• 夢の超特急「あじあ号」


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    夢の超特急「あじあ号」
    満鉄あじあ号


    新幹線が開通したのは、東京オリンピックが開かれた昭和39(1964)年10月1日のことです。

    東京~新大阪間に開通した新幹線は、当時「夢の超特急」と呼ばれ、少年少女に未来への大きな夢を与えてくれた。

    しかし、実は新幹線開業を遡(さかのぼ)る事30年前、実は日本は「夢の超特急」を完成、営業運転を開始していた・・・こう書くと、なんのことかと思うかもしれないです。

    昭和9(1934)年11月1日のことです。
    日本は、世界を驚嘆させる列車の運行を開始させました。
    名前を「あじあ号」といいます。

    初代新幹線(ひかり号)にも通ずる流線型のモダンな外観。
    スカイブルーに塗装された美しいフォルム。

    当時、世界で最も速かった営業車輌は、日本の特急「燕」の平均時速60.2Km、最高時速95Kmでした。昭和9年の時点で、最高時速100Kmを超える蒸気機関車は存在しなかった。

    そんな時代に登場した「あじあ号」は、平均時速82.5Km・最高時速120Km。世界最速です。
    車両は前から順に、手荷物郵便車、3等客車2両、食堂車、2等客車、展望1等客車の全6両編成。
    しかもこの列車には、真夏の猛暑と冬場の極寒冷地(氷点下-40度)を走るために、全車両に密閉式の二重窓を備え、客車には冷暖房装置(エアコン)を完備されていた。

    この当時にエアコン完備の列車なんて、他に例がありません。

    この列車が、どこを走っていたのかというと、実は、満州国です。

    「あじあ号」の開通により、それまで2日かかっていた大連→新京(現・長春)間、701.4Kmを、何と8時間30分で接続されました。
    翌年になると、ソ連から北満州鉄道を買収し、大連→ハルビン間、944Kmに路線を延長。
    当初、13時間30分、後には、12時間30分で接続した。

    満鉄(南満州鉄道株式会社)がその技術の粋を集め、日満両国がその威信に賭け、世界に先駆けて完成実用化したその列車こそ、大陸縦貫特別急行「あじあ号」だったのです。

    昨今では、なにやら戦前の日本というと、閉鎖的で偏狭なナショナリズムに占拠されていた時代・・・といったイメージで語られることが多いようです。

    ところが現実にはまるで違う。もしかしたら現代日本よりはるかに国際的に開かれた眼を持ち、行動していた。

    満鉄


    日本は、対馬海峡に面したプサンから大連までを鉄道で結び、大連からハルピンまでを鉄道で結んだ。

    計画では、ハルピンから、オホーツク海に面したハバロフスクに、ハバロフスクでははるかヨーロッパに続くシベリア横断鉄道に接続、そして海底トンネルを経由して、樺太、北海道、本州を結ぶ・・・

    明治末期の朝鮮鉄道路線図
    朝鮮鉄道


    朝鮮半島を縦断し、満州を通過し、シベリアから樺太、樺太から北海道、北海道から本州、本州から九州、九州から対馬、済州島、そして朝鮮半島に接続する大環状線です。

    つまり日本は、なんと日本海を一周し、さらにヨーロッパにまで接続する夢の鉄道大環状線を計画し、さらにその大環状線をヨーロッパにまで接続しようとしていた。

    ちなみにこうした構想は、いまのポッポ政権の軟弱外交における日韓対馬海峡縦断トンネル構想のような部分的なモノとは違います。

    日本のもつ「庶民こそ大事」という哲学と文化を根底とし、日本国正規軍によって規律と治安を確保することを前提に行われたものです。言葉だけの「友愛」で、内実はシナや朝鮮のいいなりになり、彼れの侵略を是とする亡国のための開発とはわけが違う。

    北海道鉄道


    それだけじゃない。
    昭和17(1942)年には、満州でアジア初の高速道路建設がスタートしています。

    ハルビン(哈爾浜)から新京(現・長春)、奉天(現・瀋陽)を経て、大連に至る総延長900Km超の高速道路の建設を行っていた。

    この工事は、建設着手から3年後の昭和20(1945)年、路線の一部が完成した状態で終戦を迎え、建設はシナに引き継がれたけれど、結局彼らには道路を完成させる技術力が不足し、日本は、シナの要請によって技術協力して、ようやく平成2(1990)年に、この道路が完成した(瀋大高速公路)。建設着手から、なんと48年を経由しています。

    瀋大高速公路
    瀋大高速公路


    ちなみに、哈大道路の建設着手は、昭和40(1965)年に全線開通した日本初の高速道路「名神高速道路」(愛知県小牧市─兵庫県西宮市)を遡る事、実に20年も前のできごとです。

    さらにいうと、日本は満州で、世界屈指の豊満ダム(第二松花江ダム)を始めとして、鏡泊湖(牡丹江)・桓仁(渾江)・水豊(鴨緑江)などに巨大な水力発電用ダムを次々と建設した。「満鉄」、日本産業株式会社(鮎川財閥)を母体とする「満州重工業開発株式会社」によって、世界屈指の“重工業地帯”を、満州に誕生させています。

    水豊ダム
    水豊ダム


    昭和20(1945)年4月、毛沢東は、首都・延安で開催された中国共産党七全大会に於いて、
    「もし、我々が全ての根拠地を失ったとしても、東北(満州)さえあれば、それだけで中国革命の基礎を建設する事が可能である」と述べています。

    毛沢東がそこまで絶賛した満州工業地帯の発展は、間違っても毛沢東率いる中国共産党が開発してきたものではない。
    日本が、苦しい歳費の中でまじめに取り組んできたものです。
    わるいけどシナは、日本が築いたその膨大な遺産を食いつぶしただけです。

    それだけじゃない。世界に誇る「あじあ号」の走る満鉄ひとつをとっても、当時シナは、奉天鉄道事務所管内だけでも、電話線を切ったり、線路をはがさしたり、はては日本人鉄道警備員を拉致したり、1年間に30万を越える被害を発生させていた。
    さらには衆をたのんで、少数の日本人駐留員を襲い、虐殺し、女を死ぬまで強姦し、子供の手を針金で縛って10本の指を切り落としたりしていた。

    話を続けます。

    戦前の日本が計画していた路線構想は、戦後も生き続けます。
    そのなかで誕生したのが、実は昭和63(1988)年3月13日に営業を開始した青函トンネルです。

    青函トンネルは、読んで字のごとく、青森と函館を結ぶトンネルです。

    このトンネルは、津軽海峡の海底下約100mの地中に設けられた、全長 53.85 kmのトンネルで、2009年現在、トンネルとして世界一の長さを持っています。ちなみに2位は英仏海峡トンネル(50.5km)です。

    ついでにいうと、いま青函トンネルは、新たに新幹線規格のトンネルが計画されていて、将来は、北海道新幹線が通る予定になっている。博多で乗った新幹線が、ノンストップで札幌にまで到着できる日がくる。考えただけで、なんだかドキドキします。

    日本中が景気悪化で失業者があふれ、給料が減り、中小零細企業がバタバタと倒産している中で、どっかの政権は、政府支出を減らして予算を削ると言いながら、実際予算を編成してみたら、前の麻生内閣のときより総予算枠が増えていたなどと、アホとしかいいようのないことをやっていますが、景気の悪いこういうときにこそ、こうした夢のある事業を推進してもらいたいものです。

    青函トンネルの着工は、昭和36(1961)年ですが、先に述べたとおり、この計画は戦前からのものです。

    青函トンネルができる前までは、青森ー函館間には、青函連絡船が渡っていました。

    石川さゆりの津軽海峡冬景色・・・

    上野発の夜行列車 降りたときから
    青森駅は 雪の中
    北へ帰る人の群れは 誰も無口で
    海鳴りだけを 聴いている
    私もひとり 連絡船に乗り
    こごえそうなカモメ見つめ泣いていました
    ああ 津軽海峡 冬景色

    北海道へ渡る人も荷物も、青森駅でいったん降り、連絡船に乗り換えて函館に渡り、そこから再び鉄道に乗らなければならなかった。
    連絡船は、寒空の海の上を3時間です。

    終戦後まもなく朝鮮戦争(1950-1953)が起こりますが、この直後から北朝鮮が流した浮流機雷がしばしば津軽海峡に流入しました。これにあたったら、連絡船はひとたまりもなく沈みます。

    昭和29(1954)年には、台風による暴風雨で、函館港外で洞爺丸が沈没。この事故で1155 名の死亡者が出ます。さらに他にも4隻の船が海難事故にあう。

    航路は脅かされるし、事故も起こる。政府は終戦の翌年の昭和21(1946)年には、すでに青函トンネル工事のための地質調査をすすめていたけれど、こうした現実の事故の発生によって、いっきに計画が具体化の方向に進みます。

    戦後間もない頃です。政府の税収もまだまだ低かった。

    そうした中で、四半世紀を要し、総額9,000億円の大工費が開始されたのです。
    ちなみに、開業前には、政府の行うこの工事に対して、開業前には要した巨額の費用と収益があまりにも釣り合わないとして「無用の長物」、「昭和三大馬鹿査定」、「泥沼トンネル」などと揶揄されたこともあった。

    「昭和三大馬鹿査定」というのは、昭和62(1987)年に、当時の大蔵省主計官田谷廣明が述べた言葉で、「昭和の三大バカ査定、と言われるものがある。それは戦艦大和、伊勢湾干拓、青函トンネルだ」から一躍有名になった言葉です。

    昭和の勘定奉行としての田谷さんの言葉もわからないではないが、それは経営者(施政者)の言葉ではない。

    会社経営が、経理士感覚だけではまかなえないのと同様、国家の経営も、一介の財務官僚のレベルで語り尽くせるものではない。

    巨大不沈軍艦である戦艦大和は、日本人の永遠の夢だし、その大和建造の技術と実績と信用が、戦後の日本の造船業の大発展の基礎を築いた。
    伊勢湾干拓は、伊勢湾台風によって堤防が決壊し、壊滅的被害を被ったりもしたけれど、いまや中部地区の一大物流拠点です。そもそもこの伊勢湾干拓計画は、明治8年のものです。

    そして今日、青函トンネルが、北海道物産の興隆にどれだけ貢献しているか。
    俺は北海道へ行くときはいつも飛行機だなんて思う人もいるかもしれないけれど、重たい荷物を運ぶのは、やはり鉄道の仕事です。

    ほかにも当時の野党(主に社会党)からは「トンネルを放棄してセメントで封鎖すべきだ」とか、「道路用に転用すべきだ」、「キノコの栽培をすべきだ」、「石油の貯蔵庫にすべきだ」等、わけのわからない主張が次々に出されていた。政府のムダ遣いの元凶のように言われ続けた。

    いま、首都圏では、千葉や埼玉、三多摩地区が、いわゆる東京のベットタウンとなっています。そのベットタウンも、ほんの30年前までは、ほとんど農地や原野だった。

    実はね、ボクのオヤジが、ボクが産まれて間もないころ、東京・板橋に戸建住宅を建てたんです。田んぼの中の一軒家だった。となりのトトロに出てくる田舎の田んぼだらけの土地の中に、ポツンとある家だった。ちかくに私鉄のちいさな駅舎があった。
    あんまりにもさみしい土地だったので、母がとうとうまいってしまって、その家を売ってしまいました。土地が安かったのでね、200坪くらいあったらしい。引っ越した先が、日吉の日本初の団地です。当時は建物の周囲にはドブがあって、ちいさなねずきちは、そこに落ちて額の横を大きく切ってしまいました(笑)

    いまね、その板橋の土地は、ものすごく大きな板橋の商業の中心地として発展している。

    西武鉄道、東武鉄道、小田急、京王、京成電鉄・・・
    それぞれ営業したての頃は、なんにもない田舎を走る単線電車でした。
    でも、駅ができ、駅周辺に家が建ち、人々が生活するようになってお店ができ、ビルが建ち、町が発展する。人々が交流する。文化が広がる。

    国家の建設や運営というものは、単に目先の予算だけの問題じゃない。
    国家100年の大計にたって、この国をどうするか、そして周辺諸国との関係をいかに築くかという大局の上にたって行われるべきものです。

    最近は、ダム開発の見直し(中止)や、公共工事によるいわゆるハコモノ財政への見直し論が盛んです。
    しかしちょっとビルを建てるとかいうものと違って、ダムや、鉄道、道路の整備などは、100年、1000年の未来の人々の生活と、その夢に向かって築かれるものです。
    目先の人気取りや、政治家の私腹、売国やねつ造史観の受け入れなどのためのものでは、断じて、ない。

    はるか明治時代に生まれた、日本海一周の大環状鉄道構想。そしてその中で生まれた世界最長の青函トンネルと、思いをおこしたとき、人種差別撤廃を高らかに謳いあげて立ち上がった戦前の日本が、何をもとめ、何を行おうとしていたのかが胸にせまる思いがします。

    欧米の植民地政策によって、東洋人が絞りに絞りとられ、ヒト以下の動物としてしか見られていなかった時代に、日本は、はるか大きな大東亜建設の夢に向かって時代を切り開いていた、といえるのではないでしょうか。

    そしてその先に夢見ていた日本人が理想と描いた社会は、人類が平等であり、治安の保たれる法治社会であり、それぞれの民族が共に栄え、自由に意見が言え、教養にあふれ、建設の息吹に燃え、平和で豊かで、高次の道義心と志操心を持った理想社会だったといえるのではないでしょうか。

    そうそう!

    最後にね、実は、青函トンネルって、4本あるんです。

    海底部標準断面図
    青函トンネル


    (1) 本坑 (2) 作業坑 (3) 先進導坑 (4) 連絡誘導路です。
    最初に、先導トンネルを掘削し、その次に作業用のトンネルを掘る。それから本トンネルの工事です。長い長いトンネルを掘るときには、火災や落盤事故に備えるために、実に入念な工事が行われるんですね。単にトンネルをほるだけじゃなくて、ちゃんと作業員の安全と、完成後の万一の場合の避難経路をちゃんと考えて作る。

    どっかの国では、架けた橋が簡単に崩落したり、トンネルやダムが簡単に決壊したりしていますが、日本はまるで違う。
    ねずきちは、こういったところにも、日本的な美学のようなものを感じてしまいます。

    やっぱり日本て素敵です♪
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    パシナ形蒸気機関車 「あじあ号」(満鉄)



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小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
連絡先: nezu3344@gmail.com
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出身:静岡県浜松市
住所:千葉県野田市
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんのひとりごと」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「明治150年真の日本の姿」、「日本と台湾の絆」、「奇跡の将軍樋口季一郎」、「南京事件は4度あった」、などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。
日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
《著書》
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦
『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』
『誰も言わない ねずさんの世界一誇れる国 日本』
最新刊
『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』
『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』

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