• 静御前と安達清常のお話(総集編)


    ◆次回倭塾は6月26日(土)開催です。
    13時30分講義開始、場所は東京江東区の富岡八幡宮婚儀殿です。
    https://www.facebook.com/events/469516267509745

    ◆◆ニュース◆◆
    新刊『日本建国史』発売中。
    https://amzn.to/2LuOGgX

    Amazonベストセラー1位(古代日本史)


    800年以上も昔の女性ですが、いまもなお、多くの日本人から愛され続けている静御前。
    義経との愛の日々。
    悲しい吉野のお山での別れ。
    満開の桜の下で行った、たったひとりでの女の戦い。
    彼女は、自分が殺されることを覚悟のうえで、義経を慕う歌を歌い、舞ったのです。
    敵側でありながら、静御前に深く同情を寄せた北条政子。
    頼朝の深い思いを察して、人としての道を貫いた安達清常。
    我が子を信じぬいた実母の磯禅尼。
    静御前の物語は、千年の時を超えて、いまも昔も日本人の心は変わらないものであることを教えてくれます。

    静御前《上村松園画》
    20180105 静御前



    人気ブログランキング
    応援クリックこちらから。いつもありがとうございます。

    歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
    小名木善行です。

    拙著『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人第二巻』、『日本建国史』でもご紹介した静御前と安達清常のお話です。
    およそ1万字(読了におよそ30分)の長文ですが、お時間のある方には是非、お読みいただきたいものです。
    特にラストのところは、深い感動があると思います。

    ─────────
    流転の旅と吉野山中の別れ
    ─────────
    よく時代劇などで、大奥のお女中たちなどが、忍び込んだ曲者に気がついて、薙刀を持って頭に鉢巻を絞め、
    「曲者でございます。お出会えそうらえ」などといって廊下をバタバタと走る姿などが描かれます。
    武家の娘といえば、まさに薙刀が定番だったわけですが、なぜ、江戸時代の武家の娘さんたちが薙刀を習ったかというと、実は、静御前への憧れからきていたといわれています。

    静御前といえばいまでいうダンサーである白拍子だった人であり、源義経とのロマンスが有名ですが、同時に彼女は当時の世を代表する薙刀の名手でもあったのです。
    武家の女性たちにとって、まさに静御前は永遠の憧れだったし、だからこそ、彼女たちは静御前に倣って、薙刀を学んだのです。おそらく静御前は、日本史上もっとも多くの女性から愛され続けた女性であろうと思います。

    実は、この薙刀、たいへん強力な武器です。相当腕の立つ剣道の達人でも、女性の扱う薙刀の前に、手も無くやられてしまうことがあります。
    そういう意味では、江戸の武士たちは、もっとも強力な武器をむしろ女性たちに与え、自分たちはそれより弱い、大小二本の刀を腰に差していたともいえるわけです。

    ちなみに大小の刀二本を差したのには、理由があります。
    大刀は、もちろん相手を斬るためです。
    そして小刀は、その責任をとって自らの腹を切るためのものとされていました。
    武士は斬捨御免だったなどと言われますが、実は、人を斬れば、自分も責任をとって腹を切る。
    それが武士の覚悟というものでした。

    さて、静御前は飢饉の際に「雨乞い神事」を行い、ただひとり雨を降らせることができた「神に届く舞」を踊れる白拍子として、後白河法皇から「都一」のお墨付きをいただいた女性です。
    この神事のとき、後白河法皇の側にいた源義経は、静御前のあまりの美しさに心を打たれ、その場で御前を妻に娶ることを願い出ました。以来二人はずっと寝起きをともにします。

    けれど京の都で雅な生活をする義経は、鎌倉にいる兄の源頼朝に疎まれ、ついに京を追われてしまいます。
    京を出た義経一行は、尼崎から船に乗って九州を目指すのですが、暴風雨に遭って船が難破してしまい、一行は散り散りになってしまいます。

    嵐の中でも、決して手を離さなかった義経と静御前は、一夜開けて芦屋の里に漂着します。
    九州落ちが不可能となったため、生き残った弁慶や源有綱、堀景光らと一緒に、陸路で大和へと向かいます。目指すは奥州平泉です。

    大和の吉野山に到着した義経らは、吉水院という僧坊で一夜を明かします。
    そこからは、大峰山の山越え路です。
    ところが問題がありました。大峰山は神聖な山で、女人禁制なのです。
    女の身の静御前は立ち入ることができません。
    やむなく義経は、静御前に都へ帰るようにと告げます。

    「ここからなら、都もさほど遠くない。これから先は、ひどく苦しい旅路ともなろう。そなたは都の生まれ。必ず戻るから、都に帰って待っていておくれ」
    それを聞いた静御前は、「私は義経さまの子を身ごもっています」と打ちあけます。
    そして、「別れるくらいならいっそ、ここで殺してください」と涙ぐみます。
    このときの静御前は、鎧をつけ大薙刀を持っています。
    鎧姿に身を包み、愛する人との別れに涙する絶世の美女、泣かせる場面です。

    ここでひとこと注釈を挟みます。大峰山は、たしかに女人禁制の山です。
    しかし、義経一行は、頼朝に追われた逃避行です。
    いわば緊急避難行動中です。
    たしかに静御前は女性ですが、大峰山に入る姿を誰かに見られているわけではありません。
    関所があるわけでもありません。つまり、女人禁制とはいっても、女性を連れて入ろうとすれば、いくらでも入ることができる状態でもありました。
    人が見ていなければ、見つからなければ、何をやってもいいと考えるのは、昨今の個人主義の弊害です。
    昔の日本では、人が見ていようが見ていまいが、約束事は約束事、決まりは決まりです。

    たとえどんなに愛する女性であっても、たとえ口の堅い部下しかそこにいなかったとしても、誰も見ていなくてもお天道様が見ている。そう考え、行動したのがかつての日本人です。
    だから義経は静御前に「都へ帰りなさい」と言ったのだし、御前もその義経の心中が分かるからこそ、禁制を破るより「殺してください」と頼んでいるのです。
    義経は泣いている静御前に、いつも自分が使っている鏡を、そっと差し出しました。

    「静よ、これを私だと思って使っておくれ。そして私の前で、もう一度、静の舞を見せておくれ」愛する人の前で、静御前は別れの舞を舞います。
    目に涙を浮かべいまにも崩れ落ちそうな心で、静御前は美しく舞う。
    それを見ながら涙する義経。
    名場面です。

    静御前が舞ったときの歌です。

     見るとても
     嬉しくもなし
     ます鏡
     恋しき人の
     影を止めねば

    「鏡など見たって嬉しくありません。なぜなら鏡は愛するあなたの姿を映してくれないからです......」
    義経一行は、雪の吉野山をあとにしました。その姿を、いつまでもいつまでも見送る静御前。
    一行の姿が見えなくなった山道には、義経たちの足跡が、転々と、ずっと向こうのほうまで続いています。
    文治元(一一八五)年十一月のことです。

    この月の十七日、義経が大和国吉野山に隠れているとの噂を聞いた吉野山の僧兵たちが、義経一行の捜索のために山狩りを行いました。
    夜十時頃、藤尾坂を下り蔵王堂にたどり着いた静御前を、僧兵が見つけます。
    そして執行坊に連れてゆき尋問しました。
    荒ぶる僧兵たちを前にして、静御前はしっかりと顔をあげ、

    「私は九郎判官義経の妻です。私たちは、一緒にこの山に来ました。
    しかし衆徒蜂起の噂を聞いて、義経様御一行は、山伏の姿をして山を越えて行かれました。
    そのとき、数多くの金銀類を私に与え、雑夫たちを付けて京に送ろうとされました。
    しかし彼らは財宝を奪い取り、深い峰雪の中に、私を捨て置いて行ってしまったので、このように迷って来たの です」と述べます。

    翌日、吉野の僧兵たちは、雪を踏み分け山の捜索に向かいました。一方、静御前は鎌倉へと護送されます。
    鎌倉に護送された静御前は、厳しい取り調べを受けますが、義経の行き先は知りません。
    知らないから答えようもありません。
    やむなく頼朝は、彼女を京へ帰そうとしますが、このとき彼女が妊娠五カ月の身重であることを知ります。
    このため出産の日まで、静御前を鎌倉にとどめ置くことになりました。


     最新刊
     

    続きを読む
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    \  SNSでみんなに教えよう! /
    \  ねずさんの学ぼう日本の最新記事が届くよ! /

    あわせて読みたい

    こちらもオススメ

検索フォーム

ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: nezu3344@gmail.com
電話:080-4358-3739
出身:静岡県浜松市
住所:千葉県野田市
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「明治150年真の日本の姿」、「日本と台湾の絆」、「奇跡の将軍樋口季一郎」、「南京事件は4度あった」、などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。
日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
《著書》
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦
『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』
『誰も言わない ねずさんの世界一誇れる国 日本』
最新刊
『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』
『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』

スポンサードリンク

カレンダー

05 | 2021/06 | 07
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 - - -

最新記事

*引用・転載・コメントについて

ブログ、SNS、ツイッター、動画や印刷物作成など、多数に公開するに際しては、必ず、当ブログからの転載であること、および記事のURLを付してくださいますようお願いします。
またいただきましたコメントはすべて読ませていただいていますが、個別のご回答は一切しておりません。あしからずご了承ください。

スポンサードリンク

月別アーカイブ

ねずさん(小名木善行)著書

ねずさんメルマガ

ご購読は↓コチラ↓から
ねずブロメルマガ

講演のご依頼について

最低3週間程度の余裕をもって、以下のアドレスからメールでお申し込みください。
テーマは、ご自由に設定いただいて結構です。
講演時間は90分が基準ですが、会場のご都合に合わせます。
E-mail nezu3344@gmail.com

電話  080-4358-3739

スポンサードリンク

コメントをくださる皆様へ

基本的にご意見は尊重し、削除も最低限にとどめますが、コメントは互いに尊敬と互譲の心をもってお願いします。汚い言葉遣いや他の人を揶揄するようなコメント、並びに他人への誹謗中傷にあたるコメント、および名無しコメントは、削除しますのであしからず。

スポンサードリンク