• 究極の民主主義「シラス」


    次回倭塾は、明日7月17日(土)13時半から富岡八幡宮婚儀殿、テーマは「幻の極東共和国と古代の日本」です。
    詳細は→https://www.facebook.com/events/884676452313311


    古代ローマでは、市民というのは、国を護る意志を持ち、国を護る義務を果たせる者のことを言いました。いまでも世界では、ありもしないデタラメで世間をたばかり政府の転覆を図ろうとする者は、カルト、テロとして、家族も含めて逮捕投獄死刑があたりまえです。
    ところが日本では、そうしたありもしないデタラメで世間をたばかり政府の転覆を図ろうとする者が、堂々と国政に立候補し、政治家となり、あるいはメディアを押さえて世間を混乱させています。
    けれど、これは「結果」です。それ以前に有権者の意識が変わらなければならない。そのためにも、「しらす」という言葉を復活させていかなければなりません。

    天皇皇后両陛下
    20200716 天皇
    画像出所=https://dot.asahi.com/aera/2019102300016.html
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    歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
    小名木善行です。

    古事記に「国譲り神話」があります。
    出雲にあった大国主神が高天原の求めに応じて国を譲り渡したお話です。
    大国主は国の譲渡の条件として「私の住処(すみか)として、大地の底まで宮柱が届き、高天原まで千木が高くそびえ立つほどの、大きく立派な神殿を建ててください。そうすれば私はそこに隠れましょう」と述べました。
    そうしてご創建されたのが出雲大社(いずもおおやしろ)です。

    この「国譲り神話」は、わたしたちの国が、戦(いくさ)よりも話し合いで解決する精神や、敗れた側を皆殺しにしたりするのではなく、その名誉を讃え尊重するという日本的心の教えとして紹介されることが多いのですが、もうひとつ、実はとても大切な教えが書かれています。
    それが「シラス」と「ウシハク」です。
    この「シラス」と「ウシハク」について、古事記の大国主神話から学んでみたいと思います。

     *

    大国主神は、若い頃は大穴牟遲(オオナムチ)という名でした。
    この頃のエピソードが有名な因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)です。
    大穴牟遅は、ウサギを助けることで、やさしい性格であること、古代の医療知識を持つ頭の良い青年であることが明かされます。
    そしてこの助けたことがご縁となって大穴牟遅は八上比売(やがみひめ)と結ばれています。
    つまり見た目も良い若者であったわけです。

    ところが大穴牟遅が八上比売と結ばれたことで、彼は兄の八十神たちから激しい嫉妬を受けます。
    古来、男の嫉妬は女性の嫉妬の何百倍も怖いといいます。
    案の定、大穴牟遅は、何度も命まで奪われるような仕打ちを受けます。
    多勢に無勢どころか、大勢の兄たちに対して、大穴牟遅はたったひとりです。
    一方的にイジメられるのです。

    心配した母や大屋毘古神(おほやびこのかみ)の勧めに従って大穴牟遅は、根の堅州国(ねのかたすくに)の須佐之男命(すさのおのみこと)を尋ね、そこで厳しく鍛え上げられます。
    そして須佐之男命の太刀や弓をいただいた大穴牟遅神はイジメていた八十神たちを全部やっつけて、八千矛神(やちほこのかみ)となり、大いなる国の主となったというのが、大国主神話です。

    大国主神の治世によって、中つ国はおおいに発展し、国力を充実させて遠く韓国(からくに)までも平定したということが古事記に書かれています。
    彼の国は国の領域も経済もおおいに発展して大いなる国となったのです。
    ところがこの大国主神の国には、二つの大きな問題がありました。
    ひとつは、大国主神が大王としての権威と権力の両方を併せ持つ存在であったこと、もうひとつは、国際交流によって都市部の経済がたいへんに発展した国であったことです。



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  • 察する文化と、証拠がないという言い訳


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    それこそが政治の役割であり、これを実現していのが行政の役割です。
    ことが起きてから四の五のというのは、司法の役割であって、政治や行政の役割ではありません。
    「証拠がない」という言い方は、ただの言い訳でしかないのです。

    20210707 裁判
    画像出所=https://www.irasutoya.com/2013/07/blog-post_3781.html
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    歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
    小名木善行です。

    日本の文化は「察する文化」の国です。
    これは聖徳太子の十七条憲法の第11条に由来します。
    そこには次のように書かれています。

    《原文》
    第十一条
     十一曰
     明察功過 罰賞必當
     日者
     賞不在功 罰不在罪
     執事群卿 宜明賞罰


    《読み下し文》
    十一にいわく。
    功過(こうか)を明らかに察して、賞罰を必ず当てよ。
    このごろ、賞は功においてせず、罰は罪においてせず。
    事(こと)を執(と)る群卿、よろしく賞罰を明らかにすべし。


    《現代語訳》
    善い行いも悪い行いも、事前に察して、必ず先に賞罰を行いなさい。
    このごろは、善い行いを表彰することせず、また罪があっても罰を与えないことが多々あります。
    しかし政治や行政を行う者は、表彰と罰を、民衆によくわかるように明らかに行わなければなりません。


    十七条憲法の各条文は、すべて「このように心がけなさい」という努力規定です。
    ところが、この11条だけは、「群卿、よろしく賞罰を明らかにすべし」は、なるほど努力規定なのだけれど、
    功過(こうか)を明らかに察し《明察功過》だけは、単に努力するだけではどうにもならず、これは自ら意識して鍛えなければ、できない事柄です。
    つまり11条だけは、努力規定+学習規定になっているといえます。

    悪い行いをした者に罰を与えるのは、あたりまえのことです。
    ところが十七条憲法は、善い行いに対してもまた、ちゃんと論功行賞を行わなければならない、罰と論功行賞は、両者がそろってはじめてひとつ・・・つまりセットであるとしています。

    そしてさらに、その善いことも悪い行いも、起きてから表彰したり罰を与えるのではなく、起きる前に賞罰を先に与えよ、としています。

    このことは、悪事を働いた者への処罰を考えるとわかりやすいです。


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  • 直指人心、見性成仏


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    何もかもがつながっている。
    自分ひとりだけではない。
    そのことの持つ意味の深さに、彼はそこではじめて、本当の気付きを得たのです。
    日本を取り戻す。
    その動きは、見性成仏を得て、いま、しっかりと新たな炎をあげつつあります。

    20160603 達磨図 白隠筆
    画像出所=http://rupe.exblog.jp/tags/%E9%81%94%E7%A3%A8/
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    歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
    小名木善行です。

    絵は「達磨図」で、江戸時代中期における臨済宗中興の祖と言われる白隠慧鶴(はくいんえかく)禅師が描いたものです。
    実に見事なこの図は、縦が2メートル以上もあります。
    絵には「見性成仏」と書かれています。

    これは臨済宗の本義である「直指人心、見性成仏」という言葉からとったものです。
    「直指人心」とは、文字や言葉によらず、自分の心の奥底にある仏性を把握することを言います。
    「見性成仏」は、自身の心底にある仏性と自分を一体化させることです。

    二つは禅の教えの根幹にある言葉なのだそうです。
    もっとも、この言葉の持つ意味は深く、このようにあっさりまとめてしまうと本格的に禅の修行をされている方から叱られてしまいそうです。
    言葉の意味を理解することと、言葉の奥底を解することはまるで違います。
    ですので、上に書いた言葉の意味は、単に言葉の持つ意味を書いたにすぎません。

    この絵は、達磨大師が、まるで図を見る人に、
    「お主はそれで直指人心、見性成仏を理解したつもりかの?」と問いかけているかのようです。
    あるいは、達磨大師自身が、「ワシは生涯をかけて直指人心見性成仏を求めているが、まだ修行中じゃ」と述べられているかのようにも見えます。
    とても凄味のある絵です。

    さて、今日のお話は、この絵を描いた白隠慧鶴が、まだ修行中の若い頃のことです。

    その頃の白隠は、若気の至りで、自分がある種の悟りを得たと思っていました。
    そして様々な禅宗のお寺をめぐり、論争を行い、どの寺においても並み居る禅僧たちとの問答に打ち勝っていました。
    若かったし、向こう気が強かったし、頭も良かったし、弁もたったし、だから自信満々だったのでしょう。
    あちこちの禅寺を訪ね歩き、次々と論破し、打ち破っていました。

    そしてついに、この時代の臨済宗で最高峰と呼ばれた長野県飯山市にある正受庵にいる最長老の道鏡慧端(どうきょうえたん)老師を尋ねたのです。
    この道鏡慧端、なんと真田幸村の子孫でもあります。

    ところが老僧は、白隠が何を問うても、座って後ろを向いたまま、返事もしなければ、こちらを振りむきさえもしない。
    居眠りしているのか、話を聞いていないのか。
    ただ知らん顔をして背中を向けているばかりです。

    なんだかひとり芝居みたいで、だんだん腹がたってきた白隠は、そこで慧端禅師に
    「喝っ!」と大音声の一喝をあげました。
    修行した禅僧のこの一喝というのは、おそろしく気合のこもったもので、我々素人などは、びっくりして腰を抜かしてしまうほどのものです。

    すると禅師は振り向きもせずに、
    「それはお前が
     学んで得たものか?
     自分で見たものか?」
    と枯れた声で、やっと口を開いて問うてきました。
    さあ、禅問答のはじまりです。

    白隠は、これまで数々の問答で相手を打ち破ってきた自信満々で、
    「もちろん自分が見たものである」と堂々と答えました。
    すると老師はひとこと。
    「ならば吐き出せ」

    ・・・これで「勝負あった」です。
    白隠は「俺は禅の極意を見た」と言っているのです。
    禅の極意を「見た」と答えたのです。
    慧端老師は、「自分で見たものなら吐き出せるだろう?」と問うたのです。

    けれど、相手は高僧であり、最長老でありながら、いまだ真実を求めて修行を重ねている老師です。
    その老師の前で、若い白隠が自分で体得した極意を出してみせよ、と言われたわけです。
    現実は、白隠は、まだ若い学僧でしかありません。
    つまり、自分で会得したというのは、ただの錯覚でしかなくて、実は、先輩諸氏から学んだ、いわばお仕着せのものでしかなかったのです。
    それを白隠は、「俺は見た、俺の力で悟りを得た」と大見得をきってしまったのです。
    こうなると白隠は、嘔吐の真似でもしてその場を誤魔化すくらいしか手がなくなってしまっています。

    老師は言いました。
    「お前のような穴蔵禅の坊主は
     自分一人でわかったつもりでいる糞坊主じゃ。
     ここにいてしばらく叩かれよ」
    老師が「叩かれよ」というのは、ここに逗留して修行せよ、という命令です。
    白隠は正受庵に滞在しました。

    ところが老師は、講義に呼んでくれない。
    何も教えてくれない。
    それどころか作務をする白隠に、些細なことをつかまえては怒鳴り続けました。

    ある日、托鉢に出た白隠は、ある家の門前で経を唱えていました。
    なかば呆然となって、経を唱えていた白隠は、そのとき自分を待つために、わざわざ表にまで出てきてくれていた老婆に、まったく気付かずに、門前でただ、経を読んでいました。

    せっかく出てきてあげたのに無視するとは何事かと腹をたてた老婆は、
    「さっさと消えちまえ!」
    と、白隠の腰を打ち据えて、白隠を追い払いました。

    このとき、白隠の頭のなかに、何かひらめくものがありました。
    寺に戻った白隠に、事情も聞かずに老師は一言。
    「汝、徹せり」
    と言ったそうです。

    少し解説します。
    人とは何か、生老病死とは何かなど、禅の奥底を極めようとしていた白隠は、学んだ知識を頭の中で整理して、たくさんの引き出しの中から、常に相手をやりこめるだけの知識を得ていたわけです。
    だから、老師のもとを訪れるまで、常に論争に勝ち続けました。

    その得意の絶頂で訪問した老師は、そんな白隠に、「お前の学問など、ただの上っ面で、お前自身には何の真実もないではないか」と、若い彼の鼻っ柱をへし折ったわけです。
    ところが、この男見込みあり!と思った老師は、白隠を寺に置き、白隠を無視し、怒鳴り、白隠の精神を厳しく追い込んでいきました。
    すでに学はなっているのですから、講義になんて呼ぶ必要はない。
    それよりも、鼻高になっている白隠を、精神的に追い込んで行ったのです。
    いまなら「精神的迫害を受けた。賠償するニダ」などと言い出す人がでかねないような話ですが、見込みがあればこそ、必ずそこから立ち上がれる男と見ぬいたからこそ、老師は白隠に厳しくしたのです。

    その結果、ボーッとなってしまった白隠は、老婆の怒りによって、
    「自分が自分だけで生きているのではなく、
     常に周囲との関係の中で生かされているのだ」
    と気付くわけです。

    それを、白隠の表情ひとつで見ぬいた老師は、
    「汝、徹せり!」
    と、白隠の気付きに見事なタイミングで烙印を入れてくださったわけです。

    人は生まれたときに、何も持たない丸裸で生まれてきたのではない。
    実は今生で必要なものを、全部持って生まれてきたのだそうです。
    しかも実は生きているのではない。生かされている。
    そして生きとし生けるすべてのものは、そのすべてが実は、奥底でつながっている。

    白隠は頭が良くてできの良い学僧でしたが、自分一人が突出して成った気になっていたのです。
    何もかもがつながっている。
    自分ひとりだけではない。
    そのことの持つ意味の深さに、彼はそこではじめて、本当の気付きを得たのです。


    「ウヨクもサヨクもない。
     たいせつなことはナカヨク」です。

    日本を取り戻す。
    その動きは、見性成仏を得て、いま、しっかりと新たな炎をあげつつあります。


    ※この記事は2016年6月のリニューアルです。


    お読みいただき、ありがとうございました。
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  • 意見の違いを尊重する文化と、意見を押し付けて上下関係を構築する文化


    次回倭塾は7月17日(土)13時半から富岡八幡宮婚儀殿、テーマは「幻の極東共和国と古代の日本」です。
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    日本人は、常に一本独鈷(いっぽんどっこ)。自由人でやってきたのです。
    自由人だから、自由人同士、互いの自由と尊厳を尊重し合うことが可能なのです。
    これが和の文化です。
    これが日本文化の根幹です。

    20210705 海幸彦
    画像出所=https://kowairo.com/arvhives/870/
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    歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
    小名木善行です。

    他人の意見を聞いたり読んだりしたときに、ただいたずらに否定するという姿をよくみかけます。
    当ブログや筆者のフェイスブックサイト、あるいはyoutubeなどにも、そのようなコメントを(ほぼ毎日のように)見掛けます。

    基本的に、意見というものは、百人あれば百通りの意見があるものです。
    絶対賛成、絶対反対という極の意見もあれば、賛成だけど一部反対、反対だけど一部は賛成というものもあり、最も多いのは、どっちつかずだけれど、やや賛成、やや反対といったところではないかと思います。
    要するに、意見というものは、上の図にあるように、かならず「分布」します。

    ですから一部の意見だけが絶対に正しく、他の意見はすべて間違っているとして、一切認めないなら、そういうもののことを「全体主義」といいます。
    そのようなものは、日本人なら、おそらく誰も歓迎しないと思います。
    日本は、もともと言論の自由の国なのです。

    「戦前の日本は全体主義だったではないか」と思っていらっしゃる方も多いことと思います。
    しかし、それは戦後の洗脳です。
    戦前戦中までも、日本は言論は自由な国であったのです。

    ただし、このことを考える上においては、たいせつなことがひとつあります。
    それは、「言論の自由」を実現するためには、
    「かならずそこに高度な民度が必要になる」
    ということです。
    民度が低ければ、言論の自由が容認できなくなるのです。



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  • マネー教信仰と日本の形


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    世界は、マネー教の信者から、目をさますことができるのでしょうか。
    私は、それは「できる」と思っています。
    そしてそのときに、重要な役割を果たし、世界の先例となるのは、日本です。
    日本が目覚めることによって、世界は変わるのです。

    20200430 富本銭
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    歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
    小名木善行です。

    最近では、特にネット言論の世界では、マネーの持ついかがわしさというか、実は世界中の人々がすっかり「マネー教」というカルト宗教に染まってしまっていて、世界中のあらゆる民族、あらゆる人々がたいせつにしてきた神よりも、マネーそのものが神のように信仰される時代になっているとまでいわれるようになりはじめました。

    これはその通りで、本来なら人が生きていく上において、いちばん大切だったはずの「愛すること、働くこと、奉仕すること」という精神が失われ、誰もがマネー教という新興宗教による洗脳によって欲望を刺激され、多くのマネーを得ることが幸せになる道であり、そのためには犯罪を犯すことさえも、まるで良いことであるかのような錯覚に縛られる、そんな時代になりました。

    そのため日本も、かつては「エコノミック・アニマル」という言葉が生まれました。
    このように言われたのは、日本が経済的に繁栄したというだけでなく、まるでそれは欲望のためだけに生きる動物のようだ、そこに知性のかけらもない、といった認識があったからだといえます。
    まだその頃は、学校においても、あるいは一般常識においても、
    「お金よりも大切なものがある」
    「本当にたいせつなものは、お金では買えない」
    といったことが話題にのぼっていたし、議論の対象になっていたし、「ゼニカネの問題じゃねえ!」といった言葉が、巷間よく聞かれる言葉でもありました。

    しかし昨今では、そんな言葉さえも聞けなくなってきたし、サブカルチャーといえるアニメやマンガにおいてさえも、そのようなセリフはまったく死語になってしまいました。
    つまり日本人は、まったくマネー教の強情な信者になってしまったようです。

    そしてこのことは世界においても同様で、世界では日本以上に、より欲の深いもの、欲望のために他人どころか、お金のために他国を蹂躙(じゅうりん)し、その国のトップの選挙さえも干渉し、誤魔化し、しかもそれを正当化することさえも、マネーのためにあたりまえになってしまっているし、さらにいえば、人を病気にすることさえも、あるいは病気と偽ることさえもあたりまえになってしまっています。

    こうした行為の背景にあるもののことを「拝金主義」と呼ぶ人がいますが、これらは主義などという軽いもの(あえて軽いものといわせていただきます)ではなく、もはや主義やそれに基づく政治以前の、信仰そのものになっています。
    そしてこの教団に入ると、誰もが人間性を失い、愛や良心よりも、ゼニカネ本尊だけを信仰する亡者となっています。

    そのマネーのことを、我が国では昔、「銭」と言いました。
    この字は旧字が「錢」で、これは「金+戈+戈」の組み合わせでできている文字です。
    もともとの意味は、金物の戈(ほこ)。
    つまり銭という字は、戈が重なることで、金物さえをも、戈・戈・戈でズタズタにしてしまうことを意味しました。
    つまり昔の人たちは、「銭」というものは、「便利なだけれど、あらゆるたいせつなものを、ボロボロになるまでズタズタに引き裂いてしまう」と考え、だから「銭」という字を、そこに当てていたのです。

    その銭が、日本ではじめて登場したのは、いつのことかというと、これが永らく708年の和同開珎(わどうかいほう)といわれてきました。
    この頃、奈良の大仏が建造されていたのですが、どうにも銅が足りない。
    困っているところに、偶然、良質な和銅の大鉱脈が発見されて、大喜びした朝廷が元号を和銅とあらため、またこれを記念して、記念硬貨である和同開珎を発行した、というわけです。

    ところが平成11年に、その伏線となる銅銭が発見されました。
    奈良の飛鳥池遺跡から発見されたもので、「富本銭(ふほんせん)」といって、これが『日本書紀』に記述のある「今(天武12年・687年)よりは銅銭を用いよ」ということで発行されるようになった、我が国最初の銭だといわれています。

    実は、この日本書紀に記述された687年の「銅銭」(つまり和同開珎よりも以前の銅銭)が、どのようなものであったのかは、長いことわからなかったのです。
    このためおよそ200年くらいの間、その687年の銅銭が「あった、なかった」で大論争が繰り返されていました。
    多くの学者さんが、そのようなものはなかった、と主張したし、特に戦後は、チャイナやコリアよりもはるかに遅れた国である日本に、そのような発達した錢など、あるわけがない、という意見が学会の主流意見・・・というより学会の定説になっていました。
    ですから、我々が小中学校で習った教科書でも、記念コインである和同開珎が、我が国最初の錢と書かれていました。

    ところが神々というのは、おもしろいもので、平成11年に、見事にそうして定説となった歴史認識をくつがえす発見を我が国にもたらすのです。
    本当に考古学というのはおもしろい学問です。
    歴史学の認識を、たったひとつの発見で、すべてくつがえしてしまうからです。



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  • 日本人は二度まで我慢する


    ◆次回倭塾は、明日6月26日(土)開催です。
    13時30分講義開始、場所は東京江東区の富岡八幡宮婚儀殿です。
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    「仏の顔も三度まで」といいますが、それは、あくまで仏様だからであって、仏様だから3度目までこらえてくださるのです。
    人は間違いをおかすものです。
    ですから、1〜2回は我慢する。けれど、三度目はない。仏様より、人間のほうが、1回少ないのです。

    大魔神
    20210624 大魔神
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    歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
    小名木善行です。

    幕末から明治にかけて日本にやってきた外国人たちに、ある共通認識があったという話になりました。
    どういう話かというと、当時の外国人たちは、
    「日本人は
     どんなに馬鹿にしても、
     ニコニコしている。
     だがそれは二度までだ。
     三度目には
     あいつらは日本刀を抜いて
     斬りかかってくる」
    と語り合っていました。

    話の出典は不明ですが、こういう行動が日本人の武士たちの間にあったことは事実です。
    よく「仏の顔も三度まで」といいますが、それは、あくまで仏様だからであって、仏様だから3度目までこらえてくださるのです。
    ということは、仏様でも「4度目はない」ということです。

    人は間違いをおかすものです。
    ですから、1〜2回は我慢する。
    けれど、三度目はない。
    仏様より、人間のほうが、1回少ないよ、というわけです。

    このことは実は日本神話に由来しています。
    大国主神話の国譲りに際して、話し合いの交渉で、高天原は二度は許しました。
    しかし三度目には建御雷神を派遣し、問答無用で中つ国を平定しています。

    海彦山彦で有名な山幸彦(やまさちひこ)の神話も同じです。
    兄の海幸彦(うみさちひこ)に謝罪をする際に、弟の山幸彦は、一度目は腰に佩(は)いている十拳剣(とつかのつるぎ)をつぶして5百本の釣り針を献上して許しを乞い、二度目には千本の釣り針を献上して許しを乞いました。
    しかし三度目には、呪(しゅ)を込めた釣り針一本だけを後ろ手に渡して、兄を海で溺れさせ、経済的にも制裁を加えて徹底的に叩きのめしています。

    日本人は、基本的に和を大切にします。
    少々馬鹿にされようと小突かれようと、ニコニコ笑って、できるだけ波風が立ったり紛争になったりすることを避けます。
    こちらが我慢してさえすればまるくおさまるのならと、自分に非がなくてもお詫びをしたりして、なんとか紛争を避けようとするのです。


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    20210608 縄文時代の暮らし
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    歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
    小名木善行です。

    昔は結婚が早くて、だいたい17歳くらいで最初の子が生まれたりしていました。
    残念なことに、その子が幼児のうちに亡くなるということが多くあったため、はっきりとした跡継ぎが生まれるのが、だいたい平均したら20歳くらいであったといわれています。

    すると、100歳まで生きたら5世代を見ることになります。
     自分(100歳)
     子 ( 80歳)
     孫 ( 60歳)(まご)
     曾孫( 40歳)(ひまご)
     玄孫( 20歳)(やしゃご)
     来孫(  0歳)(きしゃご)
    です。ひとつの可能性として、ここまでを見ることができる可能性がある、ということです。
    もう少し言うと、120歳まで長生きしたら、七世代目にあたる崑孫(こんそん)を見ることができるかもしれません。

    逆に、この七世代というのを、上に向かって観ていくと、次のようになります。
     初代 自分(0歳)
     先代 父 (20歳)
     3代 祖父(40歳)
     4代 曾祖父(60歳)
     5代 高祖父(80歳)
     6代 高祖父の父(100歳)
     7代 高祖父の祖父(120歳)

    祖父から孫までが100年。
    その孫がお爺ちゃん、お婆ちゃんになるまでが200年。

    幕末にペリーがやってきたのが1853年で、いまから168年前のことです。
    戊辰戦争で白虎隊が自決したのが1868年で、わずか149年前です。

    幕末から近代史の時代は、いまの私たちからすると、現代日本や現代世界とは、全然違った、まるで全近代的な古い大昔のことのように思えるかもしれませんが、いまの70歳代の人達からすれば、父や祖父が、まさにその時代を生きて実体験していた、ついこの間の出来事であるわけです。



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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: nezu3344@gmail.com
電話:080-4358-3739
出身:静岡県浜松市
住所:千葉県野田市
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「明治150年真の日本の姿」、「日本と台湾の絆」、「奇跡の将軍樋口季一郎」、「南京事件は4度あった」、などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。
日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
《著書》
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦
『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』
『誰も言わない ねずさんの世界一誇れる国 日本』
最新刊
『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』
『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』

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