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次回の倭塾開催は7月17日(日)13時半から。場所は富岡八幡宮・婚儀殿2Fです。
テーマは「我が国のアイデンティティと日本の政治」です。 ───────────────

画像出所=https://roudokus.com/Kojiki/Kojiki007.html
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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
!!最新刊!! ▼これまでのあらすじ
父の伊弉諾大神(いざなぎのおほかみ)によって海原を追われた素戔鳴尊(すさのをのみこと)は、あらかじめことわりを入れた上で高天原におわす姉の天照大御神(あまてらすおほみかみ)を訪問しようとします。ところが天照大御神は、何を思われたのか、自ら武装し、高天原の大軍団を率いて素戔鳴尊(すさのをのみこと)を待ち受けました。そこには天照大御神の深いお考えがありました。
▼原文を読んでみる
すさのをの 素戔鳴
みことこたへて いはくには 尊対曰
「あにはきたなき こころなし 「吾元無黒心
ただちちははの のりをうけ 但父母已有巌勅
ながくねのくに つきゆかむ 将永就乎根国
いかではあねに まみへむと 如不与姉相見吾何能敢去
くもきりわけて とほくより 是以、跋渉雲霧、
きたりまいらせ さりゆかむ 遠自来参
きびしきかほと おもわせむ」 不意、阿姉翻起巌顏」
あまてるかみの こたへては 于時天照大神復問曰
「あれのこころの あかきこと 「若然者将何以明
いかにかもちて あかせむや」 爾之赤心也
こたへていはく 「あねにこふ 対曰「請与姉
うけひによりて うまれるこ 共誓夫誓約之中必当生子
(誓約之中、此云宇気譬能美儺箇)
あがうめるこが おなごなら 如吾所生是女者
もちてきたなき こころあり 則可以為有濁心
もしおのこなら よきこころ」 若是男者則可以為有清心」
あまてるかみは すさのをの 於是天照大神
とくさのつるぎ とりたまひ 乃索取素戔鳴尊十握剣
みつにうちをり あめのいど 打折為三段
すすぎさがやに かみてふく 濯於天真名井
噛然咀嚼(噛然咀嚼、此云佐我彌爾加武)
而吹棄気噴之狭霧
(吹棄気噴之狭霧、此云浮枳于都屢伊浮岐能佐擬理)
たこりのひめに たきつひめ 所生神、号曰田心姫
いちきしまひめ みはしらの 次湍津姫、次市杵嶋姫
かみそのなかに うみたまふ 凡三女矣
すなはちすさの をのみこと 既而素戔鳴尊
あまてるかみの かみかずら 乞取天照大神髻鬘
うでにつけたる やさかにの 及腕所纒八坂瓊之
いをのみすまる こひてとり 五百箇御統
あめのまないで すすいでは 濯於天眞名井
さがやにかみて ふきだせば 𪗾然咀嚼(𪗾然咀嚼、此云佐我彌爾加武)而
吹棄氣噴之狹霧(吹棄氣噴之狹霧、此云浮枳于都屢伊浮岐能佐擬理)
まさにわれかつ かちはやひ 号曰正哉吾勝勝速日
あめのおしなる ほのみこと 天忍穂耳尊
つぎにはあめの ほひみこと 次天穂日命
(これいずものおみの はじのむらじのそなり)(是出雲臣土師連等祖也)
つぎにあまつの ひこねみこ 次天津彦根命
(これかわちのあたひ やましろのあたひらのそなり)
(是凡川内直山代直等祖也)
つぎにいくつの ひこねみこ 次活津彦根命
つぎにくまのの くすひみこ 次熊野櫲樟日命
すなはちいつの をのこなる 凡五男矣
《現代語訳》
(天照大御神(あまてらすおほみかみ)の御下問に対し)素戔鳴尊(すさのをのみこと)が答えて言うには、
「吾(あ)にはもとより汚い心などありません。ただ父母から、今後は根の国で暮らせと厳しく命令されたので、まさにいま行こうとしているところなのです。でもその前に、ひと目姉上に会ってから行こうと思って、それで雲や霧を押し分けて、こうして遠くからやってきたのです。まさか、このように姉に厳しく出迎えられるとは思ってもみませんでした。」
天照大御神は、これに答えて言いました。
「ならばお前は、どうやって、その赤心(真心)を明らかにするのだ。」
素戔鳴尊(すさのをのみこと)が答えて言うには、
「では、誓約(うけひ)をしましょう。
誓約(うけひ)によって生まれた子が女ならばきたなき心、男なら清い心であるとしましょう。」
そこで先ず天照大御神が、素戔鳴尊(すさのをのみこと)の十握剣(とくさのつるぎ)を取り、これを三つに打ち砕くと、天の真名(まな)の井戸の水でこれをすすぎ、カリカリと噛んで吹き出すと、田心姫(たこりひめ)、湍津姫(たぎつひめ)、市杵嶋姫(いちきしまひめ)の三女神が生まれました。
また素戔鳴尊(すさのをのみこと)は、天照大御神の髪飾りと腕に付けた弥栄の五百個の腕飾りを乞い願って受け取ると、これを天の真名の井戸の水ですすぎ、ガリっと噛み砕くと、これを霧のように吹き出しました。すると正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさにわれかつかちはやひあめのおしのほのみこと)、天穂日命(あめのほひのみこと)《これは出雲の臣(おみ)の土師(はじ)の連(むらじ)の祖先です》、次に天津彦根命(あまつひこねのみこと)《これは川内の直(あたひ)、山代(やましろ)の直(あたひ)らの祖先です》、次に活津彦根命(いくつひこねのみこと)、次に熊野櫲樟日命(くまののくすひのみこと)、すなわち五柱の男の神様がお生まれになりました。
《解説》
▼「あ」の意味するもの
はじめに一人称の「吾(あ)」の意味するものからお話したいと思います。記紀神話では一人称を「あ」と言います。
大和言葉で「あ」は、膨大な時空間を意味します。
つまり我が身を意味するのではなく、我が身に備わる膨大かつ無限の時空間の存在である霊(ひ)を意味します。
相手のことは「汝(な)」と呼びます。
「な」は神聖を意味する語です。
つまり膨大な時空間の霊(ひ)の存在である「あ」が、相手の神聖な霊性を認めて「な」と呼ぶのです。
何ごとも霊(ひ)が先、身があと、という考え方が、こうした人称にも現れています。
▼天照大御神は「姉」
天照大御神の性別について、右にある日本書紀の本文では、間違いなく「姉」と書いています。
つまり日本書紀は天照大御神を女性のお姿として描いているわけです。
天照大御神の性別については、平安時代の大学者である大江匡房(おおえのまさふさ)が「江家次第(ごうけしだい)」という書の中で、お伊勢様における天照大御神の御装束が男性の衣装であると指摘し、
また江戸時代には伊勢神宮外宮の神官である渡会延経(わたらいのぶつね)がこの説を引用して
「これを見れば、天照大神は実は男神のこと明らかなり」と書き残しています。
また最近ではホツマツタエが天照大御神を男性神として記述していることが明らかにされました。
けれども日本書紀は素戔鳴尊(すさのをのみこと)の姉としているわけです。
実はこれについては古事記も日本書紀も、どちらも天照大御神は女性として生まれながら、父のイザナギ大神から御魂を授かった・・・つまり天照大御神の身は女性でありながら、霊(ひ)は男女両方の霊(ひ)を持つ、と書いています。
記紀では性別を持つ神より、性別を持たない(両方の性を持つ)神様の方が、より上位の神様としています。
ここでもまた、身と霊(ひ)の違いをかなり深く認識したうえで記述されているわけです。
▼誓約(うけひ)の結果
素戔鳴尊(すさのをのみこと)と天照大御神は、
一 生まれた子が女なら素戔鳴尊に悪心がある。
二 生まれた子が男なら素戔鳴尊の心は清らかである。
とあらかじめ取り決めたうえで誓約(うけひ)を行っています。
結果は、天照大御神の口からは女性神、素戔鳴尊の口からは男性神が生まれています。
つまり素戔鳴尊の言っていることは嘘ではないという結果でした。
ところがこの後に続く本文では天照大御神が、
「女児は素戔鳴尊の剣から生まれたのだから、誓約(うけひ)の結果によって素戔鳴尊(すさのをのみこと)に悪心ありと証明された」と強引に結果をひっくり返してしまうのです。
天照大御神は最高神です。従って天照大御神の御言葉は、常に深い慈愛の御心から生れす絶対の慈愛の御言葉です。
ということは天照大御神の明らかな誓約(うけひ)の結果のすり替えには、何か深いお考えがある、ということになります。
実は、これもまた次回以降に続く物語の先取りになりますが、ここで「あること」を察した素戔鳴尊(すさのをのみこと)は、この後、八百万の神々の田んぼのあぜを壊したりと、高天原で大暴れをします。
ところがそれに困った八百万の神々は、天照大御神に
「スサノヲ様が暴れています。天照大御神様、なんとかしてください」と天照大御神ばかりを頼るのです。
高天原は、神々の共同体です。
そして天照大御神は最高神であり、高天原の最高の御存在です。
その天照大御神様が、微にいり細にわたり、いっさいを取り決め、取り仕切るのでしょうか。
たまたまやってきたのが清き心の実弟だったから良かったものの、これがもし、本物の悪神がやってきて、天照大御神様に何かあったら、誰がどう責任をとるのでしょうか。
天照大御神は太陽神です。天照大御神様に何かあれば、高天原も地上も、太陽の恵みの一切を失うのです。
日本書紀は、こうして責任を伴う権力と、その権力を任命する権威とを切り分けることの大切さを、物語として我々に教えてくれています。
その「高天原と同じ統治をしなさい」との天照大御神の御言葉から生まれたのが、我々の住む日本という国家です。ですから日本は万世一系の天皇を国家最高権威とし、将軍や太政大臣、総理大臣などの政治権力者は、その下位の存在としてきた歴史を持ちます。
ですから、天皇を英語でエンペラーと呼ぶのは間違いです。
なぜならエンペラーは、王の中の大王、つまり政治権力者の頂点を意味する用語だからです。
日本をかっこよく!お読みいただき、ありがとうございました。
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