、出撃前に、生後3ヶ月になる一人娘の素子さんに手紙を書いています。

     ***

    素子へ

    素子は私の顔を
    よく見て笑いましたよ。
    私の腕の中で眠りもしたし、
    またお風呂に入ったこともありました。

    素子が大きくなって
    私のことが知りたい時は、
    お前のお母さん、
    佳代叔母様に
    私のことをよくお聞きなさい。

    私の写真帳も
    お前のために
    家に残してあります。

    素子という名前は
    私がつけたのです。
    素直な、心の優しい、
    思いやりの深い人に
    なるようにと思って、
    お父様が考えたのです。

    私はお前が大きくなって、
    立派なお嫁さんになって、
    幸せになったのを
    見届けたいのですが、
    もしお前が
    私を見知らぬまま死んでしまっても、
    けっして悲しんではなりません。

    お前が大きくなって、
    父に会いたいときは
    九段にいらっしゃい。

    そして心に深く念ずれば、
    必ずお父様のお顔が
    お前の心の中に浮かびますよ。

    父はお前が幸福者と思います。
    生まれながらにして
    父に生き写しだし、
    他の人々も
    素子ちゃんをみると
    真久さんにあっている様な気がすると
    よく申されていた。

    またお前の伯父様、叔母様は、
    お前を唯一の希望にして
    お前を可愛がって下さるし、
    お母さんもまた、
    御自分の全生涯をかけて
    ただただ素子の幸福をのみ
    念じて生き抜いて下さるのです。

    必ず私に万一のことがあっても
    親無し児などと思ってはなりません。
    父は常に素子の身辺を護っております。
    優しくて人に可愛がられる人になって下さい。

    お前が大きくなって
    私のことを考え始めたときに、
    この便りを読んで貰いなさい。

    昭和十九年○月某日 父
    植村素子へ

    追伸
    素子が生まれた時
    おもちゃにしていた人形は、
    お父さんが頂いて
    自分の飛行機にお守りにして居ります。
    だから素子は
    お父さんと一緒にいたわけです。
    素子が知らずにいると困りますから
    教えて上げます。

     ***


    手紙にある素子さんは、
    父の母校である立教大学を昭和42年に卒業され、
    その年の4月12日に、
    父の手紙にあった、
    「お前が大きくなって、
     父に会いたいときは九段にいらっしゃい」
    という約束を果たすため、
    そして靖国神社で鎮まる父の御霊に
    自分の成長を報告するために、
    母親や家族、友人、父の戦友達が見守るなか、
    文金高島田に振袖姿で、
    6歳のころから習った日本舞踊で
    「桜変奏曲」を舞い、奉納されました。

    そのときの写真です。

    素子さんの奉納


    素子さんはこのとき、
    「お父様との約束を果たせたような気持ちで嬉しい」
    と言葉少なに語らました。

    父から子へ、子から孫へ。
    この世は、魂が「愛と喜びと幸せと美しさ」の経験を積むために肉体を持って生きるところだというのが、古い時代からの日本人の考え方です。

    「庭の木から蝶の幼虫を取り払おうとした。
     すると、その幼虫の親なか。
     一匹の蝶が、取り除こうとした手に必死にまとわりついてきた。
     こんな昆虫でも、愛ってあるのだなと思った」
    瀬島龍三の『幾山河』にあるお話です。

    ふと思ったのです。
    お亡くなりになった植村大尉は、きっと素子さんの花嫁姿を見たかったろうなと、そう思ってトップの画像を、花嫁人形にしました。


    ※この記事は2013年7月のリニューアルです。
    お読みいただき、ありがとうございました。
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    靖国神社昇殿参拝 8月14日(土)14:00 靖国神社参集殿
    第86回倭塾 9月18日(土)13:30〜 富岡八幡宮婚儀殿



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  • 名誉を重んじた日本人の暮らし


    8月14日(土)に靖國神社昇殿参拝を行います。
    受付開始は13時から。靖國神社参集殿正面入口前です。お志のある方、どなたでも参加可です。皆様のご参加をお待ちします。
    詳細は → https://nezu3344.com/blog-entry-4963.html

    日本が世界最古の国家であることには理由があります。
    その理由を取り戻して常識化し、そこから新たな未来を創造していく。
    そこにこそ日本が未来を拓く鍵があるのだと思います。

    20210724 明治
    画像出所=https://scrapbox.io/GyaTV/%E6%98%8E%E6%B2%BB%E3%81%AE%E5%86%99%E7%9C%9F
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    歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
    小名木善行です。

     戦国時代に日本にやってきたフランシスコ・ザビエルが日本に関して述べた有名な言葉があります。
    「この国の人々は、今までに発見された国民の中で最高であり、
     日本人より優れている人々は異教徒の間では見つけられない。
     彼らは親しみやすく、一般に善良で悪意がない。
     驚くほど名誉心の強い人々で、他の何ものよりも名誉を重んじる。
     大部分の人々は貧しいが、武士も、そういう人々も貧しいことを不名誉と思わない」

     フランシスコ・ザビエルといえば、天文18年《1549年》年8月に、日本に初めてキリスト教を伝えた人として有名です。そのザビエルが日本に滞在したのは、同年から天文21年《1552年》11月までの3年3ヶ月でした。その間にザビエルは鹿児島、山口、京都をめぐって布教活動を行っています。ザビエルがこのような評価をしたのは、日本が平和で文化が円熟した江戸時代ではありません。日本の歴史上で、最も国が荒れた戦国時代です。その荒れた戦国時代を見て、ザビエルは日本を「最高」と評価し、「親しみやすく善良」だと書いているのです。

     文の中でザビエルは「異教徒」という言葉を用いています。この時代、西洋人にとって「異教徒」は蛮族であり、ヒトモドキです。これは映画に出て来るバンパイヤ《吸血鬼》や、リカント《狼男》と同じで、異教徒は人の姿をした獣なのですから、人として認識されません。人だから殺人罪が適用されるのです。人でない獣に、殺獣罪という法はありません。ところがその「異教徒」の国である日本を、ザビエルは「いままで見た国の中で最高」と述べているわけです。これはいってみれば猿の社会を、人間の社会よりも美しい国、美しい国民と評価しているようなものです。

     異教徒でありながら、実に優れた文化を持った国とザビエルは評価したのですが、その評価を与えられた日本は、日本人の常識からしたら、世が荒れた時代です。
     このことが意味するところをお考えいただきたいのです。もしみなさんがザビエルの立場にある宣教師だったとしたならば、いまの日本を見たとき、果たしてザビエルと同等の評価をするでしょうか。もし「しない」のであれば、それは世が荒れたと言われる戦国時代よりも、いまの日本のほうが、よほど民心が荒(すさ)んでいるということになります。

     実際には、最近発見された戦国時代の日記などの記録をみると、後世の我々が「戦国時代」と名付けた時代も江戸時代も、日本人の心はまるで変わっていないことに驚かされます。つまり日本人は、戦国期においても、文化が円熟したとされる江戸期においても、等しく勤勉で真面目で、人を大事にし、ひとりひとりが自らの成長に励み、人々が互いに助け合い、たとえ貧しくても立派に生きることを選択する民度の高い国民であったのです。

     エドワード・モース(Edward Sylvester Morse)は、明治10年《1878年》から明治15年《1882年》にかけて、3度にわたって来日したアメリカの教授です。ダーウィンの進化論を日本に伝えた人でもあります。そのモースが、日本での体験談を「JAPAN DAY BY DAY」という本にしています。戊辰戦争が終わって間もない明治10年ごろの日本の姿です。すこし引用してみます。

    ■世界中で日本ほど、子供が親切に取扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない。ニコニコしているところから判断すると、子供達は朝から晩まで幸福である。

    ■外国人の筆者が一人残らず一致することがある。それは日本が「子どもたちの天国だ」ということである。

    ■この国の子どもたちは親切に取り扱われるばかりではなく、他のいずれの国の子どもたちよりも多くの自由を持ち、その自由を乱用することはより少なく、気持ちのよい経験の、より多くの変化を持っている。

    ■世界中で両親を敬愛し、老年者を尊敬すること、日本の子どもに如くものはない。汝の父と母とを敬愛せよ、これは日本人に深くしみ込んだ特性である。

    ■日本人のきれい好きなことは、常に外国人が口にしている。日本人は家に入るのに、足袋以外は履いていない。
    木製の履物なり、わらの草履なりを、文字通り踏み外してから入る。最下級の子どもたちは家の前で遊ぶが、それにしても地面でじかに遊ぶことはせず、大人がむしろを敷いてやる。

     モースは、明治19年にも「Japanese Homes and their Surroundings」という本を書いています。そこには、次の記述があります。

    ■レインをはじめ文筆家たちは「日本の住居にはプライバシーが欠けている」と述べている。しかし彼らは、プライバシーは野蛮で不作法な人々の間でのみ必要なことを忘れている。日本人はこういった野蛮な人々の非常に少ない国民である。

     ザビエルやモースたちよりも、もっとずっと古い時代、奈良時代の終わり頃の756年に建てられた国宝を保存する正倉院には、これまた有名な話ですけれど、鍵がありません。紙でできたお札(ふだ)が貼ってあるだけです。それでいて泥棒がはいらない。一般の民家でも、一昔前までは、家に鍵などありませんでした。玄関の戸を開け放しでも、泥棒が入る心配などまったくなかったからです。
     なぜそんなことが可能だったのでしょうか。
     その答えは、以前、いつもお世話になっている市内のある神社の宮司がおっしゃられました。
    「日本という国は、陛下のもとにみんなが共同体として生活していたのです」
     戦国時代の日本も、やはり同じ日本だったのです。

     会社で、同業他社をいくらこき下ろしたとしても、自分の会社が良くなることは決してないことくらい、誰でもわかっていることです。自分のいる会社を良い会社にしたいなら、自分たちが努力して頑張るしかない。そうでなければ、決して会社の業績があがることはありません。また、同業他社に自社の悪口を言われたからといって、同じようにその会社の悪口を並べ立てたところで、自社の業績が上向くことはありません。それどころか他社の悪口ばかり言っていると、心が疑心暗鬼なって、自分の会社内でさえ、互いに信じ合うことができない荒んだ空気が漂うことになります。ところが不思議なことに、国政となるとなぜか、こき下ろしばかり。政治は悪口ばかりです。

     日本を取り戻したい。それは多くの日本人の共通の思いです。いくら欧米のマネをしても、中国の言いなりになっても、日本が良くなることはありません。日本は日本です。

     日本が世界最古の国家であることには理由があります。
    その理由を取り戻して常識化し、そこから新たな未来を創造していく。
    そこにこそ日本が未来を拓く鍵があるのだと思います。


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  • 究極の民主主義「シラス」


    次回倭塾は、明日7月17日(土)13時半から富岡八幡宮婚儀殿、テーマは「幻の極東共和国と古代の日本」です。
    詳細は→https://www.facebook.com/events/884676452313311


    古代ローマでは、市民というのは、国を護る意志を持ち、国を護る義務を果たせる者のことを言いました。いまでも世界では、ありもしないデタラメで世間をたばかり政府の転覆を図ろうとする者は、カルト、テロとして、家族も含めて逮捕投獄死刑があたりまえです。
    ところが日本では、そうしたありもしないデタラメで世間をたばかり政府の転覆を図ろうとする者が、堂々と国政に立候補し、政治家となり、あるいはメディアを押さえて世間を混乱させています。
    けれど、これは「結果」です。それ以前に有権者の意識が変わらなければならない。そのためにも、「しらす」という言葉を復活させていかなければなりません。

    天皇皇后両陛下
    20200716 天皇
    画像出所=https://dot.asahi.com/aera/2019102300016.html
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    歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
    小名木善行です。

    古事記に「国譲り神話」があります。
    出雲にあった大国主神が高天原の求めに応じて国を譲り渡したお話です。
    大国主は国の譲渡の条件として「私の住処(すみか)として、大地の底まで宮柱が届き、高天原まで千木が高くそびえ立つほどの、大きく立派な神殿を建ててください。そうすれば私はそこに隠れましょう」と述べました。
    そうしてご創建されたのが出雲大社(いずもおおやしろ)です。

    この「国譲り神話」は、わたしたちの国が、戦(いくさ)よりも話し合いで解決する精神や、敗れた側を皆殺しにしたりするのではなく、その名誉を讃え尊重するという日本的心の教えとして紹介されることが多いのですが、もうひとつ、実はとても大切な教えが書かれています。
    それが「シラス」と「ウシハク」です。
    この「シラス」と「ウシハク」について、古事記の大国主神話から学んでみたいと思います。

     *

    大国主神は、若い頃は大穴牟遲(オオナムチ)という名でした。
    この頃のエピソードが有名な因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)です。
    大穴牟遅は、ウサギを助けることで、やさしい性格であること、古代の医療知識を持つ頭の良い青年であることが明かされます。
    そしてこの助けたことがご縁となって大穴牟遅は八上比売(やがみひめ)と結ばれています。
    つまり見た目も良い若者であったわけです。

    ところが大穴牟遅が八上比売と結ばれたことで、彼は兄の八十神たちから激しい嫉妬を受けます。
    古来、男の嫉妬は女性の嫉妬の何百倍も怖いといいます。
    案の定、大穴牟遅は、何度も命まで奪われるような仕打ちを受けます。
    多勢に無勢どころか、大勢の兄たちに対して、大穴牟遅はたったひとりです。
    一方的にイジメられるのです。

    心配した母や大屋毘古神(おほやびこのかみ)の勧めに従って大穴牟遅は、根の堅州国(ねのかたすくに)の須佐之男命(すさのおのみこと)を尋ね、そこで厳しく鍛え上げられます。
    そして須佐之男命の太刀や弓をいただいた大穴牟遅神はイジメていた八十神たちを全部やっつけて、八千矛神(やちほこのかみ)となり、大いなる国の主となったというのが、大国主神話です。

    大国主神の治世によって、中つ国はおおいに発展し、国力を充実させて遠く韓国(からくに)までも平定したということが古事記に書かれています。
    彼の国は国の領域も経済もおおいに発展して大いなる国となったのです。
    ところがこの大国主神の国には、二つの大きな問題がありました。
    ひとつは、大国主神が大王としての権威と権力の両方を併せ持つ存在であったこと、もうひとつは、国際交流によって都市部の経済がたいへんに発展した国であったことです。



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  • 察する文化と、証拠がないという言い訳


    次回倭塾は7月17日(土)13時半から富岡八幡宮婚儀殿、テーマは「幻の極東共和国と古代の日本」です。
    詳細は→https://www.facebook.com/events/884676452313311


    それこそが政治の役割であり、これを実現していのが行政の役割です。
    ことが起きてから四の五のというのは、司法の役割であって、政治や行政の役割ではありません。
    「証拠がない」という言い方は、ただの言い訳でしかないのです。

    20210707 裁判
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    小名木善行です。

    日本の文化は「察する文化」の国です。
    これは聖徳太子の十七条憲法の第11条に由来します。
    そこには次のように書かれています。

    《原文》
    第十一条
     十一曰
     明察功過 罰賞必當
     日者
     賞不在功 罰不在罪
     執事群卿 宜明賞罰


    《読み下し文》
    十一にいわく。
    功過(こうか)を明らかに察して、賞罰を必ず当てよ。
    このごろ、賞は功においてせず、罰は罪においてせず。
    事(こと)を執(と)る群卿、よろしく賞罰を明らかにすべし。


    《現代語訳》
    善い行いも悪い行いも、事前に察して、必ず先に賞罰を行いなさい。
    このごろは、善い行いを表彰することせず、また罪があっても罰を与えないことが多々あります。
    しかし政治や行政を行う者は、表彰と罰を、民衆によくわかるように明らかに行わなければなりません。


    十七条憲法の各条文は、すべて「このように心がけなさい」という努力規定です。
    ところが、この11条だけは、「群卿、よろしく賞罰を明らかにすべし」は、なるほど努力規定なのだけれど、
    功過(こうか)を明らかに察し《明察功過》だけは、単に努力するだけではどうにもならず、これは自ら意識して鍛えなければ、できない事柄です。
    つまり11条だけは、努力規定+学習規定になっているといえます。

    悪い行いをした者に罰を与えるのは、あたりまえのことです。
    ところが十七条憲法は、善い行いに対してもまた、ちゃんと論功行賞を行わなければならない、罰と論功行賞は、両者がそろってはじめてひとつ・・・つまりセットであるとしています。

    そしてさらに、その善いことも悪い行いも、起きてから表彰したり罰を与えるのではなく、起きる前に賞罰を先に与えよ、としています。

    このことは、悪事を働いた者への処罰を考えるとわかりやすいです。


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  • 直指人心、見性成仏


    次回倭塾は7月17日(土)13時半から富岡八幡宮婚儀殿、テーマは「幻の極東共和国と古代の日本」です。
    詳細は→https://www.facebook.com/events/884676452313311


    何もかもがつながっている。
    自分ひとりだけではない。
    そのことの持つ意味の深さに、彼はそこではじめて、本当の気付きを得たのです。
    日本を取り戻す。
    その動きは、見性成仏を得て、いま、しっかりと新たな炎をあげつつあります。

    20160603 達磨図 白隠筆
    画像出所=http://rupe.exblog.jp/tags/%E9%81%94%E7%A3%A8/
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    歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
    小名木善行です。

    絵は「達磨図」で、江戸時代中期における臨済宗中興の祖と言われる白隠慧鶴(はくいんえかく)禅師が描いたものです。
    実に見事なこの図は、縦が2メートル以上もあります。
    絵には「見性成仏」と書かれています。

    これは臨済宗の本義である「直指人心、見性成仏」という言葉からとったものです。
    「直指人心」とは、文字や言葉によらず、自分の心の奥底にある仏性を把握することを言います。
    「見性成仏」は、自身の心底にある仏性と自分を一体化させることです。

    二つは禅の教えの根幹にある言葉なのだそうです。
    もっとも、この言葉の持つ意味は深く、このようにあっさりまとめてしまうと本格的に禅の修行をされている方から叱られてしまいそうです。
    言葉の意味を理解することと、言葉の奥底を解することはまるで違います。
    ですので、上に書いた言葉の意味は、単に言葉の持つ意味を書いたにすぎません。

    この絵は、達磨大師が、まるで図を見る人に、
    「お主はそれで直指人心、見性成仏を理解したつもりかの?」と問いかけているかのようです。
    あるいは、達磨大師自身が、「ワシは生涯をかけて直指人心見性成仏を求めているが、まだ修行中じゃ」と述べられているかのようにも見えます。
    とても凄味のある絵です。

    さて、今日のお話は、この絵を描いた白隠慧鶴が、まだ修行中の若い頃のことです。

    その頃の白隠は、若気の至りで、自分がある種の悟りを得たと思っていました。
    そして様々な禅宗のお寺をめぐり、論争を行い、どの寺においても並み居る禅僧たちとの問答に打ち勝っていました。
    若かったし、向こう気が強かったし、頭も良かったし、弁もたったし、だから自信満々だったのでしょう。
    あちこちの禅寺を訪ね歩き、次々と論破し、打ち破っていました。

    そしてついに、この時代の臨済宗で最高峰と呼ばれた長野県飯山市にある正受庵にいる最長老の道鏡慧端(どうきょうえたん)老師を尋ねたのです。
    この道鏡慧端、なんと真田幸村の子孫でもあります。

    ところが老僧は、白隠が何を問うても、座って後ろを向いたまま、返事もしなければ、こちらを振りむきさえもしない。
    居眠りしているのか、話を聞いていないのか。
    ただ知らん顔をして背中を向けているばかりです。

    なんだかひとり芝居みたいで、だんだん腹がたってきた白隠は、そこで慧端禅師に
    「喝っ!」と大音声の一喝をあげました。
    修行した禅僧のこの一喝というのは、おそろしく気合のこもったもので、我々素人などは、びっくりして腰を抜かしてしまうほどのものです。

    すると禅師は振り向きもせずに、
    「それはお前が
     学んで得たものか?
     自分で見たものか?」
    と枯れた声で、やっと口を開いて問うてきました。
    さあ、禅問答のはじまりです。

    白隠は、これまで数々の問答で相手を打ち破ってきた自信満々で、
    「もちろん自分が見たものである」と堂々と答えました。
    すると老師はひとこと。
    「ならば吐き出せ」

    ・・・これで「勝負あった」です。
    白隠は「俺は禅の極意を見た」と言っているのです。
    禅の極意を「見た」と答えたのです。
    慧端老師は、「自分で見たものなら吐き出せるだろう?」と問うたのです。

    けれど、相手は高僧であり、最長老でありながら、いまだ真実を求めて修行を重ねている老師です。
    その老師の前で、若い白隠が自分で体得した極意を出してみせよ、と言われたわけです。
    現実は、白隠は、まだ若い学僧でしかありません。
    つまり、自分で会得したというのは、ただの錯覚でしかなくて、実は、先輩諸氏から学んだ、いわばお仕着せのものでしかなかったのです。
    それを白隠は、「俺は見た、俺の力で悟りを得た」と大見得をきってしまったのです。
    こうなると白隠は、嘔吐の真似でもしてその場を誤魔化すくらいしか手がなくなってしまっています。

    老師は言いました。
    「お前のような穴蔵禅の坊主は
     自分一人でわかったつもりでいる糞坊主じゃ。
     ここにいてしばらく叩かれよ」
    老師が「叩かれよ」というのは、ここに逗留して修行せよ、という命令です。
    白隠は正受庵に滞在しました。

    ところが老師は、講義に呼んでくれない。
    何も教えてくれない。
    それどころか作務をする白隠に、些細なことをつかまえては怒鳴り続けました。

    ある日、托鉢に出た白隠は、ある家の門前で経を唱えていました。
    なかば呆然となって、経を唱えていた白隠は、そのとき自分を待つために、わざわざ表にまで出てきてくれていた老婆に、まったく気付かずに、門前でただ、経を読んでいました。

    せっかく出てきてあげたのに無視するとは何事かと腹をたてた老婆は、
    「さっさと消えちまえ!」
    と、白隠の腰を打ち据えて、白隠を追い払いました。

    このとき、白隠の頭のなかに、何かひらめくものがありました。
    寺に戻った白隠に、事情も聞かずに老師は一言。
    「汝、徹せり」
    と言ったそうです。

    少し解説します。
    人とは何か、生老病死とは何かなど、禅の奥底を極めようとしていた白隠は、学んだ知識を頭の中で整理して、たくさんの引き出しの中から、常に相手をやりこめるだけの知識を得ていたわけです。
    だから、老師のもとを訪れるまで、常に論争に勝ち続けました。

    その得意の絶頂で訪問した老師は、そんな白隠に、「お前の学問など、ただの上っ面で、お前自身には何の真実もないではないか」と、若い彼の鼻っ柱をへし折ったわけです。
    ところが、この男見込みあり!と思った老師は、白隠を寺に置き、白隠を無視し、怒鳴り、白隠の精神を厳しく追い込んでいきました。
    すでに学はなっているのですから、講義になんて呼ぶ必要はない。
    それよりも、鼻高になっている白隠を、精神的に追い込んで行ったのです。
    いまなら「精神的迫害を受けた。賠償するニダ」などと言い出す人がでかねないような話ですが、見込みがあればこそ、必ずそこから立ち上がれる男と見ぬいたからこそ、老師は白隠に厳しくしたのです。

    その結果、ボーッとなってしまった白隠は、老婆の怒りによって、
    「自分が自分だけで生きているのではなく、
     常に周囲との関係の中で生かされているのだ」
    と気付くわけです。

    それを、白隠の表情ひとつで見ぬいた老師は、
    「汝、徹せり!」
    と、白隠の気付きに見事なタイミングで烙印を入れてくださったわけです。

    人は生まれたときに、何も持たない丸裸で生まれてきたのではない。
    実は今生で必要なものを、全部持って生まれてきたのだそうです。
    しかも実は生きているのではない。生かされている。
    そして生きとし生けるすべてのものは、そのすべてが実は、奥底でつながっている。

    白隠は頭が良くてできの良い学僧でしたが、自分一人が突出して成った気になっていたのです。
    何もかもがつながっている。
    自分ひとりだけではない。
    そのことの持つ意味の深さに、彼はそこではじめて、本当の気付きを得たのです。


    「ウヨクもサヨクもない。
     たいせつなことはナカヨク」です。

    日本を取り戻す。
    その動きは、見性成仏を得て、いま、しっかりと新たな炎をあげつつあります。


    ※この記事は2016年6月のリニューアルです。


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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年生まれ。浜松市出身。上場信販会社を経て執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。またインターネット・ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。「歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに」という理念を掲げ活動する。古事記・日本書紀・万葉集などの原文を丁寧に読み解き、誰にでも納得できる日本論を発信。

《著書》日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、その他執筆多数。

《動画》「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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電話 072-807-7567

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