• 天智天皇・天武天皇・額田王は、いわゆる三角関係ではない


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    今回のお話の要点は表題の通りです。
万葉集をちゃんと読めば、ぜんぜん三角関係などではない。
思うに、日本を取り戻すためには、日本人が日本文化をもっとちゃんと知る必要があるように思います。
    日本人から誇りを奪い、日本人であることをむしろ恥じるようにしていく。
そうしたことが明治からはじまり、戦後にはとても大きな影響力を持つようになりました。
そのために学者さんたちまで動員されました。
しかし、百万遍唱えても嘘は嘘です。
一片の真実は、一瞬でそれまで蓄積された嘘を吹き飛ばす力があります。
なぜならそれが真実だからです。
日本は永遠に不滅です。

    20200613 額田王
    画像出所=https://www.jvcmusic.co.jp/-/News/A026554/6.html
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    小名木善行です。

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    天智天皇・天武天皇・額田王といえば、戦後、美しい女性の額田王をめぐって何やら三角関係にあって、あたかもこれが原因で壬申の乱が起こったかのように宣伝されました。
    このような下劣な説がまかり通るようになったのは、明治期に正岡子規らが「文明開化の時代なのだから、古典和歌からもっと自由になろうよ」という運動を興すに際し、古典和歌は決して高尚なものとはいえないという、ひとつの見方を示したことがそもそものきっかけです。
    明治の文学界は、江戸期の文化否定から始まったわけです。

    その、いわばひとつのゆがみから見た古典和歌への認識が、戦後、こんどは日本文化そのものが否定されるという風潮に乗っかって、日本の歴史をさらに歪めるという酷い考え方が、まともな学者が公職追放された後の学会の主流になり、さらに近年では、そうした歪みのなかで力を握って教授職にまで上り詰めた、日本に住んで日本国籍を持ち、日本語を話しながら日本人ではないという、やっかいな人達によって、さらに大きく歪められるようになりました。

    この歪みによって、近年ではまともな時代劇や歴史ドキュメンタリー番組さえも作れなくなりました。
    例えを数え上げればきりがありませんが、今回はその中で、天智天皇・天武天皇・額田王に焦点をあててみたいと思います。

    この三人の関係が、巷間、どのように言われているのかを、図式的に述べると、
    「乙巳の変で蘇我入鹿を殺害して権力の実権を握った中大兄皇子(なかのおほえのおうじ)は、ついに天皇の地位にのぼって天智天皇を名乗った。
     弟の大海人皇子(おおあまのみこ)は、美しい女性の額田王(ぬかたのおほきみ)と結婚して一女(十市皇女(とほちのひめみこ)を得ていたが、兄の天智天皇はその額田王を見初めると、娘の鸕野讚良皇女(うののさらのひめみこ)を強引に大海人皇子に嫁がせ、代わりに額田王を自分の妻妾にした。
     このことに恨みを抱いた大海人皇子は、兄の天智天皇が崩御すると、すぐに兵を起こして兄の子である大友皇子(おほとものみこ)を攻め、ついに天下をとって皇位に就き、天武天皇を名乗った。」

    と、要するに天智天皇と天武天皇の兄弟は、美しい額田王をめぐって三角関係にあったのだというわけです。
    そしてこのことが近年ではさらに誇張されて、天智天皇と天武天皇は実は兄弟ではなかったのではないかとか、天武天皇というのは実は半島人で、権力の亡者となった生粋の日本人の天智天皇を滅ぼして、朝鮮王朝を日本に築いたのだとか、もうこうなると、言いたい放題扱いになっています。

    日本は言論の自由の国ですから、基本的に何を言おうが自由といってしまえばそれまでですが、しかし世の中には、言っていいことと悪いことがあるものです。
    いかなる場合であったとしても、「ならぬものはならぬ」のです。
    ところが、そういうと「価値観の強制である」などと、これまた見当違いの議論が出てくる。

    そもそも論点をすり替えて、まるで静謐と安穏を重んじる寝室で、布団やフスマをバンバンとやかましく叩くようなふるまい《これを昔から「栲衾(たくぶすま)」と言って、新羅の枕詞に使われていました》を繰り返すのは、どこかの国の人の、古来変わらぬ特徴です。

    拙著『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』にも書きましたが、そもそもこの天智天皇・天武天皇・額田王の関係について、そのような三角関係があったという記述は、我が国の正史である日本書紀にはありません。
    ではなぜこの三人が三角関係にあったように言われたのかというと、実は『万葉集』にあるこの三人の歌が、その事実を示しているのだと言われています。

    どういうことかというと『万葉集』に、まず白村江の戦いの5年後に天智天皇が開催した遊猟会において、
    (1)額田王が詠んだ歌
       あかねさす むらさき野行き 標野(しめの)行き
    野守(のもり)は見ずや 君が袖振る
    という歌があるわけです。
    そして続けて大海人皇子《後の天武天皇》が、
    (2)むらさきの にほへる妹を にくあらば
       人嬬(ひとつま)ゆへに 吾(われ)恋めやも
    と詠む。

    つまり額田王が、
    「あたしはいまはもう天智天皇の妻になったのに、
     元のダンナの大海人皇子さまが、
     あんなに露骨に向こうから手を振ってらっしゃる。
     そんなことをしたら
     野守に見られてしまうではありませんか。
     いやん♪」
    と歌を詠み、これを受けて元のダンナの大海人皇子が
    「美しく香る紫草のようなおまえのことを憎くさえ思えるのは
     人妻になってしまったおまえのことを、
     俺はいつまでも愛しているからだよ」
    と、歌を返したというわけです。

    まるで昔流行った、アラン・ドロンとダリダの『あまい囁き』みたいです。
    『あまい囁き』は、その後金井克子と野沢那智が和訳を出して、これまた大ヒットしました。下にパロディ版の動画を貼っておきます。うまくできていて思わず笑いました。
    だいたいこの曲を聞くと、男の方に石をぶつけたくなる。
    この点は、うちのかみさんと意見がいつも一致します(笑)。

    話が脱線してしまいましたが、そもそも日本人はもっと誠実なものです。

    さらに天智天皇が中大兄皇子時代に、まさにその三角関係のもとになったとされる歌が次の歌です。
    (3)高山(たかやま)は 
       雲根火(うねび)おほしと
       耳梨(みみなし)とあい争いき
       神代より かくにあるらし
       古(いにしえ)も しかにこそあれ
       嬬(つま)を相挌(あいかく)
       良きと思ほす

    要するに、大和三山の畝傍山(うねびやま)と耳成山(みみなしやま)は、神代から香久山(かぐやま)をめぐって三角関係で争ってきたというが、自分《中大兄皇子》もまた妻(額田王)をめぐって弟の大海人皇子と争っている。これもまた良いではないか、という歌だというのです。
    弟の妻を横取りしようと歌を詠み、最後は「それもまた良いではないか」って、志村けんのバカ殿様ではないのです。

    さらに次の歌もあります。
    これは弟の妻から、天智天皇の妻となった額田王が、天智天皇が今宵やってくることに胸を膨らませて詠んだとされている歌です。
    (4)君待つと我が恋ひ居れば我が宿の簾 動かし秋の風吹く

    あなたを待ってドキドキしていたら、秋の風がすだれをうごかしましたわ、というわけです。
    これで決定打で、つまりもともと大海人皇子の妻だった額田王は、ついに自分を奪い取った天智天皇を愛するようになった・・・日本人の女性はかくもふしだらなものらしい・・・というわけです。

    申し上げますが、これらの解釈は、妄想に妄想を重ねただけであって、まったくのデタラメです。

    まず(1)と(2)の遊猟会のときの歌は、万葉集に「天智天皇の弟と、諸豪族、および内臣および群臣たちがことごとく天皇に同行した」と書かれています。
    白村江の敗戦から5年。
    朝廷の総力をあげて、国内の復興と国土防衛に全力をあげて勤めてきたのです。

    それがようやく一定のレベルに達したことから、5年目にしてやっと、朝廷の職員たちのお楽しみ会として蒲生野での遊猟会が催されたのです。
    そして(1)(2)の歌は、どちらもその遊猟会の後の直会(なおらい)、つまり懇親会の席で披露された歌です。
    だから、歌が発表された席には、群臣百卿が全部そろっています。

    果たしてそのような席で、「見られちゃうわよ、いやん♪」などという歌や、人の上に立ち、その時点における政治上の最高権力者となっていた大海人皇子が、女々しく引きずるような歌を披露するでしょうか。ましてその日は、勇壮な遊猟会の日であり、その後に行われた懇親会の場なのです。

    では(1)(2)の歌は、本当はどのような歌なのでしょうか。
    原文から意味を解読してみます。

    (1)
    《原文》茜草指 武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布流
    《意味》
    アカネ草で染めるように天下に指し示められたバラバラな世を立て直す力を、地方豪族たちも見て大君の指導《袖振り》を受け入れていくことでしょう。

    解読のポイントは、「むらさきの逝き、しめの行き」と、「いく」という語の漢字が「逝」と「行」とに使い分けれられていることです。
    この遊猟会が行われたのは6月のことであり、茜草の開花は秋です。
    ですからここではアカネ草の美しい花を詠んでいるのではなく、アカネ草があかね色の染料として用いられることをモチーフにしているとわかります。

    そして「逝」は、「折」の部分がバラバラに引き離すこと、「辶」が立ち止まることを意味する漢字です。
    「武」は「たける」で、正しくすることを意味しますから、漢字で書かれた意味を考えれば「武良前野逝」は、「以前に正しいこと、良いことをしようとして、結果としてバラバラになってしまった国内情勢」のことを述べているとわかります。

    その国内情勢に、天皇が「標野行」、つまり進むべき道を示して行かれたのです。
    そのことを「野守」、すなわち一時はバラバラになってしまった地方豪族たちも、「君之袖布流」つまり天智天皇の指揮(袖振り)のもとで、再び君民一体の国柄がこの5年で出来上がりました、と額田王は詠んでいるわけです。

    額田王は、単に美しい才女というだけでなく、この当時にあって神に通じる霊力を持つ女性とされた人です。
    その女性が、今日の遊猟会を祝い、またこの5年間の国の建て直しの天皇以下群臣の辛苦をねぎらって、「アカネ指す」とこの歌を詠んでいるのです。

    そしてこの歌を受けて、額田王の夫の大海人皇子が、歌をつなげます。
    それが(2)です。
    ちなみにこの時代、天皇は国家最高権威であって、政治権力者ではありません。
    そしてこの時代において国家最高の政治権力者の地位にあったのが大海人皇子です。

    (2)
    《原文》紫草能 尓保敝類妹乎 尓苦久有者 人嬬故尓  吾戀目八方
    《意味》
    この季節に咲き始めるムラサキ草のように美しく、いつまでも大切な女性たちが歳を重ねてもいつまでも守られる国を守り抜くために、私(大海人皇子)も、政治に専念して日々努力を重ねています。しかしこのたびは、神に通じる力を持つ美しい花のような女性である私の妻が、私のもつれた目配りをも、すっきりと見通してくれました。

    ここで「戀(恋)」という字が使われているから、恋愛感情を詠んだ歌だと短絡的な思考をすると、歌の意味を読み間違えます。
    この時代の「戀」という字は、言葉の糸がもつれてからみあってどうにもならないような状態や気持ちのことを言います。
    現実の政治は、日々、さまざまな糸がもつれ合った複雑なものです。
    そして国家最高の政治権力者であれば、四方八方の周囲の様々な意見に常に気を配らなければなりません。

    要するに、霊力を持つ妻が「天智天皇の指揮のもと、国内情勢は必ず良い方向に安定します」と詠んだ、その歌を受けて、夫の大海人皇子は、
    「女性たちがいつまでも安全に安心して暮らせる国の姿を守り抜くために、これからもしっかりと日々の業務に邁進していきます」と決意を述べているわけです。

    天智天皇が中大兄皇子時代に、まさにその三角関係を歌ったとする(3)の歌も同じです。
    この歌は、上に述べた本歌だけでなく、反歌がセットになっています。
    意訳すると次のようになります。
    (3)
    【本歌】高山波雲根火雄男志等耳梨与相諍競伎神代如此尓有良之
    古昔母然尓有許曽虚蝉嬬乎相挌良思吉
     雲の起こる雄々しい高い山のふもとで、
     誰もが豊かになろうと志を持って競い合って栄えてきたのだぞ。
     神代からずっとそうしてきたのだぞ。
     母なる古い昔にかさねがさね神に祈ってきたように、
     これからも神に仕える巫女とともに祈りを捧げていくのだ。

    【反歌】高山与耳梨山与相之時立見尓来之伊奈美国波良
     豊かな恵みを与えてくれる大和三山の山の高きに、
     天皇がおさめられている豊かな国を立ち見しにやってきた。

    この時代、実は梨の栽培ができるようになったのです。
    大和三山は、もともと火山灰土の山のため、もともとは斜面が単なる荒れ地でした。
    ところが梨の栽培技術が開発されたことで、その斜面が梨畑として活用されるようになったわけです。
    その梨畑を視察に行幸された天皇が、民間の努力を寿ぎ、さらに一層の精進を願って、神とつながる巫女たちともに、しっかりとこれからも豊作を祈願していきますよ、とこの歌は読まれているのです。

    全然、三角関係だの、他人の妻を欲しがったとかいう歌ではありません。
    そもそも歌にある「相格」は現代用語の「相対」と同意味の言葉です。
    また「嬬」という字は「需」が雨乞いをするヒゲを生やした祈祷師を意味する字です。
    儒教の「儒」はニンベンですが、これは儒教の開祖の孔子が、もともと祈祷師の家の息子だったことに由来します。
    ここではそれが女偏ですので、神に仕える女性の祈祷師を表します。
    配偶者の場合は 「妻」であって「嬬」ではありません。

    (4)の額田王が天智天皇を待ちわびたという歌も、意味がぜんぜん違います。

    「君待登 吾戀居者 我屋戸之 簾動之 秋風吹」
    が原文ですが、「君待登」の君は天智天皇です。そして部下が天皇のもとにお伺いすることを「登る」と言います。男性が女性のもとに通うことを「登る」とは言いません。

    要するに額田王のもとに、天皇からの呼び出しがあり、天皇の額田王への用事といえば、霊力のある額田王を通じて何らかの御神託を得ようとするものであるわけですから、当然額田王は、仕度を整えて禁裏に登ることになります。
    古来、女性の仕度は男性と違って時間がかかります。
    急ぎの用事と呼ばれていれば、まさに「戀」のように気を揉むことになる。

    ところがそうして仕度をしているときに、「簾(すだれ)を動かして秋風が吹いた」のです。
    秋風というのは、涼しくて良い風のことを言います。
    つまり吉兆です。

    これは昔の日本人の思考と、現代日本人の思考の大きな違いなのですが、今の人は「会ってから結果を出す」のが常識と思い込んでいますが、昔の人は「会う前に結果を出す」のが常識でした。
    わかりやすくいうと、いまでは武道もスポーツの一種になってしまって、試合の結果は「やってみなければわからない」ものとなっていますが、昔はそうではなくて、「試合で向き合ったときには、もう勝負がついている」ものであったのです。
    ここが日本古来の武道と、スポーツの違いです。

    この歌も同じで、天皇から何を聴かれるのか、それはおそらくは政治向きのことであろうけれど、家を出る前にすでに吉兆を意味する風が吹いたということは、ここで結論が出ているということなのです。

    要するにまとめると、天智天皇・天武天皇・額田王の三角関係説というのは、万葉集にある歌を間違って解釈していることが原因の俗説にすぎません。
    詠まれた歌をちゃんと読み解けば、その内容は、まさに尊敬と敬愛、そして国をひとつにまとめていこうとする誠実の歌の数々にほかならないのです。

    日本を取り戻すためには、日本人が日本文化を知る必要があります。
    その日本文化は、日本が古い歴史を持つ国だけに、やはり同様に古い歴史を持っています。
    記紀しかり、万葉集しかり、もっとずっと後世のお能もまた然りです。
    ところがそのいずれもが、内容をものすごく歪めて伝えられています。
    しかも学者さんたちの手を経て、です。
    そのため、日本文化を取り戻そうとすれば、必ず学者さんたちが呼ばれますが、呼んで話を聞いても、よくわからない。
    コロナの有識者会議と同じです。

    今回のお話の要点は表題の通りです。
万葉集をちゃんと読めば、ぜんぜん三角関係などではない。
    
思うに、日本を取り戻すためには、日本人が日本文化をもっとちゃんと知る必要があるように思います。
    日本人から誇りを奪い、日本人であることをむしろ恥じるようにしていく。
そうしたことが明治からはじまり、戦後にはとても大きな影響力を持つようになりました。

    そのために学者さんたちまで動員されました。

    
しかし、百万遍唱えても嘘は嘘です。

    一片の真実は、一瞬でそれまで蓄積された嘘を吹き飛ばす力があります。

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    ※この記事は2020年6月の記事の再掲です。
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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
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昭和31年生まれ。浜松市出身。上場信販会社を経て執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。またインターネット・ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。「歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに」という理念を掲げ活動する。古事記・日本書紀・万葉集などの原文を丁寧に読み解き、誰にでも納得できる日本論を発信。

《著書》日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、その他執筆多数。

《動画》「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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