• 覇気をもって立ち上がるとき


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    日の丸2


    今回の選挙は、自民が大敗し、民主党大勝利に終わりました。

    各メディアは、開票前から“政権選択”“国民の審判のとき”などと大はしゃぎしています。
    してやったりというところでしょう。

    中国は30日の夜の間にさっそく、

    「鳩山氏は靖国神社を参拝しないと強調しており、中国との関係を発展させる東アジア共同体の構想も支持している」と指摘。
    そして、鳩山政権誕生後の日中関係は「順調に発展するだろう」と喜びのステートメントを発表しています。

    今回の政権交代劇の本当の主役が誰なのか、ある意味、実にわかりやすい。

    ねずきちは、今回の選挙の中で、もっとも注目すべきは、民主党勝利の結果ではなくて、まったく逆に、今回の選挙を通じて、多くの日本人が覚醒し、明確な意思を持って動き始めた、という点にあると思っています。

    日本を愛する多くの市民が、偏向したメディアに惑わされることなく、みずからの意思で、ひとりたち、ふたりたちして具体的な行動に一歩踏み出した。

    ポスティング
    友人との対話
    メールや手紙
    選挙事務所への応援
    コメント欄への投稿 等々・・・・

    平和ボケといわれる日本で、かつてない動きが起こった。
    みなさま、ほんとうにお疲れ様です。ありがとうございます。

    利権やしがらみでなく、みずからの手で情報を集めた市民が、みずからの考えで行動したということです。

    これは戦後初めての動きです。

    ある意味、民主に投票した多くの有権者も、その意思は単に「自民にお灸をすえる」というものだった。

    このことも、もしかしたら“みずからの意思”のうちかもしれません。

    あれだけメディアをあげて自民の攻撃をし、功績をスルーし、黙殺し、ひたすら夢や希望にあふれる“政権交代”を煽ったのです。

    にもかかわらず、有権者の意思は、積極的な民主支持というよりも、自民への「お灸」だった^^;

    要するに、日本人は誰も、特アや在日による傀儡政権の誕生など望んでいない、のです。

    そして今後の日本では、民主党が動けば動くほど、メディアが民主党をよいしょすればするほど、多くの市民は、“おかしい”と気付きはじめる。

    今回の選挙では、覚醒した市民は、まだまだわずかだったけれど、水面下ではじまった保守覚醒の動きは、この先、民主党が動けば動くほど、メディアが民主をよいしょすればするほど、ますます大きな広がりとなっていくにちがいないと、ねずきちは思います。

    昨日から今朝にかけて、皆様から、たくさんのコメントをいただきました。
    ほんとうにありがとうございます。

    その中で、椿さんからのコメントを、あらためてここでご紹介させていただきます。

    ねずきちの意見も、思いも、まったくこれと同じであると申し上げたい。

    ----------------------------

    2009/08/30(日) 23:27 椿

    自民が勝とうが負けようが、関係ない!

    私達はただ、ひたすら『誇りある日本』を取り戻す為に、これから何百、何千という戦いを、一生涯かけて戦い抜くだけです。
    ただ、今までの無関心、平和ボケの代償が来ただけ。
    その責任は、あえて受けましょう。

    「植民地にもなった事が無い日本、外国勢力と戦い負けた事が無い日本が、アメリカに負けて自信を喪失した」等と、まことしやかに言っている反日どもがいるけれど、私は違うと思います!

    それは、男らしく戦えなかった“女々しい男達の言い訳”であって、気概のある男達は、『今度は絶対に、ボッコボコにしてやる!!』と決意していたはずです!!

    どんな勝負事でも、喧嘩でも、やった事がある人なら分かると思いますが、勝負は時の運!です。
    そしてそれは、決して、一回こっきり終わりの喧嘩じゃない。
    生きている間、勝負なんて、何度でも訪れるのです。

    人事を尽くしても、今回は少し叶わないと思ったら、いっとき引けば良いのです。
    それは負けではなく、次の戦いを勝ちぬく為の『下準備期間』なのですから…。

    一度コテンパンにやられたからといって、自分の殻に閉じこもり、二度と口答えしない、喧嘩をしないでは、それこそ“完璧な敗北”となってしまいます!!

    一度コテンパンにやられたら、それをバネに、今度は相手を“ボッコボコ”にしてやるのです!!
    そうして、やったり、やられたりすることによって、相手の“弱点”や“盲点”を知り尽くし、次の戦いの時に備え、活用するのです!


    -----------------------------

    椿さん、ごめんなさい。勝手に引用しちゃいました><

    でも、おっしゃる通りなのです。

    よくあることなのですけれど、大手企業の中などでの派閥抗争。

    反対派閥が重要ポストを奪ったとき、敗れた側のリーダーが、
    「とりあえず、お手並み拝見といこうじゃないか!」
    などと言っているようなら、その派閥は間違いなく沈没します。

    あっという間に立場も意見力も失われる。
    駆逐され、二度と這いあがれなくなる。

    政治も同じです。

    とりあえず、民主党のお手並み拝見といこうじゃないか、などとやったら、この先、どんどん特アや在日に侵食されます。

    お手並み拝見など、もってのほか!
    戦いは、いまようやく始まったばかりなのです。


    ねずきちのひとりごとは、“政治ブログ”に分類しています。

    ところが、書いてあることは、
    大東亜戦争の史実、歴史、日の丸や国旗の意義、教育勅語とは何か、八紘一宇とは何か、特アの恐怖とは何か、そして英霊への感謝・・・

    ・・・一見したらぜんぜん政治的でない(笑)

    しかし、すべての政治問題・時事問題の根底に、ねずきちは日本の心という価値観が必要だと思っています。

    何がただしいのか、真実はどこにあるのか。
    戦後歪められ、意図的に忘れ去られた歴史の真実を見直すことで、私たちはわたしたちの原点をしっかりと見据えることができる。

    先人達が命をかけて守ってくださった日本という国を取り戻す。

    この国を守るために亡くなられた先人に恥じない日本を取り戻す。


    ひとりの力は、蟷螂の斧にすぎないかもしれないです。

    しかし、それが1万人になり、10万人になり、100万人の世論となり、世間の大きな潮流となったら、もはや、誰も黙殺できない。時代は必ず変わります。

    真正保守の大同団結。

    ねずきちも、このブログだけでなく、具体的行動を起こします。日本を愛する一市民として。
    具体的内容は、後日、アップします。

    さぁ、今日からあたらし戦いのスタートです。

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    [1/2]【國神社・終戦記念日】 金美齢女士 演説


    [2/2]【國神社・終戦記念日】 金美齢女士 演説

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  • 鳴門の第九


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    渦潮


    四国・徳島県鳴門市といえば、鳴門の渦潮で有名なところです。

    この鳴門市は、ベートーベンの第九交響曲の街としても有名です。
    鳴門市では、毎年6月1日が「第九の日」とされ、6月の第一日曜日には盛大な演奏会が開催されている。

    なぜ第九なのかというと、この地に、ドイツ兵の俘虜収容所が置かれたことがきっかけになっている。

    そして朝敵の汚名を着せられた会津藩出身の松江豊寿大佐がいた。

    松江大佐


    彼は、幼年学校・士官学校を経て長州閥の強い陸軍に進んだ松江は、繰り返し「敗藩の悲哀」を味わってきたといいます。
    あまりのことに、上官に抗議して軍法会議にかけられたことも。


    その松江大佐に、鳴門市に置かれた板東俘虜収容所長の任務が与えられたのが、大正3(1914)年のことです。

    この年、第一次世界大戦が勃発します。

    日本は同盟国だったイギリスの要請を受け、同年8月、ドイツに宣戦布告した。
    そして10月にはミクロネシア水域のドイツ領南洋諸島を占領。
    さらに77日間に及ぶ激闘の末、11月に中国山東省の港湾都市でドイツ領だった、青島(ちんたお)を陥落させます。

    このとき俘虜として収容されたのが、ドイツ兵とオーストリア兵、合わせて4,627人。

    日本は、彼らを日本国内にある戦時俘虜収容所に収容します。

    そして完成したばかりの鳴門市の板東俘虜収容所には、953名のドイツ兵俘虜が送られた。

    「世界のどこに、バンドーのようなラーゲルがあったでしょうか。世界のどこに、マツエ大佐のようなラーゲル・コマンダーがいたでしょうか」

    板東収容所ばかりでなく、第二次世界大戦時のシベリアでも俘虜生活を送った経験を持つドイツ人元俘虜パウル・クライの言葉です。

    ドイツ兵俘虜たちは、遠い異国の地で4年半を超える抑留生活を過ごしました。

    そこで出会ったのが、松江豊寿大佐だった。

    松江大佐は所長着任後、収容所近くの官舎に住み、毎日1kmほどの道のりを、ゆっくりと馬で通勤していたそうです。

    地元の人々があいさつすると、馬上からひとりひとりにていねいに返礼していたとか。

    彼の口ぐせは「武士の情け」だったのだそうです。

    そして敗者や弱者への人道的な姿勢を決して崩すことがなかった。

    こうした松江所長の信念を、地域の人々も素直に受けとめた。

    地元では、収容所のドイツ兵俘虜兵士たちを「ドイツさん、ドイツさん」と呼んで、家族のように親しく接する風潮が広がっていったといいます。

    捕らわれの身であったドイツ兵たちも、比較的自由な生活が許されていた。

    そして地域住民との間に自然と交流が深まり、ドイツ式の牧場経営、パン、バター、チーズの製法、印刷技法、園芸栽培、土木建設などなそ、ドイツのすぐれた技術や数多くの新しい西欧文化などが地元に紹介され、友情の輪が広がった。

    しかし、そうは言っても、ドイツ兵達にとって、俘虜生活には心の不安がつきまとう。

    沈みがちな俘虜たちの心の支えとして、大正6年、「ドイツ沿岸砲兵隊オーケストラ」が結成されます。

    こうして彼らドイツ兵は、帰国まで計34回、月平均1回の割合で公開演奏を行い、大正7年6月1日には、80人の地元合唱団の賛助出演を得て、俘虜収容所施設内で、壮大なベートーヴェンの第九を第四楽章まで全曲演奏した。

    さらに、松江所長は、収容所の前に2,300㎡もの土地を借り受け、そこに農園と、スポーツ施設を作った。

    ドイツ兵たちは早速、そこをテニスコートやサッカー場にした。

    ここには、ホッケーやシュラークバル(ドイツ式野球)、ファウストバル(こぶしだけで行うドイツ式バレー)のコートなども作られた。

    さらになんと、所内には、有料のボーリング場やビリアード場まで作られた。

    ドイツ式ボーリングは、木製のボールを使って9本のピンを倒す「九柱戯」といわれるものですが、人気が高く、その収益はスペイン風邪の際も義捐金として活用された。

    そして当時の姿をいまだに止めているものに、「船本牧舎」と「ドイツ橋」がある。

    「船本牧舎」は牛と豚を飼育し、乳製品やハム、ソーセージなどの製造技術を伝えるために作られた煉瓦立ての畜舎で、クラウスニッツァーなどの指導のもとで5ヶ月かけて建てられました。

    その2階は一時賀川豊彦の日曜学校として使われたこともありましたが、現在も鳴門市ドイツ村公園の南側にその姿を望むことができる。

    ドイツ兵たちは、大麻比古神社の裏手の谷に10もの橋を作った。

    初めは町の要望で住民の往き来のために作り出したのだけれど、この橋が現在も「メガネ橋」と「ドイツ橋」の2つが残っている。

    ドイツ橋
    ドイツ橋


    ドイツ橋は、2003年に県の文化財に指定されています。
    この橋は、195トンもの石を積み上げて作られているのだけれど、一切セメントが使われてない。そして100年近く経った今でも微動だにしていないのですが、それは石組みの巧みさばかりでなく、河床の処理が丁寧になされているからなのだそうです。

    そしてね、この橋作りには、当初応分の報酬が払われるはずだったのだけれど、俘虜に金を払うことの是非について論議が起きて、結局は無償となった。

    それに対してドイツ兵のが言ったそうです。

    「松江大佐が、我々俘虜に創造の喜びと働く意欲を駆り立ててくれたことこそが最大の報酬だ」

    立派な人というのは、周囲までも次々に立派な人にしていくものなのですね。

    反対に、汚職や金にまみれ、献金疑惑や故人献金などを平然と行い、なんの釈明もしない半端なリーダーのもとでは、国旗を2つに切り裂くなどという野蛮な行為が平然と行われる。

    日本は、日本人としての正しい心を、取り戻さなければならない時期に、もうそろそろきている、ねずきちにはそんなふうに思えます。

    日本を愛そう!と思う方
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    学生時代(1990)ペギー葉山

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  • 大西瀧治郎中将


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    桜01


    大西瀧治郎中将といえば、特攻隊の産みの親として有名ですが、実は、真珠湾攻撃の原案作成者でもあります。

    大西中将は、航空艦隊参謀長だった昭和16(1941)年1月に、山本五十六連合艦隊司令長官から「ハワイを航空攻撃できないか」という腹案を示され、源田実中佐らと協力して真珠湾攻撃計画を作成しています。

    真珠湾攻撃作戦は実行され、成功をおさめました。
    大西中将は、たいへん優秀な作戦参謀でもあったわけです。

    大西瀧治郎中将については、いろいろなところでいろいろな角度で書かれています。
    私は、歴史を評価することを好みません。
    あくまで「学ぶもの」と思っているからです。
    そこで、ここではただ一点、中将が最初の特攻隊員を送りだしたときのお話をしようと思います。

    昭和19(1944)年10月20日、早朝のことです。
    大西瀧治郎中将は、初代海軍特別攻撃隊(特攻隊)に任命された関大尉以下、敷島隊の隊員達を集めて訓示しました。

    大西瀧治郎中将の訓示
    大西瀧治郎中将03


    その訓示です。
    〜〜〜〜〜〜〜〜
    日本はまさに危機である。
    この危機を救いうるものは、大臣でも軍令部総長でも、のような地位の低い司令官でもない。
    したがって、私は一億国民にかわって、みなにこの犠牲をお願いし、みなの成功を祈る。

    みなはすでに神であるから、世俗的な欲望はないだろう。
    が、もしあるとすれば、それは君たちの体当たりが成功したかどうかであろう。
    みなは永い眠りにつくのであるから、それを知ることはできないだろう。

    我々もその結果をみなに知らせることはできない。
    私はみなの努力を最期までみとどけて、上聞に達するようにしよう。
    この点については、みな安心してくれ。
    〜〜〜〜〜〜〜〜

    ここまで話して、中将は涙ぐまれたそうです。
    そして、隊員たちひとりひとりの顔を、その目にしっかりと焼き付けるように見回し、
    ひとこと、

    「しっかり頼む!」

    と訓示されました。

    さらに訓示のあと、大西中将は、隊員一人ひとりと握手されました。


    映画やドラマなどの中では、中将がこの訓示の中で、
    「私も君たちのあとを追う」と述べたとしています。

    しかし、当日この場に居合わせた人の話では、中将は隊員に対し、「君たちを送るのに際し、私は行くことはできない。なぜなら私は将官だからだ」と述べたという話もあります。

    実際に、中将がどのように語られたかは、私達はその場にいあわせたわけではないのでわかりません。
    けれど、ひとつはっきりと言えることは、「行けない」と述べられた、もしくは何も言わなくても、「行けない」と、みんながちゃんとわかって、話を聞いていた、というほうが、私にはしっくりきます。

    そんなことを言うと、いまどきの若い人からは、
    「ざけんなよっ! ひとに死ねと言っておいてテメエだけは助かろうって魂胆かよっ!」などと言われてしまうかもしれません。
    昨今の新聞記者やテレビなら、「中将の問題発言!」などと言って大騒ぎするかもしれない。

    しかし、そうではないのです。
    当時の隊員たちは、誰も中将に特攻してもらいたいなどと毛ほども思わなかったし、それ以上に、大西中将の心にある大きな愛と誠を感じていたのです。

    なぜなら、隊員たちは、全員が、特攻命令を出す中将が、自分自身で飛行機に乗って体当たり突撃をして死んだら、その方がよほど楽だと知っていたからです。
    なぜか?
    簡単なことです。一瞬で死ねるからです。

    けれど中将は、作戦指揮者です。
    指揮者は、戦いの帰趨を見極めなければなりません。
    見極めるためには、みんなと一緒に死んであげることができないのです。

    ひとたび飛行機が飛び立てば、作戦の成功はひとえに隊員たちの技量に、すべて委ねられます。
    目的を告げ、作戦の成功を祈り、すべてを隊員たちに委ねる。
    そして自らは、最後の最後まで戦線の帰趨を見守り、責任を持って闘い抜き、その責任を全うする。
    それが、将官に与えられた使命です。

    大西中将は、このときすでにみずからの死を覚悟していたといいます。
    その覚悟を全員が「知って」いたからこそ、中将が「行けない」ということの裏側にある、中将の覚悟をみんなが感じ取ったし、中将の言葉の重さを、誰もが理解したのです。

    私は、ひとの死を前にして、こういう心の言葉のやりとりができるというのは、当時の軍人たちが、いかに優秀だったかのなによりの証拠と思います。

    当時のパイロットは、勉学優秀で、国内最難関の海軍兵学校を卒業した若者であり、しかも運動神経抜群で、視力もよい若者です。
    要するに、勉強ができて、頭もよくて、運動ができて、礼儀正しくて、字もきれいな、超優秀な若者です。
    ガリ勉で視力が落ちたら、それだけで飛行機乗りにはなれませんでした。
    彼らは、日本人の若者としてとびっきり優秀な若者であり、「宝」だったのです。

    その「宝」に、「死ね」と命令する。
    しかも、「私は行けない」と言わなければならない。

    その辛さ。



    涙なくしては語れないことだと思います。

    そしてこういうことを、相互に理解できた旧日本軍というのは、上官と部下との間に、強烈かつ強固な相互信頼関係が熟成された、真のチーム、チームというより、むしろ家族そのものだったのであろうと思うのです。

    さらにいえば、中将は隊に常駐しているわけではありません。
    おそらく隊長の関大尉ですら、大西中将にお目にかかるのは、はじめてのことです。
    けれど、そのはじめて会う相手にさえ、絶対的といえるだけの強固な相互信頼が成立していたのです。
    そのような軍隊は、世界中、どこを探したって、そうそうはない。

    誰だって命は惜しいです。
    その命を捨ててまで奉公する。
    軍人としてだけではない、互いに一個の人間として、深く結ばれた<絆>と<信頼>があったからこそ、中将の訓示は、隊員たちの胸に沁みたし、中将もそれを語ることができたののだと思うのです。

    そして、戦前の日本には、こういう「精神性の高さ」というものが、厳然として、あったということを、私達は忘れてはなりません。

    戦後の日本の教育は、友や隣人を愛しなさいと教えます。
    けれど国は悪いことをするところだから、国は愛してはいけないと教えます。

    しかし国家とは、その国に住む人々みんなの共同体です。
    ということは、みんなの友や家族、隣人の相和が、国家なのであり、国家を愛することがいけないことなら、その国家に住むすべての人を愛してはいけないことになります。
    これは矛盾です。

    国家が共同体であることを忘れ、共同体の中の互いの信頼を忘れて個人主義に走れば、人々は和をなくし、社会の紐帯はバラバラになってしまいます。

    大西瀧治郎中将
    大西瀧治郎中将02


    昭和20年5月、大西中将は、軍令部次長として内地に帰還されました。
    しかし彼は、同じ都内にある我が家へは帰りませんでした。
    官舎に独居したのです。

    それを聞いた者が、
    「週に一度は帰宅して奥さんの家庭料理を食べてはどうですか」と勧めたそうです。

    すると中将は、
    「君、家庭料理どころか、特攻隊員は家庭生活も知らないで死んでいったんだよ。614人もだよ。
    俺と握手していったのが614人もいるんだよ」と、目に涙をためて答えられたそうです。
    若く将来性のある優秀な若者を死の突撃に送りだしたことへの責任を、その重さを、大西中将は誰よりも深く抱かれていたのです。

    中将は、終戦の玉音放送の翌日、自らの軍刀で、切腹されました。
    ふつう、切腹は、重量の軽い短刀を用います。
    そして介錯がつきます。

    しかし中将は、ひとりで、重たい軍刀を手に取り、腹を十字に切り裂き、自決されました。
    古式の作法にのっとり、腹を切ったあと、自らの手で頸動脈を切ろうされました。
    けれど、軍刀は長刀です。ずしりと重いです。
    切腹で体力を使い果たした中将には、もう重たい軍刀で自分の首を斬るだけの体力が残っていませんでした。

    翌朝、大西中将は官舎の者に、部屋で血まみれで倒れているところを発見されました。
    まだ息がありました。
    中将は、医師の手当てを拒まれたそうです。
    そして発見後約6時間、痛みに耐え続け、息絶えられました。

    上司・上官の覚悟の言葉を聞いて、「ざけんじゃね~よっ!」という言葉しか返ってこないような社会と、覚悟の言葉を聞いて、しっかりとその覚悟を受け止めれる高い精神性を持つ社会と、いったいどちらが、発展するのでしょうか。
    そしてどちらが、世界に認められる国家となりえるのでしょうか。

    現代日本に生きる私達は、自分は「人間」であると思っています。
    なんの疑問も抱かずに、それが世界の常識であると思っています。

    けれど、ほんの数十年前まで、それは世界の非常識でした。
    人間というのは、白人種を指し、有色人種は人間でなく「獣」の一種と看做されていたのです。
    そしてそれが世界の常識でした。

    ですから欧米による植民地統治というのは、白人という人間が、有色人種という野蛮な猿人を統御する国際社会の常識的仕組みだったのです。
    そんな馬鹿なと思うかもしれませんが、それが事実です。

    そしてそういう世界にあって、日本人は、どの白人国家より、どの白人種より、知的で、勇敢で、高潔で、誰からも好かれる民族たらんとしました。
    だからこそ日本は世界から認められる人間の国家となり得たのです。

    大西中将は、そうした日本を代表する、勇気と高邁な精神を持った、立派な帝国軍人としての生き様を、まさに体現された方であると、私は思います。

    高い教育と、高邁な精神、他人のために自らの命すら犠牲を厭わない日本人の心。
    そうした無形のものが、日本人にとって、なによりも尊い財産として、厳に存在した。

    その「日本の心」を、私たち日本人は、やはり、大切に育んでいかなければならない。
    私は、そのように思うのです。


    日本の心を大切に伝えよう!
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    「特攻は命令だったんだ」朝日新聞(H18.12.6)

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  • 円が紙切れになる日


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    中国の反日支配


    このブログでテーマにしていることは、簡単にいえば、

    「日本人で良かった。この国に生まれて良かった」と思える日本を後世に伝えたい、という一念につきます。

    そのことが、「日本人は英霊が守ってくれた今の平和に感謝して、誇りを持ってもっと良くしていこう」という考え方になり、

    では英霊たちが守ろうとした日本とは何か、

    そして、その日本と他の国々との対比を行い、あるいは歴史を語り継ぐことで、毎日の更新をさせていただいています。

    ブログという形式上、力のはいった記事も、次々と過去の記事となってしまうので、画面の向かって左側に、過去のおススメ記事を一覧にさせていただいている。

    ボクは、英霊たちがまもって下さったこの日本という国は、実に誇るべき歴史と伝統を持っていると確信しています。

    そして、その歴史や伝統の下で、人々が命をかけてまで守ろうとした素晴らしい何かが、この国には厳然として実在すると思っています。
    おそらく、このブログに訪れてくださる方々の多くも、同じお考えなのだと思います。

    しかし、いまの日本には、そうでない考え方をする人も、たしかに存在します。
    そうした彼らの思考の一過程を昨日聞くことができたので、すこしご紹介します。


    内容は、「円は数年後には紙切れになる」というものです。

    --------------------------------
    日本は、2050年には、人口が4000万人程度になってしまう。

    そうなると労働力が不足となるので、外国人を日本に雇い入れる他はない。

    そのために、2009年以降、日本国内にシナ・韓国の外国人を、1700万人受け入れる。

    日本の2009年の人口は、1億2700万人だが、その半数は高齢者であり、出産可能年齢をとうに過ぎている。

    日本に、まずは結婚適齢期の1000万人の特ア人を受け入れることにより、日本人と特ア人との混血がいっきに進むことになる。

    2030年頃には、純粋な日本人というのは、ごくわずかな高齢者のみとなり、若年者は、ほぼ全員が特ア人との混血人種となる。

    人種が異なるから争いが起こるのであり、血が混じってしまえば、紛争の種は消えてしまう。

    東亜は、大きなシナ経済圏となる。

    EUが統合されたように、東亜諸国も統合に向かう。

    そのために、まずは通貨を統合する。

    通貨統合の中心は、歴史が古く王朝が健在であり、植民地化さえもなかったタイに置く。

    タイの経済はシナ人華僑が完全に掌握しているので、東亜の経済は、完全にシナの支配下に置かれることになる。

    日本の円は、すでに10万円以上の海外送金には法外な関税がかけられており、すでに円の海外持ち出しはできない。

    日本の円は、事実上世界に出ることはできなくなっており、孤立した円は、日本政府の多額の借金によって、崩壊する。

    日銀が崩壊することによって、日本の円は紙切れとなり、海外に資金を逃していない日本人は、一様にカネのない東洋一の貧乏者に成り下がる。

    日本には資源も食料もないので、日本人は外国人の経済力に頼らなければ生きていけなくなり、このことは、日本人とシナ人・韓国人との混血化を一層促進する・・・・・

    東洋の文化の担い手は、シナになる。

    シナはその経済力と政治・軍事力と、人口圧力で、東亜諸国を完全に支配下に置き、理想的民主化共産主義による一党独裁政権を完成させる。

    日本国内では、日本語は、老人しか話さない言葉となり、公用語は北京語となり、学校教科書も北京語の教科書に変わる。

    日本人教師は、北京語ができないので、教師はシナから派遣する。

    日本人は、幼児の段階から、日々、過去の日本の恥ずべき歴史を贖罪し、日本人の血を引くことを恥じ、むしろ積極的に優勢民族であるシナ人、韓国人と血を交わらせるようになる・・・

    こうしたことを早期前倒しで実現しようとしているのが日本の民○党であり、結果は同じながら、時間をかけて進めようとしているのが日本の自○党である・・・・

    ---------------------------------

    ・・・・のだそうです。

    しかしね、この話には、嘘がある。

    経済が破たん状態にあるのは、すでに外貨準備高が底をついている韓国、あるいは経済がじり貧状態にあるのは、国富の6割以上をパクリ製品輸出によって賄っているシナのほうが、数々の経済危機を乗り切ってきた日本よりも、はるかに深刻です。

    先に倒れるのは、シナ共産党であり、韓国です。

    日本は腰が低いだけで、底力は、世界最強といってよい。
    日本は捨てたものじゃないのです。
    なにも悲観主義に陥る必要などない。

    ねずきちは思うのです。

    権力者のためなら、どんなにひどい嘘をつくことも正義とされ、国政レベルでゆすり・たかり・恫喝・脅迫・暴力を正義と考える民族が、東亜の支配者となることが、日本のみならず東亜諸国の庶民にとってほんとうに素晴らしいことといえるのか。

    あるいは世界にとって、それが素晴らしいことなのか。

    あるいは、私たちの世代は、私たち自身の子や孫に、そういう円が紙切れとなり、生活もなりたたず、食うや食わずで外貨を持っているシナ人に春を売らなければ生きていけない奴婢のような未来を与えることが、ほんとうに私たちの世代の選択として、良いことなのか。

    それとも、嘘をつかず、人を大切にし、暴力を嫌い、和を大切にし、高レベルな教育を是とし、相互信頼主義に基づく高次元な精神文化を持った国家が、東亜の中心となって、近隣諸国の、あるいは世界の平和と安定に寄与し、豊かで犯罪も少なく、暮らしやすい未来を孫や子に残せるよう、庶民の力を結集し、叡智を集め、最大限の努力をみんなでしていこうと努力するのか。

    未来は、いま、私たち自身に、その選択を迫っているのかもしれません。

    ■関連記事:ヤプー人の伝説
    http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-295.html

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    櫻井よし子 - 「日本は悪い国」との国家観を植え付け日本の富を収奪する中国とアメリカ民主党 - 1


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  • 4日間の恩義を100年経っても忘れない日本


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    警神・増田敬太郎巡査
    増田敬太郎


    日清戦争が終わって下関条約が結ばれた明治28(1895)年のことです。
    当時の日本は伝染病であるコレラが大流行していました。

    佐賀県肥前町にもコレラが猛威を振るいました。
    それどころか町の駐在巡査は病気がちでした。
    駐在巡査は、やむをえず県の警察本部に応援を求めました。

    県警察本部は適任者の面接を行ないました。
    そして知識もあって行動力もある25歳の増田敬太郎巡査を抜擢しました。

    増田敬太郎巡査は、熊本県泗水村出身です。
    警察官になる夢を抱いて佐賀県警察学校に入り、普通なら3ヵ月かかる警察官教習課程を、なんとわずか10日間で習得した優秀な青年巡査です。
    人一倍正義感が強い増田巡査はすぐに引き受け、唐津から交通機関が何もない山道をたどり肥前町に向かいました。

    赴任した増田巡査は、さっそく区長たちとコレラ対策を立てました。
    ところが地元の人々は、コレラという伝染病への知識を持っていません。
    増田巡査は先頭に立って患者の家をまわり、消毒を行い、縄を張りめぐらして人々の往来を禁止しました。
    そして生水を飲んだり、生のままの魚介類を食べないよう指導して回りました。

    ところが増田巡査の懸命の努力とは裏腹に、すでに手遅れの患者が薬を飲んで亡くなったのをきっかけに、
    「増田巡査が毒薬を飲ませている」
    という何の根拠もないうわさが広まるのです。

    噂はあっという間に村々に広がりました。
    治ると思われる症状の患者まで
    「この薬は毒薬だから飲まない」といい出す始末です。

    増田巡査は村中を一軒一軒まわりました。
    根気強く人々の誤解を解こうとしました。
    ところが伝染病とわかると、今度は病気が移ることを恐れた村人たちは、亡くなった人の遺体を運ぶことを拒むようになりました。

    増田巡査は、たった一人で遺体を背負いました。
    そして対岸の丘の上の墓地に埋葬しました。
    患者への手厚い看病、予防活動、不眠不休で取り組む増田巡査は、疲労も極限に達していました。
    コレラは、疲れきった増田巡査を襲いました。

    着任してわずか3日目でした。
    その日の午後、増田巡査は、とうとう倒れてしまったのです。

    「このようになっては、
     回復の見込みはないと
     覚悟しています。
     しかし、
     村のコレラは
     私が全部背負っていきますから
     安心してください。
     また村人たちには、
     私が指導したように
     看病と予防を
     しっかりやるように
     伝えてください」

    死の間際にこう遺言して、増田巡査は、帰らぬ人となりました。
    頼りにする巡査の悲報を聞いた村人たちは深い悲しみに暮れました。
    それは、増田巡査が警察官になって7日目、
    村に来てわずか4日目のできごとでした。


    それから100年。
    地元の人々は、増田巡査をしのび、神社に碑文をたて、以来、毎年7月26日に近い日曜日に、警神となった増田巡査をしのんだ
    「増田神社夏祭り」
    を開催しています。

    たった4日間の恩を、いまに伝える日本。
    私たちは、そうした善行を称える、歴史に刻む伝統ある日本を、大切に孫子に伝えていきたい。
    大切な日本の歴史や伝統を、絶対に失うべきでない。
    そう思えました。

    みなさんは、どんな感想をお持ちになりますか?

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    「警神」増田敬太郎物語:唐津市民劇

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  • 閔妃殺害事件に関する報ステのウソ


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    閔妃・明成王妃
    閔妃・明成皇后


    2日続けて、冒頭に不愉快な写真で、すみません><;;

    複数の方から、テレビ朝日で放映された明成皇后暗殺事件・・・放送では、あたかも日本人が朝鮮国王の立派な皇后陛下を殺害した事件であるかのごとく放送されていたとか・・・について、実際の史実について検証してもらいたいとのメールやコメントをいただきました。

    最近のメディアの反日・侮日放送は、眼にあまるものがあり、今回の放送も、根本的に史実を捻じ曲げた偏向報道であった模様です。

    ちなみに、明成皇后などという“皇后”なんて名を課したのは、後年のことです。
    当時は、閔妃(みんぴ)と呼ばれていた。

    ちなみに下の写真は、韓流ドラマ「明成皇后」のワンカット。
    TOPにある険のある実物写真の人物が、ドラマでは、美しく華麗な王妃になっています。
    印象操作とは恐ろしい。
    韓流ドラマの「明成皇后」
    閔妃4


    たしかに李氏朝鮮国王である高宗の妻ではあるけれど、李氏朝鮮というのは、清の属国であり、清王が皇帝、したがって、その属国の朝鮮王は、皇帝と名乗るなんてことはできなかった。
    つまり、あくまで、高宗は、属国の“王”です。

    したがって、閔妃も、当然“皇后”ではない。
    単に“王妃”です。

    こういうところからして、歴史認識がぜんぜん間違っている。

    本件放送では、「閔妃殺害事件は、日本人にとってきわめて恥ずべき事件であり、日本の教科書では教えていないが、韓国では学校で教えており、韓国民の反日の原点となっている」と報じています。

    ありもしないことをでっちあげた韓国売春婦や、実際には日本軍という虎の威を借りた同じ朝鮮人同士の残虐行為について、これをすべて“日本がやったこと”と報じる、韓国の反日主義者たちですら、これまで明星皇后暗殺事件について、なんの騒ぎも起こしていない。

    なぜなら、本件事件は、当時の朝鮮国王によって、徹底的に犯人は訴追され、犯行に加わった全員、ならびに、その家族に至るまで処刑されている。

    さらにいえば、逃亡した主犯格の男に対しては、朝鮮国王は、なんと刺客まではなってこれを殺害した。

    日本も、国際的な非難を畏れ、本件事件に関与したといわれる人物を逮捕・拘留し、徹底的に調べているけれど、公正な調査の結果は“シロ”。つまり犯行への関与は完全に否定されています。

    ついでにいえば、このとき、のちに与謝野晶子の夫となる与謝野鉄幹(いま大臣の与謝野氏の曾祖父)も、取り調べの対象となったけれど、彼などは、当日、ぜんぜん見当違いの場所で“釣り”を愉しんでいた。・・・つまり、事件になんの関係もなかったことが証明されています。

    当然、この事件は、韓国から日本に対し、これまで一度たりとも教科書に載せようなどという運動はなかったのだけれど、韓国内では、反日教育の一環として、自国の王妃を日本人によって殺害された事件として、教育し、かつ、資料館などにいくと、なんと江戸時代の武士の姿をした日本人が、白人を振り上げて閔妃を殺害しようとしている“絵”などが描かれている。

    印象操作のためのねつ造閔妃暗殺絵
    これだとまるで犯人は日本人です。
    閔妃殺害のねつ造絵

    閔妃の殺害は、日清戦争終結、下関条約の年です。
    この時代、和服にたすき掛けで日本刀をぶら下げて、などという動きにくい服装で宮廷に殴り込みなど、誰が考えても不自然です。


    つまり、過去の歴史を知る人にとっては、本件事件に関して、日本の関与は完膚なまでに否定されていた事件です。

    にも関わらず、どういう人物か知らないが、番組では、河野龍巳などという老人を登場させ、私の先祖がやりました。許してください、などと、土下座までさせている。

    しかも報道は、閔妃殺害ではなく、明成皇后殺害事件と報じた。

    なんだか明成皇后などと聞くと、立派な王妃のイメージがあるけれど、この“明成皇后”という名前は、閔妃の死後に贈られた“諡名(おくりな)”である。いってみれば、戒名みたいなもので、もちろんその名を使ってはいけないということにはならないけれど、普通常識で考えても、亡くなった過去の人について、わざわざ戒名呼ぶ人はいない。
    要するに、さも立派な人物を「日本人によって残虐に殺害されたのだ」という印象操作の意図が見え見えです。


    そもそも、閔妃事件というのは、朝鮮王朝内の権力闘争の結果もたらされたものであり、歴史をたどれば、日本こそ、いい迷惑の被害者であるに他ならない。

    朝鮮内では、事件当時に“現場に居合わせた”朝鮮国王によって事件が明確に裁かれた事件なのに、これが韓国内の反日運動としてスポットライトを浴びるようになったのは、なんと2005年のことです。

    どういうことかというと、2005年に、ロシア大学の教授によって、Aleksey Seredin-Sabatin (Алексей Середин-Cабатин) というロシア人による事件についての報告書が、なぜか“発見された”。

    ソ連崩壊が、1991年。それから14年も経ってからのことです。

    14年も経ってから、韓国の歴史を語る上での重要事件である閔妃殺害事件について“重要文書が発見された”ということ自体がかなり“イカガワシイ”のだけれど、まず、この文書からみてみます。

    Seredin-Sabatin という人物は、当時、大韓帝国政府に仕えており、同様に契約によって大韓帝国政府に仕えていたアメリカ人将軍のWilliam McEntyre Dyeの指揮下で働いていたとされています。

    記録の公開は、2005年5月11日です。
    Seredin-Sabatinは以下のように記録している。

    ------------------------------
    王妃の居住する王宮の一角には、おおよそ20人から25人程度の「日本人」が詰め掛けていた。
    彼らは奇妙なガウンを羽織っており、サーベルで武装していた。
    そのうち何人かはサーベルを鞘から抜いていた。

    複数の「日本人兵士」が宮殿のあちこちを捜索し、他の者は女王の居住区域になだれ込み、その場で見つけた女たちに襲い掛かっていた。

    私は「日本人」が王妃の居住区域で物をひっくり返したりしているのを観察し続けた。

    二人の「日本人」が女官たちのひとりをつかんで建物から引きずり出し、そして彼女を引っ張って階段を駆け下りた。

    また「日本人」のうち一人は、私に向かって、英語で「王妃はどこだ? 答えろ!」と繰り返し聞いてきた。

    私が謁見の間を通り過ぎたとき、私はその場所が「日本人」兵士と将校、そして韓国人の高級官僚の協力によって包囲されていることが分かった。

    しかし、その中で何が行われていたのかは、私には知る由も無かった。
    -------------------------------

    まず、この記録で「日本人」と、一方的に決めつけている点が気になります。

    “奇妙なガウン”、鞘から抜いた“サーベル”、“女王”? 閔妃は“王妃”です。いつのまに女王?

    “日本人の兵士と将校に包囲”? なぜ「日本人」と特定できたのでしょう。

    このあたり、記述だけを見ても、かなりクサイ。

    加えて、当時、現場に居合わせた日本人、朝鮮総督府取調局農工商部各長官石塚英蔵の書簡によれば、次のような生々しい記述がある。(朝鮮王妃事件関係資料・ペン書き)

    ----------------------------------
    王妃ヲ引キ出シ二三ヶ処刃傷ニ及ヒ
    且ツ裸体トシ
    局部検査(可笑又可怒)ヲ為シ
    最後ニ油ヲ注キ焼失セル等
    誠ニ之ヲ筆ニスルニ忍ヒサルナリ

    (口語訳)
    王妃をひきだして、2~3ヵ所に切り傷を負わせ
    かつ、裸体にして
    笑いながら、また怒りながら、王妃の局部を念入りに検査し
    最後に油を注いで閔妃を殺害したなど
    その模様は筆舌に尽くしがたかった。
    ---------------------------------

    日本人というのは、強姦やらこうした破廉恥な行為を、非常に嫌う習性があります。

    刑務所にはいっても、昔は女性に対する強姦や破廉恥行為の犯人は、もっとも恥ずべき犯罪者として最下位に置かれた。ましてや軍隊においては、なおのことです。

    すくなくとも、王妃を裸に向いて局部を晒すような神経は、日本の軍人には、ない。


    そして、事件については、国王である高宗自身が、

    「王妃を殺したのは、不貞の私の部下だ」と証言している(1906年 統監代理長谷川好道韓皇謁見始末報告(國分書記官通訳并筆記))


    また、現場にいた王子の純宗は、

    「国母を殺したのは、禹範善だ」と証言(往電31号)

    そして純宗は、後に刺客を放って、禹範善を暗殺しています。

    さらに、実行部隊隊長の朝鮮人・禹範善は、

    「王妃を直接殺したのは、私です」と証言している。
    (在本邦韓国亡命者禹範善同国人高永根魯允明等ニ於テ殺害一件)

    禹範善
    禹範善


    要するに、閔妃は高宗国王の命を受けた禹範善らによって、高宗と純宗の目の前で、高宗の居室から引き出されたのであって、禹範善らは、閔妃を裸にして局所を晒し念入りに検査し、嘲笑した挙句、閔妃を殺害した、というのが、実際の歴史です。酷い><;;


    そもそもではなぜ閔妃が、ここまでして辱められ、殺害されるに及んだか。

    この原因は、そもそも閔妃自身にあります。


    閔妃は、15歳の時(1866年)に王の実父の夫人の推挙で王宮に入りました。

    閔妃の夫である高宗は、政治と妻に全く関心を持たず、漁色と酒の放蕩三昧だったといいます。
    結果、閔妃は、嫁いで数年もしないうちに王朝の政治に深く介入するようになった。

    そして、1873年には、高宗の父で摂政を務めていた大院君とその腹心の部下たちを、裏で画策して、これを追放し、開いたポストに、自分の一族を据えて、政治の実権を握ります。

    こうして始まった閔妃一族による政治は、「勢道政治」といいます。
    地位が低いけれど勢力のある者が、一方的に政治の実験を握った政治、という意味です。

    閔妃は当初、日本と日朝修好条規(江華島条約)を締結するなど積極的な開化政策を実施し、日本から軍事顧問を呼び寄せ、日本のような近代的な新式軍隊を創設したりします。

    ところが新式軍隊がお気に入りとなった閔妃は、清王朝に習った朝鮮の旧式軍隊を放置・・・つまり軍事費の支出をしなかった。
    旧式軍隊は、給料も食事も出ず、放置された。

    閔妃の開化政策に不満を持った旧式軍隊は、1882年、閔妃殺害を目論み、皇室に乱入します(壬午軍乱)。

    このとき、多くの閔妃派要人が残虐な方法で殺されるのだけれど、このとき王宮内にいた日本人の軍事顧問やその家族も、同様に旧式軍隊の兵士たちによってじつに残虐極まりない方法で、殺された。

    旧式軍隊が王宮に乱入してきたことを知った閔妃は、侍女を自らの身替りにして王宮に残し、自分はいち早く王宮を脱出。残された閔妃の身代わりの侍女は、死ぬまで強姦されつくしたあげく、五体をバラバラに切断されて殺害された。

    他方、王宮を抜け出した閔妃は、当時朝鮮に駐屯していた清の袁世凱のもとへ逃げ込みます。

    そしてこのとき閔妃が清の袁世凱のもとに逃げ込んだことが遠因となって、実は日本と清との戦争・・・日清戦争が起こる。(このあたりの詳しい説明は、「日清戦争開戦に学ぶ」を参照)

    このほか閔妃は、みずからの贅沢のために、日本が資金を出し、苦労して築いた鉄道の利権をロシアに勝手に売りさばき、それを知った日本が、さらに高値を払ってロシアから権益を買い戻すなんていう事件もあった。

    また閔妃は、閔妃の通貨を発行すれば、もっと贅沢三昧ができると、勝手に朝鮮国内で閔妃通貨を発行。国内の流通・金融を大混乱に陥れる等、やりたい放題をしています。

    一方追放された大院君は、その後京畿道楊州に隠居したけれど、この追放謀議に閔妃の怖さを知った大院君は、閔妃を“国家存続を脅かすもの”として大いに憂慮し、苦労してた政局に復帰するや、閔妃追放運動を始めます。

    そしてこのことが、400年続いた李氏朝鮮王朝末期の政局混乱の一因にもなった。

    閔妃は、内政が混乱し、大院君側が権力を取り戻すと、その都度、清をけしかけ、あるいはロシアにすがって、自分の権力の保持を図った。

    このため、朝鮮国内は、完全に大院君側と、閔妃側の2つに割れていた。

    そうした中で起ったのが、1895年10月8日の閔妃暗殺事件(乙未事変)です。

    そしてその犯人は、大院君を中心とした開化派武装組織であり、彼らによって閔妃は、景福宮で、ついに暗殺され、遺体は武装組織により焼却された。

    この事件では、当時、国際的な注目を集めた事件であっただけに、日本も朝鮮も、徹底して事件の詳細を調べています。

    そしてその結果、日本人の関与は“ない”ことが確認され、事件は、大院君の一党と、高宗国王によって、引き起こされたことまで、つまり、ぜんぶ朝鮮人たちによって行われた事件であることが、明白な事実として確認されている。

    にもかかわらず、いまになって、報道ステーションあたりが、さも、日本人が半島で行った非道を告発する、のような語り口で、この事件を“日本人による犯行”として取り扱うのは、売国行為以外のなにものでもないです。

    番組や局自体が反日・侮日勢力の手先になり下がり、真実の報道をせず、世論を騒がせ、世の中を混乱させ、嘘八百の報道を、あたかも真実であるかのごとく述べる、こうしたメディアの侮日姿勢には、もう、うんざりです。


    反日虚偽報道に騙されるな!と思う方
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    ↓これが、問題の報道ステーションの放送。
    もっともらしい言い方をしているけれど、この報道自体が、やらせそのもの。どこまでも日本を貶めたいという意図がみえみえです。見るのも汚らわしい。



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  • 民主・文化大革命の恐怖


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    「反革命修正主義分子」と書かれた
    札を下げている文化大革命時の写真
    文化大革命


    中国といえば、いまの中華人民共和国の建国の父が、毛沢東。

    その毛沢東が、1960年代後半から1970年代前半に権力闘争のために仕掛けたのが、有名な“文化大革命”です。

    この文化大革命は、伝統的文化を否定し、理想社会の実現を企図するものとして、当時、日本国内でも少年たちによる紅衛兵の躍進運動などが、あたかも“素晴らしいもの”として宣伝された。

    毛沢東語録という赤い表紙の小さな本が、日本国内でも出回り、なかにはこれを人生の教科書とまで謳いあげる人もいた。

    しかし、後年、そこで行われた実態が知られたと、いつの間にか左翼活動家たちが誰も語らなくなった、というのが、その文化大革命でした。

    その文化大革命で、実際に中国国内で行われていたこととは、いったいどんなだったのか。

    毛沢東の私兵である10代の少年たちからなる紅衛兵が、ありとあらゆる過去の権威や伝統を破壊し、思想を統制し、大人たちを拷問し、つるし上げ、暴行、恐喝、財産没収、糾弾、時には殺人などを行い、徹底的な毛沢東への個人崇拝を強制した。

    そして、階級闘争び、人々を出身階級ごとに色分けし、出身階級が良いもの(紅五類)が、悪いもの(黒五類)を一方的に迫害し、弾圧した。

    ・紅五類  労働者・中農以下の農民・兵士・革命幹部・革命烈士

    ・黒五類  旧地主・旧富豪・反動分子・悪質分子・右派分子

    具体的にどのようなことが行われたのか。
    はてなキーワードに、わかりやすい説明が出ていたので、引用します。
    http://d.hatena.ne.jp/keyword/%CA%B8%B2%BD%C2%E7%B3%D7%CC%BF

    以下の内容は、眼を覆うばかりの事実ですが、もし、日本に、日教組による文部科学省支配や、それら政治的勢力による政治支配が実現したら、これらは日本の現実になっていく危険がある。

    眼をそむけずに、実際にあった過去の事実をみてみましょう。

    -------------------------------

    ◆学校では、教師がつるし上げの対象となった。
    生徒が校長を追放し、授業は行われず、労働が奨励された。
    この時期に学生をしていたものは高等教育を受ける機会を奪われた。
    授業はもっぱら毛沢東の著作の研究に終始した。
    学校では、毎日のように出身階級が悪い生徒が集団でつるし上げをくらい、殴打され、悪罵を投げられ続けた。

    ※ これと同等の事件が日本でも起っています。
    いきなり30人の小学生に取り囲まれて、「土下座しろ!謝れ!」
    国立第二小学校事件です。
    詳細は↓
    http://www.geocities.co.jp/NeverLand/5533/kunitati-index.htm

    ◆親が共産党の幹部でも安心はできなかった。
    三代前まで遡って査定され、祖父が小さな商店を経営していたというだけで「資本家」のレッテルを貼られた。
    資本家のレッテルは、当時の中国ではそれは死刑判決にも等しかった。

    ※ 人権擁護法案というものがあります。
    悪いことをする集団がいたら、人々がそれを“警戒”するのは当然のことですが、彼らはその“警戒”を“差別”だといい変えて、“人権を守るため”に、警戒する普通の人々に対し吊るしあげを行います。
    在日が権力をとった日本国内企業では、こうして多くの日本人社員がリストラの名のもとに職場を放逐されている。

    ◆ある女性が集団でリンチを加えられていた。
    殴打されているので理由を尋ねると、
    「この女は地主の娘だからだ」という答えが帰ってきた。

    ◆紅衛兵は宗教、伝統のある物、古い物を敵視した。
    造反有理(反逆することに理がある)という毛沢東のスローガンの下、既成概念、既成の政治権力、既成の秩序を徹底的に破壊しようとした。

    ※ ↑この文章の“紅衛兵”を“日教組”と読み替えてみてください。

    ◆仏教寺院やキリスト教の教会は破壊された。
    凄まじい数の仏像と経典、文化的価値のある建築物が灰燼に帰した。
    僧侶やシスターたちは侮辱をうけ、暴行され、時には殺された。
    文革の後半になると、批林批孔運動の名の下に、儒教と孔子も徹底的に攻撃され、破壊された。

    ※ 実際に靖国神社への破壊活動が先日起りました。

    ◆紅衛兵はとにかく古い物を敵視した。
    中国各地の博物館や美術館、遺跡には紅衛兵が殺到し、重要な文化財を次々に破壊していった。博物館の学芸員たちは、文化財に毛沢東語録の一節を紙に書いて貼り付けることで、多くの美術品や文化材を守った。

    ◆ある男は道を歩いているといきなり紅衛兵に殴打された。
    男が身に着けていた毛沢東バッジを見咎められ、
    「出身階級が悪い貴様に毛首席のバッジをつける資格はない」と言われたのである。
    その男は、
    「私は毛首席を愛する権利がある。」と反論し、
    次の日から毛沢東に対する忠誠を表すために裸の皮膚にバッジを刺して着けたという。

    ◆弁護士、医師、学者など、あらゆる知識人や文化人が修正主義者、あるいは走資派として批難と弾圧の対象となった。

    ◆スーツやイタリア製の靴を着用しただけで「西洋かぶれ」として紅衛兵に詰問され、没収された。

    ◆ある老夫婦は、地主をしていたというだけの理由で家宅を紅衛兵に捜索され、家財を没収された。
    老夫婦が紅衛兵にお茶を出してもてなそうとすると、
    「お茶には毒が入っている!」と決め付けられ、息も絶え絶えになるほど殴打された。

    ◆この頃の中国では、金目の物をもっていることはそれだけで弾圧の対象となった。
    夜中になると高価な美術品や家財を川に投げ込む音が聞えてきたという。

    ◆文化大革命は中国人の家庭にも深刻な傷を残した。
    批難する対象を血眼で探し、見つけられなければ実の親子同士で告発をしあった。
    夫婦、兄弟、親友、全ての人間が信じられなくなり、人間不信で自殺する人がひきもきらない状態となったという。

    ◆文革時、中国人はありとあらゆる場で派閥を作り、抗争に明け暮れた。
    家庭、職場、学校、隣近所で、派閥が違えば争いの種になった。
    傍観者でいることは許されず、どちらかの対立軸に属さなければ迫害を受けた。
    当初は棍棒や投石が主たる武器であった派閥抗争は、やがて銃器まで使用されるまでになり、中国全土で内戦状態とも見紛う惨状を呈した。

    ◆中国で理系の超名門とされる清華大学では、二つの派閥に分かれた大学生同士で、日常的に殺人が横行していた。
    清華大学の科学教室棟にたてこもった派閥は、食料が尽きたためにトンネルを掘削して脱出しようと試みたものの、敵対派閥の学生達が地震計でトンネル工事を発見し、坑道に爆薬を仕掛けて爆破したため、多数の死傷者を出した。
    消防車がすぐにかけつけたものの、銃で武装した学生たちに阻まれ、消火活動は難航した。

    ◆劉少奇(中華人民共和国第二代国家主席)や小平は党の機関紙である人民日報などで、走資派として名指しで批判され、凄惨な迫害を受けた。
    劉少奇を初めに糾弾しはじめたのは清華大学の学生たちだったが、北京大学の学生達はそれを見て「先を越された!我々は小平を血祭りにあげるぞ!」と言ったという。

    そして劉少奇は国家主席であったにもかかわらず人民裁判でつるし上げを受け、監禁されて、警備員や担当の医師からも暴行を受けた。
    共産党を永久追放され、除名されたが、そのニュースを強制的にラジオで聴かされた。
    入浴や散髪を禁じられ、持病の薬も取り上げられた彼は、最後には寝たきり状態となり、糞尿の処理もされぬままに放置され、1969年非業の死を遂げた。(1980年に名誉回復)。

    ◆職場が派閥抗争の場となったため、国内の生産活動が止まり、工場は廃墟と化した。
    また、文革の最中はアルバニア、ポル・ポト政権下のカンボジアなど、ごく一部の例外を除いて国交が断絶された。
    さながら鎖国状態となった為、中国の近代化は30年遅れたと言われている。

    -----------------------------

    ↑いま、日本に起ころうとしていることが、これ?

    友愛の名のもとに、日本に文化大革命をしかけようとしている不埒な輩を断固許しちゃいけないですよね。

    階級闘争主義者なんてものは、ろくな現実を産まないのです。

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    文化大革命(瘋狂記實)

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小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
連絡先: nezu3344@gmail.com
電話:080-4358-3739
出身:静岡県浜松市
住所:千葉県野田市
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんのひとりごと」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「明治150年真の日本の姿」、「日本と台湾の絆」、「奇跡の将軍樋口季一郎」、「南京事件は4度あった」、などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。
日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
《著書》
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦
『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』
『誰も言わない ねずさんの世界一誇れる国 日本』
最新刊
『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』
『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』

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