• 心あてに折らばや折らむ 初霜の置きまどはせる白菊の花


    我が国が「天皇によって、すべての民を大御宝とする」という概念が打ち出されていたことは、我々国民にとって、とってもありがたいことです。なぜなら、それは究極の民主主義のひとつの完成形であるからです。
    凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)は、そうした日本の本質がわからないような政治権力者は、「心あてに折ってしまえ(追放してしまえ)」と詠んでいます。こうした厳しさは、民衆の生活に責任を持つ政治においては、絶対に必要なことです。

    20190425 凡河内躬恒
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    百人一首の29番に凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)の歌があります。

     心あてに折らばや折らむ
     初霜の置きまどはせる白菊の花

    (こころあてに おらはやおらむ はつしもの
     おきまとはせる しらきくのはな)


    歌を現代語訳すると、
     あてずっぽうにでも、折れるなら折ってしまおう。
     初霜が降りているのと見惑わせる白菊の花
    となります。

    凡河内躬恒は、身分は決して高くなかった人ですが、後年、藤原公任(ふじわらの きんとう)によって、三十六歌仙のひとりに選ばれました。
    紀貫之(きの つらゆき)とも親交のあった和歌の世界のエリートです。
    そしてこの凡河内躬恒は、たいへんに思慮深い、深みのある歌を多く詠む大歌人(詠み口深く思入りたる方は、又類なき者なり)と言われた人でもあります。

    ところがこの歌を正岡子規は、
    「初霜が降りたくらいで
     白菊が見えなくなるわけがないじゃないか」
    と酷評しています。
    このため多くの訳も「霜の降る寒い朝に、白菊の花を折ろうと思っても、霜か白菊か区別がつかないよ。仕方がないから、あてずっぽうに折ってしまおう」といった、あくまでも霜と白菊に限定した解釈しかなされていいないようです。

    正岡子規が指摘しているように、いくら霜が白いといっても、菊の花と霜の区別くらい、誰だって簡単に見分けがつくことです。
    では、そんな歌のどこが名歌といえるのでしょうか。

    実はこの歌を読み解く最大のキーワードは「白菊」です。
    菊の御紋は、いったいどういう人たちが用いるものでしょうか。
    わたしたちがよく知る「錦の御旗」に代表される菊の御紋は、皇室の御紋で、正式名称は「十六八重表菊」といいます。
    戦前までは、皇族になると同じ「菊の御紋」であっても花びらの数が違っていて「十四一重裏菊」の御紋になります。

    また、有栖川宮様、高松宮様、三笠宮様、常陸宮様、高円宮様、桂宮様、秋篠宮様なども、それぞれ菊の御紋をお使いになっておいでになりますが、それぞれ図案はご皇室の「十六八重表菊」とはデザインが異なるものになっています。
    ご興味のある方は、ネットなどでお調べいただいたら良いですが、要するに菊の花というのは、そのままご皇室を暗示させる用語になります。

    そして「霜(しも)」は、同じ音が「下(しも)」です。
    つまり凡河内躬恒は、たとえご皇族であったとしても、下との境目の見分けがつかないなら、手折ってしまえ!と言っているのです。
    凡河内躬恒は、日頃はとてもおだやかな人であったと伝えられています。
    けれどその穏やかな人が、この歌では実はものすごく過激な発言をしているのです。

    所有を前提とする社会では、上の人は下の人を所有(私有)しますから、下の人が上の人を批判したり、「手折ってしまえ」などと過激な発言をしたら、その時点で殺されても仕方がないことになります。
    ところが、歌がうまいとはいっても、身分は下級役人でしかない凡河内躬恒が、このような過激な発言をしても、まったく罪に問われることはない。
    つまり、この歌は、ひとつには凡河内躬恒が生きた9世紀の後半から10世紀の前半にかけての日本、つまり千年前の日本に、ちゃんと言論の自由があったことを証明しています。

    この歌の意味は、詠み手の凡河内躬恒が「白菊と霜の見分けがつかない阿呆」なのではありません。
    菊の御紋は、一般の民衆を「おほみたから」としているのです。
    ですから権力者が統治する下々の人々は、権力者から見たときに、それを「おほみたから」とするご皇室の方々と同じ位置にあるのです。
    そういうことがわからないなら、それがたとえ御皇族の方であったとしても、「手折ってしまえ」と凡河内躬恒は詠んでいるのです。

    初霜と白菊は、同じようにみえるものであっても、その本質がまるで異なるものです。
    そして民衆は「支配するもの」ではなくて、
    民衆は、天皇の「おほみたから」です。
    ところが、権力を得ようとする人や、権力に安住する人、あるいは権力を行使する人は、ややもすれば、自分よりも下の人を、自分の所有物と履き違えます。
    その区別は、実はとてもむつかしい・・つまり両者はとても似ているのです。

    言葉にすれば「シラス」と「ウシハク」の違いです。
    けれど、その違いは、権力に目がくらむと、まったく見えないものになります。
    なぜなら「シラス」も「ウシハク」も、どちらも統治の基本姿勢のことであり、「統治」という意味においては、白菊と霜の白い色のように、同じ色をしているからです。

    政治のことを、昔の人は「色物(いろもの)」と言いました。
    虹を見たらわかります。
    虹は七色と言われ、虹を見ると赤から黄色、青の色があるのがわかりますが、ではどこまでが赤で、どこから黄色になり、青になるのか、その境界線はきわめて曖昧です。
    しかし境界は曖昧でも、やっぱり赤は赤、青は青です。

    だからこそ我が国は、古来から「シラス」を統治の根本としてきました。
    けれど、いつの時代にも「ウシハク」人はいるのです。
    その違いがわからないなら、「心あてに折らばや折らむ」、
    つまり当てずっぽうでも良いから折ってしまえ(放逐してしまえ!)と凡河内躬恒は詠んでいます。

    これを我が国の高位高官の人が言ったというのなら、いささか傲慢さを感じてしまうのですけれど、身分の低い凡河内躬恒が、うたいあげたところに、この歌の凄みがあります。

    こうした文化を土台にして織りなされてきたのが、我が国の歴史です。
    そしてここでいう「我が国」というのは、神武創業以来の、あるいは縄文以来の日本という「ネイション(Nation)」のことをいいます。

    「ネイション」とは、文化的、言語的、民族的な結びつきを持つ人々の集団のことをいいます。
    一方で、昭和22年の日本国憲法によって形成された現代の日本国は「ステイト(State)」です。
    「ステイト」とは、国家、政府、行政組織などの政治的組織のことです。
    ですから、徳川政権であった江戸時代は、日本というネイションの下に、徳川幕府というステイトがあった時代ですし、
    明治日本は、日本というネイションの下に、大日本帝国政府というステイトが置かれた時代です。
    そして戦後の日本もまた、日本というネイションの下に、日本国政府というステイトが置かれた時代です。

    こうした構造の中にあって、我が国が「天皇によって、すべての民を大御宝とする」という概念が打ち出されていたことは、我々国民にとって、とってもありがたいことです。
    なぜなら、それは究極の民主主義のひとつの完成形であるからです。

    凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)は、そうした日本の本質がわからないような政治権力者は、「心あてに手折(たお)ってしまえ(追放してしまえ)」と詠んでいます。
    こうした厳しさは、民衆の生活に責任を持つ政治においては、絶対に必要なことです。


    (出典:『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』)
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  • 古事記におけるスサノオから大国主への話の流れから学ぶこと


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    書かれたものというのは、何らかの目的を持って書かれているのである、ということは、いまさらいうまでもなく、常識としてご理解いただけることと思います。
    古事記も書かれたものです。
    その古事記では、須佐之男命(すさのをのみこと)がヤマタノオロチを退治したあとに大国主神話が続いています。
    日本書紀にはない大国主の出雲神話が、なぜ古事記では手厚く書かれているのか。
    そこで何を伝えようとしたのか。
    古典には「八通りの読み方がある」のです。
    生涯を通じて繰り返し読むことにより、そこからさまざまな学びを私達は得ることができます。
    そんな素晴らしいものが、我が国には大昔からあるのに、このことを学校では教えない。
    日本は、教育を根本から建て直さなければならないときに来ている。
    そのように思います。

    20210216 ヤマタノオロチ
    画像出所=https://ameblo.jp/yaoyorozu-ukiyoe/entry-12634246873.html
    素晴らしい絵です。
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    基本的に書かれたものというのは、何らかの目的を持って書かれているのである、ということは、いまさらいうまでもなく、常識としてご理解いただけることと思います。
    古事記も書かれたものです。
    その古事記では、須佐之男命(すさのをのみこと)がヤマタノオロチを退治したあとに大国主神話が続いています。
    日本書紀にはない大国主の出雲神話が、なぜ古事記では手厚く書かれているのか。
    そこで何を伝えようとしたのか。

    古事記などの古い書物、とりわけ神の書とも言われるような書物は、古来八通りの読み方があると言われています。
    古代において「八」という数字は「たくさんの」という意味を持ちましたから、数詞として8通りの読み方があるという意味ではなくて、これは「たくさんの読み解きがある」という意味の言葉です。

    そしておもしろいのは、ヤマタノオロチは古事記では「八俣遠呂智」で、「八」があります。
    さらにヤマタノオロチを退治したあとに須佐之男命は、奥出雲近くの須佐(すさ)の地に引っ越して、
    「私はこの地に来て、心がとても須賀須賀斯(すがすがし)い」と述べて、その地に宮を作ります。
    そして次の歌を詠んでいます。これが我が国最古の和歌です。
     やくもたつ    八雲立つ    
     いづもやえがき  出雲八重垣  
     つまこみに    妻籠みに    
     やへかきつくる  八重垣つくる  
     そのやへかきを  その八重垣を

    そして足名鉄神(あしなつちのかみ)をお召しになり、
    「あなたを我が宮の首(おびと)に任じます」と告げて、彼を稲田の宮の主の須賀の八耳神(やみみのかみ)と名付けています。

    ここまでの短い文章に、なんと「八」が「六」つも出てきます。
    「六」という数字も面白い数字で、六道輪廻(りくどうりんね)という言葉があります。
    これは、「地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人界、天界」の六つの世界を表す言葉で、この六つの世界は輪のようになっていて、人の心や魂はこの輪の中をぐるぐると回るという意味の言葉です。
    つまりループしているわけで、そのループの輪が「八」ある。
    つまりたくさんあるわけです。

    ちなみにその間にある「七」というのは、西洋では「完全」とか「全て」といった意味に用いられていて、人類の罪は7つ(高慢、物欲、嫉妬、怒り、色欲、貪食、怠惰)であり、人類の持つ徳もまた7つ(知恵、勇気、節制、信仰、希望、愛)とされ、世界は七大陸と七つの海によって形成され、世界には7つの不思議があるなどとされています。

    東洋では「七」の意味は違っていて、初七日や、七×七で四十九日、極楽浄土を荘厳するのは「七宝(金、銀、瑠璃(るり)、玻璃(はり)、硨磲(しゃこ)、珊瑚(さんご)、瑪瑙(めのう))」、幸せをもたらすのが七福神(恵比寿、大黒天、福禄寿、毘沙門天、布袋、寿老人、弁財天)と、要するに「七」は「ひとつの物事の完結」を意味する言葉として用いられています。

    つまり、
    「六」=ループ(六道輪廻)
    「七」=完結
    「八」=たくさん
    というわけで、六道輪廻が、七でひとつのまとまりになり、その六道輪廻の織りなす世界が無限にたくさんある、ということが数詞として示されているわけです。

    こうした理解のもとに古事記を読むと、八俣遠呂智(やまたのおろち)から須佐之男命(すさのをのみこと)の歌、そして足名椎神(あしなつちかみ)の新しい名の八耳神(やみみのかみ)までに、「八」という漢字が「六」回も使われているということは、そこに何らかの意味があると考えなければならなくなるわけです。
    なぜなら漢字で書かれた文章は、基本的に同じ漢字の繰り返しを嫌うからです。
    ですから、二度同じ漢字が使われていれば、それは重要語ということになるし、三度使われていれば、それは最重要語とされます。
    それが六回も用いられているとなれば、やはりそこには何らかの意味を考えずにはいられないわけです。

    そのように読むとき、ヤマタノオロチに代表される天災ともよべる艱難辛苦は、まさに我々人類にとって(あるいは日本民族にとって、数限りなく起こる災難です。
    そうした災難を、須佐之男命の名は、本来「建速須佐之男命(たけはやのすさのをのみこと)」で、素速く建てる、つまりあらゆる災難から、建設によって素早く建て直すという名になっています。

    そして災難から素早く建て直すことで復活を果たすと、そこにあるのは「清々(すがすが)しさ」です。
    これを須佐之男命は
    「私はこの地に来て、心がとても須賀須賀斯(すがすがし)い」と述べたとされています。
    その場所が須賀(すが)です。
    そこで須佐之男命は結婚しています。
    つまり、子をなし、子孫を繁栄させていくわけです。
    さらに続く和歌の中で「八」を4回も繰り返して用いているわけです。

    つまりそこには、
    「どんな災難がやってきたって、何度でも建て直すさ。
     そして俺たちはその都度、清々しい国を築くんだ。
     そうして子々孫々にいたるまで、
     俺たちはずっと清々しく暮らしていくんだぜ」
    といった意味が、ここに隠されているというようにも、読めるわけです。

    ところが、そんな希望を持った須佐之男命の七代あとに生まれた大国主神は、周囲から凄まじいイジメを受けることになるのです。

    災害からの復興は、人々の意思で行うことができます。
    けれどその人々の意思は、ときに醜くゆがみ、人へのイジメにつながることがあるのです。
    私達の祖先は、日本という国を築くに際して、こうしてハードの面だけではなく、人々の心というソフトの面も、これまた克服し、解決していかなければならないものであることを、神話を通じて伝えているのだと考えることができるのです。

    繰り返しになりますが、古典には「八通りの読み方がある」のです。
    生涯を通じて繰り返し読むことにより、そこからさまざまな学びを私達は得ることができます。
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  • 弟橘比売命


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     4月の倭塾は、4月23日(日)13時半から、場所は富岡八幡宮の婚儀殿です。テーマは「いま世界で起きていること、日本で起きていること、そして日本精神の源流」です。参加自由で、どなたでもご参加いただくことができます。皆様のふるってのご参加をお待ちしています。詳細 → https://www.facebook.com/events/458686826358362
     なお倭塾終了後に、倭塾100回記念懇親会を計画しています。懇親会は、料理の都合上、事前申込みが必要です。参加希望の方は、以下から申請をお願いします。懇親会参加希望の方 → https://bit.ly/3UgErvS
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    感謝の心と祭祀を失わないという日本人の魂の歴史は、なんとヤマトタケルノミコトの時代から綿々と続いてきた、わたしたち日本人の根底にある心です。
    日本人の心を取り戻すとは、日本人が、日本人としての「魂」を取り戻すことです。
    そして魂を取り戻すためには、日本神話の上辺の筋書きだけではなく、その奥にある真意(神意)を学ぶことです。

    弟橘比売命
    弟橘比売命
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     さねさし相武の小野に燃ゆる火の
     火中に立ちて問ひし君はも


    この歌は、弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)が東京湾に入水自殺する直前に詠んだ歌です。
    先に少し情況を申し上げますと、ヤマトタケルノミコトは、大和朝廷の全国統一のために、東奔西走したのですが、その東国征伐のときに、駿河の国(佐賀牟能国、相武の国)の焼津で、地元の国造(くにのみやつこ)に欺かれて、野原で火攻め(焼き討ち)にあうのです。
    このとき、三種の神器のひとつである草薙の剣(くさなぎのつるぎ)で難を逃れるのですけれど、そのことが由来となって、静岡県に焼津の地名が残っています。

    そしてさらに東へと向かったヤマトタケルノミコトの一行は、いまの神奈川県の横須賀あたりから、東京湾を横断して房総半島に向かおうとします。ここは海流の激しいところであることから走水の海(はしりみずのうみ)と呼ばれた難所です。

    ところが海路を行く途中で嵐に遭ってしまう。
    そこでヤマトタケルノミコトの妻(出雲風土記には皇后と書かれています)の弟橘比売命が、海神を鎮めるために入水自殺しました。
    海は夫を想う妻の気持ちが海神に通じて、時化(しけ)がやみました。
    そしてヤマトタケルノミコトの一行は無事に海を渡ることができました。

    弟橘比売命は、身を挺して夫を扶(たす)けたのです。
    このとき、弟橘比売命が入水する直前に詠んだ歌が、冒頭の歌です。

    弟橘比売命は、いままさに海に飛び込もうとするときに、その身を投げることには何も言わず、
    「あの相武の小野(焼津)で燃えさかる炎の中で、その炎で自分が焼け死んでしまうかもしれないというのに、そのことよりも私の安否を気遣ってくれたあなた・・・・」と詠んでいます。

    ちなみに歌にある「さねさし」は、枕詞で意味がないと多くの解説書にありますが、「さね」というのは、古語では「突起」のことをいいます。
    「さし」は、「砂嘴(さし)」とか「指し、差し」などと書かれるように、細長く突き出たものをいいます。
    であれば「さねさし」は、細長く突き出た「岬」のようなものを意味することは明らかです。
    ですから「さねさし相武の小野」は、相武国(駿河の国)の長い突き出た岬にある小野(焼津の岬の野原)という意味になります。

    また「相武」は、「相模」と書かれているものが多いのですが、古事記の原文では「佐賀牟能」となっています。
    読みはどうみても「さがむの」なので、「相模」ではなく、「相武」と書く方が正しいのではないかと私は思っています。(冒頭の歌も、そのように表記させていただきました)

    ちなみに、このとき入水された弟橘比売命の袖が流れ着いたというのが千葉県の「袖ケ浦」、弟橘比売命を忘れられないヤマトタケルノミコトが、足柄で「吾妻はや(わがつまはや)」と嘆いたことが、東国を「あずま」と呼ぶ縁起とされています。

    さて実は、というかここが大事なポイントなのですが、この歌にまつわる故事は、日本書紀には書かれていません。古事記にだけある神話です。
    前にも申し上げましたが、古事記はいわば「秘伝」、日本書紀は「公開の史書」です。
    「秘伝」は、ある一定のレベルに達した者にしか見せない「秘伝中の秘伝の教え」とするものです。
    ですからこの「弟橘比売命とその歌にまつわる物語」が古事記にしか掲載されていないということは、そこに何らかの「教え」があるということになります。

    実は古事記には、弟橘比売命が入水するとき、「菅疊八重・皮疊八重・絹疊八重を波の上に敷きて、その上に下りましき」という記載があります。
    嵐で海に揉まれている最中に、海の上に、菅(すげ)の畳を8畳分、皮を8畳分、絹を8畳分敷いて、その上に降り給いて、この歌を詠み、そして海に消えたとあるのです。

    このことから学べることは、どんな緊急時にあっても(海の上で嵐に遭って波間に揉まれているのですから、まさに緊急時、非常事態です)、祭事をきちんと行い(菅疊八重・皮疊八重・絹疊八重を波の上に敷きて)、そして、いかなる場合においても、相手が示してくれた恩義(焼津で自分を気遣ってくれた)を忘れずに、感謝の心をもって、嵐のような強大な敵に、たとえ命を犠牲にしてでも、男女ともに立ち向かいなさい、という教えです。

    男女ともにとか、強大な敵に立ち向かうとか、非常に厳しい教えであり、心得であるがゆえに、あえて公開文書である日本書紀には記載せず、秘伝の古事記にのみ、これを記載したということです。
    そしてこれが私たちの国、日本の、天皇の統治の根底にある事柄なのです。

    国難と呼べるような非常事態は、常に私たちの身に降り掛かります。
    けれど、どんな緊急時にあっても、我が命を失うことがあっても、報恩感謝の心を失わず、祭事を大切にして、まっすぐに生きて行く。
    そして生残った者は、亡くなり、命を捧げて犠牲になった人の心をいつまでも決して忘れない。
    それが日本人だということです。

    お亡くなりになって御柱となられた方々への感謝の心と祭祀を失わないという日本人の魂の歴史は、なんとヤマトタケルノミコトの時代から綿々と続いていた、わたしたち日本人の根底にある心です。
    いいかえれば、それが「日本人」です。

    古事記は、その時代に生きて、いまは亡くなっている人を「命(みこと)」と表記しています。
    その人や神様の御霊(魂)のことを「神」と表記しています。
    そして「魂」は永遠のものである、
    もっと簡単に言うと、「肉体と命」は「魂」の「乗り物である」というのが古くからの日本人の考え方です。
    人が車に乗っているのと同じです。
    運転している人が「魂」
    乗ってる車が「肉体」です。

    日本人の心を取り戻すとは、日本人が、日本人としての「魂」を取り戻すことだと思います。
    そして魂を取り戻すためには、日本神話の上辺の筋書きだけではなく、その奥にある真意(神意)を学ぶことだと思います。


    ※この記事は2015年10月の記事のリニューアルです。
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  • 花さそふ比良の山風吹きにけり


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    3月の倭塾は、3月26日(日)13時半から開催です。
    場所は今回から富岡八幡宮の婚儀殿です。
    テーマは「日本精神を築いた十七条憲法」です。
    参加自由で、どなたでもご参加いただくことができます。
    皆様のふるってのご参加をお待ちしています。
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    八百年前の日本も、今の日本も、日本です。
    その日本人の心に明かりを灯す。
    それは何も大上段に振りかぶることではなくて、ほんのちょっぴり「日本ていいな」と思っていただくだけで良いのだろうと思います。
    その小さな積み重ねが、やがて大河となって日本を覆い、日本の正気を取り戻すのです。
    これが「積小為大(せきしょういだい)」です。
    日本の大きな改革は、この「積小為大」によってこそ成し遂げられるものです。


    川面の桜
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    そろそろ桜の季節ですね。
    そこで宮内卿の歌をご紹介したいと思います。

     花さそふ比良の山風吹きにけり
     漕ぎ行く舟の跡みゆるまで


    (はなさそふ ひらのやまかぜ ふきにけり こきゆくふねの あとみゆるまで)

    この歌は新古今集に掲載された歌です。
    宮内卿(くないきょう)というのは、右京権大夫(うきょうごんのたゆう)であった源師光(みなもとのもろみつ)の娘です。
    13世紀はじめの女性です。

    宮内卿の歌は、たいへんいビジュアル性に富んでいるといわれています。
    母方の祖父が高名な絵師であったことの影響かもしれません。

    上の句の「比良(ひら)の山」というのは、琵琶湖の南岸、大津から高島にかけての山並みです。
    「花誘ふ」は、比良の山から吹いてくる山風が、桜の花びらを散らしている様子です。
    風が吹き寄せてきて、向こうに行ってしまう。
    そんな風君が、桜の花びらに、
    「ねえ、一緒に行きましょうよ」と誘っています。
    風も花も、ともに擬人化していて、とてもやわらかくてあたたかです。
    そんなあたたかさが、歌にうららかな春の陽光を添えています。

    そこに下の句の
    「漕ぎゆく船の跡」が絶妙な味を添えています。
    川面に一杯に散った桜の花びらをかきわけながら、和舟が一艘、進んでいくと、その航跡の桜の花びらが退いて、そこだけ水の面が現れる、そんな様子です。

    陽光うららかな春の日、
    比良の山からの吹き下ろした風君が、桜の花びらに「一緒に行こうよ」と誘っています。
    誘われた花びらが風に舞い、小さな小川の川面いっぱいに広がります。
    その川面に和舟が一艘、川面の桜の花びらをかきわけるようにすすんでいるます。
    すると和舟が通ったあとにだけ水面があらわれます。
    実に見事な風景描写です。

    そして「花を誘う風」というところに、大勢を率いた(誘った)、ひとりの男、といったイメージも重なります。
    そこからこの歌は、おそらくどなたかのお誘いで、大勢で行ったお花見の模様を詠んだ歌とわかります。

    この歌を本歌取りして詠んだ歌があります。
    それが、浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)の辞世の句です。

     風さそふ 花よりもなほ 我はまた
     春の名残を いかにとやせん


    ここでは「花誘ふ風」を、「風誘ふ花」としています。
    つまり誘う側である主役の男性が強調されています。
    そんな爛漫と咲き誇る桜花よりも、自分はもっと春の名残をとどめたいのだ、どうしたらそれができるのだ?
    というのが、この歌の趣旨です。

    ここでいう「春の名残」とは、播州赤穂家の持つ皇室尊崇の心です。
    室町将軍家の時代から、天皇の名代である勅使よりも、将軍の方が上座に座ることになっていました。
    それが伝統となり、江戸時代になっても、そのまま続けられていました。
    けれど、天皇の名代であれば、将軍より上座に座るのが世の中の道理というものです。
    だから「それをなんとかしたかった」。
    その思いを「いかにとやせん(どうしたらよいのだろうか)と、浅野内匠頭は歌に遺して、これを辞世としたのです

    もともと席次のことを「殿、これはおかしゅうございます」と、殿に詰め寄ったのは浅野の家中の武士たちです。
    その思いを受けて、殿が腹を斬らされるという事態にまで及んでしまった。
    だから浅野の家中では、城を枕に討死しようという議論にもなったし、藩がお取り潰しになった後には吉良邸討ち入りにまで至っているし、全国の名士と呼ばれる人たちが、この浅野の家中の行動を後に高く評価しているのです。

    浅野内匠頭の歌は、宮内卿よりも500年もあとの時代のものです。
    こうして歴史と文化は、ちゃんとつながっていいます。

    八百年前の日本も、今の日本も、日本です。
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    これが「積小為大(せきしょういだい)」です。
    日本の大きな改革は、この「積小為大」によってこそ成し遂げられるものです。


    ※この記事は2015年4月の記事のリニューアルです。
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  • 学問のすゝめ


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    努力することのみが、人の生まれながらの上下関係をひっくり返すことができる最大の武器です。だから、学びましょう、と諭吉は説いています。
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    福沢諭吉の『学問のすゝめ』は、学校でも教わりますから、知らない人はいないくらい有名なものです。
    そしてなぜか『学問のすゝめ』といえば、
    「天は人の上に人をつくらず人の下に人をつくらず」
    ばかりが強調され、『学問のすゝめ』は、人が皆平等なのだという趣旨の書であるかのように教わります。

    まったく違います。
    それは、『学問のすゝめ』をちゃんと読んだらわかります。
    なるほど福沢諭吉は『学問のすゝめ』の冒頭に、この文章を書いていますが、その直後に、これを全否定しているのです。
    ちょっと読んでみます。

    ***
    「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。
    されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、
    生まれながら貴賤(きせん)上下の差別なく、
    万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資(と)り、
    もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずして
    おのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。

    されども今、広くこの人間世界を見渡すに、
    かしこき人あり、おろかなる人あり、
    貧しきもあり、富めるもあり、
    貴人もあり、下人もありて、
    その有様雲と泥との相違あるに似たるはなんぞや。
    ***

    要するに、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと一般にはいわれるけれど、現実に世間をみれば、
    かしこい人もあれば、おろかな人もある。
    貧しい人もいるし、富める人もいる。
    生まれたときから貴人もあれば、
    最初から卑しい身分で生まれて来る人もいる。
    最初から雲泥の差があるじゃないか!と福沢諭吉は述べているのです。

    だからこそ、学問をすること、知的武装をすること、すこしでも賢くなること、その努力をし続けることが大事なのだというのが、『学問のすゝめ』の論旨です。

    それを、あたかも諭吉が「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と、人類の平等を説いているかのように教えるのは、これは情報の切り取りによる情報の《意図的な》誤誘導というものです。

    よく左の人は、「人は誰しも天賦の才があり、あらゆるものを持っているのだから、それを引き出すのが教育であり、価値観を押し付けるのはよくない」などといいます。
    しかし、仮に天賦の才があったとしても、努力しなければその才能が開花することはないし、そもそも生まれながらにして境遇に差がある。
    これが事実です。
    そうであれば、努力することしか人がその差を埋める手段はない。

    諭吉はこの「学問のすゝめ」の中で、次のような事も書いています。

    「世の中で
     無知文盲の民ほど哀れなものはない。
     知恵のない者は、恥さえも知らない。
     自分が馬鹿で貧窮に陥れば、
     自分の非を認めるのではなく、
     富める人を怨み、
     徒党を組んで乱暴をはたらく。
     恥を知らざるとや言わん。
     法を恐れずとや言わん。」

    他党の街頭演説に現れて、大音量のマイクでさかんに他党の街宣の邪魔をしたり、
    ネットで、他人の中傷ばかりをしているような連中も同じです。
    まさに「恥を知らざるとや言わん、法を恐れずとや言わん」です。

    チャイナやコリアの海水浴場には、ものすごい数の人が集まります。
    けれど、そこは足の踏み場もないごみの山になる。
    その様子を見て、チャイニーズやコリアンは、政府の無能を指摘します。
    政府の無能ではないのです。
    人の程度が低いのです。

    福沢諭吉の指摘は続きます。

    「このような愚民を支配するには、
     道理をもって諭(さと)すのは無駄なことです。
     馬鹿者に対しては、ただ威をもっておどすしかないのです。
     西洋のことわざにある、
     愚民の上に苛(から)き政府あり、
     という言葉は、まさにこのことを言っているのです。
     これは政府の問題ではありません。
     愚民がみずから招くわざわいなのです。」

    【原文】
    かかる愚民を支配するにはとても道理をもって諭(さと)すべき方便なければ、ただ威をもって畏(おど)すのみ。
    西洋の諺(ことわざ)に「愚民の上に苛(から)き政府あり」とはこのことなり。
    こは政府の苛きにあらず、愚民のみずから招く災(わざわい)なり。


    現代日本は、若者の自殺率世界一で、精神病院数世界一、精神病床数世界一、精神病患者数世界一、食品添加物の使用量世界一です。
    日本の政府は、日本人の日本人による日本人のための政府になっているのでしょうか。
    そうでないなら、今起きている現状は、
    日本人が愚民化したことによってもたらされた「みずから招くわざわい」です。

    私達は日本を、どういう国にしていくのでしょうか。
    信用できない政府による「苛(から)き政府」を目指すのでしょうか。
    そのような社会を、子や孫たちにのこすのでしょうか。
    それは、子どもたちにとって、未来の孫たちにとって、とても不幸なことなのではないでしょうか。

    さらに続きます。

    ***
    人の生まるるは天の然(しか)らしむるところにて人力にあらず。
    この人々互いに相敬愛しておのおのその職分を尽くし
    互いに相妨ぐることなき所以(ゆえん)は、
    もと同類の人間にしてともに一天を与(とも)にし、
    ともに与に天地の間の造物なればなり。

    譬(たと)えば一家の内にて兄弟相互に睦(むつまし)くするは、
    もと同一家の兄弟にして
    ともに一父一母を与にするの大倫あればなり。

    ゆえに今、人と人との釣合いを問えば
    これを同等と言わざるを得ず。
    ただしその同等とは有様の等しきを言うにあらず。
    権理道義の等しきを言うなり。」
    ***

    つまり、人には身分の上下もあれば、金持ちも貧乏人もある。
    そういう意味では、人はそれぞれがみんな違っているけれど、人としての「権理通義」に関しては、あくまで人は対等であって、そこには一厘一毛の軽重もない、と説いているのです。

    「権理通義」というものは、道義によって成立します。
    「儲け」によって成立するものではありません。
    人には欲がありますが、その欲を抑え、人の傲慢を抑えるものが修身(身を修める)です。

    そして道義は、伝統的価値観から生まれます。
    つまり「古い」ということが、社会における伝統的価値を形成し、その伝統的価値が、その社会の正義を構築します。
    したがって歴史のない国では欲得が勝り、正義は弱い力にしかなりません。

    人の名誉を奪うことは学問がなくてもできますが、
    名誉を築くためには学問が必要です。
    そして名誉は一代限りですが、正義は、何百年、何千年の時の蓄積、正義の蓄積によってのみ形成されます。

    いまの日本は、日本社会の一番の根底にある歴史を失っています。
    だから正義が失われ、
    だから狂うのです。

    平等は、かけっこをして、一等者もあれば、ビリの子もいるけれど、全員を一等賞にしてしまう、というのが、平等です。
    けれど、実社会において、そんな観念は絶対に通用などしません。
    世間は厳しい競争社会なのですから、あたりまえのことです。
    対等は、あいつは勉強では一番だけど、俺はかけっこでは一番だ、これでツーペー(対等)だ、という考え方です。
    平等は、人と人との差異を認めませんが、対等は、人に差異があることを前提として、そのなかで自分の自活の道をひらこうとする。
    それが対等意識です。

    誰しも、対等になれるように努力することができます。
    天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずというのは、その努力のことをいいます。
    努力することのみが、人の生まれながらの上下関係をひっくり返すことができる最大の武器です。
    だから、学びましょう、と諭吉は説いています。
    まずは「学び」、
    その上で、自分の頭で「考え」
    そして「行動する」。
    そのあたりまえのことを、あたりまえに実行する。
    それこそが世の中を変える大きな力になるのです。



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  • 熟田津に船乗りせむと月待ば


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    北斗神拳二千年の歴史なんてアニメの言葉がありますが、日本の歴史は二千年どころが万年の歴史です。
    しかも日本より、ご皇室の方が歴史が古いのです。
    個々には様々な出来事や問題が起きても、歴史の修正力は、そのような問題をすべて些事に変えてしまいます。
    日本の神々を舐めるな、と言いたいのです。

    20200612 にぎたづに
    画像出所=http://thetimes.seesaa.net/article/442478330.html
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     熟田津(にぎたづ)に 船乗りせむと 月待(つきまて)ば
     潮(しほ)もかなひぬ 今はこぎいでな


    この歌は百済有事による朝鮮出兵に際して、額田王が詠んだ歌として、学校の教科書でも数多く紹介されている歌です。
    万葉集を代表する一首といえるかもしれないし、美人と言われる額田王を代表する和歌ともいえるかもしれない。
    歌の解釈にあたっては、初句の「熟田津(にぎたづ)」がどこの場所なのかが議論になったりもします。
    それほどまでに有名な和歌といえます。

    けれど、そうした見方は、実は、この歌の本質を見誤らせようとするものでしかありません。
    どういうことかというと、この歌の原文は次のように書かれています。

    【歌】熟田津尓 船乗世武登 月待者
       潮毛可奈比沼 今者許藝乞菜

    【補記】右検山上憶良大夫 類聚歌林曰 飛鳥岡本宮御宇天皇元年己丑九年丁酉十二月己巳朔壬午天皇 大后幸于伊豫湯宮後岡本宮馭宇天皇七年辛酉春正月丁酉朔壬 寅御船西征始就于海路 庚戌 御船泊于伊豫熟田津石湯行宮  天皇御覧昔日猶存之物。当時忽起感愛之情所以因製歌詠為之 哀傷也 即此歌者天皇御製焉 但額田王歌者別有四首。


    現代語訳すると次のようになります。
    特に「補記」のところが重要です。

    【歌】
    熟田津尓   篝火の焚かれた田んぼのわきの船着き場に
    船乗世武登  出征の乗船のために兵士たちが集まっている
    月待者    出発の午前二時の月が上るのを待っていると
    潮毛可奈比沼 潮の按配も兵たちの支度もいまは整った
    今者許藝乞菜 さあ、いま漕ぎ出そう

    【補記】
    右の歌は、山上憶良大夫の類聚歌林(るいしゅかりん)で検(しらべ)てみると、この歌は第三十七代斉明天皇が詠まれた歌であって、このたびの伊予の宿所が、かつて夫である第三十四代舒明天皇とご一緒に行幸された昔日(せきじつ)のままであることに感愛の情を起されて、哀傷されて詠まれた歌であると書かれています。つまりこの歌は、本当は斉明天皇が詠まれた御製で、額田王の歌は他に四首があります。


    要するにこの歌は、実は女性の天皇であられる第37代斉明天皇(さいめいてんのう)が読まれた御製だと万葉集に補記されているのです。
    つまり本当は、額田王が詠んだ歌ではないと書かれています。
    しかもこの歌は「出征兵士を送る歌」のような勇壮な歌ではなく、「哀傷歌(かなしみの歌)」であると書かれています。

    「熟田津」とは、田んぼの中にある水路の横で炊かれた松明(たいまつ)のことを言いますが、その歌われた場所は、今の四国・松山の道後温泉のあたりであったとされています。

    昔日(せきじつ)のある日、後に皇極天皇となられた宝皇后(たからのおほきさき)は、夫の舒明天皇(じょめいてんのう)とともに、(おそらく)道後温泉に湯治(とうじ)にやってきたのです。
    そのときは、まさに平和な旅で、大勢の女官たちらとともに、明るく皆で笑い合いながらの楽しい旅であったし、地元の人たちにも本当によくしていただくことができた。
    誰もが平和で豊かな日々を満喫できた、行楽の旅であったわけです。
    そしてそれは夫の生前の、楽しい思い出のひとつでもありました。

    ところがいまこうして同じ場所に立ちながら、自分は大勢の若者たちを、戦地に送り出さなければならない。
    あの平穏な日々が崩れ去り、若者たちを苦しい戦場へと向かわせなければならないのです。
    もちろん戦いは勝利を期してのものでしょう。
    けれども、たとえ戦いに勝ったとしても、大勢の若者たちが傷つき、あるいは命を失い、その家族の者たちにとってもつらい日々が待っているのです。

    それはあまりに哀しいことです。
    だからこの歌は、哀傷歌とされているのです。

    けれど、時は出征のときです。
    若者たちの心を鼓舞しなければならないことも十分に承知しています。
    だから皇極天皇は、そばにいる、日頃から信頼している額田王に、
    「この歌は、おまえが詠んだことにしておくれ」
    と、この歌をそっと手渡したのです。

    これが日本の国柄です。
    平和を愛し、戦いを望まず、日々の平穏をこそ幸せと想う。
    そして「私が詠んだ」という「俺が私が」という精神ではなくて、どこまでも信頼のもとに自分自身を無にする。
    そのような陛下を、ずっと古代からいただき続けているのが日本です。

    この歌が詠まれた「後岡本宮馭宇天皇七年」というのは、斉明天皇7年、つまり西暦661年のことです。
    いまから1359年の昔です。
    日本人の心、そして天皇の大御心は、1400年前の昔も今も、ずっと変わっていないのです。

    ちなみに初句の「にぎたづに」は、大和言葉で読むならば、「にぎ」は一霊四魂(いちれいしこん)の「和御魂(にぎみたま)」をも意味します。
    和御魂(にぎみたま)は、親しみ交わる力です。
    本来なら、親しみ交わるべき他国に、いまこうして戦いのために出征しなければならない。
    そのことの哀しさもまた、この歌に重ねられているのです。

    ずっと後の世になりますが、第一次世界大戦は、ヨーロッパが激戦地となりました。
    このため、ヨーロッパの重工業が途絶え、その分の注文が、同程度の技術を持つ日本に殺到しました。
    日本は未曾有の大好景気となり、モダンガール、モダンボーイが街を歩く、まさに大正デモクラシーとなりました。

    戦争が終わったのが1918年の出来事です。
    ところがその5年後の1923年には関東大震災が起こり、日本の首都圏の産業が壊滅。
    さらに凶作が続いて東北地方で飢饉が起こり、たまりかねた陸軍の青年将校たちが226事件を起こしたのが1936年。
    そしてその翌1937年には、通州事件が起こり、支那事変が勃発しています。
    日本国内は戦時体制となり、現代の原宿を歩いていてもまったくおかしくないような最先端のファッションに身を包んだモダンガールたちは、モンペに防空頭巾姿、男たちが国民服になるまで、第一次世界大戦からわずか20年です。

    そして終戦直後には、住むに家なく、食うものもなし、それどころか着るものもない、という状況に至りました。
    けれどそのわずか19年後には、日本は東京オリンピックを開催しています。

    20年という歳月は、天国を地獄に、地獄を天国に変えることができる歳月でもあります。
    そして時代が変わるときは、またたくまに世の中が動いていく。
    コロナショックで、まさにいま、日本は激動の時代にあります。

    けれど、どんなときでも、陛下の大御心を思い、勇気を持って前に進むとき、そこに本来の日本人の姿があります。
    それは、勝つとか負けるとかいうこと以上に、私たち日本人にとって大切なものです。

    またご皇室の内部に問題がある云々とも、一切関係ないことです。
    そもそも問題点というのは、いつの時代にあっても、どのような場所であっても、どのような人であっても、たとえご皇室であっても、そこにあるのが人である以上、必ずあるものです。
    問題が起きているということは、物事が動いているということであって、むしろ問題が何もないなら、それは物事が動いていない、つまり生きた人間がそこにいないということです。

    ご皇室内部の問題は、ご皇室に委ねればよいのです。
    外野があれこれ言うべきことではない。
    名誉欲、経済欲に駆られたどっかのアホがご皇室内部に入り込むような事態は、いまも昔も繰り返しあったのです。
    けれど歴代天皇のご事績はゆるぎなく歴史に燦然と輝いています。

    北斗神拳二千年の歴史なんてアニメの言葉がありますが、日本の歴史は二千年どころが万年の歴史です。
    しかも日本より、ご皇室の方が歴史が古いのです。
    個々には様々な出来事や問題が起きても、歴史の修正力は、そのような問題をすべて些事に変えてしまいます。
    日本の神々を舐めるな、と言いたいのです。
    日本人なら日本を信じる、ご皇室を信じ抜くことです。
    すくなくとも、自分はそのようにしています。

    吉田松陰が水戸藩郷士、堀江克之助に送った書です。

    「天照の神勅に、
     『日嗣之隆興 天壞無窮』と有之候所、
     神勅相違なければ日本は未だ亡びず。
     日本未だ亡びざれば、
     正気重て発生の時は必ずある也。
     只今の時勢に頓着するは
     神勅を疑の罪軽からざる也」

    《現代語訳》
    天照大御神のご神勅(しんちょく)に、「日嗣(ひつぎ)の隆興(さかえ)まさむこと、天壞(あめつち)とともに無窮(きはまりなかる)べし」とあります。そしてご神勅の通り、日本はいまだ滅んでいません。
    日本がいまだ滅んでいないなら、日本が正気を取り戻すときが必ずやってきます。
    ただいまの時事問題に頓着(とんちゃく)して、簡単に日本が滅びると言うのは、ご神勅を疑うというたいへん重い罪です。

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    ※この記事は2020年6月の記事のリニューアルです。
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  • 天智天皇・天武天皇・額田王の三角関係説を斬る


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    今回のお話の要点は表題の通りです。
万葉集をちゃんと読めば、ぜんぜん三角関係などではないことがわかります。
思うに、日本を取り戻すためには、日本人が日本文化をもっとちゃんと知る必要があるように思います。
    日本人から誇りを奪い、日本人であることをむしろ恥じるようにしていくことは、実は明治からはじまり、戦後にはとても大きな影響力を持つようになりました。そのために学者さんたちまで動員されました。
しかし、百万遍唱えても嘘は嘘です。一片の真実は、一瞬でそれまで蓄積された嘘を吹き飛ばす力があります。
日本の文化は、日本の近隣国の人たちが思うような残酷軽薄な文化ではありません。

    center>20200613 額田王
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    天智天皇・天武天皇・額田王といえば、戦後、美しい女性の額田王をめぐって何やら三角関係にあって、あたかもこれが原因で壬申の乱が起こったかのように宣伝されました。
    このような下劣な説がまかり通るようになったのは、明治期に正岡子規らが「文明開化の時代なのだから、古典和歌からもっと自由になろうよ」という運動を興すに際し、古典和歌は決して高尚なものとはいえないという、ひとつの見方を示したことがそもそものきっかけです。

    明治の国文学界は、江戸時代まであった日本文化の全否定から始まっています。
    具体例としてわかりやすいものをひとつ挙げます。
    「バンカラ」という言葉です。
    これは「南蛮カラー」という言葉が詰まって生まれた明治の造語です。

    それまで(江戸時代まで)の日本では、弟子は師匠の前では必ず道を開け、正座して低頭するというのがあたりまえの常識でした。
    先達から教えを受けるのです。
    頭を下げるのがあたりまえです。

    ところが明治に入ると、こうした日本古来の師匠と弟子の関係を、主に学問の府である大学を中心に崩壊させようという動きが加速しました。
    それが「バンカラ」です。
    「師匠と弟子?
     ざけんな!
     俺たちは南蛮カラーだ!」
    というのが、時代の流行となったわけです。

    それでも昭和初期までは、各家庭は大家族制だったし、江戸時代に教育を受けたお年寄りたちがまだ生存していましたから、かろうじて日本人としての矜持が保たれていたのですが、最先端となるべき学会、とりわけ文系の学会は、ただ日本文化を称賛しながら破壊するという、不可思議なロジックにはまり込んでいきました。

    さらに戦後は、こうした、いわばひとつのゆがみから見た日本文化そのものを否定する風潮に乗っかった、まともな学者が公職追放された後の学会の主流的思想となり、さらに近年では、そうした歪みのなかで力を握って教授職にまで上り詰めた、日本に住んで日本国籍を持ち、日本語を話しながら日本人ではないという、やっかいな人達によって、さらに大きく歪められるようになっていったといえます。

    この歪みによって、近年ではまともな時代劇や歴史ドキュメンタリー番組さえも作れなくなりました。
    例えを数え上げればきりがありませんが、今回はその中で、天智天皇・天武天皇・額田王に焦点をあててみたいと思います。

    この三人の関係が、巷間、どのように言われているのかを、図式的に述べると、
    「乙巳の変で蘇我入鹿を殺害して権力の実権を握った中大兄皇子(なかのおほえのおうじ)は、ついに天皇の地位にのぼって天智天皇を名乗った。
     弟の大海人皇子(おおあまのみこ)は、美しい女性の額田王(ぬかたのおほきみ)と結婚して一女(十市皇女(とほちのひめみこ)を得ていたが、兄の天智天皇はその額田王を見初めると、娘の鸕野讚良皇女(うののさらのひめみこ)を強引に大海人皇子に嫁がせ、代わりに額田王を自分の妻妾にした。
     このことに恨みを抱いた大海人皇子は、兄の天智天皇が崩御すると、すぐに兵を起こして兄の子である大友皇子(おほとものみこ)を攻め、ついに天下をとって皇位に就き、天武天皇を名乗った。」

    と、要するに天智天皇と天武天皇の兄弟は、美しい額田王をめぐって三角関係にあったのだというわけです。
    そしてこのことが近年ではさらに誇張されて、天智天皇と天武天皇は実は兄弟ではなかったのではないかとか、天武天皇というのは実は半島人で、権力の亡者となった生粋の日本人の天智天皇を滅ぼして、朝鮮王朝を日本に築いたのだとか、もうこうなると、言いたい放題扱いになっています。

    日本は言論の自由の国ですから、基本的に何を言おうが自由といってしまえばそれまでです。
    しかし世の中には、言っていいことと悪いことがあるものです。
    いかなる場合であったとしても、「ならぬものはならぬ」のです。
    ところが、そういうと「価値観の強制である」などと、これまた見当違いの議論が出てきます。

    そもそも論点をすり替えて、まるで静謐と安穏を重んじる寝室で、布団やフスマをバンバンとやかましく叩くようなふるまい《これを昔から「栲衾(たくぶすま)」と言って、新羅の枕詞に使われていました》を繰り返すのは、どこかの国の人の、古来変わらぬ特徴です。

    拙著『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』にも書きましたが、そもそもこの天智天皇・天武天皇・額田王の関係について、そのような三角関係があったという記述は、我が国の正史である日本書紀にはありません。
    ではなぜこの三人が三角関係にあったように言われたのかというと、実は『万葉集』にあるこの三人の歌が、その事実を示しているのだと言われています。

    どういうことかというと『万葉集』に、まず白村江の戦いの5年後に天智天皇が開催した遊猟会において、
    (1)額田王が詠んだ歌
       あかねさす むらさき野行き 標野(しめの)行き
    野守(のもり)は見ずや 君が袖振る
    という歌があるわけです。
    そして続けて大海人皇子《後の天武天皇》が、
    (2)むらさきの にほへる妹を にくあらば
       人嬬(ひとつま)ゆへに 吾(われ)恋めやも
    と詠む。

    つまり額田王が、
    「あたしはいまはもう天智天皇の妻になったのに、
     元のダンナの大海人皇子さまが、
     あんなに露骨に向こうから手を振ってらっしゃる。
     そんなことをしたら
     野守に見られてしまうではありませんか。
     いやん♪」
    と歌を詠み、これを受けて元のダンナの大海人皇子が
    「美しく香る紫草のようなおまえのことを憎くさえ思えるのは
     人妻になってしまったおまえのことを、
     俺はいつまでも愛しているからだよ」
    と、歌を返したというわけです。

    まるで昔流行った、アラン・ドロンとダリダの『あまい囁き』みたいです。
    『あまい囁き』は、その後金井克子と野沢那智が和訳を出して、これまた大ヒットしました。下にパロディ版の動画を貼っておきます。うまくできていて思わず笑いました。
    だいたいこの曲を聞くと、男の方に石をぶつけたくなる。
    この点は、うちのかみさんと意見がいつも一致します(笑)。

    話が脱線してしまいましたが、そもそも日本人はもっと誠実なものです。

    さらに天智天皇が中大兄皇子時代に、まさにその三角関係のもとになったとされる歌が次の歌です。
    (3)高山(たかやま)は 
       雲根火(うねび)おほしと
       耳梨(みみなし)とあい争いき
       神代より かくにあるらし
       古(いにしえ)も しかにこそあれ
       嬬(つま)を相挌(あいかく)
       良きと思ほす

    要するに、大和三山の畝傍山(うねびやま)と耳成山(みみなしやま)は、神代から香久山(かぐやま)をめぐって三角関係で争ってきたというが、自分《中大兄皇子》もまた妻(額田王)をめぐって弟の大海人皇子と争っている。これもまた良いではないか、という歌だというのです。
    弟の妻を横取りしようと歌を詠み、最後は「それもまた良いではないか」って、志村けんのバカ殿様ではないのです。

    さらに次の歌もあります。
    これは弟の妻から、天智天皇の妻となった額田王が、天智天皇が今宵やってくることに胸を膨らませて詠んだとされている歌です。
    (4)君待つと我が恋ひ居れば我が宿の簾 動かし秋の風吹く

    あなたを待ってドキドキしていたら、秋の風がすだれをうごかしましたわ、というわけです。
    これで決定打で、つまりもともと大海人皇子の妻だった額田王は、ついに自分を奪い取った天智天皇を愛するようになった・・・日本人の女性はかくもふしだらなものらしい・・・というわけです。

    申し上げますが、これらの解釈は、妄想に妄想を重ねただけであって、まったくのデタラメです。

    まず(1)と(2)の遊猟会のときの歌は、万葉集に「天智天皇の弟と、諸豪族、および内臣および群臣たちがことごとく天皇に同行した」と書かれています。
    白村江の敗戦から5年。
    朝廷の総力をあげて、国内の復興と国土防衛に全力をあげて勤めてきたのです。

    それがようやく一定のレベルに達したことから、5年目にしてやっと、朝廷の職員たちのお楽しみ会として蒲生野での遊猟会が催されたのです。
    そして(1)(2)の歌は、どちらもその遊猟会の後の直会(なおらい)、つまり懇親会の席で披露された歌です。
    だから、歌が発表された席には、群臣百卿が全部そろっています。

    果たしてそのような席で、「見られちゃうわよ、いやん♪」などという歌や、人の上に立ち、その時点における政治上の最高権力者となっていた大海人皇子が、女々しく引きずるような歌を披露するでしょうか。ましてその日は、勇壮な遊猟会の日であり、その後に行われた懇親会の場なのです。

    では(1)(2)の歌は、本当はどのような歌なのでしょうか。
    原文から意味を解読してみます。

    (1)
    《原文》茜草指 武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布流
    《意味》
    アカネ草で染めるように天下に指し示められたバラバラな世を立て直す力を、地方豪族たちも見て大君の指導《袖振り》を受け入れていくことでしょう。

    解読のポイントは、「むらさきの逝き、しめの行き」と、「いく」という語の漢字が「逝」と「行」とに使い分けれられていることです。
    この遊猟会が行われたのは6月のことであり、茜草の開花は秋です。
    ですからここではアカネ草の美しい花を詠んでいるのではなく、アカネ草があかね色の染料として用いられることをモチーフにしているとわかります。

    そして「逝」は、「折」の部分がバラバラに引き離すこと、「辶」が立ち止まることを意味する漢字です。
    「武」は「たける」で、正しくすることを意味しますから、漢字で書かれた意味を考えれば「武良前野逝」は、「以前に正しいこと、良いことをしようとして、結果としてバラバラになってしまった国内情勢」のことを述べているとわかります。

    その国内情勢に、天皇が「標野行」、つまり進むべき道を示して行かれたのです。
    そのことを「野守」、すなわち一時はバラバラになってしまった地方豪族たちも、「君之袖布流」つまり天智天皇の指揮(袖振り)のもとで、再び君民一体の国柄がこの5年で出来上がりました、と額田王は詠んでいるわけです。

    額田王は、単に美しい才女というだけでなく、この当時にあって神に通じる霊力を持つ女性とされた人です。
    その女性が、今日の遊猟会を祝い、またこの5年間の国の建て直しの天皇以下群臣の辛苦をねぎらって、「アカネ指す」とこの歌を詠んでいるのです。

    そしてこの歌を受けて、額田王の夫の大海人皇子が、歌をつなげます。
    それが(2)です。
    ちなみにこの時代、天皇は国家最高権威であって、政治権力者ではありません。
    そしてこの時代において国家最高の政治権力者の地位にあったのが大海人皇子です。

    (2)
    《原文》紫草能 尓保敝類妹乎 尓苦久有者 人嬬故尓  吾戀目八方
    《意味》
    この季節に咲き始めるムラサキ草のように美しく、いつまでも大切な女性たちが歳を重ねてもいつまでも守られる国を守り抜くために、私(大海人皇子)も、政治に専念して日々努力を重ねています。しかしこのたびは、神に通じる力を持つ美しい花のような女性である私の妻が、私のもつれた目配りをも、すっきりと見通してくれました。

    ここで「戀(恋)」という字が使われているから、恋愛感情を詠んだ歌だと短絡的な思考をすると、歌の意味を読み間違えます。
    この時代の「戀」という字は、言葉の糸がもつれてからみあってどうにもならないような状態や気持ちのことを言います。
    現実の政治は、日々、さまざまな糸がもつれ合った複雑なものです。
    そして国家最高の政治権力者であれば、四方八方の周囲の様々な意見に常に気を配らなければなりません。

    要するに、霊力を持つ妻が「天智天皇の指揮のもと、国内情勢は必ず良い方向に安定します」と詠んだ、その歌を受けて、夫の大海人皇子は、
    「女性たちがいつまでも安全に安心して暮らせる国の姿を守り抜くために、これからもしっかりと日々の業務に邁進していきます」と決意を述べているわけです。

    天智天皇が中大兄皇子時代に、まさにその三角関係を歌ったとする(3)の歌も同じです。
    この歌は、上に述べた本歌だけでなく、反歌がセットになっています。
    意訳すると次のようになります。
    (3)
    【本歌】高山波雲根火雄男志等耳梨与相諍競伎神代如此尓有良之
    古昔母然尓有許曽虚蝉嬬乎相挌良思吉
     雲の起こる雄々しい高い山のふもとで、
     誰もが豊かになろうと志を持って競い合って栄えてきたのだぞ。
     神代からずっとそうしてきたのだぞ。
     母なる古い昔にかさねがさね神に祈ってきたように、
     これからも神に仕える巫女とともに祈りを捧げていくのだ。

    【反歌】高山与耳梨山与相之時立見尓来之伊奈美国波良
     豊かな恵みを与えてくれる大和三山の山の高きに、
     天皇がおさめられている豊かな国を立ち見しにやってきた。

    この時代、実は梨の栽培ができるようになったのです。
    大和三山は、もともと火山灰土の山のため、もともとは斜面が単なる荒れ地でした。
    ところが梨の栽培技術が開発されたことで、その斜面が梨畑として活用されるようになったわけです。
    その梨畑を視察に行幸された天皇が、民間の努力を寿ぎ、さらに一層の精進を願って、神とつながる巫女たちともに、しっかりとこれからも豊作を祈願していきますよ、とこの歌は読まれているのです。

    全然、三角関係だの、他人の妻を欲しがったとかいう歌ではありません。
    そもそも歌にある「相格」は現代用語の「相対」と同意味の言葉です。
    また「嬬」という字は「需」が雨乞いをするヒゲを生やした祈祷師を意味する字です。
    儒教の「儒」はニンベンですが、これは儒教の開祖の孔子が、もともと祈祷師の家の息子だったことに由来します。
    ここではそれが女偏ですので、神に仕える女性の祈祷師を表します。
    配偶者の場合は 「妻」であって「嬬」ではありません。

    (4)の額田王が天智天皇を待ちわびたという歌も、意味がぜんぜん違います。

    「君待登 吾戀居者 我屋戸之 簾動之 秋風吹」
    が原文ですが、「君待登」の君は天智天皇です。そして部下が天皇のもとにお伺いすることを「登る」と言います。男性が女性のもとに通うことを「登る」とは言いません。

    要するに額田王のもとに、天皇からの呼び出しがあり、天皇の額田王への用事といえば、霊力のある額田王を通じて何らかの御神託を得ようとするものであるわけですから、当然額田王は、仕度を整えて禁裏に登ることになります。
    古来、女性の仕度は男性と違って時間がかかります。
    急ぎの用事と呼ばれていれば、まさに「戀」のように気を揉むことになる。

    ところがそうして仕度をしているときに、「簾(すだれ)を動かして秋風が吹いた」のです。
    秋風というのは、涼しくて良い風のことを言います。
    つまり吉兆です。

    これは昔の日本人の思考と、現代日本人の思考の大きな違いなのですが、今の人は「会ってから結果を出す」のが常識と思い込んでいますが、昔の人は「会う前に結果を出す」のが常識でした。
    わかりやすくいうと、いまでは武道もスポーツの一種になってしまって、試合の結果は「やってみなければわからない」ものとなっていますが、昔はそうではなくて、「試合で向き合ったときには、もう勝負がついている」ものであったのです。
    ここが日本古来の武道と、スポーツの違いです。

    この歌も同じで、天皇から何を聴かれるのか、それはおそらくは政治向きのことであろうけれど、家を出る前にすでに吉兆を意味する風が吹いたということは、ここで結論が出ているということなのです。

    要するにまとめると、天智天皇・天武天皇・額田王の三角関係説というのは、万葉集にある歌を間違って解釈していることが原因の俗説にすぎません。
    詠まれた歌をちゃんと読み解けば、その内容は、まさに尊敬と敬愛、そして国をひとつにまとめていこうとする誠実の歌の数々にほかならないのです。

    日本を取り戻すためには、日本人が日本文化を知る必要があります。
    そして日本文化を知ろうとするとき、先人たちへの限りない尊敬と敬愛の念を持って、教えを乞えば、いまは亡き先人たちは、大喜びでその真実の扉を開けてくれます。
    逆に、自分たち現代人の方が進んでいるのだ、過去の先人たちは遅れていたのだなどという傲慢な姿勢で古典に臨めば、先人たちはその真意を教えてくださるどころか、見向きもしてくれなくなります。
    つまり、何も得させてもらえなくなるのです。

    そもそも、七百年もすれば、日本人は全員血がまじります。
    天智天皇や天武天皇らは7世紀の人物です。
    いまから1400年も昔の人です。
    ということはつまり、いま生きている私達の体を構成しているDNAの何万分の1かには、男性であれば天智天皇、天武天皇のDNAが、女性であれば天才歌人とされた額田王のDNAが、現代日本人全員の中にしっかりと入っている、ということです。

    ということは、天智天皇や天武天皇を否定することは、自分自身を否定することということになります。
    これを自虐史観といいます。
    歴史を虐め、国を虐め、結果として自分を虐めているのです。
    教師が生徒たちに、そうやって虐めを正しい行いとして教育すれば、子供達は虐めることが正しいことだと勘違いします。
    こうして虐めの問題が社会問題となります。
    あたりまえの帰結です。

    そして自虐の反対語は自愛です。
    古典や歴史に愛を見出すことは、そのまま歴史を愛し、国を愛し、自分を愛することに繋がります。
    これこそが、いま求められる新しい教育の形です。

    今回のお話の要点は表題の通りです。
万葉集をちゃんと読めば、ぜんぜん三角関係などではないことがわかります。
思うに、日本を取り戻すためには、日本人が日本文化をもっとちゃんと知る必要があるように思います。
    日本人から誇りを奪い、日本人であることをむしろ恥じるようにしていくことは、実は明治からはじまり、戦後にはとても大きな影響力を持つようになりました。そのために学者さんたちまで動員されました。
しかし、百万遍唱えても嘘は嘘です。一片の真実は、一瞬でそれまで蓄積された嘘を吹き飛ばす力があります。
日本の文化は、日本の近隣国の人たちが思うような残酷軽薄な文化ではありません。


    ※この記事は2021年11月の記事を大幅にリニューアルしたものです。
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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