それまで、東洋平和を願い、皇国不滅を信じていた人々は、価値観を根底から否定され、いかに生きるべきか、どう生きるべきかという規範も失なわれ、呆然(ぼうぜんと)と頽廃(たいはい)と恐怖と飢(う)えが人々を支配していました。 その日本人が、ある事件をきっかけに、国土復興のために元気に立ち上がった。 そのきっかけとなりましたのが、「昭和天皇の全国行幸」です。 |

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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
今年でちょうどまる10年。毎年ご紹介しているお話です。
すでにお読みになられた方も多いかと思います。
同じ話を何度も繰り返すのは、大切なことは何度でも読み返す必要があると思っているからです。
クラシック音楽と同じです。
クラシックは、同じ曲が様々な演奏家によって何百年も繰り返し演奏されますが、何度繰り返されても、飽きるということがない。
筆者の場合、読書や映画鑑賞もそうで、良い本や良い映画は時間をおいて、繰り返し何度でも読んだり観たりします。
そして読んだり観たりするたびに、新しい発見や気付きを得ます。
人生を振り返ってみたとき、読書も乱読ですが、この「繰り返し」が結果として、いちばん役に立ったような気がします。
この昭和天皇行幸のお話も、いま米国大統領選の問題から、世界の構造が激変していくという情況下において、私達にとって大切なことを教えてくれているように思います。
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さて、昭和20年8月の終戦後のこと、当時の日本は未曾有の食料危機にありました。
物価も高騰、食料の配給制度は人々の生活を賄(まかな)うに足りず、不衛生で暴力が支配する闇市があちこちに立ち並んでいました。
それまで、東洋平和を願い、皇国不滅を信じていた人々は、価値観を根底から否定され、
いかに生きるべきか、どう生きるべきかという規範も失なわれ、
呆然(ぼうぜんと)と頽廃(たいはい)と恐怖と飢(う)えが人々を支配していました。
その日本人が、ある事件をきっかけに、国土復興のために元気に立ち上がった。
そのきっかけとなりましたのが、「昭和天皇の全国行幸」です。
物語を通じて、混迷の時代に必要なものが明らかにされていきます。
それは次のようなものです。
1 伝統の重さと大切さ
2 霊(ひ)
3 勇気とやさしさ
4 希望とあたたかさ
こうしたことは、現代社会では「具体性がない」とか、「役に立たない」、「何を言っているのかわからない」などと言って、無視されがちなことです。
現代社会では、根底よりもハウツーが優先するものと考えられているからです。
けれど、それはまやかしであると申し上げたいと思います。
なぜなら、ハウツーを教えるものは近年多いですが、ハウツーのマニュアル通りにやれば人生の成功が手に入れることができるほど、世の中は甘くない。
結局の所、人生を拓くには、根底となるものを大切にしながら、中今(なかいま)に生きるしかないのだし、そもそもそうした根底にあるものを大切に生きることでしか、霊(ひ)が今生に生を受けた意味をまっとうできないのだと思います。
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昭和天皇の行幸は、昭和21年の神奈川県を皮切りに、昭和29年の北海道まで、足かけ8年半にかけて行われました。
全行程は3万3000km、総日数は165日です。
実はこれはたいへんなことです。
そもそも陛下の日常は、我々平民と違って休日がありません。
一年365日、常に式典や祭事、他国の元首その他の訪問、政府決定の承認等があり、その数なんと年間約2000件を超えるご公務です。
そうしたお忙しい日々を割いて、昭和天皇は、全国行幸(ぎょうこう)をなさいました。
この行幸を始めるにあたり、陛下はその意義について次のように述べられています。
「この戦争によって祖先からの領土を失い、
国民の多くの生命を失い、
たいへんな災厄を受けました。
この際、わたしとしては、
どうすればいいのかと考え、
また退位も考えました。
しかし、よくよく考えた末、
この際は全国を隈なく歩いて、
国民を慰め、励まし、
また復興のために立ちあがらせる為の
勇気を与えることが責任と思う。」