• 海神の宮殿のもうひとつの解釈


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    三内丸山遺跡は、縄文時代前期中頃から中期末葉(約5900-4200年前)の大規模集落跡とされていて、忽然と村人たちが消えた村とされていますが、急激な気温の低下によって、そこに住んでいた海神の一族が、村を捨て、今度はその時代にとても暖かかった沖縄に住んで、そこを竜の宮、竜宮と呼ぶようになったのかもしれません。

    20210218 三内丸山遺跡



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    今使われている「琉球」という名は、十四世紀後半の明の時代に、明の皇帝が琉球三山時代に沖縄にあった3つの王朝(琉球國山北王、琉球國中山王、琉球國山南王)の冊封を明が認めたときに、明への冊封国の証として「氵」が「王偏」に置き換えられて「琉球」となったものです。

    それ以前のチャイナでは、沖縄のことを「流求」と書いていました。
    これもまた証拠があって、『隋書巻81列伝第46東夷伝』にに「流求國」とあります。
    ちなみに沖縄がチャイナの史書に登場するのは、これが初出になります。

    誰でも知っていることですが、古代のチャイナでは、周辺諸国を蛮族と呼び、ろくでもない漢字を当てるのが常でした。
    ですから、その「流求」という字もまた、意図的に貶めようとして用いられた当て字です。
    ただ、そうはいっても彼らが漢字の当て字をしようとするとき、必ず行うのが、発音、つまり音(こえ)だけは、似た発音になるようにする。

    そこで記紀に、似た発音の土地があるかと探してみると、これがあります。
    「竜宮」です。
    つまり、我々大和民族が、竜宮と認識していたところを、チャイナは勝手に流求と書き、朝貢したら、もったいをつけて琉球にしたわけです。
    そんな漢字をいまだにありがたがって使っている日本人もまたお人好し以外の何者でもない。
    その意味で、個人的には、これからは琉球は、日本式に「竜宮」と表記すべきではないかと思っています。

    ところで日本列島は、というより地球気温そのものがそうなのですが、千年の単位で図ると、上昇期があったり、気温の下降期があったりします。
    その温度差は、直近の1万年だけでも、年間平均気温が現在よりも−8℃から+2℃まで、つまり10℃も違います。
    (それ以前の10万年くらいのスパンでみると、気温差はもっと大きくなります)

    このことは、戦前から昭和30年代くらいまで、日本列島がとっても寒くて、日本海側などでは、平野部でも冬になると2階の窓から出入りしなければならないほどの大雪が降ったのに、いまでは4〜50センチ程度しか積もらなくなったことでも明らかですし、夏場でも、一昔前まではラジオで「今日は30度を超える猛暑です」なんて放送していたものが、いまでは40℃を越す猛暑になったりしていることでも明らかなことです。

    歴史を振り返れば、いまから6千年前には、いまよりも年間平均気温が2℃も高く、この時期には日本列島の西日本一帯は熱帯雨林でしたし、青森あたりが、いまの鹿児島のような温暖な気候でした。
    逆に3000年ほど前は、いまより年平均気温が2℃低く、この頃は東日本はいまの樺太北部のような亜寒帯で、東京あたりでも、冬には零下40℃くらいになる、寒い時期であったとされています。

    日本人は、もともと海洋族で、海で魚を捕り、貝を拾って食べていたことは縄文時代の遺跡から明らかになっていますし、葦舟に乗って、外洋をどこまでも航海する、航海術に長けた民族であったことも近年では明らかになりつつあります。
    そして漁労を中心とする海洋族であれば、海水温の変化によって、収穫する魚が北へ移動すれば、住居も北へと移動させる。
    南へ移動すれば、住居もまた南へ移動させていたと考えられます。

    とにかく日本列島全体で、12万人くらいしか人口がなかったのが縄文時代です。
    土地の所有権で揉める心配はないのですから、その時時の気象環境で、最も住みよいところに住めばよかったわけです。

    そしてこのことに記紀を重ね合わせると、おもしろいことがわかります。

    先程、琉球は竜宮であると書きました。
    そして竜宮におわされたのが、海神(わたつみのおほかみ)です。

    その海神の宮殿について、日本書紀がおもしろい記述をしているのです。
    引用します。

    ここにかごすて  いでしとき 於是棄籠遊行
    わたつみかみの  みやいたる 忽至海神之宮
    そのみやちてふ  ととのひて 其宮也雉堞整頓
    たかどののうへ  かがやきぬ 臺宇玲瓏


    >《現代語訳》
     塩土老翁(しおつちのおきな)に作ってもらった籠(かご)に乗ってしばらくして岸辺に着いた山幸彦が、籠を捨てて歩くと、たちまち海神(わたつみのかみ)の神殿に到着しました。
    その神殿は、高々とした土壁《これを雉(たかがき)といいます》の上に、立派な垣根(かきね)《堞(ひめがき)》が、きちんと手入れされていて《頓》、周囲を見渡すように建てられた高い建物《臺(うてな)》は、燦々(さんさん)と輝いていました。


    現代語訳をお読みいただくとわかりますが、海神(わたつみのかみ)の宮殿の様子がかなり細かく描写されています。
    原文で
    「其宮也雉堞整頓臺宇玲瓏門前有一井」
    とあるなかの「雉(ち)」という字は、高さ9メートルほどの土塀(どべい)のことを言います。
    石垣ではありません。
    土を盛り上げた塀のことです。
    つまり、堤防に近いイメージです。

    その土塀の上に「堞(ひめがき)」があります。
    これは垣根(かきね)のことで、簡単にイメージするなら盛土した堤防の上に植樹がされている情景です。

    その「堞(ひめがき)」が、きちんとえられていて、しかもたいへん手入れが行き届いている《頓》と描写しています。

    さらに塀の内側には、周囲を見渡すように建てられた高い建物である「臺(うてな)」があります。
    「臺(うてな)」というのは今風にいえばタワーのことです。

    そしてそのタワーが「玲瓏(れいろう)」とあります。
    これは「美しく光り輝いている」という意味の言葉です。
    これはひとつには、そのタワーが太陽の光を浴びて燦然(さんぜん)と輝いていると書いているようにも見えますが、もうひとつ、そのタワー自体が光を発しているという意味とも受け取ることができます。
    つまり、灯台です。

    そして、実際にこの情景にそっくりな遺跡があります。
    それが三内丸山遺跡です。

    三内丸山遺跡には、六本柱の巨柱がありますが、この柱は2度の傾斜を付けて建てられていたことがわかっています。
    この2度の傾斜というのは、現代の東京スカイツリーや、全国にある灯台の建築と同じです。
    わずかにハの字型に傾斜を付けることによって、塔の倒壊を防いでいるのです。

    そしてその六本柱の居中の近くには、壮大な建築物があり、この巨柱の周囲は、ゆるやかな傾斜になっていて低地へと接続しています。

    その低地の部分ですが、縄文時代には、海であったと推測されています。
    いまの青森市のあたりは、沖積平野で、川の土砂の堆積と、海水面の低下によって平野となったものです。
    昔は、平野部は概ね海で、三内丸山遺跡は、その海に面した村落であったわけです。

    その海の宮に、山幸彦が「潮の流れに乗って船で」やってきます。
    黒潮は、対馬海峡から日本列島沿いに北上して青森に至り、太平洋へと抜けていきます。
    そして昔は日本海側が経済の中心地ですから、海流を考えれば、三内丸山遺跡にやってきたとしてもおかしくはないのです。

    しかも、「臺」のような建築物の遺跡は、すくなくとも現代においては三内丸山遺跡でしか見つかっていません。
    もしそれが、日本書紀にある「臺宇玲瓏」であるとするならば、実は三内丸山遺跡こそが、海神(わたつみのかみ)の宮殿跡であったということになります。

    三内丸山遺跡は、縄文時代前期中頃から中期末葉(約5900-4200年前)の大規模集落跡とされていて、忽然と村人たちが消えた村とされていますが、急激な気温の低下によって、そこに住んでいた海神の一族が、村を捨て、今度はその時代にとても暖かかった沖縄に住んで、そこを竜の宮、竜宮と呼ぶようになったのかもしれません。

    ちなみに、沖縄という呼称は、初出が淡海三船が記した鑑真の伝記の『唐大和上東征伝』(779年)で、この書の中で鑑真らが、島民に
    「ここは何処か」
    との問うたとき、島民が
    「阿児奈波(あこなは)」と答えたところから来ています。
    いまでは、実際には、沖縄の方言で「「阿児奈波(あこなは)」は、「私の名は」といった意味であったことであろうと言われています。

    この表記を「沖縄」にしたのは江戸中期の新井白石で、1719年の『南島誌』の中で『平家物語』に登場する「おきなわ」を「沖縄」と記したことが初出です。

    いずれにしても、はっきりといえそうなのは、日本列島、北から南まで、みんな祖先をひとつにする家族だ、ということです。
    これはとても大切なことです。


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  • 大国主神の成長神話


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    古事記は、愛する者を護るため、民衆を護るために、何が必要なのかを優先して考え、行動せよ教えてくれています。
    「俺のため」では、誰もついてこないのです。誰も助けられないし、助けてもくれないのです。
    私たちは、「いまだけ、カネだけ、自分だけ」ではなく、
    「未来にも、安全な食事を、みんなとともにすることができる」
    そういう時代を拓くべきなのです。
    それが日本の神々の御神意です。

    大国主神の像(出雲大社)
    20221007 大国主神
    画像出所=https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%9B%BD%E4%B8%BB
    (画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
    画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)



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    大国主は国の譲渡の条件として、
    「私の住処(すみか)として、
     大地の底まで宮柱が届き、
     高天原まで千木が高くそびえ立つほどの、
     大きく立派な神殿を建ててください。
     そうすれば私はそこに隠れましょう」
    と申し出ています。

    そのことでご創建されたのが出雲大社(いずもおおやしろ)です。
    出雲大社も伊勢神宮と同様、いつご創建されたのか、その年月はわかりません。
    それは、
    「わからないくらい古い昔に建てられた」
    ということです。

    さて、その国譲り神話は、
    わが国が国家という大きな単位においても、戦(いくさ)ではなく話し合いで事態を解決する精神や、
    敗れた側を皆殺しにしたりするのではなく、相手の名誉を讃え尊重し顕彰するという日本的心の教えとして紹介されることが多いです。
    けれども実はもうひとつの大切な教えがあります。

    そこで大国主神話を簡単に振り返ってみますと、はじめに大国主神は、因幡で怪我をした白ウサギを助けたとう物語があります。
    有名な因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)の神話です。
    怪我をして困っているウサギを、大国主神が助けたというお話です。
    古事記では、大国主神のこの頃のお名前、つまり若いころのお名前を「大穴牟遅(おおなむち)」と書いていますが、ここでは、わかりやすさを優先して、すべて大国主神で統一して書きます。

    大国主神は困っているウサギを助けただけでなく、ウサギの治療まで行っています。
    つまりこの頃の大国主神は、
     弱い者を助けるやさしさと、
     医療の知識を持った青年
    として描かれています。

    ウサギを助けたあとには、隣国の八上比売(やがみひめ)という美女と結婚しています。
    つまりそれは、
     女性からも好かれる良い青年であった
    ということです。
    皆様の同級生にも人一倍勉強ができてスポーツも万能という非の打ち所のない優秀な生徒がおいでになったことと思います。それと同じです。

    大国主神は、ウサギを助ける直前まで、八十もいる兄たちの荷物を全部ひとりで背負って運んでいます。
    それは、相当な量の荷物であったろうと想像できます。
    それだけの荷物を背負って運べたということは、ものすごい体力の持ち主でもあったわけです。
    ということは、背も高かったのかもしれません。
    しかも大国主神は、母からもとても愛されています。

    ところが、このように、「人柄が良くて頭も良くて美男子で力持ち」というのは、いわゆる「目立つ」存在です。
    いつの時代も同じです。
    目立つ者はイジメられます。
    大国主神もまた、兄たちからよってたかってイジメを受けます。

    ちなみにここで少し解説を加えます。
    古い昔においては、村は全員血縁関係者です。
    ですから、村の若者は全員、兄弟とみなされました。
    同じ親から生まれたということではなく、同じ祖先を持つ一族の兄弟という意味です。

    さて、八十もいる兄たちの荷物を全部背負ったということは、普通に考えれば、「背負わされていた」ということです。
    つまり、バカにされ、下にみられていたわけです。
    ところが、そんなバカにしていた弟が、目当てにしていた八上比売と結ばれるのです。
    古来、
    「男の嫉妬と女の恨みほど恐ろしいものはない」
    といいます。

    そして男の嫉妬は、必ず暴力的な仕打ちに発展します。
    昨今、ネットいじめなどが話題になったりしていますが、そういうことは何もいまにはじまったことではないのです。
    実際、大国主神も、死の危険に遭うほどの酷いイジメにさらされます。

    イジメられるということは、イジメという不条理に、「戦う術(すべ)を持っていない」ということです。
    現代のイジメも同様で、学校や教育の専門家などは、
     むやみに喧嘩したらいけない。
     人を怪我させてはいけない。
     戦いは避けなければならない。
    などと教えます。

    なるほどそれらは人の世の良心の発露です。
    けれど物事には裏表があります。
    抵抗しないとわかれば、嵩(かさ)にかかってその人や国家を、イジメ苛(さいな)み苦しめて自己の利益を図る者というのは、いつの世にも必ずいるのです。
    それは、相手を嫌いだからとか、嫌な奴だからではありません。
    軽くみているからです。
    別な言い方をすれば、舐められているのです。

    さらに、悪いことに人には人を支配することを喜びがあります。
    イジメをしている側は、イジメる相手に対して「悪いことをしている」という罪悪感がありません。
    支配することを、むしろ正義と思っている場合さえあるくらいです。

    さて、大国主神は優秀な若者として描かれています。
    イジメをうけるくらい、頭が良くて美男子で力持ちで優秀なのです。
    けれど、それだけでは「大いなる国の主」にはなれません。

    何が不足しているのでしょうか。
    優秀な人はこの世にたくさんいます。
    けれど人の上に立つリーダーとなれるのは「限られたひとり」です。
    その違いとなるものが、次の展開で明かされていきます。

    あまりに酷いイジメを受けた大国主神は、根の堅州国にいる須佐之男命を訊ねて行きます。
    その途中で須佐之男命の娘の須勢理比売(すせりひめ)と出会い、恋に落ちます。
    ところが須勢理比売が父の須佐之男命(すさのおのみこと)に夫となるべき彼を紹介すると、大国主神話の事情を聞いた須佐之男命は、黙って大国主神を「蛇の部屋」に閉じ込めてしまうのです。

    その部屋は夜になると毒蛇がウヨウヨと出てくる部屋です。
    そのままでは大国主神は蛇に噛み殺されて死んでしまいます。
    このことを知った須勢理比売は、大国主神が部屋に入る前にヒレと呼ばれる肩衣を手渡します。
    そして蛇が出てきたら、蛇に向かってそのヒレを振るようにと話します。
    夜中に蛇がウヨウヨと出てきます。
    大国主神が言われた通りヒレを振ると、蛇が退散していきましたので、大国主神はその後、ぐっすりよく眠れたと古事記は書いています。

    蛇の部屋から無事に出てきた大国主神を、須佐之男命は、こんどは「ムカデの部屋」に入れます。
    そこでも大国主神は、ヒレを使って無事によく寝ることができました。
    次に「蜂の部屋」にも入れられましたが、そこでも大国主神は、ヒレを使って無事によく寝ることができたと古事記は書いています。

    しかし、です。
    ただヒレを振るだけで、蛇や蜂やムカデが退散してくれるものなのでしょうか。
    疑問を持ったまま、物語の続きを読んでみます。

    三つの部屋をクリアした大国主神を、今度は須佐之男命は野原に誘います。
    そして鏑矢を野の真ん中に撃ちこむと、それを拾ってくるように大国主神に命じます。
    大国主神がそのとおりにすると、須佐之男命は野の周囲から火を放ちます。
    大国主神話は、周囲を紅蓮の炎に巻かれてしまいます。

    するとそこに小さな野ネズミが現れます。
    そして「ここを足で踏みつけろ」と言うのでその通りにしますと、そこに大きな穴がポッカリと空き、穴に入ると炎は大国主神の頭上を通り過ぎて行き、大国主神話は助かります。

    このあと大国主神は須勢理比売を連れて根の堅州国を出て、八十神たちを退治し、さらに八千矛神(やちほこのかみ)となり、さらに周辺の国々を平らげて、大いなる国の主となったというのです。
    八千矛神という名は、ものすごくたくさんの槍を持った兵を持つ、大軍の将という意味です。
    そして大国主という名前は、まさに大いなる国の主という意味です。
    大国主神の国は、東亜全体を包み込むような大国です。
    つまり大国主神は、東亜の超大国の大王となったのです。

    古事記は、この物語で、いったい何を伝えようとしたのでしょうか。
    根の堅州国での出来事もそうです。
    何を意味しているのでしょうか。
    ぐっすり眠ることが出世の糸口なのでしょうか。
    穴に隠れて危険をやり過ごすことが、リーダーの条件なのでしょうか。

    これは日本の古典文学に共通していることなのですが、ただ表面上に書かれていることだけを読んでも、意味はわかりません。
    短い言葉の中に、どのような意味があるのかを察しながら読むことで、その真意が伝わるように書かれているのが、日本の古典文学の特徴です。
    そして「真意」は、古事記においては「神意」です。

    ここでの答えはすこし考えたらわかります。
    はじめに蛇の部屋とあります。
    蛇は手も足もありません。
    つまり蛇が意味しているのは、手も足も出ない状況であり、それが数えきれないくらいウヨウヨと襲ってくるという過酷な状況とわかります。
    そのままなら最早死ぬしかないくらい危険な状況です。
    かような危機に陥ったとき、リーダーはどのように対処したら良いのでしょうか。

    この答えを得るときに、「ヒレ」にこだわると解釈を間違えます。
    この問題提起に際して古事記は「ヒレを振った」と書いています。
    ヒレとは女性の肩衣、つまり現代風に言ったらショールのことです。
    神々の時代のことですから、もちろん魔除けのショール、蛇避けのショールがあっても、不思議ではありませんが、ここではもうすこし現実的に考えてみたいと思います。
    すくなくとも、振ったのが「御札」や「神札」ではなく、ショールであったということは、振るのは、ショールでなくても、タオルでもハンカチでも良いわけです。
    このように考えますと、問題解決の方法は、ヒレという小道具にあるわけではないとわかります。

    けれど大国主神は、疑いなくショールを振っています。
    なぜかといえば、須勢理比売を愛し、信頼しているからです。

    つまり手も足もでないような苦境に至った時、何を判断の根拠に据えて行動すべきなのかといえば、それは、
    「愛する者を護ろうとする心」と、
    「愛する者を信頼する心」
    であり、それを判断と行動の根幹にしなさいと、古事記は伝えていると読むことができます。

    人の上に立つリーダーは、自分ひとりでなんでもできるわけではありません。
    そしてリーダーのもとには、手も足もでないような過酷な状況が、いつでも何度でも繰り返し襲ってくるものです。
    そういうときに古事記は、
    「どうしようもなく困ったときは、
     あなたが愛する者を護るためにどうすればよいのか、
     あなたを愛する者を信頼し、
     愛する者の声をよく聞いて決めなさい」
    と教えてくれています。

    ムカデも同じです。
    ムカデは蛇と違い、今度は足がたくさんあります。
    つまり選択肢がたくさんありすぎて、どれを選択したらよいかわからない状況です。
    そのとき何を根拠に、何を根幹に据えて行動すべきかといえば、これまた答えは、
    「愛する者を信頼する心」と
    「愛する者のもとへと絶対に帰ろうとする心と行動」
    です。

    小中学生に「君は将来何になりたいのですか」と聞けば、その選択肢はまさに多様です。
    子供には、何にだってなれるチャンスがあります。

    けれど将来何になりたのかを、ただの夢として答えさせるのではなく、自分が将来何をしたら愛する者を護り抜くことができるかと考える。
    その答えが、「志」です。
    「ボクはトラックの運転手になりたい!」なら、ただの夢です。
    「ボクは父ちゃんの家業のトラックの運転をして迅速な物流の役に立ち、多くの人々に幸せを届け、大好きな母ちゃんや妹を護るんだい!」となれば、それは「志」です。
    夢は自分だけのものですから、はかなく消えても自分だけのことです。
    けれど志は、愛する人を支え、護ります。

    蜂も同じです。
    蜂は刺されたら痛いです。
    心身に痛みを受けたとき、何をもとにその痛みから立ち上がるか。
    答えは、愛する者を護るために、できること、必要なこと、しなければならないことをすることです。

    似たような状況と対処方法について述べたものに、孟子の『告子下・第十五』があります。

     *

    故に天の将に大任を是の人に降さんとするや 故天将降大任於是人也
    必ず先づその心志(しんし)を苦しめ    必先苦其心志
    その筋骨を労し              労其筋骨
    その体膚(たいひ)を餓やし        餓其体膚
    その身が行ところを空乏せしめ       空乏其身
    行ひ為すところを払乱せしむ        行仏乱其所爲所

    心を動かし性を忍ぶを以って        以動心忍性
    その能はざる所を曽益せしむる所以なり   曽増其所不能

    詩はまだまだ続きますが、ここまでを現代語に訳すと次のようになります。

     神々が、その人に何らかの使命を与えようとするときは
     必ず、先にその人を苦しめます。
     どのように苦しめるかというと、
     その人の心を苦しめ
     志が挫折するような事態を起こし
     過剰な肉体労働を強い
     体力を使い果たさせ
     餓えに苦しませ
     その身を極貧にまで追い落し
     その人の行おうとすることに
     ことごとく反する事態を招き起こします。
     神々はなぜそのようなことをするのでしょう。
     それは、
     その人の心を鍛え
     その人を忍耐強くし
     できないことを
     できるようにさせるためです。

    つまりひとことでいうなら孟子は、神は、これと見込んだ人にあらゆる厳しい試練を与える。
    それは「その人の心を鍛え、忍耐強くし、できないことをできるようにさせるため」なのだから、「我慢しなさい」と教えています。
    要するに孟子の教えは受動的です。

    ところが古事記に書かれた大国主神神話は、その成立はおそらく孟子よりも何千年も昔のことでありながら、教えているのは、たいへんに能動的です。
    困難に直面したときは、むしろ積極的に
    「愛する者を護るにはどうすれば良いか」を考え、
    「愛する者と【ともに】たちあがれ!」
    と説いているのです。

    大国主神は優秀だけれど、イジメを受けました。
    現代社会にも、イジメ問題があります。
    イジメによって命の危険にまで追いつめられてしまう方もたくさんいます。
    若者の自殺者数は、もはや国の戦争状態と同じ程の死者を毎年出すに至っています。

    そんな過酷なイジメを受けている若者や子供たちに、
    「それは天が大任を君に与えようとしているのだから我慢しなさい」というのでは、立つ瀬がありません。
    なぜなら、それは反撃してはいけない、それは暴力になる、だからただ我慢しなさいということだからです。
    だったら、我慢できない子や若者はどうしたら良いのでしょう。
    「場」から逃げるか、この「世」から逃げる(自殺する)しかない。
    それは最悪の選択というものです。

    古事記が書いているのは、そうではなくて、
    「愛する者を護るために、あなたならどうするのか」
    「愛する人とともに考え、たちあがりなさい」と説いています。
    イジメを受けて困っている子、悩んでいる若者に、
    「君にとっていちばん大切な人は誰?
     その大切な人のために、
     君は、どうしたら良い?
     大切な人を、どうすれば守れる?
     大切な人と一緒に考えてみようよ。
     君はひとりじゃないんだよ。
     君のことを大切に思ってくれている人がいる。
     どうしたらよいか、その人とともに考えてみようよ。
     その人を守るために君ができることを考えてみようよ」
    と問いかけています。
    ひとりじゃないのです。

    ここで、イジメられた側が、イジメた相手に「このやろー!」と殴りかかれ、反撃せよと説いているのではないことにも注意が必要です。
    イジメられた者が、イジメた者に殴りかかって怪我をさせれば、今度は世間の同情はイジメていた側に集まり、気がつけば、イジメられていたA君が「イジメの加害者」、もともと酷いイジメを繰り返していたB君が、「A君によるイジメの被害者」に、またたく間に逆転してしまうのです。
    これでは結局馬鹿を見るのは、イジメめられていたA君です。

    なぜそのようなことになってしまうかといえば、A君が、このとき「自分がイジメられているという窮地から逃れるために【自分のために】喧嘩する」からです。
    古事記はそうではなく、
    「愛する者を護るために愛する者とともに立ち向かえ」と説いているのです。
    ひとりで戦うのではなく、愛する者と【ともに】立ち向かうのです。

    古事記のこの段は、大国主神と須勢理姫が、力を合わせて蛇やムカデや蜂に立ち向かっています。
    夜中にそれらがゾロゾロと出てきたら、そりゃあ恐怖です。
    恐ろしいです。怖いです。
    けれど勇気を持って、大国主神はヒレを振りました。
    その勇気は、須勢理毘売を愛する心から生まれました。
    ヒレは、大国主神を愛する須勢理姫からの愛の象徴です。

    大国主神は、愛によって支えられ、愛とともにたちむかい、蛇やムカデや蜂を撃退したのです。

    そしてその蛇やムカデや蜂は、スサノオから与えられた薫陶です。
    古事記はここでスサノオを「大神」と記述しています。
    大神とは強大な存在です。
    その強大な存在から与えられる恐怖に、大国主神は須勢理姫の愛とともに勇気をもってたちむかい、恐怖を撃退したのです。

    イジメを受けたからといって、独りで立ち向かうだけなら、どちらがイジメの被害者かさえも、結果は曖昧になってしまうかもしれません。
    あるいは、そこで打ち負かされれば、ますますイジメはエスカレートしてしまうかもしれません。
    けれど、みんなで立ち上がる。
    その勇気は、愛によってもたらされるものです。
    愛によって【ともに】たちあがることで、手も足も出ない恐怖や、たくさんの選択肢という煩悩や、心身の痛みを乗り越えることができる。

    それをすることが、「優秀な若者」と、「大いなる国の主」になる者の違いであるということを、古事記は書いています。

    企業経営も同じです。
    会社の経営者であれば、本当に手も足もでないような苦境や、たくさんの選択肢の中での迷いや葛藤、あるいは心身にたとえようのない痛みを誰しも感じた経験を持つものです。
    そんなとき、経営者は、その苦境をどうやって乗り越えてきたのか。

    消極的に、ただ我慢しているだけでは、会社はつぶれてしまいます。
    そんなときに、愛する社員たちのために、愛する妻子のために、みんなと【ともに】立ち向かってきたら、いまがあります。

    苦難や苦境には、みんなの愛と、みんなの勇気で立ち向かう。
    それが大いなる国のリーダーとなる者のつとめなのだと、古事記は説いているのかもしれません。

    正しい行いをすれば、結果はついてくるといいます。
    現実はそんな甘いものではありません。
    正しい行いをし、正しく生きようとすれば、イジメに遭い、手足をもぎ取られ、あるいは煩悩の渦に飲み込まれ、しまいには心身に痛みを受ける。
    それが現実です。

    そうではないのです。
    古事記は、愛する人とともに、勇気を持って立ち向かえと説いています。
    自分ひとりの正義なら、ひとりよがりです。
    けれど、愛する者を護るという「志」が伴なえば、そこに決してくじけない強さが生まれます。

    古事記はさらに、野原の真ん中に打ち込んだ矢を取ってきなさいという逸話を通じ、弱い野ネズミの家族を登場させています。
    野ネズミたちは、その野原を根城にして生活していたのです。
    その大事な生活の拠点である野原を、自分たちの努力とはまったく関係のないことで、四方から火を付けられて焼かれてしまっています。
    それでものネズミたちは、困っている大国主神を助けています。

    四方を紅蓮の炎に囲まれる、つまりどうしようもない業火に焼かれる、そんな情況は、やはりリーダーとなる人なら、誰しも起こりうることです。
    けれどどんなに過酷な状況であっても、その過酷な状況の中で、人を助け、必死で生き抜こうとする人々がいるのです。

    リーダーであるなら、自分が業火に囲まれたということよりも、何よりまず、そうした人々のこと考えよと、古事記は教えています。
    「俺が」ではないのです。
    どこまでも「人々のために」です。

    大国主神はとても優秀な若者です。
    優秀だからイジメられました。
    イジメられたからといって、ただ反撃すれば良いのでしょうか。
    復讐すれば良いのでしょうか。
    それは何のためでしょうか。
    自分のために反撃する、自分が辛いから復讐する。
    そのようなことを、古事記は一切認めていません。

    そうではなくて、愛する者を護るため、民衆を護るために、何が必要なのかを優先して考え、行動せよ教えてくれています。
    「俺のため」では、誰もついてこないのです。誰も助けられないし、助けてもくれないのです。
    だからそういう人は、「いまだけ、カネだけ、自分だけ」の世界に入り込もうとします。

    けれどよく考えていただきたいのです。
    「いまだけ、カネだけ、自分だけ」というなら、もっとも大きな力を持つのは、
    「現に巨大な経済力を持ち、他国の通貨と両替できる紙をいくらでも発行できる人」になります。
    我々は、そういう人々に、身も心も支配されることになります。

    最近、その手の人達が農作物の種子の支配に次いで仕掛けているのが、昆虫食なのだそうです。
    アンジェリーナ・ジョリーがタランチュラを食べている画像などが、いま世界中に出回っています。
    要するに、まともな野菜や肉は、支配層が食べるから、一般人は昆虫を食え!というわけです。

    いろいろな考えの人がいるでしょうが、すくなくとも私は気持ち悪いです。
    まともな、新鮮で美味しいお野菜やお米を食べたい。
    子や孫たちにも、新鮮で美味しいお野菜やお米を生涯食べることができるようにしてあげたい。

    ならば、あらためて神話を学び、
    「いまだけ、カネだけ、自分だけ」ではなく、
    「未来にも、安全な食事を、みんなとともにすることができる」
    そういう時代を拓くべきなのです。
    それが日本の神々の御神意です。


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  • 真実への扉


      ───────────────
    8月14日(日)に靖国神社でみなさまとご一緒に昇殿参拝を行います。
    事前申込は特に必要ありません。
    是非、ご一緒に英霊に感謝を捧げ、護国への決意を新たにしていきたいと思います。
    詳しい内容は↓コチラ↓
    https://nezu3344.com/blog-entry-5295.html

      ───────────────

    A案B案が対立しているのなら、その中間に真実がある。
    互いに対立するのではなく、その中間にある真実を見つけていくことが、真実への扉を開くと、古事記は教えてくれています。

    20220812 天照大御神
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    古事記には、黄泉の国からお帰りになられたイザナギ大神が、竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘小門(たちばなのおど)の阿波岐(あはき)原で、禊祓(みそぎはらひ)をされた後に、天照大御神、月読命、須佐之男命の三貴神をお生みになられるシーンがあります。
    イザナギ大神は、これをたいへんに喜ばれ、天照大御神に、その首に付けた玉の緒を天照大御神にお授けになられた記述があります。

    かくていざなき みことには   此時伊耶那岐命
    いたくよろこび のらさくは   大歓喜詔
    あはみこうみて うみのはて   「吾者生生子而於生終
    みつのたふとき こをえたり    得三貴子」
    かくてみくびの たまのおを   即其御首珠之玉緖
    もゆらにとりて ゆらかして   母由良迩(此四字以音下効此)取由良迦志而
    あまてるかみに たまひては   賜天照大御神而詔之
    いましみことは たかまはら   「汝命者所知高天原矣」
    ところしらせと ことよさむ   事依而賜也

    首に付けた玉の緒とは、一義的には、もちろんネックレスとしての勾玉のことですが、同時に我が国では、玉は「魂(たま)」を意味します。
    つまり「首に付けた玉」とは、イザナギ大神の魂そのものであるわけです。

    そして魂には、胎児が母体とつながるへその緒と同じく「魂の緒」があり、これが肉体とつながっています。
    つまりイザナギの大神は、娘の天照大御神に、男性神としての御霊(みたま)そのものをお授けになられたと、古事記は描写しているわけです。

    これはたいへんに重要な儀式です。
    なぜなら、大神が、その神聖の根幹である神としての御霊を、娘にお授けになられているからです。
    そしてここに、たいへん興味深い描写があります。
    それが、

     もゆらにとりて ゆらかして
    (母由良迩(此四字以音下効此)取由良迦志而)

    という描写です。
    「母由良迩(もゆらに)」には、続けて「此四字以音、下効此(この四字は音(こえ)を用いる。下はこれにならふ)」とありますから、ここは漢字そのものに意味がありません。
    ですから大和言葉で解釈することになります。

    その場合、「も」は「面(も)」です。
    「ゆら」は「万葉集の2065番に「足玉も手玉もゆらに織るはたを」という歌があり、これは物が触れ合って音が鳴ること、つまり「揺れる」ことです。
    つまり「もゆらに」は、「首につけた勾玉を、カラカラと音を立てて揺らしながら、顔から外した」という様子です。

    続く「ゆらかし」は、原文では「由良迦志」です。
    「ゆら」は上と同義です。
    「迦志(かし)」の「迦」は、釈迦という言葉があるように、「力と出会う、めぐりあう」といった意味で、
    「志」は「こころに誓う」ことを意味します。
    つまり「由良釈志(ゆらかし)」は、「揺らしながら、心の力を込めた」という意味になります。

    これはたいへん不思議な描写です。
    首から大切な魂を外して、その魂の緒紐を天照大御神様にお授けになられた・・・までは普通に理解できると思います。
    ところが、その「ものすごくたいせつな魂」を渡すときに、わざわざ、ゆらゆらと揺らしながら、天照大御神さまにお授けになっているからです。

    普通、相手にものを渡すときは、相手が受け取りやすいように、素直に渡すのが普通です。
    ところがイザナギの大神は、わざわざそれを、ゆらゆらと揺らしながら、娘に授けているのです。

    ここに大切なメッセージがあります。

    イザナギの大神の御霊(みたま)とは、「言葉では言い尽くせないほど大切なものである」ということはご理解いただけようかと思います。
    そしてその大切なものとは、実は、常に「ゆらゆらと揺れている」と古事記は伝えているのです。

    なんでもそうですが、すべてのことには「ゆらぎ」があります。
    人は、何につけても、敵か味方か、白か黒か、○か×か、陽か陰か、正しいか正しくないかなどと、ものごとを2つに分けたがります。
    その方が、はっきりするし、なんだか理知的な感じがしたりもします。

    けれど古事記は、「いちばんたいせつなものには、常に『ゆらぎ』があるのだ」と、ここで教えてくれているのです。

    白か黒かの二者択一ではなく、実は白黒どちらともつかない、グレーの部分が一番多かったりする。
    そこに真実があるのだ、と教えてくれています。

    このことは、現実世界の決断に際しても重要な意味を持ちます。
    A案とB案が対立する。
    どちらが正しいのか、激論となる。
    それが間違いのもとだ、と古事記は書いているのです。

    A案B案が対立しているのなら、その中間に真実がある。
    互いに対立するのではなく、その中間にある真実を見つけていくことが、真実への扉を開くのだ、と教えてくれているのです。


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    第94回倭塾 9/10(土)13:30~16:30 富岡八幡宮・婚儀殿2F
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  • 古事記に書かれた「従者(ともびと)」という言葉の重み


    上に立つ人も、下にいる部下も、みんな等しく「おほみたから」であり、「とも」です。
    それが日本の文化です。

    八上比売(八百万の神の浮世絵師 持田大輔さんのブログより)
    20220622 八上比売
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    大国主神話の冒頭に、実に興味深い記述があります。
    それが「従者」という記述です。
    大国主神は大いなる国の主になる前の若い頃、大穴牟遅(おほなむち)という名前でした。
    八十神(やそがみ)たちが八上比売(やがみひめ)を求めて出雲(いずも)から稲羽(いなば)に向かった時、大穴牟遅は「従者」であったと古事記は書いています。
    そして「従者」は、このように書いて「ともびと」と読みます。
    そこに日本的組織の大切な教えがあります。

    古事記の原文と読み下し文を読んでみます。

     ***

    おほくにぬしの あにおとに  故此大国主神之兄弟
    やそかみたちは みなくにを  八十神坐然皆国者
    おおくにぬしに さりましぬ  避於大国主神
    やそがみたちの さるゆえは  所以避者其八十神
    いなばのやがみ ひめこころ  各有欲婚
    おのおのよめを ほつしては  稲羽之八上比売之心
    ともにいなばに ゆきしとき  共行稲羽時
    おほなむちかみ ふくろおひ  於大穴牟遅神負袋
    ともびととして ひきゆきき  為従者率往

    (現代語訳)
    大国主(おおくにぬし)の兄弟の八十神(やそかみ)たちは、全員、国を去りました。
    その理由は、因幡(いなば)にある八上比売(やがみひめ)の心を嫁にしようと、皆でともに因幡に行ったときにはじまります。このとき大穴牟遅神(おほなむちのかみ)は、従者(ともびと)として引率されていました。

     ***

    西洋でも東洋でも、およそ世界の国々で社会を構成しているのは、上下と支配の関係です。
    上に立つものが主人、下にいる者が従者です。
    これを主従関係と言い、社会秩序の基になります。

    けれど実際には、主従関係と言えば聞こえは良いのですが、実態は所有関係です。
    上にいる人が下の人を私的に所有するという関係です。

    私的に所有することは、ひとことでいえば下にいる人は「私物」だ、ということです。
    極端に言えば煮て食おうが焼いて食おうが所有者の勝手です。
    職場におても上司がボスであり、所有者です。
    部下は所有物ですから、活かすも殺すも(つまりクビにするのも)上司のであるボスの勝手です。

    ところが日本は違うのです。
    上の文においても、従者と書いて「ともびと」と呼んでいます。
    しかも、普通であれば上司の数よりも部下の数の方が多いものですが、八十神(やそがみ)という何人いるかわからないほどたくさんいるのが上司であって、部下である従者は、大穴牟遅神ひとりです。

    ※八は、たくさんの、という意味を持ちます。八十(やそ)は、それが十もあるのですから、数え切れないほどたくさんの、という意味になります。

    普通ならひとりの課長の下に大勢の部下がいるものですが、ここでは数え切れないほどたくさんの部課長の下に、平社員がひとりだけ、という関係になっています。
    実に興味深い記述です。

    その部下のことを、従者(ともびと)と書いています。
    「ともびと」は、同音異義語で書けば「友人(ともびと)」です。

    友人同士の関係は、所有や支配とはまったく異なるものです。
    縦の関係ではなく、横の関係です。

    「とも」は「伴」とも書きますが、「伴」もまた同一集団に属する横の関係の仲間や友人のことを言います。
    伴侶なら配偶者のことですが、この「侶」という字も訓読みは「とも」です。
    つまり伴侶というのは、連れ添う友であり、夫婦は互いに同列にあって生涯をともに連れ添う対等な仲間という認識がそこにあります。

    似たような言葉に「一族郎党」があります。
    「一族」というのは血縁関係のある人々のこと、「郎」は良い男、「党」は仲間です。
    一族郎党とは、血縁関係のある良い男たちの仲間集団だ、というわけです。

    鎌倉武士は、御恩(ごおん)と奉公(ほうこう)の関係にありますが、地所を守って頂いたお礼に「いざ鎌倉!」と鎧兜に身を包み、馬に乗って複数の郎党を従えて出征します。
    そうした武士と郎党の姿は、なるほど外見上は大陸や西洋のような主従の関係に見えます。
    しかし日本型社会では、意味が違うのです。

    戦の時に、武器を手にして丁々発止(ちょうちょうはっし)と白刃(はくじん)を交えるのは馬上の武士の役割です。
    その武士の面倒を細かく見るのが郎党の役割です。

    よくボクシングの試合などで、次のラウンドの合間にリング上の選手が自分のコーナーに戻ると、コーチやら付き人の人たちが一斉に選手に群がって、汗を拭いたり指示を与えたり、トランクスを引っ張って呼吸をしやすくしたりします。
    そうしたコーチやら付き人の人たちと選手の関係は、選手によって支配された所有関係ではありません。
    全員が戦いに勝つための当事者としてのまとまりであり、互いに役割分担をして、チームで勝利を期します。
    馬上にあって郎党を従えた鎌倉武士の姿は、実はこれとまったく同じです。
    チームなのです。

    同様に、大穴牟遅の兄弟であった八十神たちもまた、大穴牟遅の支配者ではありません。
    大穴牟遅もともに八十神たちの仲間です。
    いわば同じ村の青年団の仲間たちであって、その中で大穴牟遅は他の仲間たちの荷物を担ぐ役割が与えられていたということです。
    ここに、西洋や東洋の主従関係とは一味違った日本型の集団構造があります。
    古事記はこのことを「従者(ともびと)」という言葉で表現しているわけです。

    日本型リーダーは、西洋や東洋の社会にあたりまえのようにあった上下と支配の関係とはまったく異なるものです。
    上司と部下の関係は、あくまで人として対等な関係を前提とします。
    従って部下は所有物ではなく、どこまでも身内であり「ともびと(友人)」であり、パートナーです。
    上司と部下は、同じ一つの目的のもとに集った仲間と認識されます。

    なぜこのような姿が日本に育ったのかと言うと、日本が古くからの文化を伝承した国だからです。
    これはとても貴重なことです。

    西洋でも東洋でも王朝は破壊と建国の歴史です。
    王朝が交替するたびに人口の三分の一が失われ、それまでにあったすべての社会システムは破壊され、まったく新たな社会統治体制が生まれます。
    ですから王朝が替わる度ごとに、すべてがゼロからスタートします。
    つまり以前の文化が伝承されないのです。
    このことは、知識や経験や知恵さえも、ふたたびゼロからスタートすることを意味します。

    近年の世界の科学技術の進歩は、まさに目をみはるものがありますが、そうした科学技術の進歩は、科学技術に関するあらゆる情報の交流が途切れていないことによります。
    ひとつの技術が成立すれば、その技術が公開情報となり、次の人はその技術をもとにさらにその上を行く技術を生み出していきます。

    十二馬力を出力することが夢だったエンジンが、いまでは数万馬力の出力を持つエンジンまで開発されるようになったのは、こうした技術の公開と相互の切磋琢磨(せっさたくま)によります。

    携帯電話も、ほんの三〇年前には一台の電話が小学生のランドセルくらいの大きさでした。
    いまでは片手で持てるだけでなく、パソコンの性能さえも持っています。
    情報通信網も、インターネットの普及によって加速度的に整備され、いまでは居ながらにして世界中のあらゆる情報に接することができるようになりました。

    しかしもし、大規模な戦争によって何もかもが破壊され、技術を持った人たちまで全員殺されて人々が原始時代のような生活からやり直すことになったとしたならば、人類はまた数千年かけて文明を取り戻していかなければならなくなります。
    つまり破壊と殺戮の繰り返しの中では、戦いの技術は進歩するかもしれませんが、社会システムが進歩することはないのです。

    ところが日本では、現在判明しているところでは、高い文化を持ち始めたのがおよそ4万年前、縄文時代のはじまりが1万7000年前です。
    とりわけ長く続いた縄文時代は、その全期間を通じて、殺人や事故による死傷率が、わずか1.8%です(山口大学と岡山大学の2016年の共同調査結果)。

    つまり日本には人が人を殺すという文化がそもそも存在していないのです。
    当然、破壊もない。
    すると何が起きるかというと、文化が伝承され、積み上げられていくのです。

    社会はそれまでに経験した様々な出来事に学びながら、世代をこえて進化します。
    こうして我が国に生まれたのが、支配や所有とは異なる「とも」としての集団形成です。

    縄文時代も、初期の生活は狩猟採集生活であったと言われています。
    狩猟採集生活というのは、ある意味とても楽しい生活で、人々は一日二〜三時間働くだけで、その日の食べ物を得ることができたのだそうです。

    ところが日本では、これだけでは集団が生きていくことが困難なのです。
    理由は天然の災害です。
    日本列島では、地震、落雷、大水、津波、噴火、火災などが頻発します。

    海が荒れれば漁にも行けず、火山が噴火すれば山でタヌキを捕まえることもできません。
    そうした災害に生き残るためには、ひとつには人々が助け合って生きることも大切ですが、それ以上に常に災害に備えて食料を備蓄しておくことが必要です。

    ところが冷蔵庫のなかった時代です。
    肉や魚や野菜や木の実は長期の食料保存ができません。
    できるのは唯一、稲だけです。

    稲は風通しの良いところに保管して、ネズミや虫害だけ対策すれば10年以上もの保存が利(き)くのです。
    このことから、縄文中期には、さかんに稲作が行われるようになりました。
    そして稲は、個人で保管するよりも、水害にあいにくくて地盤の堅い山上に、みんなの共有財産として保管したほうが、より安全に長期の保存ができることを学びます。
    こうして、山の上の地盤の堅いところに、村の共有財産として神社が建てられます。
    神社は高床式で建てられ、奉納米が備蓄されました。

    少し古い神社では、いまでも宮司さん以下の社の職員たちは新米を食べることができません。
    奉納米は新穀(しんこく)で奉納されますが、神社ではそれを最低二年間保管します。
    万一の災害時における村人たちの非常食とするためです。
    みんなの共有物としての万一の際の保存食料は、村でもっとも安全な場所で、通気性の良い高床式の建物に保管し、神様に守っていただくという、神社を村の共有財産として、神社を中心に村落を営む姿が形成されていたのです。

    そしてその中で、誰が偉いわけでもない、偉いのは神様だけで、人は互いに協力し合うことを第一にする、すなわち和をもって貴(たっと)しとする我が国の形が形成されていったのです。

    また災害時の備蓄食料の分配は、単純にどの家庭にも同じ分量だけ配給すれば良いというものではありません。
    家族の人数も違うし、成長期の子供のいる家庭と、高齢者の家庭では一日に食べる量も異なります。
    単純に同量を分配するのが平等なら、どの家にも過不足なく上手に分配するのが公平です。
    そうした公平性は、上下と支配の関係では成立がむつかしいものです。
    どんな人でも同じ村の仲間として、対等な人間として接するところに、公平が生まれます。

    そして日本は、こうした文化を千年万年の単位でずっと継承し一度も滅びることがなかった国です。
    だからこそ世界でもめずらしいと言える上下関係を「とも」と呼べる社会システムを構築しているのです。

    特に、いわゆる社会的エリートと呼ばれる人の中に、役職=偉いという、誤った考え方を持つ人が多いようです。
    戦後教育は、西洋文化がいたずらに素晴らしいとするかなり偏った教育ですし、そうした教育を受けて育ったエリートさんたちが、このような誤った考え方に取り憑かれることは、よくあることです。

    そうした人たちは、「命令すれば部下が動く」と思い込んでいるフシがあります。
    それは違います。

    かつての帝国陸軍がそうでしたが、上司の命令ひとつで、部下たちは敵弾の前に突撃をしました。
    それは上司の命令だったからか、といえば、もちろん命令があったからではあるのですが、命令一下で、生命を捨ててまで突撃することができたのは、そこには上司への絶対の信頼があったからです。

    なぜそのような信頼が生まれるのかといえば、上司と部下はともに目的をおなじくする「とも」であったからです。
    そのうえに、上司と部下という役割分担があります。
    そういうことをしっかりと認識し、立派な上司のもとであるからこそ、部下たちは敵の機銃の前に、三八式歩兵銃ひとつで突撃攻撃を仕掛けることができたのです。

    役職というのは、単なる役割です。
    上に立つ人も、下にいる部下も、みんな等しく「おほみたから」であり、「とも」なのです。
    それが日本の文化です。


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  • 竺紫の日向の橘小門の阿波岐原


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    ******* 4月の倭塾は10日(日)の開催です。*******
          https://nezu3344.com/blog-entry-5188.html


    自分ひとりで禊をして、それなりに清くなったつもりでいても、人というものはどこか穢れを持つものです。
    だから神々のお力をお借りして、祓(はら)いをします。
    古事記の言葉、そして祝詞の言葉は、そういう意味なのではないでしょうか。

    20220407 禊
    画像出所=https://jpnculture.net/amatsunorito/
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    歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
    小名木善行です。

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    祝詞(のりと)にも出てくる、「竺紫の日向の橘小門の阿波岐原」のお話をします。
    『古事記』に出てくる言葉です。
    黄泉の国から帰ってきたイザナギ大神が、竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘小門(たちばなのおど)の阿波岐(あはき)原で、禊祓(みそぎはらひ)をされたというお話のところです。

    読み下し文ですと、次の文になります。

     是以(これをもち)て伊耶那岐大神は、
 「吾(あ)は、伊那志許米上志許米岐(いなしこめ、しこめき)(此九字以音)、穢(きたな)き国に到りて在(あ)り祁理(けり)(此二字以音)。
     故(ゆへ)に、吾(あ)は身の禊(みそぎ)せむ」と詔(の)らして、竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘小門(たちばなのおど)の阿波岐(あはき)(此三字以音)原(はら)にて、禊祓(みそぎはらひ)せむ」

    この段は、祝詞の中に必ず出てくる言葉でもあり、神道では、とても大切にされているところです。
    「竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘小門(たちばなのおど)の阿波岐(あはき)原で禊祓(みそぎはらひ)しましき〜」という言葉は、神社の祝詞でお聞きになられたことのある方も多いかと思います。

    これを読んだり聞いたりして、単に「ああ、九州の海岸で禊祓いをしたのか」と読むと大きな勘違いをします。

    そもそも黄泉の国に行かれたから、そこで穢れを拾ってきたのです。
    「しこめ、しこめき、きたなき」は、「醜くくて汚い」という意味ですが、「みにくい」は「見えにくい」という意味にもかかります。
    「しこめ、しこめき」は、「凝目(しこめ」にもなるからです。
    つまり、汚い穢れというのは、目に見える汚れだけではなくて、見えない、自分ではわからない汚れがあるのです。

    それを「つくしのひむかのたちばなのおど」でみそぎし、はらうのです。

    「みそぎ」は、普通「禊」と書きますが、「身を削(そ)ぐ」という意味でもあります。
    身を削(けず)るのです。
    体を刃物で削ったら、痛いですが、それくらいしっかりと穢れを削いでいくのです。

    それが「つくしのひむかのたちばなのおど」で行われます。

    古事記は、もともと稗田阿礼が大和言葉で暗誦していたものを文書に書き残したものだ、ということは、皆様ご存知と思います。
    つまり、もともと口伝だったのです。
    すると次のような意味が兼ねられていることが見えてきます。

    この段の原文は、
    「到坐竺紫日向之橘小門之阿波岐(此三字以音)原而禊祓也」です。
    これを七五読みすると、次のようになります。

    到坐    いたります   5文字 ここに至って
    竺紫日向之 つくしひむかの 7文字 心を尽くして日に向かい
    橘小門之  たちおどの   5文字 立って声をあげ
    阿波岐原而 あはぎはらにて 7文字 吾(あ)は、ぎ(岐・すべてを)、腹から
    禊祓也   みそぎはらはむ 7文字 身を削ぎ(けがれ)を祓うのだ

    日に向かいというのは、我が国の最高神は太陽ですから、太陽に向かってという意味と、日=霊(ひ)ですから、みずからの霊(ひ)に向かって、という2つの意味が掛けられます。

    そしてこの後、様々な神々が成られるのですが、どのように書かれているかというと、

    投げ棄つ杖から→衝立船戸神(つきたつふなとのかみ)
    投げ棄つ帯から→道之長乳歯神(みちのながちちはかみ)
    投げ棄つ袋から→時量師神(ときはかしのかみ)
    投げ棄つ衣から→和豆良比能宇斯能神(わづらひのうしのかみ)
    投げ棄つ褌から→道俣神(みちまたのかみ)
    投げ棄つ冠から→飽咋之宇斯能神(あきぐひのうしのかみ)
    投げ棄つ左手の手纒(たまき)から
     →奧疎神(おきざかるのかみ)
     →奧津那芸佐毘古神(おきつなぎさひこのかみ)
     →奧津甲斐弁羅神(おきつかひえらのかみ)
    投げ棄つ右手の手纒(たまき)から
     →辺疎神(へざかるのかみ)
     →辺津那芸佐毘古神(へつなぎさびこのかみ)
     →辺津甲斐弁羅神(へつかひべらのかみ)

    とあります。
    手に持っている物、着ている衣類、左右の手にしている物を、まずはすべて投げ捨てています。
    そしてこのあと、瀬、つまり動きの中で背負った穢れから神が成り、また水に潜って禊するときに、
     底津綿上津見神(そこつわたつみのかみ)
    濯(すす)ぐときに
     中津綿上津見神(なかつわたつみのかみ)
    水の上から
     上津綿上津見神(うわつわたつみのかみ)
    などが生まれています。

    どういうことかというと、まずこの段ではイザナギのことは「大神」と書かれています。
    「大神」とは偉大な神、という意味です。

    その偉大な神が、手に持っている物、身につけている物一切を手放し、
    また水の中、つまり心の深層意識、中層意識、表層意識の中にある穢れの一切を祓い、手放しているということが書かれているわけです。

    そしてこうして一切合財を手放したときに、天照大御神を筆頭とする偉大な三貴神がお生まれなっています。

    我々は凡人であり、偉大な神とは程遠い存在ですが、
    偉大な神ですら、すべてを手放されて、禊、祓いされているのです。

    我々凡人もまた、何事かを成し遂げようとするときには、欲をかいて何でも欲しがるのではなく、何もかもを手放すことによって、はじめて、何事かを為し得る、そういうことがここに書かれているのではないかと思います。

    西洋の文化では、逆です。
    欲深い者が、大金を手にして、あらゆるものを手に入れて贅沢三昧な暮らしをします。
    別な言い方をするなら、それは拝金主義ですが、その拝金主義によって、自分だけの贅沢を手に入れ、人々を支配することが、人生の成功であるとされます。
    このことはチャイナも同じです。

    日本の発想は逆です。
    あらゆる欲望から解き放たれて、何もかも手放していく中に、仲間となる神々が誕生し、そして偉大な事業を為し得るのだとしているわけです。

    「何もかも手放したら、何もできなくなるではないか」と思われるかもしれません。
    けれど、手放したものたちは、それぞれが神となり、仲間となっていくのです。
    そしてそれら神々、人の世界なら友人たちと、一緒になって、みんなで力を合わせて、偉大な事業を成していく。

    人の幸せは、自分だけがいい思いをすることにあるのではなく、
    みんなの笑顔と幸せがあるとき、自分もまた幸せを得ることができる。

    そういう教えが、日本の神話です。

    古事記の解釈は、様々なものがあります。
    古いものですから、どの解釈が正しいとか、間違っているとかいうことはありません。
    そして、どこまでも深堀りしていくことができるのが、古事記のおもしろさでもあります。
    けれど、

    「竺紫の日向の橘小門の阿波岐原にて禊祓せむ」

    というこのひと言が、祝詞(のりと)の祓詞(はらえことば)にも登場するということは、単にイザナギ大神が禊ぎ祓いした場所を示しているからというだけではないということを意味していると思います。

    たとえば天津祝詞(あまつのりと)は、次のような構文になっています。

     たかあまのはらにかむづまります
    高天原に神留坐す
     かむろぎかむろみのみこともちて
    神漏岐神漏美の命以ちて
      すめみおやかむいざなぎのおほかみ
    皇親神伊邪那岐の大神
     つくしひむかのたちばなのどのあわぎはらに
    筑紫日向の橘の小門の阿波岐原に
     みそぎはらいたまうときにあれませるはらえどのおおかみたち
    禊祓ひ給ふ時に生坐せる祓戸の大神等
     もろもろまがごとつみけがれを
    諸々禍事罪穢を祓へ給ひ清め給ふと
     はらいたまえきよめたまうとまうすことのよしを
    申す事の由を・・・(続く)

    つまり
    「禊祓うときに生られた大神たちに、
     禍事罪穢を
     祓ってください、清めてください」
    という構文になっています。

    けれどこのことは、いわゆる他力本願で祓ってくださいとお願いするのではなく、その深奥にあるのは、自らの欲望その他の穢れを自分で払い落とす決意と実行を、神々の前に誓うということにある、と、このように読めるわけです。

    現代の世界を観ると、ほんのひとにぎりの大金持ちたちが世界中の情報を操作し、世界中の人々を騙し、世界中の人々の平穏な暮らしを邪魔し、破壊することで、自分の利益を極大にすることが行われています。
    いわゆる拝金教で、金儲けがすべてとばかり、七度生まれ変わってもまだ使い切れないほどのお金を持っていながら、なお、金を儲けようとしています。

    世界のわずか0.1%の人が、世界の富の半分を手にしているとも言われています。

    しかし大金持ちも、煎じ詰めれば「ただの人」です。
    我々庶民もまた、間違いなく「人」です。
    金があろうがなかろうが、人であることに変わりはなく、人である以上、そもそも対等な存在です。
    そして、世界中の誰もが、自分を主役とする人生を生きています。
    世界中、どこにも、生きている人間に、モブキャラなんていないのです。

    縄文以来の日本の文化は、小さな集団の中で「みんなの幸せが自分の幸せ」という思考を大切にしてきた文化です。
    そこにあるのは、全部、幼い頃から見知った人たちです。
    そういう人たちのために行動する、幸せを提供する。
    ここにこそ、日本の文化の原点があります。

    だから、すべてを手放し、欲望から解き放たれて自由になる。
    これが、禊(みそぎ)です。

    けれど、自分ひとりで禊をして、それなりに清くなったつもりでいても、人というものはどこか穢れを持つものです。
    だから神々のお力をお借りして、祓(はら)いをします。
    古事記の言葉、そして祝詞の言葉は、そういう意味なのではないでしょうか。


    ※この記事は、『ゆにわ塾』のなかにある、羽賀ヒカルさんと筆者が共演している『古事記を学ぶ』というコンテンツの中で筆者自身が羽賀さんから教えを得たものです。これを伺ったとき、古事記の持つ奥深さに感動するとともに、たいへん良い勉強になりました。
    自分は、まだまだ「手放せない」ものが多すぎて、まだまだ全然、禊(みそぎ)できていませんが、日本の縄文の知恵、古事記の知恵、日本書紀の知恵に学び、死ぬまで成長を続けていきたいと、そう思っています。

    ゆにわ塾
    https://hokkyoku-ryu.com/uniwajuku/lp/



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  • 武術の始まり 建御雷神


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    武術は、一朝一夕に成立するものではありません。何百年、何千年と伝承されていく中で、何人もの天才的武術家が、師匠に教えられた武術にさらに工夫を重ね、それが絶えることなく伝承され続けなければ、成立しえないものです。建御雷神の武術神話が、どれだけ古い昔のものかは、大国主神ゆかりの出雲大社の創建が、いつなのかわからないほど、古い昔であったということ以外はわかりません。それだけ古くから、伝承され、工夫され続けてきた日本古来の武術を、私達がこれからの時代にも、大切に守り抜いていかなければならないと思います。

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    歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
    小名木善行です。

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    タケミカヅチノカミは、古事記では「建御雷神」、日本書紀では「武甕槌神」と書かれます。
    葦原の中つ国、つまり地上の国を大いなる国に育てあげた大国主神に、
    「天照大御神(あまてらすおほみかみ)、
     高木神(たかぎのかみ)の命(みこと)以(も)ちて
     問(と)ひに使之(つか)はせり。
     汝(いまし)の宇志波祁流(うしはける)
     この葦原中国(あしはらのなかつくに)は、
     我(わ)が御子(みこ)の所知(し)らす国(くに)と
     言依(ことよ)さし賜(たま)ひき。
     故(ゆゑ)に汝(いまし)の心(こころ)は奈何(いかに)」
    と国譲りを迫った神様です。

     古事記では、このとき建御雷神は、
    「十掬剣(とつかのつるぎ)を抜き放ち、
     その剣を逆さまに波の上に刺し立てると、
     その剣の切っ先の上に大胡座(おおあぐら)をかいて
     大国主神に問い迫った」
    と記述しています。

     日本書紀は少しだけ違っていて、
    「十握剣(とつかのつるぎ)を抜きはなち、
     その剣を地面にさかさまに植えるかのように突き立てて、
     その切っ先の上に堂々と座る」
    と書いています。

    古事記は「海の波の上」、日本書紀は「地面」に剣を突き立てたとしているのですが、両者とも、その切っ先の上に大胡座をかいて座ったというところは一致しています。

    神々の技(わざ)ですから、もちろん本当に剣の切っ先の上に座られたのかもしれません。
    ですが普通には、現実的に、そのようなことは奇術でもなければ、まずありえないことです。
    そんなことは、記紀が書かれた古代においても、誰もがわかることです。
    ということは、これは、別な何かを象徴した記述であるということです。

    大国主神の側は、大軍を擁する大いなる国です。
    そこへ乗り込んだ建御雷神は、いきなり国王であった大国主神に直談判をしています。
    もちろん高天原からの使いですから、直接国王に面会が可能であったとしても、それでも「剣の切っ先の上に大胡座(おおあぐら)」というのは、ありえない描写です。

    この点について、日本書紀は、経津主神(ふつぬしのかみ)と、武甕槌神(たけみかづちのかみ)の系譜を先に述べています。

     ▼経津主神(ふつぬしのかみ)の系譜
    【祖父】磐裂根裂神(いはさくねさくのかみ)
    【父母】磐筒男(いわつつを)、磐筒女(いはつつめ)
    【本人】経津主神(ふつぬしのかみ)

    ▼武甕槌神(たけみかづちのかみ)の系譜
    【曾祖父】稜威雄走神(いつのおはしりのかみ)
    【祖父】 甕速日神(みかはやひのかみ)、
    【父】  熯速日神(ひのはやひのかみ)
    【本人】 武甕槌神(たけみかづちのかみ)

    ここで祖父や父として書かれている神々は、古事記では、いずれも火の神が生まれることでイザナミが亡くなったときに、夫のイザナギが子の火の神を斬り、このときに飛び散った血から生まれた神として登場している神々です。
    古事記は、親子というよりも兄弟の神であるかのような記述になっているのですが、日本書紀では親子関係です。

    上に登場する神々は、いずれも剣に関係する神々です。
    磐裂根裂神(いはさくねさくのかみ)は、岩さえも根っこから斬り裂くという御神刀を意味する御神名です。
    子の磐筒男(いわつつを)、磐筒女(いはつつめ)は、それだけ鋭利な剛剣を筒に入れる、すなわち鞘(さや)に収めている状態を示します。
    そこから生まれた経津主神(ふつぬしのかみ)は、日本書紀に登場する神(古事記には登場しない)ですが、後に香取(かとり)神宮(千葉県香取市)の御祭神となる神様です。
    別名を、香取神、香取大明神、香取さまといいます。

     一方、武甕槌神(たけみかづちのかみ)は鹿島神宮の御祭神です。
    香取神宮と鹿島神宮は、利根川を挟んで相対するように位置しています。
    そしてこの両神は、我が国の古来の武神です。
    流派はそれぞれ鹿島神流、香取神道流といいます。
    いずれも我が国武術の正統な系譜であり、とりわけ香取神道流は、現存する我が国最古の武術流儀といわれています。
    いずれも最低でも二千年、もしかしたら数千年もしくは万年の単位の歴史を持つ武術流儀です。

    二千年前なら弥生時代、数千年前なら縄文時代の中期です。
    縄文時代には、人を殺める文化がなかったのですが、それでも集団においては正義が行われなくてはなりません。
    最近の研究では、縄文時代中期には青銅器、弥生時代には、すでに鉄器が使われていたことがわかっていますから、そうした古い時代から、なんらかの刀剣類が用いられていた可能性は否定できません。

    武術というのは、普通なら、体躯が大きくて力の強い者が有利です。
    早い話、どんなに強くても、武術を知らない大人と小学生では、大人が勝ちます。
    当然のことながら、小柄な小学生が、力の強くて大きな大人に勝つためには、なんらかの工夫がいります。
    こうして武術が工夫されます。

    その工夫は、一朝一夕に完成するものではありません。
    天才的技能を持った人が現れ、その技能が伝承され、さらに世代を重ねるごとに技術が工夫され、それが何百年、何千年と蓄積されることで、信じられないような武術になっていきます。

    残念ながら、海外の諸国には、そうした武術の伝承がありません。
    世界中どこの国にも、その歴史において偉大な武術家は何人も現れたことでしょう。伝承も工夫もされたことでしょう。
    けれど、それらは長くても数百年のうちにすべて滅んでいます。
    なぜなら国が滅び、その都度、皆殺しが行われているからです。
    とりわけ強い武術流派は、新政権にとっては恐怖そのものですから、皆殺しどころか、その一族全員が殺されています。
    つまりこの世から消滅しているわけです。

    チャイナがそうですし、西欧でも同じです。
    米国には「マーシャルアーツ(martial arts)」と呼ばれる軍隊格闘技がありますが、マーシャル・アーツという言葉は、実は日本語の「武芸」を英訳した言葉です。文字通り「武の」(martial)「芸」(arts)です。

    ところが日本の武術は、何千年もの昔から工夫され、伝承されてきた武術が、いずれも途切れることなく、世代を越えて磨かれ、工夫されてきた歴史を持ちます。
    とりわけ歴史の中には、何人もの天才としか言いようのない武術家が現れ、技術がさらに工夫されました。
    また武者修行といって、一定の練達者が、遠く離れた他流派の道場に学びの旅をして技術交換をして、さらに技能を高めるといったこともさかんに行われました。

    こうして数百年、数千年と磨かれ続けてきたのが、実は日本の古来の武術です。
    よく中国武術を古いものと勘違いしておいでの方がいますが、中国武術もまた、実は日本の武術が大陸に渡って成立したものだという意見があります。筆者はむしろそれが正しいのではと思っています。

    それにしても、たった二人で、大軍を要する大国主神に直談判するというのは、これは大変なことです。
    もちろん中つ国は敵地ではありませんが、それでも何十、何百という軍勢を前にしての談判ですから、そこで圧倒的な武術が示されたのでしょう。
    このことが、「切っ先の上に大胡座をかいて座った」という描写に集約されているのではないかと思います。

    さらにその後に行われた建御雷神と、大国主神の子の建御名方神(たけみなかたのかみ)との戦いの描写は、我が国古来の武術の姿を垣間見せるものになっています。

    相手となる建御名方神は、千人が引いてやっと動くような大きな岩をひょいと持ってやってたとあります。これは建御名方神が、相当な力持ちであったことを意味します。
    そして、
    「ワシの国に来て、こっそり話をするのは誰だ!」と問い、「ワシと力比べをしようではないか」と申し出ると、「まずはワシが先にお主の腕を掴んでみよう」と、建御雷神の手を取る。
    すると建御雷神の手が、一瞬にして氷柱のような剣に変わり、建御名方神が恐れをなして引き下がったとあります。

    今度は建御雷神が、
    「お前の手を取ろう」と提案して手をとると、その瞬間、建御名方神は、まるで葦の束でも放り投げるかのように、飛ばされてしまいます。
    飛ばされた建御名方神が逃げると、それを遠く諏訪まで追って行って降参させています。

    古事記のこの描写は、「これが我が国の相撲(すもう)のはじまり」と言われますが、力と技のぶつかりあいである相撲よりも、これもまた日本の古武術をそのまま紹介しているものであるようにも読むことができます。

    なぜなら、日本の古武術では、相手に触れられれば、触れられた場所がそのまま凶器のようになり、また、相手に触れれば、その触れた部位を、そのまま相手の急所のようにしてしまいます。
    アニメの「北斗の拳」では、「経絡秘孔をピンポイントで突く」といった描写がなされていますが、それはアニメやマンガのなかでの話です。
    実践で動く相手を対象に、ピンポイントでツボを突くというのは、現実にはよほどの練達者でも難しいものです。
    ですから日本の古武術では、相手に触れたその場所を秘孔にしてしまいます。
    また、相手に触れられれば、その瞬間に触れられたところを凶器に変えてしまいます。
    そして、気がつけば、遠くに投げ飛ばされてしまいます。

    これは、実際に体験した人でなければなかなかわからないことかもしれませんが、実際に、腕が、手が、鋭利な剣となり、また相手をまるで紙人形でも倒すかのように、投げ飛ばしてしまうのです。

    記紀が書かれたのは、いまから1300年前です。
    建御雷神の戦いは、まるで魔法のような武術によって建御雷神が勝利した物語ですが、古事記が書かれた1300年前には、すでにこうした、まるで魔法のような武術が実際に存在していたことを示しています。
    そしてその武術は、現代もなお、実在しています。

    ひとつ経験談(体験談)をお話します。
    それはある古流の武術家の先生の道場を訪問したときのことです。
    先生から抜身の真剣を渡され、「この刀で私に打ちかかって来なさい」というのです。

    いくらなんでも真剣ではこちらが怖いので、「では木刀で」ということになったのですが、全力で大上段から先生に面打ちを仕掛けて来いというのです。
    これは恐ろしいことです。
    下手をすれば先生に大怪我をさせかねない。
    だから遠慮したのですが、
    「構わないから全力で打ちかかってきなさい」と、こうおっしゃる。

    そこまで言われるなら、相手は先生なのだしと腹を決めて、言われた通りに全力で上段から先生に面を打ち込むことになりました。
    先生は防具すら付けていません。
    手に木刀も持っていません。
    つまり何も持っていません。
    だから真剣白刃取りのようなことをするのかな、と思いながら、面を打ち込みました。

    自慢するわけではありませんが、私も(学生時代のことですが)多少の心得はあります。
    面打ちの速さには、多少の自信もあります。
    そこで(本当は怖かったけれど)丸腰の先生に向かい、すり足で距離を詰めながら「エイッ」と木刀を振り下ろそうとしました。

    ところがその瞬間、筆者は凍りついてしまいました。
    先生が腰をすこしかがめて、手刀を突き出したのです。
    それは、ただ手刀を、顔の少し前に突き出しただけです。
    手刀は確実に私の喉元をうかがっていました。

    その結果何が起こったのかというと、振り下ろそうとした私の木刀が停まりました。
    そして身動きがつかなくなりました。
    どうしてよいかわからず、そのまま固まってしまったのです。
    その固まった私から、先生は悠々と木刀を取り上げました。
    気がつけば木刀を打ち込もうとした私は、刀を振り下ろそうとした姿勢のまま、ただ木偶の坊のように突っ立っているだけとなっていました。
    その姿勢のまま木刀を取り上げられ、その姿勢のまま固まっていました。
    この間、ほんの一瞬のことです。
    そしてこれが日本古来の武術の凄みだと理解しました。

    何が起こったのかは、いまだによくわかりません。
    ひとつの理解は、肉体を使って木刀を振り下ろそうとした私は、霊(ひ)を抜かれてしまったのかもしれないということです。
    人は霊(ひ)の乗り物です。
    霊(ひ)を抜かれると、肉体の動きは停止してしまいます。
    そして肉体が停止しているから、先生は悠々と、固まっている私から木刀を奪い取った。
    その間、私の肉体は、ただ固まっているだけった・・・・と、そういうことかもしれません。

    これは筆者が実際に体験したことですが、そこには、スポーツ化した現代武道とはまったく異なる、日本古来の伝統的武術がありました。
    そしてその武術は、こうして経津主神(ふつぬしのかみ)と武甕槌神(たけみかづちのかみ)にまで遡る、武道の古流の心技体の技術の上に成り立ちます。
    そしてそれは、いわゆる世界の格闘技とは、まったく一線を画する凄みのある世界です。


    日本をかっこよく!
    お読みいただき、ありがとうございました。

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    古事記のなかに、イザナギのミコトが黄泉の国から逃げ帰る際に、
    「黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂の本にあった
     桃子(もものみ)を三個取って、
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     すると黄泉軍はことごとく逃げて行きました」
    という記述があります。
    原文ですと「到黄泉比良(此二字以音)坂之坂本時、取在其坂本桃子参箇待擊者、悉坂返也」とあるところです。

    たかが桃の実3個で、1500の軍勢を追い返すなんて、できるはずねーだろ!みたいに言われがちなこのシーンですが、ここへくる前に、古事記は伏線を置いています。
    それが、
    「イザナミが、予母都志許売(よもつしこめ)を遣(つかは)して伊耶那岐を追わ令(し)めた」という記述です。

    予母都志許売(よもつしこめ)は「此六字以音」とありますから、使われている漢字には意味がありません。
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    「よもつ」は、「黄泉の国の住民」です。
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    ですからここは、黄泉の国から逃げ帰ろうとするイザナギを、妻のイザナミが「黄泉の国の醜い女達に追わせた、という意味になります。

    ところがこの「しこめ」たち、逃げるイザナギが、食べ物を投げると、「追え」という命令も忘れて、その食べ物に食らいつくのです。
    ということは、「しこめ」たちというのは、貧しくて、ろくに食べ物も与えられず、ガリガリにやせ細った飢餓状態にありながら、上からの命令で「追え」と言われれば追うしかない、可愛そうな人々ということができます。

    だから、食べ物を与えられたとき、追うという使命も忘れて、食べ物に取り付いたのです。
    ものすごく哀れな話ですが、そんな「よもつしこめ」に続いて、今度は1500の黄泉軍がイザナギを追ってくるのです。

    その黄泉軍に、イザナギは桃の実を3つ投げ与えた。
    すると、黄泉軍が帰っていったというのです。

    そこでこのことを考えてみるに、果たして1500人の追手の大軍に、桃の実を3個投げたくらいで、大軍は引き下がるものなのでしょうか。
    常識で考えて、そんなことはありえないことであると思います。
    ということは、ここで「投げ与えた」とされる「桃の実」は、別な何かの象徴であったと読む必要がありそうです。

    では、「桃の実」が象徴しているのは、何なのでしょうか。

    桃の実は、秋に収穫できる美味しい果物です。
    桃の実の味は、ひとくち頬張っただけで、「ああ、しあわせだなあ」と思わせる、甘くて、酸っぱくて、とてもみずみずしい味をしています。

    ということはつまり、ここで桃の実に化体して述べられていることは、そんな甘くて、酸っぱくて、みずみずしい・・・つまり、甘くて、やさしくて、幸せ感のある味であり、それが3個ということは、そこに述べられていることは、
     やさしさ
     愛情
     おもいやり
    の3つといえるのではないでしょうか。

    ただ上から強制されて、まさに「モブキャラ(背景キャラ)」としてイザナギを追ってきたのが、黄泉の軍勢です。
    それは1500名もの大軍であったけれど、全員が十把一絡げのモブキャラです。
    けれどイザナギは、そのひとりひとりに、人間としての
     やさしさ
     愛情
     おもいやり
    を投げ与えたのです。

    本当のことをいえば、誰だって、人間に生まれた以上、自分を主役とする人生を生きることができるはずです。
    けれど、それまで、黄泉の彼らは、まったく人として扱われなかった。
    ただのモブキャラ、ただの兵卒、ただの背景としてしか見られなかった。
    そんな彼らをイザナミは人して扱い、やさしさと愛情と思いやりをもって彼らと接したのです。

    生まれてはじめて、彼らは人として扱われる。
    いや、幼い頃に両親から可愛がられ、子として、人として扱われていた昔があった。
    「そうだ!俺たちだって人間なんだ!!」
    そう思ったときに、彼らはまさに、
    「俺たちは何をやっているのだろうか」と目覚めたのです。

    だから、ただ命令されて、モブキャラとなって追いかけたって、それってなんの意味もないよな、となって、追うことを止めて、元いた場所に帰っていった。
    そういうことを古事記は述べているのかもしれないと思うのです。

    1500の大軍というのも、十把一絡げの1500人ではなくて、そのひとりひとりは、自分の人生をまさに主役です。
    そうあるべきなのです。
    そして、どんな人にも、必ず良心というものがあります。
    そういうものを、しっかりと信じ、ひとりひとりを、まるで抱(いだ)くように、たいせつに、やさしさと愛情とおもいやりの心を持って接する。
    そういうことを、根本から大切にしてきたのが、日本という国の文化の最大の特徴です。
    これこそが、まさに日本の神々の心です。
    そういうことを古事記は、ここでしっかりと説いているのではないか。そのように思うのです。

    そしてそういう精神のもとに、帰国したイザナギは、三貴神であられる天照大神、月読命、建速須佐之男命をお生みになられます。
    つまり、三貴神の神としての精神(あるいは霊(ひ)の根幹)にあるのは、まさにやさしさと愛情とおもいやりの心なのです。

    この日本文化の精神は、時を越え、時代を超えて、まさにいま世界中の人々が求める偉大な人類の良心へと発展しようとしています。
    我々日本人のひとりひとりが照らす一隅が、世界を変えるのです。

    これまでの西洋の歴史や東洋の歴史では、常に英雄がモブキャラを使って革命を起こすというスタイルでした。
    そして革命の都度、多くの命が失われてきた。そういう歴史でした。
    けれど、日本は違います。
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    もし、神々にお望みがあるのだとしたら、それこそが「神々の希望」であり、「神々の目指すもの」なのではないかと思います。


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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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