• 10円玉に学ぶ


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    9月10日(土)13時半から倭塾を開催します。
    今回のテーマは「政治と宗教を考える」です。
    場所や参加方法などの詳細は↓こちら↓
    https://www.facebook.com/events/588469902181665/
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    どこまでもみんなのために、みんなとともに、そして子や孫のために、自分の人生の貴重な時間を使っていく。
    それこそが、本当の意味での豊かさというものなのではないでしょうか。

    20200820 平等院鳳凰堂
    画像出所=https://in.pinterest.com/pin/344173596516490331/?nic_v2=1a668yKoA
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    小名木善行です。

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    10円玉は、昭和26年から用いられるようになりました。
    そういえば昔は、10円玉の周囲の縁にギザギザがあって、そのギザギザがなくなったのが昭和34年のこと。
    小学校時代、ギザギザのある10円玉を集めて喜んでいた・・なんて記憶をお持ちの方もおいでではないかと思います。

    さてその10円玉、ギザギザの時代から現在まで、10円玉の表が平等院鳳凰堂、裏が常盤木(ときわぎ)というデザインは、昭和26年の発行年から、かれこれ71年、同じデザインのままです。

    裏面の常盤木は、常緑広葉樹なのですが、普通、広葉樹は寒くなると落葉するものなのだけれど、その葉の散らない広葉樹一般を指して常盤木と呼びます。
    日本で常盤木といえば、代表格がクスノキ(楠)。
    楠(くすのき)といえば、我が国の歴史上登場する数多(あまた)の武官武将のなかで、唯一、皇居に銅像が飾られている楠正成(くすのきまさしげ)が想起されます。

    もうひとつの平等院鳳凰堂は、
    「この世をばわが世とぞ思ふ望月の
     かけたることもなしと思へば」
    の歌で有名な藤原道長。
    その道長の子で、関白太政大臣となった藤原頼通によって創建された建物です。

    往時には他にも多数の宝塔が立ち並ぶ寺院だったそうですが、度重なる京の都の火災で消失し、現在は鳳凰堂だけが遺っています。

    建造は天喜元年(1053年)、いまから969年前。
    もともとは阿弥陀堂とよばれていたのですが、建物を正面から見た姿が、まるで鳳凰が翼を広げた姿のようだということで、江戸時代の初め頃から鳳凰堂と呼ばれるようになりました。

    平等院が建てられたこの場所は、かつて河原左大臣と呼ばれた源融(みなもとのとおる)の別荘があった地です。
    河原左大臣といえば百人一首に有名な

     みちのくの しのぶもぢずり たれゆえに
     乱れそめにし われならなくに

    の歌があります。
    そしてこの源融こそ、源氏物語の光源氏のモデルになった人物です。

    源氏物語の光源氏といえば、まさに貴公子であり、モテ系男子の典型です。
    下の絵は大和和紀さんの『源氏物語〜あさきゆめみし〜」からのものですが、おそらく下の絵のような、要するにイケメン男子というのが、多くの現代人が持つ光源氏のイメージではないかと思います。

    20200820 光源氏2

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    ところが現実はなかなか厳しい(笑)。
    下は幕末から明治初期に活躍した菊池容斎が描いた河原左大臣《源融(みなもとのとおる)》です。
    おそらくまあ現実はこのようなものであったのかと。

    20200820 源融

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    さてこの源融ですが、お能の「融(とおる)」という演目が、この源融を題材にしています。

    物語は、源融が生きた時代から、何百年かの後の世です。
    たまたま旅の僧がこの六条河原を通りがかって、源融の霊に会う。
    源融といえば、かつては左大臣まで昇りつめながら、藤原氏との政争に敗れ、六条河原に大邸宅を造営して、余生を風雅のうちに過ごした人物です。

    融の霊は、かつてここにあった邸宅が陸奥の塩釜の景観を模したもので、毎日難波から海水を汲んで屋敷まで運ばせ、院の庭で塩を焼かせて楽しみとするという贅沢が行われていたことを述べます。
    けれど、あとを継ぐ人もなく、この河原院は荒れ果ててしまったと嘆く。
    旅の僧侶は、そのような贅沢な暮らしにいつまでも執着するなと説き、経をあげて源融の御霊を慰霊します。
    すると融の御霊は、若々しい在りし日の姿・・・つまり「熱心に文武に励み、真剣に民を想って仕事をしていた純粋だった若き日の姿」となって月の都へと帰っていく。

    つまりお能の「融」は、源融が行い、かつ、執着した往年の贅沢な暮らしが、よくよく考えてみれば「権力の座から降りた者が行う、いわば敗軍の将の暮らしに他ならないものにすぎなかったことを明示しているわけです。
    現職にある者が行うことは、自分の贅沢ではなく、どこまでも民の暮らしの安寧にある。
    そうであれば、権力を持つ者に華美な暮らしは必要ない。

    結局のところ、贅沢な暮らしは、本来、民のために全力を尽くして生きることができなくなった者が行う、手前勝手な自己顕示にほかならないということを、お能はこの「融」という演目で表現しているのです。

    その昔、武士は刀槍と具足(ヨロイのこと)以外は何も持たず、屋敷は常にガランとしていることが最上とされました。
    これは女性であっても同じで、埼玉県川越市にある喜多院には、いまも徳川将軍の乳母であった春日局の化粧の間が書院として遺されています。
    そこには、春日局が日々を過ごした部屋がそのまま移設されているのですが、往時においても部屋の中は、いつもガランとしていたといわれています。

    高位高官の女性ですから、衣類などはシチューションに合わせて相当の衣類を所持していたのではないかと思われるし、常にひとりではなく他の多くの女官たちと行動を伴にし、その女官たちもまたそれぞれの舞台に合わせて、着替えをしなければならないわけですから、そこには相当数の着物や装身具が置かれていたと思われるわけです。
    ところが、居間は、常にガランとしていて、何も置かれていない。
    どうにも質素なものでした。

    実際には、天井の低い二階に衣類を保管し、必要に応じてそれを出してきて着ていたわけですが、それでも部屋は、常にガランとしていた。
    武家であれば、男女とも、常に質素であらねばならないという、これは思想のあらわれといえます。

    考えてみれば、屋敷も贅沢な調度品も、時が経てばすべて失われていきます。
    けれど、今生の武勇や、身に付けた後の世にまで語り継がれていきます。
    そうであれば、この世の物質的な贅沢に腐心せずに、質素を心がけて、学問をし、武芸に励み、名誉のために命をかける。
    それが武士の生き方であったわけです。

    10円玉を含めて、通貨のことを昔は「銭」と言いました。
    その「銭」の旧字は「錢」です。
    これは金偏に戈(ほこ)が二つ重ねられた字です。
    つまり錢は、硬い金物さえも、戈でずたずたに切り裂いてしまう。
    つまり、何もかも、ずたずたにしてしまう。
    そういうものだ、という理解がそこにあります。

    現代社会は、なんでもかんでも「カネ、カネ、カネ」です。
    お金はたいせつです。
    けれど、それが行き過ぎると、「今だけ、カネだけ、自分だけ」になってしまいます。
    これは陥穽(かんせい)です。

    少しでも良い暮らしをしたいと思う気持ちは、誰にでもあります。
    これを「欲」といいます。
    そうであれば、「欲」を否定したら、人の成長も社会の成長も停まってしまいます。
    だから「欲」があることを認めたうえで、それを、より大きな欲に昇華させていく。

    たとえば、腹が減ったとします。
    腹が減ったから、自分ひとりで美味いものを食って、欲を満足させる。
    より大きな満足のために、贅沢な食事をする。
    けれど、食事というのは、いつの時代にあっても、ひとりで食べたら美味しくないものです。

    自分がお腹が空いたのなら、周りの人たちだって、お腹が空いているのです。
    だったら、
    「おい、みんな。腹減ったな。飯にしようぜ!」
    と、みんなと共に飯を食う。
    たとえそれが粗末な握り飯であったとしても、そこにみんなの笑顔がある。
    みんなとともにあるよろこびがある。
    ひとりではなく、どこまでもみんなで。
    これを「大我(たいが)」と言います。

    河原左大臣、源融は、権力の座を失った寂しさから、自分ひとりの贅沢を追求しました。
    結果、贅沢というこの世への執着が生まれ、そのために成仏することもできずに、魂がこの世をさまようことになりました。

    そうではなく、どこまでもみんなのために、みんなとともに、そして子や孫のために、自分の人生の貴重な時間を使っていく。

    それこそが、本当の意味での豊かさというものなのではないか。
    そのように思います。


    ※この記事は2020年9月の記事のリニューアルです。

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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
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昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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