凝り固まった頭や、従来の歪み(貨幣経済も行き過ぎると歪みになります)に拘泥されず、意見に惑わされないで、しっかりと事実を見極める。 そうしたことの訓練のために、歴史があり、古典があります。それは現在の問題を解決し、より良い未来を啓(ひら)く知恵です。 |

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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
よく言われることに、
「根拠となる出典を示せ」というものがあります。
大学等で論文を書く場合、この「根拠となる出典」は、論文に必ず必要になるとされています。
これが書かれていないだけで、論文としては不適切と言われたりもします。
なるほど、何らかの論を述べる場合に、その「根拠」は必要です。
それがなければ、ただの「思い込み」や、「ジジイのたわごと」の域をでなくなるからです。
問題は、その「根拠」と「出典」が並列にされている点です。
「根拠」は、論拠となる「事実」のことを言います。
「出典」は、多くの場合、その「事実」から導き出された論を述べたものです。
そして「論」というのは、その人の「意見」のことです。
意見というのは、人それぞれです。
100人の人がいれば、100通りの意見があるのが普通です。
あたりまえです。人それぞれ、感じ方が違うからです。
出典となるものは、多くの場合、先に誰かが書いたもののことを言います。
書かれたものというのは、たくさんの意見を含みます。
あるレストランを、「おいしい」と感じて、そのように書く人もいれば、店の感じが悪いと書く人もいます。
ブルーノ・マーズは、世界的人気のミュージシャンですが、彼のミュージック・:ビデオの動画をyoutubeで観ると、人気の動画は全世界で42億回も再生されています。
https://youtu.be/OPf0YbXqDm0動画を御覧頂いたらわかりますが、いいねの数が1698万件、でも、良くないねが96万件あります。
42億回再生され、世界で1698万人の人が、素晴らしい!と思ったのに、わざわざこの動画を見に来た人のなかで96万人は、良くない!と感じたのです。
これが何を意味しているかというと、ひとことでいうなら、「意見は人それぞれ」ということです。
意見は、単に「自分はこう思う」というものにすぎません。
歴史でいうなら、事実と呼べるものは、「西暦1600年に関ヶ原で東軍と西軍の激しい戦いがあったことが複数の史料で確認できる」ということだけです。
このとき、なぜ家康がこの戦いを挑んだのか。
諸説ありますが、それらはすべて、意見です。
あるいは幕末に動乱があったことは、様々な史料で確認できます。
けれどこのときの争いが、「尊王攘夷派と、佐幕開国派に分かれて国論を二分した争いであった」とするものは、これは単に意見にすぎません。
なぜなら、幕府もまた尊王であったといえるからです。(←これもまた意見です)
もちろん、そうした意見をもとに、自分の考えを構築することもできます。
しかし、そうやってきたけれど、問題の解決ができなくなった、あるいは、どうにも矛盾が広がってしまってきた・・・このようなことが起こります。
要するにボタンの掛け違えです。
家康が、権力欲しさに関ケ原の戦いを起こしたのだ、という意見が、戦後の一時期を席巻したけれど、少し考えたらわかることだけれど、当時の大名というのは、それぞれが独立採算です。
権力に取り憑かれて頭のおかしくなった爺ぃの言うことなど、誰も聞く耳持ちません。
それぞれが家臣を抱え、領民の幸せに責任を持っているのです。
ジジイのたわごとにつきあっているヒマなど、あると考えるほうが、むしろ異常です。
そうであれば、では事実はどうであったのか、この時代に、何が起きたのか、それを原点に帰って知りうるかぎりの事実を調べる。
そうして得られた事実をもとに、歴史を再構成してみる。
すると、従来言われてきたことと、まったく別な関ヶ原の戦いの意図が見えてきます。
では、そのまったく別な関が原の戦いの意図は、どこかに書いてあるか、誰かが述べているのかというと、それはない。
そうであれば、出典など出しようもない。
ここで重要なことは、その「どこかで誰かが書いた出典」なるものが、歴史上の事実のことを言っているのではなく、事実を基に誰かが構築した意見のことを言っている、ということです。
つまり、これは
「他人様の意見、すでに誰かが述べた意見を論拠にしなければ、自分の意見を持ってはいけない」
と言っているのに等しい。
これを古い言葉で、「屋上屋を架す」といいます。
たいせつなことは「事実」です。
「三別抄(さんべつしょう)は高麗の正規軍で、元寇を遅らせた」と述べる人がいます。
言っているのが、れっきとした肩書のある先生であり、そう書いた本も出ています。
けれど、事実を調べてみると、その三別抄は、元と高麗の正規軍によって、全員逮捕され、処刑されています。
三別抄が正規軍なら、どうして正規軍によって討伐されているのでしょうか。
そもそも三別抄の「抄」という字は、もともとの「盗む、没収する、ひったくる」という意味の漢字です。
つまり「三つに別れた抄」というのは、三つの強盗団、野盗団のことをいうのです。
名前に、ちゃんとそう書いてある。
にもかかわらず、三別抄のことと誰かが「立派に元と戦った高麗の正規軍であったのだ」と書いているから、その説に則ってでしか意見を述べることができないのでしょうか。
あまりにも馬鹿げた主張であるとしか言いようがありません。
根拠というのは、事実に基づく判断のことを言います。
そもそも事実認定に不備があって、ちょっと考えただけで、誰にでも「おかしい」とわかるようなことを、論拠にしなければならない、という方が、どうかしているのです。
もちろん、だからといって、何の根拠もなしに、デタラメを述べて良いということにはなりません。
あくまで、認定された事実に基づいて判断する。
そしてこのとき、事実を意見をしっかりと分けて考える。
実はこれは、よく知られた「問題解決の技法」です。
問題はつねに、これまのやり方から生じているわけです。
そうであれば、それまでのやり方の延長線上には、同じ問題が必ずある、ということになります。
だから、原点に帰って、事実だけを拾い集めて、それを問題解決のために再構成する。
そうすることで、同じ問題が二度と起こらないようにしていく、という、古典的問題解決法です。
戦後の日本が、日本的精神性を失ってしまっていると、よく言われます。
そうであれば、あらためて日本的精神性を、歴史や古典に求め、それらを再解釈していく。
当然、従来とは異なったアプローチになるし、ことなる回答が生まれます。
その回答を、強制する気はまったくありません。
そんな次元の低い話ではなく、
「これまでこのように言われていたけれど、
誰が考えても、それっておかしいよね。
そこで事実に基づいて再考してみると、
こういう見方もできるよね」というのが、ねずブロであり、私の出演している動画における主張です。
それよりも、誰かが言っていることが真実であり、その真実以外は一切認められないという考えこそ、異常です。
これを全体主義、ファシズムと言います。
もちろん、そういう全体主義が好きな人もいます。
だから、そういう人たちを否定しようとは思いません。
でも、自分では、そうはなりたくないし、そういう人たちとは、あまりお友達になりたくない(笑)
もっと、常に、自由でありたい。
私はそのように思っています。
実は、情報化社会の中で、いちばん大切なことがここにあります。
「事実」を正確に掴み取ることです。
たとえば、スマホを利用していると、情報を全部抜かれるという心配があります。
事実は何かというと、クラウド上にスマホのデータが全部アップロードされるという現代の仕様にあります。
ということは、サーバーの管理者は、それらのすべてのデータにアクセスできるわけです。
恋人のヌード写真をこっそりスマホに入れていたら、それは(すくなくともサーバー管理者にとっては)公開情報と同じで、ぜんぶ見れてしまうのです。
それが嫌だからと、スマホを持たないという選択もありますが、あと50年もすれば、人はその精神を、直接ネットに接続することができるようになります。
100年もしたら、あらゆるセキュリティは無効になる。
するとどうなるかというと、現代の感覚で言ったら、銀行口座にある残高のすべてが人類にとっての共有財産になる、ということです。
つまり、1億円のベンツがほしいと思ったら、誰でも買える。ホームレスでも買えてしまうことになります。
お金は使いたい放題になるのです。
欲しいものは何でも手に入る。
それは誰もが、そのようになるわけです。
人は、手に入らないから欲しいと思うのです。
手に入ると、すぐに飽きてしまう、そんなことは、昔からよく言われていることです。
ネット上にある情報(お金も情報の内です)のすべてが、人類の共通財産になるとすると、価値あるものは、むしろお金では買えないものになっていくと考えられます。
つまり、時代はこれから大きく変化していく。
その変化のための道筋をどう付けるかが、これからを生きる人々にとって重要なことになるし、そのことについての積極的な議論が、現代の最先端の課題となるわけです。
凝り固まった頭や、従来の歪み(貨幣経済も行き過ぎると歪みになります)に拘泥されず、意見に惑わされないで、しっかりと事実を見極める。
そうしたことの訓練のために、歴史があり、古典があります。
それは現在の問題を解決し、より良い未来を啓(ひら)く知恵です。
こうしたことが「事実」と「意見」を混同すると、まったく見えなくなる。
ゆめゆめ気をつけたいところです。
お読みいただき、ありがとうございました。
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