• 新刊『日本武人史』予約開始


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    次回の倭塾開催は7月17日(日)13時半から。場所は富岡八幡宮・婚儀殿2Fです。
    テーマは「我が国のアイデンティティと日本の政治」です。

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    20220622 日本武人史
    画像出所=https://amzn.to/3bomY29
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    画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)



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    小名木善行です。

    最新刊の『日本武人史』が、Amazonで予約開始になりました。
    ちなみに、前回ご案内したときと、表紙のデザインの色合いが、少し変わりました。



    日本をかっこよく!

    古来より武術が連綿として受け継がれ、日々鍛錬にいそしみ、
    その武力のおかげで日本は植民地化をまぬがれた。
    武人たちの桁外れな活躍と共に、我が国の武の足跡をたどる!

    建御雷神
    神功皇后の三韓征伐
    大江山酒呑童子と源頼光
    文武両道八幡太郎義家
    天下武双の強弓源為朝
    源義経とチンギス・ハーン
    可児才蔵と塚原卜伝

    といった武神や武人たちの生涯から、日本武道の成立を人物伝をもって語るという本です。

    はっきりいって、おもしろいです。

    自分で書いた原稿なのですが、校正のときにあらためて読み直して、
    「えっ!?これって俺が書いたの?」と思えるくらい、おもしろかったです。
    校正作業のはずが、気がついたら、夢中に読み込んでしまいました(笑)

    日本武道の精神は、
    「剣胆琴心」です。

    臍下丹田に剣を起き、同時にみやびな琴の音色を愛する。
    https://admin.blog.fc2.com/control.php?mode=editor&process=new#れが日本武道の心得です。

    ただ強いというだけでなく、自己を鍛錬し、聖域にまで達した人物たちの生涯は、いま、日本を取り戻そうと活躍する私たちの心に、大きな炎を呼び覚ますものであろうと思います。

    発売予定は、今年(2022年)の7月22日です。
    現在予約受付中です。



    日本をかっこよく!
    お読みいただき、ありがとうございました。
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    第92回倭塾 5/21(土)13:30~16:30 富岡八幡宮婚儀殿2F
    第93回倭塾 7/17(日)13:30~16:30 富岡八幡宮婚儀殿2F
     8月 終戦の日・靖国神社昇殿参拝(日程後日)
    第94回倭塾 9/10(土)13:30~16:30 富岡八幡宮・婚儀殿2F
    第95回倭塾 10/23(日)13:30~16:30 富岡八幡宮・婚儀殿2F


                       

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  • 激変する世界に


    世界はいま、音をたてて大きく変わりつつあります。
    対立し闘争し収奪し支配するという世界から、民衆の幸せこそが国家の幸となる世界に向けて、いま世界は大きく一歩を踏み出そうとしています。
    そしてその動きの中心にあるのは間違いなく日本であり、私達日本人のひとりひとりです。

    20220612 田舎
    画像出所=https://mimpiweb.net/blog/intermarriage/grandmas-countryside-house/
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    !!最新刊!!
       

    戦後の日本は、GHQによって解体され、その後に利益や地位を得たいわゆる敗戦利得者たちによって、いいように蹂躙され、日本人は腰抜けになった・・・と、よくいわれています。
    果たして本当にそうなのでしょうか。

    神々の目線と言ったら恐れ多いのですが、ものごとを巨視的に観ると、これまでとは違った大きな「動き」のようなものが見えてくることがあります。
    そしてそういう目線で歴史を俯瞰するとき、どうも何かが違うような気がするのです。

    大航海時代によって、世界の有色人種国が次々と征服され植民地化され奴隷化される一方で、その植民地利権を巡って白人諸国もまた繰り返し武力衝突をしていた17世紀から19世紀にかけての世界にあって、日本は東洋のはずれに残された世界唯一といって良い有色人種独立国でした。

    その日本は嘉永6年の黒船来航以降大混乱が続き、数多(あまた)の流血事件の後、ようやく明治新政府ができあがるのですが、その時点では国内で保有していた金(Gold)のほとんどを海外に流出させ、新政府の出発時点では、国の独立は保ったものの、政府には資金がなく、暦まで変えてようやく資金繰りをしなければならないほどの超貧乏政府としての出発でした。

    ところがその貧乏政府は、殖産興業による富国強兵政策によって、またたくまに富裕国となり、日清戦争に打ち勝つと、明治35年(1902)年には世界最大の版図を持つ大英帝国と対等な同盟関係を結び、明治38年(1905)には大国ロシアを打ち破って、有色人種国としては世界でただひとつ、文字通り欧米列強に並ぶ世界の超大国の仲間入りを果たし、ついに明治44年(1911)年には、幕末からの懸案だった不平等条約を全廃しています。
    そして第一次世界大戦終結後のパリ講和会議(1919年)で、日本は世界に向けて「人種の平等」を高らかに宣言しました。

    この時代、日本を除く世界の先進諸国の冨は、植民地からの収奪によって担(にな)われています。
    人種平等は、なるほど正しい視点ではあるけれど、世界を支配していた国々、それら諸国にあって実際に植民地経営によって巨富を得ていた人たちにとっては、500年続いた家族の繁栄の源泉となる財産のすべてを、ただ一方的に放棄せよというに等しい主張でした。
    日本の主張する「人種平等」は、正しい理想ではあるけれど、世界の富裕層にとっては自分たちの財産を奪うものです。
    ですかからこの瞬間から、日本は世界の列強諸国の敵になりました。

    日本の主張が間違った主張であるならば、日本は悪の枢軸国であり、世界の正義の敵、つまり悪の帝国です。
    悪の帝国ならば、攻めて滅ぼすしかありません。
    ところが日本の主張は、世界中の誰が観ても正しい主張です。
    こうなると世界の富裕層にとっては、きわめて都合が悪い。
    そこで世界の富裕層が選択したのは、日本をChinaと戦わせるというものでした。

    この場合、西欧諸国立場は、Chinaの平和のための支援活動を行うというだけのものとなるし、支援される側の国民党蒋介石にしてみれば、ただChinaの民衆を使役して日本と戦わせていさえすれば、豊富な軍資金が天から降ってくるわけです。
    こうして日華事変が勃発します。

    ところが日本の軍は強く、China側は負けてばかり。
    そこで次の手段として採られたのが、日本に対する経済封鎖です。
    日本はなんとかして戦いを回避しようと努力をし続けますが、ついに昭和16年、戦争に打って出ることになりました。

    この戦争は、序盤こそ日本の破竹の勝利の連続でしたが、ミッドウェーの敗戦によって形成が逆転。
    日本は制海権と制空権を失い、これによって外地に派遣していた将兵への食料が絶たれることになりました。
    ちなみに世界の戦役では、食料は現地で相当部分を調達するのが原則です。
    場合によっては現地の人達を食べることによって、兵たちの戦闘力を維持します。
    ところが日本軍の場合、現地で食料調達することを一切せず、あくまで内地からの補給のみによって糧食を賄っていましたから、制海権、制空権を奪われ、輸送船団が襲撃される状況になると、結果として外地の日本軍の戦力が低下することになるわけです。

    この戦略が奏功して、昭和20年、ついに日本は降参します。
    日本は武装を解除され、軍は解散、軍事教育を受けた戦闘のプロフェショナルたちは逮捕投獄あるいは殺害され、ハイパーインフレとなって国内経済は破綻し、資金力のある財閥も解体、大家族制の源泉となっていた農地も寸断され、法体系も破壊されてしまいます。
    さらに国際的には、日本と戦った諸国が「United nations(国際連合)」として組織化され、その連合によって日本は戦争終結後もいわば恒常的な「敵国」として規定されました。

    ところがそこまでして徹底破壊したはずの日本は、終戦後19年、講和条約発効後としてはわずか12年で国土も経済も復興させて東京で東洋初となるオリンピックを開催すると、その20年後には世界第二位の経済大国にまで成長し、しかもその取引に(どこかの国のような)一切の不正がない、という行動をしました。
    またかつて日本が領土としていた諸国がそれぞれに欧米列強の圧力を跳ね返して独立を果たすと、それら諸国に工場を進出させ、また橋梁や道路や水道や学校などの施設つくりを補助することで、それら諸国が経済的に繁栄する手助けのために惜しみない援助を与え続けました。
    日本は戦後70年、一度も戦争をすることなく、しかも日本と関わったすべての国の経済的繁栄を補助し続けたのです。

    はからずも明治以降の歴史を大局することになってしまいましたが、要するに何を言いたいのかというと、力こそが正義であり、力を持つ者(あるいは国)は、そうでない者を人としてさえ見なさななくても良かったという時代が、かつてこの地球上に存在していたわけです。

    もうすこし述べるならば、世界には、必要なものや欲しいものがあるなら、自分で努力してそれをつくろうとする種族と、他から奪おうとする種族があるわけです。
    そしてつくろうとする種が、奪う種によって蹂躙しつくされてきたというのが、すくなくとも19世紀までの世界であったわけです。

    文明の衝突という言葉がありますが、日本はその奪う文明と、16世紀に出会い、むしろ国を閉じることによって(鎖国)、国を護り続けてきました。
    けれど17世紀に入って、その門戸をこじ開けられるとともに、征服者や支配者が渦巻く世界へとむりやり引き出されて行ったわけです。

    そうした世界を、あらためて人々が和し、助け合い、収奪を否定する社会へと作り変えることは、その時点における支配者層や、大金持ち層にとっては、甚大な不利益を及ぼすものとなります。
    けれど、圧倒的多数の民衆にとっては、まさに幸せが訪れることになります。
    そして日本は、その後者のために、幕末以降、先の大戦の終結時まで、ずっと戦い続けたわけです。

    力には力で対抗しなければならないときというのはあります。
    けれど、それで勝利してしまったら、どうなるのでしょうか。

    先の大戦で、仮に日本が勝利したとします。
    それはおそらく世界から見れば、世界の支配者の交代を意味します。
    けれど日本にも日本人にも、世界を支配しようなどという気は、おそらくさらさらありません。
    するとどうなるかといえば、世界は、支配する気のない支配者にとって代わろうとする人たちと、泥沼のような戦乱に至ることになるのではないでしょうか。
    あるいは日本は、あるいは日本人は、世界の支配者となって世界から富を公然と、そして平然と巻き上げるのでしょうか。

    想像ができないようであれば、ひとつ例を申し上げます。
    1600年に関ヶ原の戦いがありました。
    この戦いで東軍の江戸方が勝利しました。
    もしこの戦いが、ギリシャ時代の都市国家同士の戦いであったなら、負けた西軍の大名や貴族たちは全員処刑され、西軍側の大名たちの治めていた諸国の民衆は、全員江戸に連れてこられて、奴隷として使役されることになります。
    けれど日本ではそのようなことは起きていません。

    先の大戦に際して、米国は日本との開戦前から、日本との戦争に勝利した暁(あかつき)に、日本をどのような形で統治するか、そのために、誰と誰を公職追放するかに至るまで、詳細な計画を作っていました。
    では日本は、仮に先の大戦で勝利したとき、米国をどのように統治するかという青写真を一枚でも作っていたのでしょうか。
    そのような事実はまったくありません。
    つまり日本は、戦いに勝利したときの青写真をまったく持っていなかったのです。
    しかしこのことは、西洋の人たちには、きわめてわかりにくいことです。
    戦いに勝つということの意味が、西洋の人たちと日本人では180度違うのです。

    仮に先の大戦で日本が勝利すれば、世界の人達は、新たな支配者の誕生と考えます。
    そしてそれまでの支配層だった富裕層の人たちは、すべての財産を日本に奪われると警戒します。
    被支配層の白人さんたちも、日本人に奴隷にされる、すべてを奪われると警戒します。
    日本がそのようなことはしない、と何度言っても意味はありません。
    文化の生成の歴史が違うのです。

    東南アジア諸国の人たちは、すでに何もかも奪われて、何もない状態でしたから、植民地支配から開放されれば、あとは上に登るだけです。
    これはある意味、わかりやすい、もっというなら簡単なことなのです。
    けれどその東南アジア諸国にあってさえ、白人たちが当該国の支配のために特別な権益を与えていた華僑の人たちは、戦前も戦中も戦後も、一貫して反日です。

    彼らは、白人の下請けとなっていることで、その国を支配する民族となって巨富と強権を持っていたのです。
    日本によってそれらが否定される「かもしれない」となっただけで、彼らは東亜諸国内でさかんに抗日反日デモや暴動を繰り返していました。
    戦前戦後の人気映画『快傑ハリマオ』のモデルとなった谷豊(たに ゆたか)は、そうした反日デモの華僑たちによって、実の妹が生首をねじ切られてサッカーボールよろしく首を蹴飛ばされていた経験を持っています。

    日本人の感覚では、それは信じられないような蛮行ですし、通州事件や尼港事件など、おぞましい事件の経験を日本人は体験しましたが、実はこれは文化の違いなのです。
    人は塩分がなければ死んでしまいますが、大陸の内陸部に住む人達にとって、その塩分の補給は肉からしか得ることができない貴重なものなのです。
    ですから牛馬の肉を食べるのと同様、人も死ねば食肉となります。
    いわば人も食料品のひとつですから、遺体は吊るして血抜きして干し肉にするし、そこに尊厳を認めることはありません。

    日本人はたまたま周囲を海に囲まれているために、塩分の補給は海からいくらでもできますし、動物の肉を食べなくても魚からいくらでも塩分やタンパク質の補給ができます。
    そうした環境の違いが、文化の違いになるのです。
    大陸の人たちが、人や動物たちの肉に感じる感じ方は、日本人が魚に感じる感じ方と同じといえば、わかりやすくなるでしょうか。
    料理でいえば、日本人は鯛の活造りを大喜びしますが、その活造りが人の肉に代わるだけのことです。

    そしてそこに政治的な思惑が重なって抗日や反日が自分たちの利権(経済的利益と支配者としての権力)保持と重なると、それが大きな抗日運動、反日運動となります。

    もし日本が、先の大戦で勝利していれば、かつて東南アジア諸国で起きた、あの残酷な抗日反日運動が、今度は白人諸国や白人が支配してきた諸国において、広範に、かつ盛大に行われることになったかもしれません。
    いやむしろ、そうなった可能性は、100%であったであろうと思います。

    日本は、そうした世界と、では武力で戦うのでしょうか。
    戦えば戦うほど、それは泥沼に足を取られることになっていったのではないでしょうか。

    神々は(と書くと抵抗感を持たれる方がおいでかもしれませんが)、けっしてそのような未来はお望みにならなかったことと思います。

    先の大戦を考えると、日本は、初期の破竹の進撃で、東亜諸国から白人たちを蹴散らし、世界に向けて有色人種であっても白人たちを見事に撃退できるのだということを証明して見せました。
    けれど、神々は、それによって日本が戦争に勝利することを望まれず、むしろ日本を焼け野原にしました。
    そして戦後は日本から武力さえも取り上げました。
    ただし、最小限の武装は自衛隊という名で保持させ、その自衛隊の練度は、世界最強といえるほど強く、しかも先の大戦における日本軍の強さは、おそらくあと千年経っても語り継がれる強靭な影響を残しています。

    つまり、日本との軍事的衝突は、世界中のどの国においても、絶対に避けなければならないことというのが、世界のある意味常識となっているわけです。
    もっとも世界には、いろいろな国があって、日本と戦っても勝利できるのではないかなどという、夢物語にもならないようなことを、真面目に子どもたちに教えている斜め上のようなおかしな国もありますから世界は複雑(笑)です。

    仮にもし、日本に対して軍事行動を起こす国があれば、日本が積極的に他国を攻撃することがないことは、世界中の人たちが知っていることですから、その国は政治的に経済的に世界から総スカンされることになります。
    いまや世界は、ネットワーク化され、すべてが繋がっているという時代にはいっているわけですが、そうした中にあって、世界中から総スカンを食うということが何を意味しているかというと、米国のファーウェイに対する制裁どころではなくなるということです。

    来る6月28日から大阪で2019年G20サミットが開催されますが、これは見ものです。
    日本にレーダー照射した国が、世界からどのような扱いを受けるか。
    日本は、その国に経済制裁もせずに、出来る最大のやさしさで接してきましたが、果たして世界はどのように対応するのか。
    その答えが2019年G20サミットで明らかになります。

    令和に入って、世界はいま、音をたてて大きく変わりつつあります。
    対立し闘争し収奪し支配するという世界から、民衆の幸せこそが国家の幸となる世界に向けて、いま世界は大きく一歩を踏み出そうとしています。
    そしてその動きの中心にあるのは間違いなく日本であり、私達日本人のひとりひとりです。

    そのために何をしたら良いのか、という人がいます。
    そこが間違いです。
    これは日本人の基本的な考え方です。
    その考え方を再確認することで、まったく新たな世界が見えてきます。
    それが何かというと、時間の流れです。

    西洋では、時間は過去から現在、未来へと流れているとされます。
    西洋文化に染まった現代日本人も、それが常識だと思っています。
    けれど、過去というのは「過ぎ去った時間」です。
    未来は、「未だに来ていない時間」です。
    つまり時間軸は、まだ来ていない未来から、過ぎ去る過去へと向かって流れるというのが、日本人の感覚です。
    西洋とは真逆です。

    過去は、もう済んだことです。
    それよりも、いま(現在)を大切にする。
    そうすることで、よりよい未来に来てもらう。

    色々な未来があるのです。
    貧乏な未来もあれば、豊かな未来もある。
    日本が輝く未来もあれば、日本が衰退する未来もある。
    どういう未来に来てもらうかは、いまの私たちの努力による、というのが日本人の昔からの考え方です。

    上に述べましたように、ひとつの可能性として、日本が輝く未来があります。
    けれど、そのような未来にするかどうかは、いまの私たちの心がけ次第です。

    GHQに洗脳されたからと愚痴をこぼすのではなく、政治家がダメだからと人のせいにするのでもなく、半島メディアに腹を立てる。教育がなってないと嘆く。
    そのようなことをこの先100年続けても、何も変わりません。

    ではどうしたらよいかといえば、私達自身が、しっかりと現状について、世の中について、日本について、しっかりと学ぶのです。
    事実を知れば、何が間違っているのか、どこがおかしかったのかが、はっきりと見えてきます。
    そのおかしいものを、みんなで協力し協同して、しっかりと学び、改善していく。
    そういう人たちが、日本の圧倒的多数の有権者となれば、政治が変わります。流行通信であるメディアも変わります。教育も変わります。

    文句を言えば物事が変わる、なんてことはないのです。
    「知れば変わる」のです。
    だから「シラス(知らす、Shirasu)」です。
    だから、知らすは、究極の民主主義です。

    それが「一隅を照らす」ということです。
    ひとりで照らすのではありません。
    みんなで学び、みんなで照らすのです。
    それが国の宝です。

    自分はどうすればよいのか、と迷われる方もおいでのことでしょう。
    迷う必要なんてない。
    みんなで学びに参加すればよいのです。
    それが、政治に参加することです。
    これを「参政」といいます。

    落日の後には、長い夜がやってきます。
    けれど、陽は必ずまた昇るのです。


    ※この記事は2019年6月の記事に大幅に加筆した記事です。

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  • 新刊『日本武人史』のお知らせ


    新刊のお知らせです。
    まだ予約も開始になっていません。
    ようやく著者校正が終わったところです。
    が、あらためて原稿を読み直して、めっちゃおもしろい!
    ようやく昨日、表紙案ができあがってきましたので、
    サワリだけ、ちょっとご紹介です。

    20220617 日本武人史



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    30年以上にわたって経済が成長しなくなった日本。
    この30年間の日本の経済成長率は、内乱状態にあって国連介入を招いた国々より、さらに低い水準です。
    このままいけば、日本は間違いなく滅びます。

    日本の人口が半分以下になり、労働力が足りないからと、政府は外国人労働力を積極的に受け入れようとしています。
    けれど、経済の成長がなく、初任給が韓国や中共、あるいは東南アジア諸国やアフリカ諸国よりも低い日本です。
    高給を取れる優秀な外国人は、日本以外の国に行きます。

    つまり日本にやってくるのは、スパイか、どこの国でも要らないカスばかりという状況になります。
    もちろん個体差はありますので、いまのところは全部ではありませんが、このままの状態が続けば、間違いなく日本には、大量の「要らない人」が流入します。

    すると日本の治安が悪化します。
    電車は始終停まるし、わけのわからない犯罪は起きるし、人々の暮らしの安全も損ねられます。
    「捕まりさえしなければよいのだ」とばかり、高速道路を悠々と自転車で走るような馬鹿者も出るし、
    たまたま間違って4千万円振り込まれたら、正直にそれを返すのではなく、自分のものにしてしまうような馬鹿者が、普通の生き方というようになっていきます。

    こうなると、まともな日本人は、日本よりも稼げる外国へと流出します。
    気がつけば、市町村単位では、住んでいるのは日本人より外国人の方が多いということになって、彼らは自治権を求めます。
    するとそこの地域の政治は、日本の日本人による日本人のための政治ではなく、外国人の外国人による外国人の利益のための政治になります。
    気がつけば、日本列島から日本人がいなくなる。
    そんな未来も目の前にやってきています。

    そんな日本を立て直すために、いま必要なことは、日本人が目覚めることです。
    メディアや政治に騙されないで、日本人が日本人の生活を護る、そういう意識を持つことです。
    そして、そのために立ち上がる人たちに大切な心は、

    「日本の武人の心」です。

    では、日本の武人とはどのようなものであったのか。
    このことを書いたのが『日本武人史』です。

    発売日は7月14日(予定)で、まだ予約もできません。
    (予約開始になったら、またお知らせします)

    本は、ようやく著者校正が終わり、昨日、表紙案が出てきたばかりです。

    けれど、この本、めっちゃおもしろいです。
    『日本建国史』
    『庶民の日本史』
    そして
    『日本武人史』
    です。

    武道とスポーツは違います。
    スポーツなら、ルールがあって審判もいます。
    技が決まった時点で、「一本!それまで!」となるし、ダウンして10カウントされたら、それで終わりです。

    ところが実戦の場合、審判もいなければ、ルールもありません。
    しかも人間というのはけっこうしぶとい生き物で、心臓を貫かれても、脳が死ぬまで、およそ15秒かかります。
    実戦で15秒あれば、刺されても刺しかえすことが可能です。

    そういうことを前提としますから、武道は常に相打ち覚悟です。
    常に刺し違える覚悟をもって戦う。
    そのために胆力を鍛え、日々の激しい修練を行う。

    いまの日本を変えるのも同じです。
    参政党の街頭演説には、都度、何百人もの人々が集まります。
    彼らは、刺し違える覚悟をもって立ち上がっています。
    その姿は、まさに日本の武人の姿そのものです。

    政治を変える、国を変える。
    そのためには、あれがダメ、これがダメと言っているだけでは、実は何も変わりません。
    心胆から変えていく。
    そのために学び、自分の頭で考え、効果のある行動をする。

    『日本武人史』は、あらためて読み直してみて、下手な小説を読むよりもはるかに読みやすく、また面白かったです。
    面白いという意味においては、これまでの著書の中でNo.1かもしれないと思いました。

    そしてこの本を読むと、我々が日本人として大切にしなければならないことの本質が、あらためて腑に落ちることになります。
    そしてそのことは、日常のあらゆる活動や行動に勇気と覇気を与えてくれます。

    乞うご期待です。

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  • 完成までに17年もかかった国会議事堂と世界政府構想への懸念


     隣の家と自分の家は違います。それを無理矢理ひとつにしようとすれば、
    1 危機を演出して、強制的に避難所で共同生活を営んでもらう
    2 拒否する者を見せしめに殺す
    3 戦争をして国ごと滅ぼす
    しかありません。世界政府構想は、結果として、武力か疫病でしか達成できないのです。
     私たちは、我が国の国会議事堂が、完成までに17年もかかったという事実を前に、もういちど、しっかりと考えてみる必要があるのではないでしょうか。

    20180601 国会議事堂
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    歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
    小名木善行です。

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    国会議事堂の建設が始まったのは大正9年(1920)1月30日です。
    完成は昭和11年(1936)11月7日です。
    着工から完成までに、なんと16年11ヶ月という、ありえないほどの長い期間がかかりました。
    どうして、そんなに長い年月がかかったのでしょうか。
    また国会議事堂が出来上がるまでは、国会はどこで開催されていたのでしょうか。

    明治天皇から国会開設の詔(みことのり)が発せられたのが、明治14年(1881)10月のことです。
    最初の議会(第一回帝国議会)は、明治23年(1890)11月29日に開催されています。
    つまり国会議事堂ができあがるよりも46年も前から、国会が開催されていたわけです。

    第一回の帝国議会は、いま経済産業省があるあたり(千代田区霞が関一丁目)で行われました。
    そこに木造の「第一次仮議事堂」が建てられ、開催されました。
    どうして「仮議事堂」という名前になっているかというと、もともと明治20年(1887)4月の閣議で、いまの国会議事堂がある千代田区永田町一丁目に、正式な国会議事堂が建てられることが決まっていたからです。

    第一次国会(仮)議事堂(明治23年)
    第一次国会(仮)議事堂(明治23年)


    ところが本格的な、諸外国に恥ずかしくない立派な国会議事堂を建てようとすると、たいへんなお金がかかります。
    なにせまだ西南戦争が終わって、たった3年しか経っていなかった頃のことです。
    資金繰りに苦しい明治政府は、やむなく霞ヶ関に「仮」の議事堂を建設することにしたのです。

    それでもこの「仮議事堂」建設には、わざわざドイツから建築家アドルフ・ステヒミューラーを招いて、それなりに立派な建物にしたのですが、第一回帝国議会の会期中の明治24年(1891)1月20日、漏電によって出火し、あえなく全焼してしまいました。

    それでどうしたのかというと貴族院(現・参議院)をいまの帝国ホテル(当時は鹿鳴館)で、永田町にあった御用邸の雲州屋敷で衆議院をそれぞれ開催しています。

    第一回帝国議会は、3月に閉会するのですが、次の第二回帝国議会は、同じ歳の11月に招集です。
    そこで昼夜兼行の突貫工事で、わずか7ヶ月で焼け跡に二度目の木造国会「仮」議事堂が再建されました。
    この二度目の「仮議事堂」で、明治24年の第二回から、明治27年春の第六回特別国会までが開催されたのですが、この年の7月には日清戦争が勃発しています。

    この戦争の遂行にあたり、天皇の御在所となる大本営が(より戦場に近い)広島に移されました。
    これは当時、第5師団と軍港である宇品港が広島にあったこと、当時の山陽本線の西の端が広島駅であったことによります。

    陛下の御在所が広島に移ったのです。
    ですから国会も広島に移ってきました。
    国会議事堂は、いまの広島市中区基町の「リーガロイヤルホテル」のあたりに建てられました。
    当時は、いまの広島球場から中央図書館、ひろしま美術館、平和記念公園、そごう、リーガロイヤルホテルのあたり一帯が練兵場として、広大な広場だったのです。

    広島に置かれた国会「仮」議事堂
    広島臨時仮議事堂


    広島での帝国議会は、第7回臨時国会だけです。
    次の第八回通常国会(明治27年12月〜翌年3月)は、もとの東京にある国会「仮」議事堂での開催となりました。

    国会議事堂が「仮」庁舎ではなく、ちゃんとした議事堂にしようという話は、その間もずっと続くのですが、これがようやく実現する運びとなったのが大正8年(1919)9月、つまり国会の開催が決まってから38年経ってからでした。
    翌大正9(1920)年1月30日に、現永田町の国会議事堂建設予定地で、ようやく地鎮祭が開催されています。

    この大正9年というのは、国際連盟が結成された年です。
    日本は世界の強国として、国際連盟発足時の安全保障理事国でした。
    いいかえれば、それだけの世界の大国でありながら、国会議事堂がいつまでも「仮庁舎」のままでは、あまりにもみっともない、ということになったのです。

    ところが建設は始まったものの、なかなか完成に至らない。
    このことは、それまでの仮議事堂が、わずか数ヶ月で建設されていることと比べたら、完成までに17年弱というのは、あまりにも異常です。

    なぜこのように建設工事が遅れたかというと、当時の日本は、Koreaや台湾、満州、樺太に立派な建物の総督府を作ったり、学校を建設したり、道路や橋を架けたり、日本が統治をすることになった周辺の外地のインフラの整備に、毎年莫大な予算を計上していたからです。

    たとえばKorea総督府の建物は、昭和元年(1926)の完成ですが、大理石で作られた、実に立派で堅牢な建物でした。
    ハルピンや大連や奉天や、ソウルなど、大陸の様々なターミナル駅は、いまでもそのまま使われているくらい、立派な駅庁舎です。
    日本は、新しく日本となった地域や、日本の同盟国となった地域の都市インフラを優先し、自国のことは最後の最後の後回しにしていたのです。

    その結果、日本の国権の最高機関である国会議事堂は、完成までに17年もかかってしまったのです。
    自分のことよりも、周囲のことに気を使う。
    日本ならではことではないかと思います。

    どこぞの国は、「ウリたちは日本に植民地支配された」と言い張りますが、もし日本がウシハク植民地支配者であったなら、Koreaや満州のインフラ整備などは後回しとなったことでしょう。
    なにより自国の権威の発露として、自国の総理府や国会議事堂の建設完成を優先します。
    世界中どこの国でも、それが常識です。

    しかし日本は違ったのです。
    まわりを優先し、自分のことは後回しにしたのです。

    けれど、そのことのもつありがたさとか、感謝とかいった気持ちをコリアに求めるのもまた筋が違います。
    彼らに感謝の文化はありません。
    その場その場で自分さえ良ければよいのです。
    「おかげさま」という文化は、日本の文化であって、コリアの文化ではありません。

    近年、世界政府という言葉が、あちこちで聞かれるようになりました。
    世界がひとつになる。
    それは、一見するととても良いことのように見えますが、このことが意味することは、価値観や文化を一元化するという側面もあります。

    だらしなくて、家中を散らかし放題でゴミ屋敷のようにしてしまう人と、きれい好きで片付け上手、清潔な暮らしが好きな人が同居すると、どうなるでしょうか。
    子供なら、だらしないなら、無理矢理「片付けなさい」と強制することもできるでしょう。
    けれど、相手が大人であったら。一国であったら。
    強制するには、武力をもって脅かしつけるしかありません。
    教えたところで、守らない。それは文化だからです。
    きれい好きな人に、だらしなくして家中ゴミだらけにしなさいと強要しても、無理でしょう。
    それと同じです。

    要するに異なる文化、異なる傾向性というのは、一緒になることは短期的には不可能なのです。
    一緒になるためには、最低でも千年、完全に一体化するためには、1万年の歳月が必要です。
    それを短兵急に実現するには、結局のところ、軍事に頼るほかない。
    片付けなければぶん殴るぞ、といって脅かすしかないし、それでも言うことをきかなければ、殴るしかない。
    すると戦争になります。

    世界の中で、他の民族に侵されずに歴史を刻むことができたのは、日本と、西ヨーロッパだけだといわれています。
    西ヨーロッパの場合、ゲルマン民族の大移動以降、「内部で争うことはあっても、よそから制圧されて文化や社会が断絶するようなことがなかった。それによって内部の順調な発展があった」とは、フランスの歴史学者のマ ルク・ブロック(Marc Léopold Benjamin Bloch、1886 年 7 月 6 日〜1944 年 6 月 16 日)の言葉です( 『封建社会』(みすず書房刊))

    ゲルマン民族の大移動があったのは、4〜8世紀です。
    8世紀からで考えても、1300年が経過しています。
    それだけの期間があり、かつ、ほぼ似たような言語、習慣を持っていても、いまでも西ヨーロッパは、多数の国に分かれています。
    そして国境を持ち、出入りを厳しく管理しています。

    これが何を意味しているのかと言うと、「隣の家と自分の家は違う」ということです。
    それを無理矢理ひとつにしようとすれば、危機を演出して、避難所で共同生活を営んでもらうか、拒否する者を見せしめに殺すほかありません。
    世界政府構想は、結果として、武力か疫病でしか達成できないのです。

    世界の多くの国々は、そしておそらく圧倒的多数の人々は、誰もが「豊かに安全に安心して暮らせる」ことを求めていると思います。
    世界政府が、果たしてそうした「豊かに安全に安心して暮らし」を、人類にもたらすものなのか。

    私たちは、我が国の国会議事堂が、完成までに17年もかかったという事実を前に、もういちど、しっかりと考えてみる必要があるのではないでしょうか。


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  • 「強制型社会」から「共生型社会」へ、「パワーの時代」から「クレジットの時代」へ


    ※次回の倭塾本日5月21日(土)13時半から富岡八幡宮・婚儀殿2Fです。
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    20220521 球体
    画像出所=https://www.mozaweb.com/ja/Extra-3D-QiuTi_TiJi_ShiYan-129690
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    これからの時代は、情報化の進展によってあらゆるものが大きく変化していきます。
    そのキーワードとなるものが、

    1「強制型社会」から「共生型社会」へ
    2「パワーの時代」から「クレジットの時代」へ

    の2つです。

    細かな説明は必要ないと思います。
    そしてこの2つの流れは同じものです。

    「強制型社会」というのは、別な言い方をすれば、ピラミッド型の社会構造です。
    平面上の三角形が、ピラミッド型社会を象徴します。
    頂点にあるのが、トップです。
    そして下に行くほど、人数が増えます。

    トップ同士の考え方が対立した場合、三角形同士が重なり合うように衝突が行われます。
    この場合、トップ同士が戦闘になることはなく、三角形の底辺だけがぶつかり合います。
    これが戦争の常態です。
    犠牲になるのは、いつも末端だけです。

    そして衝突は、相手の三角形が叩き潰されるまで続きます。
    露とウクの戦いも同じです。
    トップ同士が直接殴り合いの喧嘩をすることは、まずありません。
    戦うのは、いつも末端の兵士であり、犠牲になるのは一般の民衆です。

    国であれ会社であれ団体であれ、本来、組織は末端の人々が豊かに安全に安心して暮らせるためにあります。
    にも関わらず組織が衝突するときには、その末端の人達が犠牲になる。
    これは本来、あってはならないことです。

    では、そんなピラミッド構造を持つ組織同士が衝突しないで住む方法はあるのでしょうか。
    あります。
    それが球体です。

    球体は中心があり、その表面には、三角形を筐体の表面積分、いくらでも貼り付けることができます。
    つまり全体が球体になることによって、すべての主張を持つ三角形が、互いに共存できるのです。
    これが「共生型社会」です。

    二次元の平面上だけで物事を考えるのではなく、三次元の立体構造で考える。
    これがアセンション(次元上昇)です。

    いま、世界で起きていることは、「パワーの時代」から「クレジットの時代」へのシフトです。
    もちろん「パワーの時代」に固執する人たちもいます。
    世界を支配しようとする人たちの行動が、それです。

    日本の社会というのは、中心核に天皇をいただき、臣民のひとりひとりがその球体の表面上に存在するという形でした。
    これをシラス統治といい、これによってすくなくとも1300年以上の長きに渡って、誰もが中庸なる生活ができるような構造をしていました。

    ところが明治維新以後、日本に導入された西洋型社会は、18世紀にようやく誕生したシステムです。
    そのシステムにあるものは、極論すれば、
     極端な個人主義と、
     極端な世界主義であって、
     中間にある国家を否定するもの
    でした。

    国を家族と考えるのではなく、国は王が支配するものであり、その王の支配を逃れようとする個人を、これまた極端に尊重するというシステムです。
    そうしたシステムを強制するために行われたのが、力による支配でした。
    そして力とは、主に軍事力でしたから、衝突すれば、それは軍事力の衝突、つまり大量破壊と殺戮であったわけです。
    これが20世紀に起きた現実です。

    しかし21世紀になり、世界は力よりも、注文通りの製品がちゃんと作れることや、ちゃんと約束通り代金が支払われるといった、あたりまえの常識が重視されるようになってきています。
    これは、パワーの時代から、信用を重んじるクレジットの時代に変わってきている、ということです。

    かつては、相手に言うことを聞かせるためには、武力で脅かすしかありませんでした。
    しかし情報化社会の進展は、約束を守らなければ、信用を失ない、信用を失えば、世界中から制裁を受けるというように変化してきています。
    おそらくこの傾向は、今後ますます強くなるし、世界中の言語がクラウド化されたコンピューターによって、リアルタイムに母国語に正確に変換されるようになると、世界中の言論に誰もが容易にアクセスできるようになります。言葉の壁がなくなるのです。

    これは、新しい時代を生みます。
    そしてクレジット(信用)という面において、世界で最も進化した国柄を持つのが日本であり、日本人です。
    つまりこれからの時代、日本の果たすべき役割は、とてつもなく大きくなる、ということです。
    いま、30年の不況に甘んじているときではないのです。
    30年不況が続いたなら、日本はこれから300年、3000年の好況へとシフトしなければならないのです。

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  • 科学的であること、論理的であること


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    歴史は科学です。
    どこまでも事実に基づき、それを論理的矛盾がないように事実関係を再構築する。
    それは、実は、犯罪捜査とよく似ています。

    20220518 科捜研の女
    画像出所=https://www.telasa.jp/series/11029
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    高層マンションの脇で遺体が見つかった。
    骨折の様子からビルの屋上からの落下による死亡であることが確認されたが、遺体現場の血痕はあまりに量が少ない。
    また、遺体の落下位置が、建物から離れすぎている。
    当初は自殺と見られたが、遺体の衣類に付着している微物には、屋上の修復現場に用いられるコンクリート粉が検出されたが、そのビルで同種のコンクリートは用いられていない。
    また、死亡推定時刻には、遺体のあった位置のすぐ脇にトラックが停められていた。

    以上の状況から捜査を進めたところ、遺体は屋上の修復中の別なビルから落下したものであり、その屋上から遺体の血液と、別な人物の血痕が見つかり、言い争いから被害者は屋上から下に停めてあったトラックの荷台の上に落下し、配達中の運転手は、遺体を乗せたまま当該マンションまで移動し、カーブのところで遺体が荷台から落下したことがわかった・・・なんて、よく刑事ドラマなどで描かれたりします。

    「科捜研の女」というドラマは、高視聴率番組だったのに、最近打ち切りになったのだそうで、たいへんにもったいないことだと思うのですが、TERASAという動画配信サービスで、過去の番組を見ることができます。
    自分は、テレビはあまり観ないので、番組では観たことがなかったのですが、過去番組をそのサービスで視聴するようになり、たいへんおもしろい、よくできた番組と感じるようになりました。

    というのは、その事実が指し示す真実が別に解明された事実と異なるときに、その矛盾点がなくなるように努力して微細な事実から真実を解明する、そんなストーリーだからです。

    あの人が犯人だと、誰か権威や権限のある人が言っているというのは関係ないのです。
    どこまでも証拠となるものの「すべて」が合理的かつ論理的に「つながった」とき、そこに真実がある。
    そういうことを、毎度、ドラマの中で明確に主張しているからです。

    これは歴史に対する態度にも共通することであろうと思います。
    どこかの教科書に書いてあるとか、どこかの大学教授が本に書いているとかは、歴史の解明に意味を持たないのです。
    そうではなく、どこまでも事実にのみ焦点を当てていく。
    すると、これまで言われてきた定説とは、まったく別な歴史の姿が浮き彫りになることがあります。

    我が国における歴史学も、もともとはそういうものであったのですが、戦後、GHQの公職追放以後、反日的な解釈を(事実を無視して)歴史に適用することで、大学教授のポストを得る、あるいは出版社として一定の社会的地位を得るといったことが行われた結果、何かを主張するときには、なぜか必ず、誰のどの本に書かれていることであったのかを明確にしなければ、論にならないという、おかしな習慣が常識化しました。

    一方において、焚書が行われ、一方において、反日的な本に関しては、それを書証にした論文でなければ意味を持たないとされたわけです。
    それでまともな論説が生まれるはずがありません。

    歴史は科学です。
    どこまでも事実に基づき、それを論理的矛盾がないように事実関係を再構築する。
    それは、実は、犯罪捜査とよく似ています。


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  • 西洋の傭兵、日本の武士


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    明治時代になってからも、日本人男子の体躯は、ドイツ人の女性のレベルでした。
    ところが、そんな小柄で痩せていた日本人が、2キロの重さのある両刀を常時腰に下げ、60キロもある米俵(こめだわら)を一日中軽々と担いだりしていました。
    いまでは、コンクリートの袋は、1袋25kgですが、これを一日中、上げ下ろしをするのは、体格の良い白系、黒系外国人労働者であっても、息があがるのだそうです。
    ところが一昔前までの日本ではコンクリートの袋は1袋(こうかいて「いったい」と読みます)50kgで、それを昔の人は2〜3袋軽々と担いで手足業で一日中上げ下ろしをしても平気でした。
    どうしてこのようなことができたのかというと、実は力の使い方にあるのだそうです。

    20190510 三十年戦争
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    以前にグリンメルスハウゼンの『阿呆物語』(岩波文庫)から、17世紀の西洋における傭兵のことをご紹介させていただきました。
    あらためてすこしだけ引用させていただきます。

    *****

    それから兵隊どもは短銃の撃鉄から燧石(ひうちいし)を取り外し、そこへ百姓たちの手の拇指をはさんで締めつけ、憐れな百姓たちを魔女でも焼き殺すかのように責めたて、捕えてきた百姓の一人などは、まだなんにも白状しないうちからパン焼き竃の中へ放りこまれ、火をつけられようとしていた。
    他のひとりの百姓は頭のまわりに綱を巻きつけられ、その綱を棒切れで絞られ、口や鼻や耳から血が流れ出た。
    要するにどの兵隊もそれぞれ新工夫の手段で百姓を痛めつけ、どの百姓もそれぞれお抱えの拷問者に傷めつけられた。
    (中略)
    連れてこられた女や下婢や娘がどうされたかは、兵隊どもが私にそれを見せようとしなかったから、私にもよくわからない。しかし、あちらの隅やこちらの隅から悲鳴がきこえたことは、今もよく覚えている。


    *******

    このときの情景を絵にしたものが、冒頭の絵です。
    著者のグリンメルスハウゼンは、みずからの体験を綴っていますから、誇張のある話ではなく、こうしたことは日常的であったといわれています。

    三十年戦争が行われたのは、1618年から1648年のことで、日本では国民生活が平和と安定を享受していた江戸初期にあたります。
    日本が平和な日々を送っていた、ちょうどその頃、西洋では人倫を否定する蛮行が日常的に行われていたわけです。

    さて、上の文章で、大暴れしているのが、西洋における「傭兵(ようへい)」です。
    西洋では戦いの主役は、伝統的に傭兵です。
    国王は、その国のいわゆるオーナー(所有者)ですが、常時兵を養うのは、コスト的に高く付きます。

    そこで普段は最小限の兵だけを雇用し、他国と戦うときには、戦いのプロである傭兵を雇いました。
    この方が、トータルのコストが安く付くからです。

    一方、傭兵たちは、戦のときにしか仕事がありませんから、雇われるときには少しでも高い価格で雇用してもらおうとします。
    そのためには、堂々とした体格で、みるからに強そうであることが有利な条件となりました。
    厚い胸板、丸太のような腕は、傭兵としての価値を上げます。
    さらに人と接する態度も、日頃からいかにも不敵であり、協調よりも自らの強さを誇る傲慢な態度が、必要でした。
    なぜならそれが、自分を高値で売り込む要素であったからです。

    ところが同時に、傭兵にとっては、自らの肉体だけが稼ぎの要素です。
    彼らはそのことをよく知っていますから、勝つ戦いにはまさに勇猛果敢ですが、少しでも戦いが不利になると、すぐに逃げ出しました。

    このように書くと「馬鹿にしているのか?」と思われるかもしれませんが、そうではなくて、彼らは戦いが仕事ですけれど、死んだり大怪我をしでしまったら、元も子もないのです。
    職を失い、収入の道も閉ざされます。
    ですから負けそうになったら、すぐに逃げる。
    そうしなければ、食べて生きていくことができないのです。実に当然の行動です。

    それが、
    「国家意識のない専業軍人としての傭兵」
    です。
    肉体的な外見は、いかにも筋骨隆々でたのもしい。
    そしていつも強がって見せています。
    そして勝ち戦ならば、その戦いは果敢です。
    けれど、ひとたび不利となったら、すぐに逃散する。
    それが彼らにとっての生きる知恵です。

    日本における武士というのは、もともとは平安中期に生まれた新田の開墾百姓たちの地域ごとの主たちのことをいいます。
    その農場の主を「名主(なぬし)」といい、その名主たちが集まった大きな集団の長のことを「大名主(おおなぬし)」と言いました。
    その「大名主」が、次第に略されて呼ばれるようになったのが「大名(だいみょう)」です。
    ですから「大名」というのは、そもそも地域の農民の代表であるという語彙を持っています。

    ここで原初の昔に立ち返って考えていただきたいのですが、日々食べていくだけなら、狩猟採集生活の方がはるかに楽なのです。
    1日2〜3時間の労働で、その日その日の食を得ていれば良いのです。
    ところが狩猟採集によって得る食物は、木の実にせよ、動物の肉類にせよ、冷蔵庫のなかった大昔のことです。
    食料の備蓄ができません。
    一方、日本列島は、ご存知の通り、地震、水害、土砂災害に火山の爆発など、天然の災害の宝庫です。
    ですから、いざというとき、食料の備蓄がないと、みんなが飢えて死んでしまう。
    絶滅の危機に瀕するのです。

    そこで日本列島では、8千年ほど前から稲の栽培による食料備蓄が行われるようになるのですが、これを日本列島に拡散し、農業立国としてのレールを敷いたのが、初代神武天皇で、いまから2700年ほどの昔になります。
    以後、日本列島では、稲作とその果実を高床式住宅に保存することによって食料の備蓄を行い、いざというときに備えるようになるのですが、古墳時代くらいになると、稲作のための大型の灌漑が行われるようになり、日本列島の農地が一気に拡大します。

    人は食べ物の生産高分しか人口を維持することができませんから、食糧生産の拡大は、当然、人口の増加を招きます。
    そして人口が増加すれば、さらに食の量の確保のために、新たな農地が開墾されるようになります。
    一時は、その農地のすべてを朝廷の所轄とする制度なども定められるのですが、民間分野では、自分たちの生活のためにと、新田開墾の圧力が高まり、そのために墾田永年私財法などが打ち出されるようにもなるわけです。

    これが平安中期になると、新田を開梱した人たちが、開梱した新田の一部を貴族などに寄贈して、そのかわりに以後の税を免除してもらうといった節税対策が広く行われるようになります。
    ところが貴族の所轄の土地であれば、何らかのトラブルがあったときには、貴族たちに面倒をみてもらうことができますが、所轄を離れていたら、税は免除になるかもしれませんが、トラブルは自分たちで解決しなければなりません。
    とりわけ隣村との間で紛争が起きれば、ときにそれが感情的なもつれとなって武力衝突に至ることがあります。

    こうしたときに、その土地の地主たちが中心となって、隣村と談合したり、ときには避けがたい武力衝突をしなければならなくなるわけで、これが平安中期の武士の登場につながったといわれています。
    この場合、武士というのは、新田の開梱百姓の中の地主であり、現役世代の若者が武者となります。
    そして若武者が出征するときには、当然のことながら、その面倒をみる人たちがたくさん同行することになります。

    これをよく、主従の関係という、西洋的な価値観でとらえる人がいますが、そうではないということは、現代のボクシングに例えるとよくわかります。
    ボクシングの試合では、リング上にのぼるのは選手ひとりですが、たくさんのセコンドが付きます。
    そのなかにはコーチもいるわけで、若武者のときにも、武芸の師範などが同行したりもすることがあったわけです。

    これが戦国後期になると、戦国時代の諸大名が、農地拡大に精を出した結果、日本列島全体の人口が倍増しただけでなく、農業生産高に余力が生まれ、この結果、単独で武芸だけを売り物にする、いわゆる武芸者が登場するようになります。

    ちなみにどこぞの国の人が「剣道は我が国が発祥」と、いつもの病気を発症しているようですが、もし本当にそうであれば、彼らの国にも歴史に名を遺す武芸者がいなければなりません。
    残念ながら、誰もいないということは、鉄剣振りは、世界中どこにでもあるけれど、それを「道」にまで高めることができるだけの文化的土壌も、それを可能にするだけの食糧生産高も、その国にはなかったということを意味します。

    また、武士の専業化がはじまると、武士の行動を正当化する哲学が求められるようになります。
    もともと武士は、一所懸命といって、ひとつの土地を護るために懸命に命をかける人たちでした。
    ところが武士が専業化し、広大な土地の大名主となるような時代になると、大名主である大名も、その下にある武士たちも、いずれも何のために自分たちの存在があるのかを、あらためて明確にしていく必要に迫られます。

    そこで生まれた用語が「知行地」です。
    「知行地」というのは、「知らすを行う地」と書きますが、これは「天子様の大御黎元(おほみたから)である民(たみ)百姓(たくさんの姓を持つ人達)が豊かに安心して安全に暮らしていけるようにしていくことが、武士の務(つと)めであり、これをそれぞれの武士が与えられた地所で行う所」を意味する言葉です。

    よく「武士道とは何か」といった言葉を耳にすることがあります。
    これについて、ずいぶん昔のことになりますが、三船敏郎が主演した『大忠臣蔵』に、次のような言葉があります。
    「武士道などというものはない。
     浜子をしていようと乞食をしていようと、
     武士は武士だ。
     いつどこでも死ねる。
     それが武士だ。
     それが浜子と違うのだ」
    ドラマの中で、嵐によって倒壊しそうになった塩蔵を護るために死んだ矢頭右衛門七の父の長助に向けての大石内蔵助の言葉です。
    どこまでも民のために命を賭ける。
    そこにカタチなどはありません。
    ただひたすらに命をかける。
    我が国における武士とは、そのようなものです。

    先の大戦のときの日本の軍人さんたちも同じです。
    そして軍人さんたち同様、日本の兵士たちを守ってお亡くなりになったお町さんや、軍人さんたちとともに戦って散っていったあきこさんたちも等しく武士ですし、T-33A入間川墜落事故等で民間を護るために散華された自衛隊員らもまた同じです。
    そしてもっというなら、何を言われようが、どんなに中傷されようが、ひたすら日本を取り戻すために命をかけてはたらくのもまた、日本の武士の生き方です。

    何かのためにいつでも死ねる。
    この項では、西洋の傭兵と、日本の武士を、やや対比的に書かせていただきました。

    ちなみに、日本の武士は、宮本武蔵のような大柄な人を除いて、多くの場合、体型は小柄で痩せ型です。
    明治時代になってからも、日本人男子の体躯は、ドイツ人の女性のレベルでした。

    ところが、そんな小柄で痩せていた日本人が、2キロの重さのある両刀を常時腰に下げ、60キロもある米俵(こめだわら)を一日中軽々と担いだりしていました。
    いまでは、コンクリートの袋は、1袋25kgですが、これを一日中、上げ下ろしをするのは、体格の良い白系、黒系外国人労働者であっても、息があがるのだそうです。
    ところが一昔前までの日本ではコンクリートの袋は1袋(こうかいて「いったい」と読みます)50kgで、それを昔の人は2〜3袋軽々と担いで手足業で一日中上げ下ろしをしても平気でした。

    どうしてこのようなことができたのかというと、実は力の使い方にあるのだそうです。
    これは古武術をしている友人から聞いたのですが、昔の人は力の使い方をよく心得ていたために、体重50kgの人が、100kgの人を軽々と投げ飛ばすことができたそうです。

    現代では西洋式スポーツの影響で、できるだけ筋肉にストレスをかけて、堂々としたキン肉マン的体型にすることが良いこととされていますが、昔の日本ではまったく逆に、できるだけ体にストレスをかけないで重作業ができるように様々な合理的な身体の使い方が工夫されていたのだそうです。

    そのあたりも、傭兵の歴史を持つ西洋と、民のために命をかける武士の流儀の違いが元になっているようで、おもしろいところです。


    ※この記事は2019年5月の記事の再掲です。


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Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
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昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
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他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

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