• 新刊著『金融経済の裏側』のご案内


    最新刊のお知らせです。
    発売日は2021/11/24で、ただいま予約受付中です。

    20211015 金融経済の裏側
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    歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
    小名木善行です。

    来月24日に出版されます。
    今日から予約受付中です。

    これまで書いてきた歴史や古典のお話ではなく、それら歴史や古典を踏まえて、いま世界で何が起こっているかを書いた本です。
    といって、いわゆる時事本ではなく、いま起きている問題の本質を金融経済の歴史、およびマネーの歴史という視点から解き明かしています。

    最近、よく「DSだ」、「陰謀だ」といった話を耳にしますが、すべてを陰謀で片付け、あるいは陰謀によって現代の我々が被害者なのだと思いたい人にとっては、当て外れな内容の本であろうと思います。

    たとえば、よく聞く話に、どこぞの国が気象兵器を持っていて、台風を消したりしているのだ、などという話を聞くことがあります。
    なるほど、大陸にまっすぐに進んでいたはずの台風が、突然進路を変えて日本列島を直撃する。
    そんな台風のルートを見ると、「もしかして!」などと思ってしまうことは、無理からぬ事だと思います。

    けれど、冷静になって考えれば、台風のエネルギーに対抗するだけのエネルギーを、たとえば電力で賄おうとするなら、いったいどれだけの電力が必要になるのか。
    おそらくチャイナを全停電させて、気象兵器に全電力を注入したとしても、それは不可能なことでしょう。
    そのようなことは、エネルギーの大きさを、ちょっと冷静に考えたら、誰にでもわかることです。

    同様に、国際金融資本が、政府の背後にあって世界を牛耳っているという陰謀説にしても、国際金融資本というのは、国際金融を行う資本です。
    たとえば我々は、ドルやポンドと円を交換します。
    交換しなければ国際貿易取引ができないのです。あたりまえのことです。
    これを為替取引といいますが、為替があるから、我々は国際取引ができるのです。

    それぞれの国で発行されている通貨が、どうして他国の通貨と交換できるのかといえば、それは700年前から続く国際金融があるからです。
    700年間行われてきたことが、どうして「陰謀」になるのでしょうか。
    ちょっと立ち止まって、冷静に考えてみていただきたいのです。

    複雑な金融取引も、歴史をたどれば、いまよりも、もっとずっと単純明快な時代がありました。
    ということは、金融取引の歴史をしっかりと学べば、国際金融が果たしてきた役割も、国家と国際金融の関係も、すっきりと整理されることになります。

    筆者は金融の出身であり、かつ歴史を学ぶ者です。
    そんな筆者の視点から、金融経済の歴史と裏側についてまとめたのが、この本です。
    おそらく、目からウロコが何枚も剥がれ落ちる内容になっていると思います。

    発売日は2021/11/24で、今日から予約受付中です。

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    もくじ
    第一章 DSの歴史
     一 元の通行証
     二 メイソンと石屋
     三 シルクロードとオスマンの時代
     四 ユダヤ人とディアスポラ
     五 ルネッサンスと大航海時代
     《こらむ》源義経と成吉思汗
    第二章 黄金戦争
     一 日本からの金の流出
     二 リンカーンを抹殺せよ
     三 アラスカの売買とロシア革命
     四 黄金の行方
     《こらむ》権力による私的支配を拒否し続けてきた自由を持つ国はどこにあるか
    第三章 DSとの戦い
     一 ニクソンショックによる米国保証のペーパーマネー
     二 ドルの信用で富を築いた中共
     三 中共の国柄
     四 チベットはなぜ侵略されたか
     《こらむ》海の文明、陸の文明
    第四章 いま世界で起きていること
     一 人口変動とグローバル金融システム
     二 戦争よりも大きな戦争
     三 正義とお金の不都合な関係

    はじめに

    現代は情報リテラシーが求められる時代だと言われています。
    情報を適切に理解解釈分析して、これを記述するなどして表現する能力が求められる、そういう時代になっています。
    人の言うことを、ただ真に受けるのではなく、自分の力で考える。そういうことが必要な時代になっているわけです。

    これは情報そのものを取得すること自体がたいへんだった一昔前とは、まったく異なる新しい世相です。
    昔は、知識があるというだけ、知っているというだけですごい存在だったのです。
    けれどいまは単なる知識であれば、誰でもいくらでもネットで取れる時代です。
    だからこそ、単なる知識ではなく、それがどういうつながりを持っているのかを自分の頭で考える力が必要になってきた、というわけです。
    そしてこのとき必要なことは、歴史の流れを振り返ってみることです。

    歴史というのは、過去の流れのことを言います。
    歴史上の事実のことを言うのではありません。
    たとえば「関ケ原の戦いが西暦1600年に起きた」のは歴史上の事実であって、歴史ではありません。
    どうして関ヶ原の戦いが起きたのか、そしてその結果、何が起きたのかを、再現可能性がマックスになるように《つまりこうでこうなら、必ず結果としてこういうことが起きるよね》というところまで煮詰めたストーリーが歴史です。
    そうすることで私たちは過去の流れを知り、その結果としての現代における横のつながりを踏まえて、未来を築くのです。歴史はそのためにあります。

    本書は、倭塾で「DSの歴史」と題してお話をさせていただいたときのものを、まとめて本にしたものです。
    いわゆる陰謀論とされるものがあります。
    流布している説は、おおむね「世界の国々をDS《Deep State》なるものが支配していて、そのDSの正体が国際金融資本にある」というものです。
    けれども国際金融資本というものは、もう何百年も昔から存在するものですし、そういう機能があるから異なる通貨の交換や国際交易ができるのです。
    つまり国際金融資本は陰謀ではなく、実はもともとある国際的な金融の常識でしかありません。

    そのような常識が、では何故ここにきて、いかがわしい「陰謀」のように語られるようになったのでしょうか。
    そうれは、従来からある国際常識を不都合と考える人たちがいるからかもしれません。
    いささかややこしいですが、陰謀論を仕掛けている人たちこそが、実は陰謀を働く者たちなのかもしれません。
    そこでDSと呼ばれる国際金融資本が、何故誕生し、どのような役割を担い、そして現代に起きている問題の本質とは何かを、あらためて歴史のストーリーという観点からまとめてみました。

    本書は「DSの陰謀だ」と決めつけたい方々にとっては不都合な本であろうと思います。
    けれど物事を自分の頭でしっかりと考えたいと思われる方々にとっては、ひとつの考え方として、きっとお役にたてる本になっていると思います。

    日本をかっこ良く!!

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  • 歴史にIFは禁物という嘘


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    歴史の授業も実は「諸外国の歴史授業」と「戦後日本の歴史授業」は根本的に異なります。
    「戦後日本の歴史授業」は、単に年号と事件名・人物名をただ丸暗記するためだけのものです。
    「諸外国の歴史授業」は、歴史上の出来事のストーリーをまず学び、次いでそこから今度は生徒それぞれが歴史上の当事者となって、自分ならそのときどう判断し、どう行動したか。仮にもしそのように行動したら、歴史はどのように動いて行ったであろうかなどを、生徒たちそれぞれに考えてもらう授業です。
    つまり、戦後の日本では「歴史にIFは禁物」とか言われますけれども、諸外国では「歴史をIFで考える」ことが授業になっているのです。

    20181028 大和絵
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    歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
    小名木善行です。

    戦後は「日本史」という呼称が一般的になりましたが、実はこれはおかしな話です。
    英国史、米国史、ローマ史なとといった外国の歴史と、国史が同列に呼ばれているからです。
    外国の歴史は、それぞれの国の成り立ちを理解し、同外国への親近感を養おうとするものです。
    しかし自分の国の歴史は、他国の歴史を学ぶことと違い、子供達に国民としてのアイデンティティ(共同体への帰属意識)を養うとともに、それぞれが生きる上での価値判断の物差しを学ぶためのものです。

    歴史の授業も実は「諸外国の歴史授業」と「戦後日本の歴史授業」は根本的に異なります。
    「戦後日本の歴史授業」は、単に年号と事件名・人物名をただ丸暗記するためだけのものです。
    「諸外国の歴史授業」は、歴史上の出来事のストーリーをまず学び、次いでそこから今度は生徒それぞれが歴史上の当事者となって、自分ならそのときどう判断し、どう行動したか。仮にもしそのように行動したら、歴史はどのように動いて行ったであろうかなどを、生徒たちそれぞれに考えてもらう授業です。
    つまり、戦後の日本では「歴史にIFは禁物」とか言われますけれども、諸外国では「歴史をIFで考える」ことが授業になっているのです。

    もちろん歴史上の出来事について、何があったか、実際にはどうであったのかを調査する段階では「IF」は禁物です。
    そこに「IF」を持ち込んだら、歴史が、ただの「ファンタジー」になってしまうからです。

    先日の韓国の観艦式で、韓国は韓国が秀吉の朝鮮征伐で大功のあったと決めつけている李舜臣の旗を掲げましたが、李舜臣は負けてばかりいた将軍で、唯一勝ったといえるのは日本の輸送船団を待ち伏せして襲ったときだけです。
    それ以外は負け続け、日本が朝鮮征伐から引き上げるときが李舜臣の最後の戦いとなったのですが、これもまた待ち伏せしの奇襲攻撃をして、返り討ちにあってこのとき死んでいます。

    また韓国は、李舜臣が亀甲鉄船と呼ばれる船上を鋼鉄で覆った船で、日本軍の攻撃をものともしなかったとしていますが、これまたファンタジーで、実際に当時そのような船が使われたという記録もありませんし、下の絵も、ただの夢物語の想像図でしかありません。
    なぜならこの船の大きさと櫓の数では、どうみても船の推力が足りず、また帆も小さすぎてこれでは船は進みません。
    また船体上部にそれだけの鉄を置いたら、重量バランスが上に行き過ぎて船は簡単に転覆してしまいます。
    韓国は李舜臣へのこだわりから、想像上の船を復元しましたが、結局、船体上部にわずかな鉄板しか貼れなかったし、そのため重量バランスが悪くて、これに人が乗ると、ベタ凪の水面ですら転覆の危険があり、さらに帆も船体に比べて小さすぎて、これでは推力を得られない。
    結局この船は、人を乗せず、海にも浮かべず、陸上展示のみとなりました。
    嘘はバレるのです。

    20181030 亀甲船1
    20181030 亀甲船2


    あたりまえのことですが、事実に嘘を持ち込んだら、それは歴史になりません。
    歴史は、ただしく得られた過去の事実と事実の間を、関係式で結ぶものです。
    その関係式やストーリーが、歴史の解釈になります。

    したがって解釈は、幾重にもあるものです。
    その幾重にもある解釈を通じて、
    「では自分ならどう判断したであろうか、
     またその場合、
     結果はどうなっていたであろうか」
    を考えるのが、歴史授業なのです。

    たとえば、米国の初代大統領のジョージ・ワシントンは、大地主であったにも関わらず他人に奉仕することを選択したため生活は常に貧しく質素で、大統領に就任したとき、議会から年収2万5千ドルという当時としては破格の高額の大統領給与を与えられることが決定されるけれど、これさえも辞退し、さらに職務の華やかさや作法には慎重に臨み、肩書きや衣装が共和制者として適切であるように配慮して、決してヨーロッパ宮廷を真似するようなことはしなかったといったことを、まず教師から学ぶわけです。

    そのあと、
    「ではもし米国大統領がヨーロッパ宮廷のような贅沢な道を選んだとしたら、その後の米国社会はどのようになっていたかを、みんなで考えてみよう。さあ、ジョン君、君はどうなっていたと思うかね?」
    と授業が続くわけです。



    これがもし日本なら、たとえば織田信長は今川義元を桶狭間で破っているわけですけれど、もし今川義元が勝利していたら、その後の日本はどのように動いていったかを、生徒たちみんなで考える。
    あるいは、源頼朝は鎌倉に幕府を開いたけれど、それはなぜだったのかを、生徒たちひとりひとりに、歴史の当事者となって考えさせる。
    それが歴史の授業であるわけです。

    こうした授業のやり方は、戦前の日本ではごくあたりまえに行われていたもので、もちろん試験は年号や事件名、人物名が出題されますが、授業そのものは、生徒たちが歴史の当事者となって考えることに重きが置かれる方式になっていました。

    みなさんも不思議に思ったことがあると思うのですが、戦後日本では、日本史の授業は、小学校、中学校、高校と、同じ内容の授業が3回繰り返して行われます。
    いずれも、ただ年号と事件名、人物名等の暗記授業です。
    なぜ、ただ漫然と同じことが三度も繰り返されているのでしょうか。

    実は、要するに形骸だけが残っているのです。
    小学生は、子供達の記憶力が抜群に良いですから、ポイントになる事件や人物についてを歴史の流れの中で学びます。これが基礎になります。
    そして中学校になると、歴史の当事者となって、「君ならどうする?」が授業の柱になります。
    高校になると、それを踏まえて「もし、歴史が違う選択をしていたら、その後の日本はどうなっていかか」が授業の柱になります。
    大学では、それをさらに深く掘り下げるために、事実関係の詳細な調査や再検証が行われます。
    要するに段階的に、歴史の授業がどんどん深いものになって行っていたわけです。

    ところが戦後、GHQが日本人への歴史教育を禁止しました。
    歴史は国民のアイデンティティを形成するために不可欠な教育です。
    ですから当時の教育者や国会議員たちが必死で運動して、なんとか歴史の授業を復活させるのですが、その際に、「ただし、年号と事件名、人物名といった歴史上の事実のみについて教育すること」とされてしまったわけです。
    そのため、小中高と、同じ授業がただ漫然と繰り返されることになりました。

    要するに歴史教育の根本に「歴史にIFは禁物」という重石が置かれてしまったわけです。
    これにより、我が国の歴史授業は、きわめて無味乾燥なものになってしまいました。

    逆に欧米では、なぜ日本が、東洋の小国ながら抜群に強くて国民が立派に育つのかが戦前から深く研究されてきました。
    そしてその中で、日本にある江戸時代から続く日本の歴史教育の深さがきわめて重要なファクターとなっていることが知られるようになりました。
    そして欧米では、日本型歴史教育の仕組みが採り入れられて、いまではすっかり歴史は考える授業に発展し、また歴史認識は、国際戦略上も極めて重要なものとして位置づけられるようになっているわけです。

    人が生きるということは、判断の連続です。
    それこそ今夜のおかずを何にするかから、会社の稟議の決裁をする、何かを買ったり売ったりする、子供の学校をどこにするか決める等々、人生は判断の連続の上に成り立っています。
    国や組織も同じです。あらゆることは判断によって形成されていきます。

    その判断は、常に刺激に対して行われます。
    刺激に対して判断して行動するわけです。
    刺激に対して、判断抜きで行動することは反応です。
    これはパブロフの犬と同じです。条件反射とも言います。

    国政やメディアの偏向や近隣国の失礼な態度を見聞きする。
    それらは刺激です。
    それで腹を立てて、テレビに向かってモノをぶつけたら、それは条件反射であり、ただの反応です。
    パブロフの犬が、ペルがなったらよだれをたらすのと、まったく同じ行動でしかありません。

    けれど人であれば、刺激に対して、それをどのように捉え、その刺激からどのように行動すべきかを選択し、選択に基づいて計画し、行動していくことができます。
    つまり刺激と反応の間に、判断という物差しを置くことで、人はより良い選択と建設的な行動ができるようになるのです。

    人の一生は、日々判断の連続と書きましたが、その連続する判断を、生涯、ただの反応だけで済ませるのか。
    それとも、そこに冷静な判断という物差しを入れることで、ひとつひとつの判断を建設的なものにして、自分の生涯を建設していくのか。
    これは選択の問題です。

    もし単なる反応的な選択肢しかしないような企業や組織なら、決してそれは長持ちしません。
    近年のTV番組の視聴率が、きわめて低レベルなものになっているのも、考えてみれば、テレビ番組の多くがきわめて反応的なものでしかなくて、そこに何の建設性も見出すことができなくなっているからということができるかもしれません。

    判断は、そもそも価値観によって選択されます。
    ですから判断するためには、価値観が必要になります。
    その価値観を育成するのが、まさに歴史教育であるということが、いまでは世界の標準になっているわけです。

    我が国の歴史は、学べば学ぶほど、調べれば調べるほど、努力と美しさに満ち溢れています。
    そのことは、調べれば調べるほど、学べば学ぶほど、情けなさばかりが募る、どこかの国とは大きな違いです。
    ですから我が国においては、歴史にファンタジーは必要ありません。
    必要なことは、ファンタジーではなく、「歴史はIFで学ぶもの」というより深い歴史教育です。
    私達は、本物の、我が国にもとからある歴史教育をしっかりと、まずは個人レベルからでも取り戻していかなければならないものと思います。


    ※この記事は2018年10月の記事の再掲です。
    お読みいただき、ありがとうございました。
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  • 戦前戦中の教科書における神功皇后に関する記述と考える授業


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    https://nezu3344.com/blog-entry-5020.html


    神功皇后の時代は、おそらく西暦200年頃であったろうとされています。
    このときに神功皇后が神がかりとなって三韓を征圧されました。
    戦前全中までの授業では、ただここで「神功皇后の三韓征伐があった」という事実にとどまらず、そこから元寇の一点を除いて、なんと現代まで1800年以上にわたって、日本がチャイナの属国とならずに済んできたということを、生徒が考え、知るに至ったのです。
    ここが大事なところです。なぜならそれは、生徒たちがただ書かれたものを鵜呑みにするということではなく、自分の頭で考えること(考えさせること)が授業の要諦となっていたということだからです。
    戦前戦中までの教育を、良いものばかりであったと述べるつもりは毛頭ありませんが、ただ、ひとつの事件や事故、あるいは歴史から、さまざまなことを考える、そういう習慣が、人に主体的であるという自由を与えてくれるのではないかと思います。

    神功皇后の三韓征伐
    20201005 三韓征伐
    画像出所=https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E9%9F%93%E5%BE%81%E4%BC%90#%E5%90%84%E5%9B%BD%E5%8F%B2%E6%9B%B8%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E9%96%A2%E9%80%A3%E8%A8%98%E9%8C%B2
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    歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
    小名木善行です。

    神功皇后(じんぐうこうごう)の夫である第14代仲哀天皇は、ヤマトタケルの子です。
    神功皇后は戦前戦中までは、お札の顔にもなったくらいで、とても有名な、いまでいうなら常識となっていた人物です。
    その神功皇后について、戦前の尋常小学読本で、ご一緒に学んでみたいと思います。
    原文は漢字とカタカナによる文語体ですので、いつものようにねず式で現代語訳します。

    ****
    尋常小学読本(国定読本第1期)第18 神功皇后

    神武天皇よりすこしあとの仲哀天皇の時代、我が国のうちの西の方に悪者どもがいて、たいそう我がままをしていました。
    天皇はその皇后の神功皇后と申す御方と、それを攻めにおいでになりました。

    ところが戦いのさなかに、敵の矢を受けておかくれになりました。
    神功皇后は、
    「この悪者どもが
     わがままをしておるのは
     外国の者が扶(たす)けているからだ。
     だからその外国を攻めたら
     この悪者どもは
     わがままをやめるであろう」
    とお思いになりました。

    そこで神功皇后は、男装して海を渡り、その外国を攻めにおいでになりました。

    すると向かう国では、たいそう畏(おそ)れて、戦(いくさ)もせずに、降参してしまいました。
    そして毎年、宝物をさしあげますと約束しました。
    皇后は、それを許して、お帰りになりました。

    それから西の方の悪者どもは、わがままをしないようになりました。
    またわが国の強いことが、前よりもよく外国に知れるようになりました。

    ****


    文中の「西の方の悪者ども」というのは、仲哀天皇による熊襲征伐のことで、仲哀天皇8年、おそらく西暦200年頃の出来事であるとされています。
    そしてこの仲哀天皇の熊襲征伐によって、大和朝廷の全国制覇が完了したともいわれています。

    仲哀天皇が崩御されたとき、神功皇后のお腹には赤ちゃんがいました。
    その赤ちゃんが、後の応神天皇となられるのは、また後の話。
    神功皇后は、妊娠したまま、男装し、筑紫から玄界灘を渡って朝鮮半島に出兵して、新羅を攻めました。
    その勢いは「船が山に登らんばかりであった」といいます。

    新羅王の波沙寐錦(はさ むきん)は、
    「吾聞く、
     東に日本という神国有り。
     また天皇という聖王あり」
    と言って戦わずして降参し、朝貢を誓って金・銀・絹を献上しました。
    そして王族の微叱己知(みしこち)を人質に差し出します。

    実はこのことが、我が国における公式記録にある朝貢と人質の習慣のはじまりです。
    朝貢は毎年行われて恭順を誓い、また王子を人質として都に送り、都で王子を育てる。
    万一、国王が裏切れば、王子が殺されるので、国王には跡継ぎがいなくなって、国が滅びる、という仕組みです。
    この神功皇后のときにはじめられた仕組が、後に、源氏の制度に採り入れられ、そのままこれがモンゴルの元の大帝国による世界の支配の基幹システムになっています。

    また、このとき高句麗と百済も、倭国への朝貢を約束しています。
    これにより、高句麗、新羅、百済の三国が、倭国の属国となったことから、これを
    「神功皇后の三韓征伐」
    といいます。

    皇后の出征が10月、そして同じ年の12月には皇后は筑紫に凱旋され、そこで応神天皇を出産されています。
    出産した場所のことを「生み」から転じて「宇美」といい、これがいまの福岡市宇美町(うみまち)の名の由来です。

    また、
    1 いざというときに敵の準備が整う前に破竹の勢いで進撃(疾風迅雷)すること、
    2 これにより戦わずして勝つこと、
    3 目の前の敵ではなく、その背後にある根っこを即時叩くこと、
    4 日頃から十分な戦力を養い、強いことを内外に知らしめることによって、戦いそのものをなくすこと、
    といった、国家としての重要な武の大原則を建てられたのも、神功皇后の功績です。

    そしてなにより重要なことは、この武の発動の功績が、わが国において皇后という女性のパワーによって成し遂げられたということであろうと思います。
    基本的に女性の力は、パワーではなく、慈愛に基づくというのが、世界の常識です。
    けれどもその「慈愛こそがパワーの最重要要素」であることを、神功皇后は見事に証明しているからです。

    この神功皇后の新羅征伐によって、半島の百済、高句麗も日本への朝貢国となりました。
    新羅、百済、高句麗の三国が日本の支配下に入ったわけで、これを「神功皇后の三韓征伐」といいます。
    そしてこの「三韓征伐」が、のちの世の日本の帰趨を決定づけました。

    この神功皇后の「三韓征伐」のあと、中原(チャイナの中心地帯)に隋、唐、宋、元、明、清といった巨大王朝が出現しました。
    それら巨大王朝は、いずれも覇権主義国であり、周辺地域を武力征圧していきましたが、それらすべての王朝に共通した戦略が「遠交近攻」です。
    攻めて征圧しようとする国の、向こう側の国と結び、その国を挟み撃ちするというのが「遠交近攻」ですが、中原に巨大王朝が成立したとき、半島にそれら王朝の敵(もしくは侵攻予定地)となる国があることで、日本は常に「遠交(遠くの国の親しく交わる)」対象国となったのです。

    これが崩れたのが元の時代で、このときは半島が元に征圧されることで、元の隣国が日本となりました。
    その結果、起きたのが元寇です。

    いまでも韓国に親中政権ができたり、日本に親中派の議員などが生まれるのは、北朝鮮という武装国家がチャイナと隣接しているからです。
    そこに北という武装国家がある限り、チャイナはその向こう側にある韓国や日本に、一応は良い顔を見せるわけです。

    神功皇后の時代は、おそらく西暦200年頃であったろうとされています。
    このときに神功皇后が神がかりとなって三韓を征圧されました。
    戦前全中までの授業では、ただここで「神功皇后の三韓征伐があった」という事実にとどまらず、そこから元寇の一点を除いて、なんと現代まで1800年以上にわたって、日本がチャイナの属国とならずに済んできたということを、生徒が考え、知るに至ったのです。

    ここが大事なところです。
    なぜならそれは、生徒たちがただ書かれたものを鵜呑みにするということではなく、自分の頭で考えること(考えさせること)が授業の要諦となっていたということだからです。

    以下にあるのは、この神功皇后の授業に際しての戦前の小学5年生への出題です。

    (1) 神功皇后が新羅を討ち給ひし次第を語れ。
     (神功皇后がどうして新羅を討ったのか、その理由を述べよ)
    (2) 三韓が皇威に服せしことにつき言へ。
     (三韓はどうして日本の属国となる道を選んだのですか。その理由を述べよ)
    (3) 神功皇后の御功績を數(数)へあげよ。
     (神功皇后のご功績は、何だったと思いますか。主なものを3つ挙げよ)

    これが戦前戦中までの学校教育です。
    いまのように、「文中何行目の《それ》は何を指していますか。15文字以内で答えなさい」といった設問ではなく、文中から読み取れることについて考え、その考えを生徒同士で議論することが授業でした。

    このことは江戸時代(あるいはもっと古い時代)からの我が国の初等教育の基本です。
    なぜ基本なのかというと、議論することが我が国の国是であったからです。
    昔は議論のことを論(あげつらふ)と言いましたが、そのことの重要性は、1400年前の十七条憲法に説かれています。
    そして明治新政府が憲法以前の根幹とした五箇条の御誓文の第一条も「広く会議をお越し万機公論に決すべし」です。

    大事なことは、いまどきのメディアのように、どこかの黒幕さんが裏で全部仕切って決めてしまうという世の中の仕組みではなく、その世の中の仕組みそのものが、大事なことはみんなでちゃんと議論して決めるという、天の安河原以来の我が国の伝統文化に則っることです。

    このことは、いまどきの人たちには、いまの日本の社会の仕組みや、組織の形が、あまりにも欧風化し、ピラミッド型に染まってしまっているので、すこしわかりにくいかもしれません。
    組織というのは、ピラミッド型ばかりではないのです。
    日本型経営組織は、組織は番頭・手代・丁稚の三階層しかありません。
    番頭は責任者。
    手代が働く人。
    丁稚は見習い中の人です。

    たったそれだけで組織運営ができたのは、組織の形がピラミッド型ではなく、球体構造をしていたからです。
    球体には中心核(店主)があり、その表面にピラミッドの三角形を描いても、そこに描かれた点は、すべて頂点になります。
    ですから球面に上下はありません。
    このことは、お客様の前では、その人が社長と同じということを考えれば、容易に理解できます。

    そして球面構造に於いては、互いの意思の疎通と、全員の一致協力が不可欠です。
    その全員の一致協力のことを、古い言葉で「一揆」といいます。心をひとつにする、という意味です。

    そして全員で心をひとつにするためには、ひとりひとりにちゃんと思考力と決断力、そして実行力が伴っていなければなりません。
    何事も他人任せで、自分はマニュアルに書かれたことだけをすれば良いということにはならないからです。
    そういう社会に役立つ人材を育成するのが、戦前戦中までの日本の幼年教育の根幹であったわけです。

    ちなみにすこし余計なことを書くと、こうした戦前戦中の教育は、幼年教育がきわめて優れたものであったのに対し、高等教育(いまでいう大学など)に関しては、目的の明確な陸海軍の予科や大学、師範学校以外は、あまり褒めたものがなかったように思います。
    なぜなら下手に大学を出ると、西洋型の思考に染まり、日本の歴史伝統文化を粗末にしたり、やたらに居丈高に気取ってみたりするような人が多かったといえるからです。
    代表的なのが、夏目漱石の『坊っちゃん』に出てくる赤シャツのような人です。

    つまり欧米型ピラミッド社会に染まってしまうのです。
    すると、下の者に思考停止を要求し、上に立つ者にのみ、思考や言論の自由があるかのように錯覚するようになる。
    一部に極端な男尊女卑のようなものが見られたのも、そういうことが背景になっているものと思います。

    そんな具合ですから、戦前戦中までの教育を、良いものばかりであったと述べるつもりは毛頭ありませんが、ただ、ひとつの事件や事故、あるいは歴史から、さまざまなことを考える、そういう習慣が、人に主体的であるという自由を与えてくれるのではないかと思います。


    ※この記事は2020年10月の記事の再掲です。
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    《注》Facebookの仕様で、表示が「無料」となってしまうようですが、本塾は有料です。下記をお読みのうえ、ご参加のご判断をお願いします。

     *

    今回の倭塾のテーマは、
    「学校では教えない古代日本人の起源と渡来人という大嘘」
    です。

    youtubeの動画で、たいへんに高評価となったお話ですが、倭塾では、さらに深堀りをして、古代のチャイナやコリアの神話の時代などと比較してみたいと思います。
    日本人として誇らしい気持ちを芽生えさせる内容になると思います。

     *

    今年から、倭塾の講義は録画していず、またネット公開もしていません。
    「ここだけ、いまだけしか聞けない話」を皆様とシェアしていきたいためです。

     *

    倭塾は、大人から子供までどなたでもご参加いただける、ねずさんの私塾です。
    塾生となることを強要されたり、何らかの会員になることを求められたりすることもありません。
    常に参加自由です。
    これで、かれこれ9年続けてきました。
    そして毎回、定員の2倍から3倍のご参加をいただいています。

    また倭塾は、女性の方や、ご夫婦、お子様連れでのご参加が多いのも特徴です。
    どなたでも、安心してご参加いただくことができる。
    それが倭塾です。

     *

    コロナ対策として、会場には、体温計、アルコールの消毒液、マスクをご用意します。
    また会場では、
    ・会場では、2箇所以上の窓開けを行い換気をします。
    ・またマスクの配布、入り口でのアルコール消毒を励行しています。
    以上、必要な対策を取りながらの開講になります。

     *

    開催場所は東京・江東区の富岡八幡宮、婚儀殿です。

     ***

    1 日 時 令和3年10月16日(土)
          13:00 開場
          13:30 倭塾開講
          16:30 終了
    2 場 所 富岡八幡宮・婚儀殿
          〒135-0047 東京都江東区富岡1丁目20−3
    3 テーマ 学校では教えない古代日本人の起源と渡来人という大嘘
    4 講 師 小名木善行
    5 定 員 25名
    6 参加費
     ☆参加費
      (1) ご新規      2500円
      (2) 倭塾参加経験者  2000円
      (3) ご夫婦で参加 お二人で2000円
      ※事前振込は必要ありません。当日会場でお支払いください。
      (4) 未成年者       無料
      (5) ご家族お友達招待特典
       これまでに一度でも倭塾にご参加されたことのある方が、倭塾初参加となるご家族・ご友人などをお連れの場合、そのお連れの方を人数に関わりなく初回参加のみ無料とします。

    7 参加方法
      直接会場にご来場ください。

    8 Facebook参加ページ
      お手数ですがこのページの
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    9 主催 小名木善行
      協力 日本の心をつたえる会



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  • 天にぎし国にぎし建国(けんこく)と肇国(ちょうこく)


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    「建国」と「肇国」と「天にぎし国にぎし」。
    それぞれの言葉には、それぞれに深い意味があります。こうして私たちの先輩たちは、言葉をとても大切にしてきたのです。
    日本語を話す日本人であれば、日本語で思考し、日本語で対話します。つまり思考は日本語によって行われるわけです。そうであれば、日本語を正確に、またちゃんとした意味を共通の定義としていくことは、対話を成立させ、コミュニケーションを行ない、あるいは論考をするに際して、とても大切なことです。そのためにあるのが、本来の国語教育です。

    橿原神宮
    20200927 橿原神宮
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    小名木善行です。

    我が国の建国は、日本書紀の神武天皇記に書かれた、「辛酉(かのととり)の年の春1月1日、神武天皇は橿原宮(カシハラノミヤ)で帝位につかれ、この年を天皇の元年とされました」に依拠します。
    原文は次の通りです。

     辛酉年春正月庚辰朔
     天皇即帝位於橿原宮
     是歳為天皇元年

    この記述に基づき、旧暦の神武天皇元年1月1日が、明治7年から当時の太政官布告によって新暦の紀元前660年2月11日とされたのは、みなさまご存知のとおりです。

    いまではこの日が「建国記念の日」と呼ばれていますが、実はここにも、戦後の特殊事情がからんでいます。
    なぜなら、我が国のはじまりは、「肇国」であって「建国」ではないからです。
    もっというなら、国史の原典となった日本書紀は、「建国」の二字を新羅や高麗について用いているだけで、我が国の立国については、別な書き方をしています。

    では日本書紀がどのように書いているかというと、これが三段構えになっていて、先ず天地をあわせる天孫降臨があり、神武創業があり、崇神天皇による国の肇(はじ)まりがあります。

    最初の邇邇芸命(ににぎのみこと)の天孫降臨は、
    「天(あめ)にぎし国にぎし(天邇岐志国邇岐志)」で、これは天地が親和することを意味します。
    次の神武天皇による神武創業は、
    「始(はじ)めて天下(あめのした)を馭(をさめた)まふ(始馭天下)」です。
    そして第10代崇神天皇の時代が、
    「肇国(はつくに)(日本書紀)」であり「初国(はつくに)(古事記)」です。

    そして教育勅語は、
     朕󠄁惟フニ我カ皇祖皇宗
     国ヲ肇󠄁ムルコト宏遠󠄁ニ
     德ヲ樹ツルコト深厚ナリ
    と記述しています。
    ここにある「国ヲ肇󠄁ムル」が「肇国」です。

    どういうことなのか、まず「建国」からご案内します。

    「建国」の「建」は、もともと「聿」の部分が筆で文字を書いている姿の象形で、これに道を延長する意味の「廴」が付いて出来ています。
    つまり人が筆を手にして何かを書き始めることが文字の成り立ちで、そこから転じて「人の手によって新たに建てられること」を意味するようになったのが「建」という字です。
    ですから家を新築するときは、「家を建てる」と言い、「家を初める」とか「家を肇める」とは言いません。
    あくまで家は、人の手によって建てられるものだからです。

    国が建てられるときというのも、これと同じで、特定の大王や代議員が国を営むようになれば、それが「建国」です。
    世界の歴史に登場する王国や、現代の世界にある諸国は、いずれも人の手によって国がはじまっていますから、「建国」という表現が正しいのです。

    ところが我が国は、そもそも天孫降臨に際して、
    天照大御神が瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に、

     豊葦原の千五百秋之瑞穂の国は、
     是れ吾が子孫の王たる可き地なり。
     宜しく爾皇孫就きて治(しら)せ。
     行牟(さきくませ)、
     宝祚の隆えまさむこと、
     当に天壌と無窮かるべし。

    と述べられたことからはじまります。
    つまり我が国のはじまりは、天照大御神の御神意に基づいているわけです。
    ですから瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は、
    「天にぎし国にぎしアマツヒコ」と呼ばれます。

    これは日本書紀なら「天饒石国饒石天津彦(あめにぎしくににぎしあまつひこ)」、古事記なら「天邇岐志国邇岐志天津日高(読みは同じ)」と書かれています。
    「にぎし」というのは、「和」と同じで、神々のおわす高天原と地上の国を親和させたという意味です。
    そして御神意よって我が国がはじまったのだから、その国が隆(さか)えることは天壌(あめつち)が永遠のものであるのと同様に、国は永遠に隆(さか)えると書かれているわけです。

    これがひらたくいえば、我が国の始まりです。
    ところが地上世界の悲しさで、そうは言っても、神とつながっているから俺は偉いのだ、他の者はどうなったって構わないといった誤った考え方をする者も生まれるわけです。
    これではいけないと立ち上がられたのが神武天皇で、神武天皇はそうした誤った道を進もうとする者を退治し、あらためて国の民が神々の御意思のもとに、互いに助け合って生きていく国の道を説かれました。
    これが我が国の「建国の詔(みことのり)」で、この詔(みことのり)に基づいて2年がかりで都が橿原に建設され、そこで神武天皇が、初代天皇として国を再興されました。

    この建国は、神武天皇があらためて国をおさめられたという意味から、神武天皇の御即位が「始(はじ)めて天下(あめのした)を馭(をさめた)まふ(原文:始馭天下)」とされています。
    ここにある「馭」という字は、馬にまたがったことを意味する漢字で、神武天皇が天下という馬にまたがってこれをしらしめられたから、「始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)」(日本書紀)と書かれています。

    ところが第10代崇神天皇の時代に、疫病が流行し、人口の3分の2が失われてしまうのです。
    御心を悩まされた崇神天皇は、神々の依代となっている全国の神社を統合し、あらためて神社を天社(あまつやしろ)、国社(くにつやしろ)、神地(かむどころ)、神戸(かむべ)の四段階に系列化されました。
    この時代には、まだ仏教伝来はありません。
    ですから人々が集まる場所は、もっぱら神様のお社(やしろ)である神社であったわけで、その人々が集まる神社を朝廷のもとに系列化することで、朝廷の意向が神社のネットワークで全国津々浦々に伝わり、また全国の状況や情報が、すべからく中央の朝廷のもとに集まるようにされたのです。

    国というのは、中央省庁ができたら、それで国になれるというものではありません。
    全国がネットワーク化され、組織化されてはじめて国となります。
    その組織のことを、古い大和言葉で「クミ」というのですが、クミには必ずそのまとめ役としての中心核があります。
    我が国においては、この「クミ」というのは球体のようなもので、(もっというならミラーボールのような球体を想像いただくとわかりやすいかもしれない)球体の表面にある人々(ミラーボールなら表面の鏡)は、球面ですから上下も貴賤もありません。
    ただ球体の中心に、中心核があるだけです。

    この中心核が、それぞれの地域にある氏神様で、これが神戸(かむべ)。
    地域内の、いまで言ったら市町村単位の神戸(かむべ)をまとめる中心核にあたるのが神地(かむどころ)。
    県単位が国社(くにつやしろ)、地方ごとの中心核にあたるのが天社(あまつやしろ)とされたわけです。

    このあたり、現代風に考えたとき、古代の人たちが、平面図上に描かれるピラミッド型の組織を想像したのではなく、どう考えても球体が集合してさらに大きな球体を形成するといった立体構造で国の形を考えていたとしか思えないところで、古代の日本人の知恵の深さにあらためて驚嘆します。

    崇神天皇の時代は、それまで全国の人口が26万人あったものが、なんと8万人にまで減った時代でしたから、中央朝廷によるこうした取り組みが行われ、これによって全国の神社が統合され、組織化されるとともに、全国の神社に手水舎が設置され、結果、人々が集まるところでは手洗いを口をゆすぐことが作法として徹底されたことによって、疫病がみるみるうちにおさまりました。

    こうした人口の極端な減少期に行われた施策が、生き残った人々に大きな影響を与えることを「ボトルネック効果」と言います。
    ボトルネック効果の代表事例としては、7万5千年前の地球上の人口の激減期があります。
    このとき地球上の人類は、総計で1万人ほどにまで減少しました。
    そしてこれによって、もともとは人類も猿と同じで、メガネザルのような小さな人間もあれば、ゴリラのような大型の人類もいたのだけれど、結果として現生人類のような背格好と顔立ちの人類だけが生き残ったとされています。

    我が国における崇神天皇の時代は、いまからおよそ2500年前の出来事ですが、その人口の減少期に、崇神天皇によって疫病が克服され、同時に全国の神社が中央朝廷のもとに完全に組織化されたことが、その後の日本の形となっています。

    だから崇神天皇は「御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)」(日本書紀)と呼ばれています。
    国を肇(はじ)められた天皇だ、という意味です。
    ここにある「肇」という字は、手に筆を持って、音を立てながら(攴)、「戸」を開くという成り立ちを持つ字です。
    つまり「肇国」は、人の意思というよりも、御神意によって新たに国を開いたという意味です。
    教育勅語では、この「肇国」を用いています。

    けれども同時に教育勅語は、この「肇国」を「崇神天皇による肇国」とは書いていません。
    書いているのは「皇祖皇宗国ヲ肇󠄁ムルコト宏遠󠄁ニ」です。
    「肇国」は、皇祖皇宗によって肇(はじ)られたものである、と記しています。

    つまり我が国は、西欧や東亜の諸国のように、誰かひとりの大王によって立国されたのではなく、はるかずっと古い昔に、天照大御神の御神勅に基づいて国が治(しら)しめられ、天孫降臨から歴代天皇へと続く古い昔からの人々の努力の積み重ね、さまざまな苦難を乗り越えてきた祖先たちのはたらきによって、我が国が肇(はじ)められたのだ、という理解のもとに教育勅語はあるわけです。

    「建国」と「肇国」と「天にぎし国にぎし」。
    それぞれの言葉には、それぞれに深い意味があります。
    こうして私たちの先輩たちは、言葉をとても大切にしてきたのです。

    日本語を話す日本人であれば、日本語で思考し、日本語で対話します。
    つまり思考は日本語によって行われるわけです。
    そうであれば、日本語を正確に、またちゃんとした意味を共通の定義としていくことは、対話を成立させ、コミュニケーションを行ない、あるいは論考をするに際して、とても大切なことです。
    そのためにあるのが国語教育です。

    しかし現代の国語教育は、果たしてそうした日本語の奥行きの深さや、日本的精神性をしっかりと教育するものになっているといえるのでしょうか。
    もしなっていないとするならば、それは現代日本が抱える重要な問題のひとつであり、改善をはかるべき課題です。
    そういう議論がちゃんとできる国政になっていくことが、国の未来を拓くのだと思います。


    ※この記事は2020年10月の記事の再掲です。
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    たとえ権力者の前であっても、どこまでも民を大切にするという根幹の大御心に直結しなければ、何の意味もない。そのことを、光圀は身を以て示しています。これは実際にあったことです。

    20210928 水戸黄門
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    小名木善行です。

    水戸光圀といえば、ご存知時代劇の人気シリーズ「水戸黄門」。
    「静まれ、静まれ、静まれい。
     この紋所が目に入らぬか。
     こちらにおわすお方をどなたと心得る。
     恐れ多くも前(さき)の副将軍、
     水戸光圀公にあらせられるぞ。
     ものども、頭が高い。
     ひかえおろう〜〜!」
    と、名セリフ。
    越後屋と結託して悪行三昧を働いていた代官らを懲らしめるという、毎度おなじみのパターン化されたストーリーで、まさに一世風靡しました。

    ご長寿番組で、水戸の御老公役も、初代の月形龍之介さんから順に東野英治郎さん、西村晃さん、佐野浅夫さん、石坂浩二さん、里見浩太朗と推移し、最近では武田鉄矢さんも演じたりされたようです。
    もっとも視聴率の方は、映画であった月形龍之介さんは別として、後ろに下がるほど人気が落ちてしまいました。
    後ろの方になると、午後4時からの昔の黄門様の方が、ゴールデンタイムの午後8時からの黄門様よりも、なんと視聴率が高いといった情況になります。

    これはどうやらテレビ局が、日本人のような顔をして日本国籍を持って日本語を話すけれど日本人ではないという、いささかやっかいな人たちが牛耳るようになってから、番組の黄門様御一行が一般の多くの日本人に受け入れられなくなったからだと言われています。

    水戸の御老公は、天下の元副将軍であり、その御一行は良心と正義の存在であったはずなのですが、後年になると、その御一行が、正義のためにと、平気で人を騙して情報を取ったりする。
    こうした目的のために手段を選ばないという姿勢は、半島の人たちにはあたりまえのことかもしれないのですが、実は日本人が最も嫌うスタイルです。
    それを良心や正義を安心して観たい、正義は必ず勝つのだ、良心こそが大切なのだ、という視聴者の番組への期待を、番組自体が裏切る構成になっているのですから、そりゃあ、視聴者は離れてします。

    このようなことは、午後の本来なら視聴率が取れないはずの時間帯の昔の黄門様の再放送の方が視聴率が高ったということで、すぐに気が付きそうなものなのだけれど、テレビ局がその後どうしたかというと、水戸黄門シリーズ自体を打ち切ってしまった(笑)

    ちなみみいまはインターネット・テレビの時代劇チャンネルで昔の水戸黄門シリーズを視ることができますが、そこでもやはり人気は東野英治郎さんや西村晃さんの時代の水戸黄門なのだそうです。

    さて、ここまではテレビのお話でしたが、その水戸黄門様、実在の人物であることはよく知られています。
    徳川家康の孫で、徳川御三家の一角をなす、水戸徳川家の藩主であった人物でもあります。
    その水戸光圀に、有名な逸話があります。

    水戸光圀が、水戸徳川藩で「大日本史」の編纂を開始した頃のことです。
    大日本史の根本思想は神道にあるというもっぱらの噂で、危機感をもった仏教界からは全国から水戸に高僧が数多く尋ねてきました。
    「大日本史」の編纂が仏教界に脅威と考えられたからです。
    そんな高僧たちに、水戸光圀は、宗旨宗派に関わらず時間を割いて必ず会い、諌言や教えを謙虚に伺いました。

    こうして水戸の城下に天下の高僧たちが大集合したある日のこと、光圀は高僧たちを全員、城内に招きました。
    そして彼らとしばし歓談したのち、

    「日頃より、貴僧方より素晴らしいお話を
     伺わせていただいています。
     本日はそのお返しに
     珍しいものをご覧にいれたい」
    と言うと、庭に面した座敷の襖(ふすま)を部下に命じて開けさせました。

    高僧たちが、何が出て来るのかと期待していると、そこには汚い身なりの男が地面に曳き出されている。
    隣には、刀を持ったお侍(さむらい)が立っています。

    「この者は先般、当藩で盗みを働いた男でござる。
     いまから打ち首にいたすところにござる」

    そういうと光圀は庭に降り、自ら刀を受け取ると、
    「覚悟は良いか」と囚人に声をかけ、
    大きく刀を振りかぶりました。

    そして「エイッ」と、刀を囚人の首めがけて振り下ろしました。

    あわや首が刎(は)ねられるとみた瞬間、
    光圀は、その刀を囚人の首筋一重のところで停めました。
    狙いがうまく定まらなかったのでしょうか。

    そして再び刀を振りかぶると、囚人の首をめがけて、裂帛(れっぱく)の気合いとともに振り下ろしました。
    けれど、光圀は、また刀を首筋のところで停めてしまいます。

    三度目、またあらためて、刀を振りかぶり、振り降ろしました。
    けれど今度も首筋一枚のところで刀を停めてしまいます。
    どうしたのでしょうか。

    光圀は、刀を隣にいる武士に預けると、静かに
    「この者を釈放してやれ」と命じました。
    そして厳しい顔をして座敷にもどってきました。

    光圀が言いました。
    「貴僧らは日頃、人の命は重いと解きながら、
     なぜいま、黙ってみておいででしたか?」
    と問いました。

    そして強い口調で重ねて言いました。
    「盗みを働いたくらいで人の命を奪おうとする私を、
     なぜ貴僧らは停めようとされなかったのかっ!」

    部屋にいた高僧たちは、ただ黙ってうなだれるより他なく、そのまま退散する他ありませんでした。
    首を刎(は)ねられそうになった囚人は、死の恐怖を味わい、そして二度と盗みを働かないと約束して放免されました。

    「人の命は重い」・・それは大切な教えです。
    けれどその教えを、身を以て実践していくのが、まさに実学であり、現実の政治というものです。
    そして古来、我が国では、天皇に政治権力者を与えられた者たちが、いかに民を靖んじるかという明確な目的をもって、様々な取組みをしてきました。

    それは机上の学問ではなく、また、口先や頭の中だけの理論ではありません。
    現実の利害の衝突や、現実の治安、現実の対立がある中で、天皇からの預かりものである民衆をいかに靖んじるかという、現実のご政道です。

    仏を大事にする。目に見えないものを大切にする。
    それはもちろん大切なことです。
    水戸光圀も、仏教を排斥するどころか、たいへんにこれを保護しています。
    徳川家を興隆させたのも、天海僧正という立派な仏教の高僧がいたからです。

    けれど、それらはいずれも、たとえ権力者の前であっても、どこまでも民を大切にするという根幹の大御心に直結しなければ、何の意味もない。
    そのことを、光圀は身を以て体現してみせたのが、上にご紹介した逸話です。
    実際にあったことだといわれています。

    さてこの水戸光圀、神話に登場する「高天原」の場所を特定した人としても有名です。
    光圀は、「高天原の所在地は、常陸国(現在の茨城県)であった」としたのです。

    常陸(ひたち)は日立(ひたち)とも書きますが、要するに日の神である天照大御神が立たれたところが「日立」であるというわけです。
    また漢字の「常陸」は、要するに「常世(とこよ)の陸(おか)」という意味ですから、はるか祖代の昔から、そこが日本の中心地だったということが、そのまま漢字に当てられています。

    この高天原常陸説は、その後新井白石によってさらに追求されました。
    新井白石が1716年に書いた『古史通(こしつう)』には以下の記述があります。

    「高天原は一般に天上界にあると言われている。
     しかし我国の古書を読むには、
     いまの字の解釈でその意味を解いてはならない。
     古語によってその義を解(と)くべきである。

     旧事紀には「高国(たかのくに)」という記述がある。
     常陸国風土記にも「多珂(たか)」という記述がある。
     古事記には「天と書いて阿麻(あま)と読めと注釈がある。

     上古の言葉で「あま」いえば海のことである。
     天のことは「阿毎(あめ)」と言う。

     播羅(はら)もまた上古の言葉である。
     すなわち古語にいう
     『多訶阿麻能播羅(たかあまのはら)』は、
     多珂(たか)の海上にあった地ということになる」

    要するに高天原は、茨城県の水戸市から北茨城市にかけての一帯の沖合いで、いまは海中に沈んでしまっているところにあったのではないかと、新井白石は紐解いているわけです。
    新井白石が慧眼(けいがん)だと思うのは、古文書に基づいて結論を出していながら、祖代の海岸線について、いまとはまったく違った海岸線であったろうことを明察していることです。
    現代の歴史学会が、江戸の昔より、はるかにたくさんの情報を得ていながら、古代や祖代の海岸線を、現代の海岸線でのみ語っているのは、いささかご祖先に恥ずかしいように思います。


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    モンゴロイドという言葉は、18世紀のドイツの人類学者のヨハン・フリードリヒ・ブルーメンバッハ(Johann Friedrich Blumenbach)が考案したものです。
    彼はコーカサス(黒海とカスピ海にはさまれた平原)出身の白い肌を持つコーカソイド(白人種)が、最も美しくてすべての人類の基本形であるとしました。
    そして他の人種はコーカソイドが「退化した」ヒトモドキにすぎないとし、なかでもモンゴロイドは、13世紀にモンゴルの大軍がモンゴル平原からヨーロッパに攻め込んできたから、モンゴルのゴビ砂漠のあたりを根城にする人々という意味でネーミングしています。
    つまりモンゴロイド説は、実は人類の始祖とか万年の昔とは何の関係もない名称です。

    20180917 大昔の海岸線

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    小名木善行です。

    我々日本人が「モンゴロイド」であるという言い方には、非常に抵抗があります。
    なぜなら「モンゴロイド」という言葉は、18世紀のドイツの人類学者のヨハン・フリードリヒ・ブルーメンバッハ(Johann Friedrich Blumenbach)が、様々な人種のなかで、コーカサス(黒海とカスピ海にはさまれた平原)出身の白い肌を持つコーカソイド(白人種)こそが、最も美しくて、すべての人類の基本形であって、他の人種はコーカソイドが「退化した」ヒトモドキにすぎないということを述べるために造った造語だからです。

    このときブルーメンバッハは、世界の人種を古くからの言い伝えにある五色人の分類を模倣して、人種を5種類に分けています。それが、
    ・コーカソイド(白人種)
    ・モンゴロイド(黄色人種)
    ・エチオピカ(黒人種・ニグロイド)
    ・アメリカ―ナ(赤色人種・アメリカインディアン)
    ・マライカ(茶色人種・マレー人)
    で、アメリカーナも、マライカもかなり怪しい分類ですが、とりわけ「モンゴロイド」は、単にモンゴルの大軍がモンゴル平原からヨーロッパに攻め込んできたから付けられた名前にすぎません。

    要するに「モンゴロイド」というのは13〜14世紀の支配者たちのことを言ってるのですから、人類の起源とは何の関係もないものです。

    ところが、どういうわけか日本では、その「モンゴロイド」が黄色人種、なかでも日本人の源流であって、その「モンゴロイド」たち、つまりモンゴル帝國のモンゴル人が、北方が陸続きだった2万年ほど前に日本列島にやってきて、同じく南方から来た海洋族と混血していまの日本人になったと、多くの人が信じ込まされています。

    冗談じゃありません。
    2万年前の地形と、13〜14世紀のモンゴル帝国が一緒くたになっているのですから、これはもう暴論を通り越して、ほとんどお笑い草です。

    日本列島に住む人の歴史は、そのようなものよりも、もっとずっと古いものです。
    島根県の砂原遺跡からは、12万年前の旧石器時代の石器が出土していますし、長野県飯田市の竹佐中原遺跡から発掘調査された800点余りの遺物からは、3万数千年前〜5万年前のものであることが確認されています。
    しかもこのなかには、舟を使わないと往来できない伊豆諸島の神津島でしか産出しない黒曜石が発見されています。
    つまり3万8千年前の日本には、船で神津島まで往来する技術があったということです。

    そして3万年前には、群馬県みどり市の岩宿遺跡から磨製石器が出土しています。
    その日本における磨製石器は、3万年前のものだけが単独であるのではなくて、昭和48年に東京・練馬区石神井川流域の栗原遺跡で2万7000年前の地層から磨製石斧が発掘され、同年、千葉県の三里塚からも磨製石斧が出土、以後、秋田から奄美群島まで、全国135箇所から400点余の磨製石器が発掘されています。
    その中で、長野県日向林遺跡から出土した60点、長野県の貫ノ木(かんのき)遺跡から出土の55点の磨製石器に用いられている石は、竹佐中原遺跡の石器同様、伊豆の神津島から運ばれてきた石です。

    世界の歴史のなかで、いわゆる神話と呼ばれるものは、おおむね磨製石器の登場と期を一つにするとされます。
    なぜなら、時間のかかる磨製石器をつくるためには、村落共同体における社会的分業が行われなければならず、そのためには順番として、まず村落共同体を維持する物語が必要だからです。
    つまり、自分たちがどこからきて、どのような文化を持つのかは、共同体の維持に欠かせないのです。

    逆にいえば、神話を失うということは、共同体を失うということにつながるということです。
    このことは、神話に限らず、民族の歴史を失ったり、あるいは改ざんされて貶められたりすると、その民族は崩壊していくということを意味します。
    それだけに歴史や神話は、実は私達の生活に欠かせないものだし、国家という共同体を保持するにあたっての重要事なのです。

    さて日本列島の海岸線ですが、4万年前には、海水面がいまよりも80メートルほど低く、おおむね台湾と朝鮮半島を直線で結ぶラインが海岸線となっていました。
    それが2万5千年ほど前になると、海水面がいまより140メートルほど下がり、日本列島は北と南で大陸と陸続きになっています。
    日本海は、おおきな塩水湖となり、朝鮮海峡にはいまの朝鮮半島と日本との間に、わずかばかりの水路で隔てられているだけの状態となります。
    そして台湾は完全に大陸の一部となり、台湾から長崎を結ぶラインが、いわゆる海岸線となっていました。
    トップの図はネットから拾ったものですが、うまくまとまっていると思います。

    1万7千年前には縄文時代が始まるのですが、縄文遺跡というのは、そのほぼすべてが貝塚を持ちます。
    そこから貝を拾って食べていたということがわかるわけで、人は食べなければ生きていくことができませんから、要するに、大昔の人々は、概ね沿岸沿いに住んでいたであろうということがわかります。
    すくなくとも、ゴビ砂漠の真ん中よりは、沿岸部の方が、人が原始生活を営むには適しています。

    それに寒冷化が進めば、土地の所有なんてないのですから、いまよりももっとずっと南にその多くが生息したであろうということができます。
    ところが温暖化が進むと、それまで住んでいた土地が、海に沈んでしまう。
    人魚じゃあるまいし、人は海中では生活できませんから、当然、陸が後退すれば、それに従って、人々の生活の場も、後退していきます。

    6千年前の最温暖期には、日本列島のいまの平野部はほぼ水没して海の中です。
    北海道さえも、石狩平野は海の中で、北海道が2つに分かれていましたし、九州、四国、中国地区は、いまの山間部が海上に露出しているだけで、ほかは海の底です。

    要するに日本列島には、万年の単位の歴史があるわけで、そうであれば、現代の海岸線だけを見て歴史を考えても、まともな結論は出ないということです。

    ちなみに、モンゴロイドといえば、赤ちゃんの蒙古斑がありますが、日本人の場合、ほぼ100%近く、この蒙古斑が出ます。
    黒人にもありますが、肌全体が黒いので見分けがつきにくい。
    黄色人種では、現代モンゴル人でも8割くらいには蒙古斑が出るのですが、出ない人も2割ほどあります。
    仮にもし蒙古斑が、古代から続く東洋系民族の特徴であるとするならば、もしかすると日本人は、そんな古代の東洋人の特徴を最も多く残す民族であるのかもしれません。

    そういう意味では、モンゴロイドという名前よりも、ジャポノイドとでも名付けたほうが、実態に合っているように思います。


    ※この記事は2018年9月の記事の再掲です。
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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年生まれ。浜松市出身。上場信販会社を経て執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。またインターネット・ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。「歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに」という理念を掲げ活動する。古事記・日本書紀・万葉集などの原文を丁寧に読み解き、誰にでも納得できる日本論を発信。

《著書》日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、その他執筆多数。

《動画》「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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