• 日本書紀講義10 高天原にやってきた素戔鳴尊


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    日本書紀講義1 清陽(すみてあきらか)
    日本書紀講義2 国之常立尊
    日本書紀講義3 創生の男女神
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    日本書紀講義5 陽神左旋・陰神右旋
    日本書紀講義6 陽神左旋・陰神右旋(修正版)
    日本書紀講義7 天照大御神の誕生
    日本書紀講義8 月神、蛭児、素戔嗚尊の誕生
    日本書紀講義9 伊弉諾尊の引退
    日本書紀講義10 高天原にやってきた素戔鳴尊

    20211220 天照大御神と素戔鳴尊
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    ▼これまでのあらすじ
    前回までに素戔鳴尊(すさのをのみこと)を海原から追放した父大神の伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が、淡路にお隠れになられたとことまでをお話しました。今回からはいよいよその素戔嗚尊が高天原へと向かうところになります。この素戔鳴尊の高天原訪問は、前回もお話しました通り、ちゃんと父の伊弉諾尊に、断(こと)わり入れた上での訪問です。また訪問先の高天原におわすのは、実の姉の天照大御神(あまてらすおほみかみ)です。そのあたりを注意しながら、原文から文意をきちんと読み解いて行きたいと思います。

    ▼原文を読んでみる

    始素戔鳴尊  はじめにすさの をのみこと
    昇天之時  あめへとのぼり ますときに
    溟渤以之鼓盪  あほきうみもて とどろきて
    山岳為之鳴呴  やまたけために なりほえき
    此則神性  これはすなはち かむさがの
    雄健使之然也  たけきのつかふ しかりなり
    天照大神  あめをてらさむ おほみかみ
    素知其神暴悪  そのかみあらく あくをしる
    至聞来詣之状  きたるかたちを きこしめいたり
    乃勃然而驚曰  すなはちさかり おどろきたまひ
    「吾弟之来   「あがなせみこと きたること
     豈以善意乎  あによきこころ もてせむや
     謂当有奪国  おもふにまさに くにをうばはむ
     之志歟  こころありてか
     夫父母既任諸子  それちちははの もろもろのこに
     各有其境  おのおのはその さかひをたもつ
     如何棄置当就之国而  つくべきくにを いかにすておき
     敢窺窬此處乎」   あへてところを うかがふや」
    乃結髮為髻  すなはちかみを まげにゆひ
    縛裳為袴  ものすそひいて はかまとし
    便以八坂瓊之五百箇御統(御統、此云美須磨屢)
        やさかのたまの いおつみすまる
    纒其髻鬘及腕  そのみいなだき たぶきまきつけ
    又背負千箭之靫(千箭、此云知能梨)与五百箭之靫
        ちのりといおの ゆきをせおいて
    臂著稜威之高鞆(稜威、此云伊都)
        うでにはいつの たかともはきて
    振起弓彇急握剣柄  ゆはずふりたて たかびしばりて
    蹈堅庭而陷股  かたにはふみて ももにふみぬき
    若沫雪以蹴散(蹴散、此云倶穢簸邏邏箇須)
        あはゆきのごと くひはらちかし
    奮稜威之雄誥(雄誥、此云鳥多稽眉)
        いつのおたけび ふるはして
    発稜威之嘖讓(嘖讓、此云舉廬毗)
        いつのころひを おこしては
    而俓詰問焉  ただになじりて といたまわれり

    《現代語訳》
    素戔鳴尊(すさのをのみこと)が天(あめ)に昇(のぼ)ろうとしたとき、青い海はとどろきわたり、山岳もまた鳴(な)り吠(ほ)えました。これらは素戔鳴尊(すさのをのみこと)の神性が猛々(たけだけ)しかったことによります。

    天上界にあって天(あめ)を照らす天照大御神(あまてらすおほみかみ)は、やって来ようとする素戔鳴尊(すさのをのみこと)が暴(あばれ)者の悪い神であると知り、力を込めて怒りかつ驚かれたご様子で、
    「我が弟がやってくるのは善(よ)い心からではない。
     父母はたくさんの子を生んだが、
     子の神々はそれぞれに境界を保っている。
     おもうに自分がやるべき国(海原の国)を
     すておいてあえて高天原(たかまがはら)に来(き)たるのは、
     高天原を奪おうとする
     悪心をもってのことである」
    とおっしゃると、髪を解いて男髷(まげ)に結(ゆ)い、裳(も)の裾をたくしあげて袴(はかま)にし、五百個の八坂の勾玉ででできた輪を御髪(みぐし)と腕に巻き付けて、背には千本の矢の入った靫(ゆき)、5百本の入った靫を負い、腕には高い音をたてる矢避けを付けて、弓の弦を振り立てて、剣の柄を握りしめると、堅い庭の土を腿(もも)のあたりまで踏み抜いてまるで淡雪のように蹴りたて、雄叫びをあげると、威力の強烈な怒りの声で、素戔嗚尊(すさのをのみこと)を問い詰めました。


    ▼健全な態度

    あらすじで申し上げました通り、素戔嗚尊(すさのをのみこと)の高天原の姉訪問は、もともとちゃんと父大神である伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の了解のもとに行われています。ところが高天原に向かうときの素戔嗚尊の様子は、青い海が嵐のようにとどろき、山もまた鳴り吠えているかのようなすさまじい様子です。ところがよく読むと日本書紀は、こんなにすごい様子になったのは、素戔嗚尊の持つ神性が雄々しくて「健康なため」であったと書いています《神性雄健使之然也》。
    決して暴君のような態度や不愉快な態度とは描写していないのです。

    一方、高天原(たかまがはら)におわす姉の天照大御神(あまてらすおほみかみ)は、やって来ようとする素戔鳴尊(すさのをのみこと)を「暴(あばれ)者の悪い神であると知れている」と一方的に決めつけたのみならず、力を込めた怒りの声で
    「我が弟がやってくるのは、善(よ)い心からではない。
     父母の生んだたくさんの神々には、
     みんなそれぞれに境界が保たれているのに、
     素戔嗚尊がわざわざやってくるのは、
     高天原を奪おうとする悪心によるものである」
    とのべられて、みずから武装して素戔嗚尊を待ち受けます。

    しかも自ら男装して武装しただけでなく、「背負千箭之靫、与五百箭之靫」とあることから、後ろに矢を満載した矢立を背負い腰に帯剣した千人、五百人の高天原の八百万の神々の軍団を率いていたことが文意から明らかにされています。
    そんな大軍を率いた天照大御神が、庭の土をまるで淡雪でも蹴散らすかのようなものすごい勢いで素戔嗚尊を出迎えたのです。
    そして雄叫びをあげて、威力のある声で素戔嗚尊(すさのをのみこと)を問い詰めるのです。
    これはすごい描写です。
    しかしここで大切なことは、素戔嗚命が、ただ姉に会おうとしに来ただけなのに、なぜ天照大神は武装し、軍団まで従えて素戔嗚命を恫喝(どうかつ)したのか《問題①》ということを、ちゃんと考えながら読むことです。


    ▼二神の子のたて分け

    ここは大事なところですので、場面を少し先の記述まで進めます。
    姉のただならぬ様子に驚いた素戔嗚命は、姉に高天原までやってきた理由を縷々(るる)説明します。
    すると天照大御神は「どうやってお前の赤心(きよきこころ)を明かすのか」と問います。
    素戔嗚命は
    「では誓約(うけひ)をしましょう」
    と申し出ます。

    誓約(うけひ)というのは、神様からの神託を得るための方法です。
    そしてあらかじめ
    「素戔嗚尊が生む子が女(たをやめ)なら濁心(きたなきこころ)、
     男(ますらを)ならば清(きよ)き心」
    と取り決めます。

    すると結果は、

    ・天照大御神が素戔嗚命の剣から生んだ子が三柱の女性神
    ・素戔嗚命が天照大御神の髪飾りから生んだ子が五柱の男性神

    でした。
    結果は素戔鳴尊(すさのをのみこと)が生んだ子が男子であったわけですから、素戔鳴尊(すさのをのみこと)は清き心であったということになります。
    実際、ここまでの流れはその通りです。

    ところが天照大神はなぜか
    「生む元になった道具は男の子が天照大御神の髪飾り、
     女の子は素戔嗚命の剣だったのだから、
     男神が吾が子であり、
     女神が素戔嗚命の子である」
    とおっしゃられるのです。

    こうなると素戔嗚命には濁心があったということになります。
    ここで問題です。なぜ天照大神は、誓約(うけひ)の結果を、敢えて逆に言い換(か)えられたのでしょうか《問題②》。

    このとき生まれた三女神が宗像三女神です。そして宗像三神は、以後ずっと素戔鳴尊(すさのをのみこと)の子として、海の守り神となります。
    また素戔鳴尊(すさのをのみこと)が生んだ男神のうちの一柱が天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)で、その子が天孫降臨の瓊々杵尊(ににぎのみこと)となり、その孫が初代天皇となられる神武天皇、そして現代の今上陛下にまで続く万世一系の天皇となります。
    さて、このことは何を意味しているのでしょうか。《問題③》。

    ここで大切なことは、天照大御神は最高神であられるということです。
    最高神であるということは絶対神であるということです。
    つまり天照大御神の言動に一切の間違いはないし、そこに疑いをはさんでもいけない。
    それはご不敬にあたることです。

    そうであれば《問題③》の答えは簡単です。
    たとえ素戔嗚命が天照大御神の髪飾りから生んだ子であっても、絶対神であり最高神であられる天照大御神が「それが我が子」と言い換えられれば、天照大御神のお言葉が正しい答えとなります。
    そこに疑問や異論を挟むことはご不敬です。それは軽からざる罪です。

    では、なぜ天照大御神は、誓約(うけひ)の結果を言い換えられた《問題②》のでしょうか。
    また天照大神が武装して軍団まで従えて素戔嗚命を恫喝(どうかつ)した理由は何だったのでしょうか《問題①》。

    答えは天照大御神が「自(みずか)ら武装して出迎えた」というところにあります。
    もし、やってきたのが危険のない弟の素戔嗚尊ではなく、高天原に対する重大な脅威であったのなら、どうなったことでしょうか。
    その場合も、天照大御神が、常に先頭に立って脅威と直接対決をしなければならなかったのでしょうか。

    もっとわかりやすく例えるなら、大手企業の窓口に大声を上げるクレーマーがやってきて「社長を出せ」と凄んだら、毎度社長がわざわざ本社から飛んでいって、クレーマーと直接対決しなければならないのでしょうか。
    対応は本来、現場の役割ではないのでしょうか。

    高天原への脅威は、高天原におわす八百万の神々のすべてに影響のある脅威です。
    ならば、責任をもってまず対応しなければならないのは、八百万の神々であり、あるいは八百万の神々の中の担当者ではないでしょうか。

    本抄の天照大御神のお言葉にもある「諸子各有其境(おのおのはそのさかひをたもつ)とは、単に伊弉諾大神の子についてだけのことではありません。
    高天原においても、八百万の神々は、それぞれに境を持ち、それを保っているのなら、それらを守るのは、天照大御神にただ甘えるだけではなく、自分たちで責任を持って行うべきことです。
    たまたま今回は危険のない弟の素戔嗚尊だったから良かったようなものの、もし本物の悪神がやってきたときはどうするのか。
    それによって天照大御神の身に万一のことがあれば、この世は真っ暗闇になってしまうのです。

    次回は、そうした天照大御神の深いお考えについて、続く物語で明らかにしてきます。


    ※この記事は、月刊『玉響』に連載している記事を再掲したものです。
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    ▼ 原文と読み下し

    すさのをみこと  こひてまをさく 素戔嗚尊請曰
     みことのりをば  うけたまはりて  吾今奉教
     まさにねのくに まかりなむとす  将就根国
     ゆへにしばらく たかまのはらに まうでまし 故欲暫向高天原
     あねのみことと あひまみへ  与姉相見而
     のちにひたふる まかりなむ  後永退矣
    これをゆるすと のたまひて 勅許之
    すなはちあめに まうでます 乃昇詣之於天也
    これよりのちに いざなぎみこと 是後伊弉諾尊
    かむことすでに をえたまわりて 神功既畢
    みたまをうつし たまふなり 靈運当遷
    これよりは   かくれのみやを 是以構幽宮
    あはじのくにに つくりたまひて 於淡路之洲
    しずかにながく おかくれましき 寂然長隠者矣
    またいはくには いざなぎみこと 亦曰伊弉諾尊
    いきおひほきく あめにのぼりて 功既至矣徳文大矣
    かへりごとされ         於是登天報命
    ひのわかみやに すまふといへり 仍留宅於日之少宮矣
    (少宮、これをば「わかみや」といふ 此云倭柯美野)

    《現代語訳》
     素戔鳴尊(すさのをのみこと)は、父の命令に従って言いました。
    「私は父大神からの教(みことのり)をお請(う)けし、まさにいまより根(ね)の国に出発しようと思います。
    しかしその前に、高天原にもうでて、姉の天照大御神に会いに行き、その上で永遠に根の国に向かおうと思います」
     こうして素戔鳴尊(すさのをのみこと)は、父大神の勅許(ゆるし)を得て、姉のいる高天原に向かうことになりました。

     一方父の伊弉諾尊(いざなぎのみこと)は、ここに神様としてのすべての功績を畢(お)えられ、その御霊(みたま)をお移しになられました。
    具体的にはこれより後(のち)「幽宮(かくれのみや)」を淡路島に造られて、静かに永くお隠れになられたという説、いまひとつは伊奘諾尊(いざなぎのみこと)が偉大な神様なので、この後(のち)天に昇られて、それまでの一切のご報告を行われ、その後「日の少宮(わかみや)」にお住まいになられたといいます。

    ▼どんなときでも相手の立場に立つ

     非常に興味深いのは、素戔鳴尊(すさのをのみこと)が父の伊弉諾大神(いざなぎのおほかみ)から「おまえは出ていけ!」と言われたことについて、日本書紀はこれを「吾今奉教」と書いていることです。
    これで読み下しは「教(みことのり)をば 奉(うけたまはり)て」なのですが、使われている漢字からすれば「教え奉(たてまつ)らむ」です。
    父大神のお怒(いか)りの言葉を、「教え奉(たてまつ)る」と書いているわけです。

    現代日本語の使い方なら、これは主客転倒の間違った用語の使い方になります。
    なぜなら教えているのは父であって、吾(われ)ではないからです。
    けれども我が国の古典文学では、このように相手の立場に立ってものを言うということの方が、むしろ常識であったようです。

     実は、いまでも学校で教えない日本語の用例では、このような表現は、ごく自然に使われています。たとえば子供の会話です。A君の家に遊びに行ったB君が帰り際(ぎわ)、
    「じゃあ、また明日、遊びに来るね」
    この場合、B君は相手《つまりA君》の立場に立って「来るね」と言っていることにお気づきいただけますでしょうか。
    日常のふとした会話の中に、こうした日本人の古来(こらい)からの精神性がちゃんと息づいているのです。

    出勤時の若夫婦の会話、
    妻「あなた、今日は何時頃お帰り?」
    夫「うん、何時になるかわからないけど、早めに帰って来るね。」
    この場合も同じく、夫は妻の立場で「来る」と述べています。
    外国語にはあまり用例のない、日本語の独特な表現方法であるといえるのですが、わがままで父の言いつけを守らない素戔鳴尊(すさのをのみこと)であっても、父に叱られ、追放処分まで受けていながら、それでも父の立場でものを考え、行動するという習慣が、こうしたところにもしっかりと息づいているのです。

    ▼人が生きる基本姿勢

     そして父の言いつけ通りに根の国に向かおうとする素戔鳴尊(すさのをのみこと)は、ここで父大神に、根の国に行く前に、高天原に立ち寄って、姉の天照大御神に会いに行くことの許可を求めています。
    これをお読みの皆様なら、このあと高天原で姉の天照大御神が武装して素戔鳴尊(すさのをのみこと)を待ち受けたという展開をご存知のことと思います。
    そして素戔鳴尊(すさのをのみこと)は、そのあと高天原で大暴れするわけです。

    しかし高天原(たかまがはら)に向かうことは、ちゃんと父大神の許可のもとで行っているということを、日本書紀はあらかじめ書いています。
    すると父も許している素戔鳴尊(すさのをのみこと)の高天原訪問について、なぜ姉の天照大御神が武装してこれを待ち受けるという挙(きょ)に出たのかが疑問になります。
    実は記紀はその答えもちゃんと用意しているのですが、そのことは次回以降のお楽しみにしたいと思います。

    ただ一点、わがままだとされていた素戔鳴尊(すさのをのみこと)が、父大神の立場に立って発言をし、また高天原訪問についても、ちゃんと父の許可を得ているということについては、あらためて注目が必要です。
    ただのバカ息子ではないのです。
    そもそも三貴神のうちの一柱である偉大な神様なのです。
    昨今ではすぐに対象を全否定する傾向がありますが、そうではなく、その相手の全体像をちゃんと把握するということは、人が生きる上においての基本姿勢であると思います。

    ▼すべてが満たされる国

     素戔鳴尊(すさのをのみこと)の最終目的地は、父大神の言付(いいつ)けによって「根の国」と定められています。
    この「根の国」がどこであるのかについては、古来様々な議論があります。

    日本書紀ではこの「根の国」の語は、「遠き根の国、下りて根の国を治める」など、全文中に十一例あります。
    漢字の「根」は根本とか本質といった意味もあるので、母なる大地を持つ国なのではないかなどといった議論もあります。

    古事記では「根の堅州国(かたすくに)」と表現され、文意からあたかも地中の国であるかのような扱いとなり、また大祓詞(おほはらいことば)では、あらゆる現世の罪や穢(けが)れを海に流して最後に根の国の底の国におわす祓戸大神(はらへどのおほかみ)の速佐須良比売(はやさすらひめ)に処分してもらうとあり、地底というより海中にある国であるかのような表現になっています。

    ただ日本書紀の記述を見る限り、すくなくとも素戔鳴尊(すさのをのみこと)は、約束を守る男神であり、また父大神の命令によって最後には根の国に永く退(しりぞ)くことが約束されていることが、今回の原文の文中からも伺えます。

    素戔鳴尊(すさのをのみこと)は最終的に、奥出雲の山中の須佐(すさ)に落ち着かれるのですから、そうすると「根の国」というのは、奥出雲のあたりの大昔の地名であり、そこは木の根に囲まれた国であった、といった意味あいになるようにも思われます。

    ちなみに日本語は一字一音一義ですが、「ね」という音には「満たす」とか「満たされる」といった意味があるのだそうです。
    漢字の「根」は単に当て字でしょうから、そういう意味では「根の国」は、そもそも素戔鳴尊(すさのをのみこと)にとって、すべてが満たされる国、すなわち素戔鳴尊(すさのをのみこと)が「すがすがしい」と歌に詠んだ奥出雲の須賀の地を指していると考えるのが、もっとも的を得ているように思います。

    このように考えると、素戔鳴尊(すさのをのみこと)の高天原訪問は、素戔鳴尊(すさのをのみこと)が、すべてが満たされる安住の地を得る前に、ひとつの試練を得るための選択であったと見ることができます。
    そしてこのことを、次に続く伊弉諾大神(いざなぎのおほかみ)の行く末が見事に象徴しているといえます。

    ▼報命(かへりごと)の大切さ

     そこで続く文を見ますと、まず「父の伊弉諾尊(いざなぎのみこと)は、ここに神様としてのすべての功績を畢(お)えられた」とあります。
    神々にはそれぞれ使命があり、その使命をまっとうすることで、神々はその国の守り神となられます。

    これは人間も同じで、縄文以来の日本人の神道の考え方で、お亡くなりになった方は、その家やムラの守り神になられます。
    ですから神式のお葬式は、神葬祭(しんそうさい)と呼ばれ、香典袋は不祝儀袋、表書きも「御香典」ではなく「御霊前、御神前、御玉串料」などと書きます。
    多くの葬儀は仏式だと思いますが、仏式の場合はお亡くなりになった方の御霊は極楽浄土へと旅立たれますので、別れを告げる「告別式」になります。
    もっとも仏式でも御霊がお位牌に備わって仏壇に収まったりしますが、これは神仏習合が進んだ結果のきわめて日本的なしきたりです。

     話が脱線しましたが、伊弉諾大神(いざなぎのおほかみ)は、こうして御霊(みたま)を淡路島にお移しになられます。
    なぜ淡路島なのかというと、国生みの始まりが淡路島からだったからです。
    つまり国のはじまりの原点に「幽宮(かくれのみや)」をお造(つく)りになられて、そこで静かに永く御鎮座されたわけです。

    そして別な説によれば、「伊奘諾尊(いざなぎのみこと)は偉大な神様なので、この後(のち)に天に昇られて、それまでの一切のご報告を行われ、その後「日の少宮(わかみや)」にお住まいになられた」と書かれています。
    淡路島の記述だけでも足りそうなところを、わざわざ「天に昇られて報告された」とあるのは、ここが我が国の伝統文化の大事な一文でもあるからです。

    それが何かというと、ここでいう「報告」のことを本文では「報命(かへりごと)」と書いていることです。
    「報告」と「報命(かへりごと)」の違いが何かというと、報告は単に文書や電話、メール等での報告を含みます。
    しかし「報命(かへりごと)」は、関係者一同がそろったなかで、顔を出してオフィシャルな報告会議を行うことを意味します。
    日常の報告は文書でも足りるのですが、最終報告は、ちゃんと顔を見せて「報命(かへりごと)」しなさい、というのが、我が国の古くからのしきたりです。

    この記事は、日本弥栄の会が発行する月刊誌『玉響』に連載している日本書紀講義の過去記事の文です。
    『玉響』はネットで購読の申込みができます。お奨めです。
    お読みいただき、ありがとうございました。
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    沈んだヒル湖よりも、天照大御神や月神は、もっと古い時代からあったのだ《つまりヒル湖の周囲で人々が生活をしていた時代や、それ以前のもっと古い時代》ということを、記紀は、この短い文章の中で書き表しているのかもしれません。

    南米の葦船と葦を使った生活
    20210922 葦舟

    写真はチチカカ湖のもので、友人が現地で撮影したものをお借りしました。あたりまえのことですが、人間は「身近にあるもの」を加工し、工夫して生活します。日本もペルーと同様、葦(あし)が繁殖します。葦は成長が早く、密生し、収穫しやすくて、かつ水に浮きます。つまり葦は、水辺の生活に欠かせない生活必需品です。チチカカ湖のあたりでは、現地の人々が船も家も床も屋根も、葦を束ねて利用して生活しています。葦船を作ることは、すくなくとも大木を伐り倒し加工して船や家にするよりも、ずっとはるかに楽に早く行うことができます。我が国も葦が生えます。ですから万年の昔の生活は、日本もペルーも、きっと同じようなものであったろうと推測することができます。


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    日本書紀講義6 陽神左旋・陰神右旋(修正版)
    日本書紀講義7 天照大御神の誕生
    日本書紀講義8 月神、蛭児、素戔嗚尊の誕生

    前回は、天照大御神の御誕生の事を書かせていただきました。
    今回は続いて月神(つきかみ)、蛭児(ひるこ)、素戔嗚尊(すさのをのみこと)の誕生を解説します。

    ▼原文を読んでみる

    次生月神 つぎにはつきの かみをうむ
     一書云  あるふみに いはくには
     月弓尊  つきゆみみこと
     月夜見尊  つきよみみこと
     月読尊  つきよむみこと
    其光 そのひかり
    彩亜日 ひにつぎて うるはしく
    可以配日而治 ひにならび しらしめむため
    故亦送之于天 これもまた あめおくる

    次生蛭児 つぎにはひるこ うみたもふ
    雖已三歲脚猶不立 みとせになりて あしたたず
    故載之於天磐櫲樟船 あめのいはくす ふねにのせ
    而順風放棄 かぜにまかせて うちすてぬ

    次生素戔鳴尊 つぎにはすさの をのみこと
     一書云  あるふみに いはくには
     神素戔鳴尊  かみのすさの をのみこと
     速素戔鳴尊  はやのすさの をのみこと
    此神有勇悍以安忍 このかみいさみ たけくていふり
    且常以哭泣為行故 つねにもなきて いさちりて
    令国内人民多以夭折 くにうちのひと さわにしなしむ
    復使青山変枯 またあほやまを へんじてからす

    故其父母二神 ゆへにちちはは ふたつかみ
    勅素戔鳴尊 すさのをの みことにいはく
    汝甚無道 なむじはなはだ あじきなく
    不可以君臨宇宙 このそらの きみにたるなし
    固當遠適 まことにまさに とほくいね
    之於根国矣遂逐之 これねのくにに つひにやらひき

    《現代語訳》
    次に月の神を生みました。
    (その名は他の書には、
     月弓尊(つきゆみみこと)、
     月夜見尊(つきよみみこと)、
     月読尊(つきよむみこと)とあります)
    月の神の光は、天照大御神に似て彩(うるわし)かったので、太陽と同じく天に配置して治(しらし)めるため、天に送りました。

    次に蛭児(ひるこ)を生みましたが、三歳経ってもまだ脚(あし)が立たなかったため、天(あめ)の磐(いわ)の櫲樟(くすのき)の船に載(の)せて、風に順(まか)せて放棄(うちすて)ました。

    次に素戔鳴尊(すさのをのみこと)が生まれました。
    (その名は他の書には、
     神素戔鳴尊(かみのすさのをのみこと)
     速素戔鳴尊(はやのすさのをのみこと)とあります)
    この神は、勇悍(いさみたけ)くて忍(いぶり)がやすく、且(また)、常に泣き哭(いさち)るを行(わざ)となす故(ゆえ)に、多くの国内(くにうち)の人民(ひとくさ)を夭逝(し)なせてしまいました。またあるときは、青々とした緑豊かな山を枯らしてしまいました。これゆえ父母の二神は素戔鳴尊(すさのをのみこと)に勅(みことのり)して言いました。
    「おまえははなはだ無道(あじき)ない。
     この宇宙におまえが君たるところはない。
     遠くに行って戻って来ぬが良かろう」
    こうして素戔鳴尊(すさのをのみこと)は根の国に追放されました。


    ▼万年の記憶
    日本書紀は、まず天照大御神がお生まれになられたたあと、月神、蛭児(ひるこ)、スサノヲの順で生まれたと書いています。
    これは古事記に馴染みのある方からすると、すこし違和感をおぼえるところかもしれません。
    図示すると次のようになります。

    『古事記』
     水蛭子(ひるこ)、国生み、神生み、天照大御神、月読神、須佐之男神
    『日本書紀』
     国生み、神生み、天照大御神、月神、蛭児(ひるこ)、素戔嗚尊

    このように順番に誤差が出るのは、こうした数千年《もしくは万年》の単位の古い歴史の物語にはよくあることで、ひとことでいえば、とても古い時代のお話であることを象徴しているといえます。

    両者に共通しているのは「ヒルコを船で流した」という記述で、
    『古事記』は「葦船(あしのふね)で流し去る」とし、
    『日本書紀』は「天磐櫲樟船(あめいはのくすのきのふね)に載(の)せて、風に順(まかせ)て放棄(うちすて)ぬ」と書いています。
    葦船(あしぶね)はヨシズなどに使われるアシでできた船、
    天磐櫲樟船は、クスノキでできた櫂(かい)《オールのこと》付きの丈夫な帆船を意味します。

    ちなみに我が国では三万八千年前に、伊豆から沖合57キロの海上に浮かぶ神津島まで船で往来していたことを示す石器が沼津や長野で発見されていますが、波が荒くて潮流の強い外洋で、この距離を丸木舟で往復することはできません。
    しかも帰りには大量の石を積載して航海するのです。
    そしてこうした航海を実現するには、いまでも南洋の人々が用いているアウトリガー付きの帆船(映画『モアナと伝説の海』にも登場していました)が用いられていたのであろうといわれています。


    ▼二万年前の日本
    またさらに二万年前になりますと、この頃の急速な寒冷化によって陸上の氷河が発達し、海面がいまよりも140メートルも低くなり、いまの東シナ海が「東東亜平野」と呼ばれる大陸に、また琉球諸島は巨大な列島となって東東亜平野と琉球列島との間に巨大な塩水湖を形成していました。

    このあたりは氷河期にありながらも気候が温暖、透き通った浅い海に海藻(かいそう)が繁殖し、これを餌(えさ)にするプランクトンが繁殖、さらにこれを捕食する大小様々な魚がいたと考えられています。
    そしてこの内海が、なんと山蛭(やまびる)そっくりの形をしていました。
    そこで付いた名前が「ヒル湖」です。

    二万年前といえば、いまよりもずっと寒かった時代で、日本列島は樺太北部なみの気象状況です。
    つまり原始的生活を営むには、あまりに寒かった時代です。
    ところがヒル湖のあたりは海流の関係で温暖で、しかも水が綺麗で水深が浅いですから、魚や海藻(かいそう)が豊富に獲れ、波もおだやかだから、人々が大変に生活しやすいところであったようです。

    ちなみにずっと時代が下って八世紀に書かれた『契丹古伝(きったんこでん)』では、中国神話にある黄帝や神農、堯舜、西王母などは「皆倭種なり」と書いています。
    万年の昔、倭人の基になった人々がヒル湖の周囲で暮らしていて、海面の上昇によって、その住むところが、大陸や日本列島、琉球諸島などに別れていったのだとするなら、それも十分にありえることだということになります。

    不思議なことに沖縄には「天照大御神は、最初に沖縄に降臨された」という伝誦があるのです。これもまた不思議なことです。

    けれどそのヒル湖も東東亜平野も、氷河期の終わりとともに陸上の氷が溶けだし、海面が上昇することで、およそ六千年前には、すべて水没してしまいました。
    もしかすると、そんなとほうもない歴史を、記紀は「蛭児《=ヒル湖》が海に流れて沈んでしまった」と書いているのかもしれません。
    そして沈んだヒル湖よりも、天照大御神や月神は、もっと古い時代からあったのだ《つまりヒル湖の周囲で人々が生活をしていた時代や、それ以前のもっと古い時代》ということを、記紀は、この短い文章の中で書き表しているのかもしれません。

     
    ▼ 天磐櫲樟船(あめのいわくすふね)
    原文にある天磐櫲樟船(あめのいわくすふね)は、漢字で見るとまず「磐」の字の「般」のところが手漕ぎ用の櫂(かい)《オールのこと》が付いた帆船を意味します。
    それが石のように堅いから「磐」という字になります。
    そして「櫲樟(よしょう)」というのは「クスノキ」のことです。

    櫂(かい)付きでクスノキでできた大型の帆船といえば、すぐに思い浮かぶのが大昔に地中海で活躍した「ガレイ船」です。
    「ガレイ船」は地中海のように波が穏(おだ)やかな海でなければ航行できない船です。
    なぜなら波の荒い外洋では、櫂のところから浸水して、船が転覆してしまうからです。
    このため大航海時代になると、カラベル船と呼ばれる櫂のない大型帆船が用いられるようなりました。
    波の穏やかな地中海から、波の激しい大西洋に航海に出るようになったからです。

    もし「磐櫲樟船」がガレー船のような櫂(かい)を持った船なら、その船は地中海のような静かな内海を航海していなければなりません。
    そして仮に琉球列島と大陸に挟まれたヒルのような形をしたヒル湖が、二万年前の寒冷期における人々の生活の拠点であったとしたならば、そこはなるほど気象変動とともに、海に沈んでしまったと考えられるわけです。
    そのことを記紀は象徴的に「海に流した」と書いているのではないかと想像することができます。
    そうだ、と決めつけているわけではありません。あくまでも、そのようにも考えられる、ということです。

     
    ▼ 素戔鳴尊(すさのをのみこと)
    そしていよいよ待望の素戔鳴尊(すさのをのみこと)の登場です。
    はじめにある「勇悍(いさみたけ)くて忍(いぶり)がやすく」というのは、要するに忍耐強いの反対で、たいへんに要求が強い子であったことを意味します。
    そしていつもへそを曲げては、泣きわめいているわけです。

    ところが普通の赤ん坊が泣くのと、神様が泣くのとでは、その影響力が違います。
    なんとその泣き声で、国中の人々が死んでしまうし、青々とした緑豊かな山まで枯れてしまう、というわけです。

    この描写は大風をともなう台風などの自然災害を想起させます。
    おそらく古代におけるある時代、長期間に渡って強風が吹き荒れ、落雷や大雨が相次ぐ時代があったのでしょう。

    これゆえ父母の二神は素戔鳴尊(すさのをのみこと)に、
    「おまえははなはだ無道(あじき)だから、この宇宙(そら)におまえの居場所はない。根の国に行け」と、追放されてしまうわけです。

    スサノヲは、偉大な神様です。
    そうであるなら、普通なら「幼い頃から優秀な子であった」と書かれそうです。
    ではなぜ古事記も日本書紀も、スサノヲ誕生のシーンで、いわば暴君のような子であったと描写しているのでしょうか。
    この疑問を持ちながら、続きはまた次回。


    ※この記事は月刊玉響320号(2021.3月)に掲載したお話です。
    お読みいただき、ありがとうございました。
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  • 日本書紀講義7 天照大御神の誕生


    次回倭塾は9月18日(土)13時半から富岡八幡宮婚儀殿。
    テーマは「ご先祖から預かった大切な日本」です。
    詳細は→https://www.facebook.com/events/453891059222691


    日本書紀は、元正天皇に提出された養老4年(西暦720年)の翌年以来、終戦の年である昭和20年(西暦1945年)まで、1200年以上にわたって我が国の正史として扱われてきた書です。
    「その国の民度は史書によって定まる」と言われますが、そうであるとすれば、日本書紀は我が国の民衆が高い民度を得るひとつの原因となった書ということになります。
    従って我々がいま日本書紀を学ぶことは、日本人としてのアイデンティティを学ぶことにつながります。
    大切な書なのです。

    20210912 天照大御神
    画像出所=https://spirituabreath.com/amaterasuoumikami-tanjyoubi-100338.html
    (画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
    画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)



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    日本書紀講義7 天照大御神の誕生

    ────────────
    これまでのあらすじ
    ────────────
    前回の抄で、ともに夫婦となられたイザナギとイザナミは、淡路島、本州、隠岐の島などの大八州国を生んだ後、次に海、川、山、木々、草などを生み ます。
    今回の解説は、ここからになります。

    ────────────
    原文を読んでみる
    ────────────
    ここにおいては            既而
    いざなぎみこと いざなみみこと  伊奘諾尊・伊奘冉尊
    ともにはかりて いはくには    共議曰
    あれおほやしま やまかはくさき 吾已生大八洲國
    すでにうむ                及山川草木
    なんぞあめした きみうまむ     何不生天下之主者歟
    ひのかみをうみ            於是共生日神
    おほのひるめの むちとまをす   号大日孁貴
     おほひるめむち              大日孁貴
     これおほひるめ むちといふ     此云於保比能武智
     むちをよみては りきてひのかへし 音力丁反
     あるふみいはく             一書云
     あまてらすおほみかみ         天照大神
     あるふみいはく              一書云
     あまてらすおほひるめのむちのみこと  天照大日孁尊
    このみこひかり うるはしく        此子光華明彩
    りくごうのうち てりとほす        照徹於六合之内
    ゆへにふたつの はしらかみ      故二神
    よろこびて まをさくは          喜曰
    あがこおほしと いへりとも       吾息雖多
    かくくしく あやしきこなし         未有若此靈異之兒
    ひさしくこのくに とどまるはよからず 不宜久留此國
    おのずとはやく あめにおくりて    自當早送于天
    あめのうえの ことにさずけむ     而授以天上之事
    このときあめと つちのあひさる    是時天地相去
    まだとほからず              未遠
    これゆへに あめのみはしら     故以天柱
    もちてはあめの うへにあげるなり  擧於天上也

    《現代語訳》

    伊弉諾尊と伊弉冉尊は、「私たちは、すでに大八洲の国や、山川草木を生みましたから、次には天下の主となる者を生みましょう」と述べられ、こうして日の神が生まれました。 名を大日孁貴と号しました。(大日孁貴と書いて「おほひるめのむち」と読みます。孁の字は国字で霊を変えた字です)
    この神様のことを一書(あるふみ)は天照大神(あまてらすおほみかみ)と書いています。
    また一書は、天照大日孁尊(あまてらすおほひるめのみこと)と書いています。
    この子(みこ)は、光華明彩(ひかりうるはし)く、上下四方を内側から照らし徹(とお)しました。伊弉諾尊と伊弉冊尊はたいへん喜ばれて、
    「たくさんの子を生んできたが、いまだこのような奇(く)しき子は生まれたことがない。この子はこの国にとどめるのではなく、天上界に送って、天上界の事に授けよう」と申しました。この頃はまだ天地は、互いに近かったので、二神は天の御柱(みはしら)を使って、この子を天上界に挙げられました。

    ────────────
    日本書紀は天照大御神を大日孁貴(おほひるめのむち)と書いている
    ────────────
    伊勢神宮の御祭神といえば天照大御神(あまてらすおほみかみ)です。
    天照大御神は我が国の最高神です。
    その御出生について日本書紀は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冊尊(いざなみのみこと)が、はじめに国土を生(う)んだあと、次に海や川、山や草木などを生み、その後にそれまでに生んだすべの神の子らの主人になる神を生(う)もうと話し合って(つまり意図して)生んだのだと記(しる)しています。

    こうして生まれた神様が「大日孁貴(おほひるめのむち)」です。
    日本書紀はこの神様のことを、わざわざ
    「大日孁貴は、
     此(これ)を
     於(お)保(ほ)比(ひ)屢(る)咩(め)能(の)武(む)智(ち)
     と云う」
    と注釈しています。
    ですから読みは間違いなく「おほひるめのむち」です。
    そのうえで、
    「書によっては天照大御神
     (あまてらすおほみかみ)と書き、
     あるいは他の書には天照大日孁尊
     (あまてらすおほひるめのみこと)
     と書いている」
    と注釈しています。
    天照大御神のことなのだから、最初からそのように書けば良さそうなものを、意図して「大日孁貴」と書いているということは、そこに何やらメッセージがありそうです。

    そこで問題になるのが「孁(め)」という漢字です。
    日本書紀はこの「孁(め)」は、「孁音力丁反」と注釈を付けています。
    これで「孁(め)の音(よみ)は力丁(りきてい)の反(かえ)し」と読み下すのですが、これは「反切(はんせつ)」といって、前の音(力)の最初の読みと、次の音の「丁」の後ろの読みを取って読むことを意味します。
    「力」は「ri-ki」、「丁」は「tyou」ですから、その最初と最後の音をとって「ru=ル」と読みなさいと注釈しているわけです。

    これは現代語でも、たとえば「教(おそ)わった」が「おさった」と発音されることと同じです。
    この場合ですと、
     教わった   osowatta.
     おさった   osatta.   になります。

    この「孁」という字は、日本で生まれた国字(こくじ)で、中国漢字には「孁」という文字はありません。あるのは「霊」です。日本書紀は「霊」の字の旁(つくり)の部分を「女」に変えて、「この字は霊という字なのだけれど、天照大御神は女性神だから「孁」と書きました」とわざわざ注釈しているわけです。

    そのうえで、「大日孁貴」の読みは「於保比屢咩能武智(おほひるめのむち)」であると注釈しています。
    従って「大日孁貴」の読みは「おほひるめのむち」で間違いありません。

    ────────────
    大日孁貴と書いた理由
    ────────────
    ではなぜ日本書紀は、天照大御神のことを、わざわざ「大日孁貴」と書いたのでしょうか。
    これについては古来謎(なぞ)とされてきたのですが、拙著『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』で、ひとつの見方として、これはもともとは縦書き文書で「霊女」と書かれていたものを、詰めて「孁」と書いたのではないかと解説させていただきました。

     理由は三つあります。

    1 中国漢字に「孁」という字は存在しない。
    2 「霊」の旧字は「靈」だが、これを「るめ(ru-me)」と読むことはない。
    3 「霊」だけならば「る」と読むことができ、「女」は「め」と読める。

    つまりもともと「大日霊女貴(おほひるめのむち)」と書かれていたものが、どこかで「霊女」がつながって「孁」のかもしれないと解説させていただきました。実際「大日霊女貴」ならば「おほひるめのむち」と読むことができるからです。
    また、「大日霊女貴(おほひるめのむち)」と表記しますと、なにやら「霊女」のところが、曖昧な《幽霊のような存在みたいな》印象になってしまいます。
    天照大御神は我が国の最高神ですから、そのような表記はよろしくないということになって、「霊女」をおもいきってつなげて「孁」としたのではないでしょうか。
    いまのところ「孁」の記述に関しては、これ以上の見方は他にないと思います。

    そして「霊」という字は、略字が「巫」ですから、「霊女」を略字で書けば「巫女(みこ)」となります。
    すると「大日孁」は、
    「大日巫女(おおいなるひのみこ)」となります。
    「大」を取れば「ひみこ《日巫女》」です。

    同じ音の女性が魏志倭人伝にも「卑弥呼(ひみこ)」として登場します。
    卑弥呼は完全に当て字ですから、もともとは「日(ひ)の巫女(みこ)」であり、その女性が「光華明彩(ひかりうるはし)く、上下四方を内側から照らし徹(とお)す」ような素晴らしい女性であったことから、いつしかその女性が我が国の最高神となったのかもしれません。

    しかしだからといって魏志倭人伝にある「卑弥呼」を、日本書紀の大日孁貴(おほひるめのむち)と同一視することは間違っていると思います。
    魏志倭人伝の記述は二世紀後半から三世紀にかけての出来事です。
    その頃倭国で大乱があって、卑弥呼がこれを鎮(しず)めたという記述がありますから、このときの卑弥呼が偉大な女性であったことは事実であろうと思います。
    けれど我が国の神語(かむかたり)にある大日孁貴が「日の巫女」であるのならば、そうした巫女の職は代々受け継がれていくものです。
    その最初の女性が、イザナギとイザナミが生んだ「大日孁貴(おほひるめのむち)」であったのではないでしょうか。

    いまでもお伊勢様で毎年天照大御神の依代になる 女性が選ばれ、儀式が行われていますが、ときにその依代となった女性が、深夜に光り輝くことがある のだそうです。実際、写真で観たことがありますが、 真っ暗な中に、その女性だけがまるで内側から発光しているかのように光っているのです。
    世の中には 不思議なことがあるものです。

    ────────────
    大和言葉での「おほひるめのむち」とは
    ────────────
    ではもうひとつ、「おほひるめのむち」とは、いかなる意味を持つのでしょうか。
    「おほ」は偉大な、「ひ」は日ノ神を意味します。「め」は女性です。問題は「る」と「む・ち」です。大和言葉では「る」は「流留畄」で、流れやそれを留めることを意味します。
    ですから「ひるめ」なら「太陽の光を留める《もたらす》女性」という意味になります。
    「む」は無、「ち」は凝固するものを意味しますので、「むち」ならば「決してひとつにかたまったり、偏在することなく、すべてにあまねく行き渡る」ことを意味します。
    太陽の光りは、すべてをあまねく照らします。
    そのことを「ひるめ」の「むち」と表現したのではないでしょうか。

    だからこそこの神様は、
    「光り華(はな)やかに明(あかる)く彩(いろど)られ、
     上下四方を内側から照らしとおす神様であったため、
     伊弉諾尊と伊弉冊尊がたいへん喜(よろこ)ばれて、
     『たくさんの子を生んできたが、
      このような奇(く)しき子は生まれたことがない。
      この子はこの国にとどめるのではなく、
      天上界に送って、天上界の事に授けよう』
    と話し合い、このころは『まだ天地が互いに近かったので』、二神は天の御柱(みはしら)を使って、この子を天上界にあげられたと日本書紀は描写しているわけです。

    ここでいう天上界とは、高天原のことですから「大日孁貴神(おほひるめのむちのかみ)」は、高天原の最高神となられたというわけです。

    日本書紀は、元正天皇に提出された養老4年(西暦720年)の翌年以来、終戦の年である昭和20年(西暦1945年)まで、1200年以上にわたって我が国の正史として扱われてきた書です。
    「その国の民度は史書によって定まる」と言われますが、そうであるとすれば、日本書紀は我が国の民衆が高い民度を得るひとつの原因となった書ということになります。
    従って我々がいま日本書紀を学ぶことは、日本人としてのアイデンティティを学ぶことにつながります。
    大切な書なのです。


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  • 天地(あめつち)と天壌(あめつち)の違いのお話


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    現代日本の都会の土は、果たして
    「やわらかな土」でしょうか。
    「肥えた土」でしょうか。

    20210723 田んぼ
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    小名木善行です。

    古事記や日本書紀の冒頭部分では、天地のことを天地(あめつち)と書いています。
    ところが天壌無窮の神勅では、天壌(あめつち)と書いています。
    古代の人は、そこにどのような意図を込めたのでしょうか。

    記紀が書かれた時代というのは、
    1 我が国にもとからある国字としての神代文字は、全国の豪族ごとに使う文字が異なること、
    2 我が国の五十音が、もともと鹿骨占いの結果を判断するための記号としての一字一音一義からはじまっているため、音の意味が固定的となり、複雑な思い等を表現するためには、神代文字を組み合わせてできている漢字を用いたほうが合理的と考えられたこと、
    3 全国の豪族たちを統一し、我が国が統一国家を形成するためには、新たな文字が必要であったこと、
    などが真剣に検討された時代です。

    全国の豪族たちというのは、それこそいまの県が、昔はクニと呼ばれたことにも明らかなように、まさにそれぞれのクニが独立国であり、その国ごとに異なる体制、異なる言語(いまふうにいえば方言)を用い、それぞれに異なる神を祀り、異なる習俗のもとにあったと考えるのが、普通です。

    もちろん、豪族間の(つまりクニとクニとの)交易関係や、親戚関係はあったでしょうし、何百年か遡れば、全国の豪族たちは、皆、親戚です。
    また、倭人たちは船を用いますので、相互の交流も激しく行われていたことと推察できます。

    ただ、そうした時代の中にあって、秦の始皇帝の一族である秦氏などが来日し、秦の始皇帝が、チャイナで統一文字として漢字を用いようとしたことなどが伝えられ、その漢字を用いることで、さまざまな複雑な単語を新たに用いることができるようになってきていたわけです。

    一方、その漢字は、もとをたどれば、倭国で用いられていた神代文字の記号の組み合わせです。
    その意味では、漢字と神代文字は、たいへんに相性が良い。



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  • ウマシアシカビヒコヂの神の御名の意味するもの


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    第83回 倭塾 5月23日(日)13:30より開催
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    困ったときには原点に帰る。
    その原点というのは、笑顔で活発で、明るくて元気いっぱいの姿です。
    またそこから立ち上がっていこうよ。
    また新たに出発して行こうよ。
    いつだって、何度だって、やり直すのさ、
    そう言って白い歯を見せて笑っている
    そういった、底抜けの陽気さが、日本人の原点です。

    可美葦牙彦舅尊 (うましあしかびひこじのみこと)を御祭神とする浮島神社《愛媛県東温市》
    20210510 浮島神社
    画像出所=http://ehime-jinjacho.jp/jinja/?p=4816
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    小名木善行です。

    我が国の神話に登場する創生の神々の中に、ウマシアシカビヒコヂノカミという神様がおいでになります。
    お名前は、
    古事記では、 宇摩志阿斯訶備比古遅神、
    日本書紀では 可美葦牙彦舅尊
    と表記されます。(読みはどちらも同じです)

    古事記では、はじめに天御中主神、高御産巣日神、神産巣日神がお生まれになられたあと、
    「次に国(くに)稚(わか)くして
     浮かべる脂(あぶら)のごとく、
     クラゲのようにただよえるとき、
     葦牙(あしかび)のごとく
     萌えあがるものに成る神の名は
     宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコヂノカミ)。
     この神の名は音(こえ)を以(もち)いる」

    と書かれています。
    (原文:
     次、國稚如浮脂而久羅下那州多陀用幣流之時(流字以上十字以音)
     如葦牙、因萌騰之物而成神名、宇摩志阿斯訶備比古遲神(此神名以音)

    ここでは宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコヂノカミ)の名は、「音(こえ)を以(もち)いる」と書かれていますから、用いられている漢字には何の意味もなく、単に神様のお名前が「ウマシアシカビヒコヂノカミ」ですよ、と述べていることになります。

    意味は
     うまし  美しくて立派
     あしかび 葦(あし)の新芽
     ひこぢ  立派な男性

    そこから「ウマシアシカビヒコヂの神」の名は、
    「成長の早い葦(あし)の新芽のように、
     美しくて立派な男性の神様」という意味であるとわかります。

    ところが古事記の文章は、このすぐ後に、
    「次に天之常立神(あめのとこたちのかみ)
     この二柱の神もまた
     独神(ひとりがみ)と成(な)りまして
     身に隠しましきなり。

    《原文:
     次天之常立神(訓常云登許、訓立云多知)。
     此二柱神亦、獨神成坐而、隱身也》

    と書いています。



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  • 清陽(すみてあきらか)と重濁(おもくてにごる)


    ときに重く濁った気持ちになってしまうのだって、当然です。
    なぜなら、それは「もとからあるもの」だからです。
    でも同時に私達の中には、清陽(すみてあきらか)なるものが存在します。
    清らかで、陽(ほがら)かなものが、ちゃんと内在しているのです。
    だからいまは落ち込んでも、次の瞬間には、笑顔でいることもできるのです。
    それが人間です。

    20201220 上高地
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    歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
    小名木善行です。

    日本書紀の冒頭に「清陽」という文字が見られます。
    このように書いて「すみてあきらか」と読みます。
    「清(きよ)らか」であることは大切です。
    だから、体《身》のよごれなら、お風呂に入って落とします。
    同様に魂《霊(ひ)》の穢(けがれ)なら、神社に参拝したり、お祓いをしてもらって、これを祓(はら)います。

    けれど日本書紀は「それだけではダメだ」と書いています。
    もうひとつ、
    「陽」でなければダメだ、と書いているのです。
    「陽」という字は、このようにかいて「あきらか」と読み下します。
    そして「陽光のように明るい、あたたかい」そして「ほがらか」という意味を持ちます。

    つまり日本書紀は、清らかであるだけでなく、ほがらかで陽気なくちゃダメだよ、と書いているわけです。
    それが、日本書紀の冒頭、いちばんはじめにかかれています。

    いにしへの             古
    あめつちいまだ  わかれずに    天地未剖
    かげあきらかも  わかれずに    陰陽不分
    とりのこのごと  こんとんの    渾沌如鶏子
    ひろがるうみに  きざしあり    溟涬而含牙
    すみてあきらか  なるものは    及其清陽者
    うすくたなびき  あめとなり    薄靡而為天
    おもくてにごり  たるものは    重濁者
    つつひてつちと  なりにけり    淹滞而為地

    《現代語訳》
     大昔、天地がまだ分かれていなくて、陰陽もまた分かれていない混沌としたなかに、ほのかな兆(きざ)しがありました。その兆(きざ)しの中の清陽(すみてあきら)かなものが薄くたなびいて天となり、重くて濁(にご)っているものが、停滞して地(つち)になりました。美しく言いようもなく優れたものは広がりやすく、重くて濁ったものは固まりにくかったため、先に天が生まれ、後に地が定まりました。


    ▼清陽と重濁から神様は生まれた

    日本書紀には古事記のような前文がなく、いきなり本文がはじまります。
    その冒頭の言葉が「古天地未剖(いにしへの あめつちいまだ わかれずに)」です。

    天地がわかれることに、解剖するときに使う「剖」という字を充てています。
    この字は刃物を使って二つに切り裂くことを意味する漢字ですが、その天地はもともと別れてなどいない、陰陽も別れていなかったと日本書紀は記述しています。

    よく「日本書紀は中国古来の陰陽道に基づいて書かれた」と言う人がいます。
    しかし中国における陰陽思想は、陰陽は対立概念であり二元論です。
    しかし日本書紀は、陰陽はそもそも一体だと書いているわけです。
    このことは、「日本書紀は陰陽思想ではありませんよ」と、冒頭で宣言しているようなものです。

    そこから、清陽と重濁が別れます。
    清陽は「すみてあきらか」と読みますが、清らかで、かつ陽気なものです。
    それが薄く広がって天になった。
    そして重くて濁ったものが下方に固まって地(つち)となったと書いています。

    そしてここが大事なのですが、こうしてできあがった「天地」に、最初の神様である国之常立尊(くにのとこたちのみこと)がお化(な)りになります。
    そして続けて国狭槌尊(くにのさつちのみこと)、豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)がお生まれになられたと書いています。

    一般に神様といえば「天にまします清(きよ)らかな御存在」と認識されます。
    しかし日本書紀は、そうではなく、「清らかな天」と「重くて濁った地(つち)」で出来た天地に、最初の神様がお化(な)りになられたと書いているのです。
    神様の中にも、重くて濁ったものがあるのです。
    ましてや我々人間の身は、その重くて濁った地(つち)でできた作物によってできています。
    つまり、もともと人の体は、そもそもが重くて濁っているのです。

    ですから、ときに重く濁った気持ちになってしまうのだって、当然です。
    なぜなら、それは「もとからあるもの」だからです。

    でも同時に私達の中には、清陽(すみてあきらか)なるものが存在します。
    清らかで、陽(ほがら)かなものが、ちゃんと内在しているのです。

    だからいまは落ち込んでも、次の瞬間には、笑顔でいることもできるのです。

    それが人間です。


    お読みいただき、ありがとうございました。
    日本をかっこよく!! むすび大学。


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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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E-mail info@musubi-ac.com
電話 072-807-7567
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