日本は「討ちてし止まん」の精神を否定するのではなく、むしろいまこそ「討ちてし止まん」の精神を取戻べきです。 |
ジョン・エドガー・フーヴァー(John Edgar Hoover)

画像出所=https://www.thedailybeast.com/j-edgar-hoover-unmasked-by-eastwood-movie-and-last-of-his-g-men
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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
「討ちてし止まん」という言葉は、戦時用語として先の大戦中にずいぶんと使われた言葉です。
戦後は戦前までの日本を、ある意味、馬鹿にしたような言葉として用いられました。
けれど馬鹿にした側が、馬鹿者です。
なぜなら知恵がないからです。
もともと「討ちてし止まん」は、久米歌(くめうた)と言って、古事記の神武天皇記に出てくる歌にある言葉です。
神武天皇の軍団が八十健(やそたける)らを倒した後、登美那賀須泥毘古(とみのなかすねひこ)を討とうとしたときに、神武天皇が歌われた歌として古事記に出てきます。
現代語訳すると、次のようになります。
1 いかめしくて強い久米の子らよ
粟の畑にニラが一本生えてきた
そんなものは根も芽も繋いで
討ちてしやまん
2 いかめしくて強い久米の子らが
垣根の下に飢えた山椒で
お前たちの口がヒリヒリ疼いていたことを、
私は決して忘れないから
討ちてしやまん
3 神風が吹く伊勢の海
大きな石に這いまわり
巻き貝のように這い回わって
討ちてしやまん
《原文》
将擊登美毘古之時、歌曰、
美都美都斯 久米能古良賀 阿波布爾波 賀美良比登母登 曾泥賀母登 曾泥米都那芸弖 宇知弖志夜麻牟
又歌曰、
美都美都斯 久米能古良賀 加岐母登爾 宇恵志波士加美 久知比比久 和礼波和須礼志 宇知弖斯夜麻牟
又歌曰、
加牟加是能 伊勢能宇美能 意斐志爾 波比母登富呂布 志多陀美能 伊波比母登富理 宇知弖志夜麻牟
このように古事記の久米歌には、「討ちてし止まん」という語が、三回繰り返して出てきます。
三度繰り返されているということは、現代の歌謡曲なら、ただのサビですが、古代の文では、それは重要語という意味になります。
一読すると勝つまで戦うぞ、どこまでも戦うぞと歌っているように見えますが、実はそうではありません。
このことは集団戦を考えたらわかることです。
バレーボールでも野球やサッカー、バスケットボールでも、いま流行りのラグビーでも、集団戦は、必ず各人にポジションが与えられます。
そして各自が最後の最後まで、そのポジションを守りきり、自分に与えられた役割をしっかりと果たすことで、戦いが勝利に導かれます。
ただ勝つまで戦うぞというだけでは、集団戦は戦えないし、勝利もないのです。
この簡単な理屈がわかれば、「討ちてしやまん」の意味も明らかになります。
すべての兵員が、それぞれの役割を最後まできちんと責任を果たすこと。
それが「討ちてしやまん」です。
神武天皇は、我が国の初代の天皇であり、その初代天皇が、各人がそれぞれの持場において、しっかりと責任を持って最後までその責任を果たすことを、こうして明らかにされたのです。
そしてこれが我が国の思想文化となりました。