いち官僚にすぎなかった笠金村が、わが国の国柄を歌にしています。西洋で国家が認識されるようになったのは、なんと18世紀以降のことです。わが国では、万葉の昔の1〜8世紀に、すでに国をひとつの家や家族にたとえる、国家観が存在したのです。これは世界史的に見ても、すごいことです。 |
吉野離宮(復元模型)

画像出所=http://www1.kcn.ne.jp/~uehiro08/contents/parts/15_2006_8_13_0990L.htm
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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
万葉集の巻六に、笠金村(かさのかなむら)という人の長歌(ながうた)があります。
滝の上(へ)の
御舟(みふね)の山に
水枝(みずゑ)指(さ)し
四時(しじ)に主(きみ)有り
栂(とが)の木の・・・笠金村という人は、元正天皇の時代から聖武天皇の時代にかけて活躍した歌人という以外、詳しい経歴等はわかっていません。
この歌は、養老七年(723)五月の元正天皇の吉野離宮への行幸のときに詠んだ歌と題詞(ことばがき)にあります。
行幸に同行したということですから、朝廷の舎人(とねり)のひとりだったのでしょうか。
いまでいうなら、中央省庁の公務員のひとりであったということになるのかもしれません。
吉野離宮は、奈良県吉野郡吉野町あたりに置かれた離宮で、天武天皇、持統天皇がたいへんに愛された離宮です。
とりわけ持統天皇はこの離宮に御在位中から御在位後まで都合33回も行幸されています。
長歌(ながうた)というのは、五七五七という音調が繰り返され、末尾を七七で締める歌です。
他の万葉集の歌もそうなのですが、歌はすべて漢字で書かれています。
読み方というのは付属していないので、後世の人が漢字をさまざまに読み下しているのですが、一般的な翻訳本では、この歌の冒頭と同じ場所の読み方を
滝のほとりの(7字)
三船の山に(7字)
みず枝さし(5字)
しじに生いたる(7字)
とがの木の(5字)としていて、これ以外のところもそうなのですが、長歌の五七五七の韻律を踏襲していません。
踏襲しなければ歌にならないので、残念ながらこれまでの訳は不十分であったかもしれない可能性があります。
冒頭の読みは、これをねず式で修正したものです。
はじめに題詞から反歌までの原文の全部を示すと次通りです。
【題詞】養老七年癸亥夏五月、幸于芳野離宮時、笠朝臣金村作歌一首并短歌
滝上之 御舟乃山尓 水枝指 四時尓主有 刀我乃樹能 弥継嗣尓 万代 如是二三知三 三芳野之 蜻蛉乃宮者 神柄香 貴将有 国柄鹿 見欲将有 山川乎 清々 諾之神代従 定家良思母
【反歌二首】
毎年 如是裳見壮鹿 三吉野乃 清河内之 多芸津白浪
山高三 白木綿花 落多芸追 滝之河内者 雖見不飽香聞先に一般的な解釈を示します。
【題詞】養老七年癸亥夏五月に、芳野の離宮に幸(いでま)しし時に、笠朝臣金村の作れる歌一首并せて短歌
滝のほとりの三船(みふね)の山に、みずみずしい枝を広げていっぱいに生い茂っている「とが」の木のように、つぎつぎ重ねて万代に、こうしてお治めになるであろう、このみ吉野の秋津(あきつ)の宮は、神の御心ゆえ貴いのだろうか、国柄ゆえ見飽きないのだろうか、山も川もすがすがしいので、どおりで神代以来、ここに宮を定められたらしい。
【反歌二首】
・毎年来てこうして見たい。み吉野の清い河内の激しく落ちる白波を
・山が高くて白木綿花(しらゆうのはな)のように激しく落ちる滝の河内は、見ても飽きないいまひとつ納得できないのは、これでは長歌が「吉野の離宮は神秘的な場所ですね」と述べているにとどまり、反歌もただ吉野離宮は見飽きませんと述べているだけのように思えるからです。
もしそれだけの歌というのなら、反歌はこの場合必要がなくなります。
また原文の「滝上之」は、どうみても「滝の上」と書かれているのに、一般的な解釈は「滝のほとり」です。
上でもほとりでも、どちらでも良いように思われるかもしれませんが、作者の意図を正確に読み取ろうとするなら、はじめの段階で違う訳にしてしまうのは、いかがなものかと思います。
また「四時尓主有」は、これを「しじに生(お)いたる」と読み下し、意味も「つぎつぎ重ねて万代に」としていますが、もともと「四時」というのは古語で春夏秋冬の四季のことを表し、また「主」はこの場合は御神霊の宿る場所を指すと解釈できます。
他にもいろいろとあるのですが、長くなってもいけませんので、先にこの歌の全文を再解釈した意味と、五七調に読み下した文を示します。
個々の語が、なぜそのような意味なるかは、末尾の語釈をご参照ください。
《意訳》【題詞】養老七年癸亥夏五月に、芳野の離宮に幸(いでま)しし時に、笠朝臣金村の作れる歌一首并せて短歌
吉野の離宮の滝の上にある三船山には、
光沢があってみずみずしい栂(つが)の木の枝があって、
一年中、御神霊が宿る場所のようです。
公であり他に侵されることのない栂(とが)の木のように、
天皇を国家最高権威とあおぐ知らす統治は、
千年も万年もこのまま受け継がれて行くことでしょう。
天皇が行幸されるかぐわしい吉野の離宮は、
神々の御心のままに貴(たっと)く、
わが国の国柄もまたいつまでも
見届けていたいと思う山川のすがすがしさに似ています。
それは神代からずっと定められたものです。
【反歌】
・毎年来来て見たいものですね。吉野の清い渓流の白波に。
・高い山の山中に、まるで白い木綿(もめん)のように流れ落ちる滝は、何度見ても飽きません。《再解釈した読み》【題詞】養老七年癸亥夏五月に、芳野の離宮に幸(いでま)しし時に、笠朝臣金村の作れる歌一首并せて短歌
滝の上(へ)の
御船(みふね・三船)の山に
水枝(みづゑ)指(さ)し
四時(しじ)に主(きみ)有り
トガ(栂)の木の
弥(や)を継嗣(つぎつぎ)に
万代(よろづよ)の
かくに知(し)らさむ
御吉野(みよしの)の
蜻蛉(あきつ)の宮は
神柄(かむから)香(か)
貴(たふと)くありて
国柄(くにがら)か
見(み)ほせは有るは
山川(やまかは)を
清々(すがすが)しきは
諾(むへ)の神代(みよ)より
定(さだ)めけらしも
(反歌)略このときの元正天皇の吉野行幸は、天皇が次の天皇として、実弟の子である聖武天皇をご指名されたおめでたい行幸です。
この行幸にお供した笠金村(かさのかなむら)が皇統が万世に続くことを寿いで詠んだのが、この長歌と短歌です。
そして万葉集の巻六は、おおむねこの聖武天皇を讃(たた)える歌で占められています。
その第一番目にある歌が、この笠金村の歌です。
ですからその笠金村の歌が、単に「吉野の離宮は神秘的な場所ですね、吉野離宮は見飽きませんね」と詠んでいるだけの歌というのは、巻六の意味合いからしても、ありえないのです。
このとき行幸された元正天皇は、歴代のご皇族の女性の中でも群を抜くお美しさであったと伝えられています。
また『続日本紀』には、元正天皇が「慈悲深く落ち着いた人柄であり、あでやかで美しい」と記されています。
そして元正天皇の御世に『日本書紀』が完成し、また藤原不比等が養老律令の編纂を開始しています。
偉大な、そして立派な天皇であられたのです。
ちなみに元正天皇は、同じく女性であり母でもある元明天皇から皇位を継がれています。
女性天皇が二代続いたわけですが、母の元明天皇は天智天皇の子であり、元正天皇は天智天皇の子の草壁皇子の子です。
つまり元明天皇、元正天皇の、どちらも男系の天皇です。
女性が天皇になることはありますが、なぜ男系であることが重視されてきたのかには理由があります。
それは、わが国では古代から「人の肉体(身(み))には霊(ひ)が宿る」とされてきたことによります。
別な言い方をすると「肉体には必ず魂が宿る」のです。
このことを前提として、子を産むことができるのは女性だけです。
つまり女性の「身(み)」が、赤ちゃんを産みます。
その赤ちゃんに「霊(ひ)」を授けるのが男性の役目です。
すこしきわどい言い方になりますが、古代の考え方の節目ですのでご容赦ください。
男性は「たま」で「魂(たま)」をつくります。
その「魂(たま)」を女性の胎内に挿(さ)し入れることで、赤ちゃんは魂(たま)を授(さず)かります。
皇統は、わが国最高神の天照大御神から続く御神霊(ひ)の流れです。
それが天皇が国家最高権威とされる最大の要素です。
ですから皇統というのは、「身」の血統ではなくて、霊(ひ)の霊統です。
そして霊(ひ)は男性が授けるものですから、男系であることが天照大御神からの霊統を保持することになります。
これは皇位を継ぐ人が女性であっても構いません。
なぜなら女性に生まれてきたとしても、男系の霊(ひ)が保持されているからです。
これが女性天皇が歴史上に存在する理由です。
ところがその女性が、他の家系の男性と結婚して子が生まれると、その子は天照大御神からの霊統ではなく、別な霊統の霊(ひ)を授かっていますから、天照大御神からの霊統が途切れることになります。
これが女系天皇で、歴史上、わが国に女系天皇が誕生したことは一度もありません。
近年ではこことの正しさが、Y遺伝子の継続ということから理論的にも証明されるようになりました。
古代の人達は、Y遺伝子などわからない話ですが、それに変わる古代なりの理論構成がちゃんとあったわけです。
そしてこのことが理由となって、何ごとも霊(ひ)が上、身(み)が下と考えられるようになりました。
いまでも神社で参拝するときに二礼二拍一礼をしますが、この二拍のときには、両手を合わせたあと、右手を左手の第一関節まで少しだけ下げます。
つまり「霊(ひ)=左」を上にします。
理由は、参拝が「神々と、みずからの霊(ひ)との対話」だからです。
対話するのは自分の魂である霊(ひ)ですから、霊(ひ)(左)を少し出して、身(み)(右)をすこし引くのです。
同様に、左大臣と右大臣なら、左大臣(ひ)が上です。
座る席は、天皇から見て左側に左大臣が座ります。
下座から見上げると、向かって右側に左大臣が座ることになります。
わが国は、7〜8世紀と19〜20世紀に、ともに外圧によって大きな歴史の転換期を迎えています。
そしてこの両時代に共通しているのが、天皇を中心とした世を取り戻すということでした。
その両方のお手本になったのが、神武天皇の御世であり、また仁徳天皇の治世でもあります。
わが国と天皇の御存在は、切っても切り離せない深い関係によって成り立っています。
わが国が皇国と呼ばれる、それが由縁(ゆえん)です。
笠金村の歌も、そうした時代の背景のもとに成り立っています。
そして、いち官僚にすぎなかった笠金村が、わが国の国柄をこうして歌にしています。
西洋で国家が認識されるようになったのは、なんと18世紀以降のことです。
わが国では、万葉の昔の1〜8世紀に、すでに国をひとつの家や家族にたとえる、国家観が存在したのです。
これは世界史的に見ても、すごいことです。
【語句の意味】『滝上之(たきのへの)』・・・滝の上の。この滝は吉野離宮の近くの滝と言われていますが、このあたりですと吉野町の北側に安産の滝、吉野川の上流を少し登ったところに蜻蛉の滝があります。どの滝のことかはわかりません。続く「御舟乃山」を考えれば、蜻蛉の滝か。
『御舟乃山(みふねのやまに)』・・・奈良県吉野町樫尾にある三船山
『水枝指(みつゑさし)』・・・光沢があってみずみずしい木の枝
『四時尓主有(ししにきみあり)』・・・四時は古語で春夏秋冬の四季のこと。主はこの場合神霊の宿る場所をいう。
『刀我乃樹(とかのきの)』・・・マツ科ツガ属の常緑針葉樹の栂(ツガ)の木。ツガはネズミに齧(かじ)られにくいという特徴があって、古来、建築物の敷居や鴨居などの見える場所に使われました。ここではおそらくツガが表向きに見えるところに使われる、つまり公(おおやけ)を象徴し、かつまたネズミに齧られない特徴から、決して侵されることがないことを象徴しているものと思われます。
『弥継嗣(やをつぎつぎに)』・・・弥はあまねく行き渡るの意で、それが継承され、あとを嗣(つ)がれていく
『万代(よろつよの)』・・・千年も万年も
『知(しらす)』・・・知(し)らす国は古語で天皇を国家最高権威にいただくこと
『三芳野之(みよしのの)』・・・吉野を芳野と書くことでかぐわしさを表す。
『蜻蛉乃宮(あきつのみや)』・・・あきつのみや。出会い広がりまた集う吉野の離宮
『神柄香(かむからか)』・・・神様の本性のままに香る
『貴将有(たふとくありて)』・・・重要で貴い
『国柄(くにからか)』・・・国の本性
『見欲将有(みほせはあるは)』・・・いつまでも見ていたいと思う
『山川乎(やまかはを)』・・・山川の
『清々(すがすがしきは)』・・・すがすがしい
『諾之神代従(むへのみよより)』・・・もっともなことに神代から
『定家良思母(さためけらしも)』・・・定められたらしい
(追記)この記事は『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』
https://amzn.to/34cLFq0の元原稿で、本からはページの都合でカットしたお話です。
万葉集の本では、こうした霊(ひ)のお話だけでなく、シラスの意味や、よろこびあふれる楽しい国としての豈國(あにくに)、隠身という語句の持つ大切さなど、古事記の本にも書かなかったわが国の国柄を知る上で必要なたくさんの事柄を、ことごとく記しています。
そうすることで、この本一冊で、万葉の歌だけでなく、わが国の国柄のもととなる知識をすべて得ることがでるように工夫しています。
※この記事は2019年10月の記事のリニューアルです。
お読みいただき、ありがとうございました。
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