• 武術の始まり 建御雷神


    武術は、一朝一夕に成立するものではありません。何百年、何千年と伝承されていく中で、何人もの天才的武術家が、師匠に教えられた武術にさらに工夫を重ね、それが絶えることなく伝承され続けなければ、成立しえないものです。建御雷神の武術神話が、どれだけ古い昔のものかは、大国主神ゆかりの出雲大社の創建が、いつなのかわからないほど、古い昔であったということ以外はわかりません。それだけ古くから、伝承され、工夫され続けてきた日本古来の武術もまた、私達が絶対に大切に守り抜いていかなければならない日本文化です。

    神谷宗幣『紙芝居 古事記』
    20220331 建御雷神
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    タケミカヅチノカミは、古事記では「建御雷神」、日本書紀では「武甕槌神」と書かれます。
    葦原の中つ国、つまり地上の国を大いなる国に育てあげた大国主神に、
    「天照大御神【あまてらすおほみかみ】、
     高木神【たかぎのかみ】の命【みこと】以【も】ちて
     問【と】ひに使之【つか】はせり。
     汝【いまし】の宇志波祁流【うしはける】
     この葦原中国【あしはらのなかつくに】は、
     我【わ】が御子【みこ】の所知【し】らす国【くに】と
     言依【ことよ】さし賜【たま】ひき。
     故【ゆゑ】に汝【いまし】の心【こころ】は奈何【いかに】」
    と国譲りを迫った神様です。

    古事記では、このとき建御雷神は、
    「十掬剣【とつかのつるぎ】を抜き放ち、
     その剣を逆さまに波の上に刺し立てると、
     その剣の切っ先の上に大胡座【おおあぐら】をかいて
     大国主神に問い迫った」と記述しています。

    日本書紀は少し違っていて、
    「十握剣【とつかのつるぎ】を抜きはなち、
     その剣を地面にさかさまに植えるかのように突き立てて、
     その切っ先の上に堂々と座る」と書いています。

    古事記は「海の波の上」、日本書紀は「地面」に剣を突き立てたとしているのですが、両者とも、その切っ先の上に大胡座をかいて座ったというところは一致しています。

    神々の技【わざ】ですから、本当に剣の切っ先の上に座られたのかもしれません。
    ですが普通には、そのようなことは奇術でもなければ、現実的には、まずありえないことですし、そのようなことは記紀が書かれた古代においても、誰でもわかることです。

    子供が神話を読むのと、大人が読むのとでは、あたりまえのことですが、そこから得るものが異なります。
    まして記紀は、いずれも全文漢字で書かれており、天皇の命令で編纂が始まり、天皇に献上された史書です。
    そのような史書に、荒唐無稽で非論理的なことを書くのかといえば、答えはNOです。
    ということは、この記述は、別な何かを象徴している、ということになります。
    大人が読むときには、そういう見方、そういう読み方をしなければなりません。

    大国主神の側は、大軍を率いている大いなる国の主です。
    そこへ乗り込んだ建御雷神が連れているのは、天鳥船神【あめのとりふねのかみ】ひとりです。
    ところがそんな建御雷神は、いきなり大王である大国主神に直談判をしています。
    もちろん高天原からの使いですから、直接国王に面会が可能であった可能性はあります。
    それでも「剣の切っ先の上に大胡座【おおあぐら】」というのは、不思議な描写です。

    この点について、日本書紀は、経津主神【ふつぬしのかみ】と、武甕槌神【たけみかづちのかみ】の系譜を先に述べています。

     ▼経津主神【ふつぬしのかみ】の系譜
    【祖父】磐裂根裂神【いはさくねさくのかみ】
    【父母】磐筒男【いわつつを】、磐筒女【いはつつめ】
    【本人】経津主神【ふつぬしのかみ】

    ▼武甕槌神【たけみかづちのかみ】の系譜
    【曾祖父】稜威雄走神【いつのおはしりのかみ】
    【祖父】 甕速日神【みかはやひのかみ】、
    【父】  熯速日神【ひのはやひのかみ】
    【本人】 武甕槌神【たけみかづちのかみ】

    ここで祖父や父として書かれている神々は、古事記では、いずれも火の神が生まれることでイザナミが亡くなったときに、夫のイザナギが子の火の神を斬り、このときに飛び散った血から生まれた神として登場している神々です。
    「飛び散った血から生まれた」ということは、数々の戦いから工夫を凝らして生まれた剣であるということを象徴的に描いているのかもしれません。
    そしてフツヌシと、タケミカヅチは、古事記では兄弟神としての記述ですが、日本書紀は親子としています。

    その系譜を見れば、祖父や父の神々の名は、いずれも剣に関係しています。
    磐裂根裂神【いはさくねさくのかみ】は、岩さえも根っこから斬り裂く御神刀を意味する御神名です。
    子の磐筒男【いわつつを】、磐筒女【いはつつめ】は、それだけ鋭利な剛剣を筒に入れる、すなわち鞘【さや】に収めている状態を示します。
    そこから生まれた経津主神【ふつぬしのかみ】は、日本書紀に登場する神【古事記には登場しない】ですが、後に香取【かとり】神宮【千葉県香取市】の御祭神となる神様です。
    別名を、香取神、香取大明神、香取さまといいます。

    武甕槌神【たけみかづちのかみ】は鹿島神宮の御祭神です。
    香取神宮と鹿島神宮は、利根川を挟んで相対するように位置し、両神ともに我が国の古来の武神です。
    流派はそれぞれ鹿島神流、香取神道流といいます。
    いずれも我が国武術の正統な系譜であり、とりわけ香取神道流は、現存する我が国最古の武術流儀といわれています。
    いずれも最低でも二千年、もしかしたら数千年もしくは万年の単位の歴史を持つ武術です。

    二千年前なら弥生時代、数千年前なら縄文時代です。
    弥生時代の遺跡からは、剣や槍が発掘されていますが、縄文時代にはそのような武器が用いられた痕跡となる遺物がありません。
    また武器によって怪我をしたと思しき人骨も出土していません。

    しかし武器がないということが、武術を生まなかったことの証拠にはなりません。
    というのは、日本古来の武術は、むしろ武器の存在さえも不要としてしまうような技の集大成でもあるからです。
    ちなみに、最近の研究では、縄文時代中期には青銅器、弥生時代には、すでに鉄器が使われていたことがわかっていますから、そうした古い時代から、なんらかの刀剣類が用いられていた可能性は否定できません。

    戦いというのは、普通なら、体が大きくて力の強い者が有利です。
    早い話、どんなに強くても、武術を知らない大人と武術を知る小学生なら、大人が勝ちそうです。
    ところが日本古来の武術では、そんな大人が、小さな子どもに手もなく投げ飛ばされてしまうのです。

    このような武術の工夫は、一朝一夕に完成するものではありません。
    天才的技能を持った人が現れ、その技能が伝承され、さらに世代を重ねるごとに技術が工夫され、それが何百年、何千年と蓄積されることで、信じられないような武術になっていきます。

    残念ながら、海外の諸国には、そうした武術の伝承がありません。
    もちろんチャイナにもありません。
    世界中どこの国でもそうなのですが、歴史において偉大な武術家が何人も現れていても、王朝が交代する都度、そうした武術家は、その都度、皆殺しにされているからです。
    とりわけ強い武術流派は、新政権にとっては恐怖そのものです。
    皆殺しどころか、一族郎党全員が殺されます。
    つまりこの世から消滅してしまうのです。

    西欧も同じです。
    米国には「マーシャルアーツ【martial arts】」と呼ばれる軍隊格闘技がありますが、マーシャル・アーツという言葉は、実は日本語の「武芸」を英訳した言葉です。
    文字通り「武の」【martial】「芸」【arts】です。
    新しいのです。

    白人社会に武芸が存在しなかったということは、絶対にありえません。
    様々な武術が歴史の中で工夫され、伝承してきたものと思います。
    けれど、それら全ては、歴史の中で消滅してしまっているのです。

    ところが日本では、何千年も前から工夫され、伝承されてきた武術が、途切れることなく伝承されてきています。
    そして時代の中で、天才と呼ばれる達人が多数現れ、伝承されてきた武術にさらに工夫をこらし、技を磨いてきた歴史を持ちます。
    また武者修行といって、一定の練達者が、遠く離れた他流派の道場に学びの旅をして技術交換をして、さらに技能を高めるといったこともさかんに行われてきました。
    こうして数百年、数千年と磨かれ続けてきたのが、実は日本の古来の武術です。

    よく中国武術を古いものと勘違いしておいでの方がいますが、中国武術もまた、実は日本の武術が大陸に渡って成立したものだという意見があります。
    筆者はむしろそれが正しい歴史であろうと思っています。

    それにしても、たった二人で、大軍を要する大国主神に直談判するというのは、これは大変なことです。
    もちろん中つ国は敵地ではありませんが、それでも何十、何百という軍勢を前にしての談判ですから、そこで圧倒的な武術が示されたのでしょう。
    このことが、「切っ先の上に大胡座をかいて座った」という描写に集約されているのではないかと思います。

    さらにその後に行われた建御雷神と、大国主神の子の建御名方神【たけみなかたのかみ】との戦いの描写は、我が国古来の武術の姿を垣間見せるものになっています。

    相手となる建御名方神【たけみなかたのかみ】は、千人が引いてやっと動くような大きな岩をひょいと持ちあげてやってたとあります。
    これは建御名方神が、相当な力持ちであったことを意味します。
    そして、
    「ワシの国に来て、こっそり話をするのは誰だ!」と問い、「ワシと力比べをしようではないか」と申し出ると、「まずはワシが先にお主の腕を掴んでみよう」と、建御雷神の手を取ろうとします。
    すると建御雷神の手が、一瞬にして氷柱のような剣に変わり、建御名方神が恐れをなして引き下がったとあります。

    今度は建御雷神が、
    「お前の手を取ろう」と提案して手をとると、その瞬間、建御名方神は、まるで葦の束でも放り投げるかのように、飛ばされてしまいます。
    飛ばされた建御名方神が逃げると、それを遠く諏訪まで追って行って降参させています。

    古事記のこの描写は、「これが我が国の相撲【すもう】のはじまり」と言われますが、力と技のぶつかりあいである相撲よりも、これもまた日本の古武術をそのまま紹介しているものと読めるのです。
    なぜなら、日本の古武術では、相手に触れられれば、触れられた場所がそのまま凶器のようになり、また、相手に触れれば、その触れた部位を、そのまま相手の急所にしてしまいます。

    アニメの「北斗の拳」では、「経絡秘孔をピンポイントで突く」といった描写がなされていますが、それはアニメやマンガのなかでの話です。
    実践で動く相手を対象に、ピンポイントでツボを突くというのは、現実にはかなり難しいことです。
    ですから日本の古武術では、相手に触れたその場所を秘孔にしてしまいます。
    また、相手に触れられれば、その瞬間に触れられたところを凶器に変えてしまいます。
    そして、気がつけば、遠くに投げ飛ばされてしまいます。
    このことが、腕が、手が、鋭利な氷の剣となり、また相手をまるで紙人形でも倒すかのように投げ飛ばしたという描写になっていると考えられるのです。

    記紀が書かれたのは、いまから1300年前です。
    建御雷神の戦いは、まるで魔法のような武術によって建御雷神が勝利した物語ですが、古事記が書かれた1300年前には、すでにこうした、まるで魔法のような武術が実際に存在していたことを示しています。
    そして武術がそこまで進化するには、やはり何千年という武術の技術の蓄積がなければならないといえます。

    ひとつ個人的な体験をお話します。
    それはある福岡にある古武術の大東流武門館を尋ねて、大隈先生と対談したときのことです。
    先生は、木刀を渡して、「これで打ちかかって来なさい」というのです。
    これは恐ろしいことです。
    下手をすれば先生に大怪我をさせかねない。
    だから遠慮したのですが、
    「構わないから全力で打ちかかってきなさい」と、こうおっしゃる。

    そこまで言われるなら、相手は先生なのだしと腹を決めて、言われた通りに全力で上段から先生に面を打ち込むことになりました。
    先生は防具すら付けていません。
    手には何も持っていません。
    だから真剣白刃取りのようなことをするのかな、と思いながら、面を打ち込みました。

    自慢するわけではありませんが、筆者も多少の心得はあります。
    面打ちの速さには、多少の自信もあります。
    そこで【本当は怖かったけれど】丸腰の先生に向かい、すり足で距離を詰めながら「エイッ」と木刀を振り下ろそうとしました。

    ところがその瞬間、筆者は凍りついてしったのです。
    先生が腰をすこしかがめて、手刀を突き出したのです。
    それは、ただ手刀を、顔の少し前に突き出しただけです。
    手刀は確実に私の喉元をうかがっていました。

    その結果何が起こったのかというと、振り下ろそうとした私の木刀が停まりました。
    そして身動きがつかなくなりました。
    どうしてよいかわからず、そのまま固まってしまったのです。
    その固まった私から、先生は悠々と木刀を取り上げました。
    気がつけば木刀を打ち込もうとした私は、刀を振り下ろそうとした姿勢のまま、ただ木偶の坊のように突っ立っているだけとなっていました。
    その姿勢のまま木刀を取り上げられ、その姿勢のまま固まっていました。
    この間、ほんの一瞬のことです。
    そしてこれが日本古来の武術の凄みだと理解しました。

    何が起こったのかは、いまだによくわかりません。
    ひとつの理解は、肉体を使って木刀を振り下ろそうとした私は、霊【ひ】を抜かれてしまったのかもしれないということです。
    人は霊【ひ】の乗り物です。
    霊【ひ】を抜かれると、肉体の動きは停止してしまいます。
    そして肉体が停止しているから、先生は悠々と、固まっている私から木刀を奪い取った。
    その間、筆者の肉体は、ただ固まっているだけった・・・・と、そういうことかもしれません。

    これは筆者が実際に体験したことですが、そこには、スポーツ化した現代武道とはまったく異なる、日本古来の伝統的武術がありました。
    そしてその武術は、こうして経津主神【ふつぬしのかみ】と武甕槌神【たけみかづちのかみ】にまで遡る、武道の古流の心技体の技術の上に成り立ちます。
    そしてそれは、いわゆる世界の格闘技とは、まったく一線を画する凄みのある世界です。




    ※この記事は2022年3月の記事のリニューアルです。
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  • 国語教育が失っているもの


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    このようなことが公然と起こるのも、戦後の国語教育の大罪です。

    20210308 国語
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    最近の老人(主に70代以上)の方は、若者の話す日本語の単語の8割が理解できないという話があります。
    8割という数字の根拠になるものまでは知りません。
    興味もありませんが、若者言葉が年寄りの話す日本語と、かなり違ってきているというのは事実として賛同します。

    代表的なものをいくつかあげてみたいと思います。
    店員「レジ袋はご利用ですか?」
    お客「はい、大丈夫です」
    (必要なのか必要でないのか、どっち!?)

    若者「最近さあ、この情報がバズってんだよね」
    老人「???」
    (バズるというのは、情報があっという間に広がることをいいます)

    老人「君たちは仲間同士なの?」
    若者「俺たちクラスタさ」
    老人「コロナですか?!」
    (クラスタは単に集合体とか仲間の意味で使われている)

    若者「みつです」
    老人「え、二人だよ?」
    (若者言葉で「みつです」は、距離が近いという意味)

    若者「今度の土日でおしゃピク行かない?」
    老人「それどこのお店?」
    (おしゃピクはおしゃれなピクニックの意味)

    早く帰ろうとする若者に
    老人「君、もう帰るのかい?」
    若者「今日はいえきゃんっす」
    老人「何のキャンセル?」
    (いえきゃんは、自宅でキャンプするという意味)

    若者「ちーぎゅう食べてえ」
    老人「それどこの牛?」
    (ちー牛は、チーズ牛丼の意味)

    老人「彼女はどうして泣いてるの?」
    若者「ぱおんですよ」
    (ぱおんは悲しみに沈んでいるという意味)

    若者「おじさん、すぱだりだよね〜」
    老人「うん。スパゲティ好きだよ」
    (すぱだりはスーパーダーリンの意味)

    この他にも色々あるのでしょうけれど、昔はこういった言葉は、一定のコミュニティの中だけの隠語(いんご)という扱いだったものが、最近では、若者の間には一般用語として定着しています。
    SNSやネットをしない高齢者には、もうまったく言葉がわからないし、通じません。

    世代間の断絶ということ言われるようになって久しいけれど、最近では、お年寄りと若者の間での共通の情報になるものさえも、疑わしくなっているようです。
    早い話、最近の若者は新聞を読まないし、テレビも観ない。
    テレビについていえば、一人暮らしの若者で、テレビを持っていない子の方が、いまや多いといわれています。

    そして次々と新しい造語がネットのなかで生まれ、それが拡散され、若者の間では一般用語になる。
    新聞やテレビしか情報源のないお年寄りは、時代から完全に隔離されてしまい、若者たちと共通の言葉での会話さえも怪しくなってきているというのが、昨今の日本の情況です。

    おもしろいことに、アメリカの場合、こうした言葉による世代格差がほとんどありません。
    理由はひとつにはキリスト教の教会が世代間の取り持ちをしているとともいいますが、やはり教育の影響が大きいと思います。
    日本の場合は、教育そのものが崩壊しており、世代間を取り持つ共通の文化そのものが壊れています。
    そうしたなかでいったん言語格差がはじまると、世代間で、言葉が通じないといった問題に直結します。

    幕末までは、外国語を用いる場合でも、わざわざそれを日本人にわかりやすいように、日本語に翻訳して用いていたものが、明治の中頃から、欧米崇拝が広がりました。
    けれど世代間で言葉が通じないという、このおかしな現象は、戦後に蔓延した「古いものは価値を持たない」という、おかしな思想によるものであろうと思います。

    特に問題なのが「国語教育」です。
    国語教育で行われていることは、文中の「それ」は何を指すかとか、テニヲハの使い方がどうのこうのとか、テストで採点しやすいことが教育の中心になっています。
    その文意はどのようなものかとか、文中にないけれど、筆者が本当に言いたかったことは何かといった、ストーリーから筆者の想いを察し、それがなぜそのようにいえるのかを論証するといった高度な日本語教育は、いまではほとんど影を潜めています。

    日本文化というのは、その根幹にあるのが「察する文化」です。
    「おまえなんか嫌いだよ」
    と口では言っているけれど、その言葉の裏には相手のことを心から愛している、自分以上に相手のことを気遣い、大切に思っているといった感情が働いているといったことを、その全体から察していく。
    これが日本の文化です。

    阿倍仲麻呂の歌に、
     天の原ふりさけ見れば春日なる
     三笠の山に出でし月かも
    という歌があります。

    単純に文意だけ見れば「春の日に夜空を仰いだら三笠の山に月がでているらしい」となります。
    ♪月が〜出たでた、月がぁ出たぁホイホイ
    というわけです。
    新月以外の日なら、夜空を見上げれば月が出ています。
    そんなあたりまえのことを歌にして、何が面白いのか。
    阿倍仲麻呂はとても偉い人だというけれど、古代の人は、月が出たと詠んだだけで、素晴らしい和歌と言ってもらえたのだから、昔の人はアホばかりだったんだなあ・・・と思わせるような解釈だから、この歌を学ぶことがあれば、そこでは、
    「ふりさけ」とは何か、文法的にどういう使われ方がされているのか、といった文法だけが強調して教えられることになります。

    けれど阿倍仲麻呂はこの歌で、月が出た出た、わぁい♪と言いたかったのではありません。
    そのことは、歌をよく見ればわかります。
    「月かも」と詠んでいます。
    「月かも」というのは、月みたいだねえ、といった意味になります。

    遣唐使として派遣され、あまりに優秀であったがゆえに唐の国に留め置かれた阿倍仲麻呂が、35年も前に日本を出るとき、春日で送別会を営んでもらった。
    この時代は照明といえば行灯くらいしかありませんでしたから、こうした大きな宴会等は、たいてい満月の夜、つまり夜が満月によって明るく照らされる晩に行われました。
    あのとき見上げた空には、まあるいお月さまがかかっていた。

    いま、唐の国から見上げる空にも、あのときと同じ月がかかっているなあ。
    帰りたいなあ、日本に。

    そんな想いを阿倍仲麻呂は和歌に託しているとわかります。

    さらにいえば、百人一首の7番歌として藤原定家がこの歌を採用したのは、唐の国の高官としてあらゆる便宜特権を与えられた阿倍仲麻呂でさえも、唐の国より日本のほうが良い国、素晴らしい国と思っていた、それだけ日本というのは、素晴らしい国だったのだよ、という趣旨を後世に伝えたかったのかもしれない。
    そのよう強い思いを、たった31文字の和歌が伝えているのです。

    国語教育というのは、単にテニヲハを教える教育ではありません。
    もちろん正しい日本語を教えることも大切ですし、漢字や平仮名、単語の意味などを教えることも大事なことですが、それ以上に国語は、本来、日本文化の根底にある察する文化を教えるものでなければならないものです。

    けれど、筆者の想いを察する、文ではなく、文意から筆者の思いを察し、そこから何を感じ取るかといったことは、読む人によって、みんな、少しずつ違っているものです。
    正解は、ないのです。
    ということは、これはテストで採点できることではない。
    もちろん受験には関係ない。
    だから戦後教育では無視されています。

    このため、察しようとする老人と若者の会話、つまり冒頭の若者と老人の会話が、逆であれば、これは世代間の壁になってしまいます。
    たとえば、
    若者「みなさんは仲間同士なのですか?」
    老人「わしらはクラスタじゃ」
    若者「はぁ?何いってんのかわかんねえ〜」

    冒頭の会話は、こうなっていました。
    老人「君たちは仲間同士なの?」
    若者「俺たちクラスタさ」
    老人「コロナですか?!」
    老人の側は、若者の言葉の意味を一生懸命察しようと心がけているのです。
    けれど逆転した会話では、たったこれだけの会話で、若者と老人の間に壁が生まれてしまっています。
    つまり、コミュニケーションの障害が生じてしまっているのです。

    国語を失うということは、思考力、行動力、コミュニケーション力を損ねることになるのです。

    責任ある社会人とって大切なことは、自分の頭で考え、行動し、同じ共同体の一員としてコミュニケーションをとることができることです。
    国家が行う教育はそのためにあります。
    それができない日本人が増えています。

    国会の高市大臣の発言をめぐる予算委員会与野党の質疑では、与野党の議論はまったく噛み合っていません。
    日本がこれほど大変な情況にあるなかで、そもそも国会でそんなつまらないことを延々と議論することなど、おそらく国民の誰も求めてなどいません。

    このようなことが公然と起こるのも、戦後の国語教育の大罪です。


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    ■□■━━━━━━━━━━━━━■□■
    3月の倭塾は、3月26日(日)13時半から開催です。
    場所は今回から富岡八幡宮の婚儀殿です。
    テーマは「日本精神を築いた十七条憲法」です。
    参加自由で、どなたでもご参加いただくことができます。
    皆様のふるってのご参加をお待ちしています。
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    ■□■━━━━━━━━━━━━━■□■

    「勁い」という漢字は、機織りの布の様子を象形化した文字です。
    一本の糸が、縦糸と横糸がしっかり重なることでじょうぶな布になります。
    つまり「勁さ」とは、「繋ぐ力」です。

    20220318 春の嵐
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    日本の歴史について、多くの方が学校で習うのは、いつ、どこで、何があったか、だけです。
    それだけならまだしも、全体の流れとしては近隣諸国条項に基づき、
    1 日本の文明文化は、チャイナから朝鮮半島を経由して5世紀頃にもたらされた
      それまでは未開の原始時代のような生活をしていた。
    2 渡来人によってようやく文明開化した日本人は、中央集権的な国を築いて、江戸時代まで庶民からの厳しい収奪を行った。
    3 政府は欲望のために庶民を蹂躙するものであり、さらに明治以降は軍国主義によって国民はおろか、周辺国への侵略まで行った。
    とする教育が行われています。

    これは、学校で教わっているのが、あくまでも社会科の歴史的分野であって、歴史ではないからです。
    多くの人は、日本史や世界史の授業を歴史教育だと思っていますが、それは違います。
    教わっているのは、あくまで社会科です。

    社会科は、現在社会で常識になっていることを教わる科目です。
    ですから、鎌倉幕府なら「1192(いい国)つくろう鎌倉幕府」で、過去に鎌倉に幕府があったこと、それが成立したのが1192年であったことを覚えれば足ります。
    けれど、歴史教育なら、何年にできたかよりも、なぜ鎌倉に幕府が生まれたのかという、歴史の流れを学ぶことになります。

    さらに上記のような、歴史としては明らかに怪しげ、というより実際には存在しなかった内容であっても、社会科なら、そのような主張をしている国や学者がいれば、それは社会常識として生徒に教える対象となります。
    加えて近隣諸国条項に基づき、中韓の思想や考えを教育に取り入れなければならないとなれば、なおのこと、実際の歴史とはかけ離れた社会科性が全面に出てくることになります。
    それを実際にあった歴史と生徒が誤解するかどうかは、社会科であれば関係ないことになります。

    拙著『庶民の日本史』や、『日本建国史』、『縄文文明』などは、過去の事実をもとに、それをストーリー化したものです。
    文中に年号はほとんど出てきません。
    あくまで過去に実際にあった出来事を、時系列に、納得がいくようにストーリー化して記述しています。

    これらの著書で、

    1 日本文明は、世界に先駆けた万年の歴史を持ち、高い文明で世界に影響を与えた。
    2 日本は庶民が主役の国であり、庶民が豊かに安全に安心して暮らせる国を築いてきた。
    3 このため世界中の諸民族が日本を訊ねてきて、日本に帰化した。

    4 我が国は世界で唯一、古代から国家最高権威と国家権力を切り離してきた。
      こうすることで我が国は、究極の民主主義を手に入れてきた。
    5 その日本は明治の文明開化以降、有色人種唯一の文明国として、白人至上主義と戦わざるを得なくなり、激しい戦いによって、世界から植民地を駆逐した。
    6 日本はいまだ、その激しい戦いの痛手の中にあるが、日本人は万年の昔から世界に良い影響を与え続けてきたことをあらためて自覚し、より良い未来、より良い国、より良い世界の構築に向けて、我々自身がしっかりと生きていかなければならない。

    という流れを記述しています。
    1〜5までが歴史です。
    そして6がその歴史から導き出さえる筆者なりの結論です。

    真実の歴史は、心をつよくします。
    その「つよさ」には、実は二通りがあります。

    ひとつは、物理的精神的に相手を圧倒する「強さ」、英語なら「パワー(Power)」です。
    チャイナなどは、歴史教育は、その「パワー」のために行われます。
    歴史は、相手より「優位に立つ力」となると考えられているからです。
    したがって、そんな歴史教育に、真実は必要ありません。時系列である必要もない。
    嘘であっても、過去のストーリーがパワーになりさえすれば良いと考えられているからです。
    だから日本軍悪玉論が展開されます。

    いまひとつは「疾風(しっぷう)に勁草(けいそう)を知る」の「勁さ」です。
    「勁い」という漢字は、機織りの布の様子を象形化した文字です。
    一本の糸が、縦糸と横糸がしっかり重なることでじょうぶな布になります。
    つまり「勁さ」とは、「繋ぐ力」です。
    ひとりではなく、みんなでいっしょに戦う。みんなでいっしょに頑張る。
    ですから「勁い」は英語なら、布がじょうぶであるという語彙を持つ「ストロング(strong)」です。

    日本では、古来、歴史は勁さを得るものとされてきました。
    過去に生きた先達の生き様や、事件の経緯経過を知ることで、いまを生きる知恵にしてきました。
    ですから歴史は、人を支配するためではなく、自らがより良く、よりつよく生きるために学ばれてきました。

    すると歴史は、学んだ人々のアイデンティティを形成します。
    アイデンティティというのは、自分自身についての知識、自己理解、自己認識のことで、これは歴史を通じて形成され、生涯を通じて発展していきます。
    そのアイデンティティがしっかりと形成されていないと、すこし厳しい言い方ですが、人は昆虫や動物と同じく、目先のことだけに生きることになります。

    ではアイデンティティを得ることで何を得ることができるのかといえば、それは、すこし極端な言い方をすれば、
    「生命の尊厳と愛を知る」
    ということになります。

    愛という字は、訓読みが「いとし、めでる、うるはし、いつくし、めぐむ、よしみ」です。
    そして日本書紀は、愛を「おもふ」と読んでいます。
    つまり、人をおもふこと、夫をおもふ、妻をおもふ、子をおもふ、子が親をおもふ、恋人のことをおもふ、それら一切が、愛という概念です。

    つまり日本におけるもともとの歴史教育は、本来は、生徒たちの愛を育み、生徒たちが立派に生きるためのアイデンティティを形成するためのものであったのです。

    お伊勢様に行きますと、あちことに「元々本々(もともとをもととす)」という言葉が掲示されています。
    もともとたいせつなことを大切にする。
    それは、元々というものが、どのようなものであったのかという歴史を学ばなければ、決して形成されないものです。
    そしてその精神は、生涯を通じて発達していきますから、その人が社会を生きる知恵になります。
    ですから歴史を通じて愛を学んだ子らは、自らの命を犠牲にしてでも、大切なものを護ろうとします。
    そして彼らの笑顔は、とても素敵です。

    ここを履き違えて、社会科としての歴史を学ぶと、それはただの知識お化けにしかなりません。
    ただの知識お化けでは、社会ではまったく通用しません。
    そんな社会で通用しない人たちが、社会のエリートになれば、社会そのものが社会で通用しない社会を生みます。
    日本経済が30年以上冷え込んだままになっていても、そこに何の疑問も抱かないで、捏造文書をもとに大臣に嫌がらせをするようなつまらない議論しかできなくなります。

    日本は、変わるときです。
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  • ChatGPT(AI)が語る国家最高権威とは


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    3月の倭塾は、3月26日(日)13時半から開催です。
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    日本はもともと、民衆のだれもが豊かに安全に安心して暮らせることを国是としてきた歴史を持ちます。
    この点について、近年では、そのようにちゃんと学校で教えられることはなく、むしろ日本の歴史を、対立と闘争と恨みや憎しみの連鎖の歴史に、故意に書き換えられているため、いまでは多くの日本人が、
    「政治は本来、国民の誰もが豊かに安全に安心して暮らせるようにしていくためのものであり、
     日本の歴史は、まさにこれを実現しようとしてきた歴史である」
    という、一昔前ならあまりにもあたりまえだった視点を失ってしまっています。

    20220312 考える
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    米国に「ネオコン」と呼ばれる政治上の思想があります。
    ウクライナ問題でにわかに注目を集めることになった思想です。
    「ネオコンサバティズム(Neoconservatism)」の略で、日本語訳が「新保守主義」です。

    表面上は、その新保守主義思想(ネオコン思想)は、米国における自由と民主を堅持しようとするものであると説明されています。
    ところが実際にはネオコンに参加する米国の政治家や高級官僚たちは、米国の軍事産業と密接なつながりをもち、保守どころか、まさに米国を、そして世界に混乱を招いています。

    ネオコンが押す軍事産業は、紛争や対立がなければ成り立ちません。
    その究極が戦争です。
    産業が成り立たないということは、「儲からない」ということです。

    そのために彼らは積極的に他国の対立をあおり、紛争を創り出し、戦争を起こします。
    紛争や戦争が起きれば、武器や兵器が売れて儲かります。
    それを米国における「新保守主義」だと言うのです。

    伝統的な米国の、これは「本来の」と言って良いと思うのですが、「保守」の人たち(選挙で寅さんを応援した人たち)というのは、対立や紛争を好みません。
    誰もが豊かに安全に安心して生活できることを望みます。
    世界最強の軍事力を持つ米国軍を用いることがあっても、それはどこまでも正義を貫きながら紛争を回避するためのものであって、実際にドンパチ(実力行使)をすることが良いとは誰も思っていません。

    つまり保守と新保守では、考え方がまったく異なっているわけです。
    にもかかわらず、彼らはみずからを「革新」とは言わず、「新保守」を名乗っているわけです。
    これは実に紛らわしいことです。

    こうした紛らわしい政党名は、世界中に見られます。
    典型が共産党です。
    共産という言葉には、ともに働き、ともに産業を起こし、ともに幸せになろうという語感があります。
    英語だと「コミュニズム」です。
    「コミュニズム」の語源は「共同体」、もしくは「共同体のため」を意味する「ラテン語: communis」と、「状態、運動、思想」への抽象化を示す接尾語の「ism」により造られた造語です。
    けれど実際には、そこでいう「共同体」とは党幹部だけの共同体であって、行われていることは党幹部だけの贅沢三昧です。

    「民主」もまた、英語なら「デモクラシー」で、この語もまたラテン語で支配を意味する「デーモス」と、同じくラテン語で権力を意味する「クラトス」を組み合わせた造語で、「民衆による支配」がその本質とされています。
    けれど実際に民主を党名に掲げている世界の政党の多くが実際に行っていることは、「民衆」という名の党幹部だけの贅沢な暮らしであって、民衆は単に働きアリとしてしかみなされません。

    実はこのように、政党名というのは、自分たちの本来の意図を隠すための「隠れ蓑」として使われているケースが多いものです。

    なぜそのようなことになるのかといえば、政治=利権だからです。
    つまり政治によって、あるべき姿に横車を押して、自分たちの利権を図る。
    けれど政治には民衆の投票が必要だから、衆目の目をたぶらかすための政党名が考案される。

    金になりさえすれば良いとばかり、政党名をコロコロと変える政党もあります。
    もういい加減にしろと言いたくなります。

    いま日本にある国政政党としては、おそらく政党名と実際に行っていることが、良い意味で一致している政党はひとつだけです。

    日本はもともと、民衆のだれもが豊かに安全に安心して暮らせることを国是としてきた歴史を持ちます。
    この点について、近年では、そのようにちゃんと学校で教えられることはなく、むしろ日本の歴史を、対立と闘争と恨みや憎しみの連鎖の歴史に、故意に書き換えられているため、いまでは多くの日本人が、
    「政治は本来、国民の誰もが豊かに安全に安心して暮らせるようにしていくためのものであり、
     日本の歴史は、まさにこれを実現しようとしてきた歴史である」
    という、一昔前ならあまりにもあたりまえだった視点を失ってしまっています。

    日本は、推古天皇の時代に聖徳太子が初の「摂政」となりました。
    「摂政」というのは、「政治を摂(と)る」という意味です。
    それまでの日本は天皇親政です。
    つまり天皇が国家の政治の最終決断者となっていました。
    決断者であるということは、権力者であるということです。
    そして政治権力には、当然に責任がついてまわります。

    しかし外来文化の影響で、国内にあまりにも大きな対立が生まれてしまったとき、これをあらためて統合し、しっかりとまとめあげていくためには、従来の政治体制では、いけないということになったのです。
    そしてそのために、
    天皇は、国家の最高権威となり、
    政治権力の頂点は、天皇の部下である「摂政」がこれを担うとされるようになりました。

    摂政は、その後、太政大臣と名前を変えたり、あるいは武家の時代になると将軍となり、明治以降は総理大臣となり、現代に至っています。

    そして天皇の最大の役割は、国家最高権威として領土領民を「おほみたから」とすること。
    こうすることで、政治責任者は、自分たちの上司である天皇の「おほみたから」が、常に豊かに安全に安心して暮らせるようにしていくことが最大の仕事となったのです。

    推古天皇や聖徳太子の時代から、すでに1400年が経過しています。
    こうした権威と権力を分離するという日本が生んだ独自の文化は、戦後(というより平成以降)、かなり失われようとしています。

    ChatGPTという公開AIががあります。
    そのAIに、
    「国家政治権力者よりも上位に、国家最高権威者を置き、国家最高権威者によって国民を最大の宝物とたとき、政治的にはどのような影響が考えられますか?」
    と質問してみました。
    以下がその答えです。

    ***
    国家最高権威者が国民を最大の宝物と考えることが政治的にどのような影響を与えるかは、その国の政治体制や文化、歴史的背景などによって異なります。
    一般的に、国家最高権威者が国民を重視することは、以下のような影響をもたらす可能性があります。

    1 国民の利益が政策の最優先事項になる
    国家最高権威者が国民を最大の宝物と位置づけることで、政府の政策決定において、国民の利益が最優先事項となる可能性があります。
    これにより、政府の政策や行動が国民の幸福と繁栄に直結するようになり、国民の信頼を得ることができます。

    2 政治的安定が促進される
    国民を最大の宝物とすることは、国民に対する配慮が強まることを意味します。
    政治的には、国民が政府に対して信頼を持つことで、政治的な安定が促進される可能性があります。
    政府の政策が国民の利益に沿っていると認識されることで、政府に対する支持が高まり、社会的な不安定要因が減少する可能性があります。

    3 政府のレベルが上がる
    国民を最大の宝物と考える国家最高権威者は、政治家や政府の職員にも同様の配慮を求める傾向があります。
    そのため、政府のメンバーや公務員が国民の利益を最優先事項とすることで、政府のレベルが向上する可能性があります。

    4 国際的な信頼性が高まる
    国民を最大の宝物と考えることは、国内のみならず国際社会においても重要な価値観です。政府が国民を最優先事項とすることで、国際社会においても信頼性が高まり、国際的な協力関係や外交交渉において有利に働く可能性があります。

    以上のように、国家最高権威者が国民を最大の宝物と考えることは、政治的に多くの良い影響をもたらす。

    ***

    日本を取り戻すこと。
    それは、日本の本来の体制を取り戻すことです。


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  • 第99回 倭塾開催のお知らせ


    3月の倭塾は、3月26日(日)13時半から開催です。
    場所は今回から富岡八幡宮の婚儀殿です。
    テーマは「日本精神を築いた十七条憲法」です。
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    20210216 聖徳太子



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    場所は今回から富岡八幡宮の婚儀殿です。
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    《第99回 倭塾開催のご案内》

    1 日 時
      令和5年3月26日(日)
      13:00 開場
      13:30 開講
      16:30 終了
      17:00 撤収終了

    2 場 所
      富岡八幡宮 婚儀殿
      〒135-0047 東京都江東区富岡1丁目20−3
       http://www.tomiokahachimangu.or.jp/
       東京メトロ東西線 「門前仲町」駅より徒歩3分
      都営地下鉄大江戸線「門前仲町」駅より徒歩6分
      JR京葉線「越中島駅」駅より徒歩15分
      JR 「東京」駅より車で15分

    3 テーマ 「日本精神を築いた十七条憲法」
    4 講 師 小名木善行
    5 定 員 30名

    6 参加費
      (1) ご新規      2500円
      (2) 倭塾参加経験者  2000円
      (3) ご夫婦で参加 お二人で2000円
      ※事前振込は必要ありません。当日会場でお支払いください。
      (4) 未成年者     無料
      (5) ご家族お友達招待特典
       これまでに一度でも倭塾にご参加されたことのある方が、
       倭塾初参加となるご家族・ご友人などをお連れの場合、
       そのお連れの方を人数に関わりなく初回参加のみ無料とします。

    7 参加方法
      会場に直接お越しいただければOKです。
      Facebookご利用の方は、お手数ですが⇩ページの「参加予定」をクリックしてください。
         ⇩
      https://www.facebook.com/events/3326312327611281

    8 主催 小名木善行
      協力 日本の心をつたえる会

    《次回以降倭塾》
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  • 梅は咲いたか 桜はまだかいな


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    桜はまだかいな
    柳ャなよなよ 風次第
    山吹や浮気で
    色ばっかり しょんがいな

    20230308 白梅
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    梅が咲き始めましたね。
    そこで梅にちなんで、明治時代の流行歌『梅は咲いたか』をご紹介してみたいと思います。

    『梅は咲いたか』は、江戸端唄(はうた)といって、明治時代に流行した俗謡『しょんがえ節』を基にした小唄です。
    「端唄」というのは、江戸末期の天保年間頃から流行だした小曲です。
    老中首座となった水野忠邦が行った天保の改革で、なんと三味線が贅沢だと禁止されました。

    ちなみにこの天保の改革、あまりに激しく質素倹約が説かれたことで、街で武士が団子を食べているだけで「贅沢をしている」とタレコミがなされるほどでした。
    このため武士たちは、食事をするときも編笠をとかないようになり、これがよく時代劇に出る武士の編笠姿に繋がっています。
    天保の改革は、なんとそこまで激しい改革だったわけですが、現代のマスクとちょっと似ているかもしれません。

    さて、厳しかった天保の改革終わってから10年後、ようやく巷(ちまた)では、再び三味線を弾けるようになりました。
    ところが長唄のようにレパートリーが長い曲は、素人にはなかなかむつかしい。10年のブランクは大きいのです。

    そこで10年の穴を埋めるには、気楽に楽しめる短い曲が良いと生まれたのが「端唄」です。
    端唄には、江戸で流行った江戸端唄、上方(かみがた)で流行った上方端唄があります。

    この端唄が、幕末から明治にかけて『しょんがえ節』の流行になっていきます。
    『しょんがえ節」というのは、いわば「しょうがねえなあ」と思えるようなものを歌詞にした歌謡で、歌詞の最後に「しょんがえ」という囃子詞(はやしことば)を付けて唄います。

    今回ご紹介する『梅は咲いたか』も、花柳界の芸妓たちを季節の花々や貝に例えて、「しょうがねえなあ」と唄った歌です。

    梅は、修行中の幼女である禿(かむろ)から、お新造さんといって、お座敷に出るようになった若い娘。
    桜は、その上の姐さんで、山吹は実を結ばない浮気性といった感じです。


    『梅は咲いたか』歌詞

    梅は咲いたか
    桜はまだかいな
    柳ャなよなよ 風次第
    山吹や浮気で
    色ばっかり しょんがいな

    浅蜊(あさり)とれたか
    蛤(はまぐり)ャまだかいな
    鮑(あわび)くよくよ 片想い
    さざえは悋気(りんき)で
    角(つの)ばっかり しょんがいな

    柳橋から小船を急がせ
    舟はゆらゆら波しだい
    舟から上がって 土手八丁
    吉原へご案内


    江戸から明治初期の江戸では、主な交通手段は、川を用いるものでした。
    当時は隅田川も人が泳げるほど水がきれいで、神田上水や玉川上水もまた、そのまま飲料水になるほど、きれいな水が流れる川でした。
    そんなきれいな川を、船頭さんが操船する和船で往来をしていました。

    のんびりしたもので江戸から川越まで片道36キロ。
    歩けば10時間、船だと15時間。
    つまり船のほうが遅いのですが、どうせ遅いならと、その船に屋根を付けて、中で一杯。
    ほろ酔い加減のいい気分で過ごしたりしたわけです。

    江戸の柳橋から吉原に行くのも、急ぎ足で歩くのではなく、和船でのんびりというのが風流で、およそ5キロの川筋を、だいたい半刻(1時間)くらいかけて、のんびり揺られて行きました。
    ちなみに現代ですと、車で15分、電車なら5分の道のりです。

    さて、梅の花を国花にしている国といえば、チャイナと思っている方が多いのですが、梅を国花としたのは、清国と台湾に移動した中華民国で、中共は、いまだ国花が決まっていません。
    なにしろ欲張りな国なので、牡丹・梅・菊・蓮・蘭の五つの花を全て中共の国花にしようとの意見もあって、なかなか調整がつかないのだそうですが、国花は、その国の心のゆとりの在り処を示すものとされています。
    米国ならバラ、英国ならバラと水仙、フランスがユリ、イタリアがデイジー、スペインがカーネイション、メキシコがダリア、オランダがチューリップといった具合です。
    まあ、そういう意味では、欲に目がくらんだ国では、国の花は「あれもこれも」となって決まらないのかもしれませんね。

    では日本はどうかというと、多くの方は日本の国花を桜と思っておいでかと思いますが、ご皇室は菊です。
    つまり現代日本もまた、中共と同じで法定の国花がありません。
    日本もまた、欲に目がくらんだ、どこぞの国と同じということです。
    残念なことです。

    もともとは日本では、鎌倉時代の初めに後鳥羽上皇が菊の花の意匠を好まれ、これをご皇室の家紋にされています。
    そして日本は、天皇の知らす国ですから、その意味では日本のすべては天皇のもの(ただし政治権力は持たない)であり、そうであれば現代風に日本の国花をもし言うならば、江戸時代までの日本では、国花は菊であったといえるかもしれません。

    あるいは、もっと古い時代になりますと、平安初期の第54代仁明天皇(にんみょうてんのう)の時代に、内裏に桜を植えられたという記録があり、これが現代まで続く「左近の桜、右近の橘」の由来になっています。

    一方、幕末明治維新の志士たちの生みの親となった吉田松陰は、
     大和心を 人問わば 朝日に匂う 山桜花
    と詠みましたが、美しく咲き誇り、見事に散っていく、そんな心が明治以降の日本人の生き様とされるようになりました。
    その意味では、大日本帝国の国花は、桜であったといえるかもしれません。


     美しく立派に散るぞ
     そう言って一番機に向かう友の胸に
     俺はまだつぼみだった桜の一枝を飾って贈った
     明日は俺の番だ
     死ぬ時は別々になってしまったが靖国神社で会える
     その時はきっと桜の花も満開だろう

     (鶴田浩二『同期の桜』台詞より)

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  • 現行の日本国憲法にある『国』の概念の見直し


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    そしてそこに書かれた「国」、つまり「占領統治下日本」は、すでに存在していません。

    貴族院で行われた日本国憲法公布記念式典。昭和天皇を前に勅語奉答文を朗読する吉田茂首相
    =1946年11月3日毎日新聞社撮影
    20230307 日本国憲法
    画像出所=https://mainichi.jp/articles/20160208/org/00m/010/012000c
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    憲法を改正する、あるいは棄憲する、あるいは加憲法する、あるいは創憲する等、様々な議論があります。
    1955年の自民党の結党は、そもそも自主憲法制定を目的としていましたが、いまだにそれは実現していません。

    ものごとができないということは、通常は3つの理由しかありません。
    ひとつが「やる気がない」
    もうひとつが「やる能力がない」
    いまひとつが「両方ない」
    です。

    けれど自民党には、やる気も能力もあります。
    それでいてできないでいるということは、理由は外圧がそれを許さなかったか、民衆にその気がなかったかのどちらかが理由です。

    外圧については米国の意向になりますが、ここでは割愛します。
    これについては、また稿をあらためたいと思います。

    問題は民衆にその気がないことで、これは日本人にとっての憲法という言葉が、万古不易の変らざるものという意味があるからで、そうした面からすると、むしろ国民の側からは、その内容や必要性以前の問題として、「憲法は変えない、変えてはいけないもの」といった意見の方が、賛同を得やすいといった側面があります。

    なにしろ聖徳太子の十七条憲法を、一言一句改正することなく1400年間も守り続けてきた国民なのです。
    そうした安定感を大事にする国民に、憲法は変えなければならないのだということをいくら説明しても、なかなかどうして、議論が堂々巡りしてしまう傾向があります。

    これはそもそも「憲法」という用語自体が誤訳であったからで、英語やフランス語、ドイツ語の「Constitution」は、むしろ幕末の翻訳家の「律法」という翻訳のほうが正しく、これを元熊本藩士の林正明(はやしまさあき)が合衆国constitutionの訳本を、元津山藩士の箕作麟祥(みつくりあきよし)がフランスconstitutionの訳本を出すに際して、「憲法」という用語を用いてしまったことが、すべての誤解の始まりであろうと思います。

    西洋語の「Constitution」は、そもそもフランス革命当時のパリ市民たちの手で作られた造語で、
    Con《共に》、stitute《立てた》、ion《こと》を組み合わせた単語です。
    意訳するなら「共同体のための基本規程」で、共同体の形が変われば、当然、内容も変更になります。

    これに対し十七条憲法は、日本人の臣民としての必要な心得を説いたもので、これは変わらないものであることが前提です。
    つまり「Constitution」と「憲法」では、もともとの意味が違うのです。

    では、どうしたら良いかという議論が必要です。
    解決策は、実はひとつだけです。
    あくまでひとつの議論ですが、それは、
    「現行の日本国憲法にある『国』の概念の見直し」です。

    英文の日本国憲法(The Constitution of Japan)が作られた当時の日本は、占領統治下にありました。
    ですから当時の日本は「occupied japan(占領された日本)」です。
    したがって、ここにある「国(英語ではnation)」は、あくまで占領統治下日本のことであって、主権を持った日本のことではありません。

    そしてそこに書かれた「国」、つまり「占領統治下日本」は、すでに存在しません。
    そうであれば、たとえば
     ***
    第九十八条の1
    この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
     ***
    にある「国」も存在しないのですから、現行の日本国憲法(つまり占領統治下憲法)は、主権国家としての最高法規であることもまた否定されます。

    そしてこのことは内閣法制局が、解釈変更を行うだけで実行可能なことです。

    そして否定されれば、占領統治下の日本も、占領統治下の日本国民もすでに存在しないのですから、日本国憲法とは「別に」、我々は新しい主権国家日本としての律法(憲法)の制定が必要になります。

    思うに、我々日本人が、あらゆる国民的財産を、現行の占領統治下憲法で護ることは、もはや不可能です。
    このことは戦後の歴史の中で、我が国が主力産業としてきた各種産業や企業が、いまやその世界的シェアを海外の国に奪われてしまっている事実ひとつをとっても明らかではないでしょうか。

    これは法律用語の定義の問題です。
    そして定義の問題は、主権回復後71年間日本が現行憲法を用い続けてきたということとは、まったく関係ありません。
    71年使おうが、100年使おうが、定義に変更はないからです。
    そして71年間、現行憲法が用いられ続けてきたこともまた否定されることはありません。
    事実上、占領統治下憲法を援用してきただけのことであって、新たに主権国家としての新たな律法が登場すれば、占領統治下日本に向けた現行憲法は、自然とその効力を失うからです。

    また、現行憲法は、その成立時に反対したのは日本共産党だけでした。
    つまり日本共産党は、現行憲法に対して否定の立場にあり、護憲の立場にはありません。

    なお、新憲法に関する各党の草案にも、ひとこと付言しておきます。
    どの党の草案にも、日本が天皇の知らす国であることに関する規程がありません。
    また、日本の領土主権者に関する記述がありません。

    領土主権者というのは、たとえば宣戦布告、および終戦時の平和条約を締結する人を意味します。
    戦争が終わった時点で、平和条約に調印する人が必要なのです。
    国というのは法律上の人格を持った法人ですから、法人にはその代表者が必要なのです。
    そしてその人こそが領土主権者です。

    大日本帝国憲法であれば、この領土主権者は、第一条の「大日本帝国は万世一系の天皇これを統治す」という用語で明確に示されていました。
    けれど、現行憲法に関する各党草案に、その領土主権者の記述はありません。
    いずれも国民主権とうたっています。
    ということは、仮に日本が平和条約を締結する時は、国民全部が調印しなければならないということなのでしょうか。

    いずれにしても、こうした部分を含めて、いまあらためて憲法に関する議論が必要になってきているといえるのではないでしょうか。

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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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