• 古事記より「イザナギと桃の実」


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    世界はいま、ごく一部の人たちの製薬利権、食料利権、環境利権のために踊らされています。人口を現在の三分の一に減らし、亡くなった人たちの富を吸い上げることで、ごく一部の人たちがより多くの財力を手に入れ、その人達が世界を支配しようとしていると言われています。それは西洋や東洋に昔からある支配層の思考そのものです。けれど、そうした思考や行動が、人々に幸せを招くことはまったくありません。歴史を振り返れば、そうした利権者たちが、多くの命を奪って大改革を実現しても、その後には利権者間での激しい対立と闘争が起こり、凄惨な殺し合いに至ってきたのが、世界の歴史です。日本にあって、世界の支配層にないもの。それは「あたたかさと、やさしさと、思いやりの心」です。


    20240314 桃



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    古事記のなかに、イザナギのミコトが黄泉の国から逃げ帰る際に、
    「黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂の本にあった
     桃子(もものみ)を三個取って、
     千五百の黄泉軍を待って擊った。
     すると黄泉軍はことごとく逃げて行った」
    という記述があります。
    (原文:到黄泉比良(此二字以音)坂之坂本時、取在其坂本桃子参箇待擊者、悉坂返也)

    たかが桃の実3個で1500もの大軍を追い返すなんて、できるはずないだろというのが、当節の多くの学者の解釈です。
    けれど古事記は、このシーンにくる前に伏線を引いています。
    それが、
    「イザナミが、
     予母都志許売(よもつしこめ)を遣(つかは)して
     伊耶那岐を追わ令(し)めた」
    という記述です。

    予母都志許売(よもつしこめ)は原文に「此六字以音」とありますから、使われている漢字に意味はありません。
    大和言葉の「よもつ しこめ」です。

    「よもつ」は、「黄泉の国の住民」です。
    「しこめ」は、日本書紀ですと「醜女(しこめ)」と描かれていますから、みにくい人たちという意味になります。
    ですからここは、黄泉の国から逃げ帰ろうとするイザナギを、妻のイザナミが「黄泉の国の醜い女達に追わせた、という意味になります。

    ところがこの「しこめ」たち、逃げるイザナギが、食べ物を投げると、「追え」という命令も忘れて、その食べ物に食らいつきます。
    ということは、「しこめ」たちは、貧しくて、ろくに食べ物も与えられず、ガリガリにやせ細った飢餓状態にありながら、上からの命令で「追え」と言われれば追うしかない、哀れな女達とわかります。
    だから食べ物を与えられたとき、追えという命令も忘れて、食べ物に食らいついたのです。
    涙を誘う哀れな話です。

    そんな「よもつしこめ」に続いて、今度は1500人の黄泉の国の軍団がイザナギを追ってきます。
    その黄泉軍に、イザナギは桃の実を3つ投げ与えると、黄泉の国の軍団が帰っていったとあります。

    ここで質問です。
    「常識で考えて、果たして1500人の追手の軍団に桃の実をたった3個投げたくらいで、
     軍団が引き下がるなど、ありえることでしょうか?」
    誰がどう考えてもありえないことです。
    ということは、ここで「投げ与えた」とされる「桃の実」は、別な何かの象徴と読む必要がありそうです。

    では、「桃の実」が象徴しているのは、何でしょうか。

    桃の実は、秋に収穫できる美味しい果物です。
    桃の実の味は、ひとくち頬張っただけで、「ああ、しあわせだなあ」と思わせる、甘くて、酸っぱくて、とてもみずみずしい味をしています。
    このことはいつの時代も変わらないことです。

    ということはつまり、ここで桃の実に寄託して述べていることは、そんな甘くて、酸っぱくて、みずみずしい・・・つまり、甘くて、やさしくて、幸せ感のある味・・・つまりこのことを3つ・・・すなわち、
     あたたかさ
     やさしさ
     思いやり

    の3つであったのかもしれません。

    黄泉の国の恐ろしい軍団は、ただ上から強制されてイザナギを追ってきています。
    ひとりひとりの名前もなく、全員で十把一絡げの人たち、つまり現代風に言うなら「モブキャラ(背景のキャラクターのこと)です。
    イザナギは、そんなひとりひとりに、人間としての「あたたかさと、やさしさと、思いやりの心」を投げ与えたのだ、と考えると、古事記が伝えようとしたことが見えてきます。

    黄泉の国の軍団だって、ひとりひとりは、生きた人間です。
    人間であれば、誰だって人として人間らしく生きたい。
    誰だって自分を主役として生きているのです。
    けれど黄泉の国の軍団のひとりひとりは、それまでまったく人間として扱われていません。
    ただの「兵」であり、ただのモブキャラであり、ただの背景キャラクターとしてしか見られなかったのです。
    そんな彼らをイザナミは、ひとりひとりを人して扱い、やさしさと愛情と思いやりをもって彼らと接したのです。

    もしかすると黄泉の国の軍団は、このとき生まれてはじめて人として扱われたのかもしれません。
    もしかすると、その前に追ってきたヨモツシコメたちが彼ら軍団に、
    「やめて〜、私達この人にたすけてもらったの」
    と立ちふさがってくれたのかもしれません。

    軍団といっても、そのひとりひとりは人間です。
    そして人であれば、幼い頃に両親から可愛がられ、子として、人として扱われていた昔があるものです。
    「そうだ!俺たちだって人間なんだ!!」
    そう思ったときに、彼らはまさに、
    「俺たちは何をやっているのだろうか」と目覚めたのですよ、どんな人でも、人である以上、崇高で大切な存在なのですよと、古事記はこのことを伝えようとしたのではないでしょうか。

    いつの時代にあっても、どんな環境にあっても、ひとりひとりは、自分の人生をまさに主役として生きています。
    そういうことを大切にしてきたのが、日本という国の文化の最大の特徴であり、日本の神々の心です。
    そういうことを古事記は述べています。

    このような精神のもとに帰国したイザナギは、三貴神であられる天照大神、月読命、建速須佐之男命をお生みになられています。
    ということは、三貴神の神としての精神(あるいは霊(ひ)の根幹)にあるものもまた、「あたたかさと、やさしさと、思いやり」だということになります。

    天照大御神は太陽であり、太陽は過去もいまも未来も、地球上のあらゆるものをあたたかく照らしています。
    月読命は月であり、月は時を刻みながら、夜の地球をやさしく照らしています。
    須佐之男命は、後に鳥髪村の人々を救うためにヤマタノオロチを退治して思いやりの心を示されています。

    これまでの西洋の歴史や東洋の歴史は、常に英雄が革命を起こすという考え方です。
    そして革命の都度、名もない多くの命が失われてきたという歴史でした。
    けれど、日本は違います。
    主役はあくまでひとりひとりの庶民です。
    その庶民が照らす一隅が、天下の良心を目覚めさせ、天下を良い方向に導くのです。

    世界はいま、ごく一部の人たちの製薬利権、食料利権、環境利権のために踊らされています。
    人口を現在の三分の一に減らし、亡くなった人たちの富を吸い上げることで、ごく一部の人たちがより多くの財力を手に入れ、その人達が世界を支配しようとしていると言われています。
    それは西洋や東洋に昔からある支配層の思考そのものです。

    けれど、そうした思考や行動が、人々に幸せを招くことはまったくありません。
    歴史を振り返れば、そうした利権者たちが、多くの命を奪って大改革を実現しても、その後には利権者間での激しい対立と闘争が起こり、凄惨な殺し合いに至ってきたのが、世界の歴史です。

    日本にあって、世界の支配層にないもの。
    それは「あたたかさと、やさしさと、思いやりの心」です。

    そうであれば、私達はいま、まさに「あたたかさと、やさしさと、思いやりの心」で、日本を変え、世界を変えていく。
    それが古事記に書かれた神々の心といえるのではないでしょうか。

    そんな甘い考えで世界を変えるなんてできはしない、と思われる方もおいでかと思います。
    そうではないと思います。
    「あたたかさと、やさしさと、思いやりの心」で変える世界でなければ、良い未来などやってくるはずもない、と思います。

    私達の活動の根幹にあるもの。
    それは常に、
    「あたたかさと、やさしさと、思いやりの心」
    でありたいと思います。


    ※この記事は2022年3月のねずブロ記事を大幅にリニューアルしたものです。
    日本をかっこよく!

    お読みいただき、ありがとうございました。
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  • イザナギの桃の実の物語から学ぶこと


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    誰だって人に生まれた以上、自分を主役に生きています。にも関わらず、それまでまったく人として扱われなかった。
    ただのモブキャラ、ただの背景キャラ、ただの兵卒としてしか扱われませんでした。そんな彼らをイザナミは人して扱い、やさしさと愛情と思いやりをもって彼らと接しました。ここに古代から続く日本文化の根幹があります。


    20220223 よもつしこめ
    神谷宗幣編著『古事記紙芝居』より
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    古事記に、イザナギのミコトが黄泉の国から逃げ帰る際に、
    「黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂の本にあった
     桃子(もものみ)を三個取って、
     千五百の黄泉軍を待って擊ちました。
     すると黄泉軍はことごとく逃げて行きました」
    という記述があります。
    原文ですと「到黄泉比良(此二字以音)坂之坂本時、取在其坂本桃子参箇待擊者、悉坂返也」とあるところです。

    たかが桃の実3個で、1500の軍勢を追い返すなんて、できるはずねーだろ!みたいに言われがちですが、ここへくる前に、古事記は伏線を置いています。
    それが、
    「イザナミが、予母都志許売(よもつしこめ)を遣(つかは)して伊耶那岐を追わ令(し)めた」という記述です。

    予母都志許売(よもつしこめ)は「此六字以音」とありますから、使われている漢字には意味がありません。
    大和言葉で「よもつ しこめ」です。
    「よもつ」は、「黄泉の国の住民」です。
    「しこめ」は、日本書紀ですと「醜女(しこめ)」と描かれていますから、みにくい人たちという意味になります。
    ですからここは、黄泉の国から逃げ帰ろうとするイザナギを、妻のイザナミが「黄泉の国の醜い女達に追わせた、という意味になります。

    ところがこの「しこめ」たち、逃げるイザナギが、食べ物を投げると、「追え」という命令も忘れて、その食べ物に食らいつくのです。
    ということは、「しこめ」たちというのは、貧しくて、ろくに食べ物も与えられず、ガリガリにやせ細った飢餓状態にありながら、上からの命令で「追え」と言われれば追うしかない、可愛そうな人々ということができます。

    だから、食べ物を与えられたとき、追うという使命も忘れて、食べ物に取り付いています。
    哀れな話ですが、いまでも現金をばら撒けば、どんな悪事でも、それに飛びつく人たちがいます。
    そういう人たちは、目つきがだんだんおかしくなる。
    現金をばら撒かれて強制動員される人たちもいます。
    やはり目つきのおかしな人たちです。
    けれど、おかしなもので、そうした目つきのおかしな人たちから見ると、我々普通の日本人が「おかしな人」に見えるのだそうです。

    昔の人はよく言ったものです。
    「体斜めなら、影斜めなり」
    斜めになった人から見ると、真っ直ぐなものが斜めに見えるものです。

    さて、食べ物に取り憑いた「よもつしこめ」に続いて、今度は1500の黄泉軍がイザナギを追ってきます。
    これまた強制動員された軍隊です。
    その黄泉軍に、イザナギが桃の実を3つ投げつけると、たったそれだけのことで黄泉の軍勢が帰っていったというのです。

    果たして1500人の追手の大軍に桃の実を3個投げたくらいで、大軍が引き下がるものなのでしょうか。
    常識で考えて、そんなことがありえないことは、誰でもわかることです。
    ということは、ここで「投げ与えた」とされる「桃の実」は、別な何かの象徴であったと読む必要がありそうです。

    では「桃の実」が象徴しているのは、何なのでしょうか。

    桃の実は、秋に収穫できる美味しい果物です。
    桃の実の味は、ひとくち頬張っただけで、「ああ、しあわせだなあ」と思わせる、甘くて、酸っぱくて、みずみずしい味をしています。

    ということはつまり、ここで桃の実に化体して述べられていることは、そんな甘くて、酸っぱくて、みずみずしい・・・つまり、甘くて、やさしくて、幸せ感のある味であり、それが3個ということは、そこに述べられていることは、
     やさしさ
     愛情
     おもいやり
    のことだといえそうです。

    ただ上から強制されて、まさに「モブキャラ(背景キャラ)」としてイザナギを追ってきたのが、黄泉の軍勢です。
    それは1500名もの大軍であったけれど、全員が十把一絡げのモブキャラです。
    けれどイザナギは、そのひとりひとりに、人間としての
     やさしさ
     愛情
     おもいやり
    を与えたのです。

    誰だって人に生まれた以上、自分を主役に生きています。
    にも関わらず、それまでまったく人として扱われなかった。
    ただのモブキャラ、ただの背景キャラ、ただの兵卒としてしか扱われませんでした。
    そんな彼らをイザナミは人して扱い、やさしさと愛情と思いやりをもって彼らと接しました。

    生まれてはじめて、彼らは人として扱われました。
    いや、幼い頃に両親から可愛がられ、子として、人として扱われていた昔があった。
    「そうだ!俺たちだって人間なんだ!!」
    そう思ったときに、彼らはまさに、
    「俺たちは何をやっているのだろうか」と目覚めたということを古事記は書いているのではないでしょうか。

    ただ命令されて、モブキャラとなって人を追いかける。
    それってなんの意味もないよな、俺たちいったい何をやっているのだろうか。
    そう感じたとき、彼らは追うことを止めて、元いた場所に帰っていった。
    そういうことを古事記は述べているのではないでしょうか。

    人間は、誰しもが自分の人生を「主役」として生きています。
    そうあるべきなのです。

    そして、どんな人にも、必ず良心があります。
    その良心を信じ、ひとりひとりを、まるで抱(いだ)くように、たいせつに、やさしさと愛情とおもいやりの心を持って接することを、根本から大切にしてきたのが、日本の文化の最大の特徴です。
    これこそまさに、日本の神々の心です。
    そういうことを古事記は、ここで説いているのです。

    そういう精神のもとに、帰国したイザナギは、禊を行なわれます。
    そして余計なものをすべて捨て去ったときに生まれたのが三貴神であられる天照大神、月読命、建速須佐之男命です。

    つまり、三貴神の神としての精神(あるいは霊(ひ)の根幹)にあるのは、まさにやさしさと愛情とおもいやりであり、人間として生まれたひとりひとりが、誰もが自分の人生を主役として生きることができる世の中です。

    この日本文化の精神は、時を越え、時代を超えて、まさにいま世界中の人々が求める偉大な人類の良心へと発展しようとしています。
    我々日本人のひとりひとりが照らす一隅が、世界を変えるのです。

    これまでの西洋の歴史や東洋の歴史では、常に英雄がモブキャラを使って革命を起こすというスタイルでした。
    そして革命の都度、多くの命が失われてきた。そういう歴史でした。
    けれど、日本は違います。
    だれひとり殺さない。英雄なんていない。主役はあくまでひとりひとりの庶民です。
    その庶民が照らす一隅が、世界の良心を目覚めさせ、世界を良い方向に導いていく。

    もし、神々にお望みがあるのだとしたら、それこそが「神々の希望」であり、「神々の目指すもの」なのではないでしょうか。


    ※この記事は2022年2月の記事に大幅に書き足しを行ったものです。

    日本をかっこよく!

    お読みいただき、ありがとうございました。
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    何もかも捨てた先にある本当にたいせつなものを、あらためて自分の中心に置く。
    これが大事だよ、という教えが『古事記』に書かれています。

    「寒中禊会」神田明神
    20220910 禊
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    日本に希望の火を灯す!

    100点でなければてほんと?!
    得ることが幸せってほんと?

    そんなことを『古事記』を通じて考えてみたいと思います。
    先に答えを申し上げますと、それらは戦後の刷り込みにすぎない。

    大祓詞に「竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原にて禊祓しましき」という言葉があります。
    『古事記』にそのまま載っている言葉です。

    「禊(みそぎ)祓(はら)い」というのは、
    「禊(みそぎ)」が「身を削ぐ」、つまりあらゆる欲を捨てること。
    「祓(はら)い」が「払い」で、汚れを落とすこと、といわれます。

    この言葉が出るのは、イザナギ神が黄泉の国から戻ったシーンで、竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原に戻られたイザナギ神は、そこでまず「禊(みそぎ)」をされます。
    どのようなことをされ、どのような欲が捨てられたのか。
    『古事記』は次のように書いています。

    まず、杖、帯、囊(ふくろ)、衣、 褌(ふんどし)、冠(かんむり)、 左手の手纒(たまき)、右手の手纒を次々に投げ捨てられました。
    すると、衝立船戸神(つきたつふなとのかみ)や、道之長乳歯神(みちのながちちはのかみ)など、ここで12柱の神様がお生まれになっています。

    その生まれた神々の名前をみると、衝立船戸は様々な障害物、道之長乳歯は長い道のり、時量師はすごした時間、和豆良比能宇斯は様々な患(わずら)い、道俣は道の分かれ目、飽咋之宇斯神は飽食、奧疎は疎(うと)んじてきたこと、奧津那芸佐は心の平穏と思っていたこと、奧津甲斐弁羅はやり甲斐と思っていたこと、辺疎はそれらの周囲のこと、辺津那芸佐は周囲の平穏、辺津甲斐弁羅は周囲の取り替えです。
    要するに、身の回りのすべてを投げ捨てられたという意味です。

    さらに中の瀬に潜ってすすがれることで、八十禍津(さまざまな禍(わざわ)い)、大禍津(おおきな禍い)、それらの禍いを治そうとされたときの、神直毘(神々による立て直し)、大直毘(おおいなる立て直し)、伊豆能売(それらによって起きたこと)を捨てられます。

    それだけではなく、水の中に深く潜って底津綿津見(そこつわたつみ)、底筒之男(なかつつのを)、つまり深層心理まで潜ってその中にあるすべてを捨てられ、水の中では中津綿津見(なかつわたつみ)、中筒之男(なかつつのを)、つまり中層意識にあるすべてを捨てられ、水の上では上津綿津見(うわつわたつみ)、筒之男命(うはつつを)、すなわち表層意識にあるすべてを捨てられます。

    要するに、何もかも全部、深層心理にまでをも捨て去られるのです。

    そこまでされたとき、左目から天照大御神、右目から月読命、鼻から建速須佐之男命がお生まれになられたとあります。

    西洋のディープステイトと呼ばれる大金持ちさんたちがそうですが、一生かかっても使い切れないほどのお金を持ち、この世のありとあらゆる贅沢を独占していながら、さらにもっと彼らは欲しがっています。
    彼らにとっては、得ることが、幸せなのかもしれません。

    けれど日本では、神話の昔から、身を削ぎ、穢(けがれ)を祓いなさいと教えます。
    そして身を削ぐ(禊)は、イザナギの大神さえも、それまでに身に着けたすべてを捨て、さらに深層心理にまで立ち入って、あらゆるものを捨てています。
    そしてそのときに、かけがえのない最高神を得られています。

    つまり、かけがえのない最高のものは、何もかも捨てた先にある、ということです。

    このことは、まずは、得るために努力が必要であるということでもあります。
    若いうちから壮年期に至るまでは、あらゆるものを手に入れるために、精一杯の努力を重ねる。
    それは必要なことだというのです。

    けれど、そうした努力の果てに、すべてを捨てる。
    いちばん大切なものは、そうして「何もかも捨てた先にある」のだと『古事記』は書いているわけです。

    このことを「元々本々(もともとをもととす)」といいます。
    何もかも捨てた先にあるのは、もともとある大切なことだというのです。

    人として生まれ、いま生きているということは、生まれたときの母の愛、育ててくれた父の愛によります。
    我々は愛によって、いまこうして生かされています。
    あらためてその自覚を得たとき、世界が変わる。

    あるいは、何もかも捨てたとき、最後に残るのは「人」であり「仲間たち」であるのかもしれません。
    あるいはそれは、もしかしたら「知識」や「知恵」なのかもしれない。

    何もかも捨てた先にあるものは、人によって違います。
    けれど、その「先にある」本当にたいせつなものを、あらためて自分の中心に置く。
    これが大事だよ、というのが『古事記』の教えかもしれません。


    ※この記事は2022年9月の記事の再掲です。
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  • ウマシアシカビヒコヂの神の御名の意味するもの


    困ったときには原点に帰る。
    その原点というのは、笑顔で活発で、明るくて元気いっぱいの姿です。
    またそこから立ち上がっていこうよ。
    また新たに出発して行こうよ。
    いつだって、何度だって、やり直すのさ、
    そう言って白い歯を見せて笑っている
    そういった、底抜けの陽気さが、日本人の原点であり、これを象徴した神様が、創生の4番目の神様であるウマシアシカビヒコヂの神です。

    可美葦牙彦舅尊 (うましあしかびひこじのみこと)を御祭神とする浮島神社《愛媛県東温市》
    20210510 浮島神社
    画像出所=http://ehime-jinjacho.jp/jinja/?p=4816
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    我が国の神話に登場する創生の神々の中に、ウマシアシカビヒコヂノカミという神様がおいでになります。
    お名前は、
    古事記では、 宇摩志阿斯訶備比古遅神、
    日本書紀では 可美葦牙彦舅尊
    と表記されます。(読みはどちらも同じです)

    古事記では、はじめに天御中主神、高御産巣日神、神産巣日神がお生まれになられたあと、
    「次に国(くに)稚(わか)くして
     浮かべる脂(あぶら)のごとく、
     クラゲのようにただよえるとき、
     葦牙(あしかび)のごとく
     萌えあがるものに成る神の名は
     宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコヂノカミ)。
     この神の名は音(こえ)を以(もち)いる」

    と書かれています。
    (原文:
     次、國稚如浮脂而久羅下那州多陀用幣流之時(流字以上十字以音)
     如葦牙、因萌騰之物而成神名、宇摩志阿斯訶備比古遲神(此神名以音)

    ここでは宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコヂノカミ)の名は、「音(こえ)を以(もち)いる」と書かれていますから、用いられている漢字には何の意味もなく、単に神様のお名前が「ウマシアシカビヒコヂノカミ」ですよ、と述べていることになります。

    意味は
     うまし  美しくて立派
     あしかび 葦(あし)の新芽
     ひこぢ  立派な男性

    そこから「ウマシアシカビヒコヂの神」の名は、
    「成長の早い葦(あし)の新芽のように、
     美しくて立派な男性の神様」という意味であるとわかります。

    ところが古事記の文章は、このすぐ後に、
    「次に天之常立神(あめのとこたちのかみ)
     この二柱の神もまた
     独神(ひとりがみ)と成(な)りまして
     身に隠しましきなり。

    《原文:
     次天之常立神(訓常云登許、訓立云多知)。
     此二柱神亦、獨神成坐而、隱身也》

    と書いています。

    「独神(ひとりがみ)」というのは、性別のない神様とも言われますが、正確には、夫婦の組としてでなく単独で成った神のことを表します。
    では、男女一対の神を何というかというと、
    「双神(ならびかみ)」、もしくは偶神(たぐひかみ)などと呼びます。

    つまり「ウマシアシカビヒコヂの神」は、美しくて立派な男性の神様であって、独身の神様であった・・・というわけです。
    次の天之常立神(あめのとこたちのかみ)も、ご夫婦で天に常に立たれた神様はなく、おひとりで天に立たれたのだ、というわけです。


    一方、日本書紀では、本文に「ウマシアシカビヒコヂの神」は登場しません。
    混沌としたなかに、最初の神様であられる国常立尊(くにのとこたちのみこと)が生られたときの表現として、次のように述べられています。

    このときあめと つちのなか    于時天地之中
    あしかびのごと なりますは    生一物状如葦牙
    すなはちかみと なりたまひては  便化為神
    くにのとこたち みこととまをす  号国常立尊

    ここでいう葦牙(あしかび)は、意味としては「葦(あし)の新芽」のことであり、若々しく、エネルギーに満ち溢れた存在として国常立尊が生られたと記しているわけです。
    つまり「ウマシアシカビヒコヂの神」は、状態として「葦の新芽である葦牙(あしかび)のようなエネルギーに満ち溢れた芽」として描かれているだけで、それ自体を独立した神としては描いていません。

    ただし日本書紀は、「一書曰(あるふみにいわく)」として、ここに別伝を6書伝え、このうちの3書で「ウマシアシカビヒコヂの神」を次のように紹介しています。

    1 あるふみに いはくには     一書曰
      いにしへの くにわかくして   古國稚
      ちもわかきとき なほたとへれば 地稚之時譬猶
      うかべるあぶら うごきただよふ 譬猶浮膏而漂蕩
      このときくにの なかにうまれる 于時國中生物
      あしかびのごと ぬきいでて   狀如葦牙之抽出也
      よりてうまれて かみとなります 因此有化生之神
      うましあしかび ひこぢのかみ  號可美葦牙彥舅尊
      つぎにはくにの とこたちのかみ 次國常立尊

    2 あるふみに いはくには     一書曰
      あめつちの まじるとき     天地混成之時
      はじめにかみの ひとありき   始有神人焉
      うましあしかび ひこじとまをす 號可美葦牙彥舅尊
      つぎにはくにの そこたちのかみ 次國底立尊

    3 あるふみに いはくには     一書曰
      あめつちの はじめにるもの   天地初判有物
      わかきあしかび そらになる   若葦牙生於空中
      よりてはかみと なりまして   因此化神
      あめのとこたち みこととまをす 號天常立尊
      つぎにはうまし あしかびひこじ 次可美葦牙彥舅尊
      またあるものは わかきあぶらの 又有物若浮膏
      そらにうかびて なるかみは   生於空中因此化神
      くにのとこたつ みこととまをす 號國常立尊

    いずれもはじめに混沌があり、その混沌の中に、若い葦の芽のような活き活きとした萌芽が生まれ、そこから偉大な神がお生まれになったといった表現になります。
    このことは具体的に「ウマシアシカビヒコヂの神」という御神名を記述していない他の3書も同じで、いずれも葦牙、あるいは

    ここに古代の人々の、「ウマシアシカビヒコヂの神」への思いが伺えます。
    それは、
    我々の出発点は、単に混沌とした天地というのではなく、そこに現れた、溌溂(はつらつ)として生気のあふれた、元気いっぱいの若さにある、ということです。

    最初の神様が、けっしてしかめっ面であったり、威張っていたり、あるいは気取っていたり、おすまししていたのではなく、溌溂とした若さや、活発さにあるということは、我々の祖先は、神々を、明るく、元気いっぱいで、生命力にあふれた、そして愛情にあふれた存在と考えていた、ということです。

    このことを象徴しているのが、「ウマシアシカビヒコヂの神」であり、漢字で書けば「可美葦牙彥舅尊」である、ということなのです。

    これは、とってもありがたいことだと思います。
    人は誰しも、失敗したり、へこんだり、落ち込んだり、あるいは卑屈に歪んだりもするものです。
    けれど、万物のはじまりのときに、最初にあらわれた神様は、とにもかくにも明るくて元気いっぱいの中から生まれたのだ、というのです。

    だったら、困ったときには原点に帰る。
    その原点というのは、笑顔で活発で、明るくて元気いっぱいの姿です。

    またそこから立ち上がっていこうよ。
    また新たに出発して行こうよ。
    いつだって、何度だって、やり直すのさ、
    そう言って白い歯を見せて笑っている
    そういった、底抜けの陽気さが、日本人の原点です。


    ※この記事は2021年5月の記事のリニューアルです。
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  • 下照姫(したてるひめ)と天若日子(あめのわかひこ)の愛の物語


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    世の中には、どうしようもない本物の悪党もいますが、日本人は悪党でさえも、日本人としての矜持を持っていた。そんなことを彷彿(ほうふつ)させる記述をしています。
    これは民度が高くなければ、決して実現できない国家の姿です。

    小灘一紀『下照比売命』
    20211031 下照比売命
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    古事記の国譲り神話に、高天原から派遣された天若日子(あめのわかひこ)が、神罰によってお亡くなりになるシーンがあります。
    このときちょっと不思議なお話が書かれています。
    全文になると難しくなるので、できるだけやさしく、また短く要約してみます。


    高天原(たかあまのはら)から、天孫降臨のための前振りとして葦原中国(あしはらのなかつくに)派遣された天若日子(あめのわかひこ)は、その報告が充分でなくて高天原の高木神から「仕事をしていないのではないか」と疑われてしまいます。
    高木神は、「もし天若日子が悪意なら、この矢によって罰を当てよ」(あくまで意訳です)と、高天原から矢を放ちます。
    その矢は天若日子の胸に刺さり、天若日子は亡くなってしまいます。

    天若日子の妻の下照姫(したてるひめ)です。
    彼女は葦原中国の大王である大国主神の娘です。
    天を照らすのが天照大御神、だから地上(下の国)を照らす立派な女性になってほしいという大国主神の願いが、この下照姫という御名に込められています。

    下照姫は夫の死を悲しみ、その哭(な)く声は風とともに響いて高天原まで聞こえました。
    泣き声で天若日子の死を知った天若日子の父の天津国玉神(あまつくにたまのかみ)とその妻子(つまり母と兄妹)たちは、高天原から中つ国まで降りて来ると、下照姫とともに嘆(なげ)き悲しんで、天若日子の亡くなったところに喪屋(もや)を建てて、八日八夜、葬儀を行いました。

    そんな葬儀のときに、阿遅志貴高日子根神(あちしきたかひこねのかみ)が、天若日子を弔(とむら)いにやってきます。
    すると天若日子のご両親や妻の下照姫たちが、
    「我が子は死ななかった。
     我が君は死んでなかった!!」
    と、みんなで阿遅志貴高日子根神の手足に取りついて涙するのです。

    古事記はここで、「天若日子と阿遅志貴高日子根神の二柱の神の容姿がたいへんよく似ていたから間違えたのだ」と書いています(原文:其過所以者、此二柱神之容姿、甚能相似、故是以過也)。

    ところが阿遅志貴高日子根神(あちしきたかひこねのかみ)は、これにおおいに怒り、
    「我は愛(うるは)しい友だからこそ弔(とむら)いに来たのだ。
     なにゆえに吾(あ)を穢(きたな)き死人に比べるのか!!」
    と云うと、腰に佩(は)いた十掬剣(とつかのつるぎ)を抜いて喪屋を切り伏せ、バラバラになった喪屋を足で蹴散らして、そのまま忿(いか)って飛び去ってしまわれます。

    そして古事記は、このあと次のように述べています。
    この事件があった場所は、美濃国の藍見河の河上の喪山です。
    そして上にある十掬剣(とつかのつるぎ)の名は、大量(おほはかり)で、またの名を神度剣(かむどのつるぎ)といいます。

    こうして阿遅志貴高日子根神が、忿(おこ)って飛び去ったとき、高比売命(たかひめのみこと=下照姫)は、その御名をあきらかにしようと思われ、その思いを歌に託されました。

     あめなるや おとたなはたの
     阿米那流夜 淤登多那婆多能
    (天上界においでになる若い機織り娘が首に架けている首飾り)

     うなかせる たまのみすまる
     宇那賀世流 多麻能美須麻流
    (その首飾りの 緒で貫いた宝玉は)

     みすまるに あなたまはや
     美須麻流邇 阿那陀麻波夜
    (緒ひもで貫いた 宝玉は)

     みたに ふたわたらす
     美多邇 布多和多良須
    (二つの美しい御谷(みたに)を渡る)

     あちしきたかひこねのかみそや
     阿治志貴多迦比古泥能迦微曾也
    (阿治志貴高日子根神だったのです)

    そして古事記は、
    「この歌は夷振(ひなふり)といい、
     いまも楽器とともに演奏されている歌です」
    と、この物語を〆ています。

    さて、実はこの歌が、この物語の種明かしをしています。
    歌の中に「二つの美しい谷を渡る(美多邇 布多和多良須)」とあります。
    天上界とは、高天原のことです。
    その天上界のひとつの宝玉が二つに渡るというのは、
    1 天若日子が高天原と中つ国を渡る神であるということと、
    2 天若日子の魂と阿遅志貴高日子根神が、同じひとつの魂である
    という二つの意味が掛けられています。

    そしてその名が「阿治志貴高日子根神」です。
    なぜか物語に出てくる「阿遅志貴高日子根神」の「阿遅(あち)」が、歌では「阿治(あち)」と字が替わっています。

    「阿遅志貴高日子根神」は、下照姫の兄だというのですから、そうであれば大国主神話の子です。
    そしてこの時代、妻のことを妹(いも)、夫が婿殿であれば兄(あに)と呼ばれました。
    つまり婚姻は、互いに身内となったということだからです。

    そして「阿遅志貴高日子根神」という名をよく見ると、
    「志貴」は貴い志
    「日子根」は、日が天照大御神をあらわしますから、天照大御神の子孫(子)を根とするというお名前になっています。
    つまり「阿遅志貴高日子根神」は、天照大御神の血筋ですと名前に書いてあるのです。
    そして「阿遅」は「遅れてやってきた」という意味です。

    葬儀のとき、その阿遅志貴高日子根神がやってきました。
    すると天若日子の父とその妻らは、皆、泣きながら、「我が子は死んでなかった」、「我が君は死んでなかった」と言って、手足に取りついて泣きました。
    なぜかというと、その阿遅志貴高日子根神が、亡くなった天若日子とそっくりだったからです。

    そして歌は、「玉を緒で貫き、二つの美しい御谷(みたに)を渡る」と詠んでいます。
    そしてその玉の緒は、天上界で紡がれたものであるとあります。
    天若日子は、天上界である高天原で生まれた神です。
    その御魂が緒でつながっているということは、「死んでない」ということです。
    その死んでない天若日子が、「阿治志貴高日子根神ぞ」と詠んでいます。

    「阿遅(あち)」が、歌では「阿治(あち)」に替わっています。
    はじめの「阿遅」は、葬儀に遅れて(葬儀が始まってから)やってきたということです。
    あとの「阿治」は、間違いを整えようとしたということです。
    「治」には、間違いを整えるという意味があるからです。

    「治」が間違いが整えられたという意味なら、後年、天若日子は嫌疑が晴れて、再び下照毘売と幸せに暮らしたということを意味します。
    だから下照姫のお名前も、ここで高比売(たかひめ)と変わっています。
    夫が「志貴(貴い志)」なら、妻は「高」です。
    二神揃って、高い貴い志を遂げられたという意味になります。

    つまり、天若日子は、生きていたのです。
    天照大御神のもとで、高天原の統治を行う高木神に疑いをかけられて矢を射られた天若日子は、自分は死んだことにして世から身を隠したのでしょう。
    ところが自分の葬儀の様子を見に行くと、父母兄妹から愛する妻まで悲しみに暮れている。
    とりわけ愛する妻が涙している様子は、遠目に見ていてもあまりにしのびない。

    そこで喪屋の隙間から妻に「おい、俺だ」とこっそり声をかけたのです。
    このときの妻の下照姫の喜びは、想像するにあまりあります。
    なにしろ「死んだ」と言われながら、ご遺体さえもないままに、葬儀を営んでいたのです。
    「きっとどこかで生きているに違いない」という思いと、愛する夫が帰らぬ人となったのだという悲しみと、その両面から打ちのめされていたところに、物陰から夫が現れる。
    おもわずびっくりして「あなた!!」と声をあげたら、そこにいる天若日子の両親もそれに気づいて、みんなで天若日子を取り囲んで、「良かった、良かった」と涙するわけです。

    けれども表向きは天若日子は死んだことになっているのです。
    生きていたとわかれば、再び追っ手に襲われることになる。
    だから天若日子は、
    「俺は葬儀に遅れてやってきた(阿遅)志の高い(志貴)高天原の天照大御神の末裔(高日子根)の神だ」
    と、別人を装うわけです。
    そして喪屋を蹴散らし、祭壇を壊して、去っていく。

    下照姫は後日、歌を詠みます。
    その歌は、
     あちしきたかひこねのかみそや
     阿治志貴多迦比古泥能迦微曾也
    (阿治志貴高日子根神だったのです)

    さらに古事記は、この歌の中で「阿遅」を「阿治」と書くことによって、天若日子への嫌疑が間違いであったこと、そしてその間違いが整えられる(なおされる)ことを強く希望していることを明らかにしています。

    そしてその結果がどうなったのかというと、
    「この歌は夷振(ひなぶり)なり(原文:此歌者夷振也)」
    と書いています。
    夷振(ひなぶり)というのは、楽器とともに演奏される歌謡のことです。
    そして天若日子と下照姫の愛の物語は、その後も長く歌い継がれたのです。

    表向きは言えないことを、歌に託して真実を伝えるといった取り組みは、幕末ころまでよく行われたことです。
    坂本龍馬が紀州藩に持ち船を沈められたとき、紀州が金を払わないと揶揄(やゆ)する歌を流行らせたり、高杉晋作もまた、幕府を揶揄する小唄を作って流行らせたりしています。
    その昔も同じで、流行歌(はやりうた)にして、これを広げて言えないメッセージを伝える。
    こうしたことは、かつての日本ではよく行われてきたことです。

    「阿遅」と「阿治」、その違いを歌にした下照姫の歌は、当然、高天原にも聞こえたことでしょう。
    そして天若日子への嫌疑が晴れたことは、下照姫が「高比売命」となったことに明らかです。
    なぜなら下界を意味する「下照」が、高天原を意味する「高」に替わったのです。
    つまり、高天原出身の天若日子の妻として、正式に認められたということです。

    常識的に考えて、天若日子への処罰を取り消すことは、高天原の高木神にはできません。
    矢に当たったことは、神々の意思であり、これをくつがえせば、高天原が神々の意思を軽んじたことになってしまうからです。

    けれど、阿治志貴高日子根神と下照姫が二人仲良く余生をまっとうすることまでは、高天原にも否定できません。
    つまり、二人はこの事件の後、仲睦まじく余生をまっとうしたということになるのです。

    物語のあった場所は、美濃国の藍見河の河上の喪山(原文:此者在美濃國藍見河之河上喪山之者也)です。
    場所には二説あり、
     現在の岐阜県美濃市御手洗にある天王山と長良川のこととするもの
     岐阜県不破郡垂井町にある喪山とするものがあります。

    ここでひとつの疑問が起こります。
    この物語は出雲神話で、大国主神は出雲(いまの島根県)に在あります。
    ところがその娘の下照姫は、結婚した夫が亡くなったとき、美濃国(いまの岐阜県)で葬儀を行っているのです。
    これはどういうことを意味しているのでしょうか。

    昔の人には常識であったことが、現代では非常識になっているものというものがよくあります。
    まして日本の神話の場合、そこに描かれた世界観は、2〜4万年もの昔までさかのぼるものです。
    万年の単位となれば、地形も違えば気温気候も現代とは異なります。

    そして高天原というのは、これをこの世の他の神々の世界としたのは、江戸時代の本居宣長です。
    それまでは、高天原は地上にあった国であるとされ、その所在地も北は北海道から南は沖縄まで、全国随所に、その所在地が散らばっていました。

    散らばっている理由は、江戸時代まではわからなかったことなのですが、現代では、万年から千年の単位となると、その間に気候が著しく変動したことが学問的に解明されています。
    そして数千年の昔なら、それは縄文時代ですが、縄文時代後期の日本列島全域の人口がおよそ26万人。
    中期以前ならおよそ10万人程度であったことも判明しています。

    日本列島全体で、人口が10万〜26万人なのです。
    土地の所有権も、県の境界線もなかった時代です。
    しかもいまのようなヒートテックはないし、エアコンによる冷暖房もありません。
    当然のことながら、人々は寒冷化すれば南へと向かうし、温暖化すれば住みよい北へと向かいます。
    つまり、高天原は、時代とともに移動していたし、移動していたことが、全国各地に「ここに高天原があった」という場所がある結果になっていると考えられるのです。

    そして、美濃国の北側にあるのが、旧行政区分の飛騨国です。
    飛騨(ひだ)は、いまでこそ飛騨と書きますが、もともとは「日高見国(ひだかみのくに)」と呼ばれた地です。
    『大祓詞』にも「大倭日高見国」として、その用語は出てきます。
    漢字は、後から当てられたものですから、もともとの大和言葉では「ひたかみの国」、「ひ」は天照大御神、「たかみ」は、高所で天照大御神のお姿を見ることですから、「日高見国」は、高天原に近い場所、高天原を見ることができる高所、もっというなら、天照大御神にお目にかかることができる気高い場所という意味の言葉とわかります。

    そしてこの物語が、飛騨に高天原があった時代とするならば、大国主神話がその娘を嫁がせた場所は、その高天原により近い場所、つまり美濃国であったとして、物語が自然につながるのです。

    要するに、天照大御神直系の天若日子と、大国主神の娘の下照姫は、事件後、美濃国で二人、幸せに暮らしたのです。

    このように『古事記』は、たとえ罪人としてお亡くなりになった方であっても、ただ悪人だった、裏切り者だったと軽んずるのではなく、「結果として謀反人になってしまったけれど、真剣な愛に生きたという良い面もあり、また妻に心から愛された男であった」ということを、ちゃんと書いています。
    そしてそのことが歌となり、永く語り継がれているとも書いています。

    どんなに良くしてもらっても、戦いに破れたら手のひらを返したように、彫像までつくって通行人に唾をはきかけることを強要する国もあります。
    けれど『古事記』は、どこまでも、人の愛を尊重しています。
    それが日本のこころです。

    そして人の愛を尊重する、あるいは活きる、ないしは認められる社会というものは、たいへんに民度が高い社会です。
    民度が低く、誰もが自分の利益ばかりを追求するような国では、「咎人であってもその愛を尊重」するなどという甘いことは言ってられないからです。
    すこしでも甘い顔をしたら、すぐに民がつけあがって、自分の利益だけを声高に主張し、我儘を押し通そうとする。
    ですからそのような民を持つ国では、政府は厳罰主義で、一片の情のカケラもない苛斂誅求の辛き政府にならざるをえません。
    これは福沢諭吉が説いていることでもあります。

    そしてそのような国では、政府が民の民度を信じる姿勢を見せれば見せるほど、民衆はつけあがり、一部の者だけが利権を貪り、その利権を貪る者が、心が貧しくなった民衆を扇動して、より一層、愚かな貪りをし抜くようなになります。
    悲しいことですが、そのような国においては、政府が民を人間と思ってはいけない。

    李承晩は、朝鮮戦争のときに自国民を片端から虐殺しました。
    朝鮮戦争による南朝鮮の死者は、北に殺された人の数より、自国の軍隊に殺された人の数のほうが圧倒的に多かったとも言われています。
    そしてそのことの罪を問う声は、いまだに国の内外からひとつもあがっていません。
    毛沢東も、1億人以上の自国民を殺したと言われています。
    けれど彼もその国、その民族にとっては「偉大な英雄」です。

    李承晩にしても毛沢東にしても、それぞれその本人にとっては、ある意味幸せで充実した生涯であったかもしれません。
    しかし、そうした人をリーダーに仰ぎ、そうした人の持つ政府によって虐殺されたり収奪されたり、あるいはかろうじて生き残っても、極貧生活を余儀なくされる国民、あるいは民衆にとって、その時代は幸せな時代であったということができるのでしょうか。

    なにより大切なこと。
    それは誰もが豊かに安心して安全に暮らせる。
    そういう社会の建設です。
    そしてそういう社会であり、民族であればこそ、たとえ咎を受けたとしても、その夫を愛する妻の想いとその心が大切に尊重され、歌にまでなって、永く讃えられたのではないでしょうか。

    冒頭にある小灘一紀(こなだいっき)画伯の絵は、その下照姫(下照比売)です。
    小灘一紀画伯は、古事記を題材に様々な絵を書き、展示会等を通じて古事記の普及に携わっておいでの境港ご出身の洋画家です。
    どの絵も、とても美しい絵です。


    ※この記事は2016年8月の記事を大幅リニューアルしたものです。
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  • 巴御前(ともえごぜん)


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    https://in.renaissance-sk.jp/skrss_2211_sk3?cap=onagi
    ■□■━━━━━━━━━━━━━■□■

    巴御前は、ただ一騎で、敵に向かって馬を走らせました。
    やってきた敵は、武蔵国で評判の力自慢の大男、御田(みた)の八郎師重と、これに従う三十騎です。
    八郎師重というのは、いまで言うなら、まるでプロレスラーのような巨漢。しかも鎧を着て、槍を手にしています。
    ドドドと音を立てて駆けてくる、その八郎師重に、巴御前は正面からまっすぐに馬を走らせました。
    そして正面衝突しそうになった瞬間、巴御前は敵の槍を跳ね除け、そのまま馬の上から、馬上の八郎師重に飛びかかりました。

    絹本著色 『巴御前出陣図』 東京国立博物館所蔵
    20230113 巴御前
    画像出所=https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%B4%E5%BE%A1%E5%89%8D
    (画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
    画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)



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    巴(ともえ)御前といえば、朝日将軍木曽義仲(源義仲)の妻であり、剛勇無双な女性として有名です。

    平家物語は、巴御前について次のように描写しています。

    「巴は色白く髪長く、
     容顔まことに優れたり。
     ありがたき強弓精兵、
     馬の上、徒立ち、打物持っては
     鬼にも神にもあはうどいう
     一人当千の兵者(つわもの)なり。
     究極の荒馬乗り、悪所落し、
     軍といへば、札よき鎧着せ
     大太刀、強弓持たせて、
     まづ一方の大将には向けられけり。
     度々の高名、肩並ぶる者なし。
     されば今度も、
     多くの者ども落ち行き討たれける中に
     七騎がうちまで、
     巴は討たれざりけり」

    現代語訳すると次のようになります。

    巴御前は、色白で髪が長く、容姿がたいへんに優れた女性でした。
    比類のない強弓を引くことができる武人で、
    騎馬の上にあっても、徒歩であっても、
    刀を持っては、鬼が来ようと神が来ようと相手にしてしまおうという、
    ひとりで千人の敵兵にも当たろうという武者(つわもの)でした。
    極めてすぐれた荒馬乗りで、難所であっても駆け下り、
    ひとたび合戦となれば、上品な鎧(よろい)を着て、
    大太刀、強弓を手にして、一軍の大将として活躍し、
    たびたびの武功は、肩を並べる者がないほどでした。
    ですから、この度の合戦(治承・寿永の乱)にあって、
    多くの者共が敗走し討たれた中にあって、
    わずか七騎になるまで、巴御前は討たれずに生き残っていました。

    倶利伽羅峠の戦いで、あちらで四、五百騎、こちらで二、三百騎と戦い、駆け破って行くうちに、ついに、総大将の木曽義仲を含めて、わずか五騎になってしまいました。

    寿永3年(1184年)1月20日、木曽義仲は、愛する巴御前に言いました。
    「ワシは、ここで討ち死にしようと思っている。
     もし人手にかかれば自害する。
     だがな、この木曽殿が最後の戦いに、
     女連れであったなどと言われたくない。
     だがな、巴(ともえ)
     お前は女だ。
     どこへでも行け。
     行って落ち延びよ」

    愛する夫は、自分が死んでも、私を生かそうとしてくれている。
    そうと察した巴御前は、
    「よい敵がいれば、最期の戦いをしてお見せしましょう」
    と、死ぬ覚悟を示しました。

    そんな会話をしてとどまっているところに、敵が三十騎ほどで攻めて来ました。
    「では、殿、
     おさらばでございます。
     殿はこのまま、
     先にお進みなさいませ。」
    そう言い残すと巴御前は、ただ一騎で、敵に向かって馬を走らせました。
    やってきた敵は、武蔵国で評判の力自慢の大男、御田(みた)の八郎師重と、これに従う三十騎です。
    八郎師重というのは、いまで言うなら、まるでプロレスラーのような巨漢。しかも鎧を着て、槍を手にしています。

    ドドドと音を立てて駆けてくる、その八郎師重に、巴御前は正面からまっすぐに馬を走らせました。
    そして正面衝突しそうになった瞬間、巴御前は敵の槍を跳ね除け、そのまま馬の上から、馬上の八郎師重に飛びかかりました。

    強いと言っても、八郎に比べれば、はるかに小柄な巴御前です。
    けれど馬の勢いに乗って斜めに飛びかかった巴御前に、八郎は態勢を崩して巴御前とともに落馬します。
    その、馬から落ちて地面に落ちるまでの、わずかな空きに、巴御前は八郎の兜(かぶと)を持ち上げると、そのまま八郎の首を斬り落としました。
    まるで鬼神のような早業でした。

    あまりの巴御前の強さに恐怖した八郎の部下たちは、恐怖して、馬を返して潰走します。
    後には、首を失った八郎の遺体と、巴御前ひとりが残されていました。

    他に誰もない。
    峠は、シンと静まり返っていました。

    愛する夫も去っていった。
    おそらく、数刻の後には、その夫も死ぬことであろう。
    巴御前は、ひとしずくの涙を袖で拭うと、鎧を脱ぎ捨てました。
    そして、ひとり、どこかへと去って行きました。

    その後の巴御前の行方は、諸説あってわかりません。
    滋賀の大津の義仲寺は、巴御前が義仲の菩提を弔って庵を結んだことがはじまりとの伝承があり、
    また長野県の木曽、富山県の南砺市、富山県小矢部市、新潟県上越市、神奈川県小田原市や横須賀市にも、巴御前の終焉の地とされるところがあります。

    古来、女性の「好き」と、男性の「好き」は意味が異なるといいます。
    男性の「好き」は、「手に入れる」、「手に入れたものを護る」という行動に結びつきます。
    けれども女性の「好き」は、自分にあるすべてで対象を抱きしめる。
    このことは、父性と母性の違いと考えるとわかりやすいかもしれません。

    そのように考えると、もしかすると甲冑を脱いだ巴御前は、平服のまま木曽義仲の後を追ったのかもしれません。
    巴御前と別れたあとの木曽義仲は、麾下の今井兼平と二名で粟津の松原まで駆けます。
    そして自害する場所を求めてあたりを徘徊したところ、馬の足が深田に取られて身動きがつかなくなってしまう。
    そこに追いついた敵方が、義仲に矢を射る。
    矢は木曽義仲の顔面に命中し、義仲はここで絶命します。
    そしてこれを見た兼平も、その場で自害しました。

    義仲の首は追手に刎ねられて持ち去られました。
    巴御前がその現場に到着したときには、おそらく木曽義仲が首のない遺体となってからのことであったろうと思います。
    変わり果てた夫の姿を見て、巴御前は、その遺体の埋葬をしたのか、それとも遺体から形見をとって、いずこへと立ち去ったのか。

    その後の巴御前の消息について、『平家物語』は不明としているのですが、『源平盛衰記』は、このあと源頼朝によって鎌倉に招かれ、和田義盛の妻となって朝比奈義秀を生んだとしています。
    鎌倉内部の政権争いによって起きた和田合戦によって和田義盛が討ち死にした後は、越中国の福光の石黒氏の元に身を寄せ、その後、出家して尼僧となり、91歳で生涯を終えた記述しています。
    ただこの説は、年代が合わないという指摘もあり、事実は遥としてわかりません。

    お能の演目の「巴」では、巴御前の御霊(みたま)が、愛する木曽義仲と最期をともにできなかったことから、この世をさまよう様子が描かれ、そんな巴御前の御霊と出会った旅の僧の読経によって成仏するという筋書きになっています。

    いまを去ること840年前、戦乱の世に生まれ、愛に生きた美しい女武者がいました。
    巴御前のみやびで艶やかで一途な姿は、いまなお多くの人々によって語り継がれています。


    ※この記事は2022年1月の記事を大幅にリニューアルしたものです。
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  • 海神の宮殿のもうひとつの解釈


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    10月23日13:30より富岡八幡宮婚儀殿で第95回倭塾を開催します。
     詳細は↓で。
    https://www.facebook.com/events/1041364216516794
    ■□■━━━━━━━━━━━━━■□■

    三内丸山遺跡は、縄文時代前期中頃から中期末葉(約5900-4200年前)の大規模集落跡とされていて、忽然と村人たちが消えた村とされていますが、急激な気温の低下によって、そこに住んでいた海神の一族が、村を捨て、今度はその時代にとても暖かかった沖縄に住んで、そこを竜の宮、竜宮と呼ぶようになったのかもしれません。

    20210218 三内丸山遺跡



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    今使われている「琉球」という名は、十四世紀後半の明の時代に、明の皇帝が琉球三山時代に沖縄にあった3つの王朝(琉球國山北王、琉球國中山王、琉球國山南王)の冊封を明が認めたときに、明への冊封国の証として「氵」が「王偏」に置き換えられて「琉球」となったものです。

    それ以前のチャイナでは、沖縄のことを「流求」と書いていました。
    これもまた証拠があって、『隋書巻81列伝第46東夷伝』にに「流求國」とあります。
    ちなみに沖縄がチャイナの史書に登場するのは、これが初出になります。

    誰でも知っていることですが、古代のチャイナでは、周辺諸国を蛮族と呼び、ろくでもない漢字を当てるのが常でした。
    ですから、その「流求」という字もまた、意図的に貶めようとして用いられた当て字です。
    ただ、そうはいっても彼らが漢字の当て字をしようとするとき、必ず行うのが、発音、つまり音(こえ)だけは、似た発音になるようにする。

    そこで記紀に、似た発音の土地があるかと探してみると、これがあります。
    「竜宮」です。
    つまり、我々大和民族が、竜宮と認識していたところを、チャイナは勝手に流求と書き、朝貢したら、もったいをつけて琉球にしたわけです。
    そんな漢字をいまだにありがたがって使っている日本人もまたお人好し以外の何者でもない。
    その意味で、個人的には、これからは琉球は、日本式に「竜宮」と表記すべきではないかと思っています。

    ところで日本列島は、というより地球気温そのものがそうなのですが、千年の単位で図ると、上昇期があったり、気温の下降期があったりします。
    その温度差は、直近の1万年だけでも、年間平均気温が現在よりも−8℃から+2℃まで、つまり10℃も違います。
    (それ以前の10万年くらいのスパンでみると、気温差はもっと大きくなります)

    このことは、戦前から昭和30年代くらいまで、日本列島がとっても寒くて、日本海側などでは、平野部でも冬になると2階の窓から出入りしなければならないほどの大雪が降ったのに、いまでは4〜50センチ程度しか積もらなくなったことでも明らかですし、夏場でも、一昔前まではラジオで「今日は30度を超える猛暑です」なんて放送していたものが、いまでは40℃を越す猛暑になったりしていることでも明らかなことです。

    歴史を振り返れば、いまから6千年前には、いまよりも年間平均気温が2℃も高く、この時期には日本列島の西日本一帯は熱帯雨林でしたし、青森あたりが、いまの鹿児島のような温暖な気候でした。
    逆に3000年ほど前は、いまより年平均気温が2℃低く、この頃は東日本はいまの樺太北部のような亜寒帯で、東京あたりでも、冬には零下40℃くらいになる、寒い時期であったとされています。

    日本人は、もともと海洋族で、海で魚を捕り、貝を拾って食べていたことは縄文時代の遺跡から明らかになっていますし、葦舟に乗って、外洋をどこまでも航海する、航海術に長けた民族であったことも近年では明らかになりつつあります。
    そして漁労を中心とする海洋族であれば、海水温の変化によって、収穫する魚が北へ移動すれば、住居も北へと移動させる。
    南へ移動すれば、住居もまた南へ移動させていたと考えられます。

    とにかく日本列島全体で、12万人くらいしか人口がなかったのが縄文時代です。
    土地の所有権で揉める心配はないのですから、その時時の気象環境で、最も住みよいところに住めばよかったわけです。

    そしてこのことに記紀を重ね合わせると、おもしろいことがわかります。

    先程、琉球は竜宮であると書きました。
    そして竜宮におわされたのが、海神(わたつみのおほかみ)です。

    その海神の宮殿について、日本書紀がおもしろい記述をしているのです。
    引用します。

    ここにかごすて  いでしとき 於是棄籠遊行
    わたつみかみの  みやいたる 忽至海神之宮
    そのみやちてふ  ととのひて 其宮也雉堞整頓
    たかどののうへ  かがやきぬ 臺宇玲瓏


    >《現代語訳》
     塩土老翁(しおつちのおきな)に作ってもらった籠(かご)に乗ってしばらくして岸辺に着いた山幸彦が、籠を捨てて歩くと、たちまち海神(わたつみのかみ)の神殿に到着しました。
    その神殿は、高々とした土壁《これを雉(たかがき)といいます》の上に、立派な垣根(かきね)《堞(ひめがき)》が、きちんと手入れされていて《頓》、周囲を見渡すように建てられた高い建物《臺(うてな)》は、燦々(さんさん)と輝いていました。


    現代語訳をお読みいただくとわかりますが、海神(わたつみのかみ)の宮殿の様子がかなり細かく描写されています。
    原文で
    「其宮也雉堞整頓臺宇玲瓏門前有一井」
    とあるなかの「雉(ち)」という字は、高さ9メートルほどの土塀(どべい)のことを言います。
    石垣ではありません。
    土を盛り上げた塀のことです。
    つまり、堤防に近いイメージです。

    その土塀の上に「堞(ひめがき)」があります。
    これは垣根(かきね)のことで、簡単にイメージするなら盛土した堤防の上に植樹がされている情景です。

    その「堞(ひめがき)」が、きちんとえられていて、しかもたいへん手入れが行き届いている《頓》と描写しています。

    さらに塀の内側には、周囲を見渡すように建てられた高い建物である「臺(うてな)」があります。
    「臺(うてな)」というのは今風にいえばタワーのことです。

    そしてそのタワーが「玲瓏(れいろう)」とあります。
    これは「美しく光り輝いている」という意味の言葉です。
    これはひとつには、そのタワーが太陽の光を浴びて燦然(さんぜん)と輝いていると書いているようにも見えますが、もうひとつ、そのタワー自体が光を発しているという意味とも受け取ることができます。
    つまり、灯台です。

    そして、実際にこの情景にそっくりな遺跡があります。
    それが三内丸山遺跡です。

    三内丸山遺跡には、六本柱の巨柱がありますが、この柱は2度の傾斜を付けて建てられていたことがわかっています。
    この2度の傾斜というのは、現代の東京スカイツリーや、全国にある灯台の建築と同じです。
    わずかにハの字型に傾斜を付けることによって、塔の倒壊を防いでいるのです。

    そしてその六本柱の居中の近くには、壮大な建築物があり、この巨柱の周囲は、ゆるやかな傾斜になっていて低地へと接続しています。

    その低地の部分ですが、縄文時代には、海であったと推測されています。
    いまの青森市のあたりは、沖積平野で、川の土砂の堆積と、海水面の低下によって平野となったものです。
    昔は、平野部は概ね海で、三内丸山遺跡は、その海に面した村落であったわけです。

    その海の宮に、山幸彦が「潮の流れに乗って船で」やってきます。
    黒潮は、対馬海峡から日本列島沿いに北上して青森に至り、太平洋へと抜けていきます。
    そして昔は日本海側が経済の中心地ですから、海流を考えれば、三内丸山遺跡にやってきたとしてもおかしくはないのです。

    しかも、「臺」のような建築物の遺跡は、すくなくとも現代においては三内丸山遺跡でしか見つかっていません。
    もしそれが、日本書紀にある「臺宇玲瓏」であるとするならば、実は三内丸山遺跡こそが、海神(わたつみのかみ)の宮殿跡であったということになります。

    三内丸山遺跡は、縄文時代前期中頃から中期末葉(約5900-4200年前)の大規模集落跡とされていて、忽然と村人たちが消えた村とされていますが、急激な気温の低下によって、そこに住んでいた海神の一族が、村を捨て、今度はその時代にとても暖かかった沖縄に住んで、そこを竜の宮、竜宮と呼ぶようになったのかもしれません。

    ちなみに、沖縄という呼称は、初出が淡海三船が記した鑑真の伝記の『唐大和上東征伝』(779年)で、この書の中で鑑真らが、島民に
    「ここは何処か」
    との問うたとき、島民が
    「阿児奈波(あこなは)」と答えたところから来ています。
    いまでは、実際には、沖縄の方言で「「阿児奈波(あこなは)」は、「私の名は」といった意味であったことであろうと言われています。

    この表記を「沖縄」にしたのは江戸中期の新井白石で、1719年の『南島誌』の中で『平家物語』に登場する「おきなわ」を「沖縄」と記したことが初出です。

    いずれにしても、はっきりといえそうなのは、日本列島、北から南まで、みんな祖先をひとつにする家族だ、ということです。
    これはとても大切なことです。


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    第96回倭塾 11/20(日)13:30〜16:30 東京都千代田区神田佐久間町2-15 秋葉原加藤ビル 6階
    第97回倭塾 2023/1/21(土)13:30〜16:00 タワーホール船堀401室
    第98回倭塾 2023/2/18(土)13:30〜16:00 タワーホール船堀401室


                         

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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

講演のご依頼について

最低3週間程度の余裕をもって、以下のアドレスからメールでお申し込みください。
むすび大学事務局
E-mail info@musubi-ac.com
電話 072-807-7567
○受付時間 
9:00~12:00
15:00~19:00
定休日  木曜日

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