• 究極の民主主義


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    ねずさんが描く庶民をこんなに幸せにした日本というシステム

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    日本の天皇を、西欧など大陸の王や皇帝と同じものであるかのようにいう人がいます。
    全然違います。
    西欧など大陸の王や皇帝は、絶対的権威であり、絶対的権力者です。
    ところが日本の天皇は、神代の昔から続く万世一系のお血筋であり国家の最高権威ですが、権力者ではありません。
    権力者よりも上位の存在です。
    天皇という存在があることによって、民衆と権力者は人として対等な存在となり、民衆は権力者からの自由を得ているのです。
    そしてそのありがたさは、「なぜそうなのか」を誰もが知ることによって共有されなければならないことです。

    20220930 笑顔
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    歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
    小名木善行です。

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    中世の西洋には、各国に王様がいました。
    その王のもとには貴族がいました。
    その貴族の妻は、夫の私物です。
    けれどその夫は王の私物です。

    ですからどんなに美しい妻であっても、王が「よこせ」と言ったら献上しなければなりません。
    これを美しく描けばシンデレラの物語になります。
    シンデレラは、若くてかっこいい独身の王子様と、王子様を好きになった独身の美しい女性の物語ですから絵になります。
    けれど現実には多くの場合、腹が出た中高年の妻子ある王であり、女性は愛する夫を持つ人妻だったりしたわけです。

    夢と現実にはだいぶ差があります。
    当事者たちにとって悲しく辛いケースもたくさんあったであろうことは想像に難くありません。

    そして王による絶対的支配は、その下の貴族層にとっても、民間においても、社会構造としては同じ支配と被支配の関係をもたらします。
    そして社会は、上から下まで、その社会の隅々までが、上下と支配の構造に染まります。
    そしてその最下層には、人権さえも否定された奴隷がいます。

    ちなみにこの奴隷について、日本には上古の昔から、奴婢、生口はいましたが、奴隷はいません。
    大陸的な意味における奴隷というのは、単に人間が売買の対象となるというだけではありません。
    奴隷はモノであって、人でとして認識されない存在です。

    だいぶ以前になりますが、口蹄疫事件のときに、口蹄疫に罹患した牛が約30万頭、殺処分となりました。
    30万頭です。
    とんでもない数ですが、この殺処分を命じた官吏も、実施した官吏も殺牛罪には問われません。
    殺人罪も傷害罪も強姦罪も、人に対して適用されるものであって、動物やモノに対しては適用されません。
    つまり奴隷は、ただの動物やモノと同じ扱いだったということです。

    これに対し、日本の奴婢や生口は、どこまでも人です。
    まず奴婢から申しますと、奴婢は、

    「奴(やっこ)」=男性、
    「婢(ひ)」=はしため

    です。つまり、下男、下女のことを言います。

    下男、下女というのは、お屋敷等で住み込みで働く人達で、いまでいうなら会社の「社宅に住んでいる社員たち」です。
    いまでも日本では、上級公務員はたいてい官舎に住みますが、これは見方を変えれば住み込みで働いているわけです。
    その上級公務員たちが、奴隷だなどと思う人は、おそらく誰もいないと思います。
    ちゃんと給料をもらって働いているのです。

    奴婢も同じで、住み込みで働いていて、結婚もありました。
    子が優秀なら、家主が費用を負担して高い教育を得させたりもしていましたし、子を養子に迎えるケースもありました。
    屋敷の主が世襲なら、下男下女たちも、その多くは世襲でした。
    なぜなら世襲であることで、信頼、信用が増すからです。
    つまり、どうみても人としての処遇です。
    ということは、奴隷と奴婢は、まるで異なるものです。

    生口(せいこう)は『後漢書』に「107年(後漢永初元年)、倭国王・帥升らが後漢の安帝へ生口160人を献じた」という記録があります。
    日本(当時は倭国)が、後漢の皇帝に160人の人を献上したのです。

    これまた少し考えたらわかることですが、最高の存在を自称する一大権力者である後漢の皇帝に、日本が国家の威信を示すために人材を献上しているのです。
    そのときに、果たしてホームレスのような穢い奴隷たちを献上したりするでしょうか。

    日本語だけでなく、ちゃんと中国の言葉の読み書きができ、それぞれに技術を持った優秀な若者たちが160人献上されることで、はじめて国家としての威信が示されるし、そうでなければ当時の世界にあって最高権力者である中国皇帝への献上にはなりません。

    生口は、生きる口と書きますが、要するにこれは生きた人ということです。
    しかも口があります。
    ということは後漢の皇帝は160人もの人を、これから生涯、食わせて行かなければならないのです。
    それなら、食わせる以上に値打ちのある人達、つまり技術や教育のある人達でなければ、後漢の皇帝にしても、もらって迷惑です。

    つまり生口は、生きている優秀な技術や知能を持った人たちであって、これを大陸的な意味での奴隷と同じと考えるほうが、常識としてどうかしています。

    さて、その中国皇帝にせよ、西洋の王様にせよ、戴冠式を経て王や皇帝になります。
    これは宗教的権威者が間に立って、神の名のもとに新しい王に、王権を授けます。授かった王や皇帝は、その瞬間から神の代理人となります。
    神は直接口を利きませんが、王や皇帝は口を利くことができます。
    つまり神の代理人となった王や皇帝は、その瞬間から、神そのものと同じ権力を行使できることになります。

    神は人間よりもはるかに上位の存在です。
    ですから人を支配し、人を殺しても罪になることはありません。
    つまり王も皇帝も人々の生殺与奪の権を持ちます。
    そしてその権力によって、領土領民を支配します。

    ところが支配される側にとっては、これは王や皇帝の横暴を許す結果になります。
    ですからこれに我慢できなくなった人たちが、王政を倒して市民革命を行いました。
    これが十八世紀のフランス革命です。
    この革命は、民衆の「王による私的支配からの自由を得るため」に行われたとされ、以後に生まれたのが民主主義です。
    その民主主義は、いまや世界の中心的統治思想となっています。

    その民主主義では、市民の代表を選挙によって選びます。
    人望のある者が民衆の代表になるわけです。
    しかし、たとえ選挙で選ばれたとしても、ひとたび民衆のリーダーとなり、神の承認を得れば、その瞬間から任期中のリーダーは、民衆の支配者となります。

    中国も同じです。
    中国には太古の昔から天帝思想があります。
    天帝というのは天の神様です。
    皇帝はその神様から地上世界の支配を命ぜられた人です。
    この命令を天命といいます。

    天命を得た中国皇帝は、天の神様と同じ権力を持って人々を支配するのですが、これが不都合になると、天命が革(あらた)まります。
    これが「革命」です。
    そして天命が違う姓の人物に易(か)わります。
    これが「易姓」です。
    この両方を合わせた言葉が「易姓革命」です。

    易姓革命によって新たな地上の支配者となった皇帝は、天命によって地上世界を治めます。
    ですから皇帝のいるところが地上の中心です。
    だから中国といいます。
    そこに華やかな文明があるから、別名が「中華」です。

    日本の神々は、それがいけないというのです。
    日本のことを古い言葉で「中つ国」と言いますが、この場合の「中つ国」は、世界の中心という意味ではありません。上に神々のおわす天上界としての高天原があり、地下に死者の国である黄泉の国があります。
    その垂直方向に見た上中下の真ん中にある人間界が「中つ国」です。

    そして中つ国における統治は、神々のおわす高天原と同じ統治であれ、というのが、天孫降臨の意味です。
    高天原は神々の国です。
    神々には、すべての神々に、木の神、森の神というように、それぞれの役割があります。
    そしてその神々は、すべて創世の神々の宝であり、その創世の神々との窓口となっている天照大御神の宝です。
    ですからそこに役割の分担はあっても、私有はありません。
    当然、奴隷もいません。
    全部神様だから当然です。

    そして天照大御神は、中つ国への天孫降臨に際し、
    「高木神の命をもって派遣を決めた」
    と古事記に書かれています。
    高木神というのは、二代目の天地の創生神である高御産巣日神(たかみむすひのかみ)のことです。
    つまり天照大御神は、創生神である高御産巣日神と繋がり、創世の神とともに、創世の神の知恵を得て、天孫降臨を決めておいでになります。
    まさに「知(シラス)」をそのままに実行されているわけです。

    シラス統治と、ウシハク統治では、何がどのように違うのでしょうか。
    このことを手の中のコップでご説明してみたいと思います。

    コップを手にしている人は、そのコップは自分の手の中にありますから、それを水を飲むことに使おうが、捨てようが、投げて割ってしまおうが自由できる状態にあります。
    そのコップが自分のものであれば、どうしようがそれこそ「勝手」です。
    コップを割る(殺す)、売る(人身売買)、捨てる(棄民)、思いのままです。
    これが上下の関係しかない社会の権力者と民衆の関係です。

    権力者が民衆によって選ばれた者であっても、ひとたび権力を手にすれば(コップが手の中に入れば)、それこそ恣意のままに好き放題ができてしまう。
    なにせ権力を持てば、神の名のもとに広島や長崎に原爆を落として何十万という命が失わせることも、決断ひとつなのです。
    いかようにも処分できてしまいます。
    これがウシハク、主人が佩く、私物化する統治です。

    けれどそのコップが、いまいるレストランや喫茶店のコップであったらどうでしょう。
    コップは自分のものではありません。
    他人のものです。
    そうであれば、たとえ手の中のコップであっても、勝手に持ち帰ったり、売ったり割ったり人にあげたりすることはできません。
    最後はちゃんとお店に返さなければなりません。

    同じ「手の中のコップ」であっても、それが「自分のコップ」であるのか、「他人のコップ」であるかによって、コップの置かれた処遇は百八十度違ったものになります。
    これを制度として採り入れたのが、シラス統治です。
    つまり制度としてシラス統治は、実は民衆が権力者のものではなく、お店のもの、つまり神々のものとして尊重され、大切にされる社会制度ということができます。

    ここまでご説明すると、たいていの方が、
    「そうは言っても西洋社会でも民衆は神の子、
     神の宝とされているではないか」という声を頂戴します。
    もちろんその通りです。

    けれど一点、大きな違いがあります。
    統治者である王は、その神の代理人なのです。
    ですから地上においては神そのものと同じ権力の行使が可能となります。
    つまり神の名において、ウシハク統治者となるのです。

    現代の世界は、民主主義を標榜していますが、その実態はウシハク世界です。
    民衆のリーダーに選ばれた者が、神の名において、民衆を私的に支配します。

    民衆は、支配する側の人たちに、私的に使役され、収奪されます。
    この結果、富が支配者側に偏ります。

    西洋社会の資源は、主にアフリカから得られていますが、そのアフリカは、いまも貧困にあえいでいます。
    一部の人たちの贅沢な暮らしのために、他の多くの民衆が収奪され、貧困のどん底に追いやられます。
    そしてその一部の人たちも、究極的にはひとりのトップのために、収奪され、あらゆる富が、ひとりの人に集まるようになっています。
    そしてそのひとりのために、多くの民衆は支配されています。
    実は、ウシハクという統治システムは、今も昔も変わらず人類社会で行われ続けているといえます。

    これに対して日本の統治は「シラス」です。
    シラス統治では、天皇のもとに臣(大臣や閣僚などの政治権力者)も民も、等しく「おおみたから」です。
    そして臣は、その天皇の「おおみたから」を預かる立場です。
    自分の領土領民を私的に支配するのではなくて、天皇の「おおみたから」が安心して安全に豊かに暮らすことができるように、天皇に任命されて民へのサポートを行います。

    このことは江戸時代も同じです。
    江戸時代は徳川将軍の時代ですが、将軍は天皇から任命された役職です。
    全国のお大名も同じです。
    天皇から直接の場合と、将軍からの任命の場合がありますが、いずれも領土領民は、大名個人の私物ではありません。
    どこまでも我が国最高権威である天皇からの預かり物です。

    つまり天皇の大御宝を預かっているのです。
    ですから天皇の大御宝である領土領民が、少しでも豊かに安心して安全に暮らせるように面倒をみていくことが大名の勤めです。

    藩主のことを大名といいました。
    大名とは「大名主」の略です。名主というのは、天皇の大御宝として登記された土地と、戸籍に記載された人の名代であり、天皇から、天皇の大切な大御宝を預かる人です。

    このように申しましたら、以前、「そんなことはない。江戸時代、天皇などという言葉を知っている人など、世の中にいなかった」と言う人がいました。
    そのような学説もあるようです。
    ではお訊(たず)ねしたいのです。
    「ひな祭りの内裏様って誰のことですか?」と。
    「なぜ百人一首のカルタ遊びが江戸時代に普及していたのですか」と。

    日本人は、大抵の人の苗字が、佐藤、高橋、田中というように、漢字二文字で構成されています。
    また土地の名前も、讃岐(さぬき)、播磨(はりま)、相模(さがみ)のように、漢字二文字で構成されています。
    これは大化の改新の際に、中大兄皇子(後の天智天皇)が、公地公民制を敷き、このとき土地台帳や戸籍簿に、土地の名前や名字を漢字二文字で表すようにとの御触れを出したことに由来します。

    公地公民制は、まさに全国津々浦々の土地と民衆を天皇の大御宝として登記登録したという一大事業だったわけですが、その結果、全国の各家庭には、それぞれに苗字ができました。
    これがのちに姓と呼ばれるようになり、だから苗字と名前のことを姓名といいます。

    そして文武百官という言葉にあるように、百というのは「簡単に数えきれないほどたくさんの」という意味の言葉です。
    ですから全国の庶民のことを百姓(ひゃくせい)といいます。
    数えきれないくらいたくさんの姓という意味です。

    その百姓たちが、幕府や大名から任命されたお代官に対して、
    「木っ端役人ごとき何するものぞ。俺たちは天子様から姓をいただいた、栄えある百姓だ」といって、一揆を起こしたのが百姓一揆です。

    一揆というのは、「全員一致」を意味する言葉で、たくさんの姓を持つ人たち(つまり奴隷ではありません。主体性をもった大御宝としての人々です)が、全員一致で、お代官に物申す、とやったのが百姓一揆です。

    いまでも国会議事堂前に行きますと、毎日、なにがしかの団体がデモを行っていますが、あれが百姓一揆の現代版です。
    胸に誇りがあったのです。
    その意味で、百姓という言葉を、あたかも差別用語のようにいう人がいますが、そういう人たちはおそらく日本の歴史を知らず、王侯貴族に収奪されるばかりだった日本の周辺国で育ち、その国の歴史が、日本でも同じなのだろうと、妄想をたくましくしている人たちなのではないかと思います。
    天皇のシラス国である日本と、天皇という存在のない周辺国では、その歴史の成り立ちが違うのです。

    ちなみに、江戸時代初期、大軍の動員力を持てるほどの大金持ちだったはずの大名たちは、江戸時代の中期以降になると、どの藩もみんな借金まみれになっていました。
    このことは有名な話なのでほとんど常識となっていることです。
    各藩は年貢の取り立てをしていたし、つまり税収があったのに、どうして借金まみれになったのでしょうか。この答えも実は明快です。

    日本は地震、台風、大水、干ばつ、津波などの自然災害の多い国です。
    都市部ではこれに火災が加わります。
    こうした災害が発生すると、諸藩の大名たちは、被災者の救援をし、また被災地の復興のために大金を遣いました。

    なにせ民は、天子様(天皇)の大御宝であり、大切な預かりものなのです。
    そして民が豊かに安心して安全に暮らせるようにすることが大名主である大名の使命です。
    ですからお蔵米を放出して民の窮状を救い、被災地の復興のために大金を投じました。

    そんな天然の災害が、何十年単位で日本全国で繰り返し起こるのです。
    その都度、大金を遣っていれば、しまいにお金が失くなり借金まみれになるのも当然です。
    けれど民たちは、自国のお殿様を信頼しました。
    いざというときに頼りになるのは、自国のお殿様だったからです。

    そのお殿様は、自分のことを「よ」と言いました。
    「よは満足じゃ」の「よ」です。
    漢字で書いたら余とか世、あるいは予などです。
    これも近年では、一人称だといわれるようになりましたが、もともと殿様というのは、天子様の大切な大御宝をお預かりする立場です。

    ですからどこまでも大御宝のための存在でありますから、幼い頃から「自分(私)というものを持ってはならない」と教えられました。
    自分が贅沢をしたいとか、いい目をみたいとかという私心を持ってはならないのです。
    それは欲心と言われ、もっとも蔑むべきこととされました。

    ですから、たとえば美味しいものをたまたま食べることができたとき、それは自分が満足したという意味ではなくて、これほど美味しいものを食べれるなら、世の中の人々はきっと満足であろうという意味で、「世は満足じゃ」と言ったのです。
    だからお殿様は、自分のことを三人称で「よ」と言いました。

    武士の刀も同じです。
    武士はお家のために忠義を尽くすのではなく、民につくすことによって、民が豊かに安心して安全に暮らせるようにすることが忠義でした。
    それにより結果としてお殿様の徳を高めることになるとしても、一義的には民の幸せのために尽くすことが忠義の道です。

    ですから腰に大小二本の刀を差しました。
    大刀は、不条理があったときに、相手を斬るためです。
    けれど人を斬ったら、その責任をとって小刀で自分の腹を斬ります。
    武士は民に対して権限を持ちますが、権限を持つということは責任を持つということなのです。
    その心構えが、大小二本の刀であったわけです。

    武士の時代を例にあげましたが、こうした考え方は、日本の歴史に一貫している考え方です。民を神に通じる天子様(天皇)の大御宝とし、どこまでも民が豊かに安全に安心して暮らせるようにしていくことが官としての勤めであるという姿勢は、それ自体が「シラス」という用語で表現されていましたし、それはいわば「究極の民主主義」というべきものです。
    19世紀以降の西洋生まれの民主主義が、選挙で代表を選びながら、選び終えた瞬間にリーダーをウシハク統治者にしてしまうのに対し、日本の統治は、どこまでも民を大御宝とする体制なのです。

    このことが、日本の統治の根幹です。
    国家は人の集合体ですから、そこにはおのずと得手不得手がありますし、社会的分業が生まれます。
    そして大勢の人を統治していくためには、どうしても行政や司法や立法に際して、これを専門に行う権力者、つまり人の上に立つ者の存在が必要です。
    ところがその「人の上に立つ者」が、領土領民を私的に私物として支配したら、民衆は私物のコップさながらに、命を奪われたり、財産を収奪されたり、たったひとりの権力者のために、何もかも犠牲にさせられてしまいます。コップの置かれた立場、それが民衆の立場です。

    では民衆が、神と通じる天子様(天皇)の民であったのならどうでしょうか。
    どこまでも大切に扱わなければない。自分勝手に処分してはならない。
    それが当然のこととなります。日本が古い時代から築いたシラス統治が、まさにこの考え方によります。

    日本は、はるか上古の昔に国家の最高権威と政治権力を立て分け、政治権力者は、国家の最高権威によって親任されるという形を生み出しました。
    国家の最高権威は天皇です。
    そして日本国家の領土領民のすべては、天皇の「たから」です。
    だから「おおみたから」です。
    そして権力者は、その天皇の「おおみたから」たちが、安全に安心して豊かに暮らしていけるようにするための存在とされたのです。

    このことを民衆の側から見ると、むしろ積極的に天皇の権威のもとにあることによって、権力者からの自由を得ることになります。
    天皇という存在があるから、民衆は権力者の私物にならずに済んでいるのです。

    権力者が権威と権力の両方を持ち合わせていれば、それは選挙で選ばれようが世襲であろうが、権威と権力の両方を併せ持った時点で「ウシハク」統治者です。民衆を騙そうが、奪おうが思うがままです。
    ところが民衆が最高権威のたからものであって、権力者は最高権威者から民衆を預かっているという立場となると、権力者は常に公正でなければならず、私心を持たずに民衆の安寧のために奉仕する役割となります。
    これこそまさに「究極の民主主義」です。それがシラス統治です。

    日本の天皇を、西欧など大陸の王や皇帝と同じものであるかのようにいう人がいます。
    全然違います。
    西欧など大陸の王や皇帝は、絶対的権威であり、絶対的権力者です。
    ところが日本の天皇は、神代の昔から続く万世一系のお血筋であり国家の最高権威ですが、権力者ではありません。
    権力者よりも上位の存在です。
    そして天皇という存在があることによって、民衆と権力者は人として対等な存在となり、民衆は権力者からの自由を得ているのです。

    そしてそのありがたさは、「なぜそうなのか」を誰もが知ることによって共有されなければならないことです。
    だから「シラス」統治は、「知らす統治」でもあります。
    それが上古の昔からの日本の原点です。


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  • 野見宿禰(のうみのすくね)と當麻蹴速(とうまのけはや)


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    刀で立てた藁を斬る抜刀術がありますが、普通は、藁が倒れる前に一太刀斬れれば、すごい腕前です。
    これが二太刀入れることができるようになると、相当な技量とされ、三太刀入れることができる人は、抜群の腕前とされます。
    ところが水軍の技術では、その藁が倒れる前に、揺れる船上で10太刀くらい、平気で斬ります。
    古い時代の日本武術の技量は、驚くほどの凄みがあります。

    20220925 當麻蹶速と野見宿禰
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    今年7月に刊行された拙著『日本武人史』から、相撲の元祖とされる野見宿禰(のうみのすくね)と當麻蹴速(とうまのけはや)の物語をご紹介してみようと思います。
    『日本武人史』は、日本武術の歴史を考えようとした本で、どの流派がどうのこうのということではなく、日本武術がどのような精神を持って発展してきたのかを、あらためて考察した本です。

    西洋では、戦いの最前線は奴隷兵であり、その奴隷たちが戦いのために闘技場で戦い、それがスポーツの起源になっています。
    それは戦いのための腕力の競争であり、このことが後に、オリンピック競技へと発展し、また格闘技としてのボクシングやレスリングへと発展しています。
    それらは、戦いのための技術競争でしたから、たとえば一発クリーンヒットしてダウンしたら、10秒数えて、試合の勝敗が決まります。

    ただ、西洋も、チャイナもそうなのですが、歴史の中で何度も国が滅んでいるため、武芸の技術そのものが伝承されず、常に新しいものとしてルールの中で勝敗を競うものとなっています。

    これに対し日本では、戦いは、家族や郷里を護ろうとする自衛から生まれ、その技術が長い歴史を通じて伝承されてきました。
    どんな世界にも、時折、天才と呼ばれる人が生まれるものです。
    その天才が、技を工夫し、武術の技能や精神が高まると、弟子となってその技術を修業する者があらわれます。
    そうして何世代か経つと、そこにまた天才が現れる。
    その天才が、さらに技や精神や修行方法を工夫し、そのまた弟子に伝承する。
    そんなことが、実は万年の単位で繰り返されてきたのが、日本です。

    縄文時代は、武器を持たない時代だったということは、このブログでも何度も取り上げさせていただいていることですが、これは「もしかすると」なのですが、縄文時代には、日本人は武術の体得が常識であったのかもしれません。
    縄文時代や、それ以前の新石器時代には、日本人は海洋民族で、葦舟に乗って世界を旅する民族であったわけですが、そういう生活では、当然に争いが起きたり、巻き込まれたりすることがあったであろうと思われるのです。

    ところがそんなとき、日本武術を会得していると、相手を叩きのめすのではなく、相手が、どうして自分が倒されたのかわからないまま、気がついたら降参しているという状況になります。
    敵が手に打物を持っていたとしても、魂を抜かれてしまうので、何もできないうちに、その打物を取り上げられてしまう。
    とても不思議なことですが、それが日本武術の源流です。

    倒された側が、どうして自分が倒れているのか、わからないのです。
    大人であれば、幼児が歯向かってきても、簡単に取り押さえることができます。
    その大人と幼児くらい、体術の技量に違いがあれば、それは現実になります。

    昔の日本人は、痩せて小柄でしたが、これは海洋民族として、船に乗る生活が万年の単位で続いたことが原因しているといわれています。
    ずっと後年の話になりますが、倭寇と呼ばれた日本の水軍は、とにもかくにも、圧倒的に強かったといわれています。
    それは、単に日本刀の切れ味が良かったということだけではなくて、体術も優れていたのではないでしょうか。

    今も残る村上水軍などの水軍の末裔に伝わる戦いの技術は、揺れて狭い船上で、縦横に相手を倒すものすごい技術です。
    柔道の試合で、そういう流れの小柄な人にあたったことがありますが、試合開始10秒もしないうちに倒されてしまったことがあります。
    そのときの印象は、どうして自分の体が宙に浮いているのかわからない。
    まるで自分の体が、羽のように軽くなったような感じで、気がついたら畳の上で受け身をさせられていました。
    とても不思議な感触です。

    刀を使う技術もそうです。
    刀で立てた藁を斬る抜刀術がありますが、普通は、藁が倒れる前に一太刀斬れれば、すごい腕前です。
    これが二太刀入れることができるようになると、相当な技量とされ、三太刀入れることができる人は、抜群の腕前とされます。
    ところが水軍の技術では、その藁が倒れる前に、揺れる船上で10太刀くらい、平気で斬ります。

    古い時代の日本武術の技量は、驚くほどの凄みのあるものなのです。

    どうしてそこまで技術を進化させることができたのか。
    これは、その底流に、大きな文化性があったからではないかと思います。
    そういう前提の上に、『日本武人史』でご紹介した野見宿禰(のうみのすくね)と當麻蹴速(とうまのけはや)のお話があります。

    *****
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    相撲の起源 當麻蹶速と野見宿禰と日本武道

     相撲の始祖とされているのが野見宿禰(のうみのすくね)と當麻蹴速(とうまのけはや)です。二人の試合は紀元前23年、垂仁天皇の時代にあった出来事とされています。
     野見宿禰は、天穂日命(あめのほひのみこと)の一四世の子孫と伝えられる出雲国の勇士です。
     日本書紀に詳しく書かれていますので、現代語に訳してみます。

     *

     第11代垂仁天皇(すいにんてんのう)が即位して7年経った7月7日のこと、天皇の近習が、
    「當麻邑(とうまむら)に當摩蹶速(とうまのけはや)という名のおそろしく勇敢な人がいて、
     力が強く、日頃から周囲の人に、
     『国中を探しても我が力に比べる者はいない。
      どこかに強力者(ちからこわきもの)がいたら、
      死生を問わずに全力で争力(ちからくらべ)をしたいものだ』と言っている」と述べました。これを聞かれた天皇が、
    「朕も聞いている。
     當摩蹶速(とうまのけはや)は天下の力士という。
     果たしてこの人に並ぶ力士はいるだろうか」
    と群卿に問われました。一人の臣が答えました。
    「聞けば出雲国に野見宿禰(のみのすくね)という勇士がいるそうです。
     この人を試しに召して蹶速(けはや)と当たらせてみたらいかがでしょう」

     こうして倭直(やまとのあたい)の先祖の長尾市(ながおいち)が遣(つか)わされて、野見宿禰が都に呼び寄せられました。

     いよいよ試合の当日、両者は相対して立ち、それぞれが足を上げて揃い踏みを行いました。
    そして両者は激突しました。
    その瞬間、野見宿禰が當摩蹶速の肋骨を踏み折り、さらにその腰骨を踏み折って殺しました。

    勝者となった野見宿禰には、大和国の當麻の地(現奈良県葛城市當麻)が与えられ、野見宿禰は、その土地に留まって朝廷に仕えました。

    垂仁天皇の皇后であられた日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)が崩御されたとき、殉死に代えて人の形をした土器を埋めることを提案したのも野見宿禰です。これが埴輪(はにわ)の由来です。

     *

     ここに日本武術の心得の根幹が書かれています。
    當摩蹶速は、自分を天下の力士と自慢していました。
    一方野見宿禰は、勇士と呼ばれながら、自らを誇ることがありませんでした。
    試合の結果は一瞬で決まりました。天狗になっていた當摩蹶速が負け、自らを誇ることなく、寡黙に精進を続ける野見宿禰が勝ちました。そして戦いに際しては、躊躇することなく、瞬間に肋骨を踏み折り腰骨を砕く。鬼神のような強さを発揮する。ここに日本武道の根幹があります。

     刀はよく切れるから、鞘に収めるのです。そして日々、打ち粉を用いて磨き続ける。そうすることで日本刀はその威力を保ち、また刀を使う者自身も、日々鍛錬を怠らない。圧倒的な力を持ちながら常に謙虚でいて、日々精進を怠らない。だから強い。

     筆者の友人のある武道家の先生は、日頃は本当に大人しい紳士です。体躯もごく普通です。けれどそこに道場破りにやってきた強いと自慢の巨体のレスラーは、先生を一方的にヘッドロックした瞬間、天井まで吹き飛ばされて気を失いました。それでいて先生は着衣も髪の乱れもない。一瞬の出来事です。これは実際にあった出来事です。

     その先生もたいへんな人格者ですが、野見宿禰が後年、殉死を埴輪に置き換えたという伝承も、そうした建言が容(い)れられたのは、野見宿禰がただ強いことを鼻にかけるような鼻持ちならない痴れ者ではなく、その人格が人々から認められていたことを日本書紀は書いています。
    強いだけが男ではないのです。

     文中に7月7日という記述がありましたが、つい最近までは毎年田植えが終わった7月に、全国の神社で、町や村の青年たちによる奉納神前相撲が行われていました。いまでも地方によっては行なっているところもあるようです。これも、もともとは野見宿禰の試合前の揃い踏みに依拠します。

     田植えのあとに、神官がまず土俵を塩で清め、その土俵に村の力自慢の力士たちがあがって四股(しこ)を踏むのです。塩をまくのは、「清めの塩」で「土俵の上」の邪気を祓い清めて怪我のないように安全を祈るためです。四股はもともと「醜(しこ)」で、地中の邪気を意味します。清められた土俵の上に力士たちが上り、そこで地中の「醜」を踏みつけて「地中の」邪気を祓うのです。そうすることで、植えた苗がすくすくと育つようにと願います。

     ここにも日本の武道に関する考え方が色濃く反映しています。すなわち武は、あくまで「邪(よこしま)」を祓い、ものごとを「たける(竹のようにまっすぐに正す)」ものである、という思想です。

     革命や改革など、政変は度々起こります。これは我が国の歴史にも何度もあったことです。けれどそこで必要なことは、改革しようとする側が、あくまで「たける」存在であることです。改革しようとする側が「邪」であってはならなし、自分たち利益ばかりを優先する者であってはなりません。その典型がレーニン、スターリンであり、毛沢東です。ただの虐殺者です。

     何が正しく、何が邪(よこしま)なのか。
    地中の邪気は、作物の生育を邪魔し、人々の生活を奪います。
    ならば正しいことはその逆にあります。
    おいしい作物を育み、人々の生活を活気にあふれたものにするのです。
    それが真っ直ぐな道です。

     そのために行うのが「たける(竹る)」です。漢字では「武」と書きます。
    「武」は、単に「試合に勝つ」ためにあるのではありません。
    一人でもおおくの人々のために役立てるようになっていくこと。
    そのために日々精進するのが武の道です。
    私達はそのためにこの世に生まれてきている。
    それが日本古来の人の道の考え方です。

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  • 藤原敦忠に学ぶ日本男児の愛


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    古典和歌には、その人生そのものが、わずか三十一文字に込められています。
    敦忠の歌は、身分の違いからその愛を成就できなかった男が、そこから這い上がり、男としての成功を勝ち得、そして死んでゆく、そんな男の人生を高らかに歌い上げます。
    その意味ではこの歌は、日本の和歌文化をある意味、代表する歌だといえます。

    20220924 大原三千院
    画像出所=https://yanadalim.com/sanzenin/
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     逢ひ見てののちの心にくらぶれば
     昔はものを思はざりけり


    簡単に現代語に訳すと、
    「貴女と深い仲になってからの熱い思いは、
     こうした仲になる前のあなたへの恋心が、
     まるで何も思っていなかったのではと思えるほど、
     深くて愛おしいものなのです」
    となります。

    歌を詠んだのは権中納言藤原敦忠(ふじわらのあつただ)です。
    百人一首の43番にあります。

    歌の意味は現代語訳のとおりです。
    どうみても私的な恋愛の歌です。
    にもかかわらず百人一首では、詠み手の名前を「権中納言」と役名にしています。
    詠み人の名前が官名であるということは、それは公人としての立場で歌を詠んだとして百人一首が扱っていることを意味します。

    非常に個人的な歌なのに、どうして役名が付いているのか。
    実はそこに感動的な男のドラマがあります。

    権中納言敦忠は三十七歳でこの世を去りました。
    亡くなる前年に任官した役職が「権中納言」です。

    「権中納言」が、どのような役職かというと、後世、同じ役名をもらった有名人に、徳川光圀(とくがわみつくに)がいます。ご存知、水戸黄門です。
    権中納言は、唐名が黄門侍郎(こうもんじろう)で、略して「黄門」です。
    水戸黄門は、徳川家康の孫であり、徳川御三家の水戸藩の二代目藩主であり、天下の副将軍です。
    権中納言がどれだけ高い位か分かろうというものです。

    その藤原敦忠は、はじめから偉い人だったわけではありません。
    もともとは「従五位下」です。「従五位下」も殿上人(でんじょうびと)には違いないのですが、貴族としてはもっとも身分の低い、いってみれば貴族の中の大部屋暮らしです。

    藤原敦忠はたいへんな美男子であるとともに、管楽にも優れた才能を発揮する人でした。
    管楽の腕前がどれほどのものだったかを示すエピソードがあります。

    藤原敦忠が亡くなったあと、源博雅(みなもとのひろまさ)が音楽の御遊会でもてはやされていました。
    源博雅は、映画『陰陽師』で、伊藤英明さんが演じておいででした。
    映画では笛の名手となっていましたが、弦楽もかなり達者だったようです。

    その源博雅の演奏を聞いた老人たちが、
    「敦忠が存命中は、
     源博雅あたりが音楽の道で
     重んぜられるとは思いもしなかったと嘆いた」
    という話が、中世の歴史書の『大鏡(おおかがみ)』にあります。
    源博雅の笛が、まるで児戯(じぎ)に思えてしまうほど、藤原敦忠の管楽が素晴らしかったということです。

    身分は低いけれど、若くて、ハンサムで、歌も上手で、しかもうっとりするほどの管楽の達人。
    そうであれば、管楽を多くの人前で披露する機会も多かったことでしょう。
    藤原敦忠は内裏(だいり)の女性たちにモテモテでした。

    その藤原敦忠が二十五歳のとき、なんと第六十代醍醐(だいご)天皇の皇女である雅子内親王(がしないしんのう)と、良い仲になってしまうのです。
    このとき雅子内親王は二十一歳です。
    これまた若くて美しい盛りです。

    二人はまさに熱愛となりました。
    このとき互いに交わした愛の歌の数々が『敦忠集』に収められています。
    もう「大丈夫か?」と心配したくなるほど、二人の愛は熱々、ラブラブです。

    けれど困ったことに、身分が違いすぎるのです。
    やむなく大人たちは、雅子内親王を伊勢神宮の「斎宮(いわいのみや)」に選んで、都から去らせてしまいました。
    「斎宮」というのは、伊勢神宮の祭神である天照大神(あまてらすおおみかみ)の御杖代(みつえしろ)(=神様の意を受ける依代(よりしろ)となる女性で、皇女の中から選ばれました。
    お伊勢様の中に専用の建物が与えられ、五百人の女性たちがそこに傅(かしず)きました。

    もともと天照大御神様にお言葉を奏上し、天照大御神様のお言葉を下に伝えるのは、女性神である天宇受売神(あめのうずめのかみ)の仕事でした。(だから「天の声の受け売り」というご神名になっています。)
    現世において、その天宇受売神の地位に匹敵するお役目になるのが「斎宮」です。
    どれだけ貴重な存在かわかろうというものです。

    このときの藤原敦忠は、貴族とは名ばかりの下士です。
    片や雅子内親王は天皇の皇女です。
    あまりにも不釣り合いなことに加え、「斎宮」に選ばれたとあっては、もはや二人は二度と逢うことは許されません。

    だからこそ藤原敦忠は、その苦しい胸の内を、この歌に詠んだわけです。
    禁断の恋、つらい別れだからこそ、
    「逢ひ見てののちの心にくらぶれば」
    なのです。

    しかし敦忠は、身分の差があるからと愛する女性(ひと)を失ったという感傷にただひたるだけのヤワな男ではありませんでした。
    彼は、
    「ならば、その身分に匹敵する男になる!」と決め、猛然と仕事に精を出すのです。

    もともと才能ある若者です。
    努力し成果をあげ、翌年には従四位下に昇格したかと思うや否や、その年のうちに蔵人頭(くろうどのとう)に出世、翌年には左近衛権中将、さらに次の年には播磨守を兼任と、みるみるうちに宮中で頭角をあらわしていきます。そして十年後には押しも押されぬ「権中納言」にまで昇り詰めていったのです。
    まさに彼は、「女を妻にしても足るだけの男」になっていきました。

    けれど仕事で出世するということは、それだけ人の何倍もの仕事をこなすということです。
    あまりにも仕事に打ち込みすぎた藤原敦忠は、その翌年、過労のために、わずか三十七年の生涯を閉じてしまいます。

    作者名に、あえて「権中納言敦忠」と職名を付したのは、この歌は単に愛の讃歌というだけでなく、
    その背景として、
     つらい別れを経験した男が、
     そこから立ち上がり、
     世の中におおいに貢献し、
     出世し、
     愛した女性と釣り合うだけの男に成長して、
     死んでいった
    という、そこに男のドラマがあったのです。

    この解説を聞いた友人が、次のようなことを話してくれました。
    「もしかしたら敦忠は、
     たとえ噂でも自分の近況を伝えるために
     頑張ったのかもしれませんね。
     雅子内親王が伊勢神宮の斎王となれば、
     もう噂でしか近況を届ける手段はなくなります。
     半端な噂では斎王まで届きませんから、
     かなり頑張らなアカンかったのでしょうなあ・・・」

    四十三歌は、純粋に恋の歌です。
    けれど藤原定家がこの歌を百人一首に入れたのは、
    「男なら、そうやって成長せよ」
    そんなメッセージを伝えたかったからなのかもしれません。

    最近の百人一首の解説本では、この歌をただ「愛の讃歌」として紹介しているものが多いようです。
    でもそれだけの鑑賞では、この歌があまりにもったいない。
    そこに男の人生を感じ、それをこの、わずか三十一文字の中で感じ取る。
    これこそが日本和歌の文化であり、その意味でこの歌は、日本の和歌文化をある意味、代表する歌だともいえるのです。

    「愛」とは、もともとの大和言葉では「おもひ」です。
    昔の人は「おもうこと」に、この「愛」という漢字をあてました。
    親が子をおもうこと、夫が妻をおもうこと、妻が夫をおもうこと、恋人のことをおもうこと。
    それが愛です。

    以前、蝶の話を聞いたことがあります。
    アゲハチョウの幼虫を捕まえようとしたら、おそらく母親なのでしょう。
    蝶が、幼虫を取ろうとした人に、しきりにまとわりついて、それを阻止しようとしたのだそうです。
    昆虫でさえ、愛する我が子を守ろうとします。
    動物だって我が子を守るためには、敵わぬ相手でも、必死でこれをしりぞけようとするのです。

    まして私たちは人間です。
    自分より誰かのことを大切におもうことができる。
    そして、それこそが、日本人にとっての「愛(おもひ)」です。

    女性の愛は、全身全霊です。
    子を産み育てる女性は、全身全霊で子を愛するのと同様、男性をも全身全霊で愛します。

    男の愛は、責任です。
    男は妻子を守り、家を守り、社会や国を守るものだからです。
    その責任を自覚して生きるのが、日本人にとっての大人の男です。

    権中納言敦忠は、本気で人を好きになれる男でした。
    本気で好きな女性を愛せる男だったからこそ、本気で仕事もできたし、本気で出世もできたのです。

    もっというなら、人より自分のカネや虚栄や贅沢を愛するような自己中な男には、愛がないということです。
    あるのは自己愛だけ。
    これを虚栄と言います。

    おもしろいことに虚栄を愛する男は、その特徴としてやたらとゴージャスに身を飾ろうとします。
    これは女性のおしゃれとは、わけが違います。
    そういう男は、手にしたモノや地位や財産が、自分の価値だと思い込んでいるのです。

    違うと思います。
    「歩のない将棋は負け将棋」です。
    「ボロは着てても心の錦」
    「男は黙って責任を果たす」

    それが日本男子です。
    自分も、そういう男になれるよう、精進したいと思っています。


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  • 権力者による私的支配を拒否し続けてきた自由の民とは


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    タイトルの答えは、日本人です。
    民族が皆殺しの憂き目に遭う危険が伴う世界では、民族が国家としてまとまることで外敵を打ち払うために、国家の中心に権力を置くという社会形態が常識化しました。
    だから世界には国家ができたし、王国が生まれたし、同盟や朝貢なども行われました。
    ところが権力には腐敗が付き物だし、権力者だけが贅をつくして民衆が貧困にあえいだり、ときにはその権力が兵力を持つことで自国民を虐殺したりという出来事が度々起こりました。
    それは何も太古の昔に限ったことではなくて、お隣の半島で、つい60年前にも、大統領による自国民への大量虐殺事件が起きているし、ほんの28年前にはその向こうにある自称大国で、自国の学生たちを戦車で大量に轢き殺すという蛮行も行われています。
    ところが世界でただ一国、権力からの自由を得ながら、なおかつ平和で豊かな国を築いてきた大国があります
    それが日本です。

    20170928 シラス統治



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    人類史を考えたとき、人々がまだムラの小さな家族共同体を営んでいた時代から、現代のような大規模国家を形成する時代まで、少なくみつもっても2万年、長いスパンで考えるなら20万年の歳月がそこにあります。
    その長い人類の歴史の中で、人々は村落共同体を徐々に発展させて、豪族集団を形成し、その豪族集団を束ねる豪族が現れることで、国家を形成するようになりました。
    そしてこの課程のなかで、人々の社会には、世界中どこでも「支配する者」と「支配される者」が生まれたということは、およそ定説といって良いことであろうと思います。

    数の上から言ったら、いつの世も支配される側が圧倒的多数です。
    問題は、その支配する側です。

    China史では、その支配する側の頂点に立つ皇帝は、最初に天命を受けた皇帝は人情の人であり、人望があり、優れた資質を備えていて、人々の理想とする国家の建設に向けて、ときに戦いながら善政を施し、国をまとめたとあります。
    ところが代を重ねるごとに、その皇帝に傲慢が現れ、我侭(わがまま)と身勝手が強くなり、支配される民衆の生活は破壊され、国家は貧窮のどん底に叩き落され、ついには天帝がその天命を別な者に与えることで、国が革(あらた)まる、というのがChina史であり、東洋史の基本的な流れです。

    西洋史も似たところがあります。
    強大な悪の敵が現れ、その敵によって多くの民衆が殺され、奪われ、生活を破壊され、ついには国家まで崩壊に至る。
    ところがそこに英雄が現れて、民衆とともに力を合わせてその強大な敵に立ち向かい、ついにはその敵をやっつけて、平和な理想の国家を形成する。
    するとまたそこに強大な敵が現れて、国が滅ぼされ・・・というサイクルの連続が、ヘロドトスに始まる西洋史学の基本構造です。

    ただ実際には、China史においては、初代皇帝だけが仁徳の人で、その後におかしくなっていったというわけではなくて、おそらく最初から冷徹な殺人鬼があらゆる権謀術数や武力を用いて自らの栄達を図ったのであろうし、それによって出来上がった新国家(王国)も、民衆にとっては、不条理を押し付けるだけのただの収奪マシンでしかなかったし、民衆の幸せなど、ほとんど省みられることすらなかったというのが、実態であろうと思います。

    西洋史もまた、英雄は権力者となり、結果として民衆が望むものは、いつの時代においても常に「権力からの自由」であり続けたというのが実情です。
    ですから彼らにとって、自由であることは、まさに見果てぬ夢であり、坂の上にある手の届かない雲であり続けたわけです。

    このことは、19世紀以降に中心をなした民主主義においても実は同じです。
    国家は民衆が形成するものであり、民衆こそが国家を担う者だから、その民衆の選挙によって国家の代表を選べば、民衆に自由と幸せがやってくるに違いない。
    そのことを理想として、自由や博愛精神や市民の平等を高らかに民衆の権利として謳(うた)い上げて形成したのが、いわゆる近代国家です。

    ところがその近代国家は、政治権力と、これに結びついた商業資本によって操られ、気がつけば、かつての王国の時代では考えられなかったような市民への大量殺戮が公然と行われるようになり、富は偏在し、気がつけば選挙には利害がうごめき、政治権力者と商業資本家は、その富と権力を寡占し、結果として末端にある民衆は飢餓と病と殺戮による地獄のような生活を余儀なくされてしまっているというのが実情です。

    日本人は、そうした近代国家をこそ最高の政治形態であると学校で教わり、西洋社会やあるいは日本での生活が、それなりに豊かなものであることから、すっかり忘れてしまっていますが、いまもなお、アジアやアフリカの諸国、とりわけ近代社会に欠かせない資源を持つ国においては、豊かと言われる西側国家の収奪によって、貧困と病と暴力が圧倒的に国民を支配し続けているというのが、世界の現実です。

    こうした中にあって、いったいいつの時代にはじまったのかさえもわからないはるか神語の昔から、我が国では、国家最高の存在を「権威」とし、その権威によって末端の国民が「おほみたから」とされる国作りが行われてきました。
    政治権力者にとって、自らの権力の下にある民衆は、自分よりも上位にある国家最高権威の「たから」なのです。
    つまり、国も国民も、領土も領民も、いずれも「俺のもの」ではなくて、国家最高権威のものとしてきたのです。

    そしてこのことが示すことは、ただひとつです。
    それは、民衆は国家最高権威によって、権力からの自由を与えられてきた、ということです。
    日本人は、太古の昔から、まさに自由の民なのです。

    仁徳天皇の物語に、仁徳天皇の減税によって、人々の生活が豊かになったときの逸話が書かれています。
    豊かになった人々は、仁徳天皇という国家最高権威によって、自分たちが豊かさを取り戻すことができたことに感謝し、荒れ果ててしまっていた皇居の整備に、こぞって馳せ参じたという記述が日本書紀にあります。

    また、平安中期の伊勢神宮の斎主であり、神祇大副であった大中臣能宣(おほなかとみのよしのぶ)は、
     御垣守 衛士の焚く火は
     夜は燃え、昼はきえつつ、ものをこそ思へ
    と歌を遺しました。
    歌の意味は、皇居の門番を、無給であるにも関わらず、進んで買って出てくれている民衆が、一晩中不寝番で篝火(かがりび)を絶やさず、また日中は篝火は消すけれど、その不動の姿勢を崩さない。
    民は、自分たちが豊かに暮らせる(都までの旅費も宿泊費も食費も全部自前)ことが、天皇の存在のありがたさによって、自分たちが権力からの自由を得、またそれによって豊かに安心して安全に暮らすことができることへの感謝を、こうした門番を含む勤労奉仕で捧げてくれている。
    その民の気持を、思いを、我々政治を担う貴族はしっかりと受け止めていこうではないか。
    という意味です。

    思うに、一部の貴族や豪族、あるいは政治権力者や富者・長者といえる人たちだけが富や権力を独占し、寡占し、結果として民は絞られるだけ搾り取られるという搾取社会と、天皇という国家最高権威によって、末端の民こそが「おほみたから」とされる社会では、雲泥の差が出るのではないか。

    いまでも多くの日本人は、道や電車で財布を拾えば、黙ってそのまま警察に遺失物として届け出をします。
    一昔前の日本人なら、たとえば明治時代に日本にやってきたイザベラ・バードは、旅館に大切なものを置き忘れたとき、それを黙って日本人の馬子が届けてくれて、謝礼を渡そうとしたけれど、馬子が決して謝礼を受け取ろうとしなかったことに、たいへんな驚きをもって、その事実を手記に遺しています。

    誰もが安心して食べられる社会が営まれていたからこそ、人々は個人の利益よりも、正直であることや、魂に恥じないことを大切にする社会を営むことができたのです。
    外出するときに、家に鍵などかける必要など、毛ほども感じなかった時代は、ほんの半世紀前まで、日本ではあたりまえだったことです。

    英国のチャーチルは、
    「民主主義は最悪の政治である。
     これまで試みられてきた、
     民主主義以外の
     全ての政治体制を除けばだが」
    という有名な言葉を遺しました。

    なにも学校で習った民主主義だけが、最高の政治形態ではないのです。
    そのことは世界に先駆けて民主主義を実現したとされる英国の首相が、そのとおりに語っている。

    日本には、上古の昔から続く、究極の民主主義があります。
    それは、民をこそおほみたからとする、シラス統治です。
    私は、小手先の憲法改正論以前に、私たち日本人が、もともと日本が持っていたこの究極の民主主義についての理解を、国民的常識にしていくことの必要性を強く感じます。

    そしてそれこそが、神々の望む日本の姿です。


    ※この記事は2017年9月の記事の再掲です。

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  • 永田佐吉に学ぶ


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    永田佐吉(ながたさきち)は、赤穂浪士の討ち入りがあった元禄14年(1701)に生まれた人で、岐阜県羽島市の豪商だった人です。たいへんな人徳者と言われ、人を大切にし、手広く商いをして儲けた富で、道路の整備、道標の設置、石橋の設置、神社仏閣への寄進など、社会奉仕活動を行った人物です。

    尋常小学校三年生修身教科書
    20180830 永田佐吉



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    江戸時代に活躍した人に、永田佐吉(ながたさきち)という人がいます。
    赤穂浪士の討ち入りがあった元禄14年(1701)に生まれた人で、岐阜県羽島市の豪商だった人です。
    たいへんな人徳者と言われ、人を大切にし、手広く商いをして儲けた富は、道路の整備、道標の設置、石橋の設置、神社仏閣への寄進など、社会奉仕活動に遣ったことでも有名です。

    ただし、永田佐吉が人徳者と言われた理由は、彼が大金持ちであったことでも、社会奉仕活動をしたことでもありません。
    寄進や寄付、寄贈に際して、いっさい自分の名前を使わず、常にそれらの貢献を、村人たち全員の意思として行ったことにあります。

    みんなのおかげで儲けさせていただいたのです。
    だからそのお金は自分のためではなく、みんなのために、みんなの名前で使う。
    なかなかできることではありませんが、だから永田佐吉は偉人としていまなお称えられています。
    それが日本人らしい生き方だと思います。

    永田佐吉は、昔の修身の教科書では小学三年生で教えていました。
    漢字等を現代語に起き直してご紹介してみます。

    *****
    尋常小學修身書 巻三
    十 恩を忘れるな

    永田佐吉は、十一のとき、田舎から出てきて、名古屋のある紙屋に奉公しました。
    佐吉は正直者でよく働く上に、ひまがあると手習いをしたり、本を読んだりして楽しんでいましたから、たいそう主人に可愛がられました。
    しかし仲間のものどもは、佐吉をねたんで、店から出してしまうように、いくども主人に願い出ました。
    主人は仕方なく、佐吉にひまをやりました。

    佐吉は家に帰ってから、綿の仲買いなどをして暮らしていましたが、主人を恨むようなことは少しもなく、いつも世話になった恩を忘れませんでした。
    そうして買い出しに出た道のついでなどには、きっと紙屋へ行って主人のご機嫌を伺いました。

    その後紙屋は、たいそう衰えて、見るのも気の毒なありさまになり、長い間世話になっていた奉公人も、誰一人出入りをしなくなりました。
    しかし佐吉だけは、時々見舞いに行き、いろいろの物を贈って主人をなぐさめ、その暮らしをたすけました。
    ******


    いかがでしょうか。
    修身教科書は、佐吉の偉業をたたえるのではなく、佐吉ほどの人物であっても、人から妬まれたり、イジメられたり、それでも決して人を裏切ることなく、主人の恩を忘れず、誠実の限りを尽くしたことを扱っています。
    結論から言えば、そういうことが佐吉の人望をあげ、商いを成功に導き、さらに村全体の豊かさや安全や安心に貢献したのだと、昔の修身教科書は書いているのです。

    いまでも特定宗教団体や会社や団体等で、大儲けをしている人はいます。
    けれどそういう人たちが、ではどれだけ社会貢献活動をしているのか。
    そしてそれらの活動を、みんなの名前で行っているのか。

    佐吉が現代に生きていたなら、自分の顔写真をデカデカと看板にしたりすることはありますまい。
    誰かひとりが大事なのではなく、誰もがそれぞれの役割を人生で果たしながら、神々の子として尊重される。
    それこそが、この世が神々の胎内にあり、人々はその胎児の細胞のひとつひとつなのだとする日本的思考です。

    体の細胞は、そのひとつひとつに役割があります。
    皮膚の細胞なら皮膚としての、心臓の細胞、血管の細胞、胃腸の細胞、大脳の細胞、それぞれに役割があります。
    それら諸器官の中で、ひとつひとつの細胞の寿命は、短いもの(消化器官の上皮細胞)で24時間、赤血球なら3ヶ月、骨髄細胞は数年から十数年、最長の心筋細胞や脳細胞は、その人が死ぬまでのお付き合いになります。
    長寿の細胞も、短命な細胞も、それぞれがそれぞれの役割をしっかりと果たすことで人の体はできあがっています。

    そして最長寿命の心筋細胞であったとしても、そのひとつの細胞が果たす役割は、ごくわずかなものでしかありません。
    それでもそのひとつが、たったひとつでも壊死すれば、心筋梗塞の原因になります。

    同様に、人が人生においてなしえることは、精一杯頑張っても小さなことにすぎないかもしれない。
    けれど、それでも誠実に役割を果たしていくことが、人の人生にとって最も重要なことと、日本では考えられてきたのです。
    なぜなら、何万という細胞で役割を分担していても、そのひとつひとつは、ちゃんとつながっているからです。

    商売も同じで、すべてがつながっています。
    明治のはじめに、財政破綻状態にあった貧乏国の日本が、数十年で欧米列強に匹敵する大国に成長することができたのも、戦後に焼け野原となった日本が、わずか二十年でオリンピックの開催国になれるまでに復興できたのも、そうした、ひとりひとりがつながっているという紐帯を、国を家として大切にしてきたからです。

    逆に平成30年間の不況は、そうした紐帯が崩壊したことによって招かれたものです。
    少し考えたらわかることです。
    細胞が、その役割を忘れ、心筋や皮膚細胞のひとつとしてきちんと役割を果たしていくことを放棄して、周囲の細胞から栄養分を吸い取るだけになったらどうなるか。
    それはがん細胞と呼ばれる細胞です。

    令和に入って最初の試練はコロナです。
    コロナショックは、日本の政治経済のあり方を、根底から再考することを求めています。

    ひとりひとりがかがやく世界と、よく言われます。
    ひとりひとりがかがやくというのは、ひとりひとりが身勝手に生きる社会という意味ではないはずです。
    ひとりひとりが人生の役割をしっかりと果たして生きていく。
    そうした考え方は、教育から生まれるものです。

    戦前戦中までは常識で、戦後は常識ではなくなった教育のひとつに神話教育があります。
    その神話では、我々は神様の胎児の細胞のひとつひとつなのだと教えられました。
    人の体は35兆個もある細胞からできあがっていて、その細胞のひとつひとつは、新陳代謝で、日々生まれ変わっています。
    心臓の細胞、肝臓の細胞、皮膚の細胞、毛髪の細胞、爪の細胞、血液の細胞等々、細胞にはそれぞれ役割があります。
    これがもって生まれた、ひとそれぞれのお役目です。

    そのお役目に、早く気付いて、そのお役目に沿った生き方をする。
    そのために戦前戦中では、小学校卒業時には、その子の生涯の人生の方向が決定づけられるといった取り組みもされていました。
    現代日本人の感覚からすると、それは人の可能性を決めつけるものだ、と言われてしまいそうですが、その子の傾向性というのは、12歳位までには、ほぼ完全に決定されてしまうものです。

    たとえば、
    「鎌倉に幕府を作ることになりました。
     君はそのとき、どうやって
     幕府のお役に立とうとしますか?」

    という質問があります。
    人によって、すぐに思いつくことは、自分なら立派な幕府の建物を造りたいとか、街区の設計をしたい、あるいは工事に携わるみんなのために栄養のある食事をつくりたい、その食事に使う野菜や魚をとって来たい、人々の着物を作りたい、礼儀作法の教育に携わりたい等々、児童それぞれごとにみんな違います。
    それがその子の、持って生まれた傾向性です。
    その傾向性に沿った進路を児童に与える。
    児童たちは、自分の好きな、そして自分の持って生まれた傾向性に合った進路へと進むことになるのです。
    小中高と、すべての児童が同じ教育を受けるという戦後の学制と、それ以前の学制では、実は全く異なっていたのです。

    そういうことなら、現代においても「職業適性検査」をしているではないかという声も聞こえてきそうです。
    しかし、たとえば仮に「君は警察官になる適正が最も高い」と言われたとしても、警察官には、経理職から管理職、警察行政職、企画職、捜査員、科学捜査研究、記録等の保管事務等々、ひとくちに警察官といっても、その巨大な組織の中には、実に様々な職種があるわけです。
    果たして、その職業適性検査の言う「警察官」というのは、警察官の何の職種に適正があると言っているのでしょうか。

    戦後、反日国家として特定アジア三国が誕生しました。
    それら国々では、史実を捻じ曲げた反日教育が行われています。
    馬鹿なことだと、多くの人が言います。私もそう思います。
    しかし、では日本は、しっかりとした教育が行われているのでしょうか。
    そう、言い切ることができるのでしょうか。

    もしできないのなら、戦前戦中の教育制度から学べるものはしっかりと学び、新たな教育を起こしていくのが、現代を生きる我々のつとめなのではないでしょうか。


    ※この記事は2020年9月の記事の再掲です。

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  • ザビエルの見た日本


    ■□■━━━━━━━━━━━━━■□■
    9月10日(土)13時半から倭塾を開催します。
    今回のテーマは「政治と宗教を考える」です。
    場所や参加方法などの詳細は↓こちら↓
    https://www.facebook.com/events/588469902181665/
    ■□■━━━━━━━━━━━━━■□■

    いくら欧米化したところで、日本人は日本人です。
    その日本が世界最古の国家であることには理由があります。その理由を取り戻して常識化し、そこから新たな未来を創造していく。そこにこそ日本が未来を拓【ひら】く鍵があるのだろうと思います。

    20220906 ザビエル
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    小名木善行です。

    10月7日に、拙著新刊の『奇蹟の日本史』という本が出版になります。
    サブタイトルは『ねずさんが描く庶民をこんなに幸せにした日本というシステム』です。
    9月8日予約開始なのですが、この本の「まえがき」を抜粋してお届けしようと思います。




    はじめに『ザビエルの見た日本』

     フランシスコ・ザビエルといえば、天文十八(一五四九)年八月に、日本に初めてキリスト教を伝えた人として有名です。
    そのザビエルが日本に滞在したのは、同年から天文二十一(一五五二)年十一月までの三年三ヵ月です。その間にザビエルは鹿児島、山口、京都をめぐって布教活動を行いました。
    そんなザビエルが日本の様子について書き記し、イエズス会に送った書簡があります。

     ***
    この国の人々は、今までに発見された国民の中で最高であり、
    日本人より優れている人々は異教徒の間では見つけられない。
    彼らは親しみやすく、一般に善良で、悪意がない。
    驚くほど名誉心の強い人々で、他の何ものよりも名誉を重んじる。
    大部分の人々は貧しいが、武士も、そういう人々も貧しいことを不名誉と思わない。
     ***

     ザビエルがこんな評価をしたのは、日本が平和で文化が円熟した江戸時代ではありません。戦国時代の日本です。一五四九年といえば、信長がまだ藤原信長と名乗り、徳川家康がまだ松平竹千代という名の少年だった時代です。

    この年、竹千代は駿府【すんぷ】の今川義元【いまがわよしもと】に人質【ひとじち】として送られました。一五五〇年には前田利家が十四歳で信長に仕え、信長の守役【もりやく】だった平手政秀【ひらてまさひで】が、うつけ者と呼ばれた信長を諌【いさ】めようとして切腹【せっぷく】しています。要するにザビエルの見た日本は、まさに戦国まっただ中の日本です。

     ところがそんな日本をザビエルは、「親しみやすく善良」と讃【たた】えました。しかも「今までに発見された国民の中で最高」だというのです。

     みなさんは「戦国時代」と聞くと、どのような時代を思い浮かべるでしょうか?
    おそらく学校で教わり、テレビや小説の時代劇で知った戦国時代は、戦国大名が戦【いくさ】ばかりやっていて、荒っぽい武者が民衆を殺し、部下が上司を殺す下克上【げこくじょう】の時代で、あらゆる権威が崩れ、次々と起こる戦に、田畑は荒され、野山は荒野となり、民衆は飢え、国は荒れ、野武士集団が跋扈【ばっこ】して、民衆や農民から強盗や強姦【ごうかん】を繰り返していた時代、そんなイメージを鮮烈に焼き付けられているのではないかと思います。

    ところが実際にその時代を自分の足で歩き見聞したザビエルは、その戦国期の日本を、まったく違う姿にとらえています。

     ザビエルは文←書簡の中で「異教徒」という言葉を用いています。この時代の西洋人にとって「異教徒」は蛮族【ばんぞく】でありヒトモドキです。映画に出てくるバンパイヤ(吸血鬼)や、リカント(狼男)と同じで、蛮族とは人の姿をした獣【けもの】であって、人として認識されていません。ところがそんな異教徒の日本人をザビエルは、「今まで見た国民の中で最高」と述べているわけです。
    いってみれば猿の社会を、彼は「人間の社会より優れた国、美しい国、美しい国民」と評価したようなものです。

     異教徒でありながら、実に優れた文化を持った国。ザビエルは日本をそのように評価しました。その評価が与えられた日本はなんと、日本人の常識からしたら、最も世が荒れた戦国の時代であったわけです。

     みなさんにはぜひ、このことの意味するところをお考えいただきたいのです。もし、みなさんがザビエルの立場にある宣教師だったとしたならば、今の日本を見たとき、果たしてザビエルと同等の評価をされるでしょうか? もし「しない」のであれば、それは世が荒れたと言われる戦国時代よりも、今の日本のほうが、よほど民心が荒【すさ】んでいることになります。

     実際には、最近発見された戦国時代の日記などの記録をみると、後世の我々が「戦国時代」と名付けた時代も江戸時代も、日本人の心はまるで変わっていないことに驚かされます。つまり日本人は、戦国期においても、文化が円熟したとされる江戸期においても、等しく勤勉で真面目で、人を大事にし、一人ひとりが自らの成長に励み、人々が互いに助け合い、たとえ貧しくても立派に生きることを選択する民度の高い国民であったのです。

     *

     エドワード・モースは、明治十(一八七七)年から明治十五(一八八二)年にかけて、三度にわたって来日したアメリカの教授です。日本の大森貝塚の発見や、ダーウィンの進化論を日本に伝えた人でもあります。そのモースが、日本での体験談を『JAPAN DAY BY DAY』(邦訳は石川欣一訳『日本 その日その日』平凡社・東洋文庫)という本にしています。明治十年頃の日本の姿を、紀行文として著したものです。すこし引用してみます。

     ***


    外国人の筆者達が一人残らず一致する事がある。それは日本が子供達の天国だということである。この国の子供達は親切に取扱われるばかりでなく、他のいずれの国の子供達よりも多くの自由を持ち、その自由を濫用することはより少く、気持ちのよい経験の、より多くの変化を持っている。

    而(しか)も世界中で両親を敬愛し老年者を尊敬すること日本の子供に如【し】くものはない。爾(なんじ)の父と母とを敬愛せよ・・これは日本人に深く浸み込んだ特性である。

    日本人の綺麗(きれい)好きなことは、常に外国人が口にしている。日本人は家に入るのに足袋【たび】以外は履いていない。木製の履物【はきもの】なり藁(わら)の草履【ぞうり】なりを、文字通り踏み外してから入る。最下層の子供達は家の前で遊ぶが、それにしても地面で直(じか)に遊ぶことはせず、大人が筵(むしろ)を敷いてやる。

    世界中で日本ほど、子供が親切に取扱われ、そして子供の為に深い注意が払われる国はない。ニコニコしている所から判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい。
     ***

     モースは、明治十九年にも『Japanese Homes and their Surroundings』(邦訳は『明治・日本人の住まいと暮らし』●邦訳が出ていますので、入れてみました。という本を書いています。そこには、次の記述があります。

     ***
    レインをはじめ文筆家たちは「日本の住居にはプライバシーが欠けている」と述べている。
    しかし彼らは、プライバシーは野蛮で不作法な人々の間でのみ必要なことを忘れている。
    日本人は、こういった野蛮な人々の非常に少ない国民である。
     ***

     冒頭に戦国時代のザビエルを引用しました。それよりももっと古い時代、奈良時代の終わり頃の七五六年に建てられた国宝を保存する正倉院には、これまた有名な話ですが、鍵がありません。あるのは、紙でできたお札だけです。それでいて泥棒が入らない。一般の民家でさえ、一昔前までは家に鍵などなかったし、玄関の戸はいつも開け放たれたままでした。開けっ放しでも、鍵などかけなくても、そもそも泥棒が入る心配などまったくなかったからです。

     なぜそのようなことが可能だったのでしょうか? 
    以前、いつもお世話になっている市内のある神社の宮司がおっしゃいました。
    「日本という国は、陛下のもとにみんなが共同体として生活していたのです」

    戦国時代の日本も、やはり同じ、共同体だったのです。
    日本はもういちど、日本の心を取り戻すための勉強、つまり日本人としてのアイデンティティを本気で取り戻すことをしっかりと考えていかなければならないのではないでしょうか。

     会社も同じです。
    会社は資本家である株主のものというのが西洋の常識です。カネを出しているのだから、言うことを聞いて当たり前だというわけです。
    けれど古くからの日本では、会社は経営者や社員たちのものでした。会社にいる全員の共同財産であり、みんなで力を合わせて業績をあげ、お客様にも仕入先にもよろこんでいただく。
    そういうコミュニティでした。
    だからこそ誰もが人生を賭けて一生懸命働いたし、その結果は終身雇用になったり、あるいは暖簾分【のれんわ】けしてもらって、終生その商売をして暮らすためのものでした。
    だからこそ世界の創業二百年以上の企業のおよそ五六〇〇社のうち、半数以上の約三一〇〇社が日本に集中し、また世界に十二社しか存在しない創業千年超え企業のうち、九社が日本の会社だったりするわけです。

     また、社会全体が共同体となっている日本においては、自分の会社の悪口や同業他社の足を引っ張ることは、けっして良いこととされることはありませんでした。あたりまえです。そのようなことを百年続けても、自社の業績が良くなることはけっしてないからです。自分の所属する会社やコミュニティを良くしたいなら、率先して努力し、みんなの力を結集していくことです。それ以外に業績が好転することはけっしてありません。

     あるいは同業他社に自社の悪口を言われたからといって、同じようにその会社の悪口を並べ立てたところで、自社の業績が上向くようにはなりません。それどころか他者の悪口ばかりで疑心暗鬼に陥【おちい】れば、自分の会社の中さえも、互いに信じ合うことができない荒【すさ】んだ会社になってしまいます。

    けれど欧米では逆です。選挙では対立候補の悪口を並べ立てて相手の足を引っ張ることが常識です。ビジネスにおいても、同業他社の欠陥をあげつらって訴訟問題にまで仕立てることで、自社のシェアを伸ばそうとします。さらに国単位の話になると、戦後の日本においても、なぜか政治の悪口、他国の悪口、自国の悪口ばかりです。

     国というものは、生活者である国民にとっての最大のコミュニティです。コミュニティが発展し、良くなれば、そこに参加している人々みんなの暮らしが良くなります。反対にコミュニティ自体の業績が下がれば、ごく一部には、下げることで利益を上げる人もありますが、コミュニティを構成する人々の暮らしを減衰させます。
     日本の近くには、日本の悪口を言うことが国家的アイデンティティとなっている国もあります。けれど彼らが残酷【ざんこく】で自分勝手なことは、今に始まったことではありません。千年前も二千年前も変わらないことです。おそらくあと千年経っても変わらない。

     それよりも我が国が、世界中の誰からも認められる、本当に良い国、素晴らしい国になることを、あらためて学び、考え、行動すべきであろうと思います。

     私達は日本を取り戻そうとしています。なぜなら、日本がいくら欧米化したところで、日本人は日本人だからです。日本が世界最古の国家であることには理由があります。その理由を取り戻して常識化し、そこから新たな未来を創造していく。そこにこそ日本が未来を拓【ひら】く鍵があるのだろうと思います。


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  • 神話と民度の不思議な関係


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    今回のテーマは「政治と宗教を考える」です。
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    誇りこそが、何が正しくて、何が間違っているのかという美意識の根幹であり、物事への判断の根幹です。
    幸いなことに日本は、よその国から借り物の神話や歴史を運んでこなくても、自国の神話や歴史のなかに、すばらしい、そして誇り高い、さらに美意識の原点となる宝石が山のように積もっている国です。


    20200830 テルモピュライの戦いのレオニダス王
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    ギリシア神話は、紀元前15世紀頃に遡(さかのぼ)る物語、つまりいまから3500年ほどの過去にまで遡る神々の物語です。
    なかでも紀元前8世紀末の吟遊詩人ホメロスの「イーリアス」や「オデッセイア」などはとても有名です。

    世界が混沌としたカオスの時代からはじまり、オリンポス神々の逸話によって語られる世界は、子供のころ、童話などで読まれた記憶のある方も多いかと思います。
    イメージ的には、とても甘美で美しく素敵な神々の美しい物語と思っておいでの方も多いのではないかと思います。

    そこで、そのギリシャ神話に出てくる物語の一部を抜粋してみます。

    「大地の母神ガイアは、
     子のウラノスと交合して
     三つ子のキプロスたちを産んだ。
     これらはひとつ目の怪物であった」

    「大地の母神ガイアは、
     父ウラノスの男根を切れとクロノスに命じた。
     母から鎌を渡されたクロノスは、
     母ガイアと父がまさに交合しようとするそのときに、
     母に命じられた通りに父の男根を切って殺し、
     クロノスは王になった。」

    「王者クロノスは、
     実の妹のレイアと結婚して5人の子をもうけた。
     クロノスは、
     自分が子に打ち負かされて
     王位を奪い取られる運命にあると
     予言されていたから、
     生まれてきた子を順番に
     食べてしまった。」

    「このとき妻のレイアが隠しとおした子が
     ゼウスである。
     ゼウスは成長すると
     祖母のガイアに教えられた通りに
     父クロノスを騙して吐き薬を飲ませた。
     クロノスはゼウスに飲まされた石を吐きだし、
     続けてクロノスが食べたゼウスの兄や姉を吐き出した。
     吐き出された兄弟たちはゼウスの家来となってクロノスと戦った。」

    「クロノスの子のうちのひとり、
     女神のヘラは、
     実兄の妃となり、
     オリンポスの女王となった」

    「プロメテウスの犯した罪のために弟のエピメテウスはオリンポスを追放された。
     エピメテウスは地上で人間とともに暮らしていたが、
     怒りのおさまらないゼウスは、
     人間にも罰をあたえようとした。
     そこで何でも作れる鍛冶屋の神のヘパイストスに
     女性を造らせた。」

    「できあがった女性に、ゼウスは命を吹き込んだ。
     このときゼウスは、女性に、
     美しさ、
     歌と音楽、
     賢(かしこ)さと狡(ずる)さ、
     好奇心」を与え、
     『これは人間にとっての災(わざわ)いだ』
     と述べた。」


    なにやらとても残酷ですし、また女性を「人間にとっての災(わざわ)い」と規定するなど、よくよく読んでみらたものすごい内容ですが、どうしてそのような物語(神話)がヨーロッパの神話となって広がったのかというと、実はその理由が元《モンゴル》の大帝国の台頭と滅亡にあります。

    よく誤解されていることですが、13世紀以前のヨーロッパの白人社会というのは、決してみやびで豊かな王国社会であったわけではなく、殺し合いと収奪が織りなす、たいへんに原始的な社会となっていました。
    そこに元の大帝国がやってきたわけですが、元は、税率を「力関係」ではなく、あくまで平等な「一定税率」にしたし、戦いに勝利した際の報奨が末端の兵士(あるいは亡くなった兵士)にまでちゃんと行き渡る仕組みを持っていましたから、むしろ元に征服される側の人たちに、城塞都市国家の王に背いて元に味方をする人たちが大勢いたわけです。

    これにモンゴル軍の機動力を活かした強さもあって、またたく間に元はユーラシア大陸を席巻し、その勢力は遠く東欧にまで及ぶことになったわけです。
    ヨーロッパ戦線を担当したバトゥが、たまたま大ハーンのオゴデイが重篤となったために、ハンの後継者を決めるためにモンゴルへと帰還してくれたおかげで、西ヨーロッパはモンゴルに組み込まれずにすみましたが、あと半年、バトゥの帰還が遅れたら、おそらく北欧やイギリス、フランス、スペインなども、完全にモンゴルに飲み込まれたであろうと言われています。

    ところがそれだけの勢力を誇った元の大帝国が、世界史の教科書では、またたく間に滅んだように書かれています。
    これは実は、元が滅んだのではなくて、元の相続制度が、息子たちへの財産(領地)の均等配分方式であったことによります。
    つまり相続が行われるたびに、領土が分割され、細分化されていくのです。
    つまり領土が相続によって細分化されていくことによって、元の勢力が衰えていったわけです。

    世界史の教科書では、その元は明の朱元璋(しゅげんしょう)によって、あたかも軍事的に滅ぼされたかのように書かれています。
    これまた大きな間違いです。

    どういうことかというと、最大の理由が、元の末期の1340年代に、チャイナで疫病(ペスト)が猛威をふるうのです。
    どのくらいの猛威だったかというと、元の人口は1億2千万人だったそうですが、このうちの9500万人が死亡しています。
    さらにペストは元の版図によって、ヨーロッパにまで感染が拡大し、当時のヨーロッパの人口の6割を死亡させています。

    この時代、感染症がウイルスによって引き起こされるなんてことは、誰も知らない(わからない)時代です。
    目の前で人々がバタバタと死んでいくのは、これは神の怒りとしか思われない。
    そして神の怒りを鎮めるのは、もっぱら宗教の役割です。

    さまざまな宗教が起きた中で、実は元にあった白蓮教が、ペスト下で、教団勢力を伸ばしました。
    白蓮教というのはものすごく簡単に要約して言うと白蓮教が、あるときはキリスト教を名乗り、またあるときは仏教を名乗るなど、要するに現世利益のためならなんでもありの宗教であったことによります。
    そして白蓮教では、肉体は闇の存在で悪魔であり、霊魂は光であって尊いものと教えます。
    このため、汚れた存在である肉体の接触を、極度に嫌い、ハグや握手、性交などを忌避しました。

    つまり極端に接触感染を避ける教団であったわけで、実はこの事が、白蓮教をして、なぜかペストから生き残らせるという結果を招いたわけです。

    一方では、普通にハグの習慣を持つモンゴルと、肉体の接触を嫌う白蓮教。
    ペストによって人々がバタバタと死んでいく中で、白蓮教は教団勢力を伸ばし、その白蓮教徒たちは1351年に紅巾の乱を起こします。
    乱を抑える側の元の将官たちは、ペストが怖くて戦えない。
    結局、元は、衛生環境に問題のある大都(北京)を捨てて、北方の遊牧地帯に避難していきます。

    一方で、無人の野を行くがごとく元の領土を奪った紅巾軍の将官であった貧農出身の朱元璋が、紅巾軍以外、誰もいないところで、1368年に皇帝を名乗って建国したのが明です。
    もっともこうして生まれた明も、17世紀にはやはり疫病が原因で、女真族の清によって滅ぼされていくのですが。。

    要するにチャイナでは、疫病の大流行(これに蝗害や洪水なども加わる)によって、大量死が起こり、都度、王朝が交代してきた歴史が繰り返されています。
    疫病、蝗害、洪水といった危機に際して、その被害をまともに受けた地域と、受けなかった地域や民族が、中原を統一して新たな王朝を建ててきたのが、チャイナの歴史であるわけです。

    一方、元の勢力が衰えた中東では、オスマンの大帝国が台頭します。
    オスマンの宗教は御存知の通りイスラム教ですが、イスラムでは、ハグやキスは厳禁で、異性との肌の接触も身内以外とは厳禁です。
    つまり結婚しなければ男女が肌を合わせることができません。
    ということは、感染が起こりにくいわけで、結局、ペストの流行によって元が勢力を衰えさせたところに、ペストの感染率が低いイスラム教徒が、新たに起こした国がオスマンの大帝国であったわけです。

    そしてこのオスマンは、中東から東ヨーロッパあたりまでを勢力下に治め、地中海交易の利権を完全に独占していきます。

    こうなると、地中海沿岸のヨーロッパ諸国は、きわめておもしろくないわけで、生き残った人たちは、自分たちの独立を求めていこうとします。
    そしてこのときに、元に征服されたヨーロッパだけれど、俺達には大昔からの歴史伝統文化があるのだ、ということで興った運動が、有名なルネッサンス運動です。

    ルネッサンス運動は、ひとことでいえば「ギリシャ・ローマの時代に還れ」というものですが、ここで自分たちが栄えある歴史を持った種であることを裏付けたのが、ギリシャ神話であったわけです。

    おそらく(というかいまでもヨーロッパの各民族ごとに古い神話が残っていたりしますが)、ヨーロッパでは中世までに王国同士の殺戮と、極限までの収奪等によって、古い文化がことごとく滅ぼされてしまっていたわけです。
    つまり還るべき原点がない。
    そこで、ヨーロッパの種族の共通の神話として、ギリシャ神話を用いるようになったわけです。

    ギリシャ神話には、もちろん、上にご紹介したような、残酷な面もありますが、さらにギリシャの物語は、ペルシャ戦争におけるテルモピュライの戦いで、100万の軍勢を持つペルシア軍に対し、スパルタ国のレオニダス王は、わずか300の手勢を率いて果敢に戦い、全滅しながらもペルシャの2万の兵を倒した等、勇敢な物語が描かれています。

    ヨーロッパでは、いまなおこのレオニダス王とスパルタ兵を顕彰し、テルモピュライには顕彰碑が建てられて、観光名所ともなっています。
    日本では、先の大戦において数々の玉砕戦が営まれましたが、国をあげての顕彰は、戦後75年経ったいまなお行われていません。
    これに対し、ヨーロッパでは、紀元前480年のテルモピュライの戦いが、2500年経ったいまなお語り継がれ、映画化され、またドラマ化されてる。
    誇りというものは、保ち育まなければならないものであることを、あらためて痛感します。

    いずれにせよ、少々難ありといえども、神話や歴史というものが、民族としての誇りを育むものといえます。
    そして実は、誇りこそが、何が正しくて、何が間違っているのかという美意識の根幹であり、物事への判断の根幹です。

    幸いなことに日本は、よその国から借り物の神話や歴史を運んでこなくても、自国の神話や歴史のなかに、すばらしい、そして誇り高い、さらに美意識の原点となる宝石が山のように積もっている国です。

    せっかく日本人に生まれて、アダムとイブと、イザナギ・イザナミの違いについて外国人から質問されてまったく答えられないのでは、あまりにももったいない。
    日本を建て直すなら、その根幹に神話への共通認識が育まれていなければ、実は建て直しの根幹が定まらないのです。

    さらにいえば、日本の神話は、日本の文化そのものといえます。
    その日本文化は、子供にもわかる「やさしさ」を持ち、かつ、大人であれば大人としてさらにもっと深く知ることができる「深み」を持ちます。
    この「やさしさ」と「深み」こそが、日本文化の根幹にあるものです。

    ところが残念なことに、戦後75年がかりで、神話はただの子供向けの物語とのみしか教えられてきていません。
    それどころか、戦後の風潮は、あらゆる日本文化を、ただのエログロナンセンスに貶めることが、あたかも学問であるかのような錯覚をなすものであり続けました。

    ですから我々がいま、あらためて神話を普及しようとしても、神話があたかもエログロナンセンスのようなものとしてしか認知されない。
    我々は、取り戻すべき神話の「やさしさ」も「深み」も失ってしまっているのです。
    だからこそ我々は、いまあらためて神々の前に謙虚に神話を見直すべきであるのだと思います。

    「確(かた)ク神州ノ不滅ヲ信シ(じ) 任(にん)重クシテ道遠キヲ念(おも)ヒ 総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ」とは、昭和天皇の終戦のご詔勅です。
    そのお言葉通りに、謙虚に進むことが、我々臣民の道であると信じています。


    ※この記事は2020年9月の記事の再掲です。

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Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
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昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

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