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8月14日(日)に靖国神社でみなさまとご一緒に昇殿参拝を行います。
事前申込は特に必要ありません。
是非、ご一緒に英霊に感謝を捧げ、護国への決意を新たにしていきたいと思います。
詳しい内容は↓コチラ↓
https://nezu3344.com/blog-entry-5295.html ───────────────
ある友人の言葉です。 「日本は、農業が基本なんです。 みんなが幸せに食べていくことができる。 そのためにみんなで笑顔で作物を育てる国。 それが日本なんです」 現代日本の土は、果たして 「やわらかな土」でしょうか。 「肥えた土」でしょうか。 |

画像出所=https://blog.goo.ne.jp/watariyamin/e/0975a533ab30ca07161f8904016f6fe7
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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
!!最新刊!! 古事記や日本書紀の冒頭部分では、天地のことを天地(あめつち)と書いています。
ところが天壌無窮の神勅では、天壌(あめつち)と書いています。
古代の人は、そこにどのような意図を込めたのでしょうか。
記紀が書かれた時代というのは、
1 我が国にもとからある国字としての神代文字は、全国の豪族ごとに使う文字が異なること、
2 我が国の五十音が、もともと鹿骨占いの結果を判断するための記号としての一字一音一義からはじまっているため、音の意味が固定的となり、複雑な思い等を表現するためには、神代文字を組み合わせてできている漢字を用いたほうが合理的と考えられたこと、
3 全国の豪族たちを統一し、我が国が統一国家を形成するためには、新たな文字が必要であったこと、
などが真剣に検討された時代です。
全国の豪族たちというのは、それこそいまの県が、昔はクニと呼ばれたことにも明らかなように、まさにそれぞれのクニが独立国であり、その国ごとに異なる体制、異なる言語(いまふうにいえば方言)を用い、それぞれに異なる神を祀り、異なる習俗のもとにあったと考えるのが、普通です。
もちろん、豪族間の(つまりクニとクニとの)交易関係や、親戚関係はあったでしょうし、何百年か遡れば、全国の豪族たちは、皆、親戚です。
また、倭人たちは船を用いますので、相互の交流も激しく行われていたことと推察できます。
ただ、そうした時代の中にあって、秦の始皇帝の一族である秦氏などが来日し、秦の始皇帝が、チャイナで統一文字として漢字を用いようとしたことなどが伝えられ、その漢字を用いることで、さまざまな複雑な単語を新たに用いることができるようになってきていたわけです。
一方、その漢字は、もとをたどれば、倭国で用いられていた神代文字の記号の組み合わせです。
その意味では、漢字と神代文字は、たいへんに相性が良い。
白村江の戦いでの敗戦後、どうしても日本を統一国家として再形成していかなければならない状況になったとき、クニごとに言語も使う文字もバラバラでは、我が国は、滅ぼされてしまいます。
そこで、統一文字として秦の始皇帝の成功に倣って漢字を用い、またその漢字の成り立ちが神代文字であることを利用して、漢字に大和言葉の訓読みを与え、これによって「あめつち」を「天地」という漢字に置き換えるといった作業が行われたわけです。
クニを統一するには、2つの方法があります。
ひとつは始皇帝がそうしたように、軍事的に国家を統一することです。
けれどそのために始皇帝は、国が傾くほどの激しい戦いを再三行い、ようやく軍事的に統一国家を築いたものの、その強大な軍事国家が、より強力な軍事国家ができることで、またたく間に崩壊したという歴史がありました。
そしてその秦では、統一国家を形成したあと、文字の統一によって中華の文化の統一を図ろうとしました。
それまで、バラバラだった諸国が、文字の統一によって、ひとつの国家になる。
つまり文字は文化であり、文字が統一されることによって、文化が統一され、国がひとつになるのです。
このことは、秦が滅んだあとに、漢が統一国家を形成したことにも明らかなことでした。
ならば、軍事的に統一国家を築くのではなく、文字による教育と文化によって国をひとつにまとめていく。
そのような選択と、試行錯誤が行われたのが、我が国の7世紀です。
ちなみに我が国の言語は、撞着語(どうちゃくご)といって、名詞や目的語などを、「の」などの接続詞でつなげていくことで成り立つ言語です。
「私の城下町」は、「わたし(の)城下(の)町」なのです。
これが古い大和言葉なら、「わたし」は「あ」であり、「城」は「や」であり、「町」はムラですから、
「あ(の)や(の)むら」となります。
漢字で書いたら
「吾の屋の村」あるいは「大屋敷の下にある吾(あ)の居(ゐ)る邑」、そこから「吾の城下町」などと記述されるわけです。
さらに漢字のみで記述したら、いまの繁体字風なら「私的城下町」、記紀風なら「吾乃城下町」となります。
「あのやのむら」と表記することと、「私的城下町」では、わかりやすさという意味では、後者に軍配があがるものと思います。
そうした背景のもとに、記紀の記述があります。
そして記紀は、その冒頭を次のように書いています。
《古事記》
あめつちの はじめのときに 天地初發之時
《日本書紀》
いにしへの あめつちいまだ 古天地未
どちらも「天地」と書いて「あめつち」と読み下しています。
「天」という字は、両腕を広げた人の姿である「大」の上に「一」があり、そこから頭上に広がる天をあらわします。
「地」という字は、蛇のようにうねうねとうねった大地のことをいいます。
山の稜線や、海岸線の形など、地球上にある神々の造形は、すべて蛇行する曲線によって形成されています。
だから「土」が「蛇行している=也」の組み合わせで、「地」という字ができています。
したがって、記紀の冒頭にある「天地」というのは、ここでは天と、蛇のように蛇行する大地を意味します。
さらにいうと、大地が蛇のように細長いといった意味が込められていたかもしれません。
万年の昔には、日本列島の本州からグアムやパラオまでが列島線であり、また九州から台湾までが細長い大地です。
フィリピン海を囲む形の広大な海が、海洋民族であった私達の祖先が住むエリアだったわけで、そういう意味からも、空に広がる「天」と、島々が蛇行して連なる列島という意味を、「地(つち)」という言葉に込めたのかもしれません。
ところがこの「地」が、天壌無窮の神勅(てんじょうむきゅうのしんちょく)では、「壌(つち)」という字に置き換えられています。
日本書紀に次のように書かれています。
とよあしはらの 豊葦原
ちいほのあきの みずほのくには 千五百秋瑞穗国
あがうみのこの あるじのちなり 是吾子孫可王之地也
いましすめみま いでゆきしらせ 宜爾皇孫就而治焉
さきくませ 行矣
さちとたからと さかへむことは 宝祚之隆
それあめつちきはまりなかるべし 當興
天壤無窮者矣
「天地(あめつち)」を「天壌(あめつち)」と書いています。
「壌」という字は、「やわらかく肥えた土」を意味する漢字です。
天壌無窮の神勅は、我が国が稲作とともに未来永劫栄えていくとの天照大御神の御神勅ですから、みんなで土を柔らかく耕して暮らしていく限り、我が国は永遠に不滅だと、述べられているわけです。
つまり、天地(あめつち)は神々がお創(つく)りになられたけれど、人々がその地で暮らして行くためには、土を耕して、常にやわらかく肥えた土にしていかなければならない。
そういう人々の努力の結果として、我が国は未来永劫不滅です、と天照大御神様の御神勅があるわけです。
ふりかえって、戦後の現代日本はどうでしょうか。
都会の土は、果たして「やわらかな土」でしょうか。「肥えた土」でしょうか。
ある台湾の友人が言っていました。
「私はね、いまも台湾は日本の一部だと思っています。
だから、自分に日本人名があることを誇りに思っています。
台湾がね、昔のように日本に帰ることができたら、
そのときはね、
私は台湾を日本の中の農業地帯にしたいと思っています。
なぜなら日本は、農業が基本なんです。
みんなが幸せに食べていくことができる。
そのためにみんなで笑顔で作物を育てる国。
それが日本なんです」
現代日本の土は、果たして
「やわらかな土」でしょうか。
「肥えた土」でしょうか。
ずっと繁栄が続く千五百秋瑞穗国(ちいほあきのみずほのくに)は、天壌(あめつち)、すなわち地味の肥えた土を持ち、人々が豊かに安心して暮らすことができる国です。
だから天壌無窮なのです。
けれど、戦後の日本は、みずからすすんで地味を壊し、食糧自給率を下げ、食料は稼いだカネで外国から輸入すればよいという政治が行われ続けてきました。
とりわけ昨今では、日本の農業を破壊することが、そのまま政治になっています。
実は、ヨーロッパに於いてもEU加盟国の農業国に対しては、EU政府が、農業生産を半分にせよと命令しています。
どうしてそのようなことが行われるのかと言うと、農業国の農業生産高が落ちれば、その国は食料を輸入せざるを得なくなる。
人は食べなければ生きていくことができませんから、そうなるとどんなに値段が高くても、どんなに危険な農薬が使われていても、何が起こるかわからない遺伝子組み換え食品であったとしても、食べるためには、外国企業から、その危険な食料を買わなければならなくなります。
しかも、いまよりはるかに高額で、です。
農業国であるオランダでは、たとえば日常的に用いられる牛乳が、いまでは、1リットルパックひとつが、日本円で1000円以上です。
もともと1パック100円程度だったものが、いまでは10倍の値段に跳ね上がっているわけです。
だったら、畜産業を国内で盛んにすればよかろうものを、政府はEUからの命令で、牛の数そのものを半分にしようとしています。
農家にしてみれば、飼っている牛の数が半分になっても、固定費は変わりません。
つまり、それではやっていくことができませんから、次々と廃業しています。
すると、国内自給ができないから、牛乳を輸入する。
しかも、お尻に火がついている状態ですから、値段が高くても買わざるを得ない。
これって、いったい誰が儲けているのでしょうか。
日本でも同じことが起きています。
政治主導で、壌(つち)が壊されています。
そうなれば、もはや神々の御加護はありません。
日本は、日本人の手で、永遠に不滅が約束された天壌無窮の神勅を放棄することになるのです。
つまり、日本に未来はない。
百歩譲って、たとえ日本がなくなっても、それ以上に世界が豊かに安全に安心して暮らせる世界になり、日本もまた同様に豊かに暮らしていけるのなら、それはそれで良い選択といえるかもしれません。
けれど、現実には、諸物価が高騰し、食べるものもなくなり、しまいには人でも食べなければ生きていくことができない国になるのなら、それはゾンビの国です。
私たちはそのような未来を、子や孫たちに残すのでしょうか。
私たちは目覚め、まずは日本が、二本の足をしっかりと地に付けて、千五百秋瑞穗国(ちいほあきのみずほのくに)を復元していかなければならないのではないでしょうか。
未来は、ありもしない空想や理想の中にあるのではありません。
どこまでも現在(いま)の延長線上に未来はあります。
つまり、良い未来にしたいなら、現在(いま)できる最善を尽くしていくしかない。
それが日本人の、大昔からの思考です。
困った時は原点に還る。
その原点は、食にあります。
※この記事は2021年7月の記事を大幅に加筆したものです。
日本をかっこよく!お読みいただき、ありがとうございました。
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