• ウマシアシカビヒコヂの神の御名の意味するもの


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    困ったときには原点に帰る。
    その原点というのは、笑顔で活発で、明るくて元気いっぱいの姿です。
    またそこから立ち上がっていこうよ。
    また新たに出発して行こうよ。
    いつだって、何度だって、やり直すのさ、
    そう言って白い歯を見せて笑っている
    そういった、底抜けの陽気さが、日本人の原点です。

    可美葦牙彦舅尊 (うましあしかびひこじのみこと)を御祭神とする浮島神社《愛媛県東温市》
    20210510 浮島神社
    画像出所=http://ehime-jinjacho.jp/jinja/?p=4816
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    小名木善行です。

    我が国の神話に登場する創生の神々の中に、ウマシアシカビヒコヂノカミという神様がおいでになります。
    お名前は、
    古事記では、 宇摩志阿斯訶備比古遅神、
    日本書紀では 可美葦牙彦舅尊
    と表記されます。(読みはどちらも同じです)

    古事記では、はじめに天御中主神、高御産巣日神、神産巣日神がお生まれになられたあと、
    「次に国(くに)稚(わか)くして
     浮かべる脂(あぶら)のごとく、
     クラゲのようにただよえるとき、
     葦牙(あしかび)のごとく
     萌えあがるものに成る神の名は
     宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコヂノカミ)。
     この神の名は音(こえ)を以(もち)いる」

    と書かれています。
    (原文:
     次、國稚如浮脂而久羅下那州多陀用幣流之時(流字以上十字以音)
     如葦牙、因萌騰之物而成神名、宇摩志阿斯訶備比古遲神(此神名以音)

    ここでは宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコヂノカミ)の名は、「音(こえ)を以(もち)いる」と書かれていますから、用いられている漢字には何の意味もなく、単に神様のお名前が「ウマシアシカビヒコヂノカミ」ですよ、と述べていることになります。

    意味は
     うまし  美しくて立派
     あしかび 葦(あし)の新芽
     ひこぢ  立派な男性

    そこから「ウマシアシカビヒコヂの神」の名は、
    「成長の早い葦(あし)の新芽のように、
     美しくて立派な男性の神様」という意味であるとわかります。

    ところが古事記の文章は、このすぐ後に、
    「次に天之常立神(あめのとこたちのかみ)
     この二柱の神もまた
     独神(ひとりがみ)と成(な)りまして
     身に隠しましきなり。

    《原文:
     次天之常立神(訓常云登許、訓立云多知)。
     此二柱神亦、獨神成坐而、隱身也》

    と書いています。



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  • ある中学三年生の手記


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    自衛隊は警察と同じで、法によって定められた立法府、行政、司法の枠内で動かなければなりません。
    軍は、軍の内部に立法、行政、司法を保有した、独立した機構です。
    だから軍は、国法が機能しない状態でも活動ができるのです。
    大規模天然災害の多い日本こそ、こうした機構の存在は不可欠です。

    満州国の新京・吉野町の様子
    満州国の新京吉野町の様子



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    小名木善行です。

    ある中学三年生の手記をご紹介します。
    昭和20年のものを、現代語に直したものです。
    出典並びに私の感想は、末尾に書いています。

    =========
    ある中学生の手記
    山崎満男(仮名)

    僕ら日本人の一団は、吉林省の平安屯で、ひとつの団体を作りました。
    ロシア軍が不意に国境を越えて満洲国に侵入したとき、吉林省内の各地に散らばって開拓の仕事をしていた人たちは、何一つ持つこともなく、着の身着のままで吉林に向かいました。
    でも吉林もロシア軍が侵入してきて、無茶苦茶なことをしていたので、平安屯に集まった人たちでひとつの団体を作って、新京に逃れることにしたのです。

    この新京に到着するまでの出来事を思い出すと、いろいろのことが山のようにあります。
    その出来事というのは、ロシア人と満人から日本人である僕らがいじめられたということです。

    ロシア人にとって、日本人というのは虫けら以下でした。
    あの当時、ロシア兵は日本人を殺そうが、焼いて食おうが、自由気ままにできました。

    平安屯から新京までの間でも、ずいぶん痛めつけられました。
    ようやく新京に着いたので、これで安心と思ったのは、日本人のヌカ喜びでした。
    ロシア兵と満人が、田舎から出てきた僕らに対し、虫けらでも殺すのと同じように殺したり、傷つけたり平気でした。
    道をひとりで歩けませんから、二、三人で歩いていると、不穏の動きがあると言ってロシア兵から取り締まられました。

    ロシア兵に見つかって逃げると、すぐパーンと銃で撃たれました。
    それで日本人が死んでも、それは全く日本人が悪いのだというのです。
    何をしても日本人の言うことは通用しないし、いじめることではロシア人ほど上手な奴はいないでしょう。
    あれは、人間ではなくて、鬼か蛇のようなケモノ達でした。

    結局、僕たちは新京にいてはいけないと、ロシア兵が言うのです。
    とうとう平安屯から一緒にきた日本人は、ハルピンに追いやられることになりました。

    さんざん苦労してハルピンに着いたのは、満洲では降った雪が来年まで溶けないと言われる11月の中ごろでした。
    そのハルピンも、僕たちにとっては永住の地ではありませんでした。
    もちろん僕たちも戦争に負けた日本人のひとりだから、そんなに楽な生活をしようとは思ってなかったのです。
    しかしロシア軍が、日本の強い兵隊がいたときに満洲に攻めてきて、強い日本軍と戦争して勝って満洲国に入ってきたのだったら仕方がないとあきらめるけれど、ロシア軍というのは卑怯な奴だから、強い日本軍がほとんどいなくなったすきに、コソ泥のように満洲に入ってきて、日本人である僕たちをいじめるのだから、腹が立って仕方なかったのです。




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  • 原発の耐用年数


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    表にある原発は、全部で69基です。
    このうち計画中・建設中が11基ですので、現在点検中、廃止中、設置中の原発は全部で58基です。
    そしてこのうちの55%にあたる32基の原発が、すでに当初計画時にあった耐用年数の40年を徒過しています。

    原発耐用年数一覧
    20170524 原子力一覧2



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    小名木善行です。


    上にある表は、4年前にある方からいただいた日本の原子力発電所に関する「重要資料」です。
    国内の各原発の耐用年数を示した一覧です。

    原発の耐用年数は、40年です。
    表にあるオレンジ色の原発は、その40年が経過したもの、もしくは近づいてきている原発です。
    ピンクが30年以上。
    緑は20年以上、
    青が20年未満です。

    表にある原発は、全部で69基です。
    このうち計画中・建設中が11基ですので、現在点検中、廃止中、設置中の原発は全部で58基です。
    そしてこのうちの55%にあたる32基の原発が、すでに当初計画時にあった耐用年数の40年を徒過しています。

    耐用年数を過ぎているからといって、すぐに崩壊するとか、そういうものではありません。
    メンテナンスを行うことによって、その寿命を伸ばすことは可能です。
    たとえばコンクリートの寿命は50〜60年とされていますが、エンパイア・ステート・ビルディングは、できてからすでに90年経過していますが、いまも健在です。
    また、木造建築物は法定耐用年数は22年ですが、法隆寺の五重塔は、完成から1400年経って、いまだ健在です。

    《ちなみに日本式の木造建築は、木材と上手に付き合う(木を生きたまま上手に乾燥させる)ことで、千年以上、悠々と保持する事が可能です。さらにいうと最も強度が出るのが、建築後300年が経過したときです。本当はコンクリートよりも、よほど耐久性があるのです。昨今の木造住宅建築の耐用年数が25年と短いのは、木材が外材であること、そして木材を高温乾燥させて(いわばミイラ化して)用いていることによります。国産木材を上手に使うと、圧倒的な耐用年数が生まれることは、千年以上前に建てられた建築物や、400年前の戦国時代のお城やお寺などが、地震や天変地異を何度も経験しながら、いまだに健在であることが証明しています。》

    原発は、人々の安全と隣合わせのものであるだけに、普通の建物以上に、慎重な取り組みが必要です。
    何を言いたいかというと、我が国において「原発の代替エネルギーの開発は死活問題である」ということです。
    先に申し上げておきますが、私は原発稼働賛成派です。
    いたずらに原発の危険を煽ることは愚かしいことだと思っています。

    電力需要を満たすことは、我が国の産業稼働のための重要な国家としての基礎インフラです。
    ですから、電力の民営化には反対です。
    国家の電力確保は、金儲けのための民間商売ではないからです。

    ただ、耐用年数の問題は、見過ごすことができない問題です。
    耐用年数が過ぎたからといって、申告書1枚を出して、耐用年数を20年延長すれば済むという問題ではありません。
    これは国家の安全保障に関わる問題です。

    そもそも原発というのは、原爆です。
    原爆は、維持費がものすごくかかります。
    そこで、原爆から生まれる熱で電力を生み、それを民間に売電することで、原爆保持の経費を賄おうということで生まれたのが原発です。
    日本の軍事的国防については、様々な議論がありますが、原爆を60基以上も配置されている状態で、日本は逆らいようがないのです。

    こうした現状に、国民の選択は3つしかありません。
    1 危険を承知で、国防を犠牲にして稼働を継続する。
    2 廃炉にして、電力が不足しても我慢する。
    3 代替エネルギーを開発稼働させて、廃炉しても電力確保に支障をきたさないようにする。

    現実的な選択は、3しかないということは、議論の余地のないことです
    そうであれば、原発に代わる新たな代替エネルギーの開発と確保は、まさに国家的最優先課題であるといえます。

    このことは、単に屋根や空き地に太陽光パネルを載せれば済むという問題ではありません。
    そのそも太陽光発電は、たいへんに電力供給が不安定なものです。
    しかも原発以上に、最終処理・処分に問題を残します。

    原発は、稼働開始とともに、巨額の費用のかかる廃炉の際に困らないように、廃炉資金が積み立てが行われています。

    現在、原発に代わる新エネルギーとして、常温核融合、バイオマス、雪氷熱利用、地熱発電、風力発電、塩分濃度差発電、温度差エネルギー、地熱発電、石炭火力発電、新たに発見されたメタンハイトレートなど、様々なエネルギー源が研究開発されています。
    これらへの取り組みは、日本にとっては、まさに国家の死活問題です。
    なぜなら電力供給は、国家インフラの基本中の基本だからです。
    この分野での研究開発に関しては、日本は世界のトップを走るくらいの実力を持たなければなりません。

    そしてこのような新たな技術開発には巨額の資金がかかりますけれど、99.999%が、失敗の連続となります。
    小保方さん事件のときのように、他国からの干渉によって、研究者が袋叩きにあってつぶされ、気がつけば、他所の国によって、それが特許申請され、日本はその利益から除外されてしまっているといった、馬鹿なことは二度と起こしてはいけないことです。
    しかも電力問題は、スタップ細胞どころの騒ぎではない、まさしく世界を相手にした強大な利権絡みの問題です。
    あるのかないのかわからないコ□ナどころではないのです。

    明治以降、政治が責任を切り離され、戦前においても、与野党が常に対立し、あらゆることを政局化し、結果、日本は戦争に巻き込まれていき、多くの人の生命を失い、最後には、日本中が焼け野原となりました。

    日本が二度と戦争の悲惨を繰り返さないというのであるならば、くりかえしませんとお題目を唱えることよりも、絶対に戦争をしなくて済む・・・というより現実論として戦争しなくてもまったく困らない強靭な国家を、国家国民が一丸となって築いていくことこそ重要です。
    そのために必要なことは、合意であって、対立ではありません。
    原発の耐用年数の問題は、そうした現実の刃を、いま、私たち国民に突きつけています。


    ※この記事は2017年5月の記事のリニューアルです。

    お読みいただき、ありがとうございました。
    日本をかっこよく!! むすび大学。


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  • いずれアヤメかカキツバタ


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    今日の記事の冒頭にあるのは、尾形光琳の「燕子花図(かきつばたず)」です。
    この絵がどうして「かきつばた」と特定できるのか。そんな秘密を解き明かします(笑)

    尾形光琳「燕子花図」
    尾形光琳「燕子花図」



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    この季節、毎年恒例の、「アヤメ」と「ショウブ」と「カキツバタ」のお話をまた書きます。
    「いずれアヤメかカキツバタ」というくらいで、似ていて見分けがつきにくいですが、ちょっとした手がかりで、三者はすぐにそれとわかるようになります。

    まず、いちばんわかりやすいのが「あやめ」です。
    「あやめ」は、漢字で「文目(あやめ)」と書きますが、まさに字のとおり、花の根元が「あみ目模様」になっています。
    あやめ(文目)の編み目模様
    文目の編み目模様


    よく、「文子」さんと書いて、「あやこ」さんと読む方がおいでになりますが、「文(ふみ)読む子」ではなくて、あえて「あやこ」と読む名を付けた親御さんは「あやめ(文目)」のように可憐で清楚、美しく育ってもらいたいという親心であっのかもしれません。

    最近では、アヤメもショウブも、どちらも漢字で「菖蒲」とも書いたりしますが、これはとてもまぎらわしいことです。
    ショウブは「菖蒲」で良いですが、アヤメはやっぱり「文目」と書いてもらったほうが、花を見分けるにも良いように思います。

    「あやめ」の背丈はだいたい60cm以下で、あやめ、しょうぶ、かきつばたの中では、花も背丈も、いちばん小柄です。
    「あやめ」は、3種類のなかでも一番小柄。でも「その美しさは群を抜く」と言われています。
    また、花の根元の編み目模様は、まるで複雑な女心をあらわしているかのよう。
    そのためか、花言葉は
     希望
     燃える思い
     情熱
    なのだそうです。

    男性の愛(おもひ)は責任感と同義といわれますが、女性の愛(おもひ)は全身全霊。
    そしてその女性の愛は、希望であり、燃える情熱なのですよということかもしれませんね。

    次に「菖蒲(しょうぶ)」です。
    こちらは背丈が80〜100cmになります。
    花も3種の中で、一番大きいですから、「大きいな、背が高いな」と思ったら、ショウブである可能性が高くなります。

    見分け方のポイントは、やはり花の根元です。
    菖蒲は、花の根元に、はっきりした黄色いマークが付いています。

    しょうぶ(菖蒲)の黄色いマーク
    しょうぶの黄色いマーク



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  • ものすごくわかりやすくDSと世界の歴史を俯瞰する(2)金《GOLD》への道


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    紙切れによる富は、ユーラシア大陸の共通の価値観になっていき、その両替や送金を受託する石屋さん、つまりメイソン( Mason)さん、あるいは石(ロック・Rock)のフェラー(屋・Feller)さんたちは、莫大な紙切れ資産《良く言えば金融資産》を常時持つようになりました。

    20210520 元の交鈔
    画像出所=https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%88%94
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    小名木善行です。

    世界を支配するモンゴルの大帝国。その大帝国の保証のもとで発行される通行証。その通行証が基になって生まれた交鈔(こうしょう)という名の交換価値を持つ紙幣。その紙幣の信用は元の大帝国が保証する・・・という循環のなかで、モンゴル帝国の紙幣は、またたく間に流通していきました。

    ただの紙切れが、高い交換価値を持つ紙幣になるのです。
    欲しい物があったら、ただ紙切れを印刷するだけで、なんでも欲しいだけ手に入れることができる。
    結果モンゴル帝国は、紙幣が乱発されることでインフレ・・・つまり通貨過剰を経験して、通貨である交鈔の流通量を制限する、などの手法を学びます。

    そして、そうしているうちにも、紙切れによる富は、ユーラシア大陸の共通の価値観になっていき、その両替や送金を受託する石屋さん、つまりメイソン( Mason)さん、あるいは石(ロック・Rock)のフェラー(屋・Feller)さんたちは、莫大な紙切れ資産《良く言えば金融資産》を常時持つようになりました。

    ところがここに大事件が勃発します。
    それが14世紀のペストの大流行です。
    チャイナの中部あたりで発症したペストは、またたくまにチャイナ全土を席巻し、当時の元の大帝国の人口1億2000万人を、わずかな間に、たったの2000万人にまで減少させてしまいます。

    さらにペストは、大モンゴル帝国の交易ルートに乗って、ユーラシア大陸を城塞都市から城塞都市へと広がり、ついにはヨーロッパにまで達して、当時のヨーロッパの人口の6割を死滅させるに至ります。

    あまりの伝染病の猛威に、モンゴル人たちは、国を放り出して、皆で北のモンゴル高原に帰って行きました。
    大都と呼ばれた北京からも、ユーラシア大陸全土にまたがる城塞都市からも。
    なぜなら北のモンゴル高原は、人口が少なく、空気が乾燥していて、風があるため、ペスト菌が飛ばされてしまって感染が生じなかったのです。

    こうしてユーラシア大陸から、支配層であるモンゴル人たちがいなくなりました。
    また、城塞都市の民衆のほとんどが死滅してしまいました。
    こうして、かつてユーラシア大陸を席巻したモンゴルの大帝国は消滅していきます。

    ちなみにこのとき、誰も居なくなった南京に、ペストに罹患しなかった者たちだけで勝手に入り込んだのが、貧農の子であった朱元璋が率いる暴徒の一味で、カラスが鳴いているだけの「誰もいない都」に入って、勝手に「皇帝」を名乗り、これからはモンゴルの支配ではない明るい国を創るのだ、といって出来た国が「明国」です。

    さて話をもとに戻しますが、感染症によって8割の人口が失われ、経済も生活も破壊され、国までなくなってしまったのです。
    こうなると、困るのが石屋さんたちです。
    なにしろ、それまでの通貨は、モンゴル帝国という大帝国がお墨付きを与えてくれていた《交換価値を保証してくれていた》からこそ、価値のあった紙切れです。
    その紙切れが、国が失くなるとどうなるかというと、ただの紙切れになります。

    では何が交換価値を持つようになるのかというと、それが金《GOLD》でした。
    そしてこの時代、大量の金《GOLD》を持っていたのが、中東にあったオスマン・トルコでした。
    オスマン・トルコというのは、オスマン家がリーダーとなっている多民族国家です。
    イスラム教国ではありますが、イスラム教というのも、一枚板ではなくて、さまざまな宗派があり、必ずしも統一されているわけではない。つまりそこには同じイスラム教徒同士での対立もあれば闘争もあるわけです。
    にもかかわらずオスマン家が、中東一帯を統一できたのは、なぜでしょうか。
    実はここに、日本が関係してきます。


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  • 変わる価値観、変わらない価値観


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    失われた30年と言いながら、私達日本人は、その間に、モノよりも心、ハードよりも心地よさを重視する社会を形成してきているのではないでしょうか。
    そしてこれからはじまるAIの時代、人々に求められるものは、むしろそうした日本的な価値観といえるのではないでしょうか。

    20210428 国会議事堂
    画像出所=https://www.sangiin.go.jp/japanese/70/70-1.html
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    国会議事堂が火事で全焼したことがあります。
    いまから130年前、明治24年(1891年)のことです。

    当時の国会議事堂は、いまの永田町ではなく、東京・霞ヶ関にありました。
    いまでは経済産業省が建っているその場所に、明治23(1890)年11月に国会(仮)議事堂が建設されました。
    それが冒頭の写真です。
    この霞ヶ関の仮議事堂で、日本初の国会である「第一回帝国議会」が開催されました。

    その国会議事堂が、建てた翌年1月に、早くも火事で全焼してしまうのです。
    原因は「漏電」です。

    いまでは、多くの日本人は、電気は空気のように「あたりまえにあるもの」と思っています。
    けれど明治半ばのこの当時、まだ電気はたいへんめずらしいものでした。
    なにせ、日本人がはじめて電気を見たのが、明治15(1882)年のことです。
    この年の11月1日に、銀座2丁目に、アーク灯が点灯したのが最初です。

    下の絵は、当時の模様の錦絵ですが、学校の教科書の文明開化のページでご覧になられた方も多いかと思います。

    東京銀座通電気燈建設之図
    東京銀座通電気燈建設之図


    それまで行燈(あんどん)や提灯(ちょうちん)しか夜の照明がなかった日本にはじめて、ローソクにしたら4000本分の明るさの明かりが灯ったわけで、銀座の町は、連日、見物客で大にぎわいになったそうです。
    この電気街灯は、翌年には京都の祇園に、翌々年には大阪の道頓堀にも設置されています。


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  • ものすごくわかりやすくDSと世界の歴史を俯瞰する(1)紙幣誕生


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    石屋さんが、それぞれの城塞の城主の貸し借りの資金決済の代行をするようになりました。そしてその石屋さんのことを、英語でメイソン( Mason)または、石(ロック・Rock)のフェラー(屋・Feller)と言いました。

    20210518 モンゴル帝国の最大版図
    画像出所=https://sekainorekisi.com/download/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%B4%E3%83%AB%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%9C%80%E5%A4%A7%E9%A0%98%E5%9F%9F%E5%9C%B0%E5%9B%B3/
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    小名木善行です。

    ものすごくわかりやすくDSと世界の歴史を俯瞰してみたいと思います。
    詳しく書くと、ものすごく長い(1冊の本になる)内容ですので、途中の要所要所は、かなりはしょっていますが、それでも、日頃ねずブロの読者の方なら、ご理解いただけるものと思います。

    さて、いわゆる通貨としての貨幣が、流通するようになったのは、13世紀にモンゴルの大帝国がユーラシア大陸を席巻したおかげといわれています。
    もちろん、それ以前にも貨幣はありましたが、それが王侯貴族たちだけのものでなく、広く一般に流通するようになったのが、元の時代であったわけです。

    モンゴル帝国の時代というのは、ユーラシア大陸内に現代のような国境線が存在していたのではなくて、内陸部の要所要所に城塞都市があったというだけの時代です。
    これは現代人にはわかりにくかもしれませんので、すこし補足しますと、大陸の内陸部というのは、水がありません。
    ですから飲料水が湧く場所(オアシス)に、いつしか人々が集まり、そこに集落をつくりました。
    人は移動する(動く)生き物ですから、大陸内部は人々が往来します。
    その往来には、人々が生きるための水が欠かせません。
    ですから自然、オアシスは旅人や交易商人、あるいは盗賊の一味などもやってくる場所になったわけです。
    そこでオアシスを囲む人々が、自衛のために築いたのが、城塞都市であった、というわけです。

    ですから当時の国家といえば、その城塞都市そのもののことを言うのであって、いまのような国境線を持つ国家とは、国家の形がずいぶんと違っていたわけです。

    モンゴル帝国は、そんな城塞都市を次々と攻略して、都市を傘下におさめ、ユーラシア大陸内に広大な国家を築きました。
    そして、政府した城塞には、王としてモンゴル人を、各都市に3人ずつ送り込みました。
    たった3人でどうしてひとつの国家を治めることができたのかというと、その3人に万一のことがあったときには、元の大帝国が総力をあげてその都市にやってきて、城内に住む者全員を皆殺しにしたのです。
    ですから当時、各都市に配属されたモンゴル人に逆らう者は、誰もいませんでした。

    モンゴル帝国は、各都市の宗教も結社も商業も思想さえも、まるごと認めていながら、いっさいトラブルを起こさなかったのは、税さえちゃんと払っていれば、あとは城塞内の人々が自由に暮らすことを認め、同時に一切のモンゴル族に対する反論や反撃を許さなかったから、ということができます。
    現代の世界では、宗教や思想が国家対立や暴動の引き金となり、そのために無辜の民の命が犠牲になり、またそうした対立で荒れる国々の人々が、悲惨なほどに貧しい生活を余儀なくされていますが、モンゴル人に逆らいさえしなければ、あとは一切自由という世界と、自由であるという思想によって対立が生まれている現代と、果たしてどちらが平和で豊かな世界であったのかは、議論の価値のあるものであるといえるかもしれません。



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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: nezu3344@gmail.com
電話:080-4358-3739
出身:静岡県浜松市
住所:千葉県野田市
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「明治150年真の日本の姿」、「日本と台湾の絆」、「奇跡の将軍樋口季一郎」、「南京事件は4度あった」、などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。
日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
《著書》
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦
『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』
『誰も言わない ねずさんの世界一誇れる国 日本』
最新刊
『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』
『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』

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