■□■━━━━━━━━━━━━━■□■9月10日(土)13時半から
倭塾を開催します。
今回のテーマは「政治と宗教を考える」です。
場所や参加方法などの詳細は↓こちら↓
https://www.facebook.com/events/588469902181665/■□■━━━━━━━━━━━━━■□■昭和20年のことです。 重慶で蒋介石と毛沢東の会談が行われました。 「重慶会談」、別名を「巨頭会談」と呼ばれています。 最悪です。 |

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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
!!最新刊!! 先日、ある国政の政治家が、
「中国の成長はすごい。
日本はむしろ中国経済の傘下に入ったほうが良い」
という発言をしていました。
びっくりしました。
「今だけ、カネだけ、自分だけ」の心になると、ただカネ欲しさに、人として、あるいは国家としての大切なことを見失ってしまう。
そういう人たちが政治を担ったことで、この三十年間の日本の成長が停まったのです。
目覚めよ、という以前に、そのような人たちには、一日も早く政界を退いていただきたいと思います。
最近、騒がれている出来事に、チャイナの民衆の住宅ローン支払い拒否運動があります。
自己居住用マンションなどを購入したとき、日本では、入居後からの住宅ローン支払い開始になります。
そうしないと、現在の住まいの賃料の支払いと、新規購入物件のローンの支払がダブり、生活が圧迫されてしまうからです。
ところがチャイナでは、まだ建築中の状態から、購入物件の支払いが始まります。
そうでないと、住宅建設業者がマンション等の建設資金を確保できないから、なのだそうです。
そしてこのことを利用して、住宅建設業者が、建設途上のマンションの販売を行い、その建設費用を回収し、利益をあげると、その先のマンション建築を中途で放り出してしまうのだそうです。
当然、物件購入者は、いつまで経っても入居することができません。
けれど、住宅ローンの支払は始まってしまうのです。
そして建設業者はというと、売上だけを持って夜逃げしてしまう。
そしてまた社名を変えて、同じことを繰り返す、というわけです。
このような馬鹿げたことが起きるのは、彼の国が日本と違って、
「騙す人と騙される人がいたら、騙される方が悪い」
とする文化を持っているからです。
要するに儲けた方が勝ち、なのです。
日本は異なります。
日本では、
「騙す人と騙される人がいたら、騙す人が悪い」
と、誰もが考えます。
それは、日本社会が、信義を重んじるという伝統を保持しているからです。
経済というのは、信用で成り立ちます。
そもそも貨幣という物自体、信用の産物です。
そして信用とは、ひらたくいえば、「約束を守る」という関係です。
法律用語でいえば、これは債権債務の関係です。
そこには必ず信義則が働かなくては、そもそも債権債務の関係は成り立たないのです。
ベトナムでは、都市鉄道の工事を、北にあるハノイがチャイナ、南のホーチミンでは日本が請け負いました。
ハノイの鉄道が先に完成し、日本の工事はいまだ完成していません。
だからチャイナは、盛んに日本は駄目だと宣伝しています。
ところが実は、ハノイの工事は、日本よりもはるかに安い金額で落札したものの、工事期間が延長につぐ延長となり、結果、日本の見積もり額よりも割高になってしまいました。
しかも完成した鉄道は、いかにもチャイナ風で、たとえば何度も乗り換えができるプリペイドカードが使えるのですが、そのカードというのは、下車時に自動改札に吸い込まれてしまって出てこないのです。
それでどうするのかというと、購入時のレシートを、駅の係員に見せる。
すると、またカードを発行してくれる。
だから、繰り返し乗り降りできるカードだ、というわけです。
はっきりいって使いづらい。
加えてハノイは熱帯性気候なので、猛烈なスコールが降ります。
すると、どういうわけか電車内に雨漏りがする。
駅のホームに至っては、屋根があるのにホームの客がびしょ濡れです。
あたりまえです。ホームの直上にしか屋根がなく、壁もないからです。
ハノイのスコールは、横殴りなのです。
通常の、毎日のように降るスコールでこれです。
それ以上の豪雨になれば、駅舎自体が使い物にならなくなる。
一方、ホーチミンの都市鉄道は、すでに日本から列車も納品されているのに、代金が支払われていません。
理由はハノイの鉄道工事の追い金がベトナムの予算を圧迫したせいで、そのために日本の工事に待ったがかかってしまっています。
ところが、チャイナは、日本が意図的に(価格を吊り上げるために)工期を遅らせていると宣伝しています。
チャイナとは、そういう国柄なのです。
「今だけ、カネだけ、自分だけ」のために、冒頭のその政治家さんは、日本を「騙す人と騙される人がいたら、騙される方が悪い」とする国にしたいのでしょうか。
悪いけれど、絶対に反対です。
そんなチャイナ文化の典型的一面をご紹介したいと思います。
それが「巨頭会談」です。
昭和20年のことです。
重慶で蒋介石と毛沢東の会談が行われました。
「重慶会談」、別名を「巨頭会談」と呼ばれています。
最悪な会談です。
この年の8月15日、日本が自主的に戦闘行為を終結させ、マッカーサーが降伏文書調印に先立って神奈川県の厚木海軍飛行場に降り立ったのが8月30日です。
そして同じ日に、重慶で、蒋介石率いる国民党と、毛沢東率いる共産党が、たがいに争いを止め平和的に戦後処理を行なおうではないかと、巨頭会談が行われたのです。
ここまで聞くと、たいていの日本人は「良いことだね」と思うとおもいます。
この対談は、なんと43日間にも及び、10月10日、両者は合意を成立させて協定を結びました。
その協定が「双十協定」です。
日付に10が2つ重なっている日だから「双十」です。
その内容はというと、
(1) 国民党と共産党は互いに平和を希求して一切の紛争を対話によって解決する。
(2) 互いに協力しあって内戦を避け、自由で富強な新しい中国を建設する。
(3) 中国共産党は、蒋介石の南京政府を合法的指導者であると承認する。
というものでした。
見事な平和的解決です。
国共内戦(国民党と共産党による内戦)は、1927年にはじまり、なんとこの年まで悲惨な殺し合いが18年も続いていたのです。
それがたったの「43日間」で事態の解決に至った。
ですから当時の世界も、この協定を「ようやくチャイナに平和がもたらされた」と大歓迎しています。
ところが・・・です。
この協定が結ばれた、まさにその当日に、山西省の上党地区(現長治市)で共産党軍が、同地にいた11万の国民党軍に攻撃しました。
この戦いは共産軍の一方的な戦いとなり、国民党軍の側は三日間の戦いで3万5千人が殺戮されています。
そしてこのときから、第二次国共内戦がはじまるのです。
我々日本人の目からみると、「ではいったい何のための協定だったの」と、たいへん不思議に思えます。
なぜ不思議に思えるかというと、日本人は、約束といえば、条件反射的に「守る」という言葉が思い浮かぶという文化を共有しているからです。
日本人は「約束は守るためにある」と考えるし、約束は守るのが常識です。
しかしそれは、あくまで日本の文化がそのような文化であるからなのです。
いやいや西洋でも約束は守るものというルールがあるよ、と言われるかもしれません。
もちろんその通りです。
ただし、ここでいうルールは、じつは「支配」を意味します。
彼らにとっての約束は、「神の支配(ルール)を受け入れる」という意味です。
ですから守るのはどこまでも約束したことだけです。
そうでなければ、自由がなくなるからです。
ですからたとえば「私は君の机にもう落書きをしません」と約束したなら、約束の主語は「私」であり、対象は「君」であり、場所が「机」ですから、私が私以外の人に命じて落書きするのはOKとなります。
また、私が君以外の人の机に落書きすることもOKです。
落書きが禁止されているのですから、「私が君の机の上に」、「落書き」ではないものを書くのもOKです。
これが構成要件該当性で、西洋の契約論には欠かせない概念です。
ところが日本の場合ですと、「君の机にもう落書きをしません」と約束すれば、その本意は「落書きをしない」ということにあるわけですから、他の児童に対しても、また机以外のものに対しても、落書き以外の何物かを書くことも、一切禁止です。
日本人にとって、約束は守るものであるということが優先されますから、約束の趣旨が重要視されるのです。
江戸時代の金銭借用証文が、「期日に支払わなければ、人前で笑われても致し方なき候事」というこの一文だけで契約が履行されたというのは、まさにそうした日本人の「約束を守る」という日本の文化に基づきます。
チャイナの場合、西洋とはまた違った思考になります。
彼らにとって約束は、「相手に守らせる」ためのものです。
自分が約束を守る必要はないのです。
どこまでも「相手に対してだけ」守らせるものなのですから、
「互いに協力しあって内戦を避ける」と取り決めたという一文は、「相手の戦闘活動を押さえ込む」という効果を持つことになります。
ということは相手の攻撃力・反撃力が弱まるのですから、このときこそが攻撃のチャンスになる。
これがチャイナの流儀です。
敗れた側が、「あいつらは約束を破ったぁ!」と言って騒ぐことは、まったく問題になりません。
そのように騒いでいる者がいたら、殺してしまえば済むことだからです。
「こんなことではいけない。
チャイナは堯舜の時代に還り、
約束を守る法治主義を徹底しなければならない」
と言って、中原を統一したのは秦の始皇帝となった嬴政(えいせい)で、アニメや映画のキングダムで有名になりました。
ちなみに「嬴」という漢字は、「女(おんな)+𦝠ラ(神獣)」で、神獣を後ろ盾とした女性を意味し、古代の母系家族の意味を持ちます。
アニメでは、女剣士の羌瘣が登場しますが、羌氏はもともと姜氏の一族で、その姜氏は嬴氏の一族の出といわれています。
ということは、嬴政と羌瘣は、もとは親戚?だったのかもしれませんね。
話が脱線しましたが、秦の始皇帝である嬴政は、その理想のもとに強引に中原を統一し、中原初の始皇帝となりましたが、法に縛られる、約束を守ることを強制されることを嫌がる項羽によって秦はほろぼされ、その項羽もまた人治主義の劉邦によって滅ぼされて生まれたのが前漢王朝です。
そしてこのとき以来、チャイナは上に立つ者の恣意でどうにでもなる国となり、約束が決して守られることがない国として現代に至っています。
日本人は、上古の昔から天皇という国家最高の権威をいただき、その国家権力よりもはるか上位の国家最高権威によって、民衆が「おほみたから」とされてきました。
そしてこれが、天子様と呼ばれた天皇と、臣民との、いわば絶対の約束事となっていました。
そしてこのことが守られている以上、「国家国民が宝のように幸いを得て隆(さか)えることまさに天地と共に永遠となりましょう」というのが天壌無窮の神勅です。
インドの哲学者のラビ・バトラは、かつてプラウト理論の中で、世界は
A 戦士(Warrior)の時代
B 資本家(Acquirer)の時代
C 知識人(Intellectual)の時代
が繰り返すと述べましたが、このことは言い換えると、
(1) 500年続いた力の時代=植民地時代=征服社会
(2) 200年続いた商業の時代=現代商業時代=金儲け社会
(3) これからはじまる知恵の時代=情報化の時代=知価社会
といった変化を想起させます。
そして知価社会においては、約束事はちゃんと守られなければなりません。
そのために中共は崩壊しなければならないし、世界にあってはならない国ということになります。
世界はこれから大きく変わります。
西欧社会にしても、これまでの力こそ正義の時代から、約束事をちゃんと守ることによって成立する商業社会へと変化しました。
その変化に対応できなかった中共は、いまや世界の敵となっています。
そして約束事がちゃんと守られるようになるためには、ただ約束を破った者を力で叩き伏せれば良いという社会ではなく、社会構造そのものが、約束を守ることが当然の常識とされる世界になっていかなければならないことになります。
そしてそれを過去において実現してきたのは、大国のなかでは世界でただひとつ、日本だけです。
このことは、これからの世界では、日本的思考、日本的社会構造が、新たな世界秩序を構成するうえで求められる中心核となっていくことを意味します。
そうであればなおのこと、現代日本人は、もっと日本を学ぶ必要がある、と思います。
「シラス」という概念は、日本の神語に依拠しますが、この思考が常識化していくことが、まさに日本人の覚醒につながり、世界の覚醒にもまたつながっていきます。
そしてそれは神々の御意思であるものと思います。
ただし、このことを日本的価値観の強制とか、日本人による世界征服などと誤解されたら、最悪です。
とりわけ西洋の人たちは、多民族の持つ価値観について、自ら学んで受け入れることにはなんの躊躇もしませんが、他所からこれを強制されると、それこそ武器を手にして戦おうとします。
その意味で、我々日本人は、日本文化の根幹を学びながら、かつ、それを他国に強要することなく、物静かに、むしろ「実るほど頭を垂れる稲穂かな」で謙虚に進んでいかなければならないものと思います。
なぜなら「正義」とは、他に強要するものではないからです。
強要すれば争いになります。
それが国家規模なら戦争になります。
いまどき防衛の必要は認めても、戦争を望む日本人など、誰もいないことでしょう。
逆に中共やコリアは、自国の「正義」を他国に強要しようとします。
結果、彼らはいま世界中から排除されようとしています。
いっときは良いかもしれませんが、結果は排除されてしまうのです。
「正義(せいぎ)」は、訓読みしたら「ただしき、ことわり」です。
「ことわり(義)」というのは、条理や道理のことを言います。
つまり、「正しい道理」が「正義」です。
そしてこれは、英語の「 justice (ジャスティス・公正・正義)」の語源と同じ意味です。
「正しい道理」とは、強制強要をするものではなく、
誰か見ても納得できる、
普遍性を持ち、
腑に落ちるもの
です。
もちろん反撃や反論もあることでしょう。
いま正義でないものをもって利得を得ている人たちからすれば、侵略に見えてしまうかもしれませんし、徹底した「つぶし」に遭うこともあるかもしれません。
けれど、それでも、しっかりと世の中のルールを守りながら、誰か見ても納得でき、普遍性を持ち、誰の心にもちゃんと腑に落ちるものをブレずに語り継ぎ、決して威張らない。
回り道に見えるかもしれませんが、結局はそれが一番の近道なのではないでしょうか。
実るほど頭を垂れる稲穂かな。
※この記事は2020年9月の記事のリニューアルです。
日本をかっこよく!お読みいただき、ありがとうございました。
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