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(それぞれの画像はクリックすると当該画像の元ページに飛ぶようにしています)百人一首の88番にある
皇嘉門院別当(こうかもんいんのべっとう)の歌です。
難波江の蘆のかりねのひとよゆゑ
身を尽くしてや恋ひわたるべき (なにはゑのあしのかりねのひとよゆゑ みをつくしてやこひわたるへき)
この歌は、一般の解説書には、難波江の芦の間の短さのような、一夜限りのはかない恋を詠んだ歌だと解説されています。
歌の現代語訳としても、
「難波江の入江の芦の刈り根のひとふしではないけれど、ただ一夜の仮寝のために、あの澪標(みおつくし)のように身を尽くして恋い続けなけれならないのでしょうか」というように訳されているものが多いです。
ちなみに、こうして百人一首の歌の解説の際によく「一般の解説書によれば」と書いていることについて、私が勝手に「つくり話をでっちあげている」と批判している人がいるそうですが、実際にご欄いただければわかりますけれど、市販されているいくつかの本をご欄いただければ、実際にそのように書いてあることをご自分の目でご確認いただけようかと思います。
私は特段そうした解釈と対立したり批判したりすることを目的としていないので、名指しすることなく、あくまでも「一般の」と書かせていただいています。
この歌は、『千載集』(八〇七)に掲載された歌で、その詞書には、次のように書かれています。
「摂政右大臣の時の家の歌合に、旅宿逢恋といへる心をよめる」
つまり、実際に作者の皇嘉門院別当が「旅先で一夜限りの契(ちぎ)りを結んだ」とかいうことではなくて、あくまで歌合の席で「旅宿逢恋」をテーマに詠んだ歌であるということです。
そしてこの歌は、たいへん技巧的な歌です。
「かりね」が「刈り根」と「仮り寝」、
「ひとよ」が「一節」と「一夜」、
「みをつくし」が「澪標」と「身を尽くし」、
「恋ひ」が「乞ひ」というように、ひとつの歌のなかに、四つも掛詞が入っています。
文意においても、「難波江の葦の刈り根の一節のように短い」という意味に「そんな短い仮り 寝の一夜のために」が重ねて詠まれています。
たかが遊女の一夜限りの恋を詠んだという割には、あまりに技巧が凝らされている歌なのです。
この歌を詠んだ皇嘉門院別当は、「保元の乱」で追われた崇徳院の皇后の聖子(皇嘉門院)に仕えた女性です。
しかも「別当」というのは、家政を全部を司る役職ですから、いわば皇嘉門院様の第一秘書のような存在です。
そして崇徳院は讃岐に流刑という難事に遭っています。
時代背景を見れば、「保元の乱」「平治の乱」で世が乱れ、平家の時代になったと思ったら、都に赤禿(あかかむろ)と呼ばれるスパイたちがうろついて、まるでゲシュタポの取り締まりのようなことが公然と行われた時代でもあります。
そんな時代に皇嘉門院の、それも「別当」という立場にあって、「一夜限りの男性を恋い続けるのでしょうか」というだけの、遊女の恋歌を、歌合に出詠するでしょうか。
むしろ掛詞を多用して何重もの意味を重ね合わせているということは、逆に「技巧を凝らすことで本音を巧妙に包み隠している」ということに気がつくべきではないでしょうか。
ではこの歌の真意は、どこにあるのでしょうか。