• 野菊の墓と心の襞(ひだ)


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    男と女は頭の構造が違います。だから葛藤があり、葛藤があるから小説の題材になり、人々の共感を得る。人々は、そんな葛藤の中で、持って生まれた魂を鍛え、訓練し、自分の魂をより高度なものに成長させる。それが魂がこの世に生かされている理由としてきたのが、日本の国柄であり国民性です。


    木下恵介監督『野菊の如き君なりき』より
    20151108 政夫と民子



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    好きな映画って、何度観ても、良い映画ですね(笑)。
    そんな中でいちばん好きな映画をあげろと言われたら、迷うことなく挙げさせていただきたいのが、
    木下恵介監督の『野菊の如き君なりき』です。

    昭和三十年(1955年)の作品で、映画がまだ白黒だった時代の映画です。
    15歳の少年・斎藤政夫と2歳年上の従姉・戸村民子の淡い恋を描いた作品で、小学校以来、これまでに何度この映画を見返したことか。

    映画の原作は伊藤左千夫の小説『野菊の墓』で、こちらは明治三十九年(1906年)に雑誌「ホトトギス」に発表されました。当時、この小説を夏目漱石が絶賛したのだそうです。
    小説の方は、読んだのが(たぶん)小学校5年生か6年生のときで、当時、月刊の『小学◯年生』の付録に、文庫本が付いてきていて、その文庫本で読んだのが最初だったように思います。

    ちなみに、いま思い出したのですが、この頃、爺さんが毎月自分の小遣いでこの月刊誌を孫の筆者にバイクで届けてくれていました。
    離れて暮らしていた爺ちゃんでしたが、孫のことをおもってのことだったんですね。
    この歳になって、はじめて気が付きました。
    ありがたいことです。

    小説は、最初に読んだときに大泣きに泣かされて、その後、これまでに何度も読み返させていただきましたが、その都度泣かされて(笑)、映画を観てまた、繰り返し何度も泣かされました。

    そんな小説と映画、両方に共通の会話があります。
    会話のなかで二人は、畑仕事に行く途中、道端に咲いている野菊を見つけます。

    **********

    「まア綺麗な野菊、
     政夫さん、私に半分おくれッたら。
     私ほんとうに野菊が好き」

    「僕はもとから野菊がだい好き。
     民さんも野菊が好き?」

    「私なんでも野菊の生れ返りよ。
     野菊の花を見ると
     身振いの出るほど好もしいの。
     どうしてこんなかと、自分でも思う位」

    「民さんはそんなに野菊が好き。
     道理でどうやら民さんは野菊のような人だ」

    民子は分けてやった半分の野菊を顔に押しあてて嬉しがった。
    二人は歩きだす。

    「政夫さん、私野菊の様だってどうしてですか」

    「さアどうしてということはないけど、
     民さんは何がなし野菊の様な風だからさ」

    「それで政夫さんは野菊が好きだって?」

    「僕大好きさ」


    *********

    映画でも、この通りに描写されています。
    下にYoutubeを貼りましたので、お時間のあるときにでも、ご覧いただければと思います。

    この会話のなかで、民子は、
     政夫さんは野菊が好きだと言った。
     政夫さんは自分のことを野菊のようだと言った。
     ということは、
     政夫さんは自分のことを好きだと言ってくれている。

    と、思考が働いています。
    だから民子は、頬を赤らめながら、うつむいて黙ってしまうのです。
    大好きな政夫さんが、自分のことを好きだと言ってくれたと思ったからです。

    女性の方なら、以上の意味は説明するまでもないことと思います。
    ところが男にはこれがわからないのです。

    政夫の頭のなかでは、
    「野菊が好き」ということと、
    「民子は野菊のようだ」ということは、それぞれ独立しています。
    つまりこの二つは結びついていません。

    もちろん政夫は民子のことが好きなのだけれど、だからといって「民子さんが好き」と、この場で告白しているわけではないのです。
    政夫の頭の中では、民子のこと好きと思う気持ちと、野菊が可愛い花で好きだということ、民子のイメージが野菊のようであるということは、それぞれまったく別々なものとして認識されているのです。

    民子のことは好きだけれど、「好きだ」と告白することは恥ずかしくて言えないし、自分では、まさかそんな気持ちを民子に「悟られた」と気づいてもいません。

    このことは、男性と女性の脳の仕組みの違いに依るのだそうです。
    男性の脳は、コンピューターに例えれば分類処理式で、ひとつひとつのことを分類し、整理し、識別し、区別していこうとする特徴があります。
    これに対して女性の脳は、並列型分散処理式で、同時に複数の事象や言葉をつなげることで、様々なことをいちどきに合成し、感じ取ることができます。

    ですから小説のこの場面を読む読者も、
    女性なら、政夫の告白と受け止めますから、ここはドキドキのシーンになります。
    ところが男性なら、ただ野菊が好き、民子は野菊みたいな女性という2点は、別々な情報として頭の中で処理されますから、この段階では、サッパリ意味がわからないのです。

    かくいう筆者も、この小説は大好きで、小学校のときに初めて読み、そのあとたしか中学高校のときにも、あるいは社会人になってからのまだ若い頃にも、この小説は何度も繰り返し読んでいるのですが、このシーンの持つ意味がわかるようになったのは、やっと五十歳も半ばを過ぎてからのことでした(笑)。

    小説では、このあと、しばらく黙ってしまった民子に、政夫は次のように言います。

    ******

    「民さんはさっき何を考えてあんなに脇見もしないで歩いていたの」

    「わたし何も考えていやしません」

    「民さんはそりゃ嘘だよ。
     何か考えごとでもしなくてあんな風をする訣(わけ)はないさ。
     どんなことを考えていたのか知らないけれど、
     隠さないだってよいじゃないか」

    「政夫さん、済まない。
     私さっきほんとに考事かんがえごとしていました。
     私つくづく考えて情なくなったの。
     わたしはどうして政夫さんよか年が多いんでしょう。
     私は十七だと言うんだもの、ほんとに情なくなるわ……」

    「民さんは何のこと言うんだろう。
     先に生れたから年が多い、
     十七年育ったから十七になったのじゃないか。
     十七だから何で情ないのですか。
     僕だって、さ来年になれば十七歳さ。
     民さんはほんとに妙なことを云う人だ」


    *******

    民子の頭の中では、
     自分は政夫さんが好き。
     政夫さんも自分のことが好き。
     私も政夫さんが好き。
     だから、二人は結ばれたい。
     けれど私のほうが歳が多い。
     どうしよう・・・・、
    とこうなっているわけです。

    一方、政夫の方はというと、民子のことが好きではあるけれど、野菊が好きと言っただけで、民子に好きだと告ったわけではない。
    だから政夫は、先回りして思考が進んでしまった民子の思考についていけず、
    ただ額面通りに、
    「十七年育ったから十七になったのじゃないか。
     十七だから何で情ないのですか。
     僕だって、さ来年になれば十七歳さ。
     民さんはほんとに妙なことを云う人だ」
    となっています。
    多くの男性の読者も、同じ読み方になります。

    でも、政夫が民子を好きであることは、それはそれで事実なのです。
    好きだから、こうして一緒に歩いています。
    けれどまさかまさか、自分が好きだという気持ちを、ちょっとした会話から民子に悟られたとは気がついていないのです。

    映画で民子を演じた有田紀子さん
    20151108 有田紀子


    実は我が国の文学作品は、このような男女の思考の微妙なすれ違いを題材にした作品がたいへん多いことが特徴です。
    そのなかで最古の作品といえるのが古事記で、そこにはイザナキ、イザナミの思いのすれ違いや、トヨタマヒメとヤマサチヒコの想いすれ違いなどが描かれています。

    世界最古の女流文学である『源氏物語』も、こうした男と女の微妙な意識差が描かれ、それが人々の大きな共感を呼んでいます。
    共感があるから、千年以上にわたって作品が生きているのです。

    こういう心のヒダのすれ違いは、とてもやっかいだし面倒なものです。
    けれど、やっかいだからこそ、千年たっても、そこに共感があるわけです。

    ところがこうした心のヒダのすれ違いのようなものは、西洋の文学には、ほとんど描かれることがありません。
    イプセンの『人形の家』にしても、トルストイの『アンナ・カレーニナ』にしても、ハーベイの『テス』にしても、あるいは『シンデレラ』のような童話であっても、女性の気持ちと、男性の脳の働きからくる微妙な心のヒダのすれ違いが小説のテーマになることはありません。

    シェイクスピアの『ロメオとジュリエット』にしても、二人が愛し合っていたのはわかるけれど、愛し合いながらも、互いの心のスレ違いに葛藤する男女というのは、そこにはありません。
    題材は常に、
    「物理的に結ばれるか否か」
    であり、思慕は描かれても、心のすれ違いは、テーマとして扱われません。

    要するに、女性の気持ちになど関係なく、『人形の家』のように、
    「手に入れたはずの女性がが家を飛び出してしまった。なんでだろう」
    みたいなものが世界最高峰の西洋古典文学作品と讃えられているわけです。

    これが東洋に至ると、女性の気持ちが描かれるということ自体が皆無になります。
    楊貴妃にしても、虞美人にしても、本人の意思や思いにまったく関係なく、ただ美人であって、武将に愛されているだけの存在です。
    女性が男性の意に反せば、彼らはその女性を殺して食べてしまっていたのですから、さもありなんといえるかもしれません。

    要するに西洋においても、東洋においても、やや強引な言い方をするならば、女性は男性にとって、単に略奪の対象でしかなかったといえるわけです。
    それがたまたま女性の側に、その男性を思慕する気持ちがあれば、シンデレラのストーリーになって「ロマンス」と呼ばれることになるわけです。

    シンデレラは、たまたま男女とも独身で、互いに相手を思う気持ちがあったから、ロマンスです。
    けれど王子様は、シンデレラを得るために国中の女あさりをしています。
    もし、探しているのが王子ではなく、妻子あるヒヒジジイの王様であったり、シンデレラが、たまたまお城でダンスパーティーがあるというから美しい衣装を着て踊ってみたかっただけで、他に愛する彼氏か、夫や子があったなら、あのガラスの靴探しは、とんでもない迷惑ストーカー行為です。

    歴史を振り返れば、西洋でもチャイナでも、現実には、そうした迷惑行為となる女漁りが現実だったわけで、このとき、シンデレラが、王子を拒めば、シンデレラは魔女として火炙りになり、チャイナなら本人は食べられ、一族は皆殺しにされてきました。

    このような社会構造のなかで、男女の微妙な心のすれ違いなど、文学作品のテーマにさえ、なりようがありません。

    ということは、我が国の冒頭にご紹介したような微妙な心のすれ違いが、多くの日本人にとって、
    「ああ、そうだよなあ。たしかにそんなことあるよね〜」
    といった人々の共感になることは、それは、日本が築いてきた社会が、とても平和であったということと、男女ともに互いの気持ちを大切にすることを重んじる社会環境があったからだということになります。
    政治的テロや暴力とは対局の世界がここにあります。

    ひとむかしまえまでは、日本文学は、妙にねちっこくて嫌だといわれたものです。
    けれど、社会環境を考えた時、この違いははなはだ大きなものです。
    気持ちなど関係なく蹂躙されることがあたりまえな社会と、
    ひとりひとりの気持ちを大切にした社会。
    そこから生まれる文学は、
    前者は「ロマンスへの共感」となるし、
    後者は「すれ違いへの共感」となるのです。

    なぜ日本では、心こそ大事という文化が育まれたのでしょうか、
    その最大の理由は、日本が天然の災害の宝庫である国土を持つことにあったといえるかもしれません。
    なぜなら日本では、災害は必ずやってくる。
    忘れた頃にもやってくる。
    そのときのために、非常事態を先読みして、事前に手を打っていかなければならない。
    いまどきのメディアにひしめく近隣国からの渡来人のように、災害が起きてから「たいへんだ、たいへんだ」とバカ騒ぎするだけでは、日本列島で血をつないでいくことはできないのです。

    そしてそのために、国家最高権威としての天皇によって、すべての民衆が「おほみたから」とされました。
    国や行政は、その「おほみたから」が、いついかなるときにあっても、たとえ天然の災害にあったとしても、必ず安心して生き延びることができるように、日頃から準備をすることが最大の使命となっていったのです。
    日本人のお役所に対する信頼意識も、そうした背景から育まれました。
    もっとも近年では、そうした信頼されるべきお役所が、むしろ信頼を損ねる側の存在になってしまっているのは、残念なことです。

    国というのは、人々の共同体です。
    その国の形が、ひとりひとりを大切にすることを出発点とし、それが国柄にまで育まれると、その国に育った民衆もまた、相互に人を大切にするようになっていきます。
    自分も「おほみたから」なら、周囲の人達も「おほみたから」なのです。
    だから国や郷里や家族や友を大切にし、男であれば女を、女であれば男をたいせつにするという国柄、文化が育くまれていくのです。

    ところが、そもそも男と女は、冒頭の民子と政夫の会話みたいなもので、頭の構造が違います。
    だからそこに葛藤があり、葛藤があるから小説の題材になり、人々の共感が生まれるのです。
    人々は、そんな葛藤の中で、持って生まれた魂を鍛え、訓練し、自分の魂をより高度なものに成長させる。
    それが魂がこの世に生かされている理由としてきたのが、日本の国柄であり国民性です。

    『野菊の如き君なりき』は、いま、youtubeでご覧いただくことができます。

    野菊の如き君なりき (1955年) - 木下惠介


    また小説『野菊の墓』は、青空文庫で無料で読むことができます。
    https://www.aozora.gr.jp/cards/000058/files/647_20406.html

    あとひとつ、付け加えます。
    松田聖子さんの大ヒット曲に『渚のバルコニー』という曲があります。

    ♪渚のバルコニーで待ってて
     夜明けの海が見たいの
     そして秘密

    といった歌詞なのですが、男性脳では、
     
     渚に近いところのバルコニーで待っててね
    (ああ、あの場所ね)
     夜明けの海が見たいの。
    (そうなんだ)
     そして秘密
    (わはは、女子は秘密が好きだなあ)

    という具合に、それぞれが別々に脳内で処理されます。
    ところが!!

     渚に近いところのバルコニーで待ってて
     夜明けの海が見たいの。
    (ということは、バルコニーのあるベットで夜明けまで一緒にいたいと言っているのだ)
     そして秘密
    (ということは、***をしたぁい♡と誘っているのだ。しかも)
     バカね、呼んでも無駄よ
     水着持ってない
    (と、裸を想像させている・・!!
     うわぁ!すごい意味深な歌詞だったんだ!!)

    と、気付いたのが60歳を過ぎてから(笑)
    この曲が生まれたのが1982年(昭和57年)ですから、40年近くもの間、何度となくこの曲を聴いていながら、まったく意味がわかっていませんでした。
    と、おそらくいまこれをお読みの男性の読者の皆様の多くも、もしかしたら、言われてはじめて「そうだったんだ!」とお気づきになられた方も多いのではないかと思います。
    ・・・て、そんなことないのかな(笑)


    ※ この記事は2015年11月のねずブロ記事のリニューアルです。
    日本をかっこよく!
    お読みいただき、ありがとうございました。


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    瞬間瞬間の問題解決をブリコラージュしていくと同時に、いま抱えている問題と、神話や古典や歴史などをクロスオーバーさせながら、アブダクションする。そうすることで、たいていの問題は、解決の糸口が見つかります。


    20210419 未来の日本
    画像出所=https://stage.st/articles/drmbA
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    画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)


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    ジャンボジェット機に限らず飛行機(たとえば羽田から沖縄に飛ぶ飛行機)には、一定の航路があるのだけれど、実は航路通りに飛ぶ飛行機はありません。
    その日、その時間によって、上空の気流は毎日全部違う。
    飛行機はその中を飛ぶから操縦士がいるのです。

    自動車の運転も同じです。
    高速道路を目的地に向かって走行しようにも、路面の微妙な変化によって、クルマは左右にぶれます。
    だからドライバーは、ハンドルを微妙に操作して、走行車両が車線からはみ出さないようにクルマを操作します。
    もっとも最近では、自動運転などが登場して、運転手が操作しなくても、ハンドル操作までクルマが勝手にやってくれるといったシステムも登場するようになりました。
    そうしたシステムが必要なのは、クルマは、操縦しなければ、目的地までたどり着くことができないからです。

    何かを成そうとするとき、一定の目標や目的地はあっても、物事が予定通りに進むことは、まず、ありません。
    早い話、子供の頃に、誰もが「夏休みの計画帳」なるものを作った記憶があろうかと思いますが、明治の学制が敷かれて以来、その「夏休みの計画帳」の通りに夏休みを過ごせた子供は、おそらく皆無です。

    かつてソ連が「経済五カ年計画」なるものを想定し、これによって大成功を治めたと宣伝した結果、主に左翼系の学者さんたちによって、企業においてもこうした「計画」が大事であり、長期五カ年計画、中期三年計画、当期経営計画なるものを作ることが、企業にとってあたりまえの常識であるかのように宣伝されたことがあります。

    けれど、時間と能力と経費をかけて、そんな計画書を作っても、そのとおりに実現できた会社は、世の中におそらく皆無です。
    もっとも、お金を貸す側の金融機関では、企業との力関係保持のために、なんだかんだと言って当該企業に経営計画書を作らせ、あとになって「計画通りになっていないではないか」といって、貸し渋りや貸し剥がしがいつでもできるようにしておく、という(ある意味、悪意での)意味で経営計画書なるものを要求するということは、よくありました。

    しかし冷静に見て、世の中に計画通りにピッタリとうまく行った会社など、(繰り返し申し上げますが)皆無だと、これはおそらく断言して間違いないと思います。

    とりわけ昨年以降は、コロナの影響によって、それ以前の経営計画書は、日本中の企業において、すべてゴハサンになりました。
    あるいはもっと以前なら、震災の被災地における企業の経営計画は、すべてゴハサンです。

    計画が不要だと申し上げているわけではありません。
    ある程度の計画は、目的地にたどり着くために必要だし、計画達成という目標のもとに、さまざまな準備や、達成のための活動が必要になることは事実です。

    申し上げたいのは、計画し、準備万端整えたうえで、実際の日々の活動は、常にブリコラージュ(Bricolage)による、ということです。
    多くの企業が、あるいは国が組織が個人が、ここを間違えることで失敗を繰り返しているといえる、ということです。
    計画に固執してしまうのです。

    昔、『踊る大捜査線』で、アオシマ君が、
    「事件は現場で起きているんだ!」
    という有名な決め台詞を吐いたことがありますが、まさに、そのことです。
    現場は、動いているのです。
    だから、軍隊でも、最前線に戦場指揮官がいるのです。

    碁でも将棋でも同じです。
    相手の出方次第で、当意即妙に打ち手を変化させていかなければ、絶対に勝つことはできません。
    特に、相手が強い場合なら、なおのことです。

    スポーツでも同じです。
    計画は必要です。
    しかし、計画通りにはなかなかいかないものです。

    そこでブリコラージュという考え方が出てきます。

    ブリコラージュ(Bricolage)というのは、フランス語の動詞 「bricoler」に由来する言葉で、その場にあるものを寄せ集めて、試行錯誤しながら盛り付ける・・・つまり結果を出していくことを言います。

    ゴッホの有名な絵に「ひまわり」がありますが、ゴッホは、あらかじめああいう絵を描こうとしてキャンパスに向かったわけではなくて、美しい花を描きたいと思って、キャンパスに向かって、絵の具を塗り重ねていったら、結果としてあの「ひまわり」ができあがった・・・・これがブリコラージュです。

    計画が結果を作るのではなく、瞬間瞬間の最善手の積み重ねが、良い結果を招くのです。

    渋沢栄一は、個人的にはまったく好きな人物ではありませんが、ただ、彼が大成功をおさめた背景には、農家だったお父さんが、我が子の栄一くんに、武士以上の教育を与えようと、忙しい農作業の合間を縫って、直接教育を施し、武芸は神道無念流を学ばせ、結果、優秀な若者となった栄一くんが、我が国では当時めずらしかったフランス語を習得することで、人生を開きました。

    渋沢栄一という人物の好悪や善悪評価は別として、彼はその生涯を通じてたいへん勉強熱心であったと伝えられています。
    その勉強の積み重ねが、結果として、日本経済の父と呼ばれ、現代に続く500社以上の企業や大学の創業に関わるという偉業を為したわけです。

    それは決して「計画された人生」というものではなくて、瞬間瞬間の勤勉を積み重ねる、つまり学問のブリコラージュによって、彼の人生が成果を生んだ、といえるわけです。
    そしてそこに、もうひとつの重要なファクターがあります。
    それがアブダクション(abduction)です。

    アブダクション(abduction)の単語の意味は「誘拐」とか「拉致」です。
    ですから最近ではUFOに拉致されたことをアブダクションと呼んだりもされています。

    なぜアブダクションが「誘拐」とか「拉致」になるかというと、その語彙が「別な側に転じる」というものだからです。
    そこからアブダクションは、論理学において、「いくつかの事実に基づいて、それらに共通する仮説を得る」こと、すなわち「仮定的推論」の意味で用いられます。

    論理学上の推論法としては、我が国では演繹法(デデュケーション・Deduction)と帰納法(インデュケーション・Induction)ばかりが強調され教えられています。
    あたかもそれ以外の論理的手段は「ない」かのように教育されています。
    しかし実は、世の中において、もっとも役に立つのはむしろアブダクション(Abduction)です。

    演繹法というのは、簡単に言えば三段論法のことで、たとえば「人は考える。私は考える。ゆえに私は人である」みたいなものです。
    しかし、猫だって考えます。そうであれば、私は猫であるのかもしれない。
    そうなってくると、思考が混乱してきますから、どんどん思考が複雑化してきて、永遠に結論がでないということになってしまいます。
    これでは、いかなる場合にも結論を求める実社会では、およそ役に立ちません。

    帰納法は、一般化、法則化する手法で、A君は勉強家である、B君も勉強家である、A君もB君も日本人である。したがって日本人は勉強家である、と一般化するという論理手法です。
    けれど、勉強が苦手な日本人だっているわけです。
    つまり帰納法は、むしろ結論が誤誘導されやすいという欠陥を持つ論理手法です。

    そういう次第ですから、演繹法も帰納法も、やや極端な言い方をするなら、実社会ではおよそ役に立ちません。
    そして日本人に対して、その役に立たない論理手法しか世の中に存在していないことにしておけば、日本人を愚民化し、あるいは日本人を誤った方向に洗脳し、誘導することができます。
    つまり日本人を、強制的にアホにするためには、日本人にとっての論理的思考方法を、演繹法または帰納法に縛り付けておけばよいのです。
    まあ、戦後の日本人は、まさにこれに完全にハメられてしまったわけです。

    早い話、「神話がなんの役に立つのか?」という問いに対して、演繹的、機能法的にそれを証明することはできません。
    演繹法なら、「神話は役に立つ。なぜならば・・・」となりますが、そもそも役に立たないといっているわけですから、これでは頭から対立と闘争の世界、つまり共産主義の世界に誘導されてしまいます。ということは演繹法では証明できないわけです。

    帰納法でも同じです。
    帰納法的展開なら、神話が役に立つことを、具体的な事例を神話の中に探し求めることになります。
    大国主神がウサギを助けたことが、いかにして今の世の中に役立つのか、という論理展開になれば、これを否定するのは、たやすいことです。
    つまり、演繹法でも帰納法でも、「神話が役に立つ」ことを論理的に証明することは不可能なのです。

    しかし、神話が役に立つのは事実であり、現実です。
    ではどういうときに役立つのかといえば、神話に書かれていることと、いま自分たちが直面している現実とをクロスさせて、そこから新たな知見を得ようとするときにこそ、神話は価値判断の物差しとして機能します。
    これがアブダクション(Abduction)です。

    アブダクションでは、どのようにアプローチされるかというと、先程の例なら、
    事象1「人は考える」
    事象2「日本人は勤勉な人が多い」
    という2点から、
    「日本人に考えることを中心に置いた、新たな勉強を提案してみたらどうか」
    といった、新たな仮定的推論を導くのです。
    仮定的推論ですから、他にも別な推論が成り立つかもしれない。

    大国主神は、困っているウサギを助けた。
    これはやさしさが大切であることを伝える神話だ。
    いまコロナで大勢の人たちが困っている。
    その困っている人たちを助けるには、正しい情報が必要であるに違いない。
    そしてそこには、ウサギを助けた大国主神のようなやさしさが必要であるに違いない・・・などと、神話と現代の問題をクロスさせながら、論理的に新たな視点を得る。
    それがアブダクションです。

    歴史、古典も、ただ記憶力を試すテストで良い点をとるためだけの勉強なら、社会人にとっては不要なものです。
    では、昔の人が、どうしてそんな歴史や古典にこだわったのか。あるいは社会人になってからも、そうした学問を重ねていこうとしたのか。
    その答えが、歴史や神話や古典だからこそ可能な、アブダクションが可能だからです。

    現代の問題のことを時事問題と言いますが、問題というのは、その問題が発生したときと同じレベルの思考で解決できることは、絶対にありません。
    そうであれば、時事問題を現代の問題として思考している限り、そこに解決の糸口は見つからない、ということです。
    歴史や神話や古典を学び、それらと現代の問題をクロスさせて、そこから解決の糸口を得る。つまり仮定的推論を得る。
    そこに問題解決の緒口があります。
    だから昔の人は、古典を、神話を學んだのです。

    つまり、瞬間瞬間の問題解決をブリコラージュしていくと同時に、いま抱えている問題と、神話や古典や歴史などをクロスオーバーさせながら、アブダクションする。
    そうすることで、たいていの問題は、解決の糸口が見つかります。


    ※この記事は2018年11月のねずブロ記事のリニューアルです。
    日本をかっこよく!
    お読みいただき、ありがとうございました。


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    そのために、しっかりと学ぶことが、いま日本人に求められる最大のことであると思うのです。


    20201220 夜明け



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    昭和20年のことです。
    重慶で「世紀の巨頭会談」と呼ばれる会談が行われました。
    「蒋介石・毛沢東会談(重慶会談)」です。

    この年の8月15日、日本が自主的に戦闘行為を終結させています。
    マッカーサーが降伏文書の調印に先立って神奈川県の厚木海軍飛行場に降り立ったのが8月30日、それと同じ日にチャイナの重慶で、蒋介石率いる国民党と、毛沢東率いる共産党が、たがいに争いを止め、平和的に戦後処理を行うためにこの会談が行われています。

    お偉いさんの会談といえば、我々日本人は勝海舟と西郷隆盛の会談のように、1日だけのものを想像しますが、チャイナでは異なります。
    この会談は、なんと43日間にも及ぶものでした。

    そして10月10日、蒋介石と毛沢東の両巨頭の会談が終結し、合意事項に基づいて、蒋介石率いる国民党と、毛沢東率いる共産党との協定が締結されています。
    これが「双十協定」です。
    10月10日と、10が2つ重なっている日に締結されたから「双十」です。

    「双十協定」の内容がどのようなものかというと、要約すると次の3つです。

    1 国民党と共産党が、互いに平和を希求して一切の紛争を対話によって解決する。
    2 互いに協力しあって内戦を避け、自由で富強な新しい中国を建設する。
    3 中国共産党が、蒋介石の南京政府をチャイナの合法的指導者であることを承認する。

    まことに平和的な内容であり、よくぞここまで、たったの(笑)43日間で決めることができたものだと感心してしまうところですが、このときの世界もこの協定を、まさに「胸をなでおろして」歓迎しています。
    ところがこの協定が結ばれた、まさにその日に、山西省の上党地区(現長治市)で、チャイナ共産党軍が同地にいた11万のチャイナ国民党軍に攻撃を開始しました。
    そしてこの攻撃が、第二次国共内戦の始まり(勃発)となりました。
    奇襲攻撃ですから、この戦いはほとんど共産軍の一方的な戦いでした。
    国民党軍はおよそ三日間の戦いで、3万5千人が殺戮されています。

    こうなると、我々日本人の目からみると、
    「何のための協定だったの」と不思議に思えてしまいます。
    日本人は「約束」といえば、条件反射的に「守るものだ」という文化を持つからです。

    「それは西洋も同じだよ」と思われるかもしれません。
    けれど実は、日本人的な意味で「約束を守る」ということと、西洋的な意味でのそれとは、すこしニュアンスが異なります。
    西洋でも、約束は「神との契約」に等しいものですから、守ることは当然の義務です。
    ところが、「神様との約束」ですから、まず「約束を守らなければたいへんな天罰を受ける」ことになるのですが、同時に守るべきものは「契約」したものにだけに限られます。
    契約してないことは、守る必要がないのです。

    ですからたとえば、
    「私は君の机にもう落書きをしません」と約束したなら、約束の主語は「私」であり、対象は「君」であり、目的は「机に落書きをしない」ですから、私が私以外の人に命じて落書きするのはOKだし、机以外の、たとえば教科書やノートに落書きするのはOKだということになりますし、私が君以外の人の机に落書きすることもOKです。机ではなく椅子に落書きをするのもOKです。
    これは契約の「構成要件該当性」と呼ばれ、西洋的な契約論には欠かせないものです。

    ところが日本の場合ですと、「君の机にもう落書きをしません」と約束すれば、その本意は「落書きを含めて君に不愉快な思いをさせない」ということになりますから、人が見ていようがいまいが落書きは厳禁です。
    誰かに命じて落書きさせることもできないし、机だけでなくその他の物にも、落書きはNGです。
    日本人にとって約束は「当然に守るもの」ですから、守ることが当たり前であって、それ以外にも関連することはすべてNGになります。

    江戸時代の金銭借用証文が、
    「期日に支払わなければ、人前で笑われても致し方なき候事」という一文だけで契約がちゃんと履行されたというのも、そうした日本人の「約束を守る」という日本の文化に基づいていることなのです。

    ところがチャイナの場合には、そんな日本的考え方も、西洋的な考え方とも違います。
    どのように違うかと言うと、彼らにとって「約束」とは、
    「相手に守らせる」
    ものだからです。
    自分が約束を守る必要も義務も感じない。

    どこまでも「相手にだけ守らせるもの」ですから、「互いに協力しあって内戦を避ける」と取り決めたという一文は、相手の戦闘活動を押さえ込むためだけの約束ということになりますし、一方的な攻撃ならば「互いに協力し合って」はいないわけですからOKだということになります。
    まして、この一文によって相手の戦闘力が弱まらせることができるわけです。
    それこそ戦闘勝利のチャンスとなるのですから、この約束に基づいて「攻撃しない」ほうが馬鹿だということになります。
    そして勝って相手を葬り去れば、どこまでも自分が正義となり、すべての悪事は全部相手のせいにしてしまう。
    これがチャイナ流です。

    さらにいうと、巨頭どうしは、仲良しで良いのです。
    たがいに笑って話ができる間柄であれば良い。
    けれど人口の多い国ですから、下の方では何をするかわからないということにしてしまうことができるのです。
    下の者が暴走しただけであって、上の巨頭は「預かり知らぬこと」です。
    戦いに勝利するということは、「上になる」ということです。
    そして上の人は下の人を所有します。
    所有者なのですから、所有物の言うことなど無視して構わないのです。

    もうひとついうと、チャイナにおける用語は、日本とは異なるという点にも注意が必要です。
    鄧小平は改革開放政策を行いましたが、我々日本人が改革、開放と聞くと、チャイナ国内を改革して、チャイナ市場を世界に向けて開放していくと、そんなふうに受け取ります。
    しかし、そのように受け取るのは、我々が日本人だからです。

    チャイナにおいて改革・開放というのは、チャイナ以外の国、たとえば日本や米国をチャイナにとって都合の良い国に改革し、同時に日本や米国の富や企業力、競争力、技術力などを開放させて奪ってくるという意味になります。
    そしてチャイナの思考では「騙される方が悪い」のです。

    「巨頭会談」を、蒋介石と毛沢東の個人の人柄の問題にしてはいけません。
    社会の構造が完全なピラミッド社会であれば、その社会は常に組織そのものの生存と、完璧な支配体制の確立を、その社会の目的にしてしまうというところが問題なのです。

    このとき、その社会を構成する個々の人々、とりわけ社会の末端を担う最も多くの人々の幸せとか、豊かさとか、安心とか生きる権利といったものは、組織のために完全に無視されます。
    結果としてその社会組織は、トップのためだけの組織となります。
    そしてその社会組織の維持のために、あらゆる謀略が行われ、他の組織とは常に敵対的になります。
    組織行動の原点が、組織の生存にあって、個々の個人の幸せにあるわけではないからです。

    人類社会は、すくなくとも歴史時代になった千年前から、あるいはもっと以前から、社会組織について、この「組織の幸せは、単に組織トップの幸せにしかならない」という問題を解決できずにきました。
    中世の王権がそうですし、近世の植民地支配も同じ。20世紀の共産主義も同じです。

    現代の世界支配の構図も、すこし似ています。
    ごく一握りの大金持ちが、自己を支配層を思い込み、庶民の幸せを平気で踏みにじる。
    これは、それまでの「社会の生存」という概念に個人主義が入り込み、社会の頂点に立つ個人が、その個人の生存のために社会全体を支配するという構図です。

    よく個人主義という言葉が使われますが、個人主義という言葉にある「個人」とは、庶民のひとりひとりのことではありません。
    ここでいう個人とは、あくまで社会の支配層であると自覚する現代の大金持ちのことであり、その個人とは、最低限、プライベート・ジェットで世界を往来できるほどの財力を持つ個人なのであって、我々庶民の「個人」のことではないのです。

    このこともまた、日本が培ってきた文化とは、まったく相反するものです。
    日本は、世界でただ一国、庶民の幸せな暮らしを、社会の目的とすることに成功した国であり、歴史を持ちます。
    これを日本がどのように実現したかというと、きわめてわかりやすくて簡単な仕組みです。
    日本という社会組織のトップが権力を手放して国家最高権威となり、その国家最高権威が庶民をこそ「おほみたから」としたのです。

    これにより日本では、政治の目的が常に庶民の幸せにおかれることとなりました。
    これを「知らす統治」と言います。
    トップは知る。
    そして政治を才能のある者に委ねる。
    政治は、トップの最大の宝である庶民の幸せのために貢献する。
    その状況の可否を、常にトップが知る。

    つまり我が国の庶民ひとりひとりの幸せは、天皇の御存在によってのみ、担保されているのです。
    そしてこれこそが、我が国の最大の特徴であり、これこそが究極の民主主義といえるものです。
    ここに、我々が取り戻すべき日本の真の姿があります。

    こうした洋の東西と日本の違いは、歴史認識の違いに依拠します。
    どういうことかというと、西洋の歴史認識は「英雄譚」です。
    外敵から身を護る。そのためのリーダーの存在を不可欠とします。
    リーダーは神に祝福され、美女と名声を手に入れることができる。

    東洋、つまりチャイナの歴史認識はこれと異なり、王朝の正統性を確保するためのものです。
    正統性というのは、別な言い方をすれば「誰がいちばん偉いか」ということですから、その偉い人たち以外は、虫けら以下のモブキャラという理解になります。

    日本の歴史認識は、西洋とも東洋とも異なり、「学ぶためのもの」です。
    艱難辛苦を受けても、それでも良心を失わず、道を違えずにしっかりと生きる。
    そのために学ぶものが、日本人にとっての歴史です。
    ですから学ぶためには、まずは事実が正確に把握される必要があります。
    そしてその事実をどのように解釈し、現代に活かすか、それが日本人にとっての歴史です。

    もっともこうした教育が歴史分野で行われたのは、奈良平安の昔から戦前戦中までです。
    GHQ以降の日本では、歴史教育は、ただ暗記だけを要求する社会科教育に置き換わってしまっているのは、残念なことです。

    いずれにしても、長い歳月の中で培われた歴史観の違いは、契約に関する考え方も洋の東西と日本で、まったく異なる様相を見せます。

    そうそう、2020年の米大統領選挙において、いわゆる「不正」選挙が話題になりましたが、米国は新興国であり、法治主義の国です。
    ですから法で裁かれて判決が確定したものだけが「不正」であって、判決が確定するまでは「無罪の推定」が行われます。
    つまり、判決が確定するまでは、「不正」は「なかった」のです。
    このことについて、いまさらながらに怒る米国民も多数ありました。
    けれど、怒ろうが怒るまいが、それが米国の仕組みです。

    グローバリズムやグローバリストを、単純に「悪」と決めつける人たちがいますが、国境を越えてビジネスをする人たちにとっては、国際取引が同じ条件で行われなければ、安心した取引ができないわけで、食料や原材料輸入国であり、貿易によって利益を得ている日本や日本人もまた、このグローバリズムの恩恵を受けて毎日生活をしています。
    なにしろ日本の食糧自給は、輸入農薬の仕様を考えると、実際の自給率は10%にも満たないのです。
    国際取引がなければ、私たち日本人の9割が餓死することになるのです。

    こうした現実を踏まえ、いたずらに国際派を目指すのではなく、洋の東西の文化の違いをしっかりとわきまえ、
    「だから国境があるのだ」というあたりまえの常識をしっかりと取り戻す。
    そのために、しっかりと学ぶことが、いま日本人に求められる最大のことであると思うのです。


    ※この記事は2017年9月のねずブロ記事のリニューアルです。
    日本をかっこよく!
    お読みいただき、ありがとうございました。


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    歴史とは「過去の事実の因果関係を記述したもの」のことをいいます。少し詳しく言うと、歴史は
     直進する時間
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     ものごとの因果関係の筋書き
    の4つが揃ってはじめて歴史となります。


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    歴史とは「過去の事実の因果関係を記述したもの」のことをいいます。
    少し詳しく言うと、歴史は

      直進する時間
      時間を管理する技術
      文字で記録をつくる技術
      ものごとの因果関係の筋書き

    の4つが揃ってはじめて歴史となります。
    従って「歴史を持つ国や民族」というのは、世界の歴史にあって「少数派」です。

    たとえば古代インド文明は、歴史を持ちません。
    なぜなら、彼らは輪廻・転生の思想を持ち、事件や事故の原因を前世に求め、その結果を今生と考えるからです。
    前世が未来になる場合もあるわけですから、そこでは時間は直進していませんし、因果関係は、事実の積み上げではなく、いきなり前世に飛んでいってしまうわけですから、これでは歴史になりません。

    またイスラム文明も、一瞬一瞬はすべてアラーの神の思し召しです。
    瞬間自体がアラーによって新たに創造されるのですから、そこに因果律はありませんし、時間の概念もありません。

    つまり世界のほとんどの国や民族は、
    「歴史を持たない文明」となっているのです。

    一方、歴史を「創作」する文明もあります。
    それがヨーロッパの地中海文明と、China文明です。

    ヨーロッパでは古代ギリシャのヘロドトスが『ヒストリア』を書きました。
    この書の序文でヘロドトスは、
    「世界は変化するものであり、その変化を語るのが歴史である」と述べています。
    そして、バラバラで対立と闘争を繰り返していたギリシャの都市国家が、強大なペルシャがやってきたので、最後にはみんなで協力してペルシャをやっつけた。めでたしめでたしという筋書きを書いています。

    これは、不当な侵略を前に、英雄が立ち上がって勝利するという筋書きです。
    ですからそこには、世界がまとまるための恐怖の帝国の存在を必要とします。
    この思想は現代でも徹底していて、彼らはいまでも「世界がまとまるための恐怖の帝国」の存在を必要としています。
    国連においては、それが敵国である「日本」です。
    ですから日本がいくら国連にお金を出したとしても、それは「恐怖の帝国が支払った金」であって、彼らはその資金提供にまったく感謝の思いなど持ちません。

    これがチャイナになると、前漢の武帝に仕えた司馬遷が著した『史記』が歴史書の原点です。
    これは帝国の正統性を記した書です。
    正統というのは、わかりやすくいえば、
    「誰がいちばん偉いか」
    ということです。
    つまりチャイナの史書というのは、「誰がいちばん偉いのか、どうして偉いと言えるのか」を記した書です。
    チャイナの史書では、御存知の通り周辺諸国はすべて蛮族とされますが、そもそも史書がそのような目的で書かれた書であれば、そうなることがむしろ当然といえます。

    西洋とチャイナの違いですが、チャイナの場合は、単に「誰がいちばん偉いか」を記しているだけですから、この場合「共通の敵」の存在の必要がありません。
    前王朝がいかに理不尽だったかという、不当性だけが問題となります。
    このとき本当は、前の王朝を倒した側、つまりいまの王朝が、実際にはかなりの非道を繰り返しているのですが、彼らの歴史認識では、その非道はことごとく前の王朝、前の支配者の「せい」になります。
    現代において、彼らが日本を目の敵にする理由もそこにあります。

    チャイナの歴史観は、もともとがそういうものですから、王朝が交代するたびに歴史が書き換えられます。
    つまり、現代チャイナの歴史認識は、いまの中共王朝が消えてなくなるまで変わることはない、ということです。
    かれらにとって、真実は関係ないのです。
    必要なことは「誰がいちばん偉いのか」という正統性だけです。

    要するに、その時点で誰が一番偉いのかだけが問題なのであって、そこに真実は必要ありません。
    そこに直進する時間も、因果関係もありません。
    都合に合わせて、あとから書き換えるのが歴史だからです。

    韓国の近代に関する歴史認識も、この延長線上にあります。
    日本軍にひどい目に遭わされた、それを開放したのが現代韓国なのだ、ということ以外に、彼らにとっての正統性はありません。
    さまざまな客観的事実が、どれだけ出てきて発表されようと、その一点は変わらないのです。

    ここまでを整理すると、
    1 西洋の歴史は「共通の敵に対する英雄譚」であり、
    2 チャイナの歴史は「誰が上にいるかを証明するためのもの」であり、
    3 印度の歴史は「前世との関連」であり、
    4 イスラムの歴史は「アラーの思し召し」です。

    では、日本における歴史は、どのようなものでしょうか。
    日本には、万古不易の共通の敵などはいませんし、
    神々の時代から正統な天皇が存在していますし、
    前世からの因縁よりも現在の暮らしと未来の子供たちが大事ですし、
    アラーの神もいません。

    そうなると歴史は、現状を打破するために学ぶものという概念が生まれてきます。
    つまり歴史は「学ぶもの」ということになります。
    どうして学ぶのかといえば、現状を打破する力を得るためです。
    ですから、過去の事実や事件の流れ等を、まず正確に把握する。
    そのうえで、何がどうなっていたのかを「考える」。
    それが日本における歴史であり、歴史を学ぶ意義です。

    たとえば、日本における史書といえば、古事記や日本書紀がありますが、それらは読めば読むほど、深い解釈が成り立つなどと言われます。
    読み方ひとつで、そこから得られる知識や知見は、もっともっと深まることになる・・・とこのように言われるわけです。

    「いや、史書でしょ?」
    「真実はひとつでしょ?」
    そうではないのです。
    真実は、タイムマシンでも登場しない限り、わからないのです。
    ただ、いつどこで何がどうなったという事実だけはあります。
    そこで「どうしてそうなったのか」を考えるのが、日本における歴史なのです。

    このことは企業が研修等でよく行う「ケース・スタディ」と同じです。
    その会社で過去におきた事件を通じ、本当はどうすればよかったか、どうしたら防げるかを考えるのがケース・スタディです。
    そのケースの発生日時や登場人物名を丸暗記したところで、何の意味もありません。
    そのようなことをどれだけたくさん丸暗記したところで、
    「そんなものは学問のうちに入らない」
    と、これは福沢諭吉の指摘です。

    そこでたとえば南京問題を例に出すと、
    中共王朝にとっては、王朝の正統性確保のために、日本軍による蛮行が「あったことにしなければならないもの」です。
    中共王朝が正統であるためには、それは「あった」ことが必要です。
    なくても「あった」のです。

    一方日本にとっては、歴史は真実を探るものですから、実際にどうだったのか問題になります。
    真実を探求しようとする国と、都合により真実を改変する国では、その立脚点が180度異なります。

    では、それを西欧に持ち込んだらどうなるかというと、彼らにとって歴史は英雄譚ですから、南京で虐殺があったことになれば、第二次世界大戦で日本を打ち負かした彼らは英雄になるわけですから、これは歓迎すべき歴史ということになります。

    また西欧が南京事件をなかったと認めるときは、中共が彼らにとっての敵となったときです。
    つまり、日本が西欧社会とともに、人類共通の敵である共産主義や、嘘と欺罔の悪魔の所業と、積極的に戦う英雄の一員となる日が来るまで、日本は人類共通の敵というポジションから抜け出せないことになります。
    これが現実です。

    実は南京問題というのは、いろいろな見方ができるものでもあるのです。
    当時の国民党は、南京城内を占領したあと、城内に住む民間人に銃を突きつけて強制徴兵し、特戦隊がその民間人に後ろから銃を突きつけて日本軍と戦わせていました。
    日本軍は、そうした「民間人で銃を撃ってくる者」と戦ったわけですから、ドンパチが起これば、当然、「後ろから銃を突きつけられて、銃を手にして日本軍に向けて発砲する民間人」を殺生しています。
    その意味では、民間人の死傷者は出ているのです。

    けれど、戦時国際法によれば、国家同士の戦争は、軍服を着用し、ひと目で軍人と分かる鉄兜や帽子をかぶり戦いの責任者のもとで、銃を携行している者を相手に戦うものであり、そうでない者は民間人であって殺害してはならないものとされています。
    では、当時のChina国民党兵がどうだったかというと、軍服を着ている者は、基本、戦わず、民間人に銃を突きつけて前線で戦わせていたわけです。
    しかも軍の総指揮官の蒋介石も、前線の責任者の唐生智も、戦いがはじまる早々に、南京から逃げ出しています。
    つまり和平を結ぶ相手さえいないという状況にあったわけです。
    そのうえ、蒋介石率いる国民党は、領土と国民に責任を持つ国家ではありません。単なる軍閥であり、領土もなければ領民もありません。
    そんな領土も領民もいない軍閥が、勝手に南京を占領して、民間人に銃を突きつけて戦いを強要していたわけです。

    このような場合、戦時国際法に従えば、China国民党は軍とはそもそもみなされません。
    これは過激派によるテロであり、その過激派を排除して南京の治安を回復しようとした日本軍に対して、たとえ強制徴用であったとしても、発砲する者があり、しかもその発砲者らが軍人なのか民間人なのか見極めがつかないという状況にあれば、これは戦う相手とみなされますから、老若男女を問わず、本来は降参するまで、皆殺しをすべき相手ということになります。

    ところが彼らは、いったん降参したと見せかけて、隠し持った武器で騒乱を起こしているわけですから、この場合、その場にいるすべてのChineseが、殲滅の対象となったとしても、戦時国際法上は、むしろそれが正統な行為となります。
    にもかかわらず、日本側はそうした殺戮となる状態を防ぐために、誠実な努力を重ねているわけですから、これはもう神の軍としかいえない行動といえます。

    それだけの恩恵を被ったChinaが、それでも日本を悪く言うのは、その後に中共王朝ができたからです。
    その中共王朝は、昭和24年で、日本にとっては終戦後のことにすぎません。
    にもかかわらず中共王朝が南京を持ち出すのは、彼らの正統性が、彼らが日本軍と戦い、Chinaから日本軍を追い払ったから、というものだからです。
    実際には、彼らは日本と干戈を交えていないにもかかわらず、彼らは自分たちの正統性を確保するために、そうした事実を「創作」したわけです。
    それが彼らにとっては、必要な歴史です。

    つまり、上辺は歴史戦といわれていますけれど、これは国家間の、実は文化的価値観の違いの問題でもあるわけです。
    良い悪いではなくて、世界には、そうした理不尽が、まだまだたくさん残っているということです。

    けれど私たちは日本人です。
    そして日本人にとって、必要なことは、事実としての明確な因果関係としての歴史であり、未来を担う力です。
    私たちは、そうした思考を、捨てる必要も、曲げる必要も、まったくないと思います。


    ※この記事は2016年3月のねずブロ記事の再掲です。
    日本をかっこよく!
    お読みいただき、ありがとうございました。


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    20230408 二項対立
    画像出所=https://www.irasutoya.com/2015/09/blog-post_816.html
    (画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
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    近年、光と闇の対立とか、善と悪の対立などといった言葉が流行っています。
    闇の時代が終わり、これから光の時代になる、といった具合です。
    しかし、本当でしょうか。

    そもそも二項対立論では、決して明かされることがない事実があります。
    それは、どこまでが闇で、どこまでが光なのか。
    あるいは、どこまでが善で、どこからが悪なのかという線引です。

    なるほど、誰がどうみても悪いものというのはあります。絶対悪と呼んでもいい。
    あるいは、光り輝くものもあります。絶対光とでもいうのかもしれません。

    けれど、ではどこまでが光の世界で、どこからが闇の世界なのかとなると、その境界線は曖昧です。
    明快に線引することなど、誰にもできることではありませんし、おそらくそれは神様であっても難しいのではないかと思います。
    なぜならこのような二項対立論というのは、物事を直線的な一次元で、しかもそれを極端にしか見ていないからです。

    一本の直線があり、その片端が光か善、その片端に闇や悪があるとします。
    中間点が「0ポイント」で。光や善が「+」、闇や悪が「ー」とします。
    しかし、その「0ポイント」がどこにあるかは誰にもわからない。
    それどころか、二項対立論や善悪二元論では、その「0ポイント」を示すこと自体、できない、のです。

    そもそも善から悪までの直線が、どこまでどの程度伸びているか自体がわからないことです。
    そうであれば、中間点となる「0ポイント」の位置など決めようがありません。
    つまり二項対立論や善悪二元論は、単に極端なものをあげているにすぎないということになります。
    ということは、それは「詭弁(きべん)だ」ということです。

    実際には、物事には「分布」があります。
    悪から善へ、闇から光へ。その直線となる「x軸」に、分布を示す「y軸」が加わることで、中央値や平均値が定まります。
    そして平均値がわかれば、分布の状態が、多くの場合、正規分布に従うことになります。

    光闇も善悪も分布なら、中央値あたりにいる人たちが最も多人数です。
    極端な光や、極端な闇、あるいは極端な善、極端な悪は、ごく少数です。

    テストの偏差値と同じです。
    偏差値50のあたりの生徒さんたちは、勉強ができるともいえるし、できないともいえる。そしてそんな子が、数の上では一番多くなります。
    逆に偏差値20以下や、80以上になると、その構成比は全体のわずか0.13%です。比率で言ったら740人にひとりの割合でしか発生しません。
    偏差値90になると、0.00317%、31500に1人の割合です。
    さらに偏差値99になると、その構成割合は 0.00000479183%です。

    何十万、何百万にひとりの割合にしかいないし、あるいは何十万、何百万の中には、必ず極右や極左が存在することになります。
    そうした、ごく一握りの人たちの意見に振り回されて、多くの人々の豊かで安全で安心できる暮らしが反故にされるなど、もってのほかです。
    さらにそうした極の人たちによって、多くの人々が二元論的に立て分けられることは、どうみてもおかしなことです。

    もっというと、この世は、二次元の平面の世界ではなく、平面に高さを加えた三次元世界です。
    三次元になると、分布に高さが加わりますから、中央の山に四辺が生まれます。
    これはたとえば、光の側にいるけれど性格の悪いやつ、悪の側にいるけれど性格の良いやつ、みたいなものが実際には存在してくるわけです。
    そして立体図形の分布(トップの図)は、どこで切るかによって、平面図形にしたときの分布図が変わってきます。
    つまり、平面図形での分布だけでは、明らかに物事を捉えるには不十分だということがわかります。

    実際の世の中には、これに時間軸(t軸)が加わります。
    時間は、明治以降、西洋文明に侵されて、いまでは多くの日本人が、
    「時間は過去から未来に向かって流れていくものである」と考えています。
    けれど、日本語を考えたらわかります。
    未来は「これからやって来る」のです。
    過去は「過ぎ去った昔」です。

    つまり、日本語の概念では、時間は「未来から過去に向かって流れている」のです。
    「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」です。

    時間は川に例えられますが、川の水は、上流から下流に向かって流れます。
    同様に、時間も、未来という川上から、過去という川下に向かって流れます。

    ですから、現在というポイントにいて、どのような未来を受け止めるかは、その人やその集団が、どのような未来を求めるかによって変わります。
    つまり、「いまこの瞬間の」選択によって、やってくる未来が変わるのです。

    過去は、「過ぎ去った」のですから、いつまで拘っていても仕方がありません。
    だから「水に流して」、より良い未来を受け止めることができるように、いまこの瞬間を明るく誠実に生きるのです。
    明るい未来にしたいなら、いまこの瞬間から明るくなることです。
    そうやって連続する明るさのところに、明るい未来がやってくるというのが、日本人の古くからの思想です。
    やってくる未来は、意思を持って選ぶことができるのです。

    十七条憲法の言葉です。第10条です。

    *******

    彼是則我非    彼を是(ぜ)し 我を非(ひ)し
    我是則彼非    我を是し 彼を非す    
    我必非聖     我は必ず 聖(きよ)からず
    彼必非愚     彼は必ず 愚(おろ)からず。
    共是凡夫耳    共に是れ 凡(なみ)の耳(みみ)
    是非之理能可定  是(こ)れ理(すじ)を 定むに非(あら)ず
    相共賢愚     相共(あいとも)に 賢愚なり。
    如鐶无端     鐶(たまき)の如く 端(はし)もなし。

    *******

    上では善悪二元論や二項対立論を直線上に置いて説明しましたが、聖徳太子はこれを「環(わ)」のようなものだと説かれています。
    だから、
     彼を是し 我を非し
     我を是し 彼を非す
     鐶(たまき)の如く 端(はし)もなし
    と述べています。

    ではどうしたら良いのかというと、同条は続けて以下のように述べています。

    *******
    是以   これもちて
    彼人雖瞋 彼人(ひと)に瞋(いか)ると 雖(いえども)と
    還恐我失 我が失(あやまち)を 恐れて環(まわ)り
    我獨雖得 我ひとり 得たりといえど
    従衆同擧 衆に従い 同じく挙(あ)げよ。
    *******

    自分が正しいと思って、異なる意見を持つ人に対して瞋(いか)りの感情が起きたとしても、
    まずは、自分が間違っているのかもしれないと思い、
    自分だけがわかっていると思っていたとしても、皆の意見に賛同しなさい、
    といった意味になります。

    ここにある「瞋(いかり)」という字は、仏教用語の三毒のひとつの瞋恚(しんい)を意味します。
    瞋恚というのは、怒りや憎しみの感情のことです。
    自分の心にかなわない対象への憎悪、と言ったほうがわかりやすいかもしれません。

    自分が正しいと思うあまり、相手を人を憎悪する。
    けれど、正しいか正しくないかは、環と同じで端がないことなのだから、まずは皆の意見を尊重して行きなさい、といった内容です。

    もっとも、少数意見や嘘や欺瞞でしかないのに、あたかもそれが多数意見であるかのように装う痴れ者も世の中にはいるわけです。
    当然のことながら、そこはしっかりと見極めて行かなければなりません。

    二項対立状態になったら心がけること。
    それは、
    意見が対立したら、本当に正しい答えは、その真中にある、ということではないかと思います。

    そこに答えがあるし、そうやってより正しい答えを求めていくところに、創意が生まれ、工夫が生まれる。
    そういうことを大切にしたきたのが、日本的思考であり行動です。


    ※この記事は2023年4月のねずブロ記事の再掲です。

    日本をかっこよく!
    お読みいただき、ありがとうございました。


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     いささか乱暴な書き方になりますが、日本人は、いわば羊の群れと同じです。リーダーが曲がると、全員が曲がった方に付いていきます。その意味で、日本社会をリードする優秀なリーダーは必要なのですが、偏差値40の高校に、偏差値75の秀才が入ってきても、それはただの突然変異株として、社会から排除されてしまうのです。
     国民の偏差値を、40から50に上げるだけで、トップ集団は偏差値65オーバーになります。55になれば、トップ集団は75以上となり、東大や早稲田慶應も視野に入るようになります。つまり、日本人社会全体のレベルアップが必要なのです。


    20240327 教室



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    学生時代に先生が教室で、杜甫の漢詩の「国破れて山河あり、城春にして草木ふかし」を読み上げて、
    「どうだみんな、すばらしい響きだろう?
     これが漢詩というものだ」
    と胸を張ってみせてくれたことがあります。
    けれどどうにも納得できない。
    なぜなら、先生は漢詩の「 国破山河在、城春草木深」を日本語で読み上げていました。
    つまり日本語の響きが「かっこいい」のであって、唐の時代の唐語で読んだわけではないのです。
    そのどこがどうすばらしのか、さっぱり理解できない。

    あるいは「春眠暁を覚えず、処処啼鳥を聞く」という漢詩があります。
    書いた孟浩然(もうこうねん)は、大酒飲みの遊び好きで、この詩を書いた場所は遊郭です。
    前の日の晩に遊びすぎて泊まった遊郭で大寝坊して、太陽が黄色く見えて「春眠暁を覚えず」と詠んでいるわけです。
    いったいそのどこが「素晴らしい」のか。

    そうかと思うと和歌については、たとえば山部赤人の有名な和歌、
    「田子の浦に うち出でてみれば 白妙の
     富士の高嶺に 雪は降りつつ」
    この歌は国語と社会の両方の教科書で習いますが、いずれも「この和歌は、風光明媚な田子の浦と富士山を詠んだ歌です」と教わります。
    けれど歌には「雪は降りつつ」と書いてあります。
    現在進行系で雪が降っているのです。
    雪が降っていたら、富士山は見えません。

    十七条憲法も同様です。
    戦後生の我々は、十七条憲法を「憲法だ」と教わります。
    これがそもそも怪しいのです。
    同様に「日本国憲法」と教わりますが、占領統治下で行われた日本国憲法は、そもそも英文の原題が
    「THE CONSTITUTION OF JAPAN」です。
    「Constitution」というのは、共同体の基本規程のことを言います。
    つまり「THE CONSTITUTION OF JAPAN」は、占領政府であるGHQが日本を統治するために日本人に与えた基本規程であり、もっというならGHQが占領統治下の日本人および日本人社会に与えた「日本人服務規程」です。
    「規程」と「憲法」では意味が異なります。
    「憲法」というのは「いつくしき、のり」であって、万古不易の典範です。
    「規程」は、単にそのときのものです。
    そういうことを教育でしっかりと教えずに、規程も憲法もごっちゃにして子どもたちに「ただ暗記せよ、テストに出るぞ」と迫るわけです。
    脅して脅迫して無理やり暗記させるわけです。
    そのような教育をしていて、道徳の授業を復活させようと言うと「子どもたちに価値観を押し付けるな!」。
    ホント、よく言うわ、です。

    おかしなものとしては、十七条憲法のイメージの刷り込みもひどいものです。
    十七条憲法といえば「和を持って貴し」が、まるで代名詞です。
    なるほどそのように十七条憲法の第一条に書かれていますが、第一条の趣旨は全然異なります。
    ちゃんと読んでみます。

    第一条
    《原文》
     一曰
     以和為貴 無忤為宗
     人皆有黨 亦少達者
     是以
     或不順君父 乍違于隣里
     然上和下睦 諧於論事
     則事理自通 何事不成


    《読み下し文》
    一にいわく。
    和(わ)を以(も)ちて貴(たっと)しとなし、
    忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。
    人みな党あり、また達(さと)れるもの少なし。
    ここをもって、あるいは君父(くんぷ)に順(したが)わず、また隣里(りんり)に違(たが)う。
    しかれども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて
    事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは
    すなわち事理(じり)おのずから通ず。
    何事(なにごと)か成(な)らざらん。


    《現代語訳》
    第一条
    和をもって貴しとして、
    人を恨んだりしてはなりません。
    人には誰にも信じるものがあります。
    また、達した人、つまり悟りを得たような人は、すくないものです。
    だから、人によっては主君や父の言葉に従わなかったり、また隣の人や、村同士で意見が異なったりします。
    けれども、上に立つ人から率先してやわらぎ、下の人たちもまずは仲良くすることを第一にして、様々な事柄をみんなで議論するときにこそ、大切な主張も通じるし、あらゆることが成就していくのです。


    ご一読しておわかりいただけるように、聖徳太子は、この第一条で、人々がただ闇雲に仲良くしなさいと述べているのではありません。
    なるほど書き出しは「和をもって貴しとなせ」ですが、続く言葉は「忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ」です。

    「忤(さから)う」という漢字は、見慣れない字ですけれど、この字の意味することは「呪道具の杵(きね)」です。
    これをつかって悪霊から身を護るとされている道具を指す漢字で、そこから転じて邪悪なものに拮抗し抵抗することを意味します。
    つまりここで言わんとしていることは、「相手を呪っちゃいけないよ」ということです。

    「相手を呪う」ということが、どういうことかというと、議論する際に、相手の人格攻撃等をしてはいけませんよ、ということです。
    議論というのはテーマが決まっているものであり、あくまでそのテーマに基づいて行われるものです。
    堤防工事をするのかしないのかと議論するときに、言葉遣いが乱暴であったり(これも呪です)、相手の人格を攻撃したり、必殺仕掛人を派遣したり(笑)するのは、ルール違反ですよと十七条憲法は述べているのです。

    「人みな党あり」の「党」は、訓読みが「たむら」で、人がたむろしている様子を意味します。
    人は、自分の思想信条に近い人達と集団を形成し、そうしてできた集団は、また個人に一定の志向を与えます。
    「また達(さと)れるもの少なし」では、「達する」という漢字を用いていますが、ここでいう「達する」は、何かを極めた人、一定の高みに達した人のことを意味します。

    要するに人には党があるし、達している人など、めったにいるわけではないのだから、人によっては主君や父の言葉に従わなかったり、また隣の人や、村同士で意見が異なったりしてしまうわけです。
    さらに、そうなったときに個人攻撃をする。
    個人や団体の名誉を損ねるような言動をとり、これによって互いに感情的な対立が生まれ、あげくは相手を呪ったりまでしてしまうわけです。
    呪うということは、相手が滅びることを願う行為ですから、つまり言論による対立が、ゆくゆくは物理的な紛争にまで至ってしまうわけです。

    だからこそ、上に立つ人から率先してやわらぎ、下の人たちもまずは仲良くすることを第一にして、様々な事柄をみんなで議論する。
    その議論のことを、十七条憲法では「論(あげつら)ふ」と呼んでいます。
    「論(あげつら)ふ」というのは、顔《面(おもて)といいます》をあげて議論することを言います。

    すこし解説が必要です。
    十七条憲法の制定に先駆けて、我が国では「冠位十二階」の制度が始まりました。
    これは、身分の上下を厳格に定めたもので、上の人の前では、下の者は常に顔を伏せていなければなりません。
    「おもてをあげよ」
    と言われて、はじめて顔をあげて良いわけです。
    ただしその場合も、相手(つまり上司)と直接目を合わせることはNGです。
    「おもてをあげよ」という言葉は、ただ、顔をあげてよい、というだけのことで、上司の方を向け、と言っているのではないからです。

    これだけの厳格な身分制を前提として、次のステップとして十七条憲法が存在します。
    そして十七条憲法では、
    「身分制はあるけれど、
     大事なことは
     上下の境なく、
     互いに顔をあげて
     ちゃんと議論しなさい」
    と述べているわけです。
    だから「論(あげつら)ふ」なのです。

    よく聞く言葉に、「日本人は議論が下手だ」というものがあります。
    実はとんでもない話で、幕末の志士たちも、明治の人たちも、軍人さんであっても、必要なときには必要なだけ、ときに激しく議論する、ということが普通に行われていました。
    だからこそ日本人は、鎖国以前の時代にも欧米列強に対して「タフ・ネゴシエーター」であったし、だからこそ日本は植民地支配を受けることなく鎖国することもできたのです。

    それを聖徳太子の十七条憲法の、第一条の最初の言葉だけを切り取って、
    「日本人は和をもって貴しとなす民族なのだから、
     議論がヘタで苦手である」
    などと、もっともらしい事を言う。
    これを左の人たちの「自作自演」といいます。

    欧米ではディベートが盛んで、賛成派となって議論したら、今度は反対派となって議論するということが、訓練として盛んに行われています。
    実はかつての日本でも同じで、ひとりひとりが歴史の当事者となって・・・つまり家康や信長になって、一定の決断をどうしてくだしたのかを、考え、披露し、互いに磨きあうということが普通に行われていました。
    これはつまり、ディベートそのものでもあるわけです。

    要するに、十七条憲法の第一条は、「仲良くしなさい」と言っているのではなく、「しっかりちゃんと議論しましょう」と言っているのです。
    しかも議論の際には、相手を呪う、つまり人格攻撃をしてはいけませんよ、と述べています。

    振り返って現代を御覧ください。
    政治に関する報道は、ちゃんと議題についての意見ではなく、ことごとく政治家個人への中傷になっていませんか?
    それを視聴して、視聴者がなんとも思わないというのは、現代日本人の頭がおかしくなってはいませんか?
    そしてその理由が教育にあるとしたら、まさにそれは教育の大罪ともいうべきものではないでしょうか。

    GHQは、日本に上陸した年である昭和20年12月31日に修身、日本史および地理教育の「無期停止」を発令しています。
    これを受けて文部省は昭和22年に、同教育の「廃止」を宣言しました。
    占領軍さえ、いわば「一時停止」にとどめたものを、日本の文部省が「廃止」にしてしまったのです。
    これは、「そのクルマ、一時停止しなさい」と言われたので、
    クルマそのものを廃車にしましたー!みたいなものです。
    そして廃止状態は、いまも続いています。

    そもそもGHQがどうして日本の「修身、日本史および地理教育」を停止せよと言ったのかというと、この三教科が、日本人の思考力や洞察力を養い、日本人の民度を爆上げさせていると知っていたからです。
    そしてこの三科目の教育を奪われた日本人は、思考力を失い、ただ暗記することしか能のない人たちが社会のエリートと言われるようになりました。

    記憶力が良くて思考力のない人に、現状の変更はできません。
    だって自分の頭で考えることができないのです。
    ですから日本国政府が言う「自主的に決めます」は、そのまま「米国の言う通りにします」という意味と同義になります。

    そのような人たちに日本を変えるというのは、およそ不可能に近いことといえます。
    日本は、思考力や洞察力を取り戻した人たちによって変わるのです。
    ということは、日本が目覚めるためには、民衆が思考力と洞察力を取り戻していく必要がある、ということです。

    いささか乱暴な書き方になりますが、日本人は、いわば羊の群れと同じです。
    リーダーが曲がると、全員が曲がった方に付いていきます。
    その意味で、日本社会をリードする優秀なリーダーは必要なのですが、偏差値40の高校に、偏差値75の秀才が入ってきても、それはただの突然変異株として、社会から排除されてしまうのです。
    国民の偏差値を、40から50に上げるだけで、トップ集団は偏差値65オーバーになります。
    55になれば、トップ集団は75以上となり、東大や早稲田慶應も視野に入るようになります。
    つまり、日本人社会全体のレベルアップが必要なのです。

    何について?
    思考力と洞察力についてです。
    全体のレベルが上がると、集団のリーダーのレベルがあがり、社会が良い方向に変革されるのです。



    日本をかっこよく!
    お読みいただき、ありがとうございました。


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  • 日本人に日本語が通じない


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    20210308 国語
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    最近の老人(主に70代以上)の方は、若者の話す日本語の単語の8割が理解できないという話があります。
    8割という数字の根拠になるものまでは知りませんし、興味もありませんが、若者言葉が年寄りの話す日本語と、かなり違ってきているというのは事実であろうと思います。

    代表的なものをいくつかあげてみたいと思います。
    店員「レジ袋はご利用ですか?」
    お客「はい、大丈夫です」
    (必要なのか必要でないのか、どっち!?)

    若者「最近さあ、この情報がバズってんだよね」
    老人「???」
    (バズるというのは、情報があっという間に広がることをいいます)

    老人「君たちは仲間同士なの?」
    若者「俺たちクラスタさ」
    老人「コロナですか?!」
    (クラスタは単に集合体とか仲間の意味で使われている)

    若者「みつです」
    老人「え、二人だよ?」
    (若者言葉で「みつです」は、距離が近いという意味)

    若者「今度の土日でおしゃピク行かない?」
    老人「それどこのお店?」
    (おしゃピクはおしゃれなピクニックの意味)

    早く帰ろうとする若者に
    老人「君、もう帰るのかい?」
    若者「今日はいえきゃんっす」
    老人「何のキャンセル?」
    (いえきゃんは、自宅でキャンプするという意味)

    若者「ちーぎゅう食べてえ」
    老人「和牛じゃないの?」
    (ちー牛は、チーズ牛丼の意味)

    老人「彼女はどうして泣いてるの?」
    若者「ぱおんですよ」
    (ぱおんは悲しみに沈んでいるという意味)

    若者「おじさん、すぱだりだよね〜」
    老人「うん。スパゲティ好きだよ」
    (すぱだりは、スーパーダーリンの意味)

    この他にも色々あるのでしょうけれど、昔はこういった言葉は、一定のコミュニティの中だけの隠語(いんご)という扱いだったものが、最近では、若者の間には一般用語として定着しています。
    SNSやネットをやらない老人は、もうまったく言葉がわからないし、通じない。

    世代間の断絶ということ言われるようになって久しいけれど、最近では、お年寄りと若者の間での共通の情報になるものさえも、疑わしくなっているようです。
    早い話、最近の若者は新聞を読まないし、テレビも観ない。
    テレビについていえば、一人暮らしの若者で、テレビを持っていない子の方が、いまや多いといわれています。

    そして次々と新しい造語がネットのなかで生まれ、それが拡散され、若者の間では一般用語になる。
    新聞やテレビしか情報源のないお年寄りは、時代から完全に隔離されてしまい、若者たちと共通の言葉での会話さえも怪しくなってきているというのが、昨今の日本の情況です。

    おもしろいことに、アメリカの場合、キリスト教の教会が、世代間の取り持ちをしているところがあって、こうした言葉による世代格差というものは、ほとんどありません。
    日本の場合は、宗教のしばりがない分、いったん言語格差がはじまると、世代間で、言葉が通じないといった問題に直結するわけです。

    幕末までは、外国語を用いる場合でも、わざわざそれを日本人にわかりやすいように、日本語に翻訳して用いていたものが、明治の中頃から、欧米崇拝が広がり、さらに戦後には、古いものは価値を持たないといった、おかしな考え方が蔓延した結果、徐々に世代間の言語格差が生じ、いまやそれがピークに近づいてきているといった見方もあるようです。

    とりわけ日本語教育をおろそかにし、その日本語教育さえも、文中の「それ」は何を指すかとか、テニヲハの使い方がどうのこうのとか、テストで採点しやすいことばかりが、国語教育の中心となった結果、相手を敬い尊重するという日本語の持つ独特な言語空間が、いまや崩壊しようとしているわけです。

    国際化社会の中で、英語教育の重要性はわかりますが、だからといって日本語教育をおろそかにしても良いという理屈は成り立ちません。
    なぜなら、わたしたち日本人は、日本語で考え、日本語で行動し、日本語でコミュニケーションを取るからです。

    逆にいえば、国語を失うということは、思考力、行動力、コミュニケーション力を損ねることになるといえるわけです。

    責任ある社会人とって大切なことは、自分の頭で考え、行動し、同じ共同体の一員としてコミュニケーションをとることができることです。
    国家が行う教育はそのためにあります。
    それができない日本人が増えています。
    これは戦後の文科省の大罪です。


    ※この記事は2021年3月のねずブロ記事の再掲です。
    日本をかっこよく!
    お読みいただき、ありがとうございました。


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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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