• 下照比売(したてるひめ)の物語


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    『古事記』は、たとえ罪人としてお亡くなりになった方であっても、ただ悪人だった、裏切り者だったと軽んずるのではなく、「結果として謀反人になってしまったけれど、真剣な愛に生きたという良い面もあり、また妻に心から愛された男であった」とちゃんと書いています。
    ここに日本的思考の美しさの原点があると私は思っています。

    小灘一紀『下照比売命』
    20211031 下照比売命
    画像出所=http://nota.jp/group/kansaibeijou/?20150214020632.html
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    画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)



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    古事記の国譲り神話のところに、高天原から派遣されたキジを射殺した天若日子(あめのわかひこ)が、神罰によってお亡くなりになるシーンがあります。
    このときちょっと不思議なお話が書かれています。

    簡単に要約してみます。

    中つ国で亡くなった天若日子の妻の下照比売は、夫の死を悲しみ、その哭(な)く声は風とともに響いて高天原まで聞こえてきたのだそうです。
    これを聞いた天若日子の父の天津国玉神と、その妻子は、高天原から降りて来ると、哭き悲しんで、天若日子の亡くなったところに喪屋(もや)を作り、八日八夜、葬儀を行いました。

    この時、阿遅志貴高日子根神(あちしきたかひこねのかみ)が、天若日子を弔(とむら)うためにやってきました。
    すると天若日子の父や妻が、
    「我が子は死ななかった。
     我が君は死なずにいてくれた」と、みんなで阿遅志貴高日子根神の手足に取りついて哭(なげ)き悲しんだのだそうです。
    古事記はここで、「天若日子と阿遅志貴高日子根神の二柱の神の容姿がたいへんよく似ていたから間違えたのだ」と書いています。

    ところが阿遅志貴高日子根神は、これにおおいに怒り、
    「我は愛(うるは)しい友だからこそ弔(とむら)いに来た。
     なにゆえに吾(あ)を穢(きたな)き死人に比べるのか」
    と云うと、腰に佩(は)いた十掬劍(とつかのつるぎ)を抜いて喪屋を切り伏せ、バラバラになった喪屋を足で蹴散らし、そのまま忿(いか)って飛び去ってしまわれました。

    このとき、天若日子の妻である高比売命(たかひめのみこと)は、兄の御名(みな)を知らせようとして、次の歌を詠んだとあります。

    あめなるや おとたなはたの  阿米那流夜 淤登多那婆多能
    うなかせる たまのみすまる  宇那賀世流 多麻能美須麻流
    みすまるに あなたまはや   美須麻流邇 阿那陀麻波夜
    みたに ふたわたらす     美多邇 布多和多良須
    あちしきたかひこねのかみそや 阿治志貴多迦比古泥能迦微曾也

    そして古事記は、「この歌は夷振(ひなふり)といい、いまも楽器とともに演奏されている歌です」と、この歌にまつわる物語を〆ています。

    すこしやっかいなのですが、ここに出てくる下照比売と高比売命(たかひめのみこと)は、同じ女性のことです。大国主神と多紀理毘売命(たきりひめのみこと)との間に生まれた娘で、大国主神のところに、高比売命(たかひめのみこと)、またの名を下光比売命(したてるひめのみこと)と書かれています。
    そして天若日子と結婚するのですが、やってきた阿遅志貴高日子根神の実の妹でもあります。

    歌にある、
    「あめなるや」は、天上界にいるです。
    「おとたなはたの」は、若い機織り娘のです。
    「うなかせる」は、うなじ、つまり首に架けている、
    「たまのみすまる」は、宝玉を一本の緒で貫いた首飾り
    「あなたまはや」は、緒で穴を貫いた玉よ、
    「みたに」は、御谷、
    「ふたわたらす」は、二つの谷をわたる
    「あちしたかひこねのかみそや」は、阿遅志貴高日子根神や、です。
    これをもとに歌を訳すと以下のようになります。

     天上界においでになる若い機織り娘が首に架けている首飾り
     その首飾りの緒で貫いた宝玉は
     二つの美しい谷を渡る
     阿遅志貴高日子根神なのです

    この下照比売の歌について、多くの解説本が、兄の阿遅志貴高日子根神を讃えた歌だと解説しています。
    私は、違うと思います。
    なぜなら愛する夫を失った下照比売が、ただ兄を讃えただけというのでは、話が通じないからです。

    そもそも歌の中に「二つの美しい谷を渡る(美多邇 布多和多良須)」とあります。
    天上界のひとつの宝玉が二つに渡るというのは、天若日子の魂と阿遅志貴高日子根神が、同じひとつの御分霊であるということです。
    そしてその宝玉は「阿遅志貴高日子根神である」と詠んでいます。

    天若日子は神に背いたいわば犯罪者です。
    ですから直接その名を歌に詠み込めば、それは罪人を讃える(神に背く)ことになります。
    つまり「言えないこと」です。

    ところがその天若日子の御霊と、阿遅志貴高日子根神が同一の御分霊であれば、下照比売が阿遅志貴高日子根神を讃えれば、それは天若日子を讃えることになります。
    つまりこの歌は、残された妻の、夫への失われぬ愛が読み込まれているとわかります。

    本節の末尾には、「この歌は楽器とともに演奏される歌です」と書かれています。
    天若日子と下照比売の愛が、長く歌い継がれたのです。

    このように『古事記』は、たとえ罪人としてお亡くなりになった方であっても、ただ悪人だった、裏切り者だったと軽んずるのではなく、「結果として謀反人になってしまったけれど、真剣な愛に生きたという良い面もあり、また妻に心から愛された男であった」ということを、ちゃんと書いています。
    そしてそのことが歌となり、永く語り継がれているとも書いています。

    どんなに良くしてもらっても、戦いに破れたら手のひらを返したように、彫像までつくって通行人に唾をはきかけることを強要する国もあります。
    けれど『古事記』は、どこまでも、人の愛を尊重しているのです。
    それが日本のこころだと思います。
    そして人の愛を尊重する、あるいは活きる、ないしは認められる社会というものは、たいへんに民度が高い社会であるということがいえようかと思います。

    これは福沢諭吉が説いていることですが、民度が低く、誰もが自分の利益ばかりを追求するような国では、「咎人であってもその愛を尊重」するなどという甘いことは言ってられないからです。
    すこしでも甘い顔をしたら、すぐに民がつけあがって、自分の利益だけを声高に主張し、我儘を押し通そうとする。
    ですからそのような民を持つ国では、政府は厳罰主義で、一片の情のカケラもない苛斂誅求の辛き政府にならざるをえません。

    そしてそのような国では、政府が民の民度を信じる姿勢を見せれば見せるほど、民衆はつけあがり、一部の者だけが利権を貪り、その利権を貪る者が、心が貧しくなった民衆を扇動して、より一層、愚かな貪りをし抜くようなになります。
    悲しいことですが、そのような国においては、政府が民を人間と思ってはいけない。
    李承晩は、朝鮮戦争のときに自国民を片端から虐殺しました。
    朝鮮戦争による南朝鮮の死者は、北に殺された人の数より、自国の軍隊に殺された人の数のほうが圧倒的に多かったとも言われています。
    そしてそのことの罪を問う声は、いまだに国の内外からひとつもあがっていません。
    毛沢東も、1億人以上の自国民を殺したと言われています。
    けれど彼もその国、その民族にとっては「偉大な英雄」です。

    李承晩にしても毛沢東にしても、それぞれその本人にとっては、ある意味幸せで充実した生涯であったかもしれません。
    しかし、そうした人をリーダーに仰ぎ、そうした人の持つ政府によって虐殺されたり収奪されたり、あるいはかろうじて生き残っても、極貧生活を余儀なくされる国民、あるいは民衆にとって、その時代は幸せな時代であったということができるのでしょうか。

    なにより大切なこと。
    それは誰もが豊かに安心して安全に暮らせる。
    そういう社会なのではないでしょうか。
    そしてそういう社会であり、民族であればこそ、たとえ咎を受けたとしても、その夫を愛する妻の想いとその心が大切に尊重され、歌にまでなって、永く讃えられたのではないでしょうか。

    冒頭にある小灘一紀(こなだいっき)画伯の絵は、その下照比売です。
    小灘一紀画伯は、古事記を題材に様々な絵を書き、展示会等を通じて古事記の普及に携わっておいでの境港ご出身の洋画家です。
    どの絵も、とても美しい絵です。


    ※この記事は2016年8月の記事の再掲です。
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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
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昭和31年生まれ。浜松市出身。上場信販会社を経て執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。またインターネット・ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。「歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに」という理念を掲げ活動する。古事記・日本書紀・万葉集などの原文を丁寧に読み解き、誰にでも納得できる日本論を発信。

《著書》日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、その他執筆多数。

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